●リプレイ本文
「‥‥逃げて良い?」
倉梯葵(ea7125)、二十二歳。大切な義妹を遠く江戸に残し、単身上洛して一月と少し。
怪談には時期尚早ではあるが、鳳夜来(ea2727)、郭培徳(ea7666)両人から身の毛も弥立つ話を聞いてかなり本気で吐露した初夏の某日。
残念ながら、時既に遅し。
出立前から色濃い疲労を滲ませる冒険者とは裏腹に空は爽やかに晴れ渡っている。
「お一人で京へいらしたのでしょうか? 心細い旅路‥‥ではなかった様子、愉快で頼もしい天女殿ですね」
「愉快と言うか大した行動力と言うか‥‥」
穏やかに眉尻を下げて笑んだ結城冴(eb1838)に続けた葵は言葉を濁し黙り込む。それ以上言ってしまうのは危険だと判断したようだ。
人は一度口に出せば、曖昧なものが“確信”やら“自覚”やらはっきりとした姿を形成してしまう。それは避けた方が良さそうだった。今回だけは特に。
「江戸から降って湧いた災難‥‥ではなく、天女殿のお供が仕事とは、味気ない魑魅魍魎の相手より随分と楽しそうではないか」
久々に退屈しないで済みそうだよ――久世沙紅良(eb1861)は日和見の感で艶やかに笑む。
どうでも良いが比べるのが魑魅魍魎な辺り如何であろうか。系統としては似通ってるけど。
「聞いた所によると昨今の京は不穏なようだな。確かに、何やら南から澱んだ気配が流れ来るようだ‥‥が、現段階ではそこな娘の所為も九割を占めるに違いない。此度は見目の良い男が揃っている。皆、気をつけられよ‥‥彼奴は手強いぞ」
夜来が鬼気迫る表情で告げ、ごくりと喉を鳴らす。血の気を失い青白くなってゆく貌が悲哀を漂わせている。
「えへへ〜僕も京都見物は初めてだからわくわくしちゃうな〜♪」
状況が呑み込めていないのか、はたまた我関せずなのか、無邪気にはしゃぐ神楽出流(eb1780)只一人を除いて彼等は色んな意味で覚悟を決めた。
物語はここから始まる―
「出たな、妄想免許皆伝娘っ! 今度こそ負けはしない」
遊を視認するなり夜来は腰を落とし半身の構えを取った。
体の中心を左におき、右手足を引く。相手に対し半身だけを与えて攻撃をかわしやすくする武道の構えである。
眼前の少女に対し並々ならぬ警戒心を抱いている証拠と言えるが、その時点で既に負け戦っぽい――。
「夜来?! どうして京に? ‥‥分かったわ、遊を追って来たのね!」
「違う! 私に下った通り名を払拭する為、小娘を倒す為にジャパンの技を磨き私は京都へやってきたのだ」
因みに夜来が磨いたジャパンの技というのは面白がった仲間に教えられた出鱈目な『踊り食い』だったりするからまったくもって無意味だ。
「遊を落とす為‥‥夜来ったら大胆なんだから。遊に会う為にわざわざ京都までだなんて‥‥きゃv」
「落とす? ‥‥倒すとは違うのか‥‥同じなのか‥‥」
首を捻る夜来の未来には極彩色の暗雲がたちこめている事を否定出来ないのは愉快な‥‥いや、悲しいお知らせである。
異国人ゆえにジャパン語に不慣れである事が災いしているとも言えるが、ジャパン語に精通していようが結果は変わらない。
何せ相手が“天女”である以上、我々下界の者とは思考から違うのであろう。
「とにかく、遊殿を追って来た訳ではない。結果的にそうなのだが‥‥小娘が好きで来た訳じゃないぞ、本当だ!」
「夜来ったら照れ屋さんね。運命のあの日、遊を抱き締め感極まって震えていた腕、愛しく見詰めた潤んだ瞳、愛を叫んだ言葉‥‥今でも覚えてるわ」
「いつ私が小娘を抱っ‥‥羽交い絞めにしたのは小娘だろう!」
半年程前、遊言う所の『運命のあの日』――それは夜来にとって恐怖以外の何物でもない消し去りたい過去である。
妄想娘の餌食となり捕らえられた夜来は、恐怖に震え、男泣きし、耐え切れず絶叫した。
‥‥妄想娘の思い出とはほんの少し(?)ズレがあるけれども。真実はそれぞれの胸の中に。
「お久しぶりぢゃ♪ 遊殿、元気でおったか? その後、好い男はおったかの?」
目を細め(普段から糸のようではあるが)自慢の髭を撫でる培徳に遊は首を傾げた。
「あなたも遊を知ってるの?」
一度見(まみ)えれば瞼の裏と言わず脳裏に焼きついて消えぬだろう“華麗なるひげもじゃ”なんて異名を持つ老翁に彼女が気付かぬのも無理はない。
二人が出会った時、培徳は(無謀にも)女装していた。
通常の者であれば逆に忘れられない記憶、或いは心的外傷とも成り得る衝撃であるが天女の瞳には“無”として捉えられていたようである。さすがツワモノ。
「今日はほれ、眉目好い男衆が揃うたことぢゃし選り取りみどりで楽しみぢゃろ?」
うひょひょひょ、と笑う培徳は心底楽しそうである。悪戯好きの爺さんとしても楽しい一日になりそうだ。
「折角の京見物だもの楽しく過ごしたいわ。確かに夜来は遊をとても愛してるけど‥‥まだ遊は誰のものでもないもの。だからって遊を取り合って喧嘩しちゃ駄目よ?」
「「「‥‥‥‥」」」
流石の冒険者達も返す言葉が見付からなかったらしい。皆はただ静かに夜来の肩を叩いた。
「‥‥夜来君、どうやら今日は(も?)君にとって厄日になりそうだね。身固の呪文でも‥‥ふむ、既につかれて(漢字はご自由に)いるんだったね。手遅れかな? 気休めにお札でも貼っておくかい?」
沙紅良が胸元から取り出した『家内安全』の札が僅かでも夜来の心を軽くすれば良いのだが‥‥飽く迄も家内安全だし。
「遊殿は上洛したばかりとの話しだが、何処ぞに見物の宛てはお有りかな? 有るならば同行致すし、無ければ此処に居る者全員で遊殿の可憐さに似合いの順路を御案内するが」
「まぁ! 雪路ってば正直な人ねv 皆が可憐な遊を何処に連れて行ってくれるのか楽しみだわ」
(「己で可憐と言うか」)
苦笑を落とした津上雪路(eb1605)は思案顔で仲間へと視線を投げた。
実は“彼女”である雪路の、ついと眉宇を詰めた貌に精悍さが増す。引き締まったしなやかな筋肉に程好く焼けた肌が孟夏に眩しい。
「例えば簪やら反物やらそれを使った飾り物‥‥年頃の娘の興味を惹きそうなものと言えばそんなとこか」
「わしはやはり道場をお勧めぢゃ。老いも若きも汗水流し、鍛錬する姿は如何ぢゃね?」
「僕は甘味屋に行きたいな〜♪ 葛きり、善哉、蕨餅〜甘いものって美味しいよね〜☆」
「神社では花も見頃でしょう。今ですと藤、山吹、牡丹‥‥辺りでしょうか? 色鮮やかな花は目だけでなく心も楽しませてくれるでしょう」
葵、培徳、出流、冴が次々と提案すると、長い髪を後ろで纏め、志士風の衣装に身を包んだ御厨雪乃(eb1529)が頷く。
男装をして雪之丞と名乗った彼女は、男性とすれば肩の線や手の指先が華奢であるが持ち前の長身のお陰でそれ程違和感があるでもなく、中性的な美丈夫といった所だ。
「そうだべ‥‥ですね。ここは彼女の希望を叶えるのが一番です。さあ姫御前、何なりとご希望を」
「折角遊の為に考えてくれたんだもの。皆に案内をお任せするわ」
慣れぬ言葉に気を使いながら恭しく頭を垂れた雪乃の前で遊はにこりと笑んだ。
そんな訳で妄想様御一行の出陣である。
「御御足も汚れますし大切な御身です。貴方様を歩かせるのは大変心苦しい。姫御前、わし‥‥私の愚馬で申し訳ありませんが乗って頂けませんか?」
「雪之丞ってば優しいのね。でも遊、馬なんて怖いわ‥‥雪之丞が手を引いてくれれば大丈夫、皆と一緒に歩くわv」
恭しく畏まって述べた雪之丞こと雪乃の申し出を断った遊は彼女の手を取った。
馬に乗せる事は出来なかったが、雪乃の真意は遊に勝手な行動を取らせないよう身を拘束する事であったから結果的には同じようなもの。
(「虎や狼に目ぇつけられっと後々面倒だべ」)
雪乃が懸念するのも無理はない。京に来たばかりの遊が、もし新撰組や黒虎部隊に遭遇しいつもの調子で‥‥考えるだに恐ろしい。
「ねぇ雪之丞。あなたの髪とても長いのね?」
「あぁ、これですか。これは‥‥」
手を引かれ歩きながら遊が問うと、足を止めた雪乃が真剣な表情になる。
「これは願掛けをしているのです‥‥運命のヒトに出会う為に」
「雪之丞‥‥」
「そろそろ切るべきかもしれませんが」
「遊に出会ってしまったからなのね。雪之丞の気持ちはよく分かったわ。だけど遊を愛してくれてる人達の事を思うと‥‥まだ答えは出せないの」
熱い眼差しで語り、最後に微笑んだ雪乃の手を握り返した遊が首を振る。運命の相手が遊だなどとは誰も言ってないのではあるが――。
(「ご、剛の者だ」)
二人の会話を聞き、心の内で仲間は雪乃の勇気に拍手を送っていた。決して真似は出来ない。したいとも思わないけど。
「まぁ‥‥短い間だが『兄』と思って宜しく頼むな」
遊の背後から声を掛けた葵は『兄』の部分を最大限に強調する。
無駄だと知りながらも尚先手を打たない訳にはゆかぬ切なさが胸に込み上げる。
「兄? ‥‥葵はそういう設定が好きなのね!」
「設定とは何だ? いや、振り返らなくて良い。前を向いててくれ」
振り返り見詰めてくる遊から視線を逸らし、首筋に汗を流す。いわゆる冷たい汗だ。
こんなに緊張した仕事は初めてじゃないだろうか。今までとは違う意味でだけど。
「だから〜、葵ってばお兄さんが妹を愛してしまう禁断の設定が好きなんでしょう? いいわ、遊が妹役ねv」
「違っ‥‥!」
「お兄ちゃん♪ ‥‥それともお兄さま?」
いつの間にか横に並び腕を絡めてきた遊を払うように後ろへ飛び退いた葵は荒い息で肩を揺らす。
「設定などではない。心底兄のような気持ちだ誤解するな。妹は大切だがそのような感情はないぞ?」
「ふふっ、迫真〜♪ 葵ってば演技派なのね。秘められた愛ってどきどきしちゃうわ」
まったく通じやしねぇ。
(「これも仕事仕事仕事仕事仕事仕事‥‥」)
葵は時間が経つにつれ、遊との距離を徐々に広げつつ心の中で念仏のように唱え続ける。
「お兄ちゃん、遊を守ってねv」
「振り返るな、前だけ見てろ。後ろはしっかり『兄貴』が守ってるから安心して見物に専念してくれ。寧ろ『兄』の俺の事など全て忘れて‥‥いや、本気で」
祈るような葵の一縷の望みも虚しく、ちゃっかりこってり憑かれたようですが。
「この時期の京は、里桜に山吹、藤に咲き初めの牡丹と御社も艶やかなものだよ。キミの傍では花も翳んでしまうかもしれないがね」
色んな意味で――と最後の言葉は胸におさめて沙紅良が笑む。
「ほらご覧、ここは藤が美しいので有名だがキミと並んでしまっては藤も可哀想だね」
「沙紅良ってば花より遊の方が綺麗だなんて」
「‥‥花も美しいのは同じだけど、キミの魅力にはかなわないよ。(違う意味で)飽きないしね。ほら、藤波もキミの前では恥らって揺れているよ、キミは本当に罪なお人だね」
「沙紅良、あなたはそんなにまで遊を想ってくれてるのね!」
揺れる藤の花房の下、遊の妄想も花開く。
「きっと、藤を見るたびに沙紅良を思い出すわ。だって藤は遊と沙紅良の愛の思い出ですもの」
いつの間にそんな事になったのだろう。
「沙紅良っ」
「おやおや‥‥天女は情熱的なんだね」
遊にひしっと抱きつかれた沙紅良は別段気にした様子もなく微笑む。彼にとっては犬とぶつかったくらいの感覚なのであろう。
余裕の沙紅良を置き去りにしたまま遊の妄想は遥か彼方へと突き進んでいるのだが。
「お次は簪や根付など遊殿に似合いの物を探しましょう。私で宜しければ一緒に選んで差し上げますね」
冴の深い蒼銀色の瞳に映った遊は小首を傾げる。
「冴が選んでくれるの? ‥‥その簪を挿してる時はいつも一緒ってことね! 遊を独占したい‥‥そうなのね?」
「え? そういう方向にいくのですね‥‥えぇ、そうなのでしょうか。多分‥‥なるほど」
冴は何やら感心している様子だ。
「何でも似合うというのは却って無個性、貴方だけの色や形を見つけましょうね。この山吹の簪など如何でしょうか? とてもよくお似合いですよ」
「あら、とっても可愛いわ。冴が選んでくれたんだもの、それにするわ。これでいつも一緒ねv」
こうして冴もまた、疲れたり憑かれたりしたのである(合掌)
「次は絶対、甘いもの食べたい〜♪」
物珍しげにきょろきょろと京見物を楽しんでいた出流が往来でぴょこんと飛び跳ねた。
「‥‥そうだな、遊殿も歩き疲れただろうし休憩するとしようか」
雪路が仲間をぐるりと見渡すと疲労を滲ませているのは主に男性陣であった。
「京都ってとっても楽しいわねv 明日も明後日もまだまだ見る所は沢山ありそうね」
一人どこまでも元気な遊を前にして冒険者達は一層疲労を募らせる。
憑かれて疲れた。
そんな珍道中は数日続いた――。