いつか最後に見る月の前に
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■ショートシナリオ
担当:呉羽
対応レベル:フリーlv
難易度:普通
成功報酬:4
参加人数:5人
サポート参加人数:-人
冒険期間:04月14日〜04月19日
リプレイ公開日:2007年05月01日
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●オープニング
静かに、静かに、その灯火は消えて行くのだろう。
緩やかに、緩やかに、その光は色を失って行くのだろう。
華々しく散る命もある一方で、誰にも気付かれず細く頼りない糸のように消えてしまう命もある。
その生命が、どのように生きたか。それとは無縁。
如何ように生きようとも、全ては終わるのだ。その個体が残した業績も、栄光も、その個体に残される事は無い。
始まりと終わりに、何かを持って来る事は、行く事は出来ないのだ。
だから残すのだろう。
だから伝えるのだろう。
その命が、確かにそこにあった事を。
その命が置いて行った物を、伝えて行くのだろう。
「おばあ様‥‥」
春は訪れた。
日差しは暖かく、柔らかな香りと穏やかな気持ちを運んでくる。全ての音と光が優しく、真綿で包んでくれるようなまどろみが訪れる季節。
「おばあ様‥‥」
新しい命が産まれるに相応しい長閑な昼下がりに。
娘は、彼女の祖母を見つめていた。
「お願い‥‥いかないで‥‥。1人にしないで‥‥。連れていかないで‥‥おじい様‥‥」
とうとう娘は床に膝をついた。
自分は何の為にここに居るのだろうと考える。満足の行く結果も残せないで。この人の為に。何をしてあげられたのだろうかと。
「生きて‥‥お願い。もっと笑っていて‥‥おばあ様‥‥」
その日、1人の青年が冒険者ギルドを訪れた。
暗い表情をして、暗い色の服を着て、胸に手を当て深く受付員に頭を下げる。
「依頼ではありません」
青年は、落ち着いた声で開口一番そう告げた。
「もうすぐ、1人のご婦人が亡くなろうとしています。その事を伝えに来ました」
「‥‥冒険者が関与した方ですか」
「冒険者の方にはお世話になったとか。ご婦人の孫娘が伝えに来る事になって‥‥いえ、彼女は死を伝えに来ることすら考えないようにしていたのでしょう。彼女にとっては永遠でしたから」
「永遠」
「変化の無い、終わりの無い出来事は無いと。この世に絶対という言葉は存在しないと。私はそう思います。でも彼女はそれを受け入れられない。‥‥気持ちは分かります。けれども、近いうちに死が訪れる事は分かっていました。そんな彼女の支えになってあげられればと思いますが、私は深く関わっていません。彼女の、マリーの祖母アンヌさんと。その恋人、エルネストさんには」
「恋人‥‥ですか?」
受付員は、一瞬戸惑いの表情を見せた。祖母の恋人という言葉に違和感を感じて。
「あぁ‥‥そうですね。依頼になるのかもしれません。祖母を失うであろうマリーを少しでも勇気付けてくれればと。そう思います。彼女は、アンヌさんとエルネストさんという恋人達を、理想のように感じていました。45年もの間、色褪せないで互いに恋心を持ち続けていたと。なのに、ようやく一緒に暮らせるようになったというのに、1年の内のほとんどを離れて暮らす2人に納得が行かなかったようです。でも私は思います。本当に、その恋は恋なのだろうかと。変わらない思いはありません。今、一緒に2人が過ごす時間は、恋人達としてではなく、友情に過ぎないかもしれないのに。そう思います。だから彼女は多分」
やや口ごもり、青年は視線を斜めに落とした。
「2人の最後を見たいのだとも。2人が、最後の別れの瞬間も恋人であって欲しいと。彼女はそう望んでいるのだと思います。でもそれは夢で幻想だと私は思う。‥‥人は死の瞬間にも、他人の事を考える余裕があるのだろうかと。相手が死ぬ瞬間に、自分が相手を悼むのではなく、自分を哀しんでいるだけではないのかと」
「それは‥‥話すべき事ではないように思いますが」
「そうですね。とにかく、ご婦人が亡くなるという事だけを。最後にお話に来て下されば。いえ、もう会話もままならないかもしれませんが」
そして、彼は静かに来た時と同じように頭を下げて、その部屋を出て行った。
死は、等しく全ての生まれしものに訪れる。
だが、死して尚、そこに残るものはあるのだろう。
だから人は。
●リプレイ本文
始まりは、春の訪れと同時だった。
まだ浅く残る雪の中、最後まで咲くその花の前で、2人は出会った。
一斉に雪の下から芽吹く花のように。恋は始まったのだ。
その部屋には、常に同じ花が飾られていた。
「‥‥少しでも、長く咲いてくれるといいな」
その隣にそっと鉢を置き、眠る老婦人を見つめる。家で花を鉢に植え替えて持ってきたリト・フェリーユ(ea3441)の碧の双眸が、その逆側に同じように鉢を置いたリュヴィア・グラナート(ea9960)へと注がれる。彼女はかつてアンヌの為に、彼女の好きな花を造花として作り上げた。その時の赤い花は、今では両手で抱えきれないほどの本数となってパリの各地に広がっている。
控えめだが香りの良い花を選んだリトと、わざわざ愛らしい小さな春の花を摘みに行き、春らしい香りを選んで持ってきたリュヴィアと。奇しくも似た花となって部屋を彩った。
「私の故国では、家族が各々異なった時間を生きることは珍しくない。それ故の思いは、ここでも同じなのだろうな」
リュヴィアの呟きは、今回この家に集まった冒険者達全てに、どこか共通する思いだ。それは5人が皆エルフだからなのか。
「バージルさん」
アンヌの家に向かう前に、ジェラルディン・ブラウン(eb2321)は依頼人バージルが働く仕事場に立ち寄っていた。
「仕事は忙しいの?」
話によるとアンヌの孫娘マリーとは、友人以上恋人未満という関係らしい。
「だったらずっと居るわけには行かないと思うけど、時間を見てマリーさんの傍に居てあげて欲しいの」
ジェラルディンにも思い出がある。人間を好きになる気持ち。彼女の場合は片思いだった。けれどもその恋が続いていれば、いつかは迎えたかもしれない。
「後ね。ひとつだけ」
表情を崩さない相手に、ジェラルディンは噛み砕くようにゆっくりと言葉を口に乗せた。
「違いを思いやり、それを大切に出来る‥‥。そんな恋人同士の間にあるのは、確かに『恋』じゃないわ。勿論友情でもない。自分よりも相手の為にと思える心」
恋が続き、やがて相手の旅立ちを見送る日が来たならば。その時には自分も胸に抱いているかもしれない。
「人はそれを『愛』と呼ぶのよ」
ひそやかに佇む娘に気付き、エルネストは微笑を浮かべた。
「‥‥私は青くて不安定で‥‥アンヌさんとは違います」
不安げに揺れるシェアト・レフロージュ(ea3869)の瞳。彼女はエルネストを迎えに来たのだった。
「アンヌさんは言いたかったかもしれない事を、思い出と愛情に包んで持って行ってしまいます。綺麗なままで憶えていて貰って、幸せになって欲しい。引き摺って欲しくないから、次の幸せを見つけて欲しいって。そう‥‥そんな、綺麗な形で」
紡ぐより先に零れていく言葉に耳を傾けながら、エルネストは歩き出す。それを追う彼女の脳裏を過ぎるのは誰だったのか。
「でも私は‥‥。私は、引き摺っていたい、引き摺ってもらいたい。気持ちや記憶に縛られていても‥‥。知られたらきっと嫌われてしまうけど‥‥」
振り返る男に気付き、慌ててシェアトは両手で軽く胸を押さえた。
「ごめんなさい。私は何を言っているのでしょうね‥‥。でも。でも、その胸に仕舞った想いは。永遠の想いは、見果てぬ夢ですか‥‥? アンヌさんに触れようとしない事。ずっと不思議でした。そういう愛情もあります。けれど」
「君はきっと、私が無様に取りすがったりしない事が不安なんだろうな」
首を振るシェアトから目を逸らし、男は再び歩き出す。
「永遠はある。離れても、傍にいても、今までも」
これからも。
「マリーさん。アンヌさんが心配するのは、あなたの事だけだと思うの」
リトが湯に浮かべたハーブの香りが漂う。布を湯に濡らしてアンヌの体を拭く手伝いをしながら、ポーラ・モンテクッコリ(eb6508)がマリーに声をかけた。先にその手伝いをしていたリトは、今はハーブティーを入れている。
「うん。‥‥マリーさん、疲れているんじゃないかな? 少しの時間でもいいから寝たほうがいいと思うの」
気持ちが落ち着く香りのハーブを選び、それをマリーに手渡す。彼女は一瞬身を引いたが、やがて両手で受け取って口をつけた。
「何かあればすぐ呼ぶし、看護は慣れているほうだし、あなたが疲れて倒れたりしたら、アンヌさんも心配するでしょう?」
「でも」
「それに、ポーラさんはクレリックだし。大丈夫よ」
リトの笑顔に困ってポーラを見たマリーに、彼女は頷いて見せて布を桶に浸した。
「アンヌさんの望みは、マリーさんが幸せに生きていく事だと思うわ。だから、今あなたが倒れたらアンヌさんも困ってしまうわ」
「私はいいんです。私はいいの」
「マリーさん。アンヌさんは、あなたの事がとても気がかりなのだと思うの。アンヌさんにはエルネストさんが居たんですもの。それは大きな支えになっていたと思うわ。支えて、支えられて。そういうかけがえの無い相手を見出して欲しい。それがアンヌさんの願い。‥‥あら、バージルさん」
そっとバージルを呼びに行っていたリトが、彼を連れて戻って来た。彼女達の思いは皆同じ。話をしなくてもいい。ただ、マリーの話を聞いて頷くだけで。傍に居るだけで慰めになる。そう思ってマリーの為にバージルを家に連れて来たのだった。
「一緒にいてあげて。ね?」
リトに後押しされて、バージルはマリーの手を引く。
やがて2人は静かに部屋を出て行った。
穏やかな時間は過ぎて行った。だがそれは、確実に消えて行こうとする灯を見つめる時間でもある。
「貴方の見たい景色はありますか?」
僅かに目を開けるアンヌの脇に椅子を置き、その手を握ってリュヴィアが声をかけた。そしてそのまま、聖夜の雪と呼ばれる真白の花が咲く森の奥の景色をイリュージョンで見せる。
「他には。貴方の真の願いは何かな。気がかりな事は」
少し離れた所に、冒険者達とマリー、エルネストが立っていた。リュヴィアのテレパシーの補助をする為に、シェアトがそっと脇に控える。疲れた時に交替するつもりだったが、元よりアンヌに負担をかけるわけには行かない。それほど時間をかけるつもりはリュヴィアも無いようだった。
貴方の願いを叶えるために動きたいとテレパシーでアンヌに伝えると、アンヌはゆっくりと僅かに首を動かした。半開きの口から吐息は漏れるが音は聞こえて来ない。
「‥‥マリー殿。貴方に、彼女からの伝言を」
「‥‥はい」
真っ先に伝えたかったのは、やはり1人残すことになる孫娘の事だったらしい。リュヴィアに言われてマリーは姿勢を正した。
「『あなたが忘れない限り、私は傍にいますよ、マリー』」
だがそれだけ。マリーは一瞬動揺したように皆を見回し、それから僅かに下を向いた。
「アンヌさんは何時の日か、慈愛神セーラ様の下であなたからお話を聞きたいのではないかしら。あなたが忘れなければ、その時にたくさんお話が出来るという事かもしれないわ」
そっとそれへポーラが囁く。
「いつでもセーラ様が見守ってくださるように、アンヌさんも」
「そんな事が聞きたいんじゃないわ。おばあ様。エルネストさんもどうして? どうして別れるのが辛くないの? どうしていつも穏やかに笑って旅に出て、それを穏やかに笑って見送るの。限りがあるんでしょう? 限りがある命なんでしょう? だったら少しでも長く一緒に。一緒に居たいって! どうしてそう思わないの? 言わないの?!」
叫ぶマリーを落ち着かせるように宥め、皆はアンヌとエルネストを見つめた。
「‥‥また、お休みになったようだ」
だがリュヴィアが手を離して皆に告げ、ゆっくり席を立つ。それを見てリトがハーブティーを入れる準備をし、ジェラルディンは食事の準備を始めた。
「アンヌ殿は、既にエルネスト殿と望みも願いも話し合ったようだ」
だからもう伝えることは無いのだと告げ、彼女はマリーを真っ向から見つめる。
「マリー殿。変わらないものはあるだろうか。思いも願いも。私が作ったこの赤い聖夜の花の造花とて、いつかは色褪せ壊れる。だが、生花は永遠かもしれない」
造花を囲むようにして飾られた生花を見ながら、リュヴィアは語りかけた。
「次の世代に命を受け継ぐ事が出来るからだ。人も愛も永遠ではないが、受け継ぐ者がいれば生まれ変わる事が出来る。そして人が最期を迎えるときに思うのは、この世に何を残せたかだと思うのだ。貴方の願いは、限りある命の中で永遠の愛を誓う事かもしれないが、アンヌ殿の願いは少し違うのだろうと私は思う」
アンヌが願った見たい景色。それは春の芽生えを感じさせる兆しの中で、最後に咲こうとする小さな花だった。冬の終わりに健気に咲き続けようとする、白い小さな花。最後の聖夜の雪。
「マリー殿。アンヌ殿から受け継いだ愛を基に、新しい愛を次に繋いで行くことが出来ると誓えるかな? それが、生きていた。生きている。永遠を繋いで行くという事だよ」
同じ事をエルネスト殿にも。だがその呟きは小さく、他の誰にも聞こえなかった。
ジェラルディンが誘って、バージルとマリーは時折外に出かけるようになった。
家にいる間、皆はバージルにそれぞれ思う事を告げた。
「今は理解できないかもしれないけど、こういう愛情のあり方もありえるのよ。強く静かで深いものだから見えないかもしれないけど、今はただ、感じて欲しいの」
ポーラにはそう言われ。
「終わりは必ず来る。でも、変わらないものなんて無いのかもしれないけど、変わらない物を探したり、慈しんだり、いとおしんだり、本質は変わらない事を感じたいんじゃないかしら? 終わりが来るから、惜しくて大事なんだろうって思うの」
リトにも言われ。
「そういえば、バージルさんはマリーさんの事をどう思っているの?」
連れ出したジェラルディンにはそう尋ねられたバージルは、少々不満げに彼女を見つめた。
「マリーを励まして欲しいと頼んだように思ったけれど、そこに私の恋愛話を巻き込むのはどうだろう?」
皆に言われた事も、「何故自分がいろいろ言われるのか」という思いがあるらしい。
「だって彼女も大変でしょう? 側で支えてあげて欲しいって思うもの」
「しかし」
「あ、2人の邪魔はしないわ。馬に蹴られたくも無いしね」
「私とマリーはそういった仲では無いんだが」
「今の関係じゃなくて、自分がどうなりたいかでしょ? 理屈はいらないの。彼女が大切なら、その思いに素直になって行動するのがいいんじゃないかしら」
僅かだが明るい表情も見せるようになったマリーを見ながら、ジェラルディンはバージルに発破をかけた。
マリーが喪失の悲しみからどれだけ早く立ち直れるか。それはこの男にかかっている。
「この前の満月の晩に話したよ」
美しい月が空を飾る中で。エルネストはシェアトに静かに語りかけていた。
「もう長く無い事は彼女も分かっていた。彼女は、初めて私達が会った村の話をよくしたよ。そこは彼女の故郷の小さな村で、近くには聖夜の雪が咲く小さな花畑があった。彼女が育てていたんだ。私も彼女も15歳で」
勿論エルフと人間の15歳では年数が違うが、その頃の2人には先の事など見えなかったのだろう。その後アンヌは商売を営む人間と結婚し、今に至っている。
『お会いできて、本当に良かったです』
エルネストと月を見る前。そっと眠るアンヌの手を取って、シェアトは感謝の気持ちを素直に述べていた。
「アンヌさんのような穏やかな愛情はまだとても持てないですけれど、人を好きになる事が辛くなったら‥‥あなたの笑顔を胸に‥‥」
穏やかな気持ちを2人が持てるまでに、どれだけの年月を費やしたのだろう。始めから持っていたわけではないのだ、勿論。
「彼女は言っていたよ」
話は続いていたらしい。我に返ったシェアトの隣で、男は歌うように呟いた。
「『あの村に。あの森に。私は‥‥あの場所の土になりたいわ』」
『君が土になるというなら、私は冬の間その村に留まるよ。花守りになろう』
『今年の聖夜には‥‥会えるといいわね』
「‥‥思い出の場所の土に」
見上げるシェアトへと穏やかに笑う。
「手を握り、口付け1つ。してるよ、何度も。でもいつも見ているのは今じゃなくて過去と未来だったな。彼女は言ったよ。『いつでも還る事は出来るから。出来るだけゆっくりいらっしゃい』」
それは不思議な光景だ。不思議な願いと想いと‥‥誓い。
「あの‥‥歌を。アンヌさんに歌を歌って来ました。‥‥祈りたいほど、感謝の気持ちでいっぱいで‥‥」
その歌は、かつてアンヌと同じ名を持つ奥様に作った歌を元にした新しい歌。エルネストが耳を傾けるその前で、竪琴に指を当て高く月まで届きそうな歌声を響かせた。
廻る命 四季の庭 見つめていこう あなたと共に
綾なす人の想い 紡ぐ物語を風にのせ
花に重ねたあなたの笑顔
いとしい記憶は いつも胸に傍らに
屋敷の裏にある庭に、幾つもの花が揺れていた。
優しい香りとまどろむような春の色に彩られた庭は、今は亡き主人の部屋に咲いていた生花を移したものだ。
その花は、風に揺れて微笑みを浮かべることだろう。暑い夏には葉を広げ、寒い冬を耐え忍んで、また春には笑顔を見せるのだろう。同じ花は2度と咲くことは無いけれども、確かにその命は繋がっていくのだ。
優しく、繋がっていくのだ。