【神器争奪戦】蝿の王

■イベントシナリオ


担当:紅白達磨

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:0 G 83 C

参加人数:18人

サポート参加人数:-人

冒険期間:04月10日〜04月10日

リプレイ公開日:2009年04月19日

●オープニング

 ソウコが礼拝堂に足を運んだのは、半年ぶりのことだった。竜と精霊を信仰対象とするこの世界では、それらの彫像が見られることも珍しいことではない。首都メイディアの礼拝堂ともなれば、当然その完成度も王国一と謳われるほどの一品で本物の竜と対峙しているような感覚さえ覚えてしまう。
 早朝ともいえぬ夜と朝の中間点。儀典官でさえ寝床についている時間に、彼女は一人祈りを捧げていた。
 神器捜索任務についてもう随分の時間が経った。危険も顧みず依頼に参加してくれている冒険者たちとも大分打ち解け、昔ながらの知己である勘違いしてしまうこともしばしばだ。研究に没頭するあまり、室内に引っ込みがちだったソウコにとって、その人との繋がりは新鮮でとても貴重なものだった。
 目を上げると、祭壇の向こうに座する竜の眼が自分と同じようにこちらを見下ろしていた。元々信仰に薄い彼女は滅多にここを訪れない。でも、今回だけはここに来なければならない、そんな気がしたのだ。
 遺跡捜索は佳境に突入している。あの遺跡からこの世界の『におい』がしなかったのは、ジ・アースからの来訪者、あの天界王ロード・ガイか、それに連なる者が建国した王国であるから違いない。神という概念が存在したのもそれに由来する。遺跡の罠や建築物になどに未知の技術が使われているのはムゥ王国、または嵐の壁の向こうに存在するといわれる伝説の国『オの国』の人間がこの遺跡にいたことに由来するのだろう。神器がもう少し回収できていれば、それも判明したのかもしれないが、今となっては確かめる術もなかった。
 神器が武器であることを意味する『マステア』という単語はおそらくフェイク。遺跡に一つも刻まれていないことから考えて捜索者騙すためのものだったのだろう。それはつまり、神器とは武器ではなく、もっと別の何かであるということ、そして『プレートを手にした者たちだけ』に神器が単なる武器でないことを知らせるため鍵であったと考えられる。無論、全ての神器を回収出来ていない現状では推測に多くの穴があることも否定できないが。
 問題となるは、神器の存在意義。光弓『ヘイムダム』から出現したのは月を連想させる曲刀を背負った隻眼の男。残る神器は二つとのみ告げて男性は眠るように神器の中に引っ込んでしまっている。再三の呼びかけに一度も応えることはなかった。疑問の答えを導き出すには、最後の地下遺跡に描かれた、あの膨大な量の壁画全てを解読する必要があるのだろうが、相当の時間が掛かってしまうことは否めない。地下遺跡で寝泊りすることも覚悟しなければならないだろう。だがそれだけの価値がある。一枚の金属板から始まったこの任務を意味のあるもので終わらせるために。
(遺跡の奥で待つのは希望か、それとも絶望か‥‥)
 黄昏の闇。それは混沌の王を示す言葉。人間の魂を喰らい、無限に成長する闇の存在。同族すらも食してしまう異常性は混沌の名を冠するものにとっては普通のことなのだろうか。現代に存在するどの王国よりも進んだ文明を滅ぼしてしまうほどの力。その矛先が次に突き立てられるのは‥‥間違いなく自分。
 冒険者たちがきっと守ってくれると信じるしかないと黙祷し、最後に竜へと祈りを送ってからソウコが立ち上がった時だった。
 祭壇の上に零れ落ちたのは、石の破片。ソウコを見下ろす竜の眼が真っ二つに割れている。
 不吉を示す兆候か、竜からの警告か。
 ソウコはしばし、その場に立ち尽くしていた。








 眠ったのは一月ほど。
 随分と浅い眠りだったと我ながら驚いてしまう。『あの時』以来、異常な睡眠欲に襲われ続け、今日まで来てしまった。相変わらずの眠気に変化はないが、眠りから覚めるごとに力が増していくのが実感出来る。代償は決して小さいものではなかったが、それだけの見返りはあった。
 さして懐かしくはないはずの顔に、心が波立った。波紋は苛立ちではなく、異常に膨張した好奇から来る。
「‥‥ブラズニル、君は二つの神器を破壊したんだったね?」
「はっ」
「中にいた人間を、確認したかい?」
 炎の側に立った黒い修道服が不安げに揺れていた。人間らしくではなく、主らしくと形成された人形が俯いたまま御意の意思を伝える。
 本人にしか分からないほどの微笑の後には、確信めいた指摘がなされる。
「胸に太陽のシンボルがある衣を着ていた女性と、長剣を背負った隻眼の傭兵だった?」
「女の方は仰るとおりにございます。男の方は‥‥」
「竜の文様を頬に持つ、双剣の騎士」
「‥‥左様でございます」
 王が腰掛けていた長椅子から、上半身だけをゆっくりと起こすと、宮殿が一様に静まり返った。清閑な空気から一転、無言と静止の沈黙。対する存在に渦巻くものは、頭上に轟く雷を今か今かと恐怖と歓喜で待つ心地に近い。
「神器の破壊を中断したそうだけど、それはなぜかな?」
「あの程度の物が主の脅威になるとは到底思えませんでした故。主命を疎かにするなどという意思は微塵も‥‥」
「わかっているよ。君が真面目なのは僕がよく知っている。確かに何も知らないと君のように思ってしまうだろうね」
「『天界』の天使どもを召喚する器であると?」
「ははははっ、そういうどうでもいい代物なら、僕も放っておくんだけどね。ある意味では、非常に厄介なんだ」
「では、我らを封じるための」「ブラズニル」
 呼んだ名には明らかな苛立ちがあった。制止の意味は魔物の胸を貫いて、その全身を硬直させる。
「たかが人間ごときに、この『僕』を封じるなんてことが、本当に出来ると思うのかな。他の皆は知らないけど、そんなことは天界の神々にだって不可能だってこと。真面目な君なら、わかるだろう?」
「し、失礼を‥‥」
 人間でいう、背筋を冷たい汗が流れる緊迫した空気に、人間でないはずのブラズニルも身震いしてしまう。快く許してくれた主の声も、圧倒的な恐怖の前では遥かに遠い。
 王が長椅子から立ち上がり、横を通り過ぎた。その先にあるのは宮殿の出口しかない。この宮殿で幾年も眠り続けることも珍しくはない主が自ら出向く。それほどの事態であることに、ブラズニルはまた別の恐怖を覚えた。
「タイオス」
「――――はっ」
「ヴァジル」
「――――ここに」
「古い知り合いに会いに行こうと思うんだ。ついてきてくれるかい?」
「「御意」」
 振り返って、王。
「ブラズニル、君も来てくれるかな?」
「――――――はっ!」
 王が満足に微笑んだ途端、宮殿中から歓喜の声が沸きあがった。地獄という地獄に響き渡るのではないかと思えるほどの音響は、この王に仕える数千数万もの魔物たちの発した雄叫びに起因するものである。




「―――――――――さぁ、楽しい宴の始まりだ」




●今回の参加者

アシュレー・ウォルサム(ea0244)/ アリオス・エルスリード(ea0439)/ シャルグ・ザーン(ea0827)/ 風 烈(ea1587)/ アマツ・オオトリ(ea1842)/ ルイス・マリスカル(ea3063)/ オラース・カノーヴァ(ea3486)/ グラン・バク(ea5229)/ ファング・ダイモス(ea7482)/ レインフォルス・フォルナード(ea7641)/ フィリッパ・オーギュスト(eb1004)/ 伊藤 登志樹(eb4077)/ スレイン・イルーザ(eb7880)/ サクラ・フリューゲル(eb8317)/ フィオレンティナ・ロンロン(eb8475)/ セイル・ファースト(eb8642)/ 導 蛍石(eb9949)/ ベアトリーセ・メーベルト(ec1201

●リプレイ本文


●願い
 遺跡に到着して初めての夜が訪れようとしていた。
 遺跡の地下回廊で調査を終えたソウコが縦穴入り口の陣で身体を休めれば、王国から派遣された護衛の者たちに加え、夜間の警備班であるものたちが陣のあちこちに配置するどこに陣を敷くか、バリケードをどこに作るか、冒険者たちの中でも意見が一致していなかったので、護衛隊の隊長である騎士の判断の下、縦穴入り口に陣を張ることになった。調査する回廊にも比較的近く、縦穴の底に造営してしまっては緊急時に逃げ場が無くなってしまうという考えによるものだ。
「我らが休んでいる時を狙ってくる危険は高いからな。気を抜かずいることが重要」
 アマツ・オオトリ(ea1842)もその一人。隣で神経を研ぎ澄ますレインフォルス・フォルナード(ea7641)もまた夜担当である。
 体力の温存と長期戦を予想した冒険者たちは二班に分かれてソウコの護衛を行うことにしていた。昼の警備がファング・ダイモス(ea7482)、グラン・バク(ea5229)、フィリッパ・オーギュスト(eb1004)、アリオス・エルスリード(ea0439)、ルイス・マリスカル(ea3063)、ベアトリーセ・メーベルト(ec1201)、伊藤登志樹(eb4077)、オラース・カノーヴァ(ea3486)。夜の担当が風烈(ea1587)、レインフォルス、アシュレー・ウォルサム(ea0244)、シャルグ・ザーン(ea0827)、アマツ、スレイン・イルーザ(eb7880)、導蛍石(eb9949)、フィオレンティナ・ロンロン(eb8475)だ。
「蝿の王、カオス八王かな。ジ・アースでは違う名前で伝わっていますよね?」
「ジ・アースには七人の魔王が、そしてこの世界アトランティスにはカオス八王という八つの王が存在すると聞いたことがございます。合わせて15もの王が存在することになりますが、確かなことは不明でございます。何しろ御伽話に等しいものですし‥‥」
「ですよねぇ‥‥」
 ソウコと共に休息を取ろうと支度を始めていたベアトリーセがぽつりっと漏らした。
「ん、何ですそれ?」
「オラース様より頂いたものでございます。きっと役に立つとしてお渡しくださったのです」
 そう言ってソウコが指につけていたのは魔力の指輪。危機が迫っているこの事態を好転させる何かの鍵となればいいが‥‥。
「ブラズニルだっけ? ああいう手合いはスルーするのが一番良いんだけどね〜」
「それはそうですけど‥‥」
 前回最も長く対決したアシュレーの言い分はもっともである。だがそれでも不安を感じてしまうのが人というものだが、
「それなら大丈夫だ。迷ったらとりあえずぶん殴ればいい」
 不安など微塵もないといわんばかりに言い放ったのはグラン。
「あの‥‥お味方であった場合は、どうなさるのでございますか?」
「そのときは謝ればいいだけのことだ」
「とんでもないことをさらりといっちゃったね」
「謝って済むような攻撃ならいいですけど‥‥」
「それは状況次第だ。即断即決、あのような輩にはそれが一番だと判断する」
 さらりと怖いことを言ってくれちゃうグランに、なぜか鷹揚に頷くソウコ以外の二人。不安がっているのが自分だけなので、自分がおかしいのかと思い違いをしてしまう。
「なら合言葉などどうだ? 名づけて『レッツ冒険者合言葉』」
「レ、レッツ???」
「細かいことは気にするな。要するに合言葉だ」
「合言葉‥‥でございます?」
「以前のように敵の策に嵌れば厄介なことになる。偽装増援や陽動を見破るために合言葉を作っておくんだ」
 例えば、とグランがいきなり背中を見せた。

「右手に―剣を
左手に―竜の酒
背中に―人生を!!」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「「おおお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」」

 男、もとい冒険者は背中が語る。『ビシィッ!』と決めたポーズへの反応は大きく二種類。ノリについていけず絶句するソウコと、素直に感嘆するアシュレー、ベアトリーセの二人‥‥いや三人。
「ノリが悪いな。戦前なのだから、もう少し盛り上がっていくべきだ。こういう何気ない日常のやり取りの中でこそ人の絆は深まっていくものだ。なぁオラース殿」
「ああ、その通りだぜ」
 実は外から入るタイミングを狙っていたオラースが力強く頷くと、当然といわんばかりにソウコの隣に腰を下ろした。
「とまぁ、冗談半分真面目半分の話はおいておき、実際にはテレパシーリングで連携を取るとしよう」
「そんな不安そうな顔をするな。この俺たちが必ず守ってやるからよ」
 この不安は貴方たちが原因なのだが、というもっともな意見はおいておき、安心させようと笑みを作る四人の姿に、うれしそうに微笑むソウコ。
 もうすぐ夜が訪れようとしていた。



●襲来
 多くの悪魔たちが闇を好み、夜を好む。その嗜好に通ずる残虐性と暴力性は、対照的な立場にある人間たちに対する無条件の攻撃性を説明する。
 デティクトアンデッドを発動させていた導の意識に、嵐のような波紋が広がっていた。魔物が、十や二十ではない大量の魔物の襲来が魔法を通じて感じられる。
「皆さん急いで戦闘準備を! 敵が来ます!」
「ふむ、予想通りだな。数はわかるか?」
 アマツの問いに、導は大きく唾を飲み込んだ。
「100、110、120、‥‥‥」
「‥‥なっ」
「‥‥180、190、200‥‥まだ増えます!」
 否応無しに危機感を掻き立てられて鎧騎士たちがゴーレムの方へと走り出した。一方で休息を取っている昼の警戒班たちを起こそうとアシュレーがテントの方に飛び込めば、中から飛び出してきたのは数体の魔物たちだった。
「人様の寝込みを襲うなんざなめた真似しやがって」
 武器についた魔物の血を振り払いながら、オラースとルイスが現れる。透明化の能力を持つ魔物でどうやら大群を囮として陣内に忍び込んできたらしい。
「状況はどうなっているのですか?」
「魔物の大群がやってきたみたいだよ。数は二百以上」
「二百!?」
「な、何の冗談ですか、それ」
 伊藤が驚愕し、ベアトリーセが苦笑いを浮かべるが、現実は変わってくれない。
「‥‥200、な。それくらいで済めばいいが」
 弓を構えたアリオスが上空に視線をやれば、空のはるか向こう側に真っ黒な雲が広がっていた。昨日から晴天続きの空に雲などあるはずがない。となれば、考えられるのはただひとつ。
「五百‥‥いや千はいるか?」
「それ以上かもしれませんね」
「護衛の方々にここへ来るよう連絡します。ゴーレムを前線に、バリケード内部に侵入した敵をは各個撃破を」
「了解だ」「了解〜」
 アリオスとアシュレーが空を覆う魔物の大群に矢を放って、戦闘が開始された。




●四つの翼を携える者
 不吉な兆し有り。
 出発前に礼拝堂で起きた出来事がソウコの脳裏に浮かび上がる。冒険者たちがきっと守ってくれる、その思いも外の軍勢を見た後では掻き消えてしまっていた。
「少し休みましょう。ほかの方々が入り口で食い止めている限り、一度に多くはこれないはずです」
「ソウコさん、大丈夫ですか?」
 ルイスの声にソウコがゆっくりと頷いた。額についた汗が髪を張り付かせている。普段からの運動不足がこんな時は恨めしい。
「入り口のやつらは大丈夫だろうか?」
 グランに応える声はなかった。突如津波のように押し寄せてきた魔物の大群は数こそはっきりしないものの遺跡を多い尽くすほどだった。それに対してこちらは僅か十数名。あまりの数と勢いのせいで事前に戦闘準備を整えていた夜間警備班しかバリケード周辺での応戦を行うことが出来なかった。多勢に有効なゴーレムがそれに参戦し、それ以外のファング、グラン、フィリッパ、アリオス、ルイスの五名はいつ破られるかもわからない陣から撤退し、唯一の逃げ場である地下遺跡へと急いで避難していた。幸い全ての魔物が空を飛べるわけではないので入り口の陣地を守りさえすれば、時間は稼げる。ソウコの安全を確保した後、まだ攻防が続いている縦穴に戻ればいいだろう。
「‥‥‥‥‥‥‥?」
 数分の休憩を挟んで何かを感じた。魔法による感知ではなく、人間の直感とでもいうのだろうか。
 遺跡のかび臭ささに混じって何かがいる。嘗ては高度な文明を誇っていただろう王国の地下で、ソウコとその護衛たち、そして冒険者5人はじっと闇の一点を凝視していた。カツンッカツンッ、何者かの足音が静かな回廊に響いていく。体を越えて真っ暗な遺跡の奥へと飛んでいく足音はまるで空から降ってくる雨音のようだ。
 ぽたりっと手に落ちた生暖かい感触に飛び上がりそうになったルイスがそれを静かに拭うと、その水滴が自分の額から流れ出た汗であることに気づく。意識をやれば、柄を握る手に汗が滲んでいた。数々の冒険を経験した彼だが、こんな感覚は初めてのことだと思う。
 まるで蛇の体内にいるような気持ちだった。さしずめ、この巨大な回廊は蛇の体、自分たちは捕食者に飲み込まれた無力な獲物。だとすれば、自分たちに残された運命は蛇の胃酸に溶かされるだけ。
 無音の闇を乱さないよう、静かに灯った紅蓮の炎が醜悪な魔物たちを浮かび上がらせた。外に攻め寄せてきている下級の魔物どもに混じって異様な気配をかもし出すものが二人。青い馬に跨り蛇の尾を翻す人間らしきものと、けらけらと笑みを浮かべたまま双頭の竜に圧し掛かった天使の翼を持つ子供。そして、それらを両脇に従えて君臨する、混沌の王。
 姿は人だ。だが、一見しても奇妙に思う点がいくつもある。まずは背中に生えた半透明な羽。蝿を連想させるそれは羽という翼といった方がいいかもしれない。次なる点は周囲にいる魔物たち。もしあれが人間であるのならば、当の昔に魔物たちの餌となっていることは間違いない。最後にあるのは‥‥威圧感。
 路傍で知り合いに挨拶をするように、はじめましてとそれは告げた。優雅に微笑む表情が死人のように白すぎる肌をほぐしてしまう。その当り前で、同時に有り得ない現象が人間たちの警戒心と恐怖感を限界にまで追いやった。
『僕は蝿の王、名はベルゼビュート。暴食の魔王なんて陰口を叩く人もいるけどね』
 握手でも求めるように、表に返した手を差し出す王。魂が潰れるとはこういうことを言うのだろうと、フィリッパは身をもって実感した。
『自己紹介をしたんだ。そちらも名乗るというのが君たち人間の言う筋というものじゃないかな?』
「アリオス‥‥エルスリード」
「ルイス・マリスカル‥‥」
「‥‥グラン・バクだ」
「ファング・ダイモス」
「フィリッパ・オーギュスト‥‥と申します」
 強制魔法を掛けられたように応えた冒険者たちの態度に、蝿の王は満足そうに頷くと受け取った名を何度か反芻した。
『んん、アリオス、ルイス、グラン、それにファングとフィリッパ。君たちの名前はしっかりと覚えさせてもらったよ』
 じっと命令を待ち続ける配下の魔物たちを従えたまま、続ける。
『‥‥それで?』
「‥‥なんだと?」
 警戒心を丸出しにしたまま、グランが武器に力をこめた。それとは対照的に、王の表情は柔らかいまま。
『いつまでそうやって固まっているつもりなのか、と聞いているんだよ。こちらから攻撃させてもらっていいのかな?』
 当り前のこと。敵を目前にしてやるべきことはわかっていたはずだ。それなのに、そんな当然のことを、圧倒的な存在の前にしたことで忘れてしまっていたことに気づく。
「――――――――ち」『残念』


 ドオオオオォォンッ!!!!


 『散れ』というグランの声が仲間たちに届くことはなかった。僅かに早かった蝿の王の火球が冒険者たちの真ん中で爆発し、静寂に包まれていたはずの遺跡に雪崩でも起きたかのような轟音を響かせていた。
 声さえ届くかもわからない喧騒の中で冒険者たちはそれぞれに奮起の声をあげながら迫ってくる魔物たちへと突撃を仕掛けていた。理由は単純明快なもの。黙っていては負ける。魂の差とでもいうのか、圧倒的な力の差を見せ付けられた彼らは己を奮い立たせるように戦闘を開始していた。
 一番に蝿の王へ接近したのは黒豹三匹を一撃で吹き飛ばしたファング。下級の魔物を露のごとく振り払った彼は初撃に全てを賭けるかのように突撃、刃を振り下ろした。







●粉砕する剣
 入り口の戦闘は当初の激しさを寸分も衰えさせぬまま継続していた。
 戦に鳴り響くのは、カオスの魔物たちの断末魔と闇を砕く冒険者たちの雄叫びだ。
『どけどけ、雑魚に用はねぇ!!』
『右に同じってな! 邪魔するやつらは踏み潰すぞ!』
 ゴーレムに搭乗したオラースと伊藤がバリケードの外で魔物の波を切り裂いていく。目指すは魔物たちを操っていると思われる大物だが、斬っても踏んでも押し寄せてくるこの数ではきりがない。
『くそったれがぁ、さっさとソウコのとこにいきてぇってのによぉ!!』
『前に出すぎるな。魔物の群れに呑まれるぞ!』
 我ながら的確な表現だとスレインは思う。数百の敵を目の前にして、たとえゴーレムに乗っていようとも心が言いようのない焦りと不安で満ちていくのがわかる。騎体を操作して魔物の群れに殴りこみを掛けるベアトリーセとフィオレンティナも心は同じ。敵は下級の魔物ばかりなので頑丈な装甲を破られることはほとんどないものの、狂ったように肩や背にしがみ付いてくる姿は嫌悪感をつのらせる。加えてこの夜の闇の中だ。何の対策もない状態では行動力もやや衰える。光が一切届かない遺跡の回廊ともなれば、その度合いは一層増すことになるだろう。
 ヒュンヒュンと風がなれば、スレイン騎の肩に乗っていた子鬼が地面に落ちて消え去った。
「威力は十分、けど神器っていわれるほどの代物なのかなぁ、これ」
「わからぬな。だが、隠された能力があるやもわからぬ。少なくとも下級の魔物たち相手には‥‥ずぇい!!!」
 光弓ヘイムダムと炎槍スルト、二つの神器を振るって陣内に進入してくる敵を片っ端から屠っていくアシュレーとシャルグ。光を纏った矢は闇を裂き、豪腕が凪ぐ度に炎の線が残光のごとく大地を照らし出す。通常の武器と範囲はかわらないものの、混沌の魔物たちを撃退するには十分な威力を秘めている。
 バリケードの入り口に待機するアマツの横にレインフォルスが並び、押し寄せてくる子鬼たちを一閃。蝙蝠の翼を持つ黒豹の群れが頭上から飛び掛ってくれば、導のホーリーが残らず浄化した。
「怪我はありませんか?」
「うむ、今のところは、な」
「戦が長引けば厄介になるな。早めにけりをつけたいところだが‥‥」
 肉体的な能力が混沌の魔物たちの強さではない。彼らが使う固有の魔法、あらゆる攻撃を無効化する混沌の結界、行動を束縛する強制魔法、呪い、変化の魔法、使いようによってはどんな勇者も無力になってしまうほどの特殊性がやつらにはある。導のレジストデビルのおかげでそれも無効化されているが、効果の時間は無限ではない。その点でいえば、ゴーレム搭乗者たちはそのような魔法が一切通用しないためこの戦場で特段の活躍を見せていた。
 空から急降下してくる禿鷹へカウンター気味の拳がひとつ。身体をぶち抜かれそのまま急速落下していく翼を見送って風が華麗に着地した。
「敵の親玉の場所がわからないか? このままではいずれ数で押されてしまう」
「‥‥先ほどからやってはいるのですが」
 禿鷹、蝙蝠の羽を持つ黒豹、巨大鼠、炎をぶら下げた子鬼、醜き小人、髑髏蝿、あらゆる下級の魔物たちが姿を見せており、その数もさることながら種類も相当なもの。この状況から統率役である魔物を見つけ出すことは困難を極めた。
「消去法からいって、攻めて来る魔物たちをひたすら撃退しつつ、敵の動きを観察して親玉の居場所を特定するしか方法はありません」
 そうこうしている間にも再び空から禿鷹と髑髏蝿の群れが押し寄せてくるが見える。こちらの体力が尽きるか、それとも親玉を見つけ出すことが先か。長期戦となることは必至。
『待ってろよソウコ〜〜〜〜!!!!』
 魔物たちの真ん中で、心強いオラースの雄叫びが鳴り響き、十近い魔物が空を舞った。






●七つの王と八つの闇
 ザァ‥‥と崩れ去った敵に思考が停止する。
「‥‥これは」
 蝿の王に最強の一撃を叩き込んだファング。その手元に灰色の煤が降りかかっていた。
「ファングさん!!」
 フィリッパの声で咄嗟に後方に飛んだファングの視界が一瞬後真っ赤に染められた。地面から噴出した大量のマグマが側面から迫っていた魔物をも飲み込んで盛大な火炎の柱を生み出していた。
 続けざまに飛来してきた火球はフィリッパのホーリーフィールドが遮断するが、あまりの威力に結界が早くも崩壊の兆しを見せている。
「ソウコさんは!?」
「無事です。護衛の方々が奮闘しています。今は‥‥」
『君たちの力は、こんなものかい?』
 爆発音とともに結界が崩壊する。完全に遮断できなかった爆風の残りが巨人族であるファングをも十メートル以上後方へと吹き飛ばした。
『ブラズニルからはもっと強いと聞いていたんだけど、聞き間違いだったかな。それとも、本当にそれが全力だとでも?』
 炎の波が蝿の王の周囲を蛇のようにうごめいていた。自ら生み出し操る炎。スルトを守護していた炎の精霊も同じような現象を見せていたが、火の勢いと規模、どちらも比較にならない。
『僕の目的はそこにいる女性を始末すること。本来なら君たちとの遊びはどうでもいいことなんだ。これ以上楽しめないなら、今すぐ用を済ませて帰らせてもらうけど、いいのかな?』
 明らかな挑発に飛び出しそうになったルイスが立ち止まった。その視界の端に飛び込んできたのは薔薇の花びら、正確にはその幻影。
 麗しき薔薇を口にし、背中に薔薇の幻影を浮かび上がらせるのはグラン。突拍子もない行動に、冒険者たちだけではなく、蝿の王さえも驚きの表情を見せていた。
「落ち着け、敵の呑まれていては勝てる戦いも勝てなくなる」
 冷静を取り戻して、大きくため息。
「‥‥助かります」
「礼は不要。やつを仕留めた後に存分に頂くとしよう」
 ファングたちの両脇からグランとルイスが飛び出し、蝿の王を守る炎の陣の中に押し入っていった。一方蝿の王は微動だにせず、それを迎え撃つ。
『その気迫だ』
 蝿の王は僅かな炎にしか攻撃の命令を下さなかった。当然少量の火の粉に臆する二人ではない。接近戦にまで持ち込んだ二人は得意の距離から次々に攻撃は放っていく。
「はぁぁぁっ!」「ふっ!!」
 一対一で勝てないことは明白。ならば二人で相手をすればいいだけのこと。グランが右から切り込めば、ルイスが超人的な速度と技で左から仕掛けていく。炎や先の戦闘での負傷もあったが、ポーションで治療し能力の低下を最低限に抑えた二人の攻撃は間違いなく人間の限界近くにまで達していた。
「‥‥ちぃっ!」
「‥‥っ」
 フィリッパは戦闘中であることも忘れて絶句していた。それもそのはず。おそらく似たような思いを対決している二人も抱いているに違いない。
(‥‥‥‥当たら‥‥ない?)
 攻撃が、悉く避けられていた。信じられなかった。なぜという気持ちばかりがあふれ、答えを見つけきれぬまま崩れていく。それほどまでに衝撃的な光景が目の前で繰り広げられていた。
「っ‥‥はぁあ!!」
 グランの攻撃を後ろに下がることで避けた蝿の王へと、間髪いれず接近したルイスが剣を振りかぶり、力をこめる。だが、それが振り下ろされるようも早く、手首に尋常ではない痛みが走った。
『焦りは腕を鈍らせる。ましてこんな暗闇の中だ。君の気持ちもわかるが‥‥』
 王の手が炎で真っ赤に染まっていた。炎の魔法によってその掌の表面温度はゴーレムの装甲すらも溶解させるまでに達している。
 すかさず後方に回り込んだグランが剣を引けば、蝿の王はルイスを盾にするような位置に立って動きを封じ込める。そして得意の火球によって二人丸ごと吹き飛ばすと、楽しそうな笑い声を上げるのだった。
 アイテムで体力を回復するべく、フィリッパの結界の中に全員が集結した。無事なものはいない。圧倒的な、いやそんな言葉では生ぬるい。人智を超えた力に歴戦の戦士たちは戦意を失い始めていた。
「諦めるわけではありませんが‥‥強すぎます」
「何だあの強さは‥‥。ルイスと俺の二人掛かりであの有様だと‥‥ふざけている」
「アリオスさんの矢で援護して注意を引くことはできないのですか?」
 フィリッパが聖なる結界を保つことに全精力を費やしながら、足元で膝をつくアリオスに声をやった。これほどに追い詰められることは予想外だ。出発前に考えていた策は決して悪いものではない。事前に他の者と打ち合わせをしておけば、それがこの逆境をひっくり返す切り札となったかもしれない。
「‥‥無理だな。俺が隙を狙おうと気配は殺している間も、やつは俺から少しも注意を逸らさなかった。狙撃しても二人を盾にするか、もしくは簡単に避けられていただろう」
 未だ数回しか射撃出来ていないアリオスが様子を伺うように少しだけ目線を上げた。炎の中に君臨する混沌の王、蝿の王。ジ・アースに君臨する七大魔王とは異なる、アトランティスに存在するカオス八王の一人。それがやつだ。その力はまさしく神の領域だと聞いていたが、それに少しも劣ることのない。だが、言い訳に過ぎないのかもしれないが、それでも強すぎる。この強さは尋常ではない。王だから、混沌の王だからといってしまえば説明はつくのかもしれない。だがこうして直に対峙して納得できない部分が大きく胸の中で燻っている。それはアリオスだけではなく、他のものたちも同じだった。何かが、おかしい。全ての魔王がこれほどの力を有していることが普通だというのか?
『話し合いは終了したかい?』
 右手を差し出しまま、王は続ける。
『それじゃぁ、第二ラウンドといこうか』
「全員後退しろ!!」
 誰ともなく放たれた言葉に従って冒険者たちが背中を見せた瞬間、聖なる結界が大爆発とともに消滅した。





●驕り
『見つけたぜ!!』
 ゴーレムたちの突撃によって数十の魔物たちが吹き飛ばされた。
 軍勢の奥にいたのはブラズニル。統率する魔物に間違いないと判断して、冒険者たちの矛先が一斉にそこへと集中した。
 開いた穴を補うように子鬼たちが群がるが、アシュレーのドラゴンのブレスがそれを吹き飛ばす。そしてその穴を通った聖なる矢がブラズニルへと飛来し、その腕に突き刺さる。
 飛び交う火の玉をかいくぐって風とシャルグが奥へ飛び込んでいた。
『人間風情が!!』
 レイピアを片手に迎え撃つブラズニル。その身体を包み込む膜は混沌の結界。外部からのいかなる攻撃も無力化する最強の壁だ。
 導がホーリーを唱え、周辺の雑魚どもを浄化すれば、二人は臆することなく前進した。近づけば膜の炎が身を焦がす。膜を破ろうとシャルグがスルトを振るうが、効果はない。
『逃げ惑うがいい。臆するな! 我らが主のために、その忠誠を示せ!』
 鼓舞された魔物の群れが四方から攻め寄せてくるが、それをなぎ払ったのはゴーレムたち。
『ブラン製の剣の切れ味、とくと見せてもらうよ!』
 武器耐性を持つ魔物たちも、フィオレンティナの振るう魔力を帯びた剣の前では次々と倒れていく。
 剣を砕かれ、装甲にもひびが入り始めていたオラース騎の前に立ちふさがったのは、魅惑的な身体を携えた女の魔物。あらゆる異性の理想の姿を取る魔物であり、その姿はオラースの男を刺激するが‥‥
『悪いな姉ちゃん、俺にはもう先客がいるんでな!』
 魔力を帯びたゴーレムの拳が火を吹き、地面ごと魔物が微塵に粉砕された。
 その強大な力にも臆することなく攻撃してくる姿に、指揮官であるブラズニルを倒す以外に軍勢を追い払うすべはないと悟る。
 外からの攻撃が通用しないならば、方法は一つしかない。
 風とシャルグがとった行動は実にシンプルなものだった。
 膜はあらゆる攻撃をはじき返す。だが、その表面の炎は痛みさえ感じるものの、二人ほどの戦士ならば耐えられないほどではない。勢いをつけて突撃し、膜を強引に抜いた二人は一気にブラズニルへと渾身の一撃を放った。
『‥‥‥‥ぐっ!』
「愚かであるな。そんな結界に頼らず、その剣を振るえば勝機はあったであろうに」
「己の武に頼らず、姑息な手段に頼ったのがお前の敗因だ。‥‥消えろ」
 スルトによって胸を貫かれ、苦しみもがくブラズニルの懐へとオーラを乗せた風の一撃が叩き込まれ、大きく後方へと吹き飛んだブラズニル。
 指揮官の敗北を見た魔物たちは一斉に退却を始め、冒険者たちの勝利が確定した。



●暴食の魔王
 入り口班が魔物の軍勢を追い払った頃、遺跡内部では一方的な戦いが繰り広げられていた。ヴァジル、タイオスと名乗る側近を傍らに従えながら、たった一人で攻撃を仕掛けてくる蝿の王。その圧倒的な強さに為す術も無く追い詰められる冒険者たち。この暗闇では外以上に行動力が制限されてしまい、回廊という狭い環境が火球の威力を引き上げていた。明らかな対策不足、それは何も回廊内部での戦闘に当て嵌まることはではない。蝿の王との戦闘が外で行われていたとしても結果は変わらなかっただろう。
『‥‥おや?』
 ファング、ルイス、フィリッパを仕留め、戦闘不能になったグランを放り投げようとしたその腕に矢が刺さっている。物陰に潜み、相手の隙を衝いたアリオスの仕業だった。
 取り乱す臣下たちをもう一つの腕で制すると、王は痛みというよりも楽しそうにアリオスの方に振り返った。
「‥‥効いて‥‥いないのか」
『そんなことはないよ。傷を負うのは数百年ぶりでね。少し驚いている、それだけのことだよ』
 無造作に矢を引き抜いて腕を上げる。魔法の準備動作を証明するかのように、王の身体が淡く発光した。
『見事な腕前だ。けど少し遅すぎたかな。残されたのは君一人だけ、君がどんなに優れた戦士であろうと、このぼクと一対一で勝テるとは思ワナいだロう?』
「‥‥?」
 声が‥‥ぶれている?
『いつもナら、部下に勧ユうすルところだケど、こちらニも事情があってネ』
 それに気づいていないのか、蝿の王は相変わらずの様子で言葉を続けていた。奇妙な現象は収まるどころか悪化していき、果てに生まれた現象は理解を超えたものに達した。


『僕の目的は遺跡の奥にあるものを破壊すること。あの女性の始末は余興に過ぎない』
『私の目的は遺跡の奥にあるものを破壊すること。あの女性の始末は余興に過ぎません』


 目に映った光景は何も変わらない。一方で耳に届く声は一つではなく、二つ。
 ようやくそのことに気づいた蝿の王が額をおさえた。眩暈でも起こしたように頭を下げ、それまで溢れんばかりに感じられた余裕が一切無くなっている。それとは逆に威圧感はこれまで以上に高まり、身体中から汗を噴き出させていた。
 蝿の王が憎悪の感情をむき出しに顔を上げたかと思うと、その皮膚から百にも達する髑髏蝿が飛び出した。それらは瀕死の身体を抱えていた冒険者たちと護衛の兵たちを飲み込み、口からの胃酸によってとどめをさしていく。全ての始末が終わり、ようやく落ち着いた王がいつもの表情を取り戻し、一人生かしておいたソウコに向けて足を踏み出していく。
「貴方は‥‥いったい‥‥」
 蝿の王が気絶したソウコを脇に抱えれば、声を押し出したのはフィリッパ。奇跡的に蝿たちの攻撃に耐え抜いた彼女だが、最早身体は動かない。
 目撃者を生かして帰すわけにはいかない。そう告げるように蝿の王が右腕を上げて‥‥止めた。
『どうかな、僕とゲームをしてみないかい?』
「‥‥ゲーム?」
 返される言葉に頷いて王が掌に取り出したのは、一つの小さな種。
『これは死霊樹といってね、大地の栄養分を吸って無限に増殖する地獄の植物だ。末端の枝は周辺の生き物を捕食し、その情報を模倣する。簡単にいえば食べた生命体の分身を作ることができるんだ。僕はこれを最深部に植えて特定の期日まで君たちを待つ。枝の群れを撃退して奥まで来られたなら君たちの勝ち。この子を返してあげよう。それだけだとあまりに不公平だから、この遺跡のことについて何でも質問に答えてあげる。‥‥けど、期日までに君たちがたどり着けなかった時は』
 微笑んで、王が真っ赤な瞳を見開かせる。
『この子の命、そしてここに集まった人間たち全員の命をもらう。教会でも二度と蘇ることも出来ないくらいに魂を壊してあげるから、そのつもりでね』
 かすり傷とはいえ、この僕の身体に傷をつけた君たちへのご褒美だよ、と冷たく言い放って蝿の王がソウコの指にはめられていた魔力の指輪を放り投げる。彼女の無事を祈る願いと共に、無情にも捨てられたそれはくるくると床の上を転がっていく。
 やがて壁に当たり止まった頃には、闇の存在たちの姿は消えうせていた。



 しばらくして後、駆けつけた仲間たちの手を借りて5人は遺跡の外へと撤退した。幸運にも死者を蘇生できる導がいたことから、全員蘇ることができたが、肝心の護衛対象であるソウコは蝿の王に連れ去られてしまった。
 冒険者たちがフロートシップによって上空に飛び立ったすぐのこと、祭壇の間の縦穴から登ってきたのは膨大な量の植物の枝。たちまち周辺を侵食していくそれらは森の中に潜んでいた魔物たちを飲み込み、大地を覆っていた木々を食い尽くしていった。
 メイディアに帰還した冒険者たちは一連の内容を国へと報告し、すぐに救出部隊の編成を申し出たが、各地で激化するカオスの勢力の侵攻に、十分な戦力は残されていないとの返事が返ってきた。それは事実上冒険者たちのみでソウコを救出すべしとの内容に他ならない。
 ソウコの命運を決める、次なる依頼はそう遠くはないだろう。