【街角の看板息子】最大最強の壁
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■ショートシナリオ
担当:言の羽
対応レベル:1〜5lv
難易度:やや難
成功報酬:0 G 81 C
参加人数:6人
サポート参加人数:1人
冒険期間:01月05日〜01月08日
リプレイ公開日:2010年02月22日
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●オープニング
甘味処『華誉』の職人兄弟、その次男である勇二郎。
老舗呉服屋『鈴乃屋』にて修行中、銀の髪が目を引くセレナ。
いずれも繁盛する店の者であるゆえに、比較的ゆっくりできるのは開店準備が始まる前のほんのわずかな時間のみ。セレナの日課である水辺での鍛錬に勇二郎が付き合い、運動後の水分補給のひと時に多少語らうくらいがせいぜいなのだが、それでも、特に勇二郎には貴重な時間だった。
セレナが故郷である英国へ帰る日が近づいていると、勇二郎は友人達から先日知らされた。父親が迎えに来ているのだという。セレナからはまだ何の話も聞いていない。白状ではないかと思う一方で、ぎりぎりになってから「これから帰るんです」と挨拶するセレナの姿も容易に想像できた。
(「そういう奴だよな」)
先ほどの組み手における己の身のこなしが気に入らなかったらしいセレナは、体を左右に揺らしては拳を前方へ突き出して首を傾げている。どこまでも真面目で、どこまでも真っ直ぐで、だからこそ脆い部分があり、そこに惹かれた。自分に時折向けられた柔らかさをかき抱きたいと思った。
(「‥‥俺も甘ちゃんから脱却しねぇと」)
友人達が背中を押してくれた。
妹分が見守ってくれている。
今ここで男にならなければ、次の機会なんてものはない。
「セレナ」
「はい、何でしょう」
名を呼べば、拳を下ろして勇二郎のほうを見てきた。次いで勇二郎に正対する。
それは何の変哲もない、普段の彼女と同じ仕草なのだが、これから一世一代の大勝負に出ようという勇二郎には動機息切れ唇の渇きのもとに他ならなかった。
「あ‥‥あのな」
「はい」
「その‥‥」
「‥‥?」
つい視線を地面へ落としてしまっていた勇二郎だったが、意を決してセレナを正面から見据える。つまりは見詰め合う。
「俺、お前が好きだ」
「え――」
「残りの一生をお前の隣で過ごしたい」
「そ‥‥それは、要するに、あれですか、ええと、何と言うのでしたか‥‥」
「求婚?」
「きゅっ‥‥」
一瞬固まった後、しどろもどろになり、赤面してまた固まった。セレナのそんな様子はいずれも滅多に見られない。
独り占めしている自分は何と幸せ者かと勇二郎はついこの状況に浸りたくなったが、それでは先に進めないではないかと、今一度気を引き締める。
「お前が国に戻って親父さんの後を継がなきゃならねぇのはわかってる。だから俺もお前の国に行くよ、お前と一緒に」
「‥‥あ、あなたにだって店があるではないですか」
「うちには兄貴がいるからな。康太もだいぶ使えるようになってきてるし」
「でも」
「ちゃんと説明するさ。お前をこのまま見送ったら、死ぬまで後悔したままになっちまう」
勇二郎はセレナの両肩に手を乗せた。セレナはぴくりと反応したものの、逃げることはなかった。
鍛錬の成果としてそれなりの筋肉はついているものの、やはり男性とは骨格からして異なる。自分より肩幅の小さなセレナへ、勇二郎は最後の確認の言葉を告げる。
「後のことを心配するより先に、教えてくれ。お前はどうなんだ。俺のことをどう思ってる? 俺の求婚、受けてくれるのか?」
セレナが慌ててくれたことで、勇二郎は逆に落ち着くことができていた。声もいつになく――年相応の、所帯を持っても不思議のない、大人の男性のそれになっていた。
「私、も‥‥」
「‥‥」
「私も、あなたと同じ時間を過ごす時間がとても心地よくて、可能であるなら、離れたくないと思います」
「可能だ」
朱に染まるセレナの肌。わかりやすいのは彼女の肌が白いからか。
肩に置いていた手の位置をずらし、背中へまわして抱きしめる。抵抗はなかった。
「お前が応じてくれるなら、可能だ」
「‥‥はい‥‥」
ためらいながらも自主的に、セレナは勇二郎の胸に鼻先を埋めた。
◆
「ふーん。で?」
その足で鈴乃屋へ行き、滞在中であるセレナの父ラルフに事のあらましを告げた二人。それに対する返答がこれである。言葉そのものもさることながら、満面の笑みが恐ろしい。
「ですから、その、お嬢さんと結婚を――」
『君にどれだけの覚悟があるというんだい?』
とりあえず繰り返した勇二郎に浴びせられたのは、イギリス語による質問だった。だが勇二郎にわかるはずがない。
「お父さん、それはあんまりでは」
「あんまりなものかい。うちに来るなら、これくらいはできてもらわなければ困るんだよ」
商売はその土地の人を相手にするんだからね、とラルフは茶をすする。
振り向いたセレナは勇二郎に対し申し訳なさそうな顔をしたが、それ以上に勇二郎の心中は情けなさで満ちていた。
より良い商売のためには意思疎通が必要だ。そして意思疎通のために言語の理解は欠かせない。だが挨拶程度の、尻の青い幼児ですらも話せるような言葉でさえも、ジャパン語以外に触れたことのない勇二郎には聞き取れもしないのだ。
「‥‥わかりました。俺の覚悟、証明してみせます」
「期待しているよ。可愛い一人娘の選んだ男だからね」
心配するセレナに大丈夫だからと言い含めて、勇二郎は鈴乃屋を後にする。
男勇二郎、一世一代の大勝負である。
●リプレイ本文
●
「勇二郎さまは卓上で詰め込むよりも実際に感じて覚えるタイプですから、なるたけ実践形式を増やしたほうがよいと思いますわ」
「同感です。まずはイギリス語の発音を体に叩き込んでいきましょう」
「休憩は半刻ごとぐらいがよさそうか」
ラン・ウノハナ(ea1022)、ガユス・アマンシール(ea2563)、桐沢相馬(ea5171)の打ち合わせに、生徒である勇二郎と小鳥遊郭之丞(eb9508)は身震いした。
「叩き込むってどういうことだ」
「う、うむ‥‥皆の目が少々恐ろしいぞ」
「どうしたって時間がないからな。だがまあ、触りだけで良いならやってられないことはないだろう。欧州でも戦乱にのまれやすい地域の者は、仕事を得るために必死で言語を覚えるらしいからな」
彼らは鈴乃屋の母屋の一部屋を借り、卓に筆記用具を並べている。勇二郎はこれから自分に向けられる教鞭に身震いしたが、相馬の言葉がいつもの調子であることに、自らの決意を思い出す。
「‥‥そう、だな。時間がないんだよな」
ラルフから提示された猶予期間は、語学の修得期間としては実に短い。短すぎる。それなのに彼が納得するだけの程度でやってのけなければならないのだから、甘えたことや優しいことは到底無理という話なのだ。今回イギリス語を習うのは勇二郎一人だけではない。それが勇二郎の支えにもなるだろう。競い合うことで人はより成長できるのだから。
「‥‥うー‥‥重い‥‥」
「だからさっき言っただろ、俺に任せとけって!」
卓の広さが足りないと新たに運び込まれてくる。運んできたのは少女・小鈴と少年・正太郎。その後ろを心配そうな顔のセレナがついてきている。――そう、今回は子供達も一緒に勉強するのであった。
子供達と一緒という状況でまともに勉強などできるのかと不安を抱く勇二郎だったが、セレナの前でその不安を表に出すわけにもいかず。大丈夫だから仕事に戻れ、と手で合図した。
実際に始めてみれば、勇二郎・郭之丞班と小鈴・正太郎班に分かれての授業となった。子供達には無理に叩き込む必要がないからである。
勇二郎の前にはランの手作り教材が広げられた。左にジャパン語、右にそれと対応するイギリス語が記されている。それも最初は日常的なありふれた品々の名前を意味する単語から、徐々に挨拶や簡単な会話文へと変化していく。目で字面を追いながら、ガユスが次々と発音するのをしっかりと耳に覚えさせるのだ。
「まずは、耳を慣らす事さ。耳が慣れれば、案外聞き取れるもんだし、そうなれば段々と相手の言いたいことが判ってくるもんだからね」
子供達の面倒を見るシルフィリア・ユピオーク(eb3525)はその合間にこう声援を送ったが、まさしくそれを目的とした行為であった。
「む、やはり単語は書き記しながら覚えた方が頭に入りやすい気がするぞ!」
勇二郎の隣で筆を走らせる郭之丞。幼少時に母からノルマン語を教わった際の記憶を頼りに、より効率のよい勉強法を模索しているようだ。
「では勇二郎さんも、私の発音の後に、同じ内容を発音しながら書き取りしてください」
「あ、ああ」
ガユスの教え方は、しっかりと力の付く方法であったろう。ただしもっと時間をかけていたらの話ではあるが。
単語ではなくアルファベットのひとつずつから子供達に教えている群雲龍之介(ea0988)が、言われたことをただただ頭に詰め込んでいく「作業」に疑問を抱くのも無理はない。そもガユスとて、この方法が言語習得に最も良いと考えているわけではないのだ。ごく限られた時間の中で、目的に沿った最大限の効果を出すため、あえてこの手段を選んだに過ぎなかった。
●
昼食も同じ部屋で取ることとなり、龍之介がイギリス風の料理を作るのだと意気込みながら台所へ向かう。子供達の相手はシルフィリアや郭之丞に任せようと思っていたようだが、二人ともなぜかついてきたので、ランがその役目を負う。
台所には先客がいた。小鈴の両親に雇われている使用人はもちろん、セレナも昼食を作っているところだった。彼女は簡単なものしか作れないようだったが、龍之介が加わることで技術的な不安はなくなり、着々と準備は進む。
「ねえ、セレナ。セレナも時間を作って、勇二郎が覚える手助けは出来ないかい?」
シルフィリアの目的はセレナと話をすることだったようだ。皿の用意などしながら、声をかける。
「仕事を抜けられるかどうか‥‥。父は私の働きぶりも確認したいようで、店内にお邪魔して様子を見ているんです」
今は昼食作りという大義名分があるが、他の時はそうも言っていられない。恩ある若旦那夫婦や同僚達に報いるためにも、私事で迷惑はかけられないと苦笑する。泊まりは難しいだろうから夜になれば勇二郎も家へ戻るだろうし、可能なのは日課となっている早朝鍛錬の折くらいか。
となればやはり今のような食事の時間帯が最大の好機であるから、勉強に多くの時間を割けるよう、シルフィリアは食事の準備を全面的に手伝うことに決めた。主なメニューは気軽に作れて気楽に食べられるサンドイッチであるが、豊富な種類を揃えようと思えばいくらでもできる料理だ。並行して、数時間後に行う予定の、ティータイムの準備をもしてしまうこととなった。
「で、小鳥遊殿はなぜそんな格好なんだ?」
龍之介が疑問を口にする。郭之丞、いや、熊の着ぐるみが彼らの横に立っていた。
「う、うむ‥‥やはり小鈴のことが気にかかってな。しかし話を聞こうにも、先日正太郎に小鈴を任せた手前、私が出張るわけにも行かぬだろうと‥‥」
それなら顔を隠せばいいと考えたようだ。声を出すなら小鈴は騙せても正太郎は無理ではないかという言葉が、龍之介にシルフィリア、それにセレナまでもが喉まで出かかった。しかしあえて言わない。セレナと離れた後の小鈴を心配する気持ちは、皆も同じだからだ。それに、ばれたらばれたで、郭之丞は自身の率直な想いを伝えるつもりだという。止める必要もないだろう。
――いざ昼食を部屋へ運び込んだ面々の目に飛び込んできたのは、頭のはずれたきぐるみに撫でられている小鈴と、それを羨ましそうに見ているのを悟られまいと堪えるも一目瞭然なランと、正太郎に玩具にされている頭部分だった。
「すまぬ、正太郎を信頼していなかったわけではないのだが‥‥」
「別に。気にしてねぇし。あんなすげぇのくれる奴の言葉が嘘だとは思わねーから安心しろ」
正太郎がきぐるみの頭部分を撫でる。自分自身が撫でられているわけではないのに、なぜか郭之丞は照れくさい感じがした。
昼食が済み、セレナが仕事に戻っていっても、勇二郎はご機嫌だった。
「どうかしたのか?」
相馬が問いかければ、セレナから「頑張って」と言われたらしい。しかもイギリス語で。だから、応援してくれることと、それを理解できたことで、二重に嬉しいのだと答えてくれた。
午後の部――は、基本的には午前中と同様なので割愛するとして。
特筆すべきはティータイムであろう。ずらりと並んだ菓子や茶は、龍之介の奮闘により英国仕様。出資者はなんとラルフであるという。土産として持参していたものや、子供達への気遣いだという話だが、実際はどうなのか。
「気ぃ使ってくれてんのかなあ」
「勇二郎殿、それをイギリス語で言えるか?」
「‥‥‥‥」
できる限りイギリス語で話そうという提案はなかなかの難問であるようだ。とりあえず皿やカップ代わりの湯のみやらを褒め称えてみるという実践が開始される。菓子はやはり勇二郎の興味をひくものの、味わった感想さえもイギリス語で述べなければならないとなれば、思考がそちらにばかりいって満足に味わうことがまた難しい。
傍目にも勇二郎に苛立ちが募っているのが見て取れるので、一同は顔を見合わせてしまった。やはり無理なのだろうか? たった数日でひとつの言語を学ぶなど無謀以外の何ものでもなかったのだろうか?
ガユスは席を立ち、勇二郎から離れた。子供達に英単語講座をひらくため、そして勇二郎に気分転換の時間を与えるためだ。
「小鈴ちゃん。何でもいいので指さして名前を言って下さい。続けて私がイギリス語で発音します」
「‥‥う‥‥?」
首を傾げる少女に向けて、まずは自分が連れてきた猫を示す。そしてイギリス語で言ってみせる。
続けて少女がそばにある箪笥を示すと、ガユスはすぐにイギリス語を発する。少年もその辺のものを示せば、イギリス語が返ってくる。テンポのよさが面白いのか、言いよどむことのないガユスに勝ちたいのか、子供達はみるみるうちに興奮していった。
「子供は気楽でいいねえ」
「そうでもないみたいだよ、ほら」
シルフィリアの言うとおり、少女がわざわざ別室から持ってきたのは算盤だった。鈴乃屋を継ぐ者としての自覚がそうさせるのだろうか。自分の幼かった頃はどうだったかと思いをはせ、勇二郎はイギリス語での会話にくじける己に恥ずかしさを覚える。
『大事に食べて、それから続きやろうぜ』
皆にそう語りかけた後、勇二郎はスコーンを一口ほおばった。
――実際にはもっと拙い、単語をつなげただけの、とうてい会話とは呼べないものだった。だが勇二郎が自分から会話を始めようとしたことはとても大きい変化だった。
言語の修得そのものではなく、修得に見せる態度そして意思疎通をはかろうとする姿勢。それらこそ、ラルフが見極めようとしているものであるとは、誰もが察していた。勇二郎が自分の足でその解に到着したことは、とても大きな成果であると言えるであろう。
●
こうして、瞬く間に時は過ぎ、約束の期間が終了した。鈴乃屋の座敷で向き合う勇二郎とラルフ。勇二郎の隣にはセレナ、ラルフの隣には鈴乃屋の若旦那が。戸口近くには冒険者達が並ぶ。さすがに子供達はこの場にはいない。
『さて、どれほどできるようになったか、見せてもらおうか』
容赦なくイギリス語で切り出すラルフに、一同は固唾を呑んで勇二郎を見守る。聞き取れているのか。理解できているのか。伝わる返答ができるのか――。
しかし彼らの予想に反して、勇二郎はあわてることもうろたえることもせず、まず真っ直ぐにラルフの目を見た。
『今はまだ、できると言えません』
『‥‥ほう?』
初日に比べればイギリス語の発音ができるようになっている。付け焼刃ではあるものの、ラルフが眉を上げるくらいには。
『俺は、あなたの娘さんと一緒にイギリスへ行くと決めた瞬間から、イギリス語を学ぶべきでした。お客さんとの会話が大事だってことはわかっていたのに、わかっていなかった』
たどたどしい言葉は、身振り手振りとあいまって、勇二郎の意図をラルフに伝える。
そうして体の動きも合わせれば意思疎通だけなら可能だと、言っていたのは相馬だった。しかし商売はというと、そうはいかない。そこに曖昧さがあってはならず、客の希望を性格に読み取った上で、こちらからも間違いなく応えていく必要がある。残念ながら経った数日で到達できるところではない。
『だから‥‥』
勇二郎はセレナに視線を向けた。怪訝そうな彼女へ、すまなそうに笑いかける。
『だから、結婚するにはまだ足りないものがある』
え、と目を点にしたのはセレナだけではなかった。
だが皆のそんな様子を意に介することもなく、勇二郎はラルフに視線を戻し、それからがばりと両手で上体を支えながら頭を下げた。額で畳がこすれんばかりの土下座だった。
『御父さん! 御父さんの店で修行させてください!!』
『御父さんと呼ぶなああああ!!』
勇二郎が言い終わるより早く、ラルフの雄叫びが鈴乃屋を揺るがした。若旦那が神妙な面持ちで頷いていることに気づいた冒険者達は、少年と少女の未来を垣間見たような気がした。
「け、結婚というのは大変なことなのだな‥‥」
「そおねえ。本人達の気持ちあってこそだけど、それだけで済む話じゃないわよねぇ。でも大丈夫よ、きっと」
何を思うか冷や汗垂らす郭之丞の背中を、シルフィリアはぽんぽんと軽く叩いた。
結論として、勇二郎のイギリスでの修行が決まった。一年か、それとも二年か。使い物にならないと判断されればすぐ帰されるし、セレナとの仲も認められない。代わりに、修行の間は婿探しをしないという。
「寂しく、なりますわね。いえ、その前に栄一郎さまにもと、女将さんたちがまた騒がしくなりそうでしょうか」
勇二郎なら修行をこなし、成長して、結婚も認めてもらえることだろう。そう信じているからこそ、ランは笑顔でいる。幼い少女が耐えているのだから自分が耐えられないでどうすると、震える肩をおさえつけて。
けれどそれも、勇二郎がランを抱き上げるまでだった。
「無理すんな。お前に無理されると俺がつらい」
「ゆう、じろ‥‥さまあぁっ」
しがみつき、わんわん泣き出したランの背中を何度も撫でる。自身も寂しそうな勇二郎へ、珍しく口元の緩んだガユスから、包みが差し出された。
「よく頑張りました。私からの前祝いです」
中身は洋風の衣類と冬用の靴だという。だが勇二郎は首を振って受け取らない。
「悪いけど、受け取らない。向こうへはこの身一つで行きたいんだ」
「‥‥わかりました。頑張ってください。健闘を祈ります」
逆に勇二郎らしいといえる言葉だ。そこを無理に押し付けるのも風情がない。何かの折でイギリスへ立ち寄った時、土産と称して椅子の上にでも置いてくるのがいいだろう。
会おうと思えば会える。会おうと思ううちは繋がっている。口には出さなくても、伝わるものがあればそれでいい。相馬と目の合った勇二郎は唇の両端を持ち上げた。相馬もにっと笑った。
「ラルフ殿は何でこんなことを?」
「父親としての最大の役目だからね」
龍之介の問いにさらりと答えるラルフは、生涯の伴侶として内定した男に駆け寄る娘を、しんみりと眺めるばかり。仲間に認められ、娘の揺るぎない信頼を得ているのだからといっても、心に穴が開いたようになるのは仕方がない。
仕方がないからその穴は勇二郎を厳しく鍛えていくことで埋めようと決めた。
ランをなだめるセレナはきっと、彼女の母のように素晴らしい妻、そして母になるであろうから、その日を楽しみにしつつ――