●リプレイ本文
●炎夏の朝嵐
夜半(よわ)から降り出した霧雨は朝にはすっかり上がり、淡青色の朝顔の小さな花弁が露を弾いて輝いている。
きらきらと光って揺れる露は貴石のよう。
過日は湿って重く圧していた曇天も今はうっすらと青い。
地べたを濃茶に染めた雨滲みが陽に照らされて、むん、と空気を湿(しと)らせ肌を撫でる。
今日も夏日であろうか。
暑い‥‥いや、寧ろ“熱い”一日が始まろうとしていた。
目的地に到着して振り返った映は口を引き結び、黒曜石のような双眸を冒険者達へと向けた。
緊張の為か頬をかすかに引きつらせ、睨むような視線を投げたまま静かに顎門(あぎと)を引く。
御堂鼎(ea2454)がそれに無言で頷いて応える。こちらは口端(こうたん)を上げて余裕の表情であるが。
再び向き直り、ひたと門を見据えた映が大きく息を吸い込む。胸を満杯にしたならば、あとは吐き出すのみ。
「たのもーーーーっっ!」
耳朶を打ち叩いた声に続き、得物を佩いた冒険者達も建物の中へと入って行く。
その様はまるで討ち入りか何かのようだが‥‥花嫁修業のハズ。記憶が確かならば。
眼前に佇む白髪の小さな後姿を視認して映は慎重に間合いを詰める。
息を凝らし、じりじりと。
「喝ッ!」
気配に頭を回らせ、くわっと眼窩を見開いて飛び退った婆が手にしていた茄子を投げた。
飛来する茄子を瞬きするよりも早く、居合抜きで打ち落とした笠倉榧(ea3445)が目を眇めて口を開いた。
「随分な歓迎だな」
「音もなく背後に立つからじゃ! ‥‥方々待っておりましたぞえ」
ちん。と音を立てて刀を鯉口に押し戻した榧を見やり、遣り手婆が一度目を細めて深々と頭を下げた。
「声は掛けたわよ」
斜に構えた佐上瑞紀(ea2001)が値踏みするような視線を婆に向ける。
「近頃はとんと耳が遠くなっておるでの」
四尺ほどの身の丈に見事な白髪。目だけが大きくギョロと光っている髑髏(されこうべ)のような貌。
まるで骨にそのまま皮膚が付いているだけの、うんと細い身躯。幾筋も刻まれた皺は深く、骨ばった関節が際立って目を引く。
一瞥しただけで年齢の深さを推し量れるが、先程の身のこなしは徒者ではない。
(「‥‥面白そうね」)
心の中で呟いて満足げに口端を引き上げる。
瑞紀は花嫁修業より何より、遣り手婆に興味を抱いてやって来たクチである。
「なぁ、あの婆‥‥妖や物の怪じゃないよな?」
西園寺更紗(ea4734)に耳打ちした浦部椿(ea2011)に再び茄子が飛ぶ。
「きぇい! 誰が物の怪じゃ!」
「いてっ!」
「どこが遠いんおすやろ‥‥地獄耳やないの」
「遣り手婆殿は“物の怪”と申すものであったか」
椿が頭部を押さえ声を漏らし、更紗が苦笑して肩を竦め、ニライ・カナイ(ea2775)が感心して頷く。
と言ってもニライに表情は無く、周囲の者が彼女の感情を掴むのは困難であるのだが。
「婆ではない! 『小町』という愛らしい名があるのじゃ」
「物の怪小町‥‥」
「「「ぷっ」」」
一人悟ったようなニライの呟きに皆が思わず吹き出した。遣り手婆には悪いが何とぴったりの名であろうか。
婆は苦虫を百匹は噛み潰した表情であるが、内心の激昂を辛うじて止めたようだ。
笑った者は兎も角、ニライに悪意はないのだ‥‥恐らく。この辺りの判断は年の功と言えよう。
早くも犬牙相制と言った様子の女性陣に橘由良(ea1883)と鋼蒼牙(ea3167)は居心地の悪さを感じながら冷や汗を流した。
●花嫁御陵は冒険者
身支度を整えて台所に勢揃いした映と冒険者達に婆は深い嘆息を漏らした。
髪の長いものは結い上げ、袂を襷掛けにし、鉢巻を締めたのは良いが、腰や手に武器を帯びたままではまるで出陣である。
「主ら‥‥。ええい、この小町が一から鍛え直してくれるわ!」
「望む所だ」
凛と答える椿は受けて立つ姿勢。ってだから戦じゃないってば。
「花嫁修業はよく分からんが、料理には少々興味がある。生まれて57年、完成品しか見たことが無くてな。如何様に作られるのか知りたいと思う。‥‥そういう訳だ、宜しく頼むぞ物の怪小町殿」
婆の堪忍袋とやらの緒をぶち切る勢いで引いているのはニライ。これで無意識なのだから始末が悪い。
「それより早く料理を始めませんか?」
不穏な空気を払拭するように声を発した由良は、恐らく今回集まった中では一番真剣に花嫁修業に取り組む心構えを持っている、のではあるが‥‥。
「主、女子には見えんの」
「ええ、女子ではありませんので。しかし私は花嫁になるつもりです。ですから問題はないでしょう?」
‥‥そうなのか。ってかさらりと言い切ってますよ、この人。
「俺か? 今時は男も料理くらい出来んとな」
次いで婆の視線を受けた蒼牙は「必要なら味見役もするからさ」と笑ってみせる。
婆は「嘆かわしい事じゃ」と大袈裟に頭を振って息を吐く。
「そんな細かい事はどうだっていいじゃないのさ。とっととおっぱじめようじゃないか、日が暮れちまうよ」
細かいのだろうか? という疑問はこの際置いておくとして、鼎の意見はもっともな訳で早速修行は開始された。
「料理のひとつも覚えて帰りたいですね」
静かに気合いを入れた由良が多少危なげな手付きながらまな板に乗せた胡瓜をブツブツと切っていく。
「味付けは大事よねぇ。味見役もいるし張り合いがあるわね」
わしっと塩を手の平一杯に握った瑞紀がまな板に浴びせ掛ける。別に塩もみではないようだ。まるで土俵入り。
「‥‥さて、どうしたものか。舞ならばそこそこに自信は有るが、料理なぞした事が無い。私も聞きつけた父上に放り出されたクチでな」
茄子を手に取り、どうしたものかと思案する映に声を掛けた椿が頭を掻く。
「兎に角、材料を適当な大きさに斬って、煮るなり焼くなりすれば完成だろう。魚は生のままでも刺身にすれば良いのだし」
かなり大雑把である。
「いざっ!」
まな板に茄子を置き、包丁を両の手で持ち大上段に構えて呼吸を整えた椿がスマッシュを発動。振り下ろした包丁でまな板ごとスッパリ真っ二つに斬ると額を拭った。
「よし」
何が“よし”なのかは分からないが一仕事終えた表情である。
足元に落ちている茄子とまな板は二つづつ。
「料理はした事がないと言っておったが出来るではないか。大したもんだ」
茄子を拾い上げた映が斬り口をまじまじと眺め何度も頷く。
「‥‥良い切味だな。備前物か? 関か?」
「手入れも行き届いておるようだな。これは業物だ」
料理はそっちのけで感心しきりに包丁を眺める二人の耳朶が大音量に痺れた。
「主等、何をしておるのじゃ! このうつけ者が!」
「「いってぇー」」
婆の木杓子が容赦なく椿と映の額をぴしゃりと打つ。
遣り手婆のお手並み拝見とばかりに様子を窺っていた瑞紀が「ふぅん」と目を眇めた。その表情は楽しげである。
「物の怪小町殿。ジャパンの代表料理とやらを巷で聞いてきたので作りたいのだが‥‥何をどうやったら良いのだ? 此れが完成図らしい」
婆の肩を叩いたニライが墨の入れられた布を広げて見せた。
「物の怪じゃないと言うておろうが‥‥」
何物かが浮いた椀らしきものの図には但し書きがされており『なんか茶色』と書かれている。
「して、これは?」
「ミソシルという料理らしい」
「味噌汁か。これが味噌じゃ。出汁を取ってこれを入れるのじゃ。どれ、まずは主の思うままに作ってみてはどうかの」
ふぉふぉふぉ、と痩せて隙間の広がった歯並びから息を漏らすように笑った婆がニライに味噌を手渡す。
「ふむ。出汁‥‥煮ればよいのだな」
鍋に湯を沸かし生魚を丸ごと入れて待つこと暫し。魚を取り出して今度は瓶から味噌をたぷん、と塊のまま沈める。
茶色にこそならなかったが茶色の物体が鍋底に沈んでいるので一先ず納得して次はきょろきょろと具材を探した。
鍋から椀に汁を移して沈んだ味噌を掬い入れる。そこに真っ二つになった茄子のヘタのついた方を強引に押し込めて、由良の塩まみれのブツ切り胡瓜も拝借して浮かべた。
赤い椀に灰汁が浮き濁った白い汁、底に茶色の味噌が固まっていて茄子と胡瓜が浮かべられた物体にニライは満足した面持ちだ。
「‥‥ミソシル、このような感じだった。神の導きで何とかなった」
その神とは厠の神とかそんな類ではないだろうか。深く追求してはいけない。
「はんッ! 遣り手婆だか張り手婆だか知らないけど、負けやしないよ」
料理用の酒をぐいっと喉に流し込んだ鼎が視線を上げた。
「せっかくだから料理はやるよ、料理は。男なら『トントントン』っていうまな板に包丁を叩きつける音で朝目覚めたいってよく言うしねぇ」
包丁を片手に、もう片方の手には酒瓶を持ってぐいぐいとやりながらダンダンと凄まじい音を立てて何も乗っていないまな板を叩いている。
「これだけデカイ音たてれば、大抵目覚めんだろ」
別に目覚ましとして音を聞きたい訳じゃないと思うが。そもそも料理じゃねぇ。
最後にはバーストアタックによりまな板は木っ端微塵。
「料理をせんかーっ!」
婆の菜箸が飛ぶ。
「煩い婆だねぇ、料理くらい出来るってんだよ」
空の茶椀に酒を注ぎ、汁椀にはどぶろくを入れた鼎がにやりと笑う。
「茶碗には米だから純米酒、味噌汁の代わりにどぶろく。立派なもんだろ?」
それも料理じゃねぇ。
「順調に料理が完成しているようだな」
呟いたのは榧。順調‥‥なのだろうか?
「料理といえば包丁。包丁といえば料理。包丁に始まり包丁に終わる」
どうやら彼女、間違った認識を持っているようだ。
ブラインドアタックで目にも止まらぬ野菜の皮むきを披露しようと思ったようだが、ふと使用できない事に気付き瓜を宙へ放り投げた。
居合い抜きで落下する前にバサバサと輪切りに刻んでいく。
幾筋にも煌く白刃の閃光は勿論、包丁ではない。
「料理を何だと心得ておるのじゃ!」
「包丁」
婆の投げた人参をからして一言。いや、貴方包丁使ってないし。
「いたた、手ぇ切ってしもた」
真剣に料理をしていた更紗は緊張の為ガチガチに固まってしまい普段ならしないであろう失敗ばかりを繰り返していた。
「あれ? 何で人参さんつながっとるんどすやろ?」
綺麗に切ったはずの人参の端を手で持ち上げてみれば見事に繋がっていて溜息を一つ。
「落ち付かなあかんどすなぁ‥‥」
極度の緊張の為か、すっかり渇いた喉を潤そうと水を口に流し込んだ更紗が首を傾げた。
「何や変わったお味どすな」
それもその筈。彼女が豪快に一気飲みしたのは水ではなく料理酒だった。それまでの緊張も手伝って見る間に酔いが回っていく。
「あっつ〜い」
着物の襟元を緩めするりと肩を覗かせた更紗は蒼牙にしなだれかかり白い指を蒼牙の口元に当てて笑む。
「なぁ、うちと遊んでぇ〜?」
「あっ‥‥いや‥‥その、ここじゃ‥‥ちょっと」
どぎまぎと腰を引く蒼牙、しかし場所の問題じゃないだろう。
「神聖な台所で何たる事じゃ! 頭を冷やすんじゃな!」
バシャッ。
既に半脱ぎ状態の更紗はびしょ濡れになったが本人は穏やかな寝息を立てて夢の中。
「料理は気合と根性どすぅ」
むにゃむにゃと寝言など言ってみたり。
更紗から解放され味見を頼まれた蒼牙の顔面から血の気が引き蒼白に染まる。
「や‥‥なんか、俺なんかが手料理なんて‥‥畏れ多い気がしてきた‥‥かな。はは‥‥はは‥‥」
味見ってよりは『毒見』って感じ。
「残したら‥‥ふふ」
にやりと笑う瑞紀はソードボンバーを使う気満々。
「ご免! 花嫁修業の味見役として一から鍛え直してくるっ」
「あっ、待ちなさいよ!」
言い残すと脱兎のように逃げ出した蒼牙を不穏に瞳を光らせた瑞紀が追いかける(合掌)
「まったく殿方のくせに意気地のない。見かけが少々問題ありでも‥‥」
箸で一口運んだ婆の顔がみるみる土気色に変わっていく。
「主等、全員ここへ直れ〜っ!!!!」
「やっぱりこうなりましたか‥‥」
宙を飛び交う野菜に魚。鍋なんかも飛んできて、すっかり乱闘場と化した台所の隅で由良が苦笑した。
「ええい、主等が立派な花嫁御陵になるまでこの小町がビシバシ扱くのじゃーっ!」