雪よりも深く 春よりも淡く

■ショートシナリオ


担当:呉羽

対応レベル:フリーlv

難易度:やや難

成功報酬:0 G 65 C

参加人数:7人

サポート参加人数:3人

冒険期間:03月05日〜03月10日

リプレイ公開日:2007年03月13日

●オープニング

 森の中。まだ残る雪に足を踏み入れながら、彼は空を見上げる。
 美しく晴れ渡った水色の空が、春が近い事を語っていた。
「‥‥ねぇ、僕の気持ちって何なのかな」
 誰も居ない森の中で、彼は静かに呟く。
「決める時は、1人。誰にも‥‥頼っちゃ、だめだよね‥‥」
 ゆっくりと彼は膝を曲げ、その雪の中に埋もれそうな花を見つめた。

 それは、いつもと何も変わらない日常の晩餐のように思えた。
「騎士登用試験は、3月の中頃にとお願いしましたからね、ジュール」
 先日帰ってきたばかりの母親が、当たり前のように息子にそう告げる。
「間違いは無いでしょうけれど、貴方は少し弱気なところがあるから、そこは直さなくてはね」
「‥‥お母さん、僕‥‥」
「従者を1人付けなくてはいけないわ。年頃の‥‥真面目だけれども前に出ようとしない、節度ある子供は居ないかしら」
「お母さん。僕、騎士には‥‥」
「あぁ、そうそう。あなた。あなたの甥が確か良い年頃だったわね。少しはきちんとした教育を受けさせているのかしら?」
「お母さん!」
 彼にとっては充分に大きな声。だが、母親は静かに彼へと目を向け対峙した。その圧迫感に心を震わせながら、彼は必死の思いで口を開く。
「僕‥‥僕は、騎士には。騎士団には、入りません」
「‥‥あなた?」
 母親は、呼ばれて半分飛びあがりかけた彼女の夫には目も向けず、腹の底から出すような声を辺りに響かせた。
「これは、どういう事かしら‥‥? ジュールに何を吹き込んだの? わたくし、言ったはずよね‥‥? 見習いにならなかったら、あなたの所為だと」
「ちっ、ち、ちちちちがうんだ、ちがうんだよ、そ、その」
「ぼ、僕は‥‥。僕は、神聖騎士になりたい。なる、って‥‥そう、思って‥‥」
「あら、ジュール。貴方は神聖騎士がどういうものか知っているのかしら?」
 潰されそうな思いに耐えながら、それでも少年は彼の母親を見上げる。
「ノルマンに‥‥。神にお仕えするのと同じように、ノルマンにお仕えする。この国にお仕えするのは同じです。‥‥僕は、力も無いし‥‥ナイトとして、立派にお仕事出来ると思えなくて‥‥。でも、僕でも。僕でも、お役に立てるはずだって。そう、思えるから」
「そう」
 あっさり母親は言って、食事に戻った。たちまち辺りを重苦しい空気が流れる。それは、彼らの経験上。こんなにあっさり何も言わずに引き下がるような人では無い事は、十二分に、痛いほど分かっていたからだ。
 そして、次にどんな攻撃が来るのかと彼らがびくびく構えていると。
「ではこうしましょう、ジュール。わたくしは前々から考えていた事だけれども、結婚なさい」
 それこそ、全く考えもしなかった言葉が飛んできた。
「‥‥けっ‥‥こん?」
「けっ、けっ、けっ‥‥結婚?! ジュールに結婚! ちょ、ちょっとそれは幾らなんでも早すぎるというかだってそれは無理というかそもそもジュールはまだ10歳で」
「あなたは黙って」
「‥‥はい」
 一言で封じ込められた父親は、大人しく様子を窺いながら食事に戻る。
「ちょうど年頃の、もうすぐ10歳になるお嬢さんがいらっしゃるのよ。家柄も教育も申し分無く、マオン家にお迎えするに相応しいわ。それにとてもお可愛らしくて。あなたもすぐに気に入りますよ」
「‥‥お母さん。僕‥‥好きな、人が‥‥います‥‥」
 下を向き、消え入りそうな小さな声。だが、その言葉には敏感に母親は反応した。
「あら。どんなお嬢さんなのかしら?」
「‥‥ぼ、冒険者の‥‥人、で‥‥」
「騎士の方?」
「‥‥ち、ちがいます‥‥」
「話にならないわね」
 彼女はあっさり言って、息子を冷たい目で見下ろした。
「騎士にはならない。定められた結婚もしたくない。では、このマオン家を守るのは誰なのかしら? ジュール。貴方はこのマオン家の跡継ぎ。マオン家を盛り立て、ひいてはこの国の益になる行動を取らなければならないのですよ。貴方は我侭ばかり。一体、誰に似たのかしらね」
 それには誰も答えない。この家の主人でもある彼女に忠言出来る人間は、誰も居なかった。
「さぁ、選びなさい。騎士となり、行く行くはブランシュ騎士団に名を連ねる功績を挙げるか。それともマオン家に相応しいお嬢さんと結婚し、この国を支えるべく力を注ぐか。選ばせてあげますよ、ジュール」
 
 翌日。
 冒険者ギルドに1人の男が転がり込んできた。金に近い茶色の髪はぼさぼさで、目だけを挙動不審に動かしている。
「‥‥確か、マオン家の‥‥」
 1人の受付員が気付き、彼に声を掛けた。男はそれへ、がばっとしがみつき。
「むっ‥‥息子を、息子を助けてもらえまいか。息子には好きな女性がいると言うのだ。その女性を見つけ出して妻にがつーん‥‥となんてとんでもないが、とにかく、とにかく。息子を。精一杯考えて、精一杯親の為にがんばってあの将来を決めた息子の為に、親として何とかしてやりたいのだ。せめて、好きな娘がいるのなら。一緒になれなくてもせめて、せめて」
「分かりました」
 受付員は微笑み、男をテーブルへと案内した。
「何か飲み物を持ってきましょう。そして私も息子の親として。是非、お話を」
「あ、あぁ。話を聞いてくれ。どうしたらあの妻と対等に‥‥いや、どうすれば。どうすれば、冒険者達が言ってくれたように、私達が皆それぞれに不満の無い生活を送ることが出来るのか。あの妻と、語る事が出来るのか。かつて、深く愛したと思った‥‥そして、淡い‥‥恋、も。恋も、したと思った。あの思いをどうすれば」
「‥‥息子さんの前に、貴方ご自身も。深くお困りのようですね」
 受付員に指摘され、男はうな垂れる。
「彼女は‥‥今も。今も、私の事を‥‥少しは、思っていてくれているのだろうか‥‥」
 息子の為に、冒険者ギルドにやって来た男だったが。
 彼は自らの胸の内を吐露して、深い溜息をついた。

●今回の参加者

 ea3869 シェアト・レフロージュ(24歳・♀・バード・エルフ・ノルマン王国)
 ea5242 アフィマ・クレス(25歳・♀・ジプシー・人間・イスパニア王国)
 eb0346 デニム・シュタインバーグ(22歳・♂・ナイト・人間・イギリス王国)
 eb2949 アニエス・グラン・クリュ(20歳・♀・ナイト・人間・ノルマン王国)
 eb8539 狛犬 銀之介(27歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 eb9243 ライラ・マグニフィセント(27歳・♀・ファイター・人間・イギリス王国)
 ec1235 龍 陽友(30歳・♀・武道家・ハーフエルフ・華仙教大国)

●サポート参加者

ヘルヴォール・ルディア(ea0828)/ 陰守 清十郎(eb7708)/ ファルナ・フローレンス(ec1519

●リプレイ本文

「僕、家を出ます! ど‥‥どちらかを選べなんて、で、出来ないです!」
 折れそうな心を必死で堪えながら、少年が決死の思いで叫んだ。
「ジュ、ジュール! こ、こここの、ばかも〜んっ」
 今ひとつ緊迫感に欠けた声で息子を怒りながら、父親が拳でその顔を殴りつける。
「あ」
 見守っていた人々が思わず声を出してしまうくらい、少年は後ろに飛んで行った。反射的に駆け寄ろうとしたシェアト・レフロージュ(ea3869)の腕を、ライラ・マグニフィセント(eb9243)が掴んで止める。
 勢いよく殴ってしまった父親は呆然と自分の手を見つめ、少年はゆっくり立ち上がって母親を遠くから見つめた。涙が零れる。
「いいわ。出て行きたいなら出て行きなさい、ジュール」
 しかし。
 母親は静かに息子に告げた。
「お前も結局、出来損ないだったという事ね」

●婚約者宅
 父親からの依頼を受けた後、シェアトとライラはジュールの結婚相手候補の家に来ていた。
 マオン家も上流階級にふさわしい館に住んでいたが、この家はそれを更に1回り大きくしたような造りになっている。警備する者が辺りをうろうろしており、こっそり覗くのは難しい。
「現国王の母親殿の遠縁‥‥らしいのさね」
 本当かどうか分からない話を聞きだしたライラが言い、2人はマオン家の名前を出して屋敷内に入り込んだ。
「ベルティーユ=フォンブリューヌと申しますわ」
 通された広い部屋に、赤いドレスが似合う少女がやって来て裾を持ちお辞儀する。9歳にしては大人っぽく落ち着いて見えた。
「あの‥‥ジュールさんの事ですが」
 上流階級用の礼儀作法など2人には分からない。だが真摯な気持ちで彼女達は少女に話をした。洗いざらい喋るわけではない。もしもの時、ジュールの相手となれる、味方となれる娘なのかどうか。ジュールを姉のように見守ってきた2人は、少女の人格を確かめに来たのだった。
「私、まだお会いした事がないのです」
「じゃあ、会ってみたらどうかな」
 ジュールに会った事が無いという少女に、ライラが勧める。少女も頷き、近いうちに会いに行く事を約束した。

●マオン家 厩
 ジュールに家出をさせ、それを父親に止めさせ殴らせる。
 断固たる意思、力強い姿をそれぞれ母親に見せなかった2人に、冒険者達はそれを実行する事を勧め計画した。
「君はどうしたいんだい? お父さんから好きな子がいるらしいと聞いたけど?」
 狛犬銀之介(eb8539)の問いかけに、彼が連れて来た蒙古馬を興味津々見ていたジュールは、真っ赤になって声を裏返し「え?!」と言った。
「お母さんが言った事は悪い事じゃないと思う。けど、今の君が一番強く思うのは何?」
「‥‥難しいです」
 素直に少年は呟く。10歳の少年には、あまりに大きな選択すぎた。
「その‥‥好きな人には、まだ何も言って無くて‥‥。それで、神聖騎士に本当になれるかどうかも‥‥分からなくて」
「行動してみたらどうかな。それから、お母さんに言ってみようよ。今すぐ決断すべき事なのかどうか、聞いてみたらどうかな。それから、素直な気持ちを言ってみる。本当のものだって分かってくれれば、きっと納得してくれるはずだから」
「‥‥はい」
 頷き、ジュールは銀之介を見上げる。
「お兄さん。‥‥ちゃんと言えたら、この馬に乗せてもらってもいいですか?」
 
●酒場
 冒険者の酒場の片隅で、父親を囲むようにしてアニエス・グラン・クリュ(eb2949)と龍陽友(ec1235)が座っていた。
 若い女性(1人は息子と同年代だが)に囲まれて心なしか赤くなっている父親の前に、軽い食事や酒が運ばれてくる。
「ご養子に入られた以上、奥様とマオン家を支えようとする姿勢を貫くべきでしたね」
 しかしそんな父親に、容赦なくアニエスが言葉を浴びせた。
「結婚当時の奥様は、『夫と共にこの家を守りたい』という希望を抱いていたと思いますから」
 だが父親は自分の言い訳ばかりで頼りにならず、母親は、夫そっくりの息子の将来を案じて必死なのではないか。
「奥様は‥‥孤独だと思います。女なら、世界中全てを敵に回しても、愛する男性には味方でいて欲しいのに」
「妻は! 妻は、まだ私を愛してくれていると思うか?!」
 一言に対して敏感に反応した父親に、アニエスは軽く吐息を混ぜて口を開く。
「お父様。今、一番大切にしたいものは何ですか? 一番護りたい人は?」
「『くれている』ばっかじゃね。まずは、同じ位置で話をして欲しいね」
 横から陽友が口を挟んだ。
「同じ位置‥‥?」
「今、階段でしょ? 最上段が母、限りなく下段に近い中段が親父さん、最下段がジュールかしら? 自分でそう思っている以上は、そういう見方でしかモノ言えないんだから、まずは『同じ土俵で』話をすることだね」
「はぁ」
 頼りない返事の父親に、陽友は肩を竦めた。それを見ながら、アニエスが背筋を伸ばしたまま身を乗り出す。
「関係改善を望むならば、大切なものを、ご自身の心から家庭に。護りたい人を、息子から奥様に変え、それを常に意識した言動をなさって下さい」
「そうそう。上から与えられるものだけを待っていたんじゃ、望むものは手に入らないんじゃない? 『して貰う』『してくれる』だけじゃなくて、衝突して、それでも互いの気持ちを理解して付き合うのが、家族じゃないの?」

●マオン家 中庭
「はい。食べる?」
 ジュールが差し出したパンケーキを受け取り、アフィマ・クレス(ea5242)はそれを口に運んだ。
「うん、美味しい」
「良かった。教えてもらったんだよ、厨房で」
「へぇ〜。教えて貰えたんだ。言えるようになったのね」
 以前、使用人に仕事を教えて貰えないと文句を言っていたジュールを知っているだけに、その成長ぶりには驚かされる。
「じゃあ、もう出来るかな。イヤって言える勇気。御者さんの時のように感謝する気持ち。事態を冷静に見つめ直す目。もしかすると、最善の道は他の意見の中に混ざっているのかもしれない。問題を解決する為に、抜け道があるかもしれないって発想の転換も必要だよね。お兄さんと会う事は出来なかったけど、手紙でやり取り出来るようになって、お父さんの望みも同時に解決したし」
 分からないような顔のジュールに、アフィマは笑いかけて人形を手に取った。
「どんな時も、諦めない事。諦めたら終わりでしょ。冷静に見つめ直したら、別の道が見えるかもしれないし」
「うん、分かった」
 しっかり頷いて、ジュールはアフィマの向かい側に座る。それへと以前尋ねられた自分の家族構成の話をしながら、ふと気付いてアフィマはジュールを見つめた。
「あ。そーいえば、好きな子がいるって初耳! あたしが知ってる人?」
「え?!」
 突然尋ねられ、とっさに立ち上がってジュールは慌てて辺りを見回す。
「あ‥‥。あ、デニムさん!」
 ちょうどジュールを探して中庭にやって来ていたデニム・シュタインバーグ(eb0346)を見つけ、声をかけた。
「ジュール君。アフィマさんも。お話の邪魔をしましたか?」
「大丈夫よ。ジュールの恋の話をしてた所」
「恋、ですか。僕にお手伝い出来ることがあれば」
「だっ‥‥だいじょーぶです‥‥か、から‥‥むこうに‥‥」
 真っ赤になりながら、デニムをぐいぐいジュールは押して去っていく。
 そんな2人を見ながら、アフィマは再び貰ったパンケーキを食べ始めた。

●マオン家 客間
 計画通りジュールが家を出、父親が呆然とする中。
 母親は静かな表情で冒険者達と紅茶を飲んでいた。
「お酒を用意してきたんだが、これでも飲みながら話を聞かせてくれないか?」
 ライラが、まずヴァン・ブリュレを取り出して勧める。ジュールを説得するにしても、詳しく彼の事が知りたい。だからその話をしてくれないかと持ちかけたのである。
「僕も家を継ぐ身ですので、お母様の言い分もよく分かります」
 酒を飲む前に大事な事を言ってしまおうと、デニムが口を開く。
「でも、本人が望んでいない事を強制するのは‥‥酷い言い方になりますが、貴女の願望をジュール君に押し付けるのは、間違っていると思うんです」
「そうかしら」
「騎士になるのは楽な事では無いと思います。僕も経験不足ですが、何度も死を覚悟しました。それでも僕は、誰かを守りたくて自分で選んだ道だから、まだ闘えるんです。でももし、自分の望んでいない道だったら‥‥」
「‥‥不思議なのですよ」
 添えるように、シェアトが言葉を紡いだ。
「敢えて突き放すのも愛情ですが‥‥今のお母様は、ジュールさんをご自分から引き離して、でも家には縛り付けていらっしゃるようで‥‥どこか痛々しくて」
 そっと自分の胸を押さえる娘に、母親は視線をライラへと向ける。彼女は次々酒を出しながらも母親のゴブレットに注いでいたが、気付いて明るく笑った。
「あたしは、母の他には父親と兄貴代わりの連中に育てられてね。大家族なのさ。家族の事は本当に大事に思ってるのさね。だから、ジュール殿の事は、弟のように思ってるし勿論大切だけどね。親子の間に不幸な断絶を作りたくないな」
 だから、母親の気持ちを知っておきたいのだと言うライラに、彼女は目を遠くへ向ける。
「‥‥お金で、お父様を買われたと思っていますか?」
 それへ、届いて欲しいとシェアトが言葉を続けた。
「ジュールさんの成長を、心が少し離れて行く事を。寂しく思っていませんか?」
「思っていないわ。あの子も、私の子供では無かっただけの事」
「‥‥お母様‥‥」
 深い憂いを帯びたシェアトの双眸に、デニムは表情を引き締めて母親に挑む。
「僕には、兄がいます」
 その言葉に母親が目を向ける。
「騎士の道を選ばされて、でも適性が無くて。結局騎士にはなりませんでした。でも兄さんは、今のほうがずっとたくさん笑っています」
「貴方が代わりに騎士になったと言う事かしら?」
「僕は、僕自身が望んで騎士になりました。幸せに至る道は、きっと1つじゃないんです。人によって、みな違うんです」
「そう」
 母親は多少酔ったような表情で、デニムを見つめた。
「でも貴方が騎士になったのは、お兄様が騎士にならなかったからね。‥‥えぇ、分かっているわ。ジュールが騎士にならない理由」
 テーブルへ目を落とし、彼女は呟く。
「兄が帰ってくる事を、待っているのよ」

 ジュールには、腹違いの兄がいる。母親の違う兄はジュールよりも9歳年上で、地方領主に仕える騎士になっていた。
 新しい母親の望むまま騎士に。
 けれどもジュールが産まれる事で生じる軋轢を避ける為、僅か9歳で彼は家を出て行ったのだ。
 何も、気付かないままに。

●マオン家 外庭
「マオン家は代々勇猛な騎士の家系。傷つく事を恐れていては、その名を名乗る資格、ありませんよ?」
「暗中模索という言葉がある。まずは行動だ」
 アニエスの激励と、どぶろくを飲ませた銀之介の計らい(?)で、父親は変な方向に舞い上がっていた。
「お前が好きだああああっ!!」
「‥‥」
 家の中から自らの妻が出てくるなり、叫びながら走り寄る。
「あの言葉は、本気じゃないわよ。ほら。ちゃんと『冷静に事態を見つめる目』!」
 こちらもアフィマに励まされながら、ジュールが不安げに帰って来た。
 酔った父親は母親にかわされて地面に倒れこみ、彼女はいつもと変わらぬ冷めた表情で息子と対峙する。
「お母さん。‥‥家出して、ごめんなさい」
 ぺこりと謝り、ジュールは母親を見上げた。
「僕にはまだ、結婚とか分からなくて。好きな人もいるけど‥‥でも、分からないから。すぐに、将来をお母さんの言う通りに決める事は出来ないです。‥‥でもね」
 一瞬、ジュールはアフィマへ目をやり、すぐに母親へと視線を戻す。
「将来。15歳までに、結婚したいと思える人が見つからなかったら。お母さんの言う人と結婚します。だから」
「分かりました」
 静かに母親は頷いた。
「先方にはそう言っておくわ。お嬢さんも、それまでに好きな方を見つけてしまわれるかもしれないわね」
「‥‥?」
 不思議そうな表情のジュールの肩を不意に抱き締め、母親は小さく呟く。
「あの領地も、今はもう春かしら‥‥。あの子は」
 どれだけ深い想いを抱いて、彼の地に留まっているのだろうか。 

●淡い思い
「お家騒動は、ひとまず決着がついたのかしらね」
 陽友が、皆と共に帰りながら後ろを振り返った。
「そう言えば、馬に乗せる暇が無かったな」
 ペットの手綱を引きながら、銀之介も遠くなって行く屋敷を見つめる。
「お兄様が帰ってきたら、またいろいろありそうですが」
 お父様も少しは努力するでしょうしと、アニエスも夕焼けを仰いだ。
『王子? 今の王様には子供いないよね?』
 そんな中、木彫りのうさぎの人形を手に、アフィマはそっと歌を口ずさんでいるシェアトを見つめる。
「‥‥どうかしましたか?」
 気付いて微笑む娘に、アフィマは首を振って同じように夕陽を見やった。
『よく分からないけど‥‥白馬探してみるね。それで、これ』
 ジュールに手渡された人形を再度確認して、アフィマは大きな伸びをする。
「まぁ、なるようにしかならないよね」

 この日、そっとアフィマに自分の思いを伝えたジュールだったが。
 後日、何故か冒険者ギルドや酒場に、その噂が流れた。

 食い違う思い。伝えきれない感情。
 雪に埋もれた確かな想いが花開き、春を呼ぶのはいつの日か。
 霞んで消える淡雪のような春ではなく。
 皆が待ち望む‥‥。