花供養
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■ショートシナリオ
担当:幸護
対応レベル:1〜3lv
難易度:難しい
成功報酬:0 G 65 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:08月09日〜08月14日
リプレイ公開日:2004年08月18日
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●オープニング
あなたの肉の色。あなたの骨の色。あなたの血の色。
すべて、すべて。
――あなたの、あなたの色。
あの日、路に咲いた紅い花を私は生涯忘れないでしょう。
てんてんと咲いた、火魂の花。
天上花の名を持ちながら、死人花とも呼ばれる曼珠沙華に似た、綺麗な、綺麗な、紅。
燃える紅い色は闇に溶けて土を叩き、重く湿って広がった。
鼻をつく鉄のにおい。
愛おしい花よ、狂おしい花よ。
あの世とこの世を繋ぐ細い茎。
ふるべ、ふるべ、魂魄よ。
私は歌い、そして眠る。
呼吸をするだけの傀儡となって。
未来は遠く――私の手から擦り抜けてしまった。
過去はどんなに心を閉ざしても決してこの手には戻らない。
忌々しい花よ、禍々しい花よ。
魂(こん)と魄(はく)を繋ぐ道標。
ふるべ、ふるべ、魂魄よ。
私は歌い、そして眠る。
呼吸をするだけの傀儡となって。
□■
ぬっとりと濡れたように黒い闇。
月は細くその身を隠して、墨染めの天がただ静かに大地を覆う。
その中で爛々と光る一対の眼が、男の姿を捉えた。
辺りに漂う禍なる瘴気が彼の足を地に縛りつけ、気管を塞ぐ。
心の蔵は鈍器で殴られたかのように痛み、軋んだ悲鳴をあげている。
いや、瘴気の正体は『恐怖』だったかもしれない。
「‥‥っ!」
――息ができない。
血が凍りつき、まるで指一本も思い通りに動かすことは叶わない。
粟立った肌を食むように温い風が通り過ぎる。
呼吸を整え、強張った手足を叱咤して男は身体ごと向き直り一歩前に出た。
背にかばった女の悲鳴が喉の奥に絡まっているのが伝わる。
何があっても彼女を守る、その想いだけが男を異形へと向かわせた。
己に向けられた異形の眼は敵意も殺意もなく、ただ静寂に輝く。
どこまでも空虚で、それでいながら圧倒的な脅威を感じさせる。
そこに感情などはないのだ。
しゅうしゅうと異形の息遣いが耳に届く。
脆弱な月光に照らされた姿が、夜の町に浮かび上がる。
闇を更に濃く染めて、覆う影。
剛毛にびっしりと覆われた八本の足をうごめかして、口元に具わっているのは鋭い牙。
宵闇に慣れた眸に毒々しく浮き上がった縞模様が仄かに見える。
眼前に対峙するは巨大な蜘蛛。土蜘蛛であった。
ぞくりと悪寒が這い登ってきた。
けれど、引くことは出来ない。そう、彼女を守らなくては。
「倫子、逃げろっ!」
刹那、月が光った。
いや、月だと思ったのは土蜘蛛の牙で、そう気付いた時には男の口から朱色の霧が散り、身がくず折れた。
腹を貫く蜘蛛の足が、ぐしゃり。と濡れた音を響かせる。
痛みの中心は燃えるように熱く、どろりと外へ流れていくようだ。気も生も熱も何もかも。
緩慢に首をめぐらせた男は力の入らない指で懸命に路を指し示す。その指は小刻みに震えて、すぐに地に落ち土を掻き握った。
「とも‥‥こ‥‥‥‥に‥‥げっ‥‥ごふっ」
声にならない呻き声はバリバリと不気味に鳴った音に呑み込まれて消えた。
骨を砕く乾いた音以外はもう何も聞こえない。
□■
「姉ちゃん! 姉ちゃんっ!! 俺の声を聞いてくれよ。飯だって食わないし‥‥姉ちゃんこのままじゃ死んじゃうよ。そんなんじゃ正嗣様もきっと天の上で悲しんでるよ」
必死に姉の腕を掴む弟に、けれど姉はただ曼珠沙華の花を手に感情のない瞳を空へと向けた。
「姉ちゃん‥‥。土蜘蛛は倒して貰うから。正嗣様の仇はきっと討つから。だから姉ちゃん、しっかりしてくれよっ!」
●リプレイ本文
きしきしと音を立てて。
胸の最奥をぬるい風が通り過ぎた。
視界を覆う血の色。
ひたむきに紅く、燃えるように佇みながらどこまでも寂しい花の色。
まっすぐに、ただ天へと伸びて。
繰り返し、繰り返し、打ち響く遠い鼓動は鎮めの歌。
この世に魂魄を繋ぐ優しく強い呪(しゅ)。
静寂の闇に堕ちても尚、命を諭す揺るぎない道標。
このまま歌っていたい。
その毒に捕らえられて天地が逆さまになっても。
私の瞳が紅い花以外を映さなくても良いように。
●倫子と尊彬
見上げる少年の年の頃は十二、三といったところか。
長く伸ばした漆黒の髪を後ろで結わえ、無造作に流している。
しなやかな筋肉を薄らと纏った細い肢体は瑞々しい若木のよう。真っ直ぐに見上げる墨色の双眸が強い光を宿して深く澄んでいる。
純粋さの中に相反するように精悍さが息衝いている。
透き通った強さと張り詰めた脆さ。ひどく不均衡な、ともすれば危うげな印象。
それは、子供でも大人でもないこの年頃の少年独特のものではないかと思う。
「‥‥ほんとは俺が一人でも仇を取ってやりたいんだけど‥‥でも、俺にはそんな力はないし‥‥姉ちゃん残して死ねないから‥‥」
だから――と少年は呟いて、剣呑に視線を揺らがせ拳を握った。固く握られた指先は白く血の色を失っている。
「尊彬(たかあきら)さん、でしたね? 土蜘蛛は俺達に任せて、貴方は倫子さんについててあげて下さい」
瞠目した尊彬は自分と然して変わらない年頃の手塚十威(ea0404)を見詰めた。
華奢な身躯で嫋やかに微笑む姿はまるで女子のようにも見える。
だからであろうか、視線の高さから、身の丈は半尺以上は高そうなのだが、十威の方が年若のように感じる。
噂に聞き及ぶ冒険者達なら必ずや、と縋る思いで土蜘蛛退治を依頼したが、十威のような少年や女性が訪れたのに驚愕を隠せないでいるようだ。
「で、でも‥‥」
にっこりと笑む十威に、言葉を詰まらせた尊彬の肩を秋村朱漸(ea3513)が叩いた。
「勿体無ぇ‥‥折角の上玉だってのによ。昔の男を忘れさせるにゃ冷めちまった身体を温め直してやるのが筋ってモンだが‥‥」
それは一体どこの筋だろうか。
恐らく裏の裏の裏辺りの筋じゃないだろうか、などと所思したのは山浦とき和(ea3809)だが、もちろん心の内だけに留めて置いた。
廂に膝を抱えて座り、手にした曼珠沙華をただ眺めている倫子に視線を流した朱漸が夕日に染まったような赤い髪をくしゃりと掻く。
「心がいっちまってんじゃ遣りようがねぇ。流石の俺もお手上げだぜ。だから、な? 姉ちゃんの事はお前に頼む。お前しかいねぇだろ?」
だから一体何が“流石の俺”なのか‥‥ってのも同じくとき和の心の言葉であるが、これも口に乗せられる事は無かった。
さも自然な流れのように倫子の袖に手を忍ばせた朱漸の奥襟をむんずと掴んで引き摺った鳳美鈴(ea3300)が西を指す。
『日ぃ暮れる前にはよ行こ』
残念ながら華国語が分かる者はここには居ない。
ある程度は身振り手振りで意志の疎通が出来ないでもないがジャパン国においてジャパン語が話せないのは日常生活においても――仕事ならば殊更に厄介である。
「暗くなる前に参りたいですね」
美鈴の指す方角を仰いだ綾都紗雪(ea4687)が小さく頷いて胸元で手を握った。
●土蜘蛛退治
「目の前で大事な人を亡くすなんて‥‥痛ましい事ですね‥‥」
尊彬や町の人々から聞いた情報を元に土蜘蛛の棲み処へと向かいながら十威が呟く。
長い棒きれで注意深く地面を探りながら歩む神楽命(ea0501)が悲しげに瞳を伏せた。
彼女は他の仲間が尊彬に話を聞いている間もずっと倫子に話し掛け、踊ってみたりと正気を取り戻そうと試みたのだが倫子の双眸が命へと向けられる事はなかった。
橙色に染まりかけた空が徐々に重みを増して寂しげに広がっている。
昼と夜の狭間。あの世とこの世の入り交ざる刻。
「まず為すべきは土蜘蛛退治だ」
「そうですね。新たな犠牲者を出す訳にはいかないですし」
リーゼ・ヴォルケイトス(ea2175)の言葉に頷いた猫目斑(ea1543)が徒歩(かち)の速度を上げた。
土蜘蛛は地面に身を潜めているのだと言う。恐らく土の下ではあまり移動できないのではないだろうか。
それならば、倫子と正嗣が襲われた場所から然程離れた場所ではあるまい。これが彼らの導き出した答えだった。
「早く出てこないかな〜」
細く息を吐いた命が棒で地面を叩くと重く、低く、くぐもった音がかすかに耳朶を打ち、次いで乾いた木がバリバリと裂かれてくず折れるような耳障りの悪い音が辺りに木霊した。
ふいに、風が動いた。
雷鳴の轟くような爆音がして大地が揺らぐ。
ぱっくりと裂けた地面から八本足の黒い影が躍り出て、あぎとを開き咆哮した。
「お出ましだ」
地下から押し上げられ一斉に降りかかってきた飛礫を飛び退って避けたリーゼが手にしていた棒を投げ捨てる。
「ひゃぁっ!」
「危ないっ」
前へと飛び出した十威が命を背に庇い飛礫を受ける。広げた腕や額から血が滲み白い肌を伝う。
「大丈夫ですか?」
視線は土蜘蛛へと向けたままの十威の問いに、鳴り響く胸を押さえた命は一度大きく息を吸い込むと足に力を込めた。
「う、ん。ちょっと驚いただけ‥‥」
「覚悟はしてたつもりなんですけど‥‥ね」
敵を見据え、強張った表情のまま口を引き結び蹲踞(そんきょ)の姿勢を取った十威が正眼に構えた。
冒険者になると決めた時からとうに覚悟は決めていた。戦いは望んではいない。けれど、迷ってはいられない。
黒い剛毛に覆われた足が地面から離れる瞬間、朱漸は気合いもろとも右手を払った。日本刀が夕闇に弧を描いて空を斬った。
ぐしゃっと足の先が地に落ち、土蜘蛛の喉から嵐のような唸りが迸り鼓膜に突き刺さる。
地面に黒い染みがどろどろと広がった。
薄桃色の淡い光に包まれ、士気を高めたリーゼの横を斑の放った矢が風を切り土蜘蛛の身を掠めた。
爛々と土蜘蛛の両眼がきらめいて、矢の飛来してきた方へ飛びかかろうと大きく体躯をうねらせた。
くわっと開いた口腔に牙が光る。
「浮気はよくねぇなぁ。お前さんの相手はこっちだぜ」
叫んだ朱漸が右手を薙ぐのと同時に紗雪が呪縛の術を発動させた。
土蜘蛛の動きが止まる。ぎりぎりと牙を擦る、金属を削るような音だけが響く。
「今ね」
紗雪の横で機を窺っていたとき和が衝撃波を放った。
それを合図に総攻撃を仕掛ける。
美鈴のブラックホーリー、リーゼのシュライク、そして矢や太刀が土蜘蛛に浴びせられる。
跳ね上がってもんどりうった異形が濡れた牙を剥く。
「土に還りやがれ!」
土蜘蛛の上に飛び乗った朱漸の剣が黒い胴を真っ二つに叩き斬ると凄まじい音と共に大地が揺れて砂埃が舞い上がった。
風を裂いた終焉の音は天に響いて掻き消えた。
静けさを取り戻した闇を平穏の気が満たす。
今はただ冒険者達の不規則な荒い息遣いだけが夜気を震わせている。
「女以外に乗るのも乗られるのも二度と御免だな」
「それ以外に感想はないの?」
蜘蛛の背からひらりと着地して額を拭った朱漸に胡乱な視線を投げたとき和が嘆息を漏らす。
「まだ一仕事残ってるわよ」
●悲しい思い出
戌の刻も過ぎた頃に屋敷へと戻ってきた冒険者達に尊彬はすぐに駆け寄った。
「終わった」
短く告げたリーゼに尊彬は何度も深く頭を下げた。
「有難う御座います。早く姉ちゃんに知らせてやらなくちゃ」
「私達もご一緒して宜しいでしょうか?」
「でも‥‥今の姉ちゃんには何もわからないし‥‥」
俯いた尊彬の背中をそっと撫でた紗雪は静かに微笑んでみせた。
尊彬は願っている。いつの日か姉が再び時を取り戻す事を。そして、きっと信じて待ち続けるのだろう。
だから、同じように信じたいと思った。彼の思いが通じるように。
まことの心は必ず伝わるのだと彼女自身信じたかったから。いや、信じているから。
たとえ小さな灯火であろうと、悲しみの底に捕らわれたまま彷徨う倫子に届く光りであれと。
昼間そこに居たように倫子は廂に座っていた。
感情のない瞳には月光も射さず、仄黒く何も映し出していない。
紗雪は懐から取り出した横笛を奏でた。あまり得意ではないけれど想いを込めて。
柔らかな音が風に乗って辺りを包む。その音色に合わせてとき和が舞う。燃える紅い鼓動の供養舞を。
虚ろな瞳の倫子の横に腰を下ろし暫く笛の音と舞を眺めていた十威がぽつりぽつりと口を開いた。
「俺にはまだ恋とかって良く分かりませんから、貴女の本当の苦しみは分かってあげられないかもしれません」
――笛の音?
「でも今の貴女を見て苦しんでいる弟さんの気持ちなら分かります。俺にも姉がいますからね」
――声が聞こえる。
「恋人を亡くして今貴女が哀しいように、貴女がもし死んだりしたら哀しむ人がいるんですよ?」
――あれは誰?
「その紅い花に‥‥花の中に潜む毒に捕われたままでいないで下さい」
――わからない何も。私はただここに居たいの。
「毎日その花を傍に置いとくと心の臓も身体もぼろ雑巾の様になり、見えちゃならん物や声が聞こえるって言うじゃないか」
舞を終えたとき和が倫子の手の曼珠沙華に手を伸ばした。
「あんた本当にいつまでもそこに居たい? あの世で叱られる覚悟が有んなら‥‥共に逝く? 遺る辛さなら知ってるよ」
とき和の胸元の鈴が揺れて笛の音に重なった。
――声が聞こえる。
倫子の指先が震え、細い茎がぽきりと折れて紅の花が黒い夜の庭に落ちた。
「姉ちゃんっ!」
――あれは誰?
『倫子』
倫子の瞳を見詰め、優しく名を呼ぶ。その声は普段のとき和のものではなかった。
得意の声色が活かせないかと尊彬に正嗣の声の感じを聞き、幾度か試したのではあるが実際似ているかどうかは分からない。
何しろとき和自身が正嗣の声を知らぬのだから真似てみようにも具合が悪い。
賭けに他ならなかったが、けれど想いを込めて呼びかけた『ここに戻っておいで』と。
紗雪の笛の音が止み、風が懐かしい匂いを運んで倫子の鼻腔を撫でた。
――沈香(じんこう)の香り。あれは‥‥。
「‥‥っ」
倫子の頬を涙が伝う。
「ほら、ここに愛する人が居るよ」
とき和は倫子の手の平を広げて、苦労して探し出した匂い袋を乗せた。
随分と擦り切れて泥にまみれてしまっているが、微かに沈香の香りが漂う。
実はこれを――正嗣の遺品を探すのに時間がかかってしまったのである。
香には十徳があると言われている。
精気を増す、目と耳を清明にする、などといったものであるが邪気を払うともされていて、倫子にとってこれ以上ない遺品であったかもしれない。
それともやはり、彼女を救ったのは正嗣であったのだろうか。
「辛かったですね、でも、よく戻って下さいました」
倫子に視線を合わせた紗雪がそっと彼女の手を取った。
二人の手に微温(ぬるま)な雫がぽたぽたと落ちる。
それは命の温もり。生の証し。
「その花には沢山の呼び名がございます。葉見ず花見ず、他国では相思華とも。それは花も葉も決して出会うことがないからとか。曼珠沙華は花が咲き終わってから葉をつけるのです。けれど、確かに繋がっているのだとは思いませんか?」
「‥‥うぅっ」
「私は輪廻を信じています。天上花とも呼ばれるその花が鮮やかに咲く度に、同じ根から繰り返し咲く華の命を感じるからです。だからどうか、再びお二人が出会う為にも、そのお花を‥‥重ねている恋人を来世に送り出してあげませんか」
とめどなく溢れる涙は月の光に照らされて頬を冷やす。けれど迸る激情は苛烈に胸を焼く。
「一緒に正嗣さんの供養‥‥花供養を致しましょう」
紗雪の澄んだ声に、倫子の唇が震えたが音にはならなかった。
まだ言葉にはならないし、恐らく悲しみも消える事はないだろう。
しかし、時を戻した倫子に背を向けて月を見上げた斑は「よかった‥‥」と微言した。
「実は、どうしても倫子さんが目をお覚ましくださらなかった時は荒療治が必要かと思っていました。頭から井戸水を、こう」
「私もだ。胸倉掴み上げ往復で、こう、な」
桶でぶちまける仕草をして肩を竦めた斑にリーゼは平手打ちの素振りをして見せた。
「どうもうじうじしてる人は性に合わない」
「リーゼ様ならきっと心の病に冒される事はないでしょうね。けれど病ですから、誰もがいつ罹ってしまうともわからないのかもしれません‥‥ね」
「病は気からと言うだろう?」
「‥‥そうですね」
人は脆いが故に、いつも強くありたいと願うのかもしれない。
忘れる事が強さなら、忘れない事も強さであるように、それはひどく不確かなものだけれど。
「姉ちゃん‥‥」
ぐっと息を詰めて涙を堪えている尊彬の腹に握った拳を当てて朱漸が口元に笑みを浮かべた。
「坊主‥‥これからはお前が姉ちゃんを守れ‥‥男の約束だぞ。いいな?」
「はい。必ず」
暁降(あかときくた)ち――。
濃い闇夜が白んで明ける、ごく短い時間。
闇が消え去った後には、ただ風に揺れる花が残るばかり。