雪片
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■ショートシナリオ
担当:幸護
対応レベル:2〜6lv
難易度:難しい
成功報酬:1 G 87 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:12月05日〜12月11日
リプレイ公開日:2004年12月14日
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●オープニング
記憶は積もる 宛然と雪のやうに
野辺を一色(ひといろ)に染めて
他には何一つ存在しないやうに
白く 白く 白く 蝕んで
くれなゐの憶ひを底土(しはに)に をさめ
音も聴こえぬ 光も射さぬ 深きが ゆゑに
雨が凍みたら雪へと変はる
心が凍みたら如何にとなるか
さらさらと舞ふ孤独の雪よ
おまへが死んだ雨の亡骸ならば
凍へる吾の心も死んでゐるのであらう
遐き空より堕したまふ あれは清(さや)なる色などではない
失ひし空虚な色なりき 哀しみのこゑさへなき死の色なりき
晒されし野辺は俯いて たゞ風に揺れてゐる
失つたものはかへつて来ぬのだ
消えぬ想ひばかりが どうしやうもなく降りては残る
わづかも持つてゐなければ 零れるものなど無かつたのに
あはれは在りし魄か 逝きし魂か
やはらかなるものは斬れず しづかは残酷
錆びたのは劔ではなく 哭く私の心だ
涙の浪にあらはれて 錆びて朽ちた過ぎし日の
川は海へと流れ 哀しみは吾へと流るる
たゞいたづらに しらじらと雪は降つて
一つ残らず失つた吾の眼も耳朶も塞ぐ
さうして全身(こたい)を覆うのだ もはや総てが遐い
やはらかなるものは斬れず しづかは残酷――
□■
「兵ちゃんを‥‥兵衛(ひょうえ)を助けてください」
ギルドを訪れた娘はくず折れるように紡いだ。
走ってきたのだろうか、息が速く思うように言葉にならない。
「落ち着いて。話を聞くからゆっくりね」
手代が支えてやると、娘は顔を上げて眸を揺らした。黒い双眸は深い色を映して夜の水面のようだった。
「このままじゃ兵ちゃん二度と笑えなくなっちゃう‥‥お願い、助けて‥‥」
十七歳の娘の名は暁(あき)、江戸から二日程離れた村から来たのだと言う。
彼女の言う「兵衛」というのは幼馴染で十年前のある事件以来、村を出て行方知れずだったそうだ。
兵衛が生まれてすぐに父はもがさ(天然痘)に罹って亡くなり、彼は病んで言葉を失った母と兄の三人で暮らしていた。
兄は兵衛とは十も年が離れており、母や弟の面倒をよくみる働き者だった。
ところが兵衛が七つになったある日、兄は金を盗んだ疑いをかけられ捕らえられてしまったのだ。
母に買った薬が高価なものだった為、どんなに違うと言っても信じて貰えなかった。
薬を買った金は盗んだのではなく、兄が苦労して工面したものだった。
兄は盗みをはたらくような者ではないと兵衛は必死で訴え続けたが、幼き彼の言葉は聞き入れては貰えなかった。
雪の降る寒い冬だったそうだ。
母は、息子達が戻るまで家に入ろうとせず、ただただ手を合わせ祈り続けていた。
剥き出しの足が白い雪の上に紅く痛々しかったが、それはすぐに黝(あおぐろ)く色を変えた。
兄は母や弟を思い、出される粗末な食事にも手をつけず――結局、兵衛の許には母も兄も二度と戻っては来なかった。
*
「隣村の人が兵ちゃんを見たって言ったの‥‥姿はすっかり変わってしまったけど間違いないって」
目を瞑いだ暁の声は震えて喉に絡まった。
そして暁は兵衛を探したそうだ。
目の前の精悍な顔つきの青年は、無言で暁を睥睨し拒絶した。
苛烈な視線は、凍えてしまった色だ。けれど、僅かに面影の残る横顔は他の誰が違えようと暁だけは違える事は無い。
得物を佩いて、粗野な者らと共に居るこの青年が兵衛だとは信じたくなかったが、生きていてくれたのは嬉しかった。
「兵ちゃん、憎んでる‥‥恨んでる‥‥今もずっと。村を出るときに『必ず復讐してやる』って言ってた。十年経ってもきっとあの思いは変わってない。だから変わってしまったんだわ。兵ちゃんは本当はとても優しいの、笑うとねお天道様のようで、温かくて‥‥もう一度兵ちゃんに笑って欲しいから。でも、私の事は見てくれないから‥‥聞いてくれないから。お願いします。兵ちゃんを助けてください」
●リプレイ本文
世には反する二つの存在があると言う。
陽と陰。
光が射せば陰が生まれる。
誰もが等しく己の価値を持って生き、そして死にも価値を求める。
ジャパンおいては生を越えた先の、死にこそ強い想いを寄せる者が多い。
死だけは誰の許にも等しく訪れるのに“死の先”にあるものを誰も知らない。
そこに在るのは‥‥“楽土”か“奈落”か。それとも終わりなき“無”なのか。
得体の知れぬものは怖い。
ゆえに人は迷いながら求めて生きるのだ。
春の風の中を、夏の雨の中を、秋の星の中を。
そして――冬の雪の中を。
ずっとずっと前から、彼の心は真白き冬だった。
●朽野
「強き想いは人を生かす糧となる‥‥其れが譬え憎しみじゃろうと。じゃが其に囚われ続けるは哀しき事」
秀真傳(ea4128)が寂寞たる大地に沈鬱な視線を落とした。
幾つか黒土が盛り上がっただけの朽ち野辺には白い破片があちらこちらに散見している。
消え入りそうな葉風は、彼方から届く亡魂のすすり泣きのように思えた。
「兵衛さんってどんな子だったのかな?」
藤浦沙羅(ea0260)の髪がはらりと風に靡いて、暁の剣呑な眸に広がる。静かに息を吐くように少女は言の葉を織った。
「兵ちゃんは‥‥とても優しかった。笑うと八重歯が見えて、目がなくなっちゃうの」
指でグイと目尻を下げてみせて少女は笑う。笑ってみせたはずの表情は泣き顔に見えた。
「発端となった十年前の件について詳しく知りたい。訊かせて頂けるか?」
本題を切り出したのは傳だった。
村を訪れたのは彼と沙羅、そして山浦とき和(ea3809)、綾都紗雪(ea4687)、虎魔慶牙(ea7767)の五人だ。
村の最果ての土葬地に彼ら以外の人影はない。
「先代の村長がご隠居するって事で長男の金吾さんが家督を継ぐお披露目と祈祷の為に用意した、神社への奉納金が無くなったのが始まり。甚ちゃん‥‥兵ちゃんのお兄さんは間が悪かったって村の人達は言ってた」
「すると、兵衛殿の兄君の罪無きを村の人々も判っておったのじゃろうか?」
暁は俯いたまま頷いた。
木に凭れ掛かり目を閉じていた慶牙がふと空を見上げる。曇天の中を鴉が翼を広げてゆっくりと飛んでいる。
「‥‥でも、どうする事も出来なかった。誰も甚ちゃんを助けられなかったの。もし代わりに自分が連れて行かれたら‥‥」
次は己が冤罪を被るのではないかという恐怖。
とき和は碧の瞳を土塊(つちくれ)に据えた。
「無念だったろうね。十年前の事件は今でも傷痕として皆の心に残ってる‥‥違うかい?」
暁はほっそりとした貌に薄い笑みを乗せた。
「何も出来なかったのは私も同じ。傷‥‥そうかもしれない」
「大切な者を失うた哀しみ、憎しみは消えぬかもしれぬが、人の想いは不変に非ず。暁殿をはじめ村の者達が兄君を助けたかった想いも真実じゃ。凍てし雪をとかす日差しの如く、人の情が僅かずつでも兵衛殿の憎しみを薄れさせてくれたらと願うて止まぬ」
傳の伏せた目が暁へと向けられた。
青い双眸に捉えられ、暁は息を呑む。澄んだ空の色は清冽で厳しく優しい色だ。
「十年前に届けられなかった皆様の想い、今こそお届け致しましょう」
紗雪がそっと手を取ると暁は瞠目した。
「まだ間に合う‥‥かな?」
「兵衛さんの笑顔、沙羅も見てみたいです。兵衛さんのこと信じよう? 今度こそ皆で最後まで信じよう?」
「あんたの言葉が届かないんじゃ私達の言葉なんて掠りもしない。暁ってこうだろ?」
手の平に彼女の名を書き付けて、とき和は目を細めた。暁は『明か時』――『夜明け』を意味する。
「夜明け‥‥お天道様を今か今かと待つ頃合だよね。朝の来ない夜は無い‥‥兵衛の心に陽を照らすはあんたさ」
それまで腕を組み、ただ皆の話に耳を傾けていた慶牙が進み出て暁の前に立った。
「兵衛を本当の意味で助けられる奴ぁ俺達じゃねぇ、お嬢ちゃんだ。復讐だかなんだか知らねぇが、それを止めるだけでも、心を癒すだけでも駄目だ。だから、協力してくれ。兵衛を、本当の意味で助けるために。それはさ、お嬢ちゃんにしか出来ねぇんだ」
「彼の昏き心に、生を信じた暁様の希望を‥‥朝日をお届け致しましょう」
続いた紗雪の言葉。慶牙と紗雪の真摯な眼差しに暁は黙したまま、一つ頷いた。
暁の用心棒を買って出た慶牙に彼女を任せて、他の者は隣村へと急ぐ。沙羅と傳は今少し村に残って村人に話を聞きたいとの事だった。
●冬天
「復讐なんて悲しいな‥‥。だけど、もし自分が兵衛さんの立場だったら‥‥? 私も何が正しいかなんて分からない。分からないけど、暁さんの兵衛さんを思う気持ちが伝わるといいなと思うの」
武器や荷物を愛馬リンドに積んだリゼル・メイアー(ea0380)が足元に視線を落とし呟いた。
黒い土を踏みしめる度に、答えは遠くなっていくようだ。
大切なものを失った時、人はそれをどう受け止めてゆけば良いのであろうか。
強くある為の力は一体どこから奮い立たせれば良いのだろう。
「過ぎ去ってしまった時は戻す事は出来ない‥‥『時は人を変える』と皆言うけれど‥‥でも俺は人の本質はそうそう変わるものではないと信じたい。暁さんの言った兵衛さんの優しさ、彼の中の『お日様』を俺は信じたいんです」
言い差した手塚十威(ea0404)に平島仁風(ea0984)は煙管を揺らして紫煙を燻らせる。
「一つだけ間違いねぇのは復讐なんざつまんねぇってこった。先のある若ぇ者が薄汚れた血で手ぇ染めるほど馬鹿馬鹿しいこたぁねぇぜ。なんにも残りゃしねぇってのによ‥‥」
まずは兵衛の真意を確かめねぇとな。煙と共に空へと放たれた仁風の言葉にリゼルと十威が頷く。
「兵衛ねぇ‥‥蛇(くちなわ)の親分とこの若い衆じゃないかね」
小料理屋の女将が眉根を寄せる。
「松吉に聞いたらいいよ。そろそろ飲みに来るだろうさ」
真っ昼間からいいご身分なこったねぇ、と言い捨てて女将は店の準備に精を出す。
暫く待つと、いかにもゴロツキ風情の男が店に入ってきた。
浅黒い皮膚に縞の着物を着けている。
三白眼がギロリと店内を見渡し、仁風らを捉えると目を眇める。見慣れない顔だからだ。
「オメェさんにちょっくら話を聞きてぇんだが‥‥兵衛の事でな」
「んだぁ? テメェ兵衛を知ってんのか?」
仁風の口から兵衛の名が出ると松吉は胡乱な眼を向けた。
●無頼
「じゃあ、松吉さんは兵衛さんの昔の事は何も知らないのね?」
「昔のことなんざ語りたくねぇヤツばっかさ。真っ当に生きてて誰がこんな世界に足を踏み入れるもんかぃ」
喉を鳴らし酒を呷った松吉は口を拭ってリゼルに箸を向ける。
「あなたもそうですか?」
「止せやぃ。んな事聞いたって腹の足しにもなりゃしねぇ。無頼は無頼。虫けらの小便みてぇなもんだ。‥‥復讐、か‥‥前向いてするだけ小便の方がマシだな」
松吉の向けた酒を十威は丁重に断る。三白眼は肩を竦めた。
「オメェさんの意見にゃ賛成だ。俺達ゃ、ある娘に頼まれて兵衛と話がしてぇ。若ぇ者の将来が掛かってるんでよ‥‥ここは一つ、穏便に済ませてやっちゃくれねぇか?」
仁風が懐から取り出した金を突っ返すと松吉は再び酒を呷る。
「兵衛が戻って来なかったら‥‥突然訪ねて来た腕利きの奴らに斬られたってぇ事になるワケだ。俺なんかより死出の餞別に渡してやんな」
足抜けは死罪。だから、兵衛はテメェらに斬られるのさ――松吉は続ける。
「無頼なんてぇのは自慢できた稼業じゃねぇ。帰る場所のねぇもんの吹き溜まりさ。だから、もし仲間で幸せを掴む事ができるもんがいんなら、そりゃ目出度ぇじゃねぇか。帰る場所があんのはいいことだ」
リゼル、十威、仁風は深々と頭を下げて店を後にした。松吉はただ酒を呷り続けていた。
「問題は、兵衛が一人で居てくれるかどうかだな」
「それは‥‥運、かな」
「自慢じゃないですが、貧乏籤なら引く自信あるんですけどね」
うっそりと溜息を吐き出した十威に仁風とリゼルが苦笑する。
村の入り口で、とき和、紗雪、慶牙、そして暁が、少し遅れて沙羅と傳が合流した。
松吉に聞いた場所へ揃って向かう。そこに兵衛が居るはずだ。
教えられた通り、暫く歩くと荒ら屋が見えた。
「あそこだな」
慶牙が朱槍を握る手に力を込めた。
●暁光
「何の用だ?」
戸口に立った男は顎をしゃくって首を掻く。
「兵衛の面ぁ貸してもらおうか。あんた達にゃ用はねぇ」
「んだとぉ?」
男が拳を振り上げると慶牙の三度笠が地面に落ち、銀の髪が風に乱れた。
瞬間、大きく回転した朱槍の柄が男の腹に喰い込んだ。ドサッと音がして男が膝を付く。
「出来るだけ穏便に済ましてぇんだが手出しするなら眠って貰うぜ」
なんだ、なんだ、と声を張り上げて、無頼達が次々に出てくる。
「こりゃ聞きそうもねぇな‥‥しょうがねぇ。むさ苦しい野郎なんざお呼びじゃねぇんだが、そうも言ってらんねぇや。纏めて相手してやるか、いくぜ慶牙」
「ここは俺達に任せろ」
慶牙と仁風が得物を手に無頼漢達を誘き出す。
一、二‥‥十までは居ないようだ。全員を相手にしてもそれ程時間を必要とないだろう。
その隙に、仲間達は兵衛を探す。
「兵ちゃん‥‥」
暁の視線の先の若者は表情のない顔を上げた。
「厭でも何でも付き合って貰うよ」
とき和の瞳が苛烈にきらめいた。
兵衛は抵抗する素振りを見せなかった。
暁の存在と、こちらが丸腰だったのも良かったのかもしれない。
「兵ちゃん‥‥ごめん‥‥なさい。ごめんなさい‥‥」
「帰ってくれ。二度と顔を見せるなと言ったはずだ」
ぽろぽろと涙を零し「ごめんなさい」を繰り返す暁に、兵衛は背を向けたまま吐き捨てる。
「これは貴方です」
兵衛の前に回り込んだ紗雪が、手にしていた柊を差し出す。黙然と睥睨するだけの彼の手を取り、指を開いて手渡した。
「柊は疼(ひびら)き‥‥悼みを知る花、そして雪を思わせる白き花。葉棘で感じる痛みは生の証。貴方は生きているのです。どうぞ瞳を開いて、耳を傾けてください」
過去に囚われたままでいないで。紗雪の祈るような言葉は彼に届いただろうか。
「確かにお母さんとお兄さんを亡くしてしまったのは辛いよね。だけど、兵衛さんは生きてる。何よりも辛い経験をした兵衛さんは、人の命の儚さ、大切さを分かってあげられる人だと思うの」
「昔の事は忘れろなんて言わねぇよ、ただ‥‥オメェさんがぐれてみた所で、兄貴もおっ母さんも喜びゃしねぇだろうよ。オメェさんが見ようとしねぇだけで‥‥もっとさ、大切なもんがすぐ傍にあんじゃねぇのか?」
地面をじっと睨み、兵衛はリゼルと仁風の言葉を耳にしていた。
「貴方は1人じゃない! 想って泣いてくれている人がいるんですよ‥‥っ。それがどんなに幸せな事か貴方は気付いていない。一面白く他に何も見えないように思えても、上を見上げればお日様が照らしているし、下に眠っている草花達がいつかは雪を割る。いつまでも雪の真ん中に立っていないで一歩を踏み出してみて下さい」
凛とした十威の声音が兵衛の耳に突き刺さった。或いは“心に”だったかもしれない。
「私もね、両親は殺されてんだ。だから少なからず心の穴は解ってるつもりさ。そこに吹く凍った風も知ってるよ。でもね、復讐して何になる?」
何よりあんたが哀れだよ、ととき和。
「争いは争いしか生みません。遂げて晴れる復讐心など何処にもありはしないのです。失われた命は取り戻せないことを知っている貴方が、一体何を討つというのでしょうか」
ご家族を奪った者ですか。
助けられなかった己ですか。
過去の縁ですか。
「‥‥それが貴方の心に差し込む、柔らかな春の日差しなのではないのですか」
紗雪の双眸はまっすぐ兵衛を見据えた。
「全部、兵衛さんの大切なものですよね。自分自身ですよね。この十年苦しんでもがいてきたのでしょう。そろそろ自分を許してあげませんか?」
沙羅に続けて、とき和が暁の手を兵衛の手に重ねた。兵衛の身体がぴくりと揺れる。
「思いの中の狂気で溺れ死んじまいそうなあんたに伸ばす手がココにあんだよ。温かいだろう? この手は十年前の柔らかな日差しと同様あんたを迎えてくれるさ。戻っておいでよ」
「兵衛さん。そこから抜け出すのは、結局貴方自身の足でしか出来ないんです」
「オメェさんの中には兄貴もおっ母さんも生きてる。二度と笑う事ねぇまんま殺しちまうつもりか?」
十威が、そして仁風が、背中を押す。
「村の人達も当時のことを悔やみ反省しています。皆、甚助さんの事信じてました。同じように兵衛さんの事も信じてます。ね? 帰りませんか?」
沙羅の言葉の後で、暁が途切れ途切れに紡ぐ。
「兵ちゃんが‥‥一番許せないのは何も‥‥出来なかった自分自身でしょう? ‥‥それは私も村の人達も同じ。ずっと、苦しかったよね‥‥どうしてかな、人の事は許せるのに、自分を許すのは難しい‥‥ね。戻れない昨日の自分を‥‥許すのは難しいね」
「俺は、あの時の兄さんの年になれば、兄さんの気持ちが分かるかもしれないと思った。ただ、それだけの為に生きてた‥‥結局、何一つ分からないままだ」
袖口から包みを取り出したとき和がにんまりと笑う。
「そりゃそうさ。あんたはあんた、兄さんじゃないんだから。ほら、干し柿だよ♪ 墓に供えてやってくれないか? 柿は天とこの世を繋ぐって昔話があんだって♪ 復讐より供養の心を天に届けておやりよ♪」
「自分を許すのが難しいなら、暁さんは兵衛さんを、兵衛さんは暁さんを許してあげればいいと思うの。少しずつでも二人が笑えたら、きっとお母さんとお兄さんも笑うから」
リゼルの穏やかな声に兵衛の瞳は揺れた。
「村長の金吾殿は病に臥しておるようじゃな。若い時分から派手に遊んでおったようじゃが、十年前に家督を継ぐ際に通っておった女子に手切れ金を渡して捨てたとか。後ろ暗い事が多かったのじゃろうか、朝となく、昼となく酒を浴びるように飲んで、不摂生が祟ったようじゃ。天罰かもしれぬの。いや、兵衛殿には関係のない話じゃがな」
雪はいつしか融け命を育む清水となるもの――二人の分まで生きて行こうぞ。傳が微笑む。
深く頭を下げて、歩き出す二人の背中を見送って、
「さーて、んじゃ俺達は弔い酒と洒落込むかねぇ。冒険者達の手によって消えた一人の無頼漢の前途を祝して‥‥」
「弔うのか祝うのかどっちなんだ? ‥‥奢りだろうな?」
仁風と慶牙の会話に肩を竦めたとき和が「ただ飲みたいだけじゃないさ」と呟いた声は冴え冴えと天に昇った。
――どんなに凍えても、暗くても、お天道様はまた昇るから。