●リプレイ本文
●お猫さま?!
草木も眠る丑三つ時――。
近頃人気の猫回しの野師が住まっているという荒屋に忍び込む影が一つ。
山浦とき和(ea3809)その人である。
一定に続く寝息に紛れて抜き足、差し足、忍び足。
ちりん。
ちりんちりん。
かすかな鈴の音が闇に遠く沈殿して――徐々にありありと耳に残る。
包み込む鉄紺の夜気に身を翻した野師は気配に気付き褥の中で虚ろに瞼を開いた。
『ぶみゃぁ〜』
(猫‥‥?)
夢か現か、ぼんやりと頭の芯に響いてきた声に耳を傾けた。
濁声のそれは、赤子の泣き声に似た猫の盛りともどこなく違い、怖気立つものだった。
『私を家に返しておくれぇぇ‥‥早く家に帰りたい‥‥』
「ひっ?!」
ざらざらと手触りの荒い声が夜風を捲る。
低く垂れ込めてきたその声を聞き、がたがたと震えた野師は己の体躯を抱き締め息を殺す。
(そんなはずはない‥‥これは夢だ‥‥そうだ‥‥)
一方、野師の荒屋を抜けたとき和は声色を使って渇いた喉を気にしながらも役目を終えてほぅと息を吐いた。
首に付けた二つの鈴が蒼白の月光の下、凛とした音を奏でる。
「少しは効いたかしら‥‥ね。あぁ〜嫌だ、もう空が白みかけてるじゃないの。夜更かしはお肌の天敵よ! 肌荒れしたらあの野師ただじゃ置かないわよ。早く戻って寝なくっちゃ」
乙女は仕事に美容に大忙し。
だから多少の言い掛かりや強引さは見逃すべきなのだ。‥‥多分。
●少女と猫
「おてんとさまのおぼしめし〜♪」
青く晴れた空を仰いだジュディス・ティラナ(ea4475)がぴょんと軽く跳ねた。
盛夏の明るい日差しは彼女の黒の髪を一層艶やかに輝かせる。
「おてんきがいいといいことがありそうだよね!」
くるりと振り返って俯く少女に声を掛けて手を取る。
「あたしといっしょにころくちゃんをたすけましょ!」
濡れて不安げな双眸を向ける少女に「だいじょうぶっ!」と笑みを送って繋いだ手を空に振り上げる。
空に翳した二人の小さな手が太陽に届いて揺れる。
「おてんとさまはぜんぶみてるから、よいこの“みかた”なのよ」
ジュディスの言葉に前髪を揃えた少女も小さく頷いて微笑んだ。
「おなまえはなんていうの?」
「‥‥朝子」
辻売りの並ぶ道筋に紐で繋がれた猫達の姿。
幾分やつれた面持ちの野師が芸の準備をしている。
「あれですね?」
角の建物の陰から様子を窺った橘由良(ea1883)が朝子に確認する。
「うん。小六もいるわ‥‥ほら、あそこの黒い斑点模様の‥‥」
朝子の指差す先には丸まって眠る白い猫。確かに大きな肢体に六つ、黒の斑点がある。
ぶっくりとよく太った貫禄のある‥‥ちょいと有り過ぎる様な風体だ。
五貫くらいはありそうである。これで軽やかに縄を飛ぶというのなら確かに見てみたいかも。
「小六‥‥大きいですね」
「昔は小さかったの‥‥でも少し痩せちゃったみたい」
由良の問いに答えた朝子の言葉に『あれでっ?』と皆は心の中で驚愕した。
「まったく。こんな小さな女の子の猫を盗るなんて許せないですね。どうせ他の猫達も先々で攫ってきたんでしょう」
振袖に鮮やかな紅色の外套を纏った山田菊之助(ea3187)が拳を握った。
小六が実際に痩せたかどうかは兎も角――飼い主と引き離すとは横暴である。
「二度とそんな事をやる気がおきないように、よぅく言い聞かせませんとね‥‥」
「これ‥‥暑くないです?」
「え?」
ぱたぱたと羽根を動かしたアイリス・フリーワークス(ea0908)が菊之助の外套を引っ張って瞳をぱちくり瞬いた。
いきり立った所で水を入れられ、菊之助はぐったりとうな垂れた。
「ねぇ、おじさん」
耳元に小さな高い声が届いて作業の手を止めた野師が視線を上げた。
「っと、なんだいおチビちゃん?」
十寸よりは少し大きい程の羽根妖精のアイリスが目の前で羽ばたくのをちらと見やると再び作業を開始した。
「私も猫さん飼ってみたいんだけど、なかなか見つからないですよ〜。おじさんは、こんなにたくさんの猫さん、どこで見つけたですか?」
「おチビちゃんが猫を? そりゃいいや! どっちが飼われるんだか、あはは」
「笑わなくたっていいじゃない‥‥抱いてあげられないけどシフールが猫さん飼っちゃいけないなんて決まりはないですよ」
ぷぅと頬を膨らませたアイリスに「ごめん、ごめん」と頭を掻いた野師がふと視線を空へと向けた。
「探したって見付からないものは見付からないさ‥‥」
「?」
野師の言葉の真意を掴めずに首を傾げたアイリスはその場を後にした。
「あのおじさん‥‥悪い人って感じしなかったです」
皆の待つ場所へ戻ったアイリスの話を聞いて、暫し考え込む冒険者達。
「まずは俺が説得してみて良いでしょうか? 平和的に解決できるに越した事はないのでお話してみたいです」
「そりゃ出来るならそれが一番だろうが‥‥痒ィ」
山崎剱紅狼(ea0585)は懐に忍ばせた手でぼりぼりと胸元を掻き毟りながら由良を見下ろした。
続いて顎の下、首の裏、頭と掻き手繰る。
件の野師に絡む為に早朝から野良猫と戯れ、狙い通りに蚤を貰ってきたようだ。
身の丈も高く、筋肉質の男が爽やかな朝っぱらに猫と戯れる姿は事情を知らない者から見れば怪奇であったろう。
実際にキッチリ譲り受けてくる辺り、何と言うか良くも悪くも真っ直ぐな人柄のようだ。
「終わったらすぐにお風呂に入った方がいいですよ」
穏やかに眸を細めた由良が苦笑した。
実際は剱紅狼の方が幾分か年若いのだが、生来の童顔が物を言って由良の方が五、六は若年に見える。
●野師と猫
「‥‥商売の邪魔なんでねお引取り願えますかね」
小六は少女の猫であるから返して欲しいと切り出した由良の話を聞くなり野師は表情を硬くして視線を背けたまま作業を続けている。
取り付く島のない様子に溜息を漏らした由良は穏やかな表情のまま続けた。
「あなたの猫だと仰るなら証明しては如何でしょう? 胸を痛める少女を放っておけません。あなたの猫だと分かれば彼女も納得するでしょう」
「馬鹿言うな。商売の邪魔だと言ってるだろう。もう帰ってくれ」
やはり頑なに聞く耳を持たない。
「‥‥それでは最後に一つだけ。あなたは猫が好きですか?」
「‥‥‥‥帰れ」
由良の問いに身体の動きを止めた野師はすぐに我に返ったように言い放つと地べたに視線を落とした。
「‥‥お邪魔しました」
背を向けた野師に丁寧に頭を下げた由良は黒い土を踏みしめて一歩一歩戻りながら思案に沈んでいた。何かが引っ掛かるような‥‥。
どちらにせよ説得には応じないというのだけは動きようの無い事実であった。
無言で首を竦めてみせた由良に頷くと剱紅狼とファラ・ルシェイメア(ea4112)が辻の真ん中を歩いてゆく。
同時に冒険者達は散り散りに持ち場へと向かった。
「痒ィ‥‥猫に蚤がいンじゃねぇのか?」
見物客の最前列。ぼりぼりと首を掻いた剱紅狼が赤く発疹の出来た腕を野師の前へ差し出した。
「何を言うんだ。俺は猫達とずっと一緒にいるが蚤なんて‥‥」
「へェ、んじゃこれは何だよ。赤くなってんじゃねぇか。管理がなってないンじゃねぇのか?」
「もし野良猫を拾ったのなら最初から蚤がいたのかもしれないよ。猫蚤は人には寄生しないから刺されなかったのは貴方の運が良かったんじゃないかな?」
「なっ! そんな訳はない! こいつらはちゃんとした屋敷から‥‥ぐっ」
「屋敷? ‥‥その話、興味深いね。もっと聞きたいかな」
咄嗟に口を噤んだ野師の顔を覗きこんだファラが青の双眸に鋭い光を宿す。
「ねえ旦那、そこの猫‥‥先月突然居なくなったうちの玉三郎にそっくりなんだけどさ‥‥よく見せちゃくれませんかしら? 能の中将のように色男だろう?」
とき和が視線を流し、野師の胸元を白い指でツンと突付く。
中将みたく色男な猫ってどんなだ。
「な、何が玉三郎だ。いい加減な事言いやがって!」
「玉三郎だって帰りたいって言ってるよ」
『私を家に帰しておくれぇぇ』
「ひぃっ!」
声色を使ったとき和に昨晩の事を思い出した野師がその場で腰を抜かし尻餅をついた。
その頃――。
行き交う人や見物人に紛れ、栄神望霄(ea0912)が道の裏側から猫達に近付いていた。
着物の搾り水玉は撫子色で、暁に開いた朝顔のよう。前に結んだ青茅の帯が涼しげに揺れている。
剱紅狼やファラと問答している野師はこちらの様子にはまったく気付いていない。
これ幸いと鰹節で猫達の気を引き、大人しくさせて袖に一匹づつ入れていく。
「これ以上君たちもここにいるのはいやでしょ? 俺たちと一緒に帰ろうね」
菊之助も残りの猫を懐に抱える。夏の盛りのこの時期、アイリスが疑問に思ったように外套は暑かったが、猫を運ぶには役立ったようだ。
問題は小六。とうてい袖に入る大きさじゃないし幼い童よりも重そうだ。
「小六ゴーだよ! 朝子ちゃんが待ってるですよ〜」
「ぶみぃ」
ひらりとアイリスが背に乗ると小六は『朝子』の名を聞き止めたのか耳をピクピクと動かしてもっそりと立ち上がった。
野師に詰め寄る剱紅狼とファラととき和の三人に、猫を取り戻した望霄らが合図を送った。
「終わったみたいね」
「んぢゃ、そゆことで」
そそくさと去ろうとする彼らに野師の言葉が聞こえた。
「‥‥じゃないか」
「は?」
「どうせ、いつかいなくなっちまうじゃないか」
「どういうコトだ?」
足を止めた剱紅狼は暑苦しそうに首筋を掻いて聞き返した。
●哭く猫
「それじゃ、あなたには芸をしながらずっと共に旅をしていた猫が居たんですね?」
「あぁ。雨に打たれて路頭で鳴いてるのを拾って十年以上ずっと食うも寝るも一緒の相棒だった」
望霄の言葉に頷いた野師が拳を地に打ちつけた。
「前触れもなく消えちまって以来、俺を一人きりにして二度と戻ってこなかったんだ」
「あなた、それを裏切られたと思ったんですか?」
「ねぇ‥‥十年以上と言ったわね? その猫ちゃんも本当は旦那ともっと居たかったと思うわよ」
望霄ととき和が野師の肩を叩いて静かに声を掛ける。
「猫はね決して誰にも最期を見せずに逝くものなのよ。あなたを置いて行ってしまったわけじゃないわ。でももう一緒に行く力が無かったのね‥‥」
「にゃんこちゃんみんな、おじさんのことすきみたいだよ。それは、おじさんがにゃんこちゃんをすきだからだよね」
とき和に続いてジュディスが猫を指差してみせた。
毛艶も良く、手入れされた猫達が「にゃー」とこちらを見ている。
朝子の足元に擦り寄って尻尾を絡ませ「ぶみゃぁ〜」と鳴いた小六もでぷっと座って野師を見ていた。
「猫は俺達より短命でずっと一緒には過ごせませんが、せめて最期の時までは飼い主と共にいさせてやりたいじゃないですか。‥‥あなたとその相棒のようにね」
「申し訳ない事をしました」
涙ながらに地に伏した野師に近寄ってしゃがみ込んだ朝子がおずおずと口を開いた。
「小父さん‥‥あのね、小六が赤子(やや)を産んだら小父さんに貰って欲しいの。きっと小六も喜ぶと思うの」
「本当かい? 俺は嬢ちゃんを悲しませてしまったのにいいのか? ありがとう、ありがとう‥‥」
「「「小六、雌ッ?!!!!」」」
ちょっぴり感動的な場面も冒険者達は違う部分に気を取られてしまっていたのは秘密。
「さて、それではあなたの相棒の冥福を祈りましょう。これでも本職でしてね」
数珠を手にした望霄の清涼で澄んだ声が高天原に昇ってゆく。
「あとはのこりのにゃんこちゃんのおうちをさがすの。おてんとさんにきいてみるね!」
金貨を手の平に乗せて天へと翳したジュディスの身体が蜜柑色の淡い光に包まれた。
「にゃんこちゃんたちのおうち、ちかくみたいだよ」
「それでは飼い主を探す張り紙を作って、もう一仕事しましょうか」
由良が言うと冒険者達は頷いて早速作業に取り掛かった。
「姉さま、兄さま、本当にありがとう。小六が戻ってきて嬉しい。小六がたくさん赤子(やや)を産んだら貰ってくれる?」
「小六には恋猫がいるの?」
「ううん。まだ、これから探すの」
(「もう少し痩せた方がいいんじゃないですかねぇ」)
「ぶみゃぁ」
ひっそりと呟いた言葉に気付いたのかどうか、小六が朝子の足元でふくふくと丸まり満足げに濁声を上げた。
朝子に甘える小六の姿を見て、冒険者達は顔を見合わせ微笑んだ。早く他の猫達も飼い主の元に戻れる事を祈って――。