●リプレイ本文
夏至――、一年で最も昼間の長くなる時期。
そんな夏の或る日の事。
遅い日暮れを待ちきれず、申の刻(午後四時)には一つ、また一つと水田を舞う蛍の淡い光り。
まだ明るい空の下、白々と溶け込むその光りは眸を凝らしても脆弱で消え入りそうに儚い。
木立の下、水路の水面を覆う草影で、苔色の光りが、いま目覚めて呼吸を始めたかのように、強く弱く穏やかな周期で瞬く。
それは魂魄の息遣いに似ている。
今生の別れを惜しみ野に戯ぶ光りを風の爪弾く鳴弦の音が包み込んでいる。
薄ぼんやりの夕暮れの足取りは緩慢と――けれど宵闇は確かにそこまで来ている。
揺れる酸漿の提灯に灯が点る。
あたたかな橙はまあるいお月さんが落っこちてきたかのようだ。
「さてねぇ‥‥絶好の肴があるってのに落ち着かない事だねぇ」
酒瓶を片手にぶらぶらと歩く御堂鼎(ea2454)が一人、酒を喉へと流し込む。
肴はあるに越した事はないが、酒はどんな時だって違(たが)わず美味い。
美味くないのなら、その時は飲み手の心がうまくないのであろう。幸い、そういった意味で、これまで鼎の飲む酒が不味かった事は無い。
細い糸のような低月齢の宵月は東の空、山々の頭上に頼りなく浮かんでいる。
あれを引っ張れば闇が降りてくるんじゃないか、何故かそう思った。
彼女にそんな思考を与えたのは幻想のように揺れる酸漿や蛍の灯火だっただろうか。
酒には滅法強い彼女である。少々の飲酒(おんじゅ)で酔っている訳ではないのだが――。
見張り役の仲間からの合図を聞き逃さぬように注意深く気を配しながらも、とろりと喉を通過するどぶろく独特の酸味と甘みを愉しむ。
僅かに潤んだ漆黒の双眸は射るように空を捉えたまま。
「何でもいいけど、早く片付けちまいたいもんだね」
気怠く髪をかき上げて再び喉奥に酒を浴びせた。
仕事を前に深酒する訳にもゆかず、中途半端に舐めているだけでは鬱憤が溜まって仕方が無い。
野暮な小鬼共はサッサと片付けてゆっくり酒を愉しみたいのだ。せっかくの祭りじゃないか。
まあ、他の者に言わせれば既に十分な量を呑んでいるのではあるが。
徐昭黙深(ea3251)は祭り会場からは少し離れた大きな古木の幹に背を預けて眸を閉じていた。
昼間、降り注ぐ陽射しに焼き付けられた地べたの小石を撫でた風が生温(ぬる)く彼の足を這う。
揺れる葉音に合わせ白の髪が柔らかに泳ぎ、その度に草田の匂いが鼻腔をくすぐる。
鎮もるその姿は寝ているようにも瞑想しているようにも窺える。
今はただ、こうして黙然と坐して時の訪れるのを待っているのだ。
足音も無く静かに迫る夜を前に、熱も動も全てを内へと押し止めたまま。
鬼魄を秘めて深沈と鞘に納められた刀身の如く、蒼の殺気はちらりと覗かせる事もなく綺麗さっぱり袈裟で抱き隠して。
ようやく日の暮れかかった頃、八幡伊佐治(ea2614)と九十九嵐童(ea3220)が村人に頼んでおいた篝火が数箇所、村の外れに用意された。
鈍色から深まった闇にパチパチと燃える炎と共に夏虫と蛙が時を惜しむ様に焦熱の声を響かせる。
小鬼の被害のせいで、例年のそれよりは村外から訪れる人は少ないとの事だが、それでも会場は賑やかな声に包まれた。
「さて、それじゃ俺はあっちを見張ろう」
篝火により視界確保を果たした嵐童は昨年、小鬼達がやってきたのとは逆の方向へと足を進める。
小柄で身軽である事もあって器用に壁を登り、民家の屋根へと上がる。冴える月に近付いて地上よりはほんの少し涼しく感じた。
外套を纏った身体は黙っていてもじっとりと汗ばみ、首元の汗を拭う。
墨色の空間に並ぶいくつもの提灯を見下ろして腕組みをすると精悍な面差しを更に引き締めた。
祭り会場からは酒も入り一層高くなる笑い声や、時折、手拍子に歌なども聞こえてくる。
(「随分お気楽なことだ」)
溜息を漏らしたが、言うなればそれだけ冒険者達が信頼されているという事になろう。
伊佐治は会場に残り、その場で警護を開始したが‥‥年若い娘ばかりに目を向けているのは気のせいであろうか。
この日ばかりは、村の娘達も華やかな衣装に身を包み、白粉を香らせ紅を引いて真に咲(え)まいた花のよう。
その様子に表情を緩めて、ついでに鼻の下も伸ばし放題に伸ばして見守る生臭坊主は、それでも一応、見張りの仲間にも意識を向けている‥‥はず。多分、それなりに。
村の中央、祭り会場に居る伊佐治の位置からは、三方に別れ監視している仲間からの合図があれば隔てなく駆けつけられる。
こうして村娘を眺め、目の保養も出来るし伊佐治にとっては絶好の待機場所であった。
どちらかと言えば、村娘の方が優先されている気がしてしまうのは、この上なく締まりのない表情のせいであろう。
何だか、どうしようもない。
魅意亞伽徒(ea3164)は嵐童とは反対側、昨年小鬼達が現れたという山からの細道を、やはり同じく民家の屋根に登って監視していた。
夜目は効く方だ。
風に耳を澄ませて碧の双眸を凛と向ける。
(「あれは‥‥」)
小さな黒い影が幾つかもっそりと近付いてくるのが見えて息を呑んだ伽徒は身を強張らせた。
(「壱、弐‥‥参‥‥」)
急く心を何とか落ち着かせて、小さな影を数え胸元から横笛を取り出すと仲間への合図を送る。
ひゅーひゅーひゅーひゅーひゅー
雅な笛の音は緊迫の韻を孕み、風に運ばれて夜に細く広がった。
「来たよっ」
張り上げた伽徒の声も逸れる事無く僅かに遅れて頭上から降る。
闇の中、うっそりと立つ小さな黒い影は五つ、醜悪な臭気を放っている。獣のような荒い息遣いが耳につき、伽徒は嫌忌に眉根を寄せた。
遠く篝火の明かりは射すが、薄弱な月明かりの下では目前の形を捉えるのがやっと。
屋根から下りて抜いた忍者刀を手に小鬼らと対峙する。
現実の緊張感が雑念の霞をすっかり取り払う。
「大事な祭りの邪魔はさせないわ」
睨み据えた眸を一瞬見開き、切っ先を下げて恫喝するが、光る十の邪眼にじりっと後ずさった。
小鬼相手とは言え、多勢に無勢ではかなり心許無い。
「はんッ! 雁首揃えてご登場とは気が利いてるねぇ。あんた達に渡してやる酒なんか一滴もないんだよ。てっとり早く片付けてやるから掛かってきなよ」
合図を聞き、駆けつけた鼎が前へ出た。
彼女にとっては祭り云々よりも矢張り酒である。
伊佐治、黙深、嵐童も駆けつけ、小鬼の前に立ちはだかる。
嵐童の手にした松明に照らし出された小鬼達は童(わっぱ)のような細く小さな体格で萎びた褐色の肌、ギロリと剥いた目は虚ろに光り、キイキイと叫び声を上げている。
伊佐治が鼎の身体に触れ、グットラックを唱えると彼の身体は白く淡い光に包まれ、鼎に祝福を与えた。
接触して祝福を与える術ではあるのだが、尻に触ったのが拙かった。しっかり蹴りをお見舞いされたのは、致し方ないであろう。
黙深は六角棒を手にスマッシュを、嵐童は手裏剣を放ち、鼎と伽徒はそれぞれ日本刀と忍者刀で攻撃を仕掛ける。
小鬼らの金切り声と呻き声が交互に上がっては降り、次第にそれらの声は数を減らす。
打ち合う鉄の音が甲高く、しじまの空を劈く。
噴き上がる鮮血は闇を濡らし、どろりと地を覆った。
首を刺し貫かれ大地に叩き付けられた小鬼の傷口からとめどなく流れる血は、張りのない皮膚を黒く呑み込んで闇へと同化する。
仲間を三体欠いた小鬼らは高く後方へと跳躍すると一目散に逃げ出した。
小鬼は姑息でずる賢いが、非常に臆病である。
無防備で無抵抗な者を集団で甚振り強奪を繰り返すが、勝てない相手に向かっていく度胸などはない。
「これで、もうこの村が襲われる事はないだろう」
杖をトンと突いた伊佐治は横たわる亡骸に手を合わせ、軽く頭を垂れた。
「さぁ、これで何の気兼ねもなく呑めるってもんだよ」
役目を終えて祭り会場へと戻ってきた冒険者達の前に沢山の料理と酒が並ぶ。一際瞳を輝かせているのは鼎だ。
村中を舞う蛍はどんどん数を増してゆく。何処に目をやっても蛍、蛍、蛍――。
数万匹の蛍で埋め尽くされた田が妖しいまでの緑に光っている。
まるで雪の如く、煙る如く、風に流れゆらめく星の欠片達。
長い長い夕暮れを越えて訪れた、美しい宵の闇に冒険者達は目を細めた。
「お前様方のお陰で今年は無事に祭りが出来たんだ。さぁ、さぁ、遠慮なくやっとくれ」
「勿論、遠慮なんかするもんか。朝まで呑んでやるからジャンジャン持ってきてくれよ。あー、仕事の後の酒はまた格別だねぇ」
喉を鳴らし酒を呷る鼎の横では伽徒が微笑みながら出された料理を頬張り、嵐童と黙深も遅くなった夕餉に箸を進めていた。
一人足りない‥‥生臭坊主こと伊佐治は空腹も酒も何のその。手当たり次第村娘に声を掛けている、が――。
ドカッ!
「はしたないねぇ。がっつくんじゃないよ。あんたのせいで冒険者の人格が疑われちまうだろ?」
鼎の投げた酒瓶(もちろん空)が脳天に見事命中☆
暫くは夢の中で娘達と祭りを楽しむ羽目になったようだ。それはそれで楽しい‥‥だろう。うん。
少なくとも娘達にとっては平和になったのは間違いなく。
年に一度の蛍祭りの夜は静かに流れていく‥‥わきゃあない。
村中の酒を呑み尽くす勢いの鼎に村人は青褪め、また、酔った黙深が突然暴れ出し、意識を戻した伊佐治は懲りる事無く女の尻を追いかける。
人格が疑われるも何も、もうばっちり、すっかり手遅れだ。
それでも、楽しい祭りの夜は更けて朝まで賑やかな声は尽きる事無く、朝日が昇る頃には死屍累々。
――まるで全て幻であったかのように。
冒険者達は幸せそうに眠る人々を起こさぬよう静かに旅立っていった。