栄華ではなく、美のために
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■ショートシナリオ
担当:九ヶ谷志保
対応レベル:フリーlv
難易度:やや易
成功報酬:0 G 78 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:08月21日〜08月28日
リプレイ公開日:2006年08月28日
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●オープニング
「‥‥駄目だ。描けない‥‥」
金色に輝く川面を目前にして、彼女は呻いた。
その手には、デッサン用の木炭、画板に薄板。
河を渡る風は涼しく、背後にした教会からは夕方の祈りの声が静かに流れる。
セーヌに浮かぶ細長い船のようなその島の端っこに座り、暮れ行くパリとセーヌの輝きを眺める。
少し前まで、そうしているだけで‥‥いくらでも、絵なんて描けたのに。
「‥‥このままじゃ‥‥私は‥‥」
鞄に道具を放り込み、彼女は決意したように立ち上がった。
「‥‥もう一度絵を描きたくなるまで、旅に出る‥‥って、正気ですか、ベルナデット様!?」
女子修道院の一角で、そんな声が上がったのはその翌日。
叫んだのは、少女と言っても良い年頃の修道女だった。
彼女とともに、美しい巻き毛の女性を取り囲む修道女たちがざわめき出す。
「うん。やっぱり、今のままじゃ‥‥私、駄目だわ」
低く、しかし、きっぱりとそう言ったのは、既に旅支度を整えた、二十歳前であろうと思われる豪奢な黒い巻き毛の女性。
かなり戦闘向けのしっかりした装備を持っているところを見ると、騎士か戦士か。
「邪魔者でしかない私の取り得は絵を描くくらいなのに、その絵が描けなくなったんじゃ‥‥。だから、しばらく留守にする。もう一度、絵が描けるようになるまで」
ベルナデットと呼ばれたその女性は、既に画材道具を片手に抱えていた。
が、しかし。
「ここから離れる事を、認める訳にはいきません。ベルナデット・グィサヴィエ・サリーニャン」
彼女の前に進み出たのは、司祭服を纏った、気品ある年配の女性――ここの修道院長、アリーヌ・マイユだ。
「わたくしどもは、サリーニャン家より、あなたをお預かりしているのです。万が一の事があったら、わたくしは責任をどのように取れば良いのです?」
「‥‥私一人いなくなったところで、サリーニャン家には傷も付きませんよ」
そもそも、家にいるとややこしいからって理由で、この修道院に預けられたんじゃないですか、と内心ベルナデットは呟く。
「一応、剣の扱いは心得ています。自分の身くらいは」
「‥‥その辺に散歩に行くのではありませんよ。もし手に負えないモンスターでも出たら、どうするつもりなのですか? 思い上がってはなりません」
手厳しい言い方に、ベルナデットは苦笑する。どこか悲しげだった。
「‥‥絵を描く気持ちを取り戻したい、というのは分かります」
修道院長は言った。
「ですから、行くな、とは申しません」
え? とベルナデットが顔を上げる。
「ただし、一人では駄目です。そして、いつ帰るか分からないのも。護衛を付け、期限を切って、その日までに帰れば良いのです」
アリーヌ修道院長は笑った。
あなたはしょうがないわね、と言うように。
<当修道院で生活している騎士にして画家、ベルナデット・グィサヴィエ・サリーニャンの絵画の創作旅行に同伴して下さる方を募集いたします。
期間は七日間、旅行中の種々の手助け、及び万が一の場合は護衛もお願いいたします。
また現在、ベルナデットは画家としての意欲が衰えている状態であり、その意欲を取り戻すための旅でもあります。
画題となる風景、或いは物事をご存知の方は、是非それを彼女に教えてあげて下さいませ。
お待ちしております>
―――依頼人 修道院長 アリーヌ・マイユ
「‥‥ねえ、この人、騎士なのに画家なの?」
不思議そうに誰かが言う。
普通、騎士は画家を兼業したりはしないのではあるまいか?
「このベルナデットさんて方、家での立場が色々複雑でね。一応騎士の肩書きは持っているけど、家督相続のゴタゴタを避けるために、子供の頃からこの修道院で暮らしていたらしいのね」
そう受け答えたのは、気だるい受付係の女性だ。
貴族にはありがちだな、そういう話、と誰か呟いた。
「そういう環境だから、逆に好きな事に集中出来たって事らしいわ。この修道院ばかりか、パリの修道院の何箇所かにも、彼女の絵が飾られているそうよ」
へえ、と嘆息が漏れた。
「でも、画家として意欲が衰え‥‥って、何かあったのか、この人?」
と誰かが尋ねた。
「数少ない、彼女の味方だった親類が最近亡くなって精神的に落ち込んでいるのもあるらしいわね。それがきっかけで所謂スランプっていう状態になって‥‥」
「ああ‥‥戻らなくなっちゃった、と」
分かるなあ。
そんな空気が流れた。
「では‥‥芸術家のマドモアゼルの為に、一肌脱ぎますか」
誰かがそう言って立ち上がった。
●リプレイ本文
「わざわざエスコートに? 気を遣ってくれなくても良かったのに」
唯一、男子禁制の女子修道院内部にまで立ち入る事が許されたウィルフレッド・オゥコナー(eb5324)、そして修道院の外で待機していてくれたブルー・アンバー(ea2938)、ジョセフ・ギールケ(ea2165)の二人の男性陣に、ベルナデット・グィサヴィエ・サリーニャンは、そう言った。
「でも嬉しいな。わざわざ、ありがとう。私はベルナデット。ベルって呼んでくれる?」
本当に嬉しげだが、どこか寂しげ。それが、ウィルには気にかかった。
この修道院の人たちならともかく‥‥
私を何らかの目的で利用する以外で、外の人に親切にされたなんて久しぶり。
ベルナデットはそんな言葉を呟く。
『道理で‥‥他の修道女が、こっちを睨んでいたはずだな‥‥』
ジョセフはベルに挨拶しつつも、入口の扉の影からまるで見張るようにこっちを睨み付けていた、まだ幼いとすら言える修道女の表情を思い出す。彼としてはちょっぴり残念でもあったりなかったり‥‥いやいや。
「初めまして。僭越ながら、あなたをエスコートするために参りました」
ブルーはにこやかに挨拶しつつも、先程危うく食らいそうになった、ウィルフレッドの雷撃に肝が冷えたままだ。緑の光の中に浮かび上がった、ウィルの、あくまで上品で優しげな笑顔が‥‥凄く、怖かった‥‥。
待ち合わせの冒険者酒場では、居残り組の五人が依頼人ベルを待っていた。
彼女が改めて挨拶すると、それぞれ冒険者たちが簡単な自己紹介をしていく。
「あんたがベルナデットはんかいな〜、よろしゅうに〜」
くるくるぱたぱた、空中を漂いながら挨拶したのは、アストレア・ユラン(ea3338)。この依頼をギルドで見かけてから、彼女は何だかベルナデットを放っておけない。
『貴族だって事は一目で分かるけど‥‥でも、何かこう‥‥』
クリス・ラインハルト(ea2004)は、確かに貴族の子女らしい雰囲気と見た目の中に、何か異質なものを感じ取る。平民を見下すような事は無いと聞いていたが、そういうのとは違う、何か不安げな空気。
一方。
ウェルス・サルヴィウス(ea1787)には、何とはなしに、彼女の抱える何かが分かるような気がしていた。
孤児であり、故郷神聖ローマの考えに馴染めず、迫害されていたと言っても良い彼は、彼女から自分と近い『匂い』を感じ取った。乾いてそれでいて淀んで、寒々しい‥‥それは「居場所の無さ」と呼ばれるもの。
「ベルさん。無理に筆を執らなくても良いと思うんです」
創作旅行の行き先を打ち合わせる前に、シェアト・レフロージュ(ea3869)はそう告げた。
「体同様、心だって疲れます。疲れた時に無理して何かを作り出そうとしても、決して良い結果にはなりません。いかがでしょう‥‥この旅行中に、自然に描きたくなるまで待ってみては?」
即座に同意したのは、アストレアだった。
「それがええで。気分、乗らん時に無理してもな、余計、悪なるばっかりやから」
ベルは、二人に礼を言い、そうしてみる、と呟いた。
「ねえ」
ふと。行き先の打ち合わせが始まる前に、ベルは、クンネソヤ(eb5005)の姿に目を留めた。
「失礼に感じられたら、ごめんなさいね。でも、あなた、珍しいご衣裳ね? どちらから来られたの?」
ベルはクンネソヤの、蝦夷の民特有の民族衣装に興味を引かれたようだ。
「ああ‥‥おいらは蝦夷から来たんだ。ジャパンの北にある場所だ」
「エゾ? そういうところもあるのね」
その会話をさり気なく聞いていた冒険者たちは、ベルが美術そのものに興味を失っている訳ではないのだと、確信を持った。
どうしようもない訳ではない――きっかけさえあれば、このスランプは克服出来るだろう。
冒険者が、まずベルナデットを導いたのは、意外にも、パリ近くの小さな町。
「そんなに遠くに行かなくても、目先が変わったアートが見られるんですよ!」
そう言って、クリスが指したのは、ある大きな商人の屋敷の外壁だ。
「‥‥壁に、何か描いてあるけど‥‥どうやってあんなところに!?」
ベルは目をぱちぱちさせるばかりだ。
梯子か何かを掛けて描いたにしても、位置的にどう見ても不可解だ。まるで、空中に浮かんで描いたかのような‥‥。
「もう二年くらい、前になるんですけどね‥‥」
えへへ、と悪戯っぽく笑って、クリスが話し出したのは、かつてシフールの芸術家の一団が引き起こした騒動だ。
彼らは夜の内に、町のあちこちをその類稀な「芸術」で彩った。
風雨に曝されて、往時よりは薄くなっているものの、その色彩と形状の絶妙な調和は、芸術家たるベルに良い意味での衝撃を与えたらしい。
「そう、落書き。私だって‥‥最初は、板に落書きしたんだったっけ‥‥」
何かを思い出して、ベルは微笑んだ。
一行は、いよいよパリを離れる。
ちなみにアストレアは、迷子防止の命綱(実は裁縫セットの糸)を自分のロバ「ロッシィはん」に装着済みだ。
出かける際には、これが無いと‥‥あらぬ方角に漂って行き、危険が危ない、らしい。
「『月竜の谷』って呼ばれるところがあるのだよねえ」
とウィルことウィルフレッド。
「正式には、ギュランベット峡谷っていうのだけれど。ムーンドラゴンが姿を見せるのだよね」
今は月もやせ細っているから、本当に会える保証は無いけれど――
だけど、あの峡谷の雄大な美しさは一見の価値はあると、ウィルは断言する。
「ちょっと待って下さい。いくら比較的大人しい種類とは言え、ドラゴンに出くわすのは危険過ぎます!」
ブルーが、わしっ! と猫のイズモを抱き締めながら、待ったをかける。
大人しい種類とは言っても、それはあくまでドラゴンの基準からすれば、の話。彼らは人間やデミヒューマンの皆様だって、美味しくいただく生き物だ。
「なあ、まさか例の中央台地まで行くのか?」
その依頼の際に同行したクンネソヤも、ちょっとげんなりしている。谷底には、オーガの群れがひしめいているのだ。
「ううん。景色が目当てだからね。全体を見下ろせる高台に行ければいいのだね」
どう? というようにベルを見ると、彼女はちょっと驚いたような表情を浮かべながらも、興味を隠せずにいるようだ。
「月の竜の谷‥‥連れて行って下さる?」
ほんのちょっとの躊躇の後。
きっぱりと、ベルはそう言った。
立場上、パリから殆ど離れられない状態にあったベルにとって、冒険者たちに混じっての遠出は実に新鮮であるようだった。
一応、馬も連れて来てはいたが、ベルは専ら自分の足であるいた。
「道から見える風景が好きなんだ」
と言って。
道中の、さり気ない雑談で浮かび上がってきたベルの内面奥深くに淀んでいるのは――恐れだ。
些細な事からも彼女の内面の真実を引き出したクリスは、そう結論を出す。
自分は必要とされぬ厄介者という、罪悪感にすら似たもの。
一応の経済援助はされていても、偉大なるご実家の意向一つで、明日どうなるかも分からない、無力な立場。
こんな状態で、絵を描いても、一体何になるのか、と。
『でも、だからってさ! 押し潰されてんじゃないよっ!』
何だか悔しくて。
クリスは内心で拳を握った。
「この辺り、一面の葡萄畑ですね」
さやさやいう葉鳴りの音に、心地良さげに耳を傾けるシェアトの言葉に、ベルと冒険者たちは足を止めた。
葉陰には、まだ青く固い実が見える。
「思い出した。私、プロヴァンで葡萄踏みしたんですよ」
歌なんかも歌って、こんな風に、ね、と軽くその仕草をしながら、メロディを口ずさむシェアト。
貴族故に、その種の喜びを知らないベルは‥‥何だか眩しげに、そのメロディを聞いていた。
ふと、ジョセフに肩を叩かれ、ベルは振り返った。
「あそこ。狐がいるの、分かるか?」
「え‥‥あ」
ベルだけでなく、冒険者たちも目を凝らす。
葡萄棚の下の葉陰、狩ったばかりの野ネズミをくわえた狐が、物珍しそうにこっちを見ていた。
クンネソヤの脇にいた彼の狼クンネニシが本能的に唸りを上げた。
ぴょんと跳び上がり、ててっと狐が逃げる。
「知らなかったな。パリからちょっと離れると、こんな風景があるなんて」
ベルが呟く。
「こんなに綺麗な風景なのに‥‥私、もっと描けないと、駄目なんだよね」
未だ、この旅行中にベルが完成させた絵は無い。
「ねえ、ベルさん。まるで重い義務でもあるみたいに、描かないと駄目、と思うのは、良くないのではないかな?」
ウィルは静かに問いかける。
「自分の心の命じるままに描くべきではないのかな? 誰かに評価されるためではなくて」
芸術なんて、本来、そういうもの。
それに対する評価は、あくまで後から付いて来るもの。
「そや。それにな、気分が落ち込んでる時にな、無理に足掻くと逆効果になるだけや」
とアストレアが後を継ぐ。気分は、沈んだらやがては上昇するものだ、と。
そうだね、と、微かにベルが呟いた。
「それに、な」
再び歩き出した時、アストレアがふわふわしながら言った。
「ベルはんって、思ってるより孤独やない思うで? あの、修道院長さんな、わざわざ、こうして旅行の許可出してくれてはるんよ?」
あんたのな、家名とか絵の腕とかな、そういう事にしか関心あらへんかったらな。
‥‥そもそも、外にも出さへんやろ?
認めてはるんやなあ、ベルはんの事。ちゃんと。
ベルは、一瞬、唖然というに近い表情を浮かべ。
ついで、ゆっくりと、振り返った。
‥‥もと来た、パリの方角へ。
「おはよう、ウェルスさん。何だか、いつも早いんだね」
森の一隅で夜営した翌早朝、ベルはふと、森のすぐ外、東に向いた斜面に腰を下ろしているウェルスに声をかけた。
「‥‥早起きしてみて下さいって言うから、何かと思った」
説明の必要無く、ベルは察したようだ。
丘の連なる地平線から、夜の黒が藍に変わり、やがて退き、空全体が薔薇色に輝き始める。
真珠のような光に彩られた雲が、太陽の進むべき道を示すかのようにゆっくり流れ行く。
「こうして、夜が明けてゆくのを何度も見てきました‥‥何度も」
それは、ただ単なる言葉だけの意味ではない。
かつて故郷で、無理解と侮蔑の中に捨て置かれた少年が、世界の全てを憎まずにいられたのは、まさにこうした風景のお陰だったのか。
無論、ベルにそこまでの事情は分からないけれども。
彼が世界に注ぐ目の優しさの理由は、理解出来た、気がした。
「ふぁあぁあ〜〜! 風、強いわぁ〜!」
不規則な突風にあおられて、アストレアが必死に命綱をたぐってペットの元に戻る。
眼下に広がるのは、長い年月が生み出した雄大な風景。
月の竜が立ち寄ると噂の、この場所が、ギュランベット峡谷。
「ああ‥‥こんな場所があったなんて」
平地の多いノルマンに、こうした場所があった事自体、ベルにとっては驚きのようだった。
「下には降りないようにね。オーガがわんさかいるからね‥‥」
「あの時、ちょっとやばかったんだよな、おいら‥‥」
以前の依頼でオーガとの死闘を思い出し、思い出と共に(?)こわごわ下を覗き込む、ウィルとクンネソヤだった。
慌しく、夜営の準備をする。
空は褪せた茜に染まり、早足で夜が近付いてくる。
今夜は、満月からは遠く。
鎌のような月が、蒼く谷を照らすだけ。
ぽぅっと、まるで不可思議な灯火の輪のように、シェアトのムーンフィールドが一行を包み、淡く照らし出す。
蒼い月光に照らされ、永遠に静止したかのような夜の峡谷の静やかな美を背景に、シェアト、クリス、アストレアの三人のバードが、それぞれ愛用の楽器を取り出す。
本来バードとは、月精霊と親しい者たち。故に、月精霊に音楽を捧げる資質を持つ。
クリスのリュートにシェアトの竪琴が絡み合い、やがてアストレアのオカリナの音色が加わった。
何の打ち合わせもしていないはずの、即席の演奏会は、まるで前々からそこでそうするのが定められていたかのように、月夜に相応しい音色となって、谷風に乗って広がって行く。
あ、と小さい吐息は誰の耳にも届かなかった。
誰もがバードたちの演奏に聞き惚れる中、何かに呼ばれたような気がして、ベルはふと顔を上げ‥‥
上空を、大きな影が、ほんの一瞬だけ、過ぎった。
数日の後。
女子修道院の扉の前で、冒険者たちは、若き騎士にして画家と別れを告げる。
「やるよ」
簡素な言葉と共に、クンネソヤが手渡したのは、ここ数日で彫り上げた、見事な木彫の狼。彼の相棒、クンネニシの姿だ。
パリから殆ど出た事が無いベルが、実際の狼を珍しがった。その姿に、ふと思い付いた、言葉少なな彼の、ちょっとした計らいだった。
「ありがとう、みなさん」
ベルは一人一人に礼を言う。
「描いてみる。自分で分かる。今なら絶対、描けるんだって」
数日後。
それぞれの元に、シフール便で届いたのは、掌大の小さな羊皮紙。
あの旅で見た風景が、輝く色彩で描かれていた。