【決戦・瘴気】死地並べ ゴーレム班
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■ショートシナリオ
担当:紅白達磨
対応レベル:8〜14lv
難易度:難しい
成功報酬:4 G 15 C
参加人数:6人
サポート参加人数:-人
冒険期間:07月15日〜07月20日
リプレイ公開日:2009年09月22日
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●オープニング
雲の流れが速い。そう感じるのは気のせいだろうか。
甲冑を身に纏っていないにも関わらず、まるで鉛のような足はどうか。
久方ぶりの晴天からは数日後に控える決戦など思いも付かない。
荒れ果てた街道をゆっくりと歩く。幾度にも踏まれたことで顔をのぞかせる土だけが、ここが街道であることを辛うじて示してくれている。
夕の暁の先で辿りついたのは古びた修道院だった。正確には病院。いや病院兼孤児院というべきか。元々は孤児院だったのだが、繰り返される戦で傷ついた者たちが一人また一人と運ばれ、今では数少ない病院となっている。
「みんな元気だったかい?」
「うん、元気〜!」
「遊びに来たの〜?」
「遊んで遊んで〜!」
「私鬼ごっこがいい〜!」
「じゃあ、私は〜」
「い、いや、今日は遊びに来たんじゃなくて‥‥」
「こ〜ら、ロニアさんは今忙しいの。みんな大人しく晩御飯の準備に戻りなさい」
「「「え〜!」」」
当然ぶーぶー文句を言う子供たち。慕う院長でも聞けない命令だ。
「いつもすみません。ロニアさんが来るとみんなはしゃいじゃって」
にっこりと微笑む表情は温かい。ロニアとそう年齢は離れていないのだが、女性苦手の彼も彼女だけは比較的苦手意識を感じることなく接することができた。
「今日はお見舞いの品はないんですね」
「‥‥そう、ですね」
女性が不思議そうに首を捻り、ロニアもそれに納得してしまう。ここに来る理由はミリアムのお見舞い以外にないのだが、今回は気づけばここに足を運んでいた。それだけのことだった。
瘴気との決戦を控え、隔ての門にはスコット領南部のほとんどの戦力が集結している。整備や修理が必要なゴーレム小隊のみがぎりぎりまでメラートに滞在しているが、今から数時間後、全てゴーレム兵器がメラートを出立することになる。ロニアも同様だ。本来ならば今日の昼に出立する予定だったのだが、ギル工房長から『整備に時間が掛かる』として大幅に遅れることになったのだ。予定通り準備を終えていた小隊員たちはぽっかりあいてしまった時間を使い、思い思いに時間を過ごしている。ある者は家族と、ある者は恋人と、またある者は背中を預ける仲間と‥‥多くの者たちが、死ぬ前に、という思いを胸に秘めて。
「ねぇ、ロニアおにいちゃん‥‥」
ロニアの服の端を掴んだ女の子が心細げに呟いた。普段は快活な少女だが、その面影はない。
「怖い魔物が来てるんだよね。ここも危ないってヨウが言ってた」
子供たちの賑やかな声が最初から無かったように消えてしまう。
「‥‥あたしたち、大丈夫かな?」
瘴気の脅威を理解出来ずとも、周りの大人たちの雰囲気が子供たちにも伝播しているのだろう。逃げる手段はなく、この居場所を失うことは孤児である子供たちにとっては何よりも辛い。こんな時代だ。一度離れれば、それが今生の別れとなるかもしれないことをこの子たちは身をもって知っている。だからこそ怖いのだ。
ロニアには掛ける言葉がなかった。国のために戦う。それが平和を保つ唯一の方法であると信じてきた。メラートでの竜との決戦の折、思い異なるベルトラーゼと衝突したことがあったが、あの時彼はこれほどの重圧に耐えながら戦っていたのかと思うと胸が痛んだ。理想を掲げ、人のためと言いながら多くの犠牲の上に生き残ってきたと卑下すらした。なぜ彼は恐れず戦えたのか。
国のため、そう信じてきたはず。それなのに、身の内に巣食う恐怖は消えてくれない。
正直に告白すれば、怖いのだ。
「バカねぇ、リアは」
沈黙を吹き飛ばしたのは、院長である女性の声。
「私たちには、強くてかっこよくて誰にも負けない、すご〜い騎士様が付いているじゃない」
ね? と同意を求められたのは当然ロニア。
「‥‥そうだよ」
「うん、大丈夫だよ!」
「ロニア様がきっと守ってくれるわよ!」
落ち込んでいたのが嘘だったかのように沸き返る広場。蘇った雰囲気はこれまで以上に温かなものに満ちていた。
「ほら、いつまでもさぼってないの! ロニアさんが絶対に守ってくれるって言ってくれてるんだから、みんなは早く晩御飯の準備に戻りなさい」
元気よく返事をしながら散っていく子供たち。その日常の風景がロニアの目に眩しく映った。
何のために戦うか、今の自分に答えを出すことは出来ない。ならば、この子たちの居場所を守るために戦う、今はそれでいいのかもしれない。
あの子にこんな情けない姿を見せるわけにはいかないとロニアが踵を返すと、砂利を鳴らす足音が背中から響いた。
「ミリアムちゃん、起きていていいの?」
自分の姿を見つけて、会いにきてくれたのだ。何かを話をしようとするものの、言葉が出ない。
変わらず真っ直ぐな目がロニアへと向けられる。整いすぎた容貌は人形のようで、感情に乏しい状態では生きているのかと疑ってしまう。いつもと違う、まるで心の奥を覗き込むのような瞳は深く、意識が飲み込まれそうなほどの色合いで満ちていた。
長い沈黙と静止。
絡み合う視線。
それを破ったのはグライダーの震動音だった。
「やはりこちらにおいででしたか。もうすぐ出立の時間です。ギル工房長が至急帰還せよと」
「‥‥ああ、了解した」
迎えに来た機体の後部座席へとロニアが乗り込み、子供たちが見送りに集まってくる。噴射口が震動を強め、徐々にグライダーが浮き上がっていく。
「行ってくれ」
「よろしいのですか?」
子供たちの後方に佇むミリアムから視線を引き剥がし、衝撃に備えるようとロニアが正面に顔を向けて。
それは、何の前触れもなく起きた出来事だった。
知らない声、聞いたことのない音色。それが自分の名を呼んだ。
ほぼ無意識に、戻されるロニアの視線。
いつもと変わらない、人形のような表情。しかしそこはどこか温かみを帯びていて。
「―――――た」
気のせいかもしれないという不安は、確かに聞こえた声がかき消した。
修道院が遠のいていく。
何もない平野では視界を遮るものはなく、果てしない大地が暁に染まり眼下に広がっている。
「‥‥クロド、お前は‥‥何のために戦う?」
「いきなりどうしたんです?」
一切の無言。それは圧迫されるわけではなく、人知れず頬を撫でる風のように人の心に入り込む。
「国のため‥‥本音をいえば、妻と国、それに来月生まれる子供のためです」
「名前は決めてあるのか?」
「この戦いが終わってゆっくり考える予定ですが‥‥珍しいですね、隊長がこんな話をするなんて」
「そうか?」
「そうですよ。長い付き合いになりますけど、私的なことは滅多に話さないじゃないですか」
「‥‥そうか」
そうだな、と一人呟いた声が風に乗る黒髪と共に後ろへと流れていく。
何のために戦うか、それはまだわからない。
だが、『また』といってくれた、あの子との約束を守りたいと思う。
国という理由に比べれば、ちっぽけなものだ。実に個人的で小さい。
しかし、そんな掌でつかめてしまえそうな小さな理由で人は戦える。力が湧いてくる。それが人間というものなのだ。
「子供の名を決める時は、私も混ぜてくれないか」
「いつもの酒場で一杯奢ってくれるなら、大歓迎です」
「‥‥ああ、約束する」
再び誰かと会うために。
友と酒を飲み交わすために。
誰かの居場所を守るために。
そんな小さな約束を守ろうとするだけで、
――――――――人は、強くなれるのだ。
●リプレイ本文
●決戦前
時は決戦目前、場所は隔ての門と呼ばれる天然の要塞。
長い時間を掛けて漸くメラートから到着したフロートシップ数隻が噴射音を立てて着陸していく。耳を打ちつける風圧も気にせずに、到着を待ち望んでいたゴーレム工房員たちがその麓へと群がっていく様は、まさしく瘴気との決戦が目前に迫っていることを教えていた。
後部ハッチが開いて最終調整を終えた騎体が次々と運び出されていくその傍らでロニアと冒険者たち、ゴーレム第一、第二小隊全員が簡易テントに集結、作戦の最終確認を行っていた。
「‥‥作戦内容は以上です。何か質問はありますか?」
おずおずと上げられた手の主はアトラス・サンセット(eb4590)。動作と同じく、その表情には疑問だらけの色が浮かんでいた。
「‥‥目の下に隈が見えますけど‥‥大丈夫ですか?」
「‥‥お構いなく」
理由は聞かないで欲しいというのがありありとわかる。それくらいロニアの目元に刻まれたものは深かった。
「緊張して眠れなかったとか、そういうのでしょうか?」
困惑はシファ・ジェンマ(ec4322)も同様だった。ロニアとは付き合いが長い彼女。この男が堅物の生真面目であることは重々承知しているが、新兵でもあるまいに、戦を前に緊張しすぎて眠れないなどという話は聞いたことがなかった。
「ん? んふふっ」
一方意味深な笑みを浮かべるのはベアトリーセ・メーベルト(ec1201)。多くの隊員たちがロニアの目の下の隈に注目する中、ロニアがベアトリーセと目が合うと気まずそうに視線を逸らした。両者の中で何かがあったことはそれで明白になる。
「‥‥な、何かあったのですか?」
「んふふ、実は昨日ですね♪」
その途端、ロニアが慌てて彼女の言葉を遮るが、それを見越していたベアトリーセは楽しげに笑うばかり。そのロニアの慌てっぷりが余計に周囲の妄想、もとい疑惑を煽った。
ぶっちゃけて話してしまえば、決戦を控えた昨夜、突然ベアトリーセがロニアの宿舎を訪れてきたのだ。そこで問題になったのは、いつまで経っても帰らない彼女がロニアと夜を共にしたこと。勿論いかがわしいことは一切なかったが、女性嫌いの彼が十分な休息をとれるわけがない。結果、現状に至るというわけだ。ベアトリーセからすれば、「リーセ、寝顔綺麗だったよ♪」とか言ってほしかっただが、この朴念仁にそれを期待するのは酷というものだ。‥‥ベアトリーセ自身もあんまり期待していなかったが。
「おほんっ! 私たちの搭乗騎はこちらの希望通りになっているのかしら?」
妙な空気を一蹴するように、大きな咳払いをして加藤瑠璃(eb4288)が話しを元に戻した。これ幸いと心の中で感謝しながら、ロニアもまた小さな咳払いの後に表情を引き締めた。
搭乗騎体はほぼ各々の希望通りにあてがわれている。加藤にはヴァルキュリア、アトラスとシファにはランドセル搭乗型のモナルコス、スレイン・イルーザ(eb7880)にはモナルコス、ベアトリーセにはボォルケイドドラグーン、そしてフラガ・ラック(eb4532)に新型シルバーゴーレム『ブリュンヒルデ』があてがわれた。武装もそれぞれが希望したものが用意されている。
「この時のために急いで完成させた騎体です。存分にその真価を発揮させてあげなくては」
ブリュンヒルデはスコット領南部で独自に開発された騎体で、今回の搭乗者であるフラガはその起動実験段階から縁を持ってきた。この時のために作られた騎体。今ここでその役目を果たさなければ、これに携わったフラガや工房員たちの苦労が水の泡になってしまう。
「ブリュンヒルデを初め、性能の優れる冒険者隊がこの戦いの鍵となります。私の乗るオルトロスを除き、ゴーレム小隊の騎体は全てモナルコス。武装の面から見ても、瘴気に大きなダメージを与えられる可能性は低いでしょう。
冒険者である皆さんの隊が攻撃の主体となり、我々は牽制や盾の役割を果たすつもりです」
「私は防御重視で動こうと思います。作戦中は可能な限り皆様の機体を守るつもりですので堰を切る作業等はよろしくお願いいたします」
クロドと名乗った騎士とシファが固い握手を交わした。ロニアの右腕とも呼べる者であり、シファ同様隊の盾役、その中核を果たすことになる人物だ。
彼とは何度も同じ戦場を共にしてきたのに、こうやってしっかりと挨拶するのは初めてだった。任務のみを重要視するロニアのせいもあったが、それではやはりいけないとシファは思う。オルトロスが一騎。それに小隊員の乗るモナルコス騎が追従する。ロニアの隊長騎を合わせても10騎にも満たないこの数ではやれることなどたかが知れているのだから、余計に各自の連携こそが重要となってくることは間違いない。そしてその鍵となるのは日々の練磨と一人ひとりを繋ぐ絆である。
「水の堰を切るタイミングはスレインさん、彼が無理な場合はフラガさんにお任せいたします。上空のフロートシップに風信器で命令を出して下さい」
以上、と軍議の終了を告げたロニアの言葉に全員が立ち上がろうとして、立ち止まった。
「最後に‥‥一言だけ」
佇まいを直してロニア。
「瘴気という敵に対して、我々の戦力は微々たるものといえる。理想をいえば、ドラグーン3騎にシルバー級が5騎以上あってもよいほどの戦だ。それらがあったとしても、必ずしも勝てると断言できる相手ではない」
「‥‥‥‥」
淡々と、事実だけを告げていくロニアの口調には、それを聞く者たちを立ち止まらせる何があった。決意とも違う、まるで知らぬ間に近づき、頬を撫でては彼方へと消えていってしまう、風たちのように。
「国とためにとはいわない。それぞれが守るもの、そのために戦ってほしい」
誰かの前で想いを述べる、それに生ずる予想以上に辛い居心地に、ロニアの表情が固くなる。それでも、彼の口は無事に胸の思いを吐き出した。
「絶対に死ぬな。ここにいる全員で再び祖国の地を踏もう。諦めそうになった時は、私を見てくれ。私は皆の先頭で剣を振るい続ける」
「‥‥‥‥隊長」
しんっ、と沈黙は数秒。
「‥‥一言と言ったわりに、長すぎです」
「だな」
「まったくです」
天幕中に響き渡る笑い声の主は冒険者たちだけではなかった。ひとつ、またひとつと増えていく笑い顔は、まさに笑顔というに相応しい。
「何か‥‥あったんでしょうか?」
「どうかしら。案外何も考えてないとか」
シファの問いに肩をすくめ、相変わらず掴みようのない笑みを浮かべながら、ベアトリーセが一人呟く。
「‥‥そんなことないよね。何かきっかけがあってここに来たんでしょ」
全員が笑っている。決戦を前にして。努めてではなく、腹の底から自然とわきあがってくるその笑みは、彼らの心境そのもの。あの堅物、口下手の男がこうも言ってくれたのだ。予想通りの下手糞なものだが、その気持ちが、心遣いが、此の場にいる者たちの心をひとつにしてくれた。
『生きて再び』
心に刻み込まれたその思いを胸に、『騎士』たちは各々の騎体に乗り込むのだった。
●誤算
何だ、これは?
半ば呆然と立ち尽くすオルトロスの中で、ロニアが思ったことはそれ以外にない。毒性の瘴気が大地を埋め尽くし、騎体の膝から下は既に薄紫色に染められてしまっている。放棄された大弩弓や精霊砲の頭だけが、僅かに瘴気の中から顔を出している。無秩序に散乱するそれらに、陣形の跡はない。
二つ。
足元に蠢く何かの存在、それとは別の、背後から迫る気配を感じてフラガは反射的にブリュンヒルデを右へととばした。一瞬遅れて先ほどまでいた地面が、深く暗い紫の腕に呑まれて音もなく崩れていく。
距離にしてゴーレムならば10歩前後の間合いを確保したまま、フラガは二つの剣で戦闘態勢を整えると眼前に立ちはだかる魔物の姿を見た。
事は作戦通りに動き、崖を登り終えた瘴気とゴーレム隊の戦闘が始まっていた。既に精霊砲・大弩弓隊は上空へと避難し、航空隊に乗せられた砦襲撃班が瘴気を操るクロイツ目指して出撃したのも確認している。上空のフロートシップも陣形が整い次第、こちらの援護を開始するだろう。ほとんどが作戦通りに進んでいる。問題は、予想外であったことは、上流から放った水鉄砲が瘴気の勢いをほとんど弱め切れなかったという点であったことである。確かに勢いを削ぐことには成功した。しかし、強力な水を受けた瘴気は怒り狂ったかのように規模を膨張させ、その勢いは止まることなく増大し続けている。クロイツという主を得たからかは分からないが、それ程に瘴気の勢いは凄まじく、十分過ぎる戦闘力を有していた。
『がぁああ!!!』
巨大な手によって地面に押し潰される形で一騎のゴーレムが悲鳴を上げた。
人の数倍の大きさを誇るゴーレムさえも、片手で掴んでしまうほどの巨体が救援に向かう冒険者たちに振り向く。液体とも気体とも取り難い、その二つの中間に近い物質によって構成された半透明の肉体。肘先から落ちる雫は糸を引いてゆっくりと地面に零れ落ちていく。辛うじて人型を取るそれは、大地を覆う瘴気の本体に他ならない。
高い性能を残る、フラガ、加藤、ベアトリーセの三騎が疾風の如き速度で瘴気の波を突き破って瘴気に攻撃を開始する。槍が、剣が、魔力を帯びた武器が瘴気の肉体目指して突き出されるが、その全てが本体の周辺に渦巻く瘴気の層に阻まれてしまい、届かない。
『我々が牽制しているうちに、倒れた騎体の救助を!』
『承知!』『了解です!』
フラガの指示を受けて、アトラスとシファが後部に積んだランドセルに意識を集中させる。一撃離脱。それこそが推進力発生装置、通称ランドセルの最大の利点。それは何も攻撃に限らず、このような状況でも最大の効果を発揮する。
前線の三騎を中心に、ゴーレム小隊が陣形を組んで瘴気を迎え撃つ。その足元に転がる騎体向けて、二人は示しを合わせて一騎に加速、僅か数秒でその隣への接近に成功する。そして急速な離脱、危険地帯から無事損傷騎の救出に成功したものの、二人の顔に安堵の色が訪れることはなかった。
航空隊の援護とフロートシップからの精霊砲と大弩弓、ゴーレム小隊、空と地上という二つの援護を受けながら、冒険者たちは瘴気とほぼ真正面から攻防を繰り広げていた。特に真っ先に飛び込んだ三騎が性能上、最前線で瘴気と対峙することになっている。あの巨大な手に掴まれれば頑強なゴーレムの装甲も侵食されてしまうだろうが、幸い瘴気の動きは遅い。卓越した操縦能力でたくみに回避し、次々と獲物を突き出していく。そんな単調な戦闘が繰り広げられ、彼らの武器はいつしか渦を突破して瘴気本体の肉体さえも捕らえだしていた。
しかし、双剣を振るいながら、フラガは奇妙な感覚に襲われていた。不安と焦り、それが確信に変わるまでに、それほどの時間は掛からなかった。手応えが、ない。簡単にいえば、そこにあるはずの敵が、そこに存在しない。それはまるで霧を斬っているような感覚。人型の本体はゴーレムの斬撃を受ける度に悲鳴を上げている。しかしそれはほんの一瞬に過ぎず、時が経てば何事も無かったかのように攻撃を再開してくる。
「―――――――ッ!?」
ドラグーンの機動力を持って、一気に接近を試みたベアトリーセが背後の悪寒に振り向けば、すぐ目の前に巨大な瘴気の手が迫っていた。
「‥‥そっか。人間じゃないんだから、腕が二本とは限らないわよね」
完全な回避は出来ず、騎体の右肩に掛けて張り付いた瘴気の色を確認しながら、ベアトリーセが努めて暢気な声を出した。わざとらしく人型をしている瘴気本体、その足元から手のような形をした瘴気の触手が幾つも出現している。
『ベアトリーセ、無事?』
『今のところは。いつ騎体にガタが来るかわからないけど』
ドラグーンの両脇に、シルバーゴーレムの二騎が陣取った。右側から声を掛けた伊藤が敵目掛けて突き出していた槍を僅かに引き寄せる。
いつガタが来るか分からない。それは自分にも当てはまることだ。何度も瘴気に接触した槍の穂先がすでに限界を迎えようとしていた。光沢は失われ、魔法に守られた矛先は見る影もなく、変色してしまっている。まるで毒でも盛られてしまったかのようだ。
●限界
『フラガさん、そちらはどうかしら?』
『‥‥‥‥もう何分も耐えられるかどうか分かりません。下手をすれば、次の一撃で使い物にならなくなります』
フラガの振るう武器はブラン製の剣であり、隊の中では最大の強度を誇るものである。それが既に限界を迎えつつあるのだから、ロニア率いるゴーレム小隊の武具はもう使い物にならないかもしれない。
(ならば尚のこと、ここで退くわけにはいかない!)
気合一声、じりじりと後退しつつあるゴーレム隊を鼓舞するようにフラガが再び最前線に飛び込んだ。
「この双剣に懸け、全ての禍根をこの場で断ち切る!」
他の騎体の援護を受けつつ、フラガは瘴気とほぼ一対一の攻防を開始した。鈍くなっていく騎体と連動するかのように指先が凍りついてく。しかしそんなことに嘆く暇はない。フラガはブリュンヒルデの左右の腕に自らが持ちえる全ての力を注ぎ込んだ。
「―――――そこだ!!!」
他の箇所と違い、透明性がほとんどない瘴気の肉体の中心、人間でいう鳩尾の部分にフラガの二つの剣が煌いた。十字を刻んだその剣線は瘴気の巨大な肉体を大きく裂き、その斬撃は確かに瘴気の核とも呼べる部位を切り裂いていた。
―――――――――――――ッ!!!!!!
これまで悶える振りをしながらも、影でせせら笑っていた瘴気が、初めて悲鳴を上げた。ゴーレムたちは近づかない。近づけないでいる。本体の悲鳴に呼応して、その肉体を守っていた渦の回転が急激な加速を始めている。辺りに散らばっていた精霊砲の残骸が飲み込まれ、ものの数秒で変色し、枯葉のように崩れ去っていくのが見えた。足元に犇く瘴気の色も濃くなり、膝元までしかなかったそれはいつしかゴーレムの全身を沈めてしまうほどに増加してしまった。
加藤はもう、自分がどこにいるのか分からなかった。大盾を身代わりにして何とか視界を確保しようとしたが、周辺は瘴気の海と化してしまっている。一切の光通さない密閉された部屋に閉じ込められたかのような視界。
ドンッ!!
突然の衝撃に、思わずシートから落ちそうになる。背後から巨大な何かによって地面に押し付けられていることを確認するのにもかなりの時間を有した。右も左も分からない感覚が加藤の卓越した操縦技術を鈍らせ、状況把握さえも困難にしていた。
『加藤殿!!』
クロド率いるモナルコス3騎が異変に気づき、突貫してくる。しかしそれはあまりに無謀といわざるを得なかった。ろくな戦闘手段を持っていなかったモナルコスたちはなすすべもなく、瘴気の腕に捕らわれては崩れ落ち、最後にはごみでも捨てるかのように投げ捨てられた。
『クロドさん、下がってください!!』
空から牽制を仕掛けていたシファがランドセルを使い、上空から地上へと急降下、クロドを掴んでいた腕を肘あたりから切断した。
(早く救助を‥‥)
すぐ後ろに倒れ落ちたクロド騎はすでに原型を留めていなかった。制御胞がすでに表出し、少しでも穴が開こうものなら、周辺に充満する瘴気が入りこんで中にいる彼はまず助からない。一刻も早く制御胞だけでも回収し、ここから離脱しなければならなかった。
(‥‥‥まずいっ!)
明確な敵意に反応した瘴気本体がまっすぐシファに向けて突っ込んでくる。対抗手段はないが、ここで退くわけにはいかない。
「アノール!」
後退ではなく、前進加速。ランドセルを起動させ、あえて敵の攻撃を受けることで無防備になった敵にこちら以上のダメージを与える一撃を放つシファ。だが、核を狙ったそれも視界不良と敵の回避行動に阻まれてしまう。
もう一撃。通り過ぎてしまった本体を狙い、騎体を急旋回させてその背後に襲い掛かるが、瘴気の反応の方が僅かに早い。
(‥‥間に合わなっ‥‥)
ズンッ!! と瘴気の真正面に飛び出したのは一騎のモナルコス。それを操るのはスレイン。
『急げっ!!』
侵食されていく騎体の中で、スレインは後ろを振り返らず叫んだ。自騎を犠牲にしてでも瘴気を足止めし、勝利の道を切り開こうとしている。その姿を見て、シファも止まるわけにはいかなかった。
『やった‥‥!!』
晴れゆく瘴気の海の中で、事態を確認したアトラスが強く拳を握った。
真っ直ぐに突き出された切っ先は瘴気の核を見事貫いている。そんな勝利を確信する光景とは逆に、シファは自らの手に伝わってくる手ごたえに、その考えが過ちであることを悟っていた。
『囮!? 本体は‥‥!?』
気づいた頃にはすでに遅かった。背中を狙ったシファの更に背後に回っていた瘴気が両の手で騎体を両手で持ち上げた。
『くっ‥‥!? こ、のっ』
無数の虫のようなものが装甲表面で蠢いているのが制御胞越しに伝わってくる。進退窮まるシファ騎に対して、それらはは容赦なく装甲板を削り取っていく。がりがりと、歯のようなものによって徐々にゴーレムを食っているのだ。
大岩を揺るがすほどの震動が鳴り響いた。地面に投げ捨てられたシファのモナルコスに、活動するだけの能力は残されていない。両手は崩れ落ち、二つの足からは変色して直立する際の自重に耐えられるほどの強度は失われている。八方塞という状態だった。
二つの腕がその首を絞めるようにつかみ、地面の目線まで持ち上げた。モナルコスは動かない。対抗手段がないこともあるが、操縦者の意識はぷっつりと途切れ、シファの身体はシートの上で上半身を倒すように蹲っていた。
瘴気本体とそれの掴むシファ騎を守るように渦巻く瘴気の壁は、さながら台風。中心こそ穏やかだが、そこに押し入ることは何人たりも許されない。皮肉めいていえば、聖域である。救出に向かおうにも、それを行う手段が他の者たちにはない。手をこまねている間にも、瘴気はシファの『処刑』を始めていた。ぬっと肩から生えたそれは腕。胴体の装甲板を毟り取り、強引に引っぺがすと内部に埋まっていた制御胞を見つけ出す。
『‥‥くぅ‥‥』
無謀とも言える接近を試みたロニアのオルトロスはすでに大破寸前。他のモナルコスも同様、シルバーゴーレムとドラグーンを駆る三人も有効な手段を見出せずにいた。
いよいよ制御胞が取り出されようとした瞬間、渦を突破したものが居た。それは、ランドセルを積んだアトラス騎。
濃密な瘴気の海を、ランドセルの推進力が突き破り、
『―――――――これを』
うけろっ! とアトラスが剣を振るう。ランドセルの最大推力で渦を強引に突破したことで、騎体はばらばらになる寸前。辛うじて振るわれた剣は疾風を生み出し、核を直撃する。
拡散し、霧散していく瘴気の渦。
先ほどとは違い、しっかりと耳に届く悲鳴に多くの者たちが戦慄する中、がらあきになった瘴気の背中に加藤が飛び込む。肩口から突き出された槍が人型の胸と貫き、わき腹をも破って串刺しにする。それに続くかのように横に控えていたベアトリーセが、反撃に出ようとした瘴気の隙を衝いて接近、巧みに隠された刀身が必殺の一撃を放った。
●表と裏
(あと一撃!)
とどめの一撃を放つために、フラガが騎体のランドセルに全神経を集中した。絶妙なタイミング。長い時間を掛けて作り上げた、ブリュンヒルデのあの秀麗な右腕は見る影もない。だが、未練はない。あと一撃。この一撃で全てが終わる!
‥‥が、
「な、‥‥!?」
膝が折れたのは、瘴気ではなく、ブリュンヒルデだった。ランドセルによる加速でとどめの一撃を狙ったフラガだったが、長時間の瘴気との接触がランドセルに異常をきたしており、正常に発動しない。
ベアトリーセの乗るドラグーンも力が出ない。飛行能力は瘴気のせいでほとんど失われてしまっている。
だけど、ここで退いたら後がない。ここで負けるわけにはいかないのだ。守るために、増えすぎた守る者、その全てを守るために!
「ドラグーン、行って!!」
致命的な損傷はない。飛び出したドラグーンに鼓舞されたかのように、瘴気の足元に伏していたスレイン騎が立ち上がる。亀裂の入ったぼろぼろの剣を、斬るというよりも瘴気目掛けてただ突き出す。そこには攻撃の意思はあっても必殺の意図とはない。
『―――――狙え!!』
瘴気が霧散する。霧のように分散した瘴気の肉体は、攻撃を仕掛けたスレインの背後に回る。だが、それこそがスレイン、そしてベアトリーセの狙いだった。
人型を形成する瘴気に骨などの部位はない。しかし、ベアトリーセはそれをあえて狙う。敵にダメージを与えることが出来ずとも、肉体を両断することが出来れば、動きを鈍らせることは出来る。
人間でいう肋骨の部分にベアトリーセの武器がめりこみ、瘴気が止まる。その停止を狙い、ブリュンヒルデが走り出していた。
瘴気も負けてはいない。麓にいるドラグーンを抱え込み、同時に周囲へ展開していた瘴気を凝縮させて槍に変形させると突貫してくるフラガ目掛けて放つ。攻撃に特化していた分、ブリュンヒルデの装甲は薄い。長い戦闘で低下していた機動性ではその槍をよけることは叶わず、胸に突き刺さった槍によって大きく後ろへと弾き飛ばされてしまう。
――――そして、影で動いていた一つの存在が姿を現す。
スレインが攻撃を仕掛け、ドラグーンが動き、瘴気が止まり、ブリュンヒルデが倒れた。短い間に繰り広げられた幾つもの攻防の果てに、戦場にいる全ての存在は行動を終えて硬直している。ただ一つ、戦乙女の名を冠する存在を除いて。
ブリュンヒルデの影から飛び出したのは加藤の乗るヴァルキュリア。気配を絶って潜んでいたのだ。それは全て、確実に敵を仕留めんがため。
地面に落ちていた槍を拾い上げた加藤。その穂先がゆらゆらと、大海に浮かぶ木の葉のように揺れる。一見矛を握る主の落ち着かぬ心境を表すようだが、そう判断するのはあまりに浅薄。槍の切っ先は瘴気本体の動きに合わせて動いているに過ぎない。微塵のずれもなく、延長上に存在するのは、本体の核。
射程範囲に入ると同時に、加藤は雷の如き速さを持って槍を突き出した。対して瘴気が最後の抵抗を見せる。肉体を膨張させ、槍が核に届くのを阻もうとする。しかしそれを見越していた加藤。槍の柄をぎりぎりまで長く持ち、突き出されていた穂先は、毒に満ちる瘴気の闇を閃光の如く貫き、僅かに、しかし確かに核に突き刺さっていた。
その瞬間、世界が変貌する。
爆発したように四方八方に弾け飛んだ瘴気の肉は大地に翻るあらゆるものをその色で染め上げてしまう。その爆裂とは真逆に、半径数キロにまで及んでいた大地の瘴気は本体の核目掛けて吸引され、瞬く間に消え去ってしまう。
最後は実に呆気ない。呆然とするヴァルキュリアの目の前に浮かんでいた真っ黒い人間の拳大の瘴気の核が、硝子でも砕けるようにはじけ飛ぶ。音もなく、子供の不注意で落とされた陶磁器が砕けるように、ぱりんっと。
すべてが終結した後には、何の変哲もないあるべき世界が、当たり前のように広がっていた。