アスカと約束の花
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■ショートシナリオ
担当:九ヶ谷志保
対応レベル:フリーlv
難易度:普通
成功報酬:0 G 78 C
参加人数:7人
サポート参加人数:1人
冒険期間:08月06日〜08月11日
リプレイ公開日:2006年08月14日
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●オープニング
今でも思い出す。
一振りの刀と、薄汚れた誇り以外、何一つ持っていなかったあの頃――
『ノルマンという遠い場所に戦(いくさ)に行く。もし、無事に帰って来られたなら、土産に異国の花の種でもお持ちいたそう』
日々の食事にすら困る事のあった、不遇の浪人時代。
何故か、アスカに目をかけて助けてくれた、とある大店の一家。一家挙げて園芸が趣味だった彼らに、そんな約束をした。
アスカに懐いていた、そこの幼い娘は「のるまん」になど行かないでくれと泣いたものだ。
『お家を再興してみせる。百の首を挙げてやろう。それが出来なければ‥‥』
異国の地で朽ち果てるのみ。
そう言い残して、アスカはノルマンに渡り、結局戦の後も、この地に留まった。彼女はジャパンに戻らなかった。
「約束‥‥したのだが、な」
目の前の、すっかり寂しくなった花壇を見下ろし、アスカは溜息をつく。
目に染み入るような、紺碧と純白の花が、本当ならそこにあるはずだった。
いや。
今の時期なら、膨らました皮袋みたいな形と、緑と黒の縞の柄が印象的な、ぽんぽんした実か。
つやつやと驚く程真っ黒な、いい匂いの種が詰まっている、その実。
先日の事件の際に、屋敷に押し入った賊によって、踏み荒らされ花は枯れてしまった。
集まってくれた冒険者たちの活躍で、事件そのものは解決を見たのだが‥‥こういう余波もあるとは予想外だった。
ニゲラ。
ラテン語で「黒」を意味する名が付いたその花は、遠くにいる彼女の恩人たちにとってはまさに異国の美であったようだ。
『戦は終わった。私も生き延びたが、ジャパンには帰れそうもない』
戦の助太刀に入ったジャパン人たちが続々帰国する中、いつまでも帰らないアスカを、恩人たちは心配したようだ。
急に届けられたそんな手紙は、恩人たちを驚かせた。
『ムートスペルという家に、嫁として入る事になってしまった』
ノルマン人たちがここに来る以前から続く古い家なのだそうだ、とアスカは手紙に記した。
唐突な話に、恩人一家は酷く驚いたようだ。
『何だか不思議な話が沢山伝わっている面白い家だ。おいおい書き送らせていただく』
それから。
幾通もの手紙だけが、アスカと恩人たちの間を行き来した。
今年になってこのパリの別邸に滞在し始めてすぐの事。
多少の絵心があるアスカが、手紙にパリ別邸の庭で栽培している変わり咲きのニゲラの花と実の絵を添えて送ったところ、是非その種を分けてくれないか、という返事が来た。
それくらいならと、思っていたのだが。
「仕方ない。少しばかり遠出するか‥‥」
彼女が描いたニゲラは、その辺りに生えているものではなかった。
パリの北東徒歩一日半「名も無い森」に囲まれた一角、石灰岩の路頭のある「白い丘」にだけ何故か生育している亜種なのだ。
外側の花びらが紺碧、内側の花びらはくるりと巻き上がった純白、中心のおしべとめしべが蒼白という、目を奪う三色の組み合わせ。
モンスターも殆どいない平和な森だが‥‥番人がいる。
「お前の考えてる事、当ててやろうか? 『ニゲラの種取りに行く』だろ?」
アスカが屋敷に戻るなり、ビューレイストがそう言った。
「‥‥よく分かったな」
「アホか! ああいう事件のあった後で遠出するか普通!? 却下だ却下!」
と無碍に仰る伯爵。
「お母様? どっか行くの?」
トコトコ近付いて来たのは、フェンリルと名付けた子狼を連れた一人娘シンマラ。
彼女はととっと駆け寄ると、母親にしがみついた。
「お母様と何日も会えなくなるの、嫌‥‥」
‥‥どうやら、遠出は無理そうだ、とアスカは溜息をつく。
だが。
約束はどうしたものか‥‥。
「つー訳で、だ。この話も、冒険者ギルド行きだな」
花の種採って来いなんざ、なかなか風情ある依頼じゃねーか、と勝手に話を進めるビューレイスト。
「ちょ、ちょっと待たんかッ! 勝手に話を‥‥」
いや、有り難い。
有り難いのだが‥‥。
「‥‥待ってくれ。依頼書の原文は私が書く」
私がした約束だからな。
アスカはそう呟き、羊皮紙を受け取った。
<パリの北東徒歩一日半、「名も無き森」の「白い丘」まで出向き、特別なニゲラの実(種)を採取下さる方を募集いたす。
全員合わせて、完全に熟して茶色くなった実を十個ほどお願いする。
尚「名も無き森」にはトレントが住み着いており、森を傷めるような行いをすると、酷い悪戯で仕返しされるので注意されたし。
彼の存在は火を嫌うため、特に火気の扱いにはお気遣いいただきたい。
では、ご無事をお祈り申し上げ候>
―――依頼人 アスカ・カミシロ・ムートスペル伯爵夫人
「あー、知ってる、この伯爵家ってこの前の死神事件の‥‥」
ムートスペル伯爵家の奥方の名前を見付けた冒険者がふと呟いた。
ノルマンの言葉で書いてあるのに、実に侍言葉な雰囲気だ。
「その奥方って方、ジャパンにいらした頃は、浪人だったんですって。実に不遇でね。食べるにも困る野良犬のような生活が長かったそうよ」
気だるい受付係がそう説明した。
誰かが人は見かけによらないな〜、と呟く。
「ノルマンに来た理由は、復興戦争で一旗上げてお家再興って事だったらしいけど、実際にはムートスペル家の方を再興しちゃったみたいね‥‥」
あはは、と誰かが笑う。
「で、その不遇の浪人時代、彼女を助けてくれたジャパンの恩人に、ニゲラの種を贈る約束をしたんだけど‥‥この間の騒動で、別邸に植えてあったニゲラは殆ど賊に踏み荒らされたらしいのね」
いくら何でも、恩人にそんなになった種をあげられないでしょ? と受付係。
「でもさ、ニゲラだろ? その辺の原っぱに生えてるじゃないか?」
確かに――花は綺麗だし、葉っぱは繊細だし、実の形は面白いし、種がいい匂いだ。
だが、わざわざ何でそんな遠くまで採りに行くのだか。
「何でも、色の変わった二色咲きの亜種で、「白い丘」とパリの別邸の庭にしか生えていないそうなのよ。そのニゲラの種を、どうしても贈りたいみたいなのね」
遠くにいる人への恩返しは、花の種。
美しい話、だが。
「依頼書にある通り、『名も無き森』にはトレントがいるみたいね。直接攻撃はしてこないけど、怒らせるような真似をすると事故を装ったしっぺ返しが待ってるから、気を付けないと危険かも知れないわ」
特に火は最小限にした方が良いかもね、と付け加える。
「なかなか風情ある依頼でいいんじゃない? たまにはいいかな」
と、誰かが言うのが聞こえた。
●リプレイ本文
「よくお集まり下さった。今回の件、よろしくお願い申し上げる」
セーヌ北岸沿いの、ムートスペル伯爵家別邸。
集まった冒険者たちに丁寧に挨拶したのは、アスカ・カミシロ・ムートスペル本人だった。
「お久しぶりです。お加減いかがですか?」
そう言ったのはユリゼ・ファルアート(ea3502)。以前の依頼でもアスカと会っているユリゼは、彼女が怪我をした事を知っていた。何でも、知人伝手に手に入れた解毒剤のお陰で、後遺症も無く回復したそうだ。
その側では、シャーリーン・オゥコナー(eb5338)が、飛びついて来たアスカの一人娘シンマラを撫でてやっている。
偶然にもシンマラと同じ誕生日であり、その誕生会に料理人として招かれた際、アスカからちょっとしたプレゼントを渡された事のあるナロン・ライム(ea6690)は、一種の恩返しの意味も見出しているようだ。
「ほお。見知った顔もいると思っていたら、新しい顔も、結構使えそうなのが揃って‥‥いてッ!」
依頼人アスカの夫、ムートスペル伯爵ビューレイストが、一同を見回してそう言い‥‥アスカに向こう脛を蹴飛ばされた。
「ええ〜い! 折角ご足労下さった方々に、何だその言い草はッ!」
取り敢えず初対面の冒険者の前なので、控えめに(?)亭主を蹴ってから、アスカは再度彼らに向き直る。
「む、出来るな、この人‥‥」
その見事な蹴りを見て、思わず呟いたのはリョウ・アスカ(ea6561)。
たまたま自分と同じ名前(苗字と名の違いはあれど)に興味を引かれ、依頼に参加したのだが。
「あなたが、かの江戸武神祭で三位になったという‥‥お噂はかねがね聞いている」
アスカも、奇遇にも自分と同じ名で、故郷の武術の祭典で好成績を収めたリョウの話は聞いていたようだった。
「あの〜‥‥大丈夫ですか、伯爵様?」
脛を押さえてのた打ち回るビューレイストに、一抹の同情とたんまりの呆れを込めてガブリエルが声をかけた。
「大丈夫じゃねぇよ! マジ痛ぇ! 後で覚えてやがれ、こンのアマ!」
およそ貴族という立場を気に留めているとは思えないその口調と振る舞いに、目が点な気分のガブリエル・プリメーラ(ea1671)であった。
「今回、赴いていただく『名も無き森』だが、それ自体はさほど大きな森でもなければ、厄介なモンスターがいる訳でもない」
アスカは記憶を頼りに描いたのであろう、羊皮紙の地図を広げた。
森の端から目的の白い丘まで、最短ルートなら半日もかからないらしい。
「伯爵夫人。目的地の白い丘ですが、森を抜けた先にあるという事なのですか?」
ウェルス・サルヴィウス(ea1787)の丁重な問いに、アスカは首を振る。
「いや。何故か、白い丘とその周囲だけが開けていてな。丁度、丘の周囲を森が取り囲むような形になっているのだ」
何故こんな地形になったのかは分からないが、とアスカ。
「じゃあさ、森に住み着いてるっていうトレントを怒らせないように気を付ければ、そこまで行くのはそう難しくないよね?」
そんなに分かりやすい地形なら、と問うたのは、マリオーネ・カォ(ea4335)。
が。
アスカは再度首を振る。
「そのトレントが問題なのだ。特に自ら攻撃しては来ないが、よそ者に警戒心が強い。わざと道を隠したりして、森の奥に入るのを諦めさせようとするだろうな」
どうやら、以前一人で赴いた時には大分苦労させられたらしい。
森の番人であるトレントの警戒を解くには、まず、森を害する者ではないと態度で示さなくてはならない、と彼女は言った。
ただし、乱暴なモンスターではないため、直接話が出来れば説得出来る可能性がある、と。
が、それでも。
まず自分からは正体を明かさないので、特別な術か、運の良い偶然でも無い限り、他の木々と見分けるのは難しいかも知れない‥‥そうだ。
一通りの説明を受け、出発間際。
「気を付けて行かれよ‥‥最近、パリの周囲も物騒な話が多くなって来たゆえ‥‥」
気遣わしげに。
アスカは冒険者たちを送り出した。
森も平和な場所らしいが、その途中の田舎道も、特にモンスターが出る訳でも山賊が出る訳でもない、極めて穏やかな道のりだった。
幾つかの町と村を通り過ぎ、辿り着いたその森は、人の手の入った気配もなく、濃い緑の連なりに、ただ風が通り過ぎて行くだけだ。
「確かに、手付かずの森という感じですね」
緑の壁のように重なる木々の側で、シャーリーンはそう漏らした。
人里から極端に離れている訳ではないのに、その森は人間の手が入った気配が無い。年月を重ねた木々ばかりでなく、下草や蔓が生い茂り、人間が歩けるような部分はそう多くはなさそうだ。
「モンスターらしき気配も無いようだが‥‥」
それ以外の事が大変そうだな、とリョウが呟く。戦闘を得意とする彼は、万が一の事も考えきっちりと準備をして来たのだが。
「動物は住んでいるはずよ。なら、必ず獣道があるわ」
しばらく森を眺めてから、そう断言したのはユリゼ。このメンバーの中では、最も森と近しい人物であろう。
「そこを辿れば、恐らくトレントを怒らせずに済むと思うの」
多少遠回りしてでも、森を傷付けるやり方は避けるべき、と強調する。
ガブリエルの連れて来たセッター犬のブランカが、比較的大き目の獣たちの通る道筋を嗅ぎ付けた。冒険者たちは、そこから森に侵入する。
ウェルスなどは、まるで他人の家に足を踏み入れる時のように軽く会釈したのだが。
「ねえ、白い丘はこっちだってば。そっちに行くと、また森の外だよ?」
枝葉の連なりを抜けて、森の上空から帰ってきたマリオーネが仲間たちに警告した。
サンワードの術を駆使するまでもなく、彼が森の上空へと飛べば、白い丘は簡単に見付かる。しかし、いざ地上から行こうとすると、どうしても道が見付からないのだ。
「しかし‥‥こっちに繋がる獣道は無いようですが‥‥」
森に詳しいという訳ではないウェルスも、何かおかしい、と思い始めているようだ。
「何だか段々日も傾いてきましたし‥‥一旦外へ出て、作戦を練り直しませんか?」
何がいけないんだろう、という表情も露わに、ナロンが提案した。いくらモンスターがいないとは言え、火を使えない真っ暗な森で一晩過ごすのは危険に過ぎる。
「ほら、ブランカ!」
茂みに鼻面を突っ込むようにしている愛犬を促し、ガブリエルは仲間たちと共に表に向かう獣道を辿った。
「ひょっとして‥‥あれがアスカ様が仰っていた、トレントの惑わしでは?」
森の側の小さな泉のほとり、拾ってきた枯れ枝を積み上げた焚き火の側で、シャーリーンがそう切り出した。
「いくら何でも、白い丘に続く獣道が皆無なんておかしいですもの」
彼女の言う事は、仲間たちの全員が薄々感じていた事でもある。
「俺が上から見ているとさ。みんな、白い丘から同じぐらい離れている場所を、ぐるぐる回っているみたいな感じなんだ」
まるで誰かが、白い丘の周囲に柵でも張り巡らせて、その周りを回らせているみたいだ、とマリオーネが指摘する。
「実際、そうなんじゃ? 上手い具合に道を隠して、白い丘に近付けなくしてるのかも」
どこをどう隠しているのか分かればなぁ、とナロン。
「‥‥そう言えば、アスカさんが仰ってたわよね。直接、トレントと話をして、説得する事も出来るって」
数日前のアスカの言葉を思い出すユリゼ。あの口調からするに、アスカ自身はそうやってトレントに道を空けてもらったのだろう。
しかし、そうするには、森に無数にある樹木のどれがトレントか、見分けなければならない。
「明日、太陽が昇ったら‥‥」
サンワードを使うよ。
マリオーネはそう呟いた。
翌日。
「‥‥こんにちは。急に騒がせてごめんよ」
上空から降りてきたマリオーネが話しかけた相手は、一本の大きな樫の木‥‥に見えるもの、だった。
太陽が昇り、十分な高さに達すると同時に、彼はサンワードの術を使い、トレントの位置を特定したのだ。
マリオーネの語り掛けに、「それ」はわさわさと枝を動かし始めた。
後はガブリエルがテレパシーで話が出来る。
『‥‥お前さんたちが、この森に気を遣ってくれているのは、よく分かったよ』
森の中で一切火を使わず、夜営は森の外、そして若木や草を踏み潰さないよう、ルートにまで神経を配ったその行いを、森の番人たるトレントはちゃんと見ていたようだ。
『ニゲラを採りに来たのかい、お前さんたち。何年か前にも、そんな人間がやって来たがな‥‥』
「私たち、その人に頼まれたの」
ユリゼがトレントを見上げる。
「この森を傷付けるつもりなんて無いの。誰かに喜んで貰うために、海を越えてこの花が育つように、少しだけ持ち帰らせて」
一見、ただの節みたいに見えた部分が、柔らかい皮膚のようにもぞもぞ動き、顔の表情を形作ったようだ。目が合った‥‥と思う。
『一体、どういう事なのかね?』
穏やかな調子で、森の番人は説明を促した。
冒険者たちは、代わる代わるに、事情を説明した。
かつてここに来たアスカという人間が、故郷の恩人に贈る約束をした、亜種のニゲラを探している事。
しかし、彼女は最近身辺が物騒なせいもあって自宅から離れられず、その代理として自分たちにその任を託したという事。
「根こそぎにしようと言うのではない。少しばかり種を分けてもらいたい‥‥。そのくらいなら、どうという事は無いだろう?」
万が一、トレントが拒絶して攻撃して来た場合に備えて、仲間を庇える位置に移動しながらリョウはそう言った。
ふむ、と番人は、人間で言うなら鼻を鳴らすような音を漏らす。
『‥‥よかろう。その代わり‥‥』
トレントの提示した条件に、冒険者たちは顔を見合わせた。
その名前の通り「白い丘」は、石灰岩の真っ白な露頭が印象的な、森に周囲を囲まれた不思議な丘だった。
だがそれ以上に、足の踏み場も無い程にニゲラが繁茂しているのが奇妙にして幻想的だ。今の時期、花は粗方終わり、そろそろ熟しはじめた変わった形の実が風に揺られている。
「こーりゃ、適当に間引かないと。丘がニゲラで窒息しちゃうよ」
十個と言わず、四十か五十そこいらは持って行っても影響無さそうなニゲラの群生を見ながら、マリオーネが十分に熟した実を茎からもぎ取る。一応、自分用にも二つばかりもらって、ペットのウノとイチに一つずつ預ける。
「ふう。少し大きめの袋を持って来て良かったですわ」
ニゲラの種を収めるための、柔らかい巾着型の布袋に何個目かの実を収め、シャーリーンが呟いた。
「そう言えばこの種、スパイスとして使う料理人もいらっしゃる‥‥んですよねぇ‥‥」
出発間際、アスカから聞かされた話を思い出し、種を口に放り込みたくなる欲求を押さえ込むナロン。
「これから、長旅になるわね‥‥でも、あなたたちが、彼女の感謝の気持ちを伝えるのよ」
今、自分の手の中の実が、遠い異国で根を下ろすかと思うと、ガブリエルは奇妙な感覚に囚われた。そんな主人を察してか、ブランカがくうん、と鳴く。
「水やり完了〜。んー、疲れた」
森の外側から戻って来たユリゼは、日光に温められた丘の斜面にころんと寝転ぶ。彼女の三毛猫アーモンドが、にゃあと鳴いてその横に寝そべった。
「ま、このくらいは‥‥な」
何度となく泉の水を汲んだ水筒を荷物に収めるのはリョウ。淡々としているが、どこか充足感が感じられる表情だった。
「形は‥‥こちらのが良いですね」
そっと手を伸ばし、ウェルスが実の付いたニゲラの茎を長めに切り取る。無言のまま、静かに感謝の祈りを捧げた。
彼ら三人がトレントに頼まれていた用事は‥‥「森の外側で芽吹いた若木に水をやる事」。
ニゲラの種と引き換えの条件は、このちょっとした用事だった。
地中深く根を張る古木と違い、根の浅い若木は、地表が乾くとすぐ枯れてしまう。最近この辺りでは雨が少ない事もあり、トレントは、地表の乾きやすい場所で芽吹いた若木を心配していたのだ。
ユリゼは自らの術を使い、ウェルスとリョウは泉から水を汲んで、まだか弱い若木に水をやった。これでしばらくは雨がなくとも大丈夫であろう、というくらいにたっぷりと。
その日一日森のために働いた冒険者たちは、翌日、ニゲラの種、及び森の恵みを手に、ムートスペル邸へ帰還した。
元気でな、これからも頑張れよ、というマリオーネの言葉に、厚く葉を繁らせたトレントの手がゆさり、と振られる。
最後に森の住人たちに捧げたガブリエルの曲のお陰で、トレントが去年から秘蔵しておいたどんぐりもお土産に加わって。
「わあ、どんぐり! ありがとう!」
ウェルス、そしてユリゼから手渡された、森の木の実に、シンマラは大喜びだ。
「ああ、これは‥‥かたじけない」
アスカは、わざわざ気を利かせてニゲラ柄の上品な布に包まれ、同じモチーフのブローチまで添えられたニゲラの実、そして贈り物用にリボンを掛けられた実付きの枝に、いたく感動していた。
「各々方、誠に感謝に耐えない‥‥」
アスカは、一同を見回した。
「その‥‥ついおでと申し上げては何だが‥‥」
思わず、何ですか? という問いが発せられた。
「各々方の、今回の冒険のお話を伺いたい‥‥。恩人への手紙に、ぜひ添えたいのだ」