●リプレイ本文
●天降りつきて松の花
――思ふゑに 逢ゆるものなら しましくも 逢えずまにして 濡れし松の実
(深く想う気持ちさえあれば逢えるというなのら、
ほんのひとときの間でも今は亡き懐かしい方々にお逢いしたいと願っておりますのに、
それも叶わず、今となっては一人“待つ身”と呼ばれ、ただ泣き濡れて過ごしております)
*
「困りましたね」
家人にあっさり門前払いを喰らってしまい綾都紗雪(ea4687)と大神総一郎(ea1636)が深刻な表情を浮かべる。
「お取次ぎ頂けないなんて」
「どうしよう‥‥」
けぶる長い睫毛を伏せた天薙綾女(ea4364)に、普段は綻ぶ花のような笑顔の藤浦沙羅(ea0260)も俄かに表情を曇らせ細い息を吐いた。
「あらたかなお血筋と聞き及んではいましたけれど‥‥」
「それならば、あのような暮らしぶりはどうなのだ?」
敷地は広く屋敷の造りも立派ではあるが手入れが行き届かぬのであろう、寂れてしまっている屋敷を思い起こし首を捻ったリーゼ・ヴォルケイトス(ea2175)が訝しげに聞き返したのに紗雪が言葉を選んで答えた。
「‥‥国から俸禄は出ているのでしょうが、僅かなものだと思います。父御がお亡くなりになり後ろ盾がないのでは生活も大層お苦しいと忍ばれます」
実際に国からの給付は暮らしぶりを鑑みれば満足なものではなく、士族の中に故郷で領地を経営している者がいるように各貴族は荘園収入などが主たるものであった。
荘園は持ち主の住まいからは遠く離れた場所にあり、管理人が預かっている場合が多い。
男主人が亡くなり女性だけになると、この管理人が荘園でとれた作物などを納めずに横取りして私腹を肥やすなどという事が多々あるのだ。
主人に代わりしっかりと管理を務める家司のいない屋敷に残された女性はただ没落していくしかなく、屋敷にある物を売り、普段の食事にも事欠きながらの生活を余儀なくされる。
確たる血筋の姫を娶(めと)り箔を付けたい成り上がりの武家から縁談でも舞い込めば話は別なのであるが――。
その場合、血筋だけを目当てとした身分の然程高くない――それも、正妻がいたり何人も愛人を囲っているような者がほとんどである。
生活には困らなくなるが、あまり喜ばしい事ではない。
「それ故に『松(待つ)の宮』‥‥か」
この呼称は同情を含んだ人々の揶揄であろう。
総一郎が視線を落とし渋い顔をした。
「万に一つの望みをかけて藤浦様の名で文を届けては如何でしょうか?」
「大丈夫‥‥かな?」
紗雪の提案に、沙羅が眉尻を下げて不安げに見上げるが、この中では彼女の名が一番世に知れているので僅かでも可能性が上がるのではないかと考えたようだ。
「いずれにしましても、姫君にお会いできないのでは事が進みません」
門前で追い返されてしまうのでは、まさに取り付く島がないと綾女が重々しく嘆息した。
しかし文ならば直接姫の目に留まるであろう。問題は姫が目通りを許すか否かである。
「私に案があるのですが‥‥」
紗雪は手折った梅の枝に文を結び家人に言付けた。
「文には何が?」
――梅の花 散らまく惜しみ わが苑の 竹の林に 鶯鳴くも
「歌を一首認めました。季節外れの歌に姫君が興味を持ってくだされば良いのですが」
小首を傾げた沙羅に紗雪がやわに微笑んで答える。
屋敷の前で待つこと四半刻。
閉ざされていた門が開かれ、冒険者達は中へと迎え入れられた。
築地塀で囲まれた屋敷の庭には尾花が風に揺れていて、物悲しいながらも風情があった。
奥の部屋へ通され、御簾内の姫に恭しく頭を下げると、唐衣の仄かな透影(すきかげ)が揺れたのが見て取れた。
姫は御簾の隙間から薄墨色の還魂紙を乗せた扇を乳母へと渡して寄越した。
――野分き風 散らくはいづく 白(しら)の花 いまだ見なくに 散りまじものを
(秋の風に白梅の花が散っているというのはどちらでしょう? まだ咲く前から散りようもないでしょうに鶯は何を惜しんで鳴くのでしょうか?)
「それは竹林(の鶯)に伺わなくては私には分かりません‥‥」
素直に疑問を投げかけた姫に、深い黒曜の双眸を緩めた紗雪が穏やかな声音で紡いだ。
音もなく笑んだのが御簾越しから伝わり、次いで澄んで滑らかな声が聞こえた。
「それはその通りね」
訪問者に姫が直接声を掛けた事に、一瞬、硬直してしまった乳母が我に返って咎めるように上擦った声を上げたが、暫くひそひそと問答する声が漏れ聞こえた後、ゆるゆると御簾が巻き上げられた。
姫は突然の来訪者に一方ならぬ興味を抱いたようだ。
「私に何のお話で御座いましょう?」
その場で畏まり深く頭を下げた総一郎がそのまま静かに口を開いた。
「畏れ多くも不躾に声をお掛けする事をお許し下さい。私、神楽舞師の大神総一郎と申します。此度の妖狐騒動の無事を神仏へ奉納したく能舞を考えておりますれば、折りしも中秋の名月、姫御前におかれましても月を愛でる良い機会かと存じます。私は次期家元を担うもまだまだ拙く姫御前の妙なる琴の音で是非にお力添えお願いしたく‥‥さすれば神仏も喜ばれようかと」
「‥‥琴を?」
能に琴と言われ、細い首を傾げた姫に沙羅が付け加えた。
「観能していただく前に、お囃子を予定しております。姫君は琴の名手とのお噂を耳にしました。こちらには腕の立つ横笛師もおりますし、ぜひご一緒に演奏していただきたいと思うのですが如何でしょうか? きっと素敵な演奏になりましょう」
「笛‥‥」
かそけく呟いた姫の言の葉は風に攫われ音にならずに消えた。
或いは姫の胸中を過ぎったのは毎夜響く笛の音であったろうか。
「‥‥わかりました。私も此度の騒動を憂いておりました。私の琴で良いのでしたら参りましょう」
●色うつろわず細竹(しの)秋
「想いを乗せた笛の音かぁ〜‥‥」
独りごちて空を仰いだ天乃雷慎(ea2989)の姿は木の上。
仲間達は姫に会えただろうか――考えて、ふるふると首を振った後、まるで言い聞かせるように大きく頷く。
「大丈夫。きっと想いは届くよ‥‥ううん、もうとっくに届いているのかもしれない。だから、ボク達がきっかけを作ってあげれば良いんだよね」
秘めた情愛も詠めぬ言の葉も、すべてすべて、誰かを深く想う心――思慕はとても温かなものだから。
向けられた想いはきっと冷えてしまう事などなく、いつか誰かの胸も温(ぬくと)めるのだと思う。
どんな人も生まれながらにぬくもりを知っている。誰もが決してたった一人では生まれてこないのだから。
見上げる空は澄んで高く、砂を刷いたような細い雲が柔らかに青の色を薄めている。もうすっかり秋の色だ。
ぶらぶらと足を揺らして心地よく風を受けていた雷慎が気配に気付き息を殺した。
一人の男が緩慢な足取りで歩みより木に背を預け腰を下ろす。
毎夜、姫の屋敷へ通うようになって三月は経つだろうか。あれは水無月になったばかりの頃だった。
厳しかった暑さも幾分和らいで、そういえばこの頃は秋虫の調べが月夜に美しい。
「いつしか、もう秋なのだなぁ‥‥」
愁いを帯びたような声音でそっと呟くと包みから篠笛を取り出し口にあてがった。
響く笛の音色が秋空に広がっていく。
風を縫って、凛と強く、揺らめくように優しく、ただ真っ直ぐに。
ゆるゆると撫でるように囁くように、天へと立ち昇っていく。
得心して目許を緩め頷いた雷慎は懐の笛に手を伸ばす。
男の笛に高い笛の音が重なって響いた。
突然重なった音に、瞠目した男が指を止めて静かに見上げる。
最後の旋律を奏で終えた雷慎は、再び懐に笛を仕舞い込むと膝を折り「っしょ」と掛け声をあげて木から飛び降りた。
「キミの笛の音にある想いを手伝う為に、ボク達はやってきたんだ‥‥って言っても今はボク一人だけどね」
「‥‥っ、あ、あなたは?」
美丈夫ではないけれど真面目を絵に描いたような温和な顔立ちの、少々気の弱そうな男に優しい眼差しを向けて雷慎はゆっくりと事情を話して聞かせた。
●さやに染むらむ長の月
姫の屋敷へ入っていった仲間の後姿を見届けたリーゼはもしもの為に用意しておいた物をそっと荷物に押し込めた。
使わない事を祈りつつ書かれた文が、乾いた音を立てて荷物に収まり僅かに目を細める。これで良かったのだと心底思った。
そうして一つ息をつくと強い光を宿した双眸で空を見据えひらりと跨った馬を駆り、屋敷近くの神社を探した。
身軽である彼女らにしてみれば多少の距離は問題にならないが、姫を招くとなればあまり遠くない場所が望ましい。
いくつかの神社に目星を付けて他の仲間と合流し報告した。
「想いを込める、か‥‥。武道家なら拳に、横笛師なら笛の音色に乗せて‥‥形は様々でしょうが想いが伝わると善いですね。私達は彼の想いを成就させる為に一肌脱いで頑張りましょう」
交渉の為に神社へと向かう折り、陸潤信(ea1170)が純朴な笑顔を浮かべた。
身の丈が高く、鍛え上げられた筋肉を惜しみなく纏った頑強な肉体は、ともすれば武張った厳つい印象を与えがちだが、礼儀正しい口調と何よりも優しい瞳が彼の印象を柔らかにしている。
「そうだな、俺は純粋に二人の重なる音色に興味があるね」
そよ吹く風のようにどこか飄々と先を歩く月代憐慈(ea2630)が肩越しに振り返った。潤信と目が合うと悠然に笑んでみせる。
向き直り、手にした扇子をパチリと閉じて肩を一定の韻律で叩く憐慈のその後の表情は仲間達にも分からなかったのではあるが。
憐慈の背に一瞥を投げたリーゼは、すぐに表情の読めない瞳を元に戻した。
「月見の奉納舞を催したいんだが、場所を貸してもらえんかな?」
突然のこんな申し出は通常であれば到底首を縦に振れたものではないのであるが、応対した禰宜(ねぎ)の目にまず飛び込んだのは憐慈の陣羽織だ。
自らの家紋をあしらった陣羽織は神皇家への忠節を誓い下賜された言わば志士の象徴であり魂である。
暫し待つように伝えて禰宜は浅黄色の袴を捌き姿を消した。
「お待たせ申しました」
深邃な声音に冒険者達が視線を上げると白紋の付いた白袴姿の年老いた宮司が先程の禰宜を伴って立っている。
「なんでも美しい音色を奏でる笛と琴の名手がいらっしゃるようで、神楽舞師がその方々を招いて妖狐襲撃の無事と仲秋の名月への奉納舞を捧げたいと申しているのです」
「そのような訳で、こちらを使わせて頂けないだろうか」
願意を述べる潤信に頷いて聞き入っていた宮司が次いだ憐慈の言葉に、うむ、と唸って頤を撫でる。
暫らくそうして泰然と沈黙していた老翁は一度目を瞑(ひし)いで息を継いだ。
「神へとあらば私が断る道理はありませんな」
宮司の許しを得て、リーゼは姫の屋敷にいる仲間達の元へと向かった。
「姫御前の承諾は得た」
抑揚なく告げた総一郎にリーゼも頷き返して、歩む道々に場所の確保が出来た旨を伝える。
沙羅、綾女、紗雪が顔を見合わせ目見を緩めた。
一仕事終えた彼女らが到着すると近隣から農具を借り出し、舞台設営に励む仲間の姿があった。
潤信は「力仕事は私の仕事だ」と言わんばかりの働きぶりで、せっせと土を盛り上げ舞台を形にしていく。
盛り上げられた舞台を憐慈が足で踏み固めていき、リーゼもそれに倣う。
遅れて、篠竹の君を連れ立って戻ってきた雷慎も加わって皆で準備を急ぐ。暮れまでに余り時間がない。
ばたばたと慌ただしく時は流れて――。
「こんなものでしょうかね?」
最後に力強く足を落とし踏み固めた潤信が額の汗を拭った。
「上出来! 兄貴、お疲れ♪」
雷慎の投げた手拭いを取り落としそうになりながらも宙で受けた潤信が義妹に向け破顔する。
●君思ふゑば恋ひし宵
秋の夕暮れの訪れは早い。
「‥‥どんなに憧れても‥‥やっぱり月に手は届かないんかね‥‥」
浮かんだ月を見上げた憐慈が一人呟いて口を引き結んだ。
次第に色を深める空に囃子の音が響く。
高座に座した姫の爪弾く琴音が細く風に乗り、雷慎、綾女、紗雪の打つ鼓が空気を引き締め心地よい緊迫感を与え、沙羅がそれに合わせ謡う。
そこに篠笛の高音が重なり麗しい旋律をつむぐ。
震える笛の音色は唄うように、夜気を開裂して清冽な情景を描く。
疲れた身体を木に預けて目を閉じた潤信が美しい調べに耳を傾けている。同じようにリーゼ、憐慈、総一郎も静かに音色を愉しんでいた。
ふいに綾女らの鼓の音が止み、沙羅の声も消えた。
姫の琴と篠竹の君の笛の音だけが寄り添って夜空に響いた。
息を詰めて肩を震わせた姫の双眸がわずかに見開く。横笛師もまた瞑目していた瞳を開いた。
心に染み渡る優しく美しい管弦は夜を鎮めて奏でられ、まるで永久のように続く。
二人の演奏が終わると能が始まった。
シテの総一郎、ワキの憐慈が幽玄に、静謐に、そして荘厳に舞う。
役目を終えて観能する姫の双眸に初めて篠竹の君が映る。その視線を追った雷慎の口元が笑みの形になった。
月に照らされた二人の雅やかな舞が浮世の時の流れを止める。
姫のぬばたまの瞳からぽたぽたと雫が落ちた。
――私はこの笛の音を知っている。
優しいこの音色は、寂しく眠れない夜にどんなに心を救ってくれただろうか。
闇の彼方から吹き寄せる冷たい風を、この音が止めてくれた。傍にあって夜が明けるまで。
静寂だけの何も無い長い夜に。
求めるでなくただ毎夜奏でられるこの笛の音をいつしか待ち望むようになっていた。応える勇気はなかったのだけれど。
「私達に手伝えるのはきっと此処まで‥‥」
あとは二人の問題だから。
「‥‥そうですね」
紗雪と綾女が穏やかな眼差しを墨染めの天に向けた。
*
帰り際、並んで歩く潤信と雷慎。
「彼らに幸せがあるように心から願うよ‥‥」
「ん」
見上げる月に願いを託して、共に在る幸せがどうぞ続きますように。
「雷慎、一曲頼めるかな?」
頷いた雷慎は懐から笛を取り出し、姫と篠竹の君が奏でた曲を吹いた。
柔らかな音色が静かな辻に響いて、潤信は目を細めた。
「ね、兄貴。この曲に乗せてる想いはわかる?」
「えっ? うーん‥‥」
途中で演奏を止めて問われ、眉根を寄せて真剣に首を捻った潤信に気付かれないように雷慎が嘆息する。
「いつか分ってよね」
そう笑って義兄の背を叩くと二、三歩駆けて振り返り、小さく舌を出してみせた。