【街角の看板息子】ふたりの進む道
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■ショートシナリオ
担当:言の羽
対応レベル:1〜5lv
難易度:やや難
成功報酬:1 G 1 C
参加人数:6人
サポート参加人数:1人
冒険期間:11月10日〜11月13日
リプレイ公開日:2009年12月06日
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●オープニング
江戸の街の一角に、老舗の呉服屋がある。
屋号は『鈴乃屋』。若旦那とその奥方によって切り盛りされ、日々繁盛している。
一人娘である小鈴は、一時は酷く寂しい思いをしたものの、近所に住む同じ年頃の子供たちと親しくなることで、遊びだけでなく将来店を継ぐための勉強も始められるだけの気概を得た。
一方、同じく江戸にて繁盛する甘味処『華誉』――。
初代であった父の後を継ぐ兄弟とその母親、そして弟子入りした青年に、青年の子分達。なんだかんだと大所帯の店ではあるが、皆が店のためを想い動いているので、喧嘩はしても結局収まるところに収まる。
特に精神的にも技術的にも安定している兄・栄一郎と異なり、弟・勇二郎はまだまだムラが多いのだが、だからこそどこまで伸びるかが常連客の楽しみでもある。
そして、どちらの店にも深くかかわる娘、セレナ・パーセライト。
イギリスから商人修行のためこの国を訪れ、鈴乃屋で居候して小鈴の姉のような存在となり、華誉の勇二郎とは周囲がもどかしく思うほどの微妙な関係を続けている。
ゆらゆらと、ため池に浮かぶ笹舟のように。
しかし誰も考えてはいなかった。‥‥考えないようにしていたのかもしれないが。前述のように、セレナは修行を目的としてこの国に滞在している。修行とはいつかは終わるもの。終われば帰らなくてはならない。いつか必ず離れる時が来る。その時はもう目前に迫っているのかもしれないのだと、いうことを。
◆
昼下がり。よく晴れた、過ごしやすい秋の日。
小鈴は自分の身長ほどもあるほうきでもって、鈴乃屋の前を掃き清めていた。客足の落ち着く時間帯に掃除を行なうのは、誰に言われるまでもなく、店の皆の動きを見て覚えたことだった。
『やあ、話に聞いていたとおり可愛らしいお嬢さんだ』
そんな小鈴に、耳慣れない言葉がかけられる。手を止めて見上げるとひとりのおじさんが立っていた。顔つき、目の色、髪の色――どれをとっても、この国の人ではない。
とりあえず首を傾げてみた。
「‥‥ああ、ごめんよ。ついイギリスの言葉で話しかけてしまった。お嬢さん、お父さんを呼んでくれるかな? ラルフ・パーセライトが来たと伝えてもらえればわかってくれると思うのだが」
「え‥‥」
小鈴にもわかる言葉に切り替えてすらすらと喋りだしたおじさん。その口から出てきた彼の名字は、セレナの名字と同じものだった。
「あのっ‥‥おじさんは、もしかして――」
「お父さん!?」
まだ人見知りの残る小鈴が、喉から質問を搾り出すよりも早く。店から顔を出したセレナの驚愕が近隣に響いた。
母屋。縁側に並ぶのは若旦那とラルフのみで、二人の手には湯気の立つ湯飲みがある。セレナはこの場に居たがったが、若旦那からお茶請けの団子を買ってくるように命じられ、仕方なく出かけている。
ずず‥‥と茶をすする若旦那も、庭の趣に目を細めるラルフも、まだ再会の軽い挨拶を交わしたのみだ。肝心なことは何一つ話していない。が、ラルフの訪問が何を意味するかは、若旦那にもすでに見当がついていた。
「よくできた子だよ」
口火を切ったのは、茶を飲み終えた若旦那だった。
「働き者だし、娘や娘の拾ってきた猫の面倒もよく見てくれている。商人として必要な心構えだって、今じゃあ新しく入ってきた子に教えられるほどだ」
「そうか‥‥いやあ、子供のことを褒められると嬉しいねえ」
「親冥利に尽きるだろう?」
「ああ」
若旦那は湯飲みを盆に戻したが、ラルフが急須を取った。とぽとぽと音を立て。再び茶が湯飲みを満たしていく。
「‥‥そろそろ、セレナにうちのやり方を仕込みたいんだ」
「頃合だと思っていたよ。彼女の年齢も考えるとね。――婿をとるんだろう?」
「なかなか弱音を吐かない子だから、それを理解して支えてくれる人がいいな」
「うちの娘は、決意したら強いんだけどねえ‥‥決意するまでが弱いから、発破をかけてくれる人がいいなあ」
お返しにと、今度は若旦那がラルフの湯飲みに茶を注ぐ。
「セレナには、好いた男がいるみたいだよ」
「なんだって?」
「団子屋の次男坊。――ああこら、どこに行こうというんだ」
「さっきセレナをそこへ使いに出しただろう!? うちの娘をたぶらかして!」
その湯飲みさえも放り投げる勢いでラルフが立ち上がったのを、予測していたのだろう、若旦那の手が伸びて引き止める。止めてくれるなと騒ぐ友へ、座れと促す。
「好いたのは彼のほうが先みたいだが、悪い男じゃあない。職人としても今後の成長が楽しみだしね。まあ、少々感情的になりやすい面はあるが‥‥それにつられてか、彼と話しているとセレナも感情を表に出す」
生真面目すぎることもあって、セレナは自身の感情をあまり表に出さない。饒舌なほうでもない。それが年頃の娘らしく笑ったり、怒ったり、幸せそうにその日の出来事を話したり。
これはもう、認めざるを得ないだろう。と、親ならばそう考えてもおかしくはない。現にラルフも考えた。一瞬。
しかし。
「この国で店を開いている職人が、私達の国へ来て、セレナと共にうちを継いでくれるというのか」
苦々しく呟いたのは、商家の主としての想い。責任。
親としての心情とすんなり沿うものではなかった。
「当人達もわかっているよ、それは。だから、互いの気持ちを薄々察していながら、決めの一歩を踏み出せないでいる」
木枯らしが吹く。若旦那の体がちぢこまる。ラルフを留めるものはなくなったのだが、彼はもう飛び出そうとはしていなかった。
「どうすればいい」
「気の済むように。宿なら提供するよ。あとで冒険者ぎるどにも案内しよう」
木枯らしは何度も何度も吹き付ける。秋も秋、もう冬支度を始める頃合だ。
――依頼状に記された内容は、以下の通り。
・甘味処「華誉」の内情
・華誉の次男坊と娘との関係
・周囲の考え
など、娘を連れて帰るうえで関わってきそうな情報を調べてきてほしい。
●リプレイ本文
●華誉
「ほんといつまで経っても雑なかき混ぜ方が直んねぇな!?」
「お前の真似してやってんだよ、お前が雑なんだろうが!!」
今日も今日とて賑やかな華誉。満席の客がまた始まったという顔で首を伸ばす先には厨房がある。
「あんた達またかい!」
女将が分厚い木のお盆を持って厨房に突入すると、代わりに栄一郎が出てきて頭を下げた。
「‥‥騒がしくて申し訳ない」
「いいんだよ。それより、この前の話考えてくれた?」
すぐさま戻ろうとする彼を呼び止めたのは近所に住む中年女性。豆腐屋の娘を必死に売り込むが栄一郎にその気はないらしく、とにかく生返事をしつつ視線をそらしている。
その視線が戸口で止まった。ドレスを着たシフールの少女が青い羽根で浮いていたからだ。
「丁度よかった」
「きゃっ!?」
栄一郎は問答無用でその少女を抱きかかえると、全くおさまる気配のない厨房へ即帰還する。
「この子の前でこれ以上続けるつもりか、勇二郎」
まるで赤子のようにその少女を掲げる栄一郎。振り向いた勇二郎の表情は仁王の如きであったが、それも少女の姿に焦点が定まるまで。
「ラン、元気だったかー!」
「はい♪ 勇二郎さまもお変わりなくっ」
栄一郎の手から勇二郎の腕の中、そして定位置とも言える肩の上へと移動させられるラン・ウノハナ(ea1022)も、一変して華のように喜びを振りまいている。
そんな二人の様子に、喧嘩をしていたはずの康太も毒気を抜かれた様子で息を吐いた。
ここは何も変わらない。当初、ランはそんな風に感じた。けれど店を手伝っているうちに、それは間違いだとすぐにわかった。
例えば、以前はセレナを女性として気にしていた康太には既にいい人ができていた。お昼時に弁当を持って店を訪ねてきた女性は、とてもおしとやかで、微笑むとえくぼのできる人だった。死んだ母親に似ているのだと、照れながら教えてくれた。
栄一郎はやはり縁談を避けていたが、最近は女将さんもうるさくなってきたそうで、自宅では女将さんやお見合いおばさんの手の者からの文が山となっているのだという。
変わっていくことは寂しいとは思う。一方で、これは勇二郎にとっては好機なのではないかと考えるランだった。
「以前ワインを和菓子に‥‥って渡した時に、目を輝かせてたからさ」
シルフィリア・ユピオーク(eb3525)が明王院月与を伴ってやってきたのは、客もかなり減った閉店間際。月与は欧州にしかない材料を持ち込み、調理場を借りて欧州風の和菓子を作成する。当然それらは華誉の面々にとって未知の領域であり、勧められるより早く手にとって口へ運んでいた。
直後、誰もが目を見開いた。新しい味や食感との出会いがあったのだろう。
「まだまだ成長の最中だからこそ、新しいものを取入れて、独創的な新しいお菓子を作り出していけるんじゃないかって、あたいは期待しているんだよ。世界中の誰が食べても最高の笑顔になる、そんなお菓子作りを目指すのもどうかってね」
これは好感触だと、月与とシルフィリアは嬉しそうな笑みを浮かべる。しかし栄一郎と勇二郎は難しい顔で、まだ片付けの済んでいない調理台――つまりは、月与の持ち込んだ材料を見つめていた。
「‥‥兄貴」
「ああ」
兄弟の呟きに、困惑するシルフィリア達。どうかしたかと問うたところ、面白いとは思ったが店の品揃えに加えるには材料費がかかりすぎるのだという。月道が常に開いているとはいえ、一銭も支払うことなく通行可能なのは冒険者のみであり、月道の向こうからやってくる材料が高額であることに変わりはない。懐に余裕があっても毎日は食べられない贅沢品だ。馴染みのご隠居が日々訪れる店では到底出せない。
「味も、この国の者が好むように調整する必要があるだろうな」
「どうにかなんねぇかなぁ‥‥ウケると思うんだけどなあ」
食べかけの菓子と材料を交互に見比べながら、指先で頬をかく。
「‥‥セレナの店の商い品に、勇二郎さんのお菓子を混ぜるってのは難しいかい?」
「へ?」
これではいけない。そう思ったのだろう、シルフィリアはもう一歩踏み込んだ話を始めた。勇二郎は間の抜けた声を出したがそこを気にしている余裕はない。
「ちょっとお茶のついでに品物に目を通して貰うのも、切っ掛け作りには良いんじゃないかい?」
「いや、何のきっかけだよ。つーか、そこでセレナが出てくるのはおかしいだろ!?」
結果、踏んだ段階が足りなかったか、今度は勇二郎が困惑することとなった。
「シルフィリアさまは独立もしくは欧州への出店を勧めておられるのですわ、勇二郎様」
「なんでまた急に――」
ランの率直な解説が入れば、さすがに言いたいことは理解したものの、その目的とすることまでは理解できず。なおも疑問符を飛ばし続ける勇二郎だったのだが、はたと動きを止めた。表情がすぅっと、なりを潜めた。
「――帰る時期なのか、セレナが、欧州へ」
●水辺の砂地
セレナが群雲龍之介(ea0988)と小鳥遊郭之丞(eb9508)の急な訪問に面食らったのは昼前のことだった。普段は武人と拳を合わせる機会などなかなかないものだから、昼休みまで待ってくれたら受けると、龍之介からの手合わせの申し込みを二つ返事で受けた。結果は特に記す必要もないだろうが、途中で郭之丞も加わったおかげで、もはや冬の入り口であるというのに三人揃って汗だくになったことは確かである。
「そういえば、セレナには好きな男はいないのか」
「‥‥は?」
それとなく。自然に。勇二郎の話を切り出すつもりでいた龍之介だったが、具体的な案は何も考え付いていなかった。このため、実際のところは直球になってしまっていた。郭之丞が慌てて助け舟を出す。
「いやな、私が殿方についての相談を群雲殿にしたものだから」
嘘である。
とはいえ、郭之丞が悩んでいることは事実だ。セレナは多少驚いているようだが、ひとまず頷いた。
「かつては恋などとというものに縁のなかった身だが、今はそのお方のことを想うと胸が張り裂けんばかりに痛む。せめて傍で御身をお護りしたいと望んでも、今やその願いすら容易には叶わぬのだ」
胸元に手を添え、祈るように瞼を閉じる郭之丞。その眉根は彼女の苦悩を示してぎゅっと寄っている。
「戦に出ている方なのですか」
「本来は出る必要のない方なのだ。それが‥‥――いや、やめておこう」
わざわざ細かく説明する必要もない。郭之丞は、いたずらに不安を抱かせることよりも、結論を述べることを選択した。
「己の気持ちに気付いてからでは手遅れになる事もあるのだと、私は思い知らされた。セレナ殿には私のような後悔はしてほしくないのだ」
「私には、後悔するようなことなど――」
「仮に今はないとしても、だ。肝に銘じておいてくれ‥‥人は時に己の感情をなかったことにして、その場をやり過ごす。場合によってはそれもいいだろう。しかし、自分の感情に向き合いそれに従うのも、自分を知り己を高める為には大事なことのひとつだと、俺は思うぞ」
否定しようとするセレナの言葉を遮って、龍之介は水筒を彼女に差し出した。
●鈴乃屋
龍之介、郭之丞、セレナが鈴乃屋に戻ると、母屋の庭では小鈴とその友人達が戯れていた。木枯らしが吹いていても子供は元気なものである。正太郎という名のガキ大将が連れてきた柴犬で時折暖を取りつつ、主に体を動かす遊びに夢中だ。しかしシルフィリアが欧州風の菓子を持ってきたと聞いてそそくさと庭から部屋に上がってくるあたりも、子供らしい。
彼らが一風変わった菓子を黙々とほおばるなか、今回のこと――セレナと勇二郎の事情について説明したのは、龍之介だった。
「で、オレらにどうしろって?」
指についた粉まで舐め取ってから正太郎が言った。
「力を貸してほしい。二人が幸せに結ばれるためにな」
龍之介が小鈴の様子を伺うと、小鈴はシルフィリアの隣で、食べかけの菓子を持ったまま何かをこらえていた。冒険者達にとっては予想通りの反応だが、無理もないだろう。
「前より月道も断然行き来しやすくなったし、きっと時々顔を出してくれるよ」
柔らかく語りかけながらシルフィリアは小鈴の頭を何度も撫でる。泣き出したり取り乱したりしないのは成長の証か。一方で、耐える姿がいじらしさを際立てる。正太郎がおどけて小鈴の菓子を奪うも全くの無反応で、さすがにばつが悪そうだった。子分を肘で突いているが、子分とてどうしたらよいのか見当がつかない。
押し付けあう少年達をもはや見ていられず、郭之丞は席を立つと同時に正太郎を呼んだ。
「なんだよ」
「先の鍛錬で学んだことは外面の強さだけではなかろう。慕う女が辛い時、男ならばどうすべきかわかるな?」
廊下に出たはいいが肌寒い。恨めしそうに見上げてくる正太郎に風邪を引かせてはいかんと考え、すぐ本題に入る。
「ちょ、慕うとかおま――もがっ」
騒がれたのでひとまず口を塞ぎ、続ける。更に恨めしそうに睨んでくるが今回ばかりは勘弁してもらわなければならない。左手に持っていた細長い袋を、正太郎の手に握らせた。
「正太郎、おぬしは筋が良い、これからも鍛錬に励むようこの木刀を贈ろう。私はもう小鈴とは会えぬやもしれぬ‥‥おぬしにはこれから小鈴の支えとなり護ってやってほしいのだ」
「‥‥会えないかもってどういうことだよ。お前の家も遠いのか?」
「私にも共に在りたい方がいるということだ」
袋の中を覗いてみれば、知識のない者でも良質とわかる作り。ゆえに、十に満たない少年にも郭之丞の覚悟は伝わった。
部屋に戻れば龍之介とシルフィリアが優しく小鈴に諭しているところだった。離れてもお互いの絆が切れるわけではない、セレナに会えない間には鈴乃屋の手伝いを今以上にこなし、立派な跡継ぎとして再会時に脅かせてやればいい、と。猫をかたどった帽子も、土産だと言ってかぶせてみたが、いずれも効果は薄そうだ。
正太郎は小鈴の隣で片膝をつくや否や、その腕を掴んで強引に自分へと視線を向けさせた。
「小鈴。お前、セレナさんのやりたいことを邪魔したいか?」
「‥‥ない。したくない‥‥それはやだ‥‥」
「じゃあ応援できるな?」
言葉を詰まらせる小鈴。正面から見据えて逃さない正太郎。――やがて、小鈴が小さく頷いた。
「‥‥初めまして」
立ち去ろうとしたラルフが踵を返すと、そこに立っていたのは瀬崎鐶(ec0097)だった。挨拶と話をする時間の有無確認を忘れなかった彼女にラルフも好感を抱いたようで、二つ返事で了承する。
「提案があるのですが‥‥一度、セレナさんが好意を持っている方のことを、ご自身の目でもご覧になっては如何でしょうか?」
「それはあなた方にお願いしたことのはずだが」
「無論、我々も調査してはいます。‥‥が、言葉のみで伝えられることと実際に確かめて後に言葉で伝えられることとは、少々違ったものになると思いますので」
百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、自分の目と耳で確かめたほうがよいのは間違いない。ラルフがそうせずに依頼を出すことにしたのには父親としての様々な葛藤があったからなのだが。
「‥‥これは娘の人生を決める一大事、あなたの言うとおりだ」
観念したように肩をすくめる彼に、鐶は華誉への供をかってでた。
●再び華誉
「水に映った月を壊したくないからと、いつまでも眺めるのか? 月はそこにある、ならば吠えてみるのも跳ねるのも一興だと思うがな」
飄々とした風でそう告げる桐沢相馬(ea5171)。夕飯の支度が各家で始まる時間帯で、店内は閑散としてきている。
客席の一角を陣取り相馬と向かい合う勇二郎は、卓へ突っ伏しつつ頭を抱えていた。
「‥‥お前がそんな風情のある言い回しするとはな」
「そんな口を叩く余裕があるなら、さっさと伝えてこい」
「玉砕したらどうすんだよ。仮に玉砕しなくても、あいつの進む道を惑わす存在にはなりたくねぇ」
清く正しすぎる関係に、もどかしさを通り越して感嘆の意まで抱きそうになる。
「思いが届いてないのならば良い、向こうへ行くことが可能でなかったのならば良い。だが、届いていてこのまま座して流れるのは色々な方面に失礼だ」
「届いてるかなんてわかるかよ」
「だから聞いてこいと言っている」
堂々巡りである。
しかしいつまでもこうしているわけには行かない。相馬は茶で唇を湿らせてから、店内を見渡した。
「この店を継ぐのは栄一郎だろう。成長途中だが今は職人も増えた。お前が英国へ行っても問題はない」
「‥‥金勘定はあんまり得意じゃない。おふくろと兄貴に任せてたからな」
「いや、そうじゃない。商売を覚える事には意味があるが、今から覚えるよりは異国の特産物を生産できる点を生かして話のタネ・商売の一品にした方が、よっぽど物の役に立つとは思う。材料を探そうとする行動や、新しい技術を覚えようとする行動は、決して商売の上でも無駄にはならないだろうしな」
面白い物を作ってもらったんだが、と相馬はランに合図を出す。ランは一度店を出て行ったがすぐに龍之介を連れて戻ってきた。
その龍之介が卓に広げたのは、彼の作った和洋折衷菓子だった。コンセプトは月与の菓子と同一だが、ジャパン産の材料の割合はこちらのほうが高い。試食したところでもこちらのほうが親しみのある味と感じたようだが、その辺りは仕方あるまい。
「剣術に限らないが、新しい技術や概念の融合は面白いものだ、力にも話題にもなる。お前自身の為にもなるだろう」
「イギリスである程度修行したら、そこに支店を出すという手もあるぞ!」
龍之介も相馬の言葉を後押しするが、支店を出すということがどれだけ大変かは勇二郎でも知っている。そしてそれが可にしろ不可にしろ、セレナが隣にいないのでは英国に渡る意味がない。セレナが自分を求めてくれるのか。求めてくれたところで彼女の支えになりえるのか。
やはりぐるぐると巡る思考により暗い影を帯びかけた勇二郎、その手にランが触れた。
「勇二郎さま。ランはただ偽ることなく、勇二郎さまの願う侭、思う侭に行動して頂きたいです」
折れてしまいそうなほど細い、けれど暖かい指先。
「確かに時間は限られています。でも、それが前だと理解した上で進んでくださいませね?」
そうできる人だからと、信じてくれている眼差しに、勇二郎ははっとする。他の皆も、色々な提案をしてきたのは、自分がやってのけられると信じたからではないのかと。
「ありがとな、ラン。皆も‥‥ありがとな」
礼を述べた勇二郎は、決意を秘めた力強さを帯びていた。
通路を挟んだ反対側の席では、そ知らぬ顔の鐶とラルフがぜんざいを食していた。勇二郎たちのやり取りにラルフが何を感じたかは、さすが商人、顔へ出すことはなかったが、帰路での極端な口数の少なさが代わりにそれを物語っているように鐶には思えた。