【乱の影】草莽の途
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■ショートシナリオ
担当:幸護
対応レベル:6〜10lv
難易度:やや難
成功報酬:2 G 73 C
参加人数:8人
サポート参加人数:4人
冒険期間:11月23日〜11月26日
リプレイ公開日:2006年12月01日
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●オープニング
板間を吹き抜ける風が張り詰めた糸の如き鋭さを孕み、日ノ本を色取る布帛に闇色が勝つ竜潜月も半ば。
ちろちろと核なして燻ぶり続けていた不穏の気が、其のむくつけき身を晒し都に熾火を放たんとしていた。
京洛の稲敷、長閑に広がる泥濘の地・壬生村は元来けそりと閑寂な趣なのだが――さても喧しく成りしは何時からか。
問うまでもなく――
*
冷えた廊下をしずしずと足袋を滑らす音だけが移動してゆく。
寒さからか、それが常であるのかは判らぬが、擦れ音を立てる主は大きな風呂敷包みを抱えて背を丸めている。
髷を小銀杏に結い上げた、一見して商人である件の男の姿を視認した新撰組十番隊組長・原田左之助は口端を引き上げ、どたどたと豪快な足音を伴ってその背を追った。
「そりゃあ副長への届けもんか?」
「おや、原田センセ。へぇ、左様で。‥‥相変わらず鼻が利かはりますなぁ」
背後から降った声に振り返り、目見を緩めた男が一層背を丸める。
「で、そりゃあ“上等な品”なんだろうな?」
雁首を差し入れて声音低く問う。
「うっとこでも先度仕入れたばかりの、そらもう極上のお品どす」
「よし。一つ俺も拝ませて貰おうじゃねぇか」
眸子輝かせた左之助の足音が先を急く様に奥へと促す。
「原田センセにはかなんなぁ」
肩を竦めた男は、ちらり視線だけを前庭の先の門へと向け息を吐く。
「‥‥新撰組も難儀どすなぁ。せつろしいさかい、せんぐりせんぐり新しお仲間が増えたはるようで」
訪れる度に門番の足止めを食うのだとの嘆きを聞く間に目的の室前に至った二人が歩を止める。
「副長、客人だ」
部屋主の返事を待たずカラリと障子を打ち開き、これまた主の了承無きままに踏み入った左之助は、風呂敷包みを抱えた男が入室したのを確認すると後ろ手に障子を閉めた。
乾いた木の音が凛と漂う空気を揺らす。
「でも、その方が動き易いんじゃねぇか?」
お前ぇら監察方には――
新撰組の諜報部隊である監察方の目は、時には新撰組内部にも向けられる。
柔和に細めた両眼の奥底に鋭き光りを宿した商人――新撰組観察方の男は丸めた背をすっと伸ばし嘆息を漏らした。
「ほんま、原田センセにはかなんなぁ」
*
「木屋町三条上ルの‥‥丹虎ですかぁ」
部屋のぐるりに視線を渡らせてから新撰組十番隊伍長並・森寅吉は声を潜めた。
「あぁ、報告によると頻繁に長州のヤツらが出入りしてるらしい。中には十津川や土佐のモンも居やがるってぇ話だ。まぁ浪人者も多いようだが」
この有事の最中、まさか雁首揃えて日々酒宴という訳でもあるまい。
「踏み込むですか?」
「‥‥ちんたらやってる時間もなさそうだしな。善からぬ謀をしてやがるのはまず間違いねぇだろ」
――其処此処でちょろちょろと鼠みてぇに動きやがって
吐き棄てる左之助の横で伍長・片山九良太は頤を一撫でし虚空を睨んだ。
●リプレイ本文
京を這う不穏の気は、赤朽葉を戦がせる野分の風が気温を下げても尚、じりじりと底土(しはに)を焦がし続ける。
おぼおぼしく揺れる草莽は、凍てる季節を前に何をぞ想うか――
●途筋
「長州に土佐‥‥ますます混戦模様ね」
「藩邸も近い。迂闊に動けば厄介な事になるな」
柳眉を寄せたエリーヌ・フレイア(ea7950)の傍らで木賊崔軌(ea0592)は座前に広げた地図に剣呑帯びる視線を縫い止めている。
胸中まで量れたものでは無いが、連座する者一様に表情は険しい。春からこちら、都の惨状を思えばそれも道理である。
「十津川のモンも出入りしてるって話じゃねぇか。まだ他藩のモンも噛んでるかもしんねぇぜ」
「藩と揉めるのは不味いよ」
褐色の肌を晒し胡坐む竜造寺大樹(ea9659)とまながった月風影一が眉宇を下げて呟くのに異論のある者は居ない。
「‥‥‥‥組長の首が飛ぶだけでは済まぬだろう」
仏頂尊の面相崩さず、重低音発した白峰虎太郎(ea9771)は再び口を噤み瞑目する。
“事は慎重の上にも慎重を要する”――改めて心胆に刻むとしぜん沈黙が重く垂れ込めた。
「藩士にゃおいそれと手出し出来ねぇ‥‥が、天下に弓引くモンはただの叛賊だろ?」
群雲吹き飛ばす如く、剛力怪僧こと大樹。尻尾さえ掴んでしまえば経はこちらに有る――と口端を引き上げる。
「えっとー、だからまずは情報収集するですねー?」
頑是無いかんばせに笑みを載せる堀田小鉄は、半身を乗り出して「僕は白峰のおじさんの代わりに頑張るですー」ニシシと白い歯を覗かせた。
(「二本差しの勢力争いになんざ興味も無えが。大義の為なら町のモン泣かせても構わね、なんつう巫女戯た理屈は気に喰わねえし‥‥聞き飽きた」)
天を見上げた崔軌が深碧の双眸を眇める。震の方角を染めた天照は、その身をじりじり天頂へと遷徙させていた。
「十番隊は屯所で待機だ。探査の報告を受け次第、直ちに出動する。頼んだぞ」
●探察
丹虎を離れとする四国屋に宿泊客として潜入せしめたマコト・ヴァンフェート(ea6419)は、着慣れぬ衣装に多少の難儀を感じながらも細々に目を光らせた。
(「奥に広いケド、門口も玄関も狭いのね。二人擦れ違うのがやっとかしら? それも刀差してたら無理っぽいデス。逃走を防ぐには好都合だケド」)
部屋で少しばかりの荷を解いていると、下回りの娘が茶を運んできた。
江戸から上洛したがこの騒動で足止めされているのだと尤もらしく愚痴れば、娘は沈痛な面持ちでつらつらと語りだす。奉公に出ているのであろう、御国訛りが雑じるが決して耳障りなものではない。
「春先からずっとなんで御座いますよう。その所為だかお武家さまのお泊りも多く、店としては助かってますが‥‥ほら先日、壬生狼の大捕り物が御座いましたでしょう? 池田屋はここから目と鼻の先ですから、アタシもう怖くって」
一面にぶちまけられた血汁や肉片を思い出したのか、娘はぶるりと身を震わせた。
「アタシは読み書きも出来ませんし、難しい事はわからないですけど、お馴染みさんにもう二度と会えないと思うと辛いですよう」
「お馴染みさん?」
「‥‥あっ! な、何でもないんですよう。それじゃ失礼しますね」
慌てて部屋を辞す娘を見届けて、マコトは頤に指を宛てた。
池田屋で斬られた者の中には四国屋の常連も居た――という事になる。
*
日の本では目を惹く異国の種族である香辰沙(ea6967)は、離れた辻から四国屋を眺めていた。
この付近には幾つかの藩邸が控えている。長州、土佐は元より、今はその動向が掴めぬものの、長州の支藩である岩国の藩邸もすぐ傍である。
出入りの行商と行き会えば何か話も聞けるかもしれぬとあたりを付けてみたが、刻々と時が過ぎるばかりで、辰沙はその足を土佐藩邸に向けた。
(「もし頻繁に人が動いてはったら‥‥怪しゅうおすよなぁ?」)
と、ぼんやり思考巡らす辰沙を追い越してゆく男が三人。何れも二本差しの武家である。大股に足を繰り、風を切って先を急いている。
擦れ違いざまにそっと目をやれば、酷く眼光が鋭い。先頭をとる壮年の男は、色が白く整った面立ちながら顎が張っていて頑強な印象を受けた。
男達が土佐藩邸に入ってゆくのを確認した後、手拭いを用意した辰沙は四国屋へと引き返した。
「‥‥すんまへん。先程、顎の張ったお武家はんがこれを落としていかはったんやけど、うちの足では追いつかれへんかったんどす。こちらのお客さんと違いますやろか?」
「それやったら武市先生どすな。うっとこで渡しておきますさかい、おおきに」
*
一方。
他とは異なった角度から探りを入れる大樹が、喧騒の中に腰を据えているのは賭場である。
「さあ、張った、張った!」
「丁っ」
「半!」
素っ堅気とはとうてい言えぬ荒くれ者共が一喜一憂の声を上げる。
その景色にすっかり溶け込んで、大樹は少なからず増やした木札を盤上に積む。元々の性分であるが、思い切りが良い。
どうせ勝ち逃げはさせて貰えぬだろう――まあ、こんなものは端っから儲からないように出来ているものだ。
「ちょいと仕事を探してんだが、何か旨い話はねぇか? 腕にはそれなりに自信があんだ」
昨今どうもキナ臭ぇじゃねぇか、と水を向けると隣りの博徒がにやりと笑った。
「長州はたんまり武器を集めてるって話だぜ。腕が立つってんなら旦那もあたってみたらどうだい」
「へぇ、そらまた物騒だな。戦でもおっ始めようってんじゃねぇだろうな」
大樹はぎらり眼を煌かせた。
*
狩ったばかりの獲物を手に四国屋を訪れた小鉄は売り込みに成功し、厨へとまわった。
慣れた手付きで獣を捌く板元ににこにこと笑みを向ける。
「ちょうどお客さんが居て、よかったですー」
「あぁ、出入りが多くて仕入れたもんじゃ足りなくなる事もあるんだ。助かったよ」
「今日もお客さん多いですかー?」
「まぁね、贔屓にして貰えるのは有難い事さ」
「おーい、酒二十本つけてくれ! 離れまで頼むぞ」
奥から叫ぶ声が聞こえ、板元は「はい、すぐお持ちします」と腰を曲げると下回りの女を呼んだ。
「ほんとに忙しいですねー」
小鉄は声を掛けつつ――二十本――と胸で呟いた。
□■
<四国屋・丹虎>
「落ち着いとうせ。焦ってはならんちや。まんだ時期尚早じゃち言うちょるんじゃいか」
背筋を真っ直ぐ伸ばした男の、平素は穏やかな双眸に稲光が走る。その堅強な語気と眼光に、寸時怯みはしたものの、血気盛んな若者が顔を赤らめ立ち上がった。
「そんたら事言うても、はあ兵も挙げ、皆戦っちょる。ワシらに同志を見殺しにせいお言やるかっ!」
「節義を以って天下を動かし、一死を以って正道皇恩に報い、百戦の危難を受くる覚悟あらずば神州土崩の患を防ぐに足らん――ちゅう久坂さんのお言やる通りやないですろうか!」
「中岡先生は命が惜しゅうなったんじゃ! 長州を放たり投げる気ぃなんじゃ!」
悲痛とも言える叫びに、中岡と呼ばれた男は腕を組み、静かに瞑目している。
「辻しゃん、山北しゃん、落ち着きなっせ。そるから、宇部しゃんそら失言ですたい」
「‥‥失言でした。この通りお詫びします。‥‥そうじゃけんど、中岡先生は一体どげに考えちょるんかいのう?! 聞かせてつかぁされ」
丁重に頭を下げ、再び座した多血漢が必死の面相で躙り寄る。
「オイは命惜しんで言うがやないぜよ。正義と勤皇の実は当方に有る。維新回天は為す‥‥為さねばならんちや。その為には戦も避けられん。いんや、寧ろ戦一字に尽きるち思っちゅう。けんど、今はまだ雌伏の時期じゃき。直ちの攻戦は下策じゃち言っちゅう。急いては事を仕損じる――理解らんかや」
「先生が言わっせるのも尤もだがや。あんば良うまわし(準備)せな全部ワヤんなってまうがな。まっとよぅかんこう(考え工夫する事)せな戦も上手くいかんがね」
「どようしな弱気じゃのう。そがぁにぬるい事言っちょって事が為せますかいのう。はあワシは、がちまん(我慢)ならん、何もせんわぁやら乾坤一擲(けんこんいってき)は得やらんけぇのう」
或いは酔っているのか、若者は右に並べて置いてあった大小を引っ掴むと跳ね上がった。彼を見上げる格好のまま、中岡はただ強い眼で制する。
「ちっくと話を聞いとうせ。今、戦を起こせば長州は国賊になるきに。維新回天をなんちゃやない謀反にしてええがか? 方策もないまま兵を挙げるは、あやかしい事じゃと言っちゅう。大義貫徹の前に滅びて何の蹶起かや」
――おまんらが奮起したんは民の為やろうが。たんだ戦に巻き込んで世が変わらんでは苦しみが増すだけじゃいか。
「ばってん、軍略は詭道と言いますばい。不倶戴天の敵は断固成敗じゃ。乾坤一擲に賭す我等に逡巡も論判も無用ですたい」
「んだ、んだ! 『座して時を空費するなかれ』えっかだ喋っでらったのは中岡先生でねぇが」
「犬死にはいかんちや! たんだ口論判しちょったらええとは言っちょらんきに。鼠が獅子を倒すには方策も準備も要る。そうじゃいか?」
「武市先生はどないお考えかお聞かせくんない」
「先生は先程藩邸にお戻りになったでござる。田中氏と那須氏もご一緒じゃ」
嗷々、熱を持って交わされる議論は一向定まらず、尚も気血は増すばかり。
と、一人の男が三味線を爪弾いた。
海ゆかば水漬く屍
山ゆかば草蒸す屍
大君の辺にこそ死なめ
長閑(のど)には死なじ
座する者みな静かに耳を傾ける中、
「酒じゃ酒じゃ! ‥‥何じゃ、こいでは足りんな」
叫んだ男は空になった銚子を振り振りそのまま部屋を出ていった。
*
その様子を窺っていた者――崔軌、エリーヌ、影一の三名。
(「維新回天‥‥」)
崔軌の眉間には深い皺が刻まれ、隙を窺い脱出したエリーヌと影一は帰路を急いた。
その多くは藩を離れた浪人のようだが、御国言葉を聞く限り、西に東に広く集っているようである。
「何かが動き出しているのは確かね」
●奔流
翌日、暮れ五つを過ぎた頃。夜陰に紛れて足音が響く。
月光に淡く浮かぶ隊服の背に染め抜かれた『誠』の文字を見詰め、隊士達に――九良太に背負われた志が、期せずして自身の名と同じである事をマコトは一人嬉しく思っていた。
角まで来ると、足を止めた左之助が振り返る。
「それぞれ持ち場につけ。表はオレと寅、それから大樹とマコトだ。裏は九良と崔軌、そんで虎太の旦那。十番隊は周囲を固め状況に応じて動け――いいな?」
屋根の上には鴉に変じた辰沙やエリーヌが待機している。
「白峰さん、お約束の呼子笛です。鳴らして頂けば隊士が駆けつけますよぅ」
「‥‥‥‥忝い」
「大事が控えてんだ、逃げる方も形振り構っちゃいられねぇだろ」
前日の調査や呼吸探査で、敵は二十人前後と知れている。決して少なくはない上に、崔軌の懸念する通りであろう。
熾烈を極める闘いになる事は明らかだった。
ダン、ダン、ダン
激しく戸を打ち叩いて、店の者が僅かに覗いたところを強引に押し入る。
弾き飛ばされた店主がぱくぱくと鯉の如く口を開けるのを鬼の形相で睨めつけて、刀を抜いた左之助が叫んだ。
「新撰組だっ」
そのまま一気に離れへと駆ける。寅吉とマコトもそれに続いた。
途中、大樹は中庭で足を止め、ここで逃げ出してくる者を待つ事にして陣取った。建物内では大薙刀を揮うのは無理である。
「新撰組だ! 大人しく縛につくなら良し。手向かいするなら斬り捨てるッ」
障子を蹴り飛ばして一喝。
「な、なに! 新撰組?!」
俄かにざわめく浪士達が血相を変えたと同時――
フッ
部屋の灯りが吹き消された。
暗闇にどたどたと足音が乱れ、剣戟の音が響く。膳や皿が倒れる音も、また襖や障子を薙ぎ倒す音もあちこちで上がる。
「逃がしまセン」
マコトの掌から稲光が放たれる。「ぎゃあ!」と声を上げて転がり落ちた浪士の喉笛を寅吉の切っ先が突いた。
雨のような音を立てて黒く血飛沫が降り注ぐ。
「竜造寺様、そのお人逃がさんといておくれやすっ」
辰沙の声に振り返った大樹は、三体目の屍を放り投げると血溜りに塗れた足を半歩開いて上段に構えた。
月光を反射して刀身がきらりと輝く。
「おんしの名は?」
問いかけてくる声に、じりりと右足を退いた大樹の口元が思わず緩む。
――こいつぁ強い。
「なに、大した名じゃねぇが‥‥竜造寺大樹だ。あんたの名は?」
「中岡慎太郎じゃ」
「‥‥悪いがここで斬られる訳にはいかんぜよ」
大樹が薙刀を振り下ろすよりも一拍早く、黒い影が胴元目掛けて飛び込んだ。
裂帛の音と同時、ドゥと崩折れた大樹の横を中岡が走り去る。
「竜造寺様、大事おへんか」
「チッ」
ピ――――ッ
裏口で呼子笛が鳴った。
虎太郎放つ衝撃波が次々と浪士を払う。
同じく、エリーヌや崔軌の罠も功を奏し、足止めをした上で十番隊隊士によって捕縛された。
ただ幾人かは捕縛する前に自ら腹を斬ったが――。
ある程度の捕縛を済ませ、隊士の半数は建物内部へと入って行った。
*
東の空が白む頃。
凄惨な室内を見回したエリーヌは幾通かの文を発見した。血塗れて文字の判別が出来ぬものもあるが、少なからず情報は得られよう。
「何らかの物証になれば良いけれど‥‥」
これはこのまま原田さんに渡しましょ――呟いて、廊下にマコトの姿を視認する。
「マコトさん、どうしたの?」
屈むマコトの視線の先に、若い女の骸。
「昨日お話を聞いた娘さんデス」
「巻き込まれてしまったのね‥‥他にも巻き込まれた人がいるかもしれないわね」
何しろ周囲は墨染めの闇だった。
今更悔やんでも遅いけれど、居た堪れない思いは残る。
まだ、闘いは終わっていない――否、今始ったのかもしれぬ。