●リプレイ本文
●出発前の親心
霊峰ペテロ山へ偵察隊として出発する者たちはベルトラーゼを含め総勢9名。
兵舎で荷を確認、準備も終えていよいよペテロ山へと出発しようと一行が馬車に乗り込んでいると、二つの馬の足音がこちらへと近づいてきた。馬上に見たのは巨漢アルドバと壮年エルフルシーナだ。
息子同然のベルトラーゼの見送りに来たらしい。二人とも軍の準備で忙しいにも関わらずわざわざ駆けつけるというのが何とも彼ららしい。
「良いですか、ぼっちゃん。あちらでも必ず歯は磨くのですぞ。食事は必ず1日3食!」
「若、夜に敵が来るとなれば徹夜する日もあるかと思いますが、くれぐれも無理はせぬよう。いざとなったら雇った冒険者たちをこき使ってご自分は楽をなさって宜しいのですからね」
自他共に幼いころより『父親』と『母親』を名乗る二人だ。部下よりも親としての顔が前面に出てしまい、かなり過保護なその様子にベルトラーゼも頷くものの、冒険者の前で恥ずかしそうにしているのがはっきりとわかる。
「トール! お前や他の者たちがどうなっても構わぬが、ぼっちゃんだけは命に代えてもお守りするのだぞ!」
「わかっている。任せておけ」
そう答えたのはトール・ウッド(ea1919)。以前の戦の際、前衛軍にいたことからアルドバとは面識がある。相当の実力者としてアルドバからは厚い信頼を受けている男だ。
「あの腐れ領主の愚考により今回我々は同行できぬ。導、若を頼む」
「ええ、ルシーナ隊長の分はしっかり働いてきますよ」
ルシーナ隊として参軍、住民の救助において成果を上げた導蛍石(eb9949)。今回もペガサス『黄昏』にて空から偵察を行う予定だ。
やがて偵察隊を乗せた馬車が兵舎から出発する。遠ざかっていく『両親』たちは豆粒並みの大きさになっても「お気をつけて〜」とか声を出していた。‥‥自分の身を案じてくれているのはわかるが、はっきりいって恥ずかしい。特になにとも言うわけではないのだが、馬車にいる冒険者たちの視線が辛かった。
「いい親御さんじゃありませんか♪」
苦笑いしかできないベルトラーゼを楽しそうに見るのはイリア・アドミナル(ea2564)。無邪気さの中に一縷の意地悪さを含めたその笑みは、俯いて真っ赤のベルトラーゼの顔をますます赤くさせて他の者たちの心を和ませる。
天気は快晴。雨が降る心配はなさそうである。
とてもではないが、これからカオスの魔物の潜む山に行くとは思えない和やかな雰囲気のまま、馬車は進んでいくのだった。
●砦にて作戦会議
ペテロ山付近にまで到着した一行は、まず現地に向かわずに住民の避難所となる砦へと入った。
領主の謀、というにはあまりに幼稚な意地悪のためにろくな人数も揃わないまま偵察を行わなければならない。アルドバとルシーナの力を借りられないかとの声もあったが、どんな人物であろうと領主は領主、その言葉は絶対であり、二人が追従することは叶わなかった。この人数ではとてもではないが山の麓に存在する全ての村を護ることは不可能と考え、偵察よりも村人の避難を優先するが決定したのだ。
「私たちは五班に分かれて行動します。避難を担当する隊の内、一班はトールさん、二班はグレイさんと加藤さん、三班はシャルグさんと巴さん、偵察隊は導さんとイリアさん、そして最後にカオスの魔物の発生源を調べる探索隊の私とファングさん。避難を担当する班はペテロ山の麓に点在する村々の人々をこの砦まで避難させ、その後は探索隊である私たちと合流、原因の発生源を調査します。幸い夜まではまだ十分時間がありますので各自落ち着いて避難を完了させて下さい。偵察隊のお二人には空から地形の把握、各班の避難を支援しつつ余裕があれば私たちの援護をお願いします。各山村には村人が20名ほどおり、いずれの村もお年寄りばかりですので移動には細心の注意を払ってください」
「20人にお年寄りばかりとは随分過疎化しておりますな」
腕を組んだままシャルグ・ザーン(ea0827)が顎に手に当てる。彼も導同様前回ルシーナ隊として参戦した経歴を持つ。
「霊山と言っても大昔に付けられた名称でそれが尾を引いて現在まで語り継がれているに過ぎません。この近辺にはまともな街もなく、大勢が自給できるだけの余裕はありませんし、あるのはこの砦が一つだけ。名こそ知れていますが今では訪れる人もほとんどおらず、辺境と言ってもいい地域です」
「そうは言っても一応領内でしょう。こんな広いところをたった9人で偵察、しかも有事の際は守れだなんて‥‥自分とこの領民が大事じゃないのかしら」
領民は領主の財産だ。領民がいなければ税も取れない。そうなれば一番困るのは領主に他ならないのだが、そんな簡単なことまでわからない、というよりも考えたことがない領主も世の中にはいるのだろう。敢えて誰とはいわないが。
怒りを飛び越して呆れた風に加藤瑠璃(eb4288)がため息をつく横で、声を出して巴渓(ea0167)が笑う。
「しっかし姑のイビりに耐える嫁みてぇだよな、ベルの大将」
「しゅ、姑ですか‥‥」
「ああ。嫁姑関係ってな」
嫁と姑、そう言われてなぜか納得する自分がいたことにベルトラーゼがやや驚いた。性別こそ違うがなるほどそういう見方もできる。となると、アルドバたちは可愛い娘を護ろうと姑に立ち向かう兄弟、いや、親か?
「? どうした大将?」
「あ、いえ、おほんっ‥‥。避難についてですか、私たちはペテロ山の真南にあるこの砦よりまっすぐ北上して現地に向かいます。各村を区別するため、ペテロ山の南にある村から時計回りにA、B、C、D、E、Fと順番に呼称します。一班はAの住民をBに移動させ、住民をまとめた後この砦まで避難をさせて下さい。二班はC、Dを、三班にはE、Fを、一班と同様に村人をまとめてから移動させるようお願いします。麓と言ってもペテロ本山の周囲には小さな山や森林が広がり、特に二班の担当する本山北部には樹海とも呼べる広大な森林地帯がありますから十分ご注意を」
「了解した。先行して付近の道は把握してある。それに現地の地図も用意してもらっているから多少の障害にはびくともしませんよ」
「よろしければ今後の魔物退治にお使い下さい」
地図を手にしていたグレイ・ドレイク(eb0884)。先の戦ではベルトラーゼ隊に参軍、その騎兵としての実力を遺憾なく発揮している。
彼の言葉が終わると、導があるものを差し出した。
魔剣「ブルー・グリーン」、翔鷹の鉢金、漆黒のサーコート、いずれも名立たる武具だ。
「アルドバさんたちの分も用意したのですが、せめてベルトラーゼさんだけでも」
「しかしこれは‥‥」
「あの領主の性格を考えるに、おそらく満足な武具も用意してもらっていないかと思いまして。並みの武器ではカオスの魔物には対応できませんから、遠慮なくどうぞ」
導の言う通りベルトラーゼは騎馬の扱いには長けているものの、オーラすら満足に使えない。武器耐性を持つものが現れれば、自分の持つ剣では歯がたたないだろう。
「‥‥ありがたく使わせていただきます」
「そう気張る必要もありませんよ。順調にいけば夕方前には各隊、作業は終わりましょう。そうなればこの任務は果たしたと言っても過言ではありません」
最後に鷹揚と立ち上がったのはファング・ダイモス(ea7482)だ。グレイと共にベルトラーゼ隊に参加、先の戦においては敵陣に孤立しながらも指揮官ホブゴブリン王を仕留めるのに一役買った男である。
一同が退出していく中、イリアが口元を綻ばせる。
「ベルトラーゼさん、気をつけて下さいね」
「はい。ありがとうございます」
身を気遣って言葉にベルトラーゼが素直に感謝を述べた。
「そうじゃなくて、本当に気をつけて下さいね」
「え、その‥‥」
何が何だかわからないと不思議そうな顔を浮かべる彼にイリアが向けたのは意地悪な笑みだ。
「ベルトラーゼさんに何かあるとこわ〜いご両親が刃物を持って私たちを追いかけてきそうですから。私たちのためにも、十分に注意して下さいね」
今朝のこともあり、再び真っ赤になってベルトラーゼが俯く。
室内に笑い声が響き、一同はペテロ山へと出陣した。
●避難活動開始、顕在する脅威
「予想以上の難所のようだな」
「ですね‥‥」
ペガサスを使いこなす導とその後ろに同乗したイリアが上空から山の様子を窺い、そう一言。
標高500m。大きいとも小さいとも言えない微妙な高さと北部に広大な森林を持つペテロ山だが、高さがない分横と縦に広い。例えるなら巨大な山を上から押し潰して作った平べったい山、という感じだ。森林に覆われ、存在する山道も馬車がぎりぎりで通れるほどの小さなもので切り立った崖こそないが、あちこちに存在する凹凸に、急な斜面や地面から飛び出した大岩があちこちに見えるこの山で行動するのは並大抵の苦労ではない。偵察隊としては何としても日が暮れるまでに避難を完了させたかった。
「我々が調査を終えるまで、どうか避難していただきたい」
普段は口数が少ないシャグルだが、任務となれば話は別だ。突然避難するよう指示を受けて愚痴をこぼす老人たちを次々と移動させていく。巴の荒っぽい口調も薬になったのか、意外に避難はスムーズに進んでいった。
一班はトール一人であるため、砦から一番近い村を担当していた。三班と同じよう愚痴をこぼされながらも移動させていくトールも問題はなさそうだ。
グレイの馬に同乗し、北部の村に向かった加藤たちも順調に避難を進めていた。愚痴を言われるのは変わらないがグレイが事前に道順を把握していたおかげで移動は円滑に進んでいく。すでにDとCの村人を引き連れて砦に向かっている最中で現在は樹海と呼ばれる森林地帯を移動中だ。
加藤は先頭、後方で従うグレイは愛馬『ストームガルド』に騎乗して周囲を警戒しながら進む。
過疎化しているというのも納得できる。道が一応存在しているものの舗装など全くされておらず、よほど利用する人もいないのだろう。普通は踏まれて土が曝け出されているはずの道上に雑草がわんさか芽を出している。地図がなければ道から脱線してしまいそうだ。
グレイがちらりと周囲へ視線を巡らすと、白い塊があちこちに見ることが出来る。空を木々の葉に覆われた森の中は予想以上に暗い。そんな中、異様な程にその色彩を放ちながら顔を出している白い岩たちは時折苦しんでいる人間の顔のように見えて気色悪いことこの上ない。
「‥‥どうしました?」
後方の老人たちの足が止まっている。一人の老婆が苦しむように地面に手をつき、その夫らしき人物がすぐ近くで心配そうに声をかけていた。反射的に周囲へと視線を巡らすが、魔物の気配はない。まだ3時間以上かかるが、別の魔物が潜んでいる可能性もある。注意するに越したことはない。
後方の動きに気づいた加藤が全員に止まるよう指示を出してやってくる。
二人が老婆の様子を窺うが、どうも症状がはっきりしない。どんなに声をかけても唸るだけだ。
何事かと周囲の住民たちもぞろぞろと集まってきている。時間のロスは避けたいし、これ以上このままでいると周囲に下手に不安を与えることにもなる。
「疲れが溜まったのかもしれないな。俺の後ろに乗せて行こう。あんたは予定通り先頭を頼む」
「わかったわ」
二人がそれぞれに話をつけてその行動を取ろうとする。
起こったのは突然、予想外の出来事に二人は全く反応することができなかった。
めきっと異様な音が響いた。
骨を砕くような低い音が波のように続け様に鳴り響く。その音の発生源は蹲っていた老婆からだ。
誰も目を疑う中、細い老婆の体の表面が異様な音と共に波うち、膨れ上がり、変化していく。
その果てに出現したのは馬上に乗るグレイと同じ大きさを持つ巨大な禿鷹だった。
「――――――――!!」
その鳴き声とも取れない奇妙な声に、やっと我に返った二人が得物に手をかける。
しかしそれよりも早く巨大な禿鷹は近くにいた老人をその足で掴みあげると空高くへと飛翔した。
突然の化物の出現に村人たちが悲鳴を上げてわれ先にとあちこちへと散っていく。
「まずい!」
二人がそれを制しようとするがすでに遅かった。自分と同じ村に住んでいた者が化物に変わる瞬間を目撃した、その衝撃は否応のなしに彼らをパニックに陥らせた。そしてそれは二人も同じだった。突然の化物の出現。あまりの予想外の出来事に頭が真っ白になっており、状況を掴もうとただ頭をフル回転させる。
しかしそれを敵が待ってくるわけもなく、再び上空から勢いをつけた禿鷹が二人の元へと降りてくる。
「危ないから下がってて!」
村人をかばうように敵の正面に加藤が身を躍らせる。対して禿鷹はその体を掴み上げようと足を伸ばし来る。
いつもの加藤ならば回避と同時に一撃を叩き込むことができただろう。だが未だに整理できない頭ではその攻撃を避けるのが精一杯だった。
羽を広げ、再び上空に浮かび上がった禿鷹が旋回、勢いをつけて二人目掛けて襲いかかる。
「この人数だと厳しいが、鷹の氏族の名にかけて、必ず村人達を守る!!」
気合一声。地面すれすれを飛んでくる敵に、馬を走らせたグレイが正面から受けてたった。オーラパワーで力を蓄える時間はない。騎馬による高速移動、ランスの重みを乗せた一撃が禿鷹の懐へと繰り出される。
並みに魔物を絶命させるには十分過ぎるほどの一撃。しかしそれを受けたにも関わらず禿鷹は馬に跨るグレイの肩をその両足で捕らえ上空へと飛び上がった。
武器耐性を持っている。そのことを直感的に察知したグレイが上空へと持ち上げられる中オーラパワーを発動させる。幸い愛馬が主人の身を護ろうと一瞬相手の邪魔をしてくれたおかげでまだそんなに高度はない。
完成した力をランスに込めて、グレイがその切っ先を禿鷹の首元へと突き上げた。状態こそ不安定で仕留めるには十分ではなかったが敵の動きを止めるには事足りる威力。
奇妙な鳴き声を上げて状態を崩した禿鷹が地面へと降りていき、足から離されたグレイもそれと共に地面へと落下していった。
一方、カオスの魔物出現の原因を探るべく、ベルトラーゼとファングの両名は砦の者たちから得た情報を頼りにペテロ山本山の山頂付近を目指していた。
登れない斜面でないとはいえ何度も続く起伏の地形。山頂に近づけば近づくほど森は濃くなり、不自然なほどに白い大岩が転がり木々の間に置いてある。道を阻むように挟まっていると言った方が適切か。
「これは‥‥堀ですか」
あまりの不自然さにファングが調べてみたところ、あちこちに凹んだ堀の跡が確認できた。大岩を運搬した跡もあり、どうやらこれらは人為的に設置されたもののようだ。
「この大岩は矢などを防ぐための盾、敵の進軍を防ぐための障害、さしずめそんなところでしょうね」
「‥‥そうなるとこの辺りに砦があるという噂も嘘ではないようですね。ファングさん、何か見えませんか?」
ベルトラーゼの言葉にファングが小高い場所で周囲を見渡すと比較的平らな地形、その姿を隠すように森林が生い茂る中、一つの砦が確認できた。すぐさま二人はそこへと向かう。
壁には植物の蔓が茂り、その間から緑の芽が頭を出している。長い間使われることなく放置されていたが、本館と思しき大きな建物の右には塔のような細長い見張り台があり、三階あたりが渡り廊下で繋がっている。古びているがどこかが破損した形跡はない。どうやら砦で聞いた噂は本当だったようだ。
砦の者の話では先の大戦の折、この一帯で大規模な戦いが行われたらしく、この山に侵入したバの軍が潜伏施設として山のどこかに砦を作ったのだそうだ。あくまで噂とされ、戦場の跡地でもあったこの山に頻繁に出入りするものも少なかったため、現在まで砦の姿を確認したものはいなかったのだが、やはり確かに存在したのだ。
砦内部を調査する二人だが、特に変わったものは見つからない。魔物の気配も感じられなかった。本館一階から三階にかけて部屋はほとんどなく、一階入り口をくぐると大きなフロアがあり、右斜めの角にある階段を登ればそのまま二階、三階へと行くことができた。四階の代わりに砦の屋根に出ることができ、三階からは渡り廊下を歩いて隣の見張り台へと入ることができる。見張り台の下部に入り口はなく、ここに入るにはこの渡り廊下を進まなければならないらしい。見張り台の螺旋階段をひたすら登れば最上部の部屋に行き着き、そこからはペテロ山南部が一望可能で、避難所である砦さえも窺えた。
ファングが背を伸ばしたまま、広がる景色に目を走らせる。どうやらこの砦、ジャイアントにも窮屈ではないよう設計されている。
「背後には背中を護る岩壁、右手は切り立った崖、左手と正面にも大岩を備えた森林、しかも急な斜面と木々のおかげで大部隊は陣形を組むことができない、その上この見張り台があれば接近してくる敵の動きが丸見え‥‥。護るのにこれほど優れた砦もめったにお目にかかれませんね」
見張り台から本館に再び戻った二人が一階を探索している時だ。
何かの足音を感じたファングがベルトラーゼに背中を任せるという合図を出し、廊下を進んでいく。階段の向こう、来る時にはわからなかったが、階段に隠れるように存在する廊下だ。
奥へと進んでいく二人。先頭を歩くファングが薄暗い廊下を慎重に進んでいき、ちょうど曲がり角から顔だけを出して先の様子を窺うとその目に映ったのは地下へと続く通路と、その前に佇む小さな馬らしき四足動物だった。
不意にそれと視線が合い、ファングは本能的にその目から視線を離すと壁の陰に身を隠した。
悪意と殺意、目から瞬時に伝わってきたそれは幾つもの戦場を体験した彼でもほとんど経験したことのないどす黒い感情だ。
明らかに異質な存在と感じとったファングが得物に力を込め、ベルトラーゼに援護してくれるよう指示を出そうと背後へと視線を向けて、
―――――――――言葉を失った。
自分に向けて大きく剣を振り上げるベルトラーゼ。その顔は苦痛に歪んでいる。
その向こう、自分たちが来た廊下の入り口、そこで嘲笑うかのようにこちらを凝視する異質の存在。
先ほどまでこの先にいたはずの存在が、自分たちが来たはずの廊下でこちらを見ている。
不可解な出来事に一瞬混乱するファング。
その体へとベルトラーゼの剣が振り下ろされ、
鮮血が散った。
「グレイさん! 無事ですか!?」
上空に現れた巨大な禿鷹、鳴り響いた悲鳴、それらを感知した偵察隊の二人が地面に落下したグレイの元へと駆け寄ってきていた。一番危険性が高いとして導が事前に渡しておいた携帯型風信機[水]。離れた所でも連絡が取れるという便利な一品だ。片方を導が、もう片方をグレイが持っており、これを使って瀕死のグレイが力を振り絞って救援を頼んだのだった。
二十数mのところから落とされたのだ。とっさに盾で衝撃を緩和したものの、相当の深手を負っていた。盾は壊れたが落ちたところが草木の上だったのは運が良かった。岩の上に落とされればまず命は無かったろう。
すぐさま導がリカバーで治療。一度では完治しないので複数使用する。
「俺より前に老人が一人、あの化物にさらわれたんだが、知らないか?」
グレイの治療をしていた導が目を伏せる。
グレイ自身も何となく予想はしていたが、実際に知らされると心が痛んだ。体力も自分を護る術もない老人があの高さから落とされれば、生存の可能性はない。おそらく即死だったろう。
導とイリアと共にグレイはすぐさま加藤と合流した。色々と話したいことがあるが、今は散らばった老人たちを探し出して砦まで避難させるのが第一だ。手分けして何とか無事に全員を保護、砦へと避難させることができた四人だったが、あの最悪ともいえる地形の中で老人たちを見つけるにはかなりの時間を要し、避難が完了したのは空が赤くなった頃。
夜はすぐ目の前にまで迫っていた。
●夜、霊峰ペテロ山前哨戦
避難が完了し、探索隊が一向に戻らないことに危機感を抱いた7人は小休止を挟んでペテロ山山頂を目指していた。
空からは偵察隊の二人が、地上からは避難を担当した者たちが向かう。
シャルグの他にトール、グレイが騎馬を保持していたため、巴、加藤がその背後に同乗して山を進んでいく。
すでに空は赤から闇と変わり、魔物どもの活動するという時間へとなっている。にも関わらず一向に魔物どもは姿を現さない。先行した導がデティクトアンデッドで探索するが、やはり魔物の気配はなかった。
地上の先頭を走るシャルグが眉間に皴を寄せる。
「この時間になっても魔物が出てこぬとは、不自然と思わぬか?」
「‥‥あの禿鷹の化物がいたことから考えてこの山に何が潜んでいることは確かよ。それもただの魔物じゃないわね。変身能力を持つあんな化物がいるなんて初耳だもの」
「それにあの化物は村ではなく、避難の最中、しかも樹海の中心部で正体を現しやがった。あれは村人たちを散らばらせて夜までの時間を稼ぐためだったんだろう。なめた真似をしてくれる」
苦々しく加藤とグレイが唇を噛んだ。あの化物のせいでグレイは死にかけ、老人が一人犠牲になったのだ。化けていた老婆もすでにこの世にはいないだろうから、正確には二人だ。
「ただの魔物じゃないってことか? でもよぉ、あんな化物どもにそんな知恵があるってのか?」
「さてな。だが、探索隊が帰って来ていないということは何かあったんだろう。ファングさんがついているから問題はないと思うが、どんな化物がいても対処できるよう気を引き締めておくべきだろうな」
最後尾を走る巴を後ろに乗せたトールがそう言って視線を上げると、導のペガサスが降下していくのが見えた。そして馬の足音に混じって聞こえてくるのは誰かが戦っている物音だ。
「とばすぞ!!」
足場の悪い中、木々の間を縫うように駆けていくトール。
山道に出て数分もしない内に、下り斜面を降りてくる一つの影が見えた。その周囲には数体の魔物が見て取れる。
馬上で勢いをつけたトールの巨大な斧が取り囲んでいた魔物の頭を一撃で吹き飛ばす。
それに数瞬遅れて巴が馬上から飛び降りた。
「砕けぇ! 敬老のォ、ヘルブリッドォ!」
スカルウォーリアーの頭蓋骨に自慢の拳を叩き込む。
「へっへー、俺、参上!! 生きてっか二人とも!」
続け様に動きが鈍くなったところに3、4打更に打ち込みとどめを刺す。
次々と駆けつけた仲間により周囲の魔物は苦労もなく片付けられ、大きく安堵の息をついたファングがその場に座り込んだ。その肩には気を失ったベルトラーゼが抱えられている。
「酷い傷だな‥‥」
腕や頬、体のあちこちから出血し、ぼろぼろになったファングに導が慌ててリカバーをかけ始める。
「一体どうしたんですか? それにベルトラーゼさんも気を失っているようですが」
木にぐったりと体を預け、傷を癒してもらうファングがイリアに力なく答える。
「ベルトラーゼさんでしたら無事です。急に襲い掛かられたものですから、仕方なく当て身をして気を失っていただきました」
「襲い掛かってきた!?」
「ええ、山頂付近の砦で馬の形をした化物と遭遇したのですが、すると突然ベルトラーゼさんが襲い掛かってきて‥‥。まるであれは操られているみたいでした。それに前にいたと思った敵が知らない間に後ろにいたりと、もうわけがわかりませんよ」
「操るって‥‥」
「操る魔法に、変身する化物、しかも瞬間移動? この山にはどんな化物がいやがるんだ」
はき捨てるように言うのはグレイ。それにシャルグが続ける。
「透明化する能力でもあるのかもしれぬな。何にしろ厄介な魔物がいることだけは確かだ。一刻も山を降りたほうが良かろう。ベルトラーゼ殿は導殿のペガサスに頼む。ファング殿、歩けるか?」
「ええ、私は殿を務めます。お先に行って下さい」
「だが‥‥」
「手持ちのポーションもまだ残っています。それに砦からあふれ出たアンデッドどもがすぐ近くにまで来ているはずです」
「‥‥ファングさん言う通りです。数10、いや20。上の方から迫ってきています」
デティクトアンデッドに反応した敵の存在に導が舌を鳴らし、イリアがペガサスから飛び降りた。
「ベルトラーゼさんを早く、私は皆さんと一緒に地上から山を降ります」
「砦で会いましょう!」
そう言ってペガサスと共に空へと駆け上がった導を合図として7人は山を下り始めた。
全員分の騎馬がないため、どうしても歩くものに速度を合わせなければならない。それにより山のあちこちから溢れ出てきた魔物たちが一行の進路上に立ちはだかった。
山道で待ち伏せしていた動く死体が3体。急斜面を駆け下りたトールのソードボンバーがそれらをまとめてなぎ払う。
「くっ、これだけの数がどこに潜んでいやがった」
「この数‥‥きりがありませんね」
近寄る敵の魔物の攻撃を巧みによけてはその首を切り落として加藤が目を細める。動く死体如きの鈍間な攻撃に当たる彼女ではないが、こうも多くては体力が持たない。
先頭をこの二人とグレイ、巴が切り開き、殿としてファングを初めシャルグとイリアが務めていた。
ぞろぞろと押し寄せ魔物たちに怯える馬を制しながらシャルグが刀の一撃を振り下ろす。
「くうっ‥‥!!」
肩から鳩尾にかけて刃で切り裂かれてもなお牙持つ死体が腕に噛み付いてくる。痛覚を持たない魔物であり、その脅威はただの動く死体を遥かに凌ぐ。
返す刀で頭を両断し、斜面を駆け下りるとそこへ別の方向から更に魔物の群れが群がってくる。
「はっ!!」
シャルグを庇うように前に出たファングがソードボンバーでなぎ払った。その体も無傷でなく、持ち前のポーションで誤魔化しているに過ぎない。
殿に協力するイリアがウォータボムで骨の魔物の体を粉砕する。しかし敵の数が多すぎ、魔力がいくらあっても足りないくらいだ。すでにソルフの実を使い、補充しているがこのままでは埒が明かない。
この魔物どもに感情はない。それ故に普通ならば3人の力に恐れ慄くところなのだが、斬っても潰しても次から次へと蟻のように群がる魔物は性質が悪すぎる。
「お二人とも時間稼ぎを頼みます」
二人に周囲を護られながら、フレイムエリベイションに加え、ブラッククロスを使用してその魔法能力を一時的に高めていくイリア。彼女が放とうとしているのは超越級のアイスブリザード。高度な技能が要求されることからほとんどの者が使用不可能だが、達人の域を超えてその分野を極めつつある彼女にはそれが可能であった。小さな魔法を積み重ねてもきりがない。一気に最大の魔法で敵の動きを封じようと考えたのだ。
射程100m、180度の扇型に広がるこの吹雪を、魔物どもに防ぐ手段はない。
『冬の女王の吐息、世界の時を止める物よ、その力を持って邪悪を祓え』
淡い群青色の光が彼女の体を包み込む。
前方へと差し出された手を合図としてシャルグとファングがその後ろへと身を退き、その瞬間巨大な吹雪が一帯を凍らせた。
『アイスブリザード!!』
膨大な吹雪の波が木々を、大地を凍らせる。痛覚を感じない牙持つ死体であろうとその攻撃に足を凍らされ、追うこと出来なくなる。
イリアの魔法により追っ手の動きを封じると、一行は敵に構わず全速力で山を駆け下りた。
なんとか麓まで駆け下りた一行、砦はすぐそこまでの所にまで来ていた。
先行し、騎馬に長けていたグレイが一番に森を抜ける。すると前方の空で二つの影が激しく蠢いていた。
「くそっ、しつこい!」
片方はグレイを襲った禿鷹、もう片方はベルトラーゼを抱えた導のペガサス。上空を移動していると突然この禿鷹が襲来し、そのしつこい攻撃のため、未だに砦に帰還できていなかったのだ。
振り切ろうと大きく旋回しつつ高度を落とす。しかしそれに怪鳥はぴったりと動きを合わせて追ってくる。ベルトラーゼを乗せている分、こちらの方が機動力に劣るということか。
『導、山の方に降りて来てくれ!』
「その声は‥‥グレイさん?」
『早く!!』
携帯型風信機[水]を介して地上よりもたらされた声に従い、導は地上ぎりぎりまで高度を落とし、山の方へと駆け出す。当然それを負って禿鷹も同じように高度を落としてついてくる。
まさにそれが狙いだった。
二つの影を確認したグレイが、オーラパワー、オーラエリベイションにより力を増大させて近づいてくる敵に向かい愛馬を走らせる。
前に突き出したランスを体で固定したまま更に加速していくその姿を例えるならば、一陣の風。
導のペガサスとすれ違い、その数秒後前方に迫った禿鷹。
その懐目掛けてグレイは更に突進し、
「借りはかえさせてもらう!!」
突き出されたランスはその体を見事に貫き、骸となった怪鳥は羽を失ったグライダーのように大きく体勢を崩して地面へと転げ落ちた。
かくして一行は何とか砦へと帰還する。しかしほとんどの者が無事ではなく、体に負傷を負っていた。
その後、山に湧き出た大量の魔物は闇と共に常に現れるようになり、村人たちは避難所として砦で生活することを余儀なくされた。それと共に魔物出没の噂は瞬く間に周辺の領地へと広がっていき、波紋を投じることとなる。
明確な発生源は掴めなかったが、山頂付近の砦に潜むあの魔物がこの一件に絡んでいることは確かであろう。
霊山ペテロ山。
そしてそこに潜むカオスの魔物たち。
討伐を命じられたベルトラーゼの出陣の日は、近い。