湯煙温泉夢気分〜花より団子〜

■ショートシナリオ


担当:呉羽

対応レベル:フリーlv

難易度:難しい

成功報酬:5

参加人数:8人

サポート参加人数:3人

冒険期間:04月21日〜05月01日

リプレイ公開日:2008年05月02日

●オープニング


 パリマップと言うのが最近パリっ子の間では流行っているらしい。
「うん、このクレープもなかなかイケる。これを片手で持ち歩けるようにしたら売上更にどん、だと思うんだがどうだろう? 店主」
「そうだね。でも器の上に広がるクレープと甘味のハーモニーが奏でるえも言われぬ味わいは、他では想像も出来ないと思うよ。これを残しておくのは、やはりパリの財産じゃないかな」
「あ。私は、パイに季節の野苺とか入れるといいんじゃないかな、って思います〜」
 某店で、そのパリマップを手に『甘味処つあー』なるものを計画、実行中の団体様が、店主相手に店の看板クレープについて語っていた。
「パイか‥‥。パイも片手で持てるような小サイズを作って売ったらなかなか」
「でもこれを皿に乗せてナイフで切った時の絵が見事で」
「こっちの焼菓子は季節の」
 そんな男女3人を少し離れた所で眺めていた娘の目が、今にも逃げ出しそうな店主とばちっと合う。
「‥‥何故、魔法少女‥‥? という顔ね」
「だだだって‥‥こんなの営業妨害じゃないですか‥‥。いや娘さん達は若作りが過ぎるにしてもいいですよ‥‥? まだ。でも、あちらの2人は‥‥男じゃないですか! 男があんな‥‥あんな‥‥!」
「気にしちゃ駄目。負けと思ったら負けよ」
 そんな2人のやり取りに、奥の3人が目をやる。
「似合わないかな‥‥?」
「そういう問題では無いでしょう!」
「でもそれでいいの? 人として」
「レティシアさんはどっちの味方なんですか?」
 問われた娘は肩を竦めた。正解は、どっちの味方でも無い。
「店主さん。私達は、『魔法少女の杖を使って魔法少女にへんし〜ん。魔法少女達が行く、パリの隠れた甘味名店巡りつあー』中なんです。だからその‥‥この格好は‥‥」
「戦闘服なんです」
 にっこりと金髪に輝かしい笑顔を見せて、エルフの男性が即座に述べた。その向かい側で、黒髪の男がにやと笑っている。
「そ、そう! 戦闘ふ‥‥って‥‥そうなんですか? アリスさん」
「そうだよね? 彬」
「そうじゃないかな、レティ」
「‥‥順番に振って来ないで‥‥お腹痛い‥‥」
 
 ともあれ、店主を煙に巻きつつ4人はパリ内を巡っていた。勿論通るは裏道。幾らなんでもこの格好で表道を歩いた日には、彼らの築き上げたであろう名声ががらがらと崩れ落ちる。別の名声を頂点まで築き上げたいならば又別だが。
「そろそろ花見の季節だな」
 尾上彬(eb8664)が呟きながら上を仰いだ。家々の隙間に見える木々に小さな蕾を見つけて嬉しそうに微笑み。
「ジャパンじゃこの時期は桜で花見で大賑わいだ。酒と桜、弁当を作って盛り上がって、踊ったり歌ったりもするな。月見酒も兼ねて夜桜を見ながら温泉なんてオツなもので‥‥」
「へぇ〜、楽しそうですね!」
 即座に興味を示してアーシャ・ペンドラゴン(eb6702)が何度も頷いた。
「ノルマンでも出来るといいんですけど」
「‥‥そう言えば、ラティールの『聖女の泉』。完成してたみたいだけど」
 それに応じて思い出したようにレティシア・シャンテヒルト(ea6215)が告げる。
「『聖女の泉』?」
 アリスティド・メシアン(eb3084)が首を傾げるのは最もな事だ。4人の中でその話を直接現地で聞いた事があるのはレティシアしか居ない。だが噂には聞いていた。

 ラティール領。
 今、この領地には領主が存在しない。領主は死に、唯一の娘はパリで裁きを待っている。現在ラティール領は、領主代行役が代わってこの土地の再興計画を進めていた。一時は疑心が疑心を呼び酷い有様だった領内も、今では大分落ち着きを取り戻している。
 その再興計画には冒険者達も力を貸していた。『聖女の泉』はそのひとつである。領内で『飲むと元気になる水』が沸く井戸が掘られた。その水を使い、薬湯として治療院を併設、ついでに猫屋敷なども作って客を呼び込む場所とする為、以前冒険者が動いた場所である。
「『京都村』とやらも作る計画があるって噂もあるしな‥‥。もしかしたら桜の1本や2本あるかもしれない。『花見に温泉、茶屋にエリザ』。よし、これだ」
 ぽんと膝を打って彬が皆を振り返った。
「‥‥『茶屋にエリザ』?」
「どうせなら大勢のほうが楽しいだろう。この企画、ギルドに張り出してみないか?」

 と言うわけで、冒険者ギルドに募集の紙が張り出された。
 内容はこうだ。
『ラティール領にある薬湯で心も体もリフレッシュ! 花を愛でつつ酒と甘味に舌鼓。今まさに、人々を呼び込む娯楽町に変わろうと目まぐるしく成長するラティール領に、みんなで遊びに行ってみませんか? 遊びついでに復興のお手伝いなどして、貴方も一躍(ラティール領の)有名人に!』


「私も何かと忙しい身で」
 『つあー』に行くにあたり、彬は何人かに声を掛けていた。
「でもまぁ‥‥休暇は取れないから、仕事ついでという事なら、数日くらいは同席できるかな。もののついでにシャトーティエリーに行くことも出来るしね」
 自称『情報屋』が何者なのか、もう彬は知っていたのだが、『情報屋』はあくまで彼の後ろにそびえる機関を介さない方法を取って彬に会っている。公にしない事を暗黙の了解と取って欲しいという事らしかった。
「じゃあ、都合がつけば、という事だな。後は上役‥‥いや、イヴ殿なる女性の同伴はどうだろう?」
「ん〜‥‥。私はあまりその人の事は知らないけれども、さすがになぁ‥‥1日の休みを取るのもなかなか難しい人だから」
 パリ内ならばともかく、遠出は無理だという事らしい。
「それは残念だ。で‥‥実は本命がいるんだが」
「本命」
 その言葉に『情報屋』の目が輝いた。
「今、白の教会で裁判を待っているという‥‥娘さんなんだが」
「‥‥その子が本命?」
「両親を亡くし、兄をデビルに利用されている可哀想な娘さんで」
「‥‥教会に必要以上に関わるのは越権行為と言ってなぁ‥‥」
 背もたれに背を預け、『情報屋』は軽く息を吐く。
「そこを何とか」
「何とか‥‥何とかねぇ‥‥。理由は?」
「そこを突かれると難しい。けど、あの娘さんに罪は無い‥‥。少なくとも、彼女が言うような罪は無いはずだ。なのにまだ拘束されているのは不条理だと思うんだが。むしろ彼女に郷の復興を見せてやりたいじゃねぇか」
「分かった」
 『情報屋』は頷き、『約束』した。
 時間はかかるが、必ず一時の解放を約束しようと。ただし、必ずパリに彼女を無事な姿で連れ帰す事。
「教会に居るのは、彼女の身の安全もある。元々、冒険者のほうでもそういうつもりはあったんだろう?」
 そう言って‥‥『情報屋』は少し考えこむようにした。
「そう言えば‥‥ドーマンの一人娘も行方知れずになったと聞いたな。あの3領地の娘は何か因果でもあるのか‥‥?」

●今回の参加者

 ea1674 ミカエル・テルセーロ(26歳・♂・ウィザード・パラ・イギリス王国)
 ea3502 ユリゼ・ファルアート(30歳・♀・ウィザード・人間・ノルマン王国)
 ea6215 レティシア・シャンテヒルト(24歳・♀・陰陽師・人間・神聖ローマ帝国)
 ea8407 神楽 鈴(24歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 eb3084 アリスティド・メシアン(28歳・♂・バード・エルフ・ノルマン王国)
 eb6702 アーシャ・イクティノス(24歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb7208 陰守 森写歩朗(28歳・♂・レンジャー・人間・ジャパン)
 eb8664 尾上 彬(44歳・♂・忍者・人間・ジャパン)

●サポート参加者

アンジェット・デリカ(ea1763)/ セフィナ・プランティエ(ea8539)/ ジャン・シュヴァリエ(eb8302

●リプレイ本文


 その男は、静かにその時を待っていた。
 既に亡き者となっていても可笑しくない男である。それがここまで生き永らえたのは、単純に男の運が良かっただけに過ぎない。
 だが彼らは男から入手出来るだけの情報は入手した。敢えて敵を誘き寄せる為に生かしていたようなものだが、その価値も最早無いと判断された。近いうちに男は刑に処されるだろう。
 誰に知られる事も無く、静かに。

「おぉーっ、イイ頃合じゃねぇか」
 桃白色が咲き誇る中、尾上彬(eb8664)がひとつ伸びをした。そんな彼の頭上には弧を描くようにして花のアーチが出来ている。
「少しばかり息抜きを‥‥と思いましたが、これは想像以上ですね」
 ミカエル・テルセーロ(ea1674)も満足げに呟き、遠巻きに見つめる人々へ、にこっと微笑みかけた。数人の娘が『きゃー、可愛いー』と嬌声を上げる。
「こんな所がラティールにあるなんてね。何度か来たけど気付かなかっ‥‥わっ」
 木の根元に躓いてコケた神楽鈴(ea8407)に、陰守森写歩朗(eb7208)が手を差し出した。
「桜と見紛うような美しさですね」
 鈴を見ながら言ったが、彼が褒めたのはこのアーモンドの木々である。
「わぁ‥‥ロマンスの始まりでしょうか‥‥」
「‥‥詩のネタには欠かないようね‥‥」
 そんな彼らを木の陰から見守るは、アーシャ・ペンドラゴン(eb6702)とレティシア・シャンテヒルト(ea6215)。自分達だって『そういう』お年頃なのだが、今回2人は皆の『ろまんす』を見る役割であるらしい。勿論最大の標的は‥‥。
「リザ。足元気をつけて」
 金の髪を揺らして、アリスティド・メシアン(eb3084)が質素な身なりの女性の手を取った。質素というよりもむしろ喪服のような格好で、彼女はこくりと頷く。
「‥‥本物の王子様が居るみたいね」
 某所では『王子様』として名高いらしいユリゼ・ファルアート(ea3502)が、それを見てくすりと笑った。
「地で現地女性が釣れそうな面々だね」
 全体を眺めてフィルマンも笑う。
 以上10名が、今回の『お花見宴に温泉つあー』の参加者である。


 ミカエルがストロベリーミストで春香を付けてオノレに送ったシフール便の返事は、彼らがラティール領についてから届けられた。
 冒険者達のおかげでこの領内も確実に復興が進んでいる事。お客としての目線で見て貰う事、旅行で来てくれる事に感謝し、是非意見など伺いたい事。薬湯の1日貸切は事前連絡を貰って居るから問題ない事。突如急患が来るかもしれないが、そこは留意して貰いたい事などが書かれていた。
「そうですね‥‥。治療院も兼ねてますものね」
 ミカエルは呟き、皆にそれを告げる。そこで生活している人々が居るのだから、そちらを優先する事は当然だろう。
「それで‥‥その格好は何なの?」
 エリザベートが本人と分からぬよう、名前は『リザ』で通し変装もさせた。化粧を変えて派手な格好は避けて‥‥アーシャから借りた七色に輝くヴェールを被り、ひっそりとしているのだが。
「いやこれはアリス君が是非にと。旅と温泉にはこれだからって貸してくれてね」
 ユリゼの突っ込みに、三度笠を被って手拭いを頬被りにして蓑を着ているフィルマンが爽やかに返答した。明らかに怪しい。どう見ても怪しい人物なのだが‥‥。
「そう‥‥」
 アリスティドが貸したとなれば余り強くは言えなかった。使用法が微妙な線なのはいつもの事だ。ついでに着用している和洋折衷な服の模様が仏像っぽいという辺りは、最早気にしてはいけない。
 そんな彼らが最初に向かったのは、『猫屋敷』と『聖女薬湯』である。

「や〜ん、かわいいですぅ〜」
 だきゅっと真っ先に猫に抱きついたのはアーシャ。薬湯と治療院、そして猫屋敷があるその場所は、元々集落も無かったのだが。
「『おいでませ、聖女の泉へ』‥‥」
 立て看板は花で覆われており、幾つかの家らしきものも建っていた。木は削られ、まだまだ土地の空きはあるようだ。
「うっわ‥‥猫多いね‥‥踏んじゃいそう」
 鈴がきょろきょろしてから、そっとでぶ猫を抱き上げてみた。ふてぶてしい態度が気になる。
「実は来たくて仕方無かったんですよ‥‥やっと触れる‥‥」
 つぶらな瞳の子猫をぎゅっと抱き、ミカエルも嬉しそうに笑った。その周りをにゃーにゃーと猫達が取り囲む。
「思い切り運動しておいで」
 アリスティドが愛猫をその輪の中に放してから、その場所の管理人に羊皮紙を手渡した。
『猫さん屋敷‥‥! 末永く守らなければなりません!』
 ぐっと拳を握って力説したセフィナが、せっせと『猫さんグッズ』案を絵に描いたらしい。猫耳、猫手袋、猫手形焼き印羊皮紙、縫い包み、猫を模った指輪‥‥などなど。どれも安くは無いだろうが、お土産品としてどうかという事である。
「この場所、結構空きあるみたいだし、『京都村』を作るに相応しいよなぁ」
「‥‥何やってるの、彬」
「ん? どうやら猫に好かれる体質らしい」
 彬は猫にもみくちゃにされていた。
「動物は人を見る目があるものね。‥‥アーモンド、楽しかった?」
 ユリゼも愛猫を抱き上げる。そして皆はそれぞれ猫とのひと時を楽しんだ。
「猫さん、何を言ってるのでしょうね〜」
 とアーシャがうきうきオーラテレパスを使って『腹減った』と言われたりもしたが、概ね皆は満足して猫屋敷を出る。そして、薬湯のほうから手を振りながらやってくる人達と出会った。
「あーっ。先生じゃないですか。こんな所にどうしたんですか?」
「‥‥あれ‥‥あ、確かナッティさんとフェムさん‥‥?」
 たったかやってきたパラがぎゅっとミカエルの手を握って笑う。
「ナッティの腰痛治療してるんですよ〜」
「そういえば『聖女の泉』に行くというお話しでしたね。ナッティさんの腰痛は良くなりましたか?」
「はい、おかげ様で」
 後ろでエルフが礼をし、2人はこの場所に逗留して剣の修行をしたり言語の勉強をしたりしているのだと告げた。
 かつて不適合冒険者の烙印を押された彼らだが、他の者達の現在の動向は詳しく知らないらしい。それは又、別の話となるのだろう。

 2人に案内されて皆が向かった『聖女の泉』という名の薬湯と治療院は、それなりに人が集まる場所となっていた。
 皆でひとつの浴槽に入る事は嫌われるが、ひとり1つの浴槽が用意されていたり、薬湯に入りながら治療を受ける事が出来たりでなかなかの評判らしい。数人が入れる大きさの浴槽もあり、それは専ら足湯に使われているようだが、貸切の日の用途はご自由にと言う事だった。
「お客が増えたら薬草が足りなくなるわね。栽培の効率とかも考えたほうがいいわ。一年中使えるように」
 ユリゼと薬師が幾つかの案を練り、常時使用出来る薬湯を目指す。
 後の者達は、この近くに『京都村』と『温泉茶屋』を作る事を目指して頑張る事にした。


 ラティール観光は続く。
「でもそういう事は女の子がやるものじゃないなぁ‥‥」
 そんな中、1人少し距離を置いている娘がいた。皆が楽しんでくれればいい。その為にできる事をと、常に周囲を警戒し、宿も夜は不眠で警戒に当たったわけだが‥‥。
「こんなに男が居るのに」
「そんな事より貴方に聞きたい事があるのだけど」
 夜中に扉の外で待機していたレティシアに、フィルマンが近付いて声を掛けた。だがその忠告(?)はあっさり無視され、フィルマンは仕方なく彼女の傍に座る。
「ドーマン領のリリアが失踪したというのは本当の話なの? この前、盗賊団が攻めてくるという話があって私達は防衛に参加したのだけど、リリアは確かにドーマンには居なかったわ。他に、この3領地貴族で失踪者は居ない? それから、盗賊の情報を入手したら教えて欲しいの」
「それよりも君は寝なさい。私が見張ってるから」
「いいえ、結構よ。リザを連れてきたんだもの。誰かが警戒する事は必要だわ」
 言いながらレティシアは、エリザベートを皆で迎えに行った時の事を思い出した。
 罪の意識に苛まされて自ら教会へ出向いたエリザベート。半年も前の話だ。彼女自身に罪は無いはずだが、彼女は教会で裁かれる事を望んだ。それからフィルマン曰く『保護も兼ねて』教会に居た彼女を、今回のラティール旅行に誘う為に誘いの連絡を入れ‥‥そして今がある。
 随分痩せていた。前はどちらかと言えばふっくらとしていたけれども、両親を亡くした事、兄の事、自らの事で精神的に弱ってしまったのだろう。教会からゆっくり出て来た彼女の喪服姿はあまりに哀れで、そして儚げだった。目にも力は無く、この世を儚んでいるかのようにも見える。
 その姿を見ただけで楽しげな雰囲気は一変したが、それでも彼女は皆の姿を見て微笑した。それがせめてもの救い。
「‥‥彼女は守らないと。じゃないと‥‥」
「救われない?」
「そんな簡単な言葉じゃないわ。昼間、クリステルにも会ったけど‥‥」
 ラティール町の白教会の神官クリステルは、エリザベートをしばらく匿っていた人物である。そして今は亡きシャトーティエリー領の娘、エリアについても恐らくよく知っている。
「エリアには息子が居たの。貴方だから言うけど。でもそれが知られたら‥‥この調子だとどうなるか分からない。シフール便で注意するよう連絡はしたけれど、巻き込まれないとは限らないわ。だから教えて」
「クリステルとはどんな会話を?」
「今は言えないわ」
 言いながらも彼女は思い出す。
 クリステルは少女時代のリリアとエリアを知っている。そもそもリリアとエリアは母親同士が姉妹と言う事もあって、幼い頃から頻繁に遊ぶ仲だったらしい。だが変化はエリアが13歳になる前に起こった。シャトーティエリー領に1人の詩人が現れたのだ。
『2人は恋に落ちたと‥‥聞いています。私がその事を知っているのは、当時私も傍に居たからです。いつもヴェールを被っているような優男で詩人。それだけでも成就しない恋でした』
 だが幼いエリアは男に夢中になった。そして‥‥子を宿す。
 それは決して認められない子供。産まれてはならなかった子供。その後、子供がどうなったのか、相手の男がどうなったのかクリステルは知らなかった。だが子供は生きていた。生きていただけに怖いと彼女は呟く。
『呪われた子供‥‥。全てに於いて呪われた運命を背負った子です‥‥』
 そんな事は無いとレティシアは告げた。子供が親の都合に振り回されて、その上『呪い』という烙印を押される。そんな事を認めてはならない。
「でも、何か嫌な予感がする」
「私がこの旅に参加した理由は幾つかあるのだけれども」
 自称『情報屋』は、静かに呟いた。
「もう言っても良い頃かな。シャトーティエリー領にはデビルが加担していると思う」


 関係無い方には申し訳ないが、ここで現在の状況について述べてみよう。
 彬はシャトーティエリー領に仕えている。かつてその館の地下へ鈴と共に潜入したが、出た所で見つかってしまった。術で領主代行に化けていた為事なきを得たが、見つけた相手は領主代行の補佐役だった。その態度に違和感があったから、或いは化けている事に感づいていたかもしれない。だが今の所、何も言われずに済んでいる。
 ラティールの館の庭の地下には古いメダルとオリファンの角笛が置いてあった。その場所は最近誰かが入ったような形跡があったと言う。その角笛は今はアリスティドの元にあるが、理由は明確だ。
「あの時‥‥言って下さいましたよね‥‥」
 お花見をする為に、皆はアーモンドの木々の下でうろうろしていた。持って来た桜餅やももだんごや酒がどんどん並べられ、蕎麦まで取り出される。さすがに生では食べられないから、これは森写歩朗がせっせと湯掻いた。
 桜火という名の酒とどぶろくが多く、アーシャなどは自分用の3色串団子を用意するほどノリノリだったが、大酒飲みはほとんど居ない。彬がかろうじて少し強いくらいで‥‥。
「いっちばーん! アーシャ! まるごとキタリスエプロンショー!」
 顔を真っ赤にしたアーシャがすくっと立ち上がった。いつの間にか彼らを遠巻きにしていた人々からやんやと喝采が上がる。
「このまるごとキタリスが! 世界とこのパーティを守る!」
 びしっとポーズを取るが防寒着はそろそろいらない季節であった。酒で酔った体には暑い。
「‥‥あつ〜い‥‥もう脱ぐ〜」
 数分でまるごとを脱いだ上に一緒に服まで脱ごうとしたので、慌てて皆に止められた。
「では僕も‥‥乗っかってみようかな」
 そのキタリスを借りて、ミカエルも着ぐるみの人となる。『かわいい〜』といつの間にか出来た追っかけ隊から声が上がったが、それへにっこり微笑み返して彼はゆっくり踊り始めた。その動きは拙いが、幽玄を表現しようと炎を浮かべる。炎は柔らかく動いて蝶の形を作り、すぐに溶けて猫となった。時にはただの照明ともなるそれを木々の間を縫いながらゆらりと舞わせる。足元でペットの埴輪が踊り、宵の始めから幻想的な光景がそこに出来上がった。
 今回まるごと着ぐるみを大量に持ち込んだ森写歩朗は、クラウンマスクに道化棒を使って大道芸を披露する。と言っても手品が主で、観客を惹きつけながら彼はそれを大仰な身振りで見せて行った。とにかくいつも所持品の多い彼の荷物からは、驚くような品も登場する。
「何でも袋だ‥‥」
「きっと別世界と繋がっているんだ‥‥」
 と観客達は述べたが、彼らには真相は謎にしておこう。
 鈴は茶道具一式と茶釜を借りて、茶会を開いた。お茶菓子は無いけど‥‥という彼女だが、皆が持ってきた大量のだんごなどは充分な茶菓子である。
「これが伝統的なジャパンの花見なんだよね。連歌を詠うっていうのもあるけど」
「連歌?」
「2人以上でね、和歌の上の句と下の句を順番に読み重ねるんだけど」
「何か難しそうね」
 ジャパン茶は濃く、味が合わない者には合わないのだが、そこは冒険者。難なく飲んでいる。バード達が連歌の法則に興味を示して教えてもらっていたが、これをノルマンで使えるかというと謎だ。
 その続きを担ったのがまるごとどらごんを着た彬。こちらも借り物である。
 人遁の術で巫女に化けてゆうらり踊って見せる姿は実に艶やかで、夜アーモンド花の下では一層それが情緒を醸し出す。どらごん姿で竜神役に変化し、お告げを述べてみたりもしたが、やはり巫女姿は評判が良かった。女装では無く女性の姿に化けているのだから、動きさえしっとりしていれば言う事は無い。そうやって踊りながら、彼はちらとエリザベートを見やった。
『試しにあんたも一緒にどうだい? 花魁‥‥ジャパンの蝶になるのもおつなもんだぜ?』
 宴の始めにそう誘ったが、エリザベートは華やかな姿になるのを断った。仕方が無いので、
『落ち着いたら、アリスと一緒に茶屋の看板娘になるのはどうかな?』
 とも誘ってみた。
『‥‥僕は看板娘にはならないよ‥‥?』
 後ろからアリスティドに言われたがその野望は捨てていない。
 そんなアリスティドは呉服に羽織姿。エリザベートには落ち着いた色合いの着物を勧めていた。大人しく従った彼女に着物を着せていると、
『‥‥着せる補助になるのはいいけど、変な所触ったら‥‥駄目よ?』
 じととレティシアの冷たい視線とぶつかったりもした。
 そんなわけでエリザベートは窮屈そうにそこに座っていたが、言葉数が少ないので自然と傍に居たアリスティドも無口になる。そんな中、彼女は呟いたのだった。
「‥‥何を?」
「私を守りたい、って」
 頬を染めているのは酒の所為なのか。アリスティドと視線がぶつかって一瞬逸らしかけたがそのまま見つめ返す。
「それを聞いた時‥‥私、気付いたんです。私も‥‥守りたかったんだなぁ、って」
 彼女が守りたいものの事は知っている。黙ってアリスティドは頷いたが、それへ彼女は微笑を返した。
「違いますよ。兄や領地や家の事じゃないです‥‥。貴方を、守りたかったんです」
 だから角笛を置いていったのだと彼女は告げる。手紙と共に。そしてそれを読んだ冒険者が彼にそれを手渡したのだった。
「待っているだけは、もう嫌だったんです」
「君はいつも1人で決めて行動してしまうから‥‥」
 そっとその髪を撫で、彼は苦笑に似た笑みを浮かべる。
「不安だよ‥‥いつも」
「ごめんなさい‥‥でもありがとう。私をここに連れてきてくれて。貴方とこうして居られるだけで‥‥幸せです」
 彼女の表情に、彼はそっとブローチを取り出した。それをその手に置いて自分の手を重ねる。
「今日の思い出が、君の心に咲き続けるように、これを」
 そっと開いた手の中で桃色の花がきらりと光った。
「ふふ‥‥奇遇ですね。私も同じ物、用意したんです」
 大事な物に触れるかのようにそっと袋からアーモンドブローチを取り出し、彼女はそれを差し出す。
「半年の間、ずっと考えていました。いろんな事‥‥自分の犯した罪‥‥。でも、私が死んでしまったらそこで終わりなんですよね。私は生きて‥‥伝えなければいけない。‥‥貴方に」
 そのブローチを受け取って微笑む人に、彼女は精一杯の勇気を振り絞って告げる。
「人間とエルフ‥‥それが禁忌でも、私は貴方が好きです。この旅のようにずっと傍に居たい。この恋はエリアの二の舞にはならない‥‥。そう、信じたいんです」

「ちょっ‥‥アーシャさん、私の体型じゃギャグにしかならないからっ」
 そんな中、酔ったアーシャに『うへへへへ〜そんなことないですよぉ〜』と言われつつスカーレットドレスを着せられたユリゼは、溜息をついていた。
「こういうのもあるぞ」
 彬にはペールブロッサムを渡され、衣装替えまで要求される。ボレロを羽織らせて欲しいとお願いしてそれを着たものの、赤色のドレスを着るのは初めての事で心なしか大人しくなってしまった。最後の衣装替えでイブニングドレスを着、そっと男の傍に座る。
「お酒修正が無い機会に‥‥素直な感想を聞かせて頂戴‥‥」
「酒修正?」
 笑う男から目を逸らし、彬の手元にまだ『魅酒』があるのを確認してからユリゼは小さく呟く。
「この‥‥格好」
「私が渡したドレスだね。よく似合ってるよ。‥‥個人的にはさっきの真紅のドレスは良かったけれど」
「あれはっ‥‥恥ずかしいのよ‥‥」
「薄桃色のドレスも良かったよ。歩くと華やぎがあってね。まぁ‥‥どの格好でも、君が可愛い事に変わりはないから」
 駄目だ‥‥。ユリゼは木の陰に隠れて膝をついた。酒があってもなくてもこの男はこういう男である。彼女曰く『女装』の強気は数分しかもたないようだが、それにしても。
「もう少し‥‥こう‥‥」
 言いかけたユリゼの目が彬とばっちり合った。笑って『この佳き日に』と呟き酒を飲む彬に、彼女は益々落ち込む。
「明日から仕事でしょ? 気をつけて。行ってらっしゃい‥‥」
 それでも立ち直り、彼女はフィルマンにそう告げた。ありがとうと答える男に、彼女はそっと囁く。
「次があるなら‥‥少しは貴方の事、聞かせて欲しいかな‥‥」

 京都村をこの場所に作らないかという案は、宴もたけなわの頃に出向いたオノレに伝えられた。その脇に温泉茶屋を設置。土産品を置きジャパン風の食べ物を振舞う。
「お疲れ様です。貴方も主人のあのお方も」
 ミカエルがジャパン風に酌をしようとして、オノレは苦笑したもののそれを受けた。
 鈴はもぐもぐ食べ続け、アーシャは倒れ伏している中、森写歩朗も寄ってきた。茶屋に出す物の案を書いたらしい。同じようにユリゼにアンジェットがお菓子のレシピを伝えていたが、勿論採算の問題もあるからこれらが全て採用されるとは限らない。
「それにしてもこの弁当は美味しいな。懐かしい味だ」
 近くの家の厨房を借りて、森写歩朗はこの宴の為に弁当を作っていた。所謂花見弁当。季節の食材をふんだんに使い鮮やかに彩った逸品であるが、様々な料理用の調理道具を駆使し、スィルの杯を使って酒を甘くして菓子の隠し味にするなど、彼の工夫は数え切れない。
「もち米が手に入ると良かったのですが‥‥やはりノルマンでは難しいですね。搗き立てのお餅はとても美味しいのですが」
「あぁ、分かるよ。あれを焼いて酒と食すのが最高の贅沢だったな」
「とりあえず代替として、小麦粉を練った物を薄く引き伸ばして、中に果物のジャムを挟んでみました。揚げれば華国風ですが、ジャパン風に‥‥。大福も作りたいのですが、小豆餡はどうしても難しいですね」
「ほうほう。京風と言えば、団子は焼き醤油だな。冷や水に団子が入っていないのが惜しい所だが」
「京風の和菓子に固めたほうが良いでしょうか?」
「実際の所、砂糖やもち米を使えば採算が合わなくなるからな。その辺りの妥協点を見出さなければ」
 いつの間にか、『温泉茶屋』に出す菓子の話で森写歩朗とオノレは盛り上がっていた。実際にジャパン風の物を出すとなると、それなりの腕を持つ料理人が必要となる。知識も要るしジャパン人のようには行かないが、逆にノルマン人の口に合った物を作れればそれで成功と言えるだろう。
 この辺りは数日後、皆が茶屋開店準備をしてくれたわけだが、最初に菓子を配布して客を集めても、継続出来ねば意味が無い。勿論その時はラティールのあちこちから人がやって来たが、問題はこの後と言う事になるだろう。
「少し、考えて見ます。厨房を貸してもらっている家の方には申し訳ありませんが」
「いや、その家には私からも言っておこう。君の案、楽しみにしているよ」
 後で家の人用の料理も作って掃除もしておこうと思いつつ、森写歩朗は様々な案を厨房で実践してみるのだった。
 ともあれそれも少し後の話。ミカエルは2組のカップルを見ながらオノレに酌を続けている。
「僕はロマンスの相手も居ないですしねぇ‥‥。恋愛運、無いんでしょうか」
 一瞬男に求婚された事を思い出し、ミカエルはそっと溜息をついた。
「パラの女性か。何なら紹介するが」
「あ、いえっ‥‥。そういうわけでは無いんです」
 脳裏に一瞬或るパラ女性が浮かぶが、彼はそのまま花を見上げる。
「不思議ですね‥‥。散る花は‥‥人の心を揺さぶる‥‥」


 実はこの後、レティシア主導による世にも混沌とした不思議な出し物があったのだが、ここでは敢えてそれに触れないでおく。ただ、それを見た観客達が呆然とした事だけは書いておこう。田舎ではさすがに刺激が強かったようだ。
「おっふろ〜♪ おっふろ〜♪」
 そして翌日。薬湯を貸切って皆はそこに飛び込んだ。
「縁に『聖女の泉』って書いてあるね。芸が細かいなぁ」
 笑顔で一番に入った鈴は、そこに置かれている『聖女の像』が木製の浴槽に合わない事に軽くショックを受ける。
「これ‥‥駄目じゃん‥‥」
「何が駄目なんですか〜?」
 続いてアーシャが入り、エリザベートの手を引いた。
「輪になって背中を流し合いっこしませんか?」
「うん、いいよ〜」
 肩まで浸かってのほんとしている鈴が、満面の笑みで頷く。しかし生粋のノルマン人であるエリザベートは抵抗があるようなので仕方なく1人用の浴槽に入ってもらった。
「わ‥‥本当‥‥貸切なのね。のびのび温まれるわね」
 ユリゼも入ってきてゆっくりと湯船に浸かる。
「で、レティシアは?」
「入らないみたいです〜」
「ふーん‥‥。あれかな。自信ないのかなっ?」
「そーですよね〜。リザさん、スタイルいいですもんね」
 言われてエリザベートは微妙な表情を見せる。しかしそれは‥‥。
「‥‥聞こえてるわよ‥‥」
 戸の隙間からレティシアが半分顔を覗かせていた。その世にも恐ろ‥‥いや美女と般若は紙一重とでも言わんばかりの表情に、2人は一瞬固まったが。
「ここまで来たなら一緒に入りましょうよ〜」
「そうそう。一蓮托生。あ、戸はきっちり閉めといてね。もし覗きが居たらかる〜くボコってやるけどっ♪」
 すこぶる楽しそうな2人によって逆に薬湯風呂へご案内されたのだった。

 男性風呂側は自粛しておくが、アリスティド曰く。
「今日の月は忘れられない。悪くない夜だと呟いて彬は沈んでたよ」
 という事らしい。月見酒とお風呂はくれぐれも気をつけよう。
「あ、お風呂に入っていたら、薬湯の新たな組み合わせを考えついたんですよ」
 ミカエルの提案にユリゼが修正を加え、新たな薬湯風呂の案が出来上がった。常に同じ薬湯ではなく、様々な効能があったほうが喜ばれるのではないかと言う事である。
 その後、温泉茶屋『有栖亭』の本格準備に皆は取り掛かった。
 巫女衣装で客寄せしたりしつつ菓子を配る。彬はレスローシェの『華麗なる蝶』へ姉妹店としてどうかという話を持ちかけたが、距離的に近いのでと断られた。ジャンが初日にパリで貸衣装屋を訪ねて『ジャパン風貸衣装屋』はどうかと話しており、それを茶屋に設置するつもりなのだが、すぐに色よい返事は貰えなかった。だが皆が金を出資し、茶屋の開店は現実味を帯びるものとなっている。
 皆の出資は、白教会の修復や『学校』の運営にまで及んだ。学校は出来上がって既に学ぶ者達も集まっているし、白教会の修復は検討されているらしい。全体的に見れば、確かにこの場所は変わってきていた。ハーフエルフ蔑視の強い土地柄でもあったが、オノレ自身がそれを撤廃する法を出そうとしている。
「いつか‥‥この耳を隠さずに歩けるようになるといいです」
 外に出るときはずっと耳を隠していたアーシャがぽつりと呟いたが、そうなるにはまだ長い時間が必要となるだろう。
「聖女大福も出来そうだし、いい土産になるよな」
 ラティールを出る日。
 彬がそう言って森写歩朗の仕事を称えた。茶屋のメニューを決めて作り方もしっかり伝授したつもりである。森写歩朗はいつもと変わらぬ穏やかな笑みで、遠巻きにしているミカエル追っかけ隊の隣で佇んでいた森写歩朗応援隊の女性達に、軽く手を振ってみせた。ちなみにこの追っかけ達はアーシャにも居て、『あの夜の脱ぎっぷりをもう一度見たい』などと言われていたが、
「私って‥‥なんで男運ないんだろう‥‥」
 と彼女を悩ます種となった。
 ともあれ彼らはラティールを発った。
 遠くなる故郷を見つめるエリザベートに、アーシャが声を掛ける。
「故郷が楽しいってステキでしょ? また一緒に遊びましょう」
「‥‥はい」
 控えめに頷く彼女は、皆に連れてきてくれた事への礼を述べた。
「別にそんな事はいいけどさ。ここがどんどん良くなるのが見れただけでも良かったんじゃない?」
 鈴が鼻歌交じりに尋ね、ユリゼもそうねと後方を振り返る。
「アーモンドの木、もう少し増やせたら花の名所に出来ない? 足湯の窓とかから花を見ることが出来るように植えてみるとか、そういう手もありだと思うの」
「出来た実も菓子に混ぜることが出来ますしね」
 こっくり森写歩朗が頷き、エリザベートは戸惑ったように皆を見つめる。
 彼女に領主を。そう告げたのはオノレだ。だがオノレは直接彼女にそうは言わなかった。何より彼女は領主になるべき資質に欠けている。それは父親もそうだったから彼女を責める事は出来ないが、問題は‥‥。
「ミシェルさんが‥‥この3領地を元の1つに戻したい‥‥そう考えていると聞きました。だから、正式な領主が就くと困るんだと思います」
「それは‥‥誰から聞いた話?」
「兄です。それに私はそういう教育は受けてないんです。私よりももっと適任者が居ると思います」
 オノレは言わなかったが、彼女自身そういう話がある事は知っているようだった。
 だが、拒んでも最早歯車の1つとなってしまっている彼女がそこを抜け出す道はあるのだろうか。教会まで見送られて手を振りながら中に入っていく彼女を見ながら、皆はフィルマンが残した言葉を思い出す。
 3領地の貴族で行方が知れないのは、リリアとローラン、そしてシャトーティエリー領主。病床に付いているという話だが、誰も最近姿を見ていない事から行方が知れないと判断しても可笑しく無いと。エリアとラティール領主は全うな死に方をしておらず、エリザベートの母親もその領主に殺されている。亡くなったエリアに実は子供が居るという話だが、公には存在しない子供である。これがもし出て来たとなれば‥‥相手の男がどうなったのか、そもそも何故エリアは気がふれて閉じ込められていたのか。
「鍵を握るかもしれないぞ‥‥その子供が」
 呟いてシャトーティエリー領に旅立った男。
「‥‥悔いは残さなかったか?」
 教会をじっと見つめるアリスティドの後ろから、彬が尋ねた。
「‥‥悔いは‥‥いつでも無いわけじゃない」
 今この時でさえ、過去の選択が間違っていなかった保証は何一つないのだ。
「一生懸命、今を見るしか無いんだと思うわ」
 それへレティシアが返して、彼女はそのまま教会へと入っていく。
 今出来る事。それを精一杯やるしか無いのだ、結局は。


 男は静かにその時を待っていた。
 この場所に来て、短くはない時が経った。
 全ては熟しただろうか‥‥。そう呟く。
 どちらにせよ、もう時間は残されていない。
「‥‥エリア‥‥」
 そう、時間はもう残されていないのだ。