●リプレイ本文
●冬の燈
「お祭りだ♪ お祭りだ♪ 異国人の血が騒ぐ〜♪」
篝火がゆらゆらと揺れてリゼル・メイアー(ea0380)の頬を臙脂色に染める。
炎夏に町を襲った厄災は未だ深く人々の胸に刻まれているが、翳る辻を、人々を‥‥命の炎は力強く照らす。射ゆ獣(しし)の痛んだ心に導を示すように。
「傀オネーサンと一緒で嬉しいな♪ あ! 見て見て! あれ何かな? 傀オネーサン早く、早く☆」
瞳を輝かせて駆け出すリゼルの金色の髪が過日の風遊ぶ稲穂を思い起こさせ、仔神傀竜は我知らず瞠視したが、すぐに砥草色の眸を緩め笑みを落とした。
「待って、リゼルちゃん。急に走ったらはぐれちゃうわよ」
「えっとね、チョンマゲは取り外しが出来て、武器にもなるんだって。すごいよね♪ それからね、踊り食いっていうのはダンスが出来ないと食べられないんだよ。傀オネーサンといつか食べてみたいな☆」
並んで歩く二人の会話は、賑わう周囲の声韻にも負けず次々と弾む。
「あ! 喧嘩みたい。お仕事だ〜☆」
視線を合わせた二人は騒ぎの輪に向かった。
「酔ってるのかしら? 愉しいお酒が呑めないなんて野暮天ね」
「あ〜、お団子が! お酒も割れちゃって勿体無い〜」
拳を振り上げた男の背後から傀竜が腕を掴めば、向かう視線の先ではリゼルが足元にしゃがみ込んで路上の残滓に溜息を漏らす。
「一体どうしたの?」
視線を上げたリゼルに野次馬の一人が説明する。
「この兄さん達が出会い頭にぶつかっちまって、見ての通り買ったばかりの団子と酒がお陀仏しちまったって訳でさぁ」
事情を聞き終えた少女はポンと手を打って愁眉を開いた。
「なあんだ、簡単じゃない。だったら私達もここでお団子食べるからお兄さん達も一緒に食べようよ♪ 見てる皆も一緒に食べよう☆ 皆で食べるときっとずっと美味しいよ。おじさんも落としちゃったお団子やお酒分くらいはおまけしてくれるでしょう?」
リゼルの提案に店主は一度頭を掻いたものの観念したように「任せときな」と胸を叩いた。
わぁ! っと歓声が上がり店は急に活気付く。
「店も繁盛で万々歳じゃないの。リゼルちゃん名裁きだったわね」
傀竜が微笑むとリゼルは小さく舌を出す。
「だって、お団子美味しそうだったんだもの☆」
「坊主憎けりゃ‥‥ね。お団子が美味しくて太平ならこんなに良い事はないわ。後で可愛いお奉行様に似合いそうな着物を選んであげるわね」
傀オネーサンのもね♪ 団子を頬張るリゼルの顔に花が咲く。
●返り花
「宵闇のお祭りは、また風情があるものですね」
深緋地に梅と桜の散った小紋に身を包んだ藤野咲月(ea0708)が赤味がかった茶の眸子を向けると頭一つ分丈の高い冴刃音無は落ち着き無く視線を彷徨わせた。
「どうしました?」
「いや‥‥賑やかだと思って」
小首を傾げる咲月に問われ、口を吐いて出てきたのはそんな言葉だったが音無の視線は彼女のよろけ柄の黒帯から上げられないまま。
その理由が自分でも掴めず半ば戸惑いを抱えたまま思い兼ねる。
以前にもこうして並んで祭りに出掛けた。祭囃子に夏虫の踊躍する夜色の事。
彼女の笑顔はあの時と少しも変わらないのに重ねた月日と共に知らず変化したものがあると云うのだろうか。季節が通り過ぎたように。
僅かに感じた違和が音無の中で形にならぬまま徐々に熱を帯びて膨らみ、蛍が身を焦がすように一定の韻律で忍び入ってくる。
「音無様?」
咲月の鈴の声が耳朶を翳め、黒髪が闇に融けて広がる。気付くと音無は咲月の手を取り歩き出していた。
「そんなに急がなくてもお祭りは逃げたりしませんよ?」
咲月はくすりと笑みを漏らした。
繋いだ手は夜気に触れてもじんわりと温かい。触れ合う箇所だけ春光を浴びているようだ。
「少しお腹が空きましたね。音無様は何がお好きですか‥‥って何でもはいけませんよ? 以前頂いた飴細工以外で、ですよ」
咲月が唇頭に指を当てると音無は眉宇を動かし思案する。二人の視線の先にはずらりと並んだ屋台。
「この時期なら煮込み田楽や天麩羅なんかどうだ?」
「天麩羅‥‥好いですわね♪」
いとけなく微笑まれてしまっては音無の財布の紐もいとも容易く緩んでしまう。
店を回る毎に懐は軽くなっていくが、反比例して咲月の笑顔が増すのが嬉しくて音無は一人そっと破顔する。
気付かれないように、首を僅かに振って眼睛に力を込めた音無は、立ち止まり熱心に見入る咲月の視線の先を追った。
「その簪、咲月に似合いそうだな‥‥買おうか? 誘ってくれたお礼にも」
振り返った咲月の驚喜の表情は冬月に咲いた花。“まるで返り花のようだ”と呟いた音無が彼女の髪にそれを挿してやる。
「咲月」
「何でしょう?」
繋いだ手を何故か放せなくて。
「余韻も祭りのうち。‥‥今日は遠回りして帰ろうか?」
月華に照らされた簪が一度だけ揺れた。
二人でいると温かい――今はまだ言葉にはならないこの気持ちを大切にしたいから。
●懐手
「祭りか‥‥久しぶりだな」
呟いた橘真人(ea4556)の横で橘由良は静かに微笑む。
前回の納涼夏祭は妖狐襲撃を受け、江戸の町は術も無く混乱に沈んだ。
武器を手に立ち向かった冒険者達の壮絶な闘いは、空が天が紅から鉄紺に染まるまで続き、流した多くの血を静邃に呑み込み、やがて鎮めた。
天つ空に昇る朝日は果たして須く大地を照らし、温かく人々を癒す。
傷付いても、打ちのめされても起き上がり再び歩き出す。生とは何と脆く、何と強かなのであろうか。
「今回は何事もなく平和に終わるといいな‥‥」
「そうですね、兄さんとこうして歩けるのは幸せな事です」
何よりも尊いのは知る辺の笑顔。愛しい者の息災。それが手の届く所にあるのなら、こんなに幸甚な事はない。
「杪、じゃない‥‥由良、何か欲しいものでもあるか?」
兄弟水入らずの心安さもあり、つい懐かしい響きで呼名した兄の腕に顔を寄せて、由良は目見を緩めた。
「兄さん、何買ってくれる? ‥‥ね、真人?」
悪戯な微笑み。
「‥‥遊びじゃないぞ?」
眉間(まゆあい)を詰めてみせる真人だが、きょろきょろと落ち着きが無いのは寧ろ兄の方だ。
そんな兄が可愛くて‥‥などと口に出せば、更に慌ててしまうのだろうと思い做した弟は「わかってる」とだけ言うと白くなった指で真人の袖を掴む。
「それにしても寒いね‥‥冷え性だから辛いな。息が白くなるのは好きなんだけど‥‥ほら、見て、兄さん」
立ち昇る白い息の向こうは深い色の双眸。
「なんだ、由良。冷たい手だな」
「兄さんの手、温かいね。‥‥子供みたい」
くすくすと笑いを零した由良の手を包むように握って、真人は苦笑する。
「お前にそう言われては立つ瀬がないな」
仮にも兄なのに――いや、仮じゃなく、正真正銘の兄だ。首を振った真人を覗き込んだ由良が首を傾げた。
「どうして? 俺が冷たいんだから兄さんが温かくて丁度いいでしょ」
「俺は温石じゃないぞ」
“温石より兄さんの方がいいに決まってる”
って言ったら、やっぱり真人は笑うのだろうか。
寄り添う二人の影は祭囃子に溶け込んで、通りが静かになる頃には由良の手も温かくなっているだろう。
●虎落笛
玻璃のような蒼の瞳をくるりと動かしてマコト・ヴァンフェート(ea6419)が大きく手を振る。
「桃色頭巾クン、こっち、こっち♪」
目の覚めるような桃色の頭巾を頭からすっぽり被った少年が息を切らし滑り込んできた。
「さあ、行くわよ。桃クン!」
「あァ? や‥‥ちょっ待っ‥‥」
腕をつかまれ、引き摺られる桃が滑稽にわたわたと足を運ぶ。
「あの屋台は何かしら? こっちのは? あぁ見慣れないモノが一杯でワクワクしちゃう♪ ここはやっぱり全種制覇よね」
志高く目標まで掲げて小さく拳を握る彼女の横で少年は思わず吹き出した。笑う声が墨染めの天に昇る。
「ッたく、しょーがねェな。とことん付き合ってやらァ、来いよマコト。はぐれんじゃねェぞ?」
江戸の町は俺様の庭だからな、と嘯いた桃が今度は彼女の手を取ると人込みをすり抜けて進んでゆく。
すり抜けてと言うよりは向こうから勝手に道を開いてくれる感じではあったが。
「嬉しいわ。まだまだジャパンには不慣れだもの、エスコートは願ってもないコトよ」
「べッ、別にお前の為とか‥‥そーゆーんじゃ、ぜんッぜんッこれッぽッちもねェんだからなッ」
素直に微笑まれると調子が狂う。
少年はがおぅと一吠えすると向き直り黙々と足を進めた。
一瞬目を丸めたマコトがくすくす笑うのが背中から感じられ、すぐに「失敗した‥‥」と舌打ちしたのだが。
「ッと、揉め事みてェだな。マコトはここで‥‥」
待ってろよ‥‥と言い掛けて、繋いだ手の温もりが消えたのに気付いた少年がもう一度眼前を見据えると、マコトの姿は既に騒ぎの渦の中。
「‥‥風みてェ」
まるで駆け抜ける陣風。苦笑を落とした少年もすぐに駆け寄った。
「拳で語る男の友情も良いけれど‥‥皆様への御迷惑はダメね」
笑顔を浮かべたまま足を掛け片方の男を転ばせて、そのままぐりぐりと容赦なく踏みつける。もう片方の男は桃が羽交い絞めにしている。
突如現れた救いの主達の姿に人々の口があんぐりと開く。
頭巾に褌一丁なのはこの際見なかった事にするとしても面や風車、飴細工、団子に田楽、これほど祭りを満喫している者も珍しい。
いや、だからこそ逆らっちゃいけない気がする。ぶっちゃけ怪しい、怪しすぎるのだ。男達は転げるように逃げ出した。
「一緒に過ごせて楽しかったわ。桃クンまたね?」
人も疎らになった辻でマコトが小指を差し出す。
「お前がどうしてもって言うなら‥‥仕方ねェから付き合ってやらァ」
憎まれ口しか叩けぬ少年にマコトは笑顔で手を振る。
抱えた沢山の戦利品の中、記憶に無い鼈甲の櫛を発見したら、やはり彼女は微笑むのだろうか。
●月冴ゆる
「偶にはこうしてゆっくり歩いて息抜きするのも良いでしょう?」
高槻笙(ea2751)が笑い掛けると人見梗がカクカクと首肯する。
憧れの笙と二人きり。
極度の緊張の為か、言葉が喉を通ってこない。まるで首振り人形のようになってしまい、唇を噛んで俯いた。
(「このままでは笙様に変に思われてしまいます‥‥」)
乙女は悩み多き哉。
笙は兎も角、梗の息抜きになっているかは甚だ疑問ではあるが、ずらりと並んだ屋台を回り、ぎこちないながらも会話は続く。
「お祭りは賑やかで良いですね。こんなに笑顔に溢れて‥‥」
「えっ、ええ! 本当にお日柄も良く! 皆々様におかれましても真にご健勝のようで何よりですよねっ」
真面目に返す彼女が可愛くて、気付かれないように笑いを噛み殺す。
「実は最近緑色に凝ってまして」
屋台を冷やかして歩いていると、ふいに真剣な表情で振り返った笙が掌に乗せた蛙の置物を梗の顔前に差し出した。
ケロと今にも鳴き出しそうな蛙のつぶらな眼と梗の眼がぶつかり合う。その距離僅か二寸。これは何と言うか衝撃の邂逅だ。
「‥‥っ」
梗の息が詰まる。早鐘を撞いた胸を静めて大きく呼吸をして笑顔を作った――つもりだったが梗の願いも虚しく頬はぴくりとも動かない。
「み‥‥緑はスバラシイですよね‥‥何と言いましょうか、緑ですしっ」
「そうでしょう? ほら、梗さんも」
笙が蛙を手に乗せる仕草をすると梗は慌てて手を引いた。少し涙目になっている。
少し苛め過ぎただろうか‥‥彼女の反応があまりにも素直で愛らしいものだからついつい度を過ぎてしまう。
笙が首を掻いた、その時。
「鼻の下が伸びておるぞ色男。しかし、私に誓った操は偽りだったのだな」
二人の間に雁首突っ込んで、こう宣った青年の紹介は時を少し遡る――。
祭りも宵ともなれば酔いがまわり、奇行な振る舞いをする困った輩も出てくるものだ。
が。
こちらの奇奇怪怪はそんなもんじゃあない。
其の一 黒子頭巾に小面。
其の二 黒子頭巾に般若面。
其の三 三度笠と溢れ出た毛。とにかく毛。何がなんでも毛。
小面は『農耕兄弟神、かわず君』、般若面は同じく兄の『べこ君』、毛に至っては『兄弟神を操る黒魔人』を名乗っている。
これなら祭り客に溶け込み、警固だと気付かれないだろうという彼らなりの判断のようだが‥‥んな怪しげなモンが溶け込めるかぁっ!
そんな訳で、かわず君こと白河千里(ea0012)、べこ君こと湯田鎖雷、黒魔毛(違)の郭培徳。愉快な冒険者達である。
「少々祭に溶け込みすぎたか‥‥福袋を買い過ぎた」
大荷物を抱え込みふらふらと足取りが覚束無い千里が苦笑する。だから微塵も溶け込んでないと言ってるだろうに。
「そう言えば鎖雷は後頭部の毛を馬に食われて悩んでたよな?」
ふと思い出し荷物を置いた千里が鎖雷の頭を弄る。その姿は猿の毛繕いそのものだ。
「鎖雷じゃないぞ、べこ君だ。ハゲじゃないからな?」
鎖雷が顔を上げると般若の角が千里の額を直撃。
「何ぢゃ鎖雷殿、薄毛で悩んでおるのか? どれ、わしのを巻いてやるのぢゃ。一時でも温もるぢゃろう♪」
培徳は自慢の髭を鎖雷の頭にぐるぐると巻き付けて得意顔である。そんな温もり嬉しくない。
「しかし、賑わってるな。こりゃ酒の匂いだけで酔っちまいそうだ」
酒に弱い千里は通り過ぎる人々の酒息だけで酒頬(さかつら)千鳥足。何度もよろけては培徳の胸に抱き留められる。
その度に笠の下から不敵な笑みを向けられ、ぶるっと身震いして瘴気に‥‥じゃなかった正気に戻る。
そんな折に、笙と梗を発見したのだ。
時を戻して。
「操を立てる前にあの晩共に失くしたじゃないですか」
小面の主が千里だとすぐに分かった笙が、しれっと真顔で冗談を返したからタイヘン。変態ではない。
ぴきっと再び固まる梗の横で、よよよと泣き崩れた千里が鎖雷に抱きつく。
「兄者! 捨てられた私を慰めてっ」
「何ぢゃ、千里殿。慰めて欲しいのなら、わしの濃ゆい接吻はどうぢゃ? ん? 色々忘れられようぞ」
否、それは拷問だ。しかも全てを忘れられそうで、見失いそうで怖い。
「いらねぇ! ってか止めろ、まじで!」
止めろと言われて止まるものなら世の中苦労はしない。
ぶっちゅぅぅぅ。
濃ゆい接吻で千里の息は絶え絶え。因みに、これは視覚的にも相当な打撃である。
「こうなったら道連れだ。鎖雷と笙にも接吻‥‥を‥‥たの、む‥‥」
「お安い御用ぢゃ♪」
暫く鬼気迫る本気の追いかけっこが続いた。
その後の様子は‥‥一言で表すなら地獄絵。これ以上は語れない。
町の人々の話によれば「うひょひょひょひょひょ」という声が高らかに響いていたらしい。