【カオスの地偵察】 瘴気
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■ショートシナリオ
担当:紅白達磨
対応レベル:8〜14lv
難易度:普通
成功報酬:4 G 15 C
参加人数:6人
サポート参加人数:-人
冒険期間:01月16日〜01月21日
リプレイ公開日:2009年01月25日
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●オープニング
暗い空間の中で、声が響く。
『どうしてです、なぜすぐに出動なされないのですか!?』
もう何年も前のこと。
怒りと興奮で頬を真っ赤に染めた自分が上官へと、礼節の欠片もなく、掴みかかる勢いで迫っている。
『既に敵は森近辺にまで迫っているのです! 森の民たちだけでは‥‥』
『敵は二小隊いるのだ。おいそれと動くわけにはいかん』
『しかし‥‥!!!』
『私情を挟むな! 客観的に物事を捉えよ! 我々が選択を間違えば、数百人の人々が危険に晒されることになるだぞ!』
それでも自分は口を閉ざすことなく、上官に詰め寄った。
場面はがらりと移り変わり、広がったのは今でもあの時のまま、色あせることなく目に焼きついている光景。
破壊し尽くされた集落の中に転がるそれらは、元は人の形をした存在。
嗚咽というには物足りないほどのものを、口元から吐き出しながら、荒れ果てた地面に蹲る。
謝罪や後悔でない。ただ己の愚かさを嘆き、護れなかった少女の手を握ることも、抱きしめることもできずにいる、臆病ものの自分。
ぐしゃぐしゃになった泣き顔を上げれば、すでに亡骸となった少女の目が――――
気味が悪いほどの静寂が広がっていた。
いつ目を覚ましたともわからないほどに、錯綜した思考の渦が現実と夢との境界を曖昧にしている。
(‥‥またか)
こうも何度も見るとは、どうかしている。
最近は無かっただけに、驚きの気持ちが強い。
頭の靄を吹き飛ばすように身体を起こし、一度大きく息を吐く。
嘆息と同時に重い腰を上げて兵舎を出ると、冷たすぎるほどの風が肌をなで上げた。
巨人の戦場(ジャイアントウォー)より二ヶ月。
カオスの勢力の伸張に伴い、カオスの地もこれまでに無いほどの異変が立て続けに発生していた。
月に数度であった出動回数も数倍に膨れ上がり、小隊員たちの疲労も確実に蓄積してきている。メラートには合計6騎のゴーレムが配備され、それらをゴーレム第一、第二小隊がそれぞれお交代で使用しているものの、現状を鑑みるに今の戦力では心もとない。現にこの二ヶ月の間に、4名の鎧騎士が重傷を負って病院送りに、2名の騎士が騎体ともに殉死した。
敵は何も恐獣に限らない。先週は精霊イフリートが暴走して暴れまわるという事件も発生したし、先々週には巨大な未知の蜘蛛が出現して二騎のモナルコスが損傷、一騎が鎧騎士ともども破壊された。
精霊の暴走に、新種の魔物の出没、これらが自然発生的なものなのか、人為的なものなのか、証明する術はない。このまま受けに回っていては被害が拡大するばかりなのもまた事実。異変の発生源を、もしくは異変の引き金になっているものを突き止めることが急務である。定期偵察艦の頻度を増やし、偵察範囲も増やして調査を行っているが、手掛かりらしきものは一向に掴めていないというのが悲しくも現状だ。
工房に到着したロニアを待っていたのは真っ白な病院服だった。
「ミリアム、こんなところでどうしたんだ?」
ふるふると頭を振って、少女の手がぎゅっと服の裾を握ってくる。
これは、自分に会いに来てくれた、ということで間違いないだろう。言葉こそがないが、最近はこの子の考えていることがわかるようになってきた。
「病院にはちゃんと伝えてあるのかい?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
異様に長い間の後に、小さく首を縦に振る。
‥‥これは違うという解釈で差し支えないだろう。
この子が外に出歩くといえば、自分に会いに来るぐらい用件しかない。看護婦か誰かにそれなりの動作を示しておけば、事足りるのだけど‥‥。
金髪の端から尖った耳を覗かせて、前髪の下もか細い瞳が不安げに揺れている。
「‥‥怒ってないよ。後で一緒に謝りに行こうね」
小さく頷いて、裾から一変、掌を握ってくるので、それを握り返す。最近は出動ばかりでろくに話す機会も、会いに行く暇もなかったのだ。こうやってこの子から会いに来てくれるようになったのは、昔に比べれば格段の進歩だろう。近頃は病院の人たちにもそれなりに打ち解けていると聞くし、声こそ出ないもの、順調に回復に向かっているといえるだろう。
手を繋いだまま、工房への残り道をゆっくりと歩いていく。
先ほどまで冷たさしか感じられなかった風が、今は心地よい。
最近は休む暇もなかったからこそ、この穏やかな時間が憔悴し始めていた心に染み渡る。
戦いにあけくれるロニアにとって、この子の存在は平和というものがいかに大切かを思い出させてくれる存在となっていた。ロニアだけではない。工房の者たちからもいたく可愛がられており、ワーズは勿論のこと、鬼工房長と謳われるあのギルでさえも、この子の前では形無しと聞いた。
ロニアにとっては、妹のような存在。兄妹がいない彼にとって、この子の存在は日に日に大きくなっている。
このままずっといられたら、そう思うときもある。
‥‥けど、そういうわけにはいかない。
「‥‥‥‥?」
「‥‥ううん、何でもないよ」
元々バと思しき墜落艦から救助した子だ。バの関係者という可能性が高いから、連合軍にはこの子の存在を伝え、知っているものがいないか調べてもらっている。バに所属する者か否か、一ヶ月もすれば連絡が来るだろう。そしてもしそうだった場合は‥‥。
「ロ、ロニア隊長――――――!!」
荒々しい足音にロニアの思考が引き戻された。
荒い息をつきながら、駆けつけてきた騎士が大きく肩を弾ませて顔を上げる。
「どうした、何か異変でも?」
「カ‥‥カオスの穴に‥‥」
「‥‥なに?」
「カオスの穴に異変有り! 穴から謎の瘴気が発生し、周辺と漏れ出しているとのこと!」
「‥‥瘴気? 規模は!?」
「不明です! しかし、その規模徐々に拡大を続けており、既に半径5キロ圏内が瘴気に犯され、建設途中にあった砦も飲み込まれて連絡が付かないとのことにございます!」
緊急事態に迅速に対応するため、中央議会の反対を押し切って無理に砦建設を行ったのが、裏目に出てしまったか‥‥。
「ワーズ隊長はどこにいる!?」
「小隊を連れて恐獣討伐の任に付いております。場所が場所ゆえに、帰還されるのは早くても5日後かと‥‥」
厳しい表情を表に眉を顰めた。それでは遅すぎる。
「ロニア隊長、定期偵察艦より連絡が入りました! 山脈麓に暴走した精霊を確認、その数3! すぐに出撃せよとのことです!」
「‥‥こんな時に限って」
災難は続けてやってくるとも言うが、これほどまでに実感したことはない。
第二小隊では戦力に乏しいか‥‥。
「第二小隊員に召集をかけてくれ。一刻後出撃する! 同時にグライダーを使って中央議会に至急連絡を取れ。冒険者の派遣を要請してもらう」
「依頼内容は?」
「瘴気内の状況を調査。飲み込まれた砦に急行し、生存者の救出活動を敢行してもらう」
「承知致しました!」
遠ざかっていく騎士の背中を一瞥して、目を閉じる。
(生存者‥‥か)
口にはしたもの、期待はできないだろう。
「大丈夫。すぐに返って来るから、先に病院に戻っておいて」
心配そうに手を握り締めるミリアムに、ロニアが膝を折って笑いかけた。
「送りの者を呼んでくるから、ここで待っていなさい」
あくまで優しく手を解き、その場を後にする。
そう、死ぬわけにはいかない。
この国のために。
あの子のために。
‥‥もう二度と、同じ過ちを繰り返さないために。
●リプレイ本文
●人の和
他の三人と違い、格納庫で別の作業を行っている男が一人。
「門見様、グライダーの最終チェック終了致しました」
「はーい、ご苦労様。次こっちのモナルコスを手伝ってもらっていい?」
「はっ」
「あ、それとさ」
終始猫背のまま行動する彼の名は門見雨霧(eb4637)。鋼鉄の床に跪いた姿勢で固定されているモナルコス、その胸あたりに登ったまま彼は人の良い笑みをもらす。
「いい加減その敬語やめない? そういうの嫌いなんだよね」
「それは理解しておりますが‥‥」
「それに昨日今日会ったわけじゃないんだし。これからもどうせまた顔を会わせるんだからさ」
実際格納庫の作業員と門見は初体面ではない。ここにいる作業員はメラートの工房から派遣されてきた者たち。カオスの地の任務に何度か就いた経験がある門見は、当然その度に彼らと顔を会わせているわけだ。
「堅苦しいことはなしってことで。はいっ」
「は、はぁ。じゃあ、宜しく」
「はいはい、宜しく〜」
差し出された手を引っ張り上げて握手。にへらっと砕けた笑みは警戒心の根を丸ごと粉砕するらしい。
『目的地まで残り60分。参加者はブリーフィングルームに集合して下さい。繰り返します‥‥』
「お、呼び出しみたい」
「続きは俺らがやっておくから、お前は行ってきて構わないぞ」
「悪いねぇ、それじゃあとよろしく〜」
「‥‥先行したグライダーの情報では、瘴気周辺にいっさいの生物の姿はない。それこそ動物から魔物、恐獣、植物さえも消えている」
「偵察‥‥をしている暇はないということですか」
ベアトリーセ・メーベルト(ec1201)が真剣な表情で静かに目を伏せた。ロニアから報告を受けていた時から、ある程度覚悟していたが、やはり砦の者たちが生存している可能性は非常に低いらしい。
艦長フリゲート・ロードは尚も続ける。
「瘴気を視認できる距離に来たら、モナルコスを投下後、グライダーを発進させる。その後の行動はお前たちに一任する。わしらは上空で待機しておるから、撤退する際は風信器でこちらに知らせ。状況次第では瘴気の中に突入せんでもないが、期待はするな」
「グライダーで上空から援護する予定でしたが、それも一筋縄ではいかないようですね」
シュバルツ・バルト(eb4155)の秀麗な眉が顰められ、一帯の地図へと視線が落とされる。ブリーフィングルーム中央に設けられた机にも、カオスの地全域を示す地図はおさまらない。
雀尾煉淡(ec0844)はシュバルツのグライダーに同乗する予定で、実際は砦の生存者の探知と保護が目的だ。だがそれも、瘴気という障害を取り除かなければどうにもならない。
「瘴気の色が濃い以上、俺はグライダーで待機していよう。基本、ゴーレム班の二人がどう動くかによるだろうな」
「あれ、もしかして遅かったりします?」
「します。ほとんど終わっちゃいました」
容赦なくすぱっと言ったベアトリーセにも、門見は崩れた笑顔で応える。
「作戦に変更はありません。私が上空から援護しますので、お二人は地上で行動を」
「はいはい、了解。こっちは問題ないとして、心配なのはどちらかっていうと」
「ロニアさんたちの方は‥‥まあ大丈夫じゃないですか」
ぬけぬけとぬかす門見に対し、やはり厳しい言葉を言うベアトリーセ。ロニアがえらく思いつめてるとか何とかで、門見が率先して緊張を解そうとあれこれ絡んでいたから大丈夫(?)だろう。全く少しも確信はないが。
メラートで作戦概要の説明を受けた際、ベアトリーセは二つのものをロニアに渡していた。一つは毛糸の靴下、もう一つは麦酒「エルルーン」。彼女が見知らぬ者であれば断っていただろうが、何度も戦を共にしてきたベアトリーセからの贈り物とあればそうもいかなかった。靴下は冬対策に、麦酒は酒場で一緒に過ごすために。その日は、そう遠くはないはず。
だがそれも、杯を持つ人間がいなければ成り立たない。
「会議は以上。あとはお前らの腕を信じるのみだ。解散!」
●瘴気の中へ
作戦通り、モナルコス降下後、ハッチから出撃したシュバルツがグライダーを走らせた。
「雀尾さん、どうです?」
「‥‥反応はありません。これだけの規模に広がっていては、砦に近づくことも難しいですね」
二人が来たのは広がる瘴気の真上。デティクトライフフォースで探ってみるが、反応はない。範囲外にいるのか、それとも生存者がいないのか。この瘴気がある限り、内部がどのようになっているか確認できない以上、突入したゴーレム班に託すしかない。
まるで雲のようだ、とシュバルツはある種の感慨を抱きながら、地上から空へと視線を動かした。
地上を覆うように広く薄く広がった瘴気の波。色は濃く、それはまるで紫の霧のよう。絶えず動き、新たな獲物を探っているようにも見える。地平線のはるか向こうでは浜辺で作る泥城のような瘴気がぐんっとその頭を天空へと近づけている。
「‥‥いったい何が起こっているのか‥‥」
瘴気に飛び込む進軍した二騎のモナルコス。
報告通り、木々は枯れ生物らしき気配はない。視界の確保すら難しい状態で、10mも離れれば、ほとんど見えなくなってしまう。互いを確認する方法は主に風信器となっている。
地図を頼りに荒野を走り、砦に到着する。道中魔物らしき存在とは一切遭遇していない。
予想通り、砦に生存者らしき者はいなかった。建設中の砦のあちこちで倒れている人間たち。城壁は作られる途中のまま放置され、紫色の霧の中に虚しくもその姿を残している。
『逃げようとした形跡もなし、か。いきなりのことでみんな反応できなかったってことかな』
事前に瘴気に気付いていたなら、記録の一つで調べる価値はあったが、これでは砦の監督官も何もせずにやられてしまっただろう。
『これから推測されることは二つ。この瘴気は相当の速度を持って砦に近づいてきた等、砦の人たちが突然と感じる方法でここを襲ったということ』
『もう一つは?』
『この瘴気は人体に非常に即効性のある毒性を含んでいる可能性が強いってこと。みんな作業をしていたその場で倒れてるでしょ。麻痺性か毒性かはわからないけど、ともかく瘴気を吸った瞬間にその場で倒れちゃったんだね』
『‥‥となると、制御胞の外に出るのは‥‥』
『かなりまずいだろうね〜』
『動物か植物か、何かの亡骸のサンプルとして回収しておいた方がいいと思うんだけど、どうしようか?』
門見は弓矢を使うために、両手が塞がっている。自然とベアトリーセが片手で持っていくしかないだろう。
『戦闘になった際のリスクは高くなりますが、それだけの価値はありますからね。何とかやってみましょう』
手にしていた斧を一先ず置き、手頃なサンプルを探そうとしたところでぴたりっと動きが止まる。
『どうしかした?』
『門見さん、これ』
『‥‥なに??』
二人が注目したのは、砦外壁の表面。一見ただの石壁だが、よく近づいてみると異常な部分に気付く。
『溶けてる‥‥のかな、これ』
『溶けるって、石が?』
そんな話は聞いたことがない。それに砦の建設にそんな手法を使うなんてことはありえるはずが‥‥。
二人がその外壁をサンプルとして切り出そうと武器を構えると、妙な音が鼓膜を打ち始めた。
●見えざる手
「門見さん、門見さん、応答してください!」
シュバルツがテレパシーリングで呼びかけるが返事はない。
今まで大人しかった瘴気が急変し始めていた。地面の表面をゆっくり一方向に流れるだけだった瘴気の波が、突然引き戻されるように急速に後方へ移動を始め、ある一点に渦を作り出している。
テレパシーリングの効果範囲は15m。地上を覆う瘴気の断層が大きく、15mではとてもではないが、近づけない。
「駄目だ、応答ありません。一度船に戻って‥‥」
「おい、見てくれ!」
一定ものとは異なる流れが、向こうの方からこちらに近づいてくる。状況を察したシュバルツがグライダーに火を入れた。
『‥‥はぁ、はぁ!』
『こちらベアトリーセ騎、フリゲート艦長、応答を、応答を!』
だめだ、繋がらない。
『ベアトリーセさん、急いで!!』
いつも飄々としている門見にも余裕が感じられない。それほどまでに二人は極限の状態に追い込まれていた。
制御胞という絶対安全圏にいる事実が冒険者たちの心の糸を繋ぎとめていた。暗雲の中に放り込まれたような視界。痛みは感じないが、騎体のあちこちが悲鳴を上げているのが聞こえてくる。
突然二人を襲ったのは、言い知れない恐怖。磁石が引き付けあうように、騎体があらぬ方向に引きずられたかと思うと、それは姿を見せた。
薄紫の霧の向こうから、突如色濃い靄が溢れるとそれは人に似た顔を作り出し、大きく口を押し広げる。瘴気それ自体が一つの魔物なのか。一点に凝縮した靄は数秒後には掌の形を形成し、ゴーレムの身体を握り潰そうと迫ったのだ。
横に飛びのいた二騎の代わりに、石壁が靄に飲み込まれた。虫よりも遥かに小さい、極小の生物の集合体のように、渦を巻きながら迫り、瞬く間に壁を取り囲んでしまう。壁を目とした竜巻の螺旋。瘴気という名の海流によって石は削られ、着実に侵食されていた。
真っ黒に茂る暗闇の中に、血液のような重く粘着質なモノが特定の姿を形成していく。それは、人ならざるヒト。
不用意に踏み込めば、工房員たちが折角拵えてくれた鋼鉄の肉体さえも、ガラスのように砕け散ってしまう、それを生命としての直感が知らせている。
やがて石壁は砕けることなく、ぼろぼろと風化するように崩れて去った。正確には何が起きたかはわからなかったが、凄まじい危険であることに違いはない。
逃げ続けることどれほどの時間か。視界に光が映り、ようやく瘴気の外に出られることに自然と心が逸る。
二騎が出た瞬間、その頭上を大きな剣の斬撃が飛び越えていった。シュバルツのソニックブームだ。
「二人とも早く後方へ! 艦に乗り込んで!」
モナルコス二騎を追う瘴気の腕に対し、シュバルツが再び剣を振るうが効果はない。鋭い剣の波は瘴気の霧を貫通し、地面に亀裂を生むだけに終わってしまう。
『シュバルツさんも早く退却を! それに剣や弓は効きません!』
「‥‥のようですね。雀尾さん、退却します!」
「‥‥あ、なにか?」
「退却しますよ! 捕まっていて下さい!」
モナルコス二騎がハッチに飛び込んだのを見て、シュバルツもグライダーの頭を上げさせた。
地面すれすれを飛ぶことで瘴気の注意を引いていたが、それももう必要ない。
グライダーの着陸を待って、フリゲート艦長は全速前進の号令を発し、冒険者達はその場から脱出したのだった。
● 死の霧
「ふーむ‥‥」
任務を終えてメラートに帰還した冒険者たちは入手したサンプルの城壁を工房に提出していた。ベアトリーセと門見が瘴気に追われながらも持ち帰ったという、卓越した技量と根性の一品でもある。
「いかがですか?」
瘴気を受けたせいか、少々体調が優れないということでベアトリーセと門見は工房の一室を借りて寝込んでいる。
城壁のサンプルを無骨な手で扱うギルへ、シュバルツが焦り気味に返答を促している。
「‥‥腐っとる」
「‥‥‥‥‥くさ、え?」
「どういうことだ?」
「だーかーら、腐っとると言うたんじゃ」
「腐るって、石だぞ」
「知っとるわい。だが、それ以上に説明のしようがない」
どっかりと椅子に腰を下ろしたギルが大きく首をひねると、ごきりっと骨折でもしたような音がなる。ふざけているようにも見えるギルに、シュバルツが更に詰め寄った。
「ギル工房長、もう少し詳しい説明をお願いできますか?」
「しつこいのぅ。だから、腐っとるんじゃよ、その石は」
「俺たちもしつこく言うが、石が腐るなんて聞いたことがない」
「んなことを知っとる。わしも石が腐るなんぞ、初めて見たわい」
何だか堂々巡りになりつつ予感を察知して、シュバルツがあくまで冷静に状況の把握に取り掛かった。
「‥‥つまり、あの瘴気に触れたことでこの石は本来有り得ない変化、ここでは腐るという変化を見せたと?」
「石だけじゃないわい。二人が乗っておったゴーレムの外装からも同様の現象が確認できた」
騎体に装着してある武装も、黄土色や緑など異常な変色を表面に見せている。あれは錆などというレベルではない。
「石の変化をどう呼ぶかは知らんが、武装の金属は確実に腐食しとる。まぁ、本当に腐食といえるかどうかは難しいがな。一番似た現象は腐食といえるじゃろう。ついでにいうなら、ゴーレムの足裏についてあった土も風化した石材のようにぼろぼろになっておった」
「ゴーレムのエレメンタルフィールドは?」
「目に見えた効果は感じられんな。多少の防御作用はあったようじゃが、猛烈な腐食に耐え切れず、完全に機能を停止してしまっとる。これほどの勢いなら、生身の人間などものの数秒で骨も残らず土に返ってしまうじゃろう」
未だ腰を下ろし続けているギルがぼんやりと空中を眺めている。焦点は合わず、それはまるで見えない未来、いや悪夢を見ているようにも感じられる。
定期偵察艦の話では今後の見通しは不明であるもの、瘴気の規模は確実に拡大を続けている。しかもそれは東側、つまりアスタリア山脈の方向。更に正確に言うならば、メイの方角へ、だ。
「真っ先に犠牲になるのは距離と方角からしてリザベ領とスコット領か‥‥。何か対策はないのか?」
「‥‥あると思うかの?」
雀尾の言葉に、ギルは絶望にも似た返答をよこした。予想していたものの、ギルの台詞は絶望感を更に強いものにしてくれた。
「幸いなことは、瘴気の動きは実にゆっくりとしたものということくらいじゃな」
「ですがそれも、時間の問題にも過ぎません」
雀尾が感じたあの感触。グライダーの後部座席から見た瘴気のあの感覚は、これまでに味わったことのないものだった。魔法に長ける彼だったから感じえたのか、それともあの時瘴気にのみ集中できたからわかったのか、原因はわからない。
ただ、ベアトリーセが言っていた通り、ゴーレムをカオスゴーレムに、トロールをカオスの魔物に変えた力は、あの瘴気の腐食の持つ力の一つと考えることはできる。逆にいえば、その瘴気を解明することが出来れば、カオスの力に対抗する術を編み出すことも可能かもしれない。
「あまり率先してかかわりたくはない案件だな」
魂を直に握られるあの感触は、できれば二度と味わいたくないものだ。純粋な恐怖、魂の奥底に刻まれた元始の恐怖と畏怖は戦が与えるものとはまた異なるものだ。
「だが、それを越えない限りメイに未来はない、か」
静かに頷くシュバルツ、そして黙したままのギル。
ろくな対応策も見出せないまま、時は無情に過ぎていく。
希望見えぬ闘争の幕がはるか昔に人知れず開いていたのだと、三人は今知るのだった。