●リプレイ本文
●秋の昼つ方
「七夕‥‥。織女様と牽牛様が年に一度だけ会える日‥‥ロマンチックだね♪」
「ろ、まんちっ‥‥くぅ?」
リゼル・メイアー(ea0380)の言葉に首を傾げた霧生壱加(ea4063)が大きな瞳をしばたたかせた。
「えーっと‥‥とっても素敵ってことだよ」
「アタシもそう思う! だからバーンとお祝いしなきゃだよね」
「でも本当は‥‥好きなら毎日会いたいのじゃないかな?」
ぽつりと呟いたリゼルの言葉は誰に向けられたものでも無かったのだが、
「だよね、だよね! お祭りは毎日でもいいと思うよっ!」
色気よりは食い気と言うのか‥‥妙齢の娘らしく恋物語に心ときめかせはするものの、やはりまだ、たおやかな情緒よりは賑やかな雰囲気に惹かれてしまう壱加の少々ずれた同意を得てしまったようだ。
「とにかく、七夕を楽しむんだからお掃除くらいは手伝ったっていいよね♪」
「そぉだよね! アタシも手伝うよー。見てるだけより参加した方が面白いってね」
悪戯っぽく笑った壱加に、深く澄んだ鶯色の目見(まみ)を緩めたリゼルも頷いて返した。
つまりはアレだ。面白そうなものには何にでも首を突っ込まなくては気が済まないと言ったところか。
若い乙女達にかかってしまえば、掃除ですらまるで楽しい遊びになってしまう。
それはそれ、箸が転げても何とやらのお年頃。楽しむ為の種は自ら探し求めなくても其処彼処(そこかしこ)に転がっているらしい。
「ふふっ、ありがと。すっごく助かっちゃう!」
盆を胸元に抱えたお孝が彼女たちの会話に声をたてて笑う。人好きのする懐っこい笑顔だ。
「実は、江戸へ参りましてまだ日も浅く、今年の七夕は一人祭ることかと思っておりましたので、私にとっても非常に嬉しい頼みです」
湯飲みに両の手を添えた松浦誉(ea5908)が手元に視線を落として柔らかに微笑んだ。
「お声をかけて頂き有難うございます。精一杯お手伝いさせて頂きますね」
「あら、お祭りに一人なんて淋しいわ。そんなの絶対淋しいわ。‥‥ホントに丁度良かった! お武家様、そんな時はいつでもうちの店に来てね。これからご贔屓にしてくださいな」
「ええ、こちらこそ」
穏やかな蒼の双眸を向けて口尻をそっと上げた誉に、お孝も栗梅色の瞳を細めた。笑むと頬にえくぼが浮かぶのが印象的だ。
「今日はお店も早目に閉めて、おごっつぉう用意するから、うんとお腹空かせておいてね♪」
腹を軽く叩いてみせた所で客に呼ばれ、慌てて返事を返すとちらりと舌を出して肩を竦める。
「井戸はこの裏にあるわ。硯も出してあるからよろしくね」
言い残して足早に仕事へと戻っていった。
●井戸浚いと硯洗い
『ふむ。我は井戸浚いを致そう。腕力には自信がある』
「彼女‥‥ルミリアさんは井戸浚いをしてくれるって」
真っ先に名乗り出たのはルミリア・ザナックス(ea5298)だったが、彼女の言葉を皆に伝えたのは通訳を頼まれたリゼルだった。
フランク王国出身のルミリアは現在のところ母国語しか話せない。
少々不便であるが、同じゲルマン語を公用語とするノルマン王国出身のリゼルがこの場に居合わせたのは幸運であった。
「私も井戸ですね。女性ばかりに力仕事をさせてしまってはジャパン男児の名折れですから」
「‥‥確かに重労働だが俺も男だしな。井戸にまわろう」
男性陣二人――誉と神山明人(ea5209)も同じく井戸浚いを志願した。男性はこの二人だけだ。
ここで「硯の方を‥‥」とは思っていても言えないではあろうが彼らにはもとより、そんな気はない。
「じゃじゃーん! 小桃も井戸を洗うよ! 準備だってバッチリだよ!」
ぴょんと飛び跳ねた柊小桃(ea3511)の姿に一部の者は絶句してしまったのだが、小桃本人は意に介さず。
他の者が目を丸くしてしまったのは無理もない。小さく愛らしい少女が褌にサラシという姿だったのだ。いやはや何とも。
「井戸浚いだからね、着物も汚れちゃうし‥‥いいんじゃない? それに似合ってるしさ♪」
あっけらかんと放った山浦とき和(ea3809)に頭を撫でられ、見上げた小桃が、えへへ、と嬉しそうに笑う。
「うーん‥‥アタシも井戸浚い手伝おっかな」
最後に名乗り出たのは瞳を輝かせている壱加。これは恐らく好奇心。
「それでは残りの私達は硯洗いですね。心を込めてお清め致しましょう」
綾都紗雪(ea4687)は外出前に自身も身体を洗い、禊を済ませて来たのだと言う。
漆糸のような髪が光を受けて艶やかに流れている。
「まずは井戸側を外しましょう」
井戸側とは井筒とも言い、井戸の周囲を石や木などで囲んだ部分の事だ。まずはそこを取り外し、大きな桶で水を汲み出さなくてはならない。
誉と明人が中心になり作業は順調に進んだ。
バッシャーンッ!!
「ぁ‥‥。あれぇ? やっぱりちょぉっと非力なアタシには無理みた‥‥い?」
汲み上げる途中で桶を落とした壱加が笑顔のまま数歩後退りして「ごめんなさぁいっ!」言い終えるが早いか脱兎の如く逃げた。
その身のこなしは軽やかで、こんな時は彼女が忍者である事を思い出す。そう、こんな時ばかりは。
何しろ普段からまったく忍んじゃないので。
そんなこんなで作業は順調に‥‥かどうかは兎も角、進んでいるようだ。
事前にリゼルから井戸浚いの簡単な流れを聞いていたルミリアも支障なくこなしていた。
複雑な仕事ではないので身振り手振りで伝わるのも良かった。体力があり、器用でもある彼女の働きぶりは作業を随分捗らせた。
「粗方汲み出せましたね。では、井戸の中へ下りましょうか」
「体格的に、柊殿と松浦殿‥‥か」
明人が太い縄を用意しながら小桃と誉に視線をやった。女性ではあるが、七尺を優に超す体格のルミリアでは井戸には下りるのは困難だ。
「私も一緒ですので危険な事はありませんからね」
「うん。小桃がんばるよ!」
水中に下りたら井戸の内側を洗い、底に落ちている落ち葉や塵を拾って桶に入れ、それを引っ張り上げて貰う。その作業の繰り返しだ。
「わ〜るいひとも〜ごろつきも〜名刀「紫苑」で真っ二つ、真っ二つ!! 悪は魔法でお仕置きしちゃお〜瞬殺、瞬殺!」
上機嫌で口遊む小桃の歌声が反響して広がる。
因みにこの歌は小桃の自作で、『掃除の歌』の二番らしい。いや、確かに『掃除』ではあるが‥‥。ってか、一番が気になるってもんだ。
『こう天気が良くては暑いな』
地上で縄を引き上げているルミリアと明人の額には大粒の汗が滲んでいた。
一方、硯洗い。
「知識向上、知識向上、知識向上‥‥」
ぶつぶつと唱えながら硯と筆を洗っているのは、とき和姐さん。表情は真剣そのものだが「水分補給♪」と称して喉に流し込んでいるのは酒である。
「だって、秋ったってまだまだ暑いじゃないの」
からからと笑って手をひらひらと泳がせ‥‥って、既に酔ってません? 清めの酒って事で‥‥まぁ、いっか。
「万物何れの存在にも魂は宿っております。日頃の感謝と労いの想いを込めて美しく磨きましょう」
「なるほど。綺麗にするのは気持ちいいよね♪」
「そうですね、同時にこちらの心も洗われるのだと思います」
「ありがとうって思いながら‥‥きれいに‥‥だよね」
紗雪に硯の洗い方を教わるリゼルが神妙に頷いて口を引き結ぶと硯に視線を落とす。
「うっわぁぁぁ! っと、っと!!」
その横では硯を落しそうになってわたわたと踊っていた壱加が、危機一髪で硯を受けてほっと息を吐いた。
「っぶなかったよー」
ガシャガシャガシャーン!!
「‥‥‥‥ぁ、やばっ。ごめんなさぁい」
足元に積みあがった硯の山を見事に破壊した彼女は、ばつの悪い表情で頬を掻いた。
●褌と青いお目々の着せ替え人形?
「硯洗いは終わりました。こちらは如何でしょうか?」
「こっちも終了だ」
作業を終えて、井戸浚いの様子を窺いに来た紗雪ととき和に明人が答えた。
「後は戸板を乗せて、お神酒と塩を供えたらお仕舞いです」
井戸から上がり、下帯一枚の誉が手拭いで身体を拭って絞る。
「おや、水も滴るいい男ってね♪」
「お疲れ様でした」
大仰に頷いてからかうとき和と、その横で深く頭を下げた紗雪に首に手拭いをかけた誉は笑んで返す。
「すごーい。こんなにきれいにしてくれて有難う!」
店の手隙に顔を出したお孝が両手を打ち鳴らし高い声を上げた。
「あ。そうだわ。松浦‥‥さん、でしたよね? 濡れたままではいけないわ。お父っつぁんので良ければ今出してくるから」
暫くして戻ってきたお孝の手にしていたものは――。
「褌、ですか‥‥」
「一度も使ってない新品よ。どうぞ貰ってやって♪」
「はぁ‥‥。それでは遠慮なく‥‥」
まさか下帯を若い娘から貰うとは予想外の出来事であったが、頬を染めて差し出されたものを無下に断れず、誉は首を掻いて苦笑した。
「次は笹飾りでしょうか」
「そ・の・前に! ルミリアちゃ〜ん、ちょっと♪」
名を呼ばれ、手招きされたルミリアがきょとんと瞳を瞬かせた。
「まさか、その格好のままってんじゃないでしょ? お祭りは着飾らなきゃね♪」
訳が分からないまま、とき和に強引に手を引かれて少々面を喰らっているようだ。
「さあさ、兜は取って!」
『ち、ちと待て?! いや、‥‥我はあまり瞳を出すのは‥‥苦手な‥‥っ?! ぬ、のはぁ〜! な、何を‥‥っ』
故郷で青の瞳の色が人々の奇異に晒された事から、彼女は未だに意識して瞳を隠すようにしている。
「大丈夫だよ〜♪」
兜を取られ、ひたすら焦るルミリアが視線を送り助けを求めるが、リゼルはにこにこと手を振るだけ。
「へぇ、綺麗な目してるね。こんなに透き通ってるなんてさ。ルミリアちゃんの目にはどんな濁ったものも澄んで映るだろうね」
『‥‥な、何だ?! そんな見るな‥‥』
とき和に覗き込まれて、思わず俯いたルミリアの耳に大音声が響いた。
「あ〜っ! なんか楽しそうなことやってる! アタシも混ぜて〜♪」
忍ばない・忍ぼう・忍びます・忍ぶ・忍ぶとき・忍べば・忍べ! これぞ忍び五段活用。って頼む、忍んでくれ‥‥お騒がせくノ一の壱加だ。
こうなってしまっては尚更、ルミリアの着せ替え人形決定というものだ。
『ああぁぁぁぁぁ〜っ!!』
悲痛な叫びがこだました。
●星待ち宵に歌詠めば
「墨は芋葉の朝露で磨るのが習し。出かけ前に集めて参りましたので皆様お使い下さい」
「私も用意して参りました。‥‥勿論、里芋畑の主には許しを得ましたよ?」
紗雪と誉が竹水筒を差し出した。
七夕の日は里芋の葉の水を集めて墨を磨り、梶の葉裏や短冊に詩歌などを綴って手習いの上達を願うのである。
並んで真剣な表情で墨を磨る皆の姿にくすりと笑みをこぼした紗雪が黄昏ゆく天を仰いだ。
「今宵は星も美しいでしょうね」
「皆さんどうぞ♪」
持参していた誉以外の者にお孝が筆記用具を渡した。
「しこたま飲め飲め、飲んだら乗るな! うはは〜何に乗るって言うのさ♪」
並べられた料理に舌鼓を打ち、程よく酒の酔いがまわったとき和は、ばさっと景気良く裾を割り、片足を卓に乗せてご機嫌だ。
両手では足りず、胸元にも酒瓶を忍ばせて(注・沢山詰められるのは内緒)親父に熱視線を送っている。
「あと二十年早く出会いたかったわ〜」
それじゃアンタ二歳だよ。
黒地に桔梗と満月の描かれた浴衣姿に着替えたルミリアが剣舞を披露すれば、大きな大きな拍手。
その後も、歌あり、踊りありの楽しい時間が過ぎてゆく。
「小桃負けないよ!」
「アタシだって負けないかんね!」
何故か腕まくりをして火花を散らしているのは小桃と壱加。
大きな桶に素麺を入れてぐるぐるかき混ぜて“流し素麺”を楽しんでいるようだ。
「あっ! ずるーい! それ小桃が先に掴んだんだよ!」
「へっへっへっ。いっただきまーす♪」
楽しんで‥‥いるのだ。
そんな二人の背後から皆の様子を嬉しそうに見守っていた紗雪の横笛の音が響いた。
静かな旋律には優しい想いが満ちていて心地よく溶けてゆく。
「織女さんと牽牛さん、もう会えたかな?」
素麺を頬張りながら星空を見上げた壱加の呟きに、それまで賑やかだった仲間も震えるように瞬く星の敷き詰められた天を眺めた。
「そうですね『天の川 扇の風に霧晴れて 空澄み渡る かささぎの橋』‥‥今頃は鵲の橋を渡り久々の逢瀬を楽しんでいることでしょう」
「やっと会えたんだから、お話する事もいっぱいあるだろうね」
誉の言葉に壱加の顔が綻び、リゼルの瞳も輝いた。
とき和の心に先日出会った姉弟の面影が浮かぶ。
(「離れちゃならない二つの魂‥‥その形は様々さね‥‥」)
「差し向かう 心の葉 滔ゞ 天の河」
とき和の詠んだ歌に、笛の音を止めた紗雪が「美しい歌ですね」と笑顔を向けた。
「人の温かい想いに限りはないのでしょう。私には誰かを救う大きな力はないですが、せめて、心優しい方達がこれ以上傷つかないように、出会う全ての人々が幸福であるように願って止みません」
紗雪の心にもまた、先日の悲しき娘の姿が浮かんだのかもしれない。
「焦らず少しずつゆっくりと、共に歩んで行きましょう‥‥『天の川 祈り浮かべし 梶の船 君手に掬ふ 甘露の清水』貴方の掬う水が心潤す雫となりますように」
「小桃もいっぱいお願い事書いたよ! えっとね‥‥『強い剣士になれますように!』『いっぱいお友達できますように!』『異国の服が欲しい』‥‥それからそれから」
書いた短冊を並べてみせて笑う小桃に「随分、欲張りだな」と苦笑した明人が隣に座っていたお孝の肩を抱き寄せる。
「俺は‥‥彼女、だな」
「はれ? らにぃ(何)?」
とりあえず今日のところは、ってのは心の中だけで。
当のお孝はかなり酔っていて、何もわかっちゃいないが。
『私は、『お母さんが何時までも元気でいてくれますように‥‥』 かな。ルミリアさんは、何て書いたの?』
リゼルが覗き込むとリルミアの頬に赤味が差して視線を逸らす。
『む、おかしいか? ‥‥我とてこういう夜は夢ぐらいみたくなるのだ』
『ううん。全然おかしくないよ。きっとすぐに叶うと思うよ♪』
にこにこと微笑むリゼルに見詰められ、リルミアは更に赤面した。
「異国の言葉で読めないねぇ。なんて書いてあんの?」
「えっと、『いつか素晴らしい恋人に巡り会えますように』だよ」
「ちょっと! 順序でいったら私の方が先だからね。譲ってくれたっていいじゃないのさ〜」
急に暴れ出したとき和に、皆の笑い声が響いて、天上の恋人達の夜は更けてゆく。
――愛しい人々の毎日が輝くものでありますよう
願いは多くの人々の祈りとなって高天原に昇り、闇夜を導く光となるだろう。