見捨てられし神の子らへ〜祈〜
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■ショートシナリオ
担当:呉羽
対応レベル:フリーlv
難易度:難しい
成功報酬:4
参加人数:4人
サポート参加人数:2人
冒険期間:06月07日〜06月14日
リプレイ公開日:2007年06月15日
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●オープニング
『彼女に、ティアラを‥‥』
「おはようございます。こちらに、スープとパンを置きますね」
小さな部屋だった。剥がれかけた木壁が何箇所も補修されている。だが屋根からは水が漏れるのだろう。あちこちに粗末な器が置いてあった。
「‥‥屋根‥‥直さないの?」
動くと軋むベッドの上で身を起こした娘が、欠けた盆と器を持つ女性に尋ねる。女性は盆を小さなテーブルに置きながら微笑んだ。
「天から降る雨は、神の恵み。神の慈愛であり慰めです。この器に零れ落ちる雫は、神の涙なのですよ」
昨日降った雨は上がったが、屋根に浸み込んだ水が時折器に落ちて跳ねる。娘はそれから目を逸らし、ベッドから下りてテーブルへと向かった。
娘には分かっている。『神の慈愛』。そんなものが方便だということは。貧しくて、屋根など直せないのだということは。そしてこの町にある民の為の『白』の教会はここだけだと言うのに、領主は自らの為に珍品を献上する者を重用し、彼の為にわざわざ豪華絢爛な新しい『黒』の教会を建てたのだということも。
領主は。自らの為に働く民を、最後まで振り返ることは無かった。
「エリザベート様。いえ、リザさん。ご自分を責めてはなりませんよ」
娘は何一つ不自由無く育った。彼女の食卓にはいつも食べきれないほどの料理が美しい銀食器に乗せられて並び、よく磨かれた銀製のフォークやスプーンでそれらを食していた。だから、このような生活がある事を彼女は知らなかった。『白』の教義そのままの清貧な暮らし。清貧と言えば聞こえはいいが、実際は貧しさに喘ぐような暮らし。その全てを作り出したのは、民ではない。
娘の父親だ。
「私は‥‥何も出来なかったわ。父を諌める事も、兄が出て行くのを止める事も、母が殺された時でさえ。‥‥兄が、もし兄が居てくれれば、こんな事にはならなかったと思うのに」
「指輪の魔力に取り憑かれたのでしょう? 禍々しい金の」
「そんな事になる前に、止めることは出来たと思うの。でも私‥‥」
「人が1人で出来る事は、本当に些細な事です。貴女の両手には、大きすぎる重荷だったでしょう。潰される前に解放されて良かったのです。私達ラティールの民も‥‥守られる事だけに甘んじて何もして来なかった私達も、同じ重荷を背負うべきだったのですから」
「クリステルさん‥‥」
静かに微笑み、女性は娘の傍を離れる。
娘が言う事は正しい。家族であれば、このような事になる前に諌める事が出来たはずなのだ。例え僅かでも、何かが変わっていたはずなのだ。だが彼女を恨むのは筋違い。自らの為すべき事を模索している彼女を、むしろ支えるべきなのだと感じる。
だが。
部屋を出、クリステルは小さく吐息を漏らした。最早、この町は。
ラティール領。
小さな領地ながらも、町や村が幾つも存在する人口の多い場所だ。そこを治める領主は、つい先日まで煌びやかな屋敷に住んでいた。領地の割に贅を尽くした屋敷は悪趣味とも言えるほどに輝き、数多くの名品珍品美品を集め、彼は1人悦に浸っていた。領主には妻が1人と息子娘が1人ずつ居たが、息子は数年前に女と駆け落ち。娘は可愛がられて屋敷の外にはほとんど出してもらえず、民でも顔を知っている者は少ないと言う。だが両親の姿から、顔はイマイチという評判だった。
民は、多少高い税を領主に納めていた。その代わり、領主は全ての町や村に屈強な兵士を置き、盗賊共から彼らの身を守った。時には面白い見世物も彼らに提供した。それは‥‥見世物というにはおぞましい物ではあったが、領内の者にとっては当たり前の娯楽だった。そうする事で、この領内はそれなりに平穏に治められていたのである。
だが、何かが狂って行ってしまった。例えばそれは、子供達が攫われた事による不信感かもしれない。或いは領内で女ばかりがおかしな言動を繰り返し、火を点けて回った事から始まったのかもしれない。しかし領主が『呪われた装飾品』を欲し手に入れた時、最早転がり落ちるのを止められない事態となった事は間違いが無いようだった。
そして領主は自らの妻と使用人と商人、職人の何人かを殺し、屋敷に火をつけて自らが呪われてしまった事を証明したのである。
領主は今、この領内には居ない。隣のシャトーティエリー領に移され、裁判を待っているのだと言う。
恐らく、彼を待ち受けるのは死刑。そして彼の代わりにシャトーティエリー領から兵士達が来て、今この領地を仮に治めている。だが混乱は続いていた。領主の屋敷が半焼しただけで、民の多くは彼の言動など知りもしなかったと言うのに。領主が犯した罪さえ誰も。その屋敷で働いていた者以外は。
なのに混乱している。領主が住んでいた町、ラティールの町は。
「おい、公開処刑が始まるぞ!」
「今度は誰なんだ? 見に行かないとな!」
通りを走る者達の声が聞こえてきた。クリステルはそっと扉を開き、彼らを見送る。
「領主の娘じゃないのかい? 早く見つかって欲しいもんだよ」
「全くだ。あの女さえ見つかれば、少しは気分も晴れるってもんだ!」
別の夫婦がその後を歩いて行く。そして彼女に気付いて胸に手を当てながら頭を下げた。
「司祭様。早く世の中が良くなってくれませんかねぇ」
「‥‥えぇ。私も日夜神に祈るばかりです」
「今日は、鍛冶屋のジャンらしいですよ。あの腐った輪っかを作ったのがあいつらしくて」
「‥‥調べたの?」
「職人通りの奴らが吐かせたらしいですよ。それで、今日の処刑はあいつの全身にも輪っかを付けてやろうって事になって」
「‥‥」
夫婦は去り、クリステルは黙って扉を閉めた。
冤罪が冤罪を呼び、憎しみが憎しみを呼ぶ。毎日どこかで公開処刑が行われ、罪無き者達が失われて行く。本当に彼らに罪があったのかどうか、クリステルには分からない。だが。
「神よ‥‥お救い下さい。私達、ラティールの民を。どうか、お見捨てにならないで下さい‥‥」
祈るしか無かった。
彼女1人の力では、何かを変える事など出来ないのだから。
●リプレイ本文
●教会
優しい歌が聞こえる。
楽しい朗らかなメロディが流れるのは、教会の前の階段。無邪気な子供達が集まって一緒に歌を歌っている。輪の中心で座って歌っているのは、青い目をした娘。来訪者に気付くと小さく頭を下げて立ち上がった。
「にゃっす。ここに泊めてもらってもいいかな?」
既に日は暮れ、子供達も家へ帰ろうとしている。来訪者パラーリア・ゲラー(eb2257)へ銀髪のバードは頷き、子供達へはお別れの挨拶をしてから教会の扉を開いた。
「私はここの教会の人じゃないの。中に司祭のクリステルさんが居るから、聞いてみてくれる?」
「危ない町みたいだから、脱出させたい人とかが居るなら力になるよ」
壊れそうな椅子に座ってパラーリアはクリステルに話し掛けた。教会に泊めてもらう事については快く応じてもらえ、パンとスープを夕食としてもらう事も出来た。しかしクリステルは首を振る。
「いいえ‥‥。私達はこの場所以外に住む場所を知りません。今ここにある試練は、神が与え給うたもの。私達はここにいます」
「う〜ん‥‥。でもラティールの人達には荒療治が必要だと思うな。みんな興奮しちゃってるし、言葉は届かないと思うよ。祈るだけじゃ解決しないよ」
「『祈りに力は無くても、自分の為に祈ってくれる人がいると思う事で救われる人もいる』。教会の表で歌ってらっしゃったバードの方がいたでしょう? あの方の言葉です。あの方が歌で変えようとして下さったように、私も祈りが届くと信じたい」
「う〜ん‥‥」
だがパラーリアは町で様々な情報を収集していた。公開処刑が行われている事。誰かを陥れる事で自分の身の保全を図っている人達がいる事。小さな祈りや言葉では彼らの心にはもう届かないだろうと思わせるには充分な行いを、彼らはしているのだ。
翌日早朝、パラーリアは教会を出て、再びパリへと急ぎ戻るのだった。
●パリ
『華麗なる蝶パリ亭』。お客様満足度ナンバー1を目指してサービスを行う酒場である。元々はシャトーティエリー領レスローシェにある店で、最近パリにも支店を構えたところだ。
「オーナーさんに会えないかしら? お話がありますの」
開店前の店先で、リリー・ストーム(ea9927)が店長相手に話をしていた。隣には夫のセイル・ファースト(eb8642)が立っている。2人はレスローシェの店に行った事があり、ここの店長の事は知っていた。しかしこの店の所有者とは面識は無い。セイルの友人から何者なのかは聞いているが、それが嘘か本当かは分からず、賭けではあったのだが。
「後日で結構ですわ。レスローシェの上客から、頼みがあるのだと伝えてもらえません?」
約束を取り付けて、2人は急ぎラティールへと向かった。
●ラティール
「あんた余所者かい? ここいらじゃ最近余所者を泊めてくれる所なんて無いよ」
旅人を装って町に入った神楽鈴(ea8407)は、宿でじろじろ見られた挙句にそう突っぱねられた。
「まぁ、野宿なんかしたら身包み剥がされるだろうけどね」
「少し前まではそんな事もなかったと思ったけど、そんなに酷いの?」
「酷いも何も。領主は捕まってその家族は財産全部持って逃げたって話じゃないか。あたしらは見捨てられたのさ。良い事なんてあるもんかね」
「家族が全財産持って逃げた? それは大変だね‥‥。でも、その噂はどこから聞いたの?」
よそ者を嫌ってはいるものの、毎日近所の者達と愚痴ばかり言うのも飽きてきたのだろうか。宿の女主人から様々な噂を聞き出し、最終的に馬小屋になら泊めてやるという話になって、鈴は藁の中に潜り込んだ。
「根も葉もない噂ばっかり‥‥。でも、領主は捕まって奥さんは殺されてて、息子は家出してるし娘は‥‥。財産が残ってないってどういう事? 持って行かれたって事かな‥‥」
半焼したとは言え、領主の屋敷内には数多くの高級品が残されていたはずだ。呪われし装飾品はシャトーティエリーに移送されたという話だから、その時に一緒に全て運び出されてしまったのだろうか。
「これは‥‥行ってみる必要があるかな‥‥」
1人では心許無かったが、鈴は更に情報を集めるべく動くことにした。
世間話をしながら巧みに相手から情報を収集する。
危険な目に遭わないよう、細心の注意を払って人々の間を練り歩いた鈴だったが、意外と人々は苛立ちながらも話をしてくれた。下手に酒でも奢ると金を持っていると目をつけられそうだったので、その辺りは要注意である。
だが。
「‥‥ん? あいつ、金回り良さそうだけど‥‥何してる人?」
相手の愚痴を散々聞いてやりつつ話を聞きだそうとしていた鈴は、ふと酒場の隅で泥酔している男に気付いた。
「あぁ、あいつか。領主のとこで下働きしてた奴だよ。考えてみりゃ、あいつも惨めなもんだ。領主のとこに居たと言うだけで、仕事にもありつけないんだからな」
「毎日ここで酒飲んでるの? 昼間から」
「あぁ。まぁあいつは放っとけよ。どうせ酒の飲みすぎで死ぬだけだろ」
人々は皆、貧しい生活を送っている。領主が居なくなってからというもの、生活は日に日に苦しくなるのだと聞いていた。だがその中にあって、仕事もしていない元使用人が毎日酒を飲んでは潰れている。金が無いとは思えない。
「‥‥ちょっと話があるんだけどさ。聞かせてもらえない?」
テーブルに突っ伏している男の前の席に移動し、鈴は男に話し掛けた。
●広場
朝がやって来た。
公開処刑場となる広場には、四方の道から人々が集まって来る。広場の中では柵に囲まれた中の台の上に数人が立たされ、その外側で見物人が台を眺めていた。彼らは特に熱狂的にそれを盛り上げたりはしない。黙ってただ、見つめている。
その遥か上空では、鳥がゆっくりと旋回していた。地上からも見える大きさだが、誰も気にする者はいない。
台の上に立っていた者が何かを叫んだ。台の下に立っていた者達が何かを持ってきて台の上で膝をついている男達にそれを見せる。ロープで縛られた男達は、そのまま用意された木に括り付けられようとしていた。
その時。
「お待ちなさい!」
突然、柵を越えて1人の女性が台のほうへと近付いてきた。一瞬目が奪われたのは、体の線がそうと分かる薄衣を身に纏い、頭上を丸い光が照らしているからだ。その上。
「う、う、う、浮いてる!?」
どよめきが上がった。左膝を曲げ、右脚はたなびく布の流れの中ですらりと伸びている。その姿で女性は同じ高さを維持したまま飛んで来たのだ。微妙に右脚でバランスを取っているが、そんな事は驚き慌てふためく人々の目には見えて来ない。やがて彼女は軽やかに地上へと舞い降りた。
「貴方達、デビルの策略に惑わされてはなりません。この混乱を乗り越え、心穏やかに生きるのです!」
「あ、あ、あんたは一体‥‥」
すっかり腰を抜かした男がかろうじて声を上げる。だがこの驚愕の光景に、見物人達もざわめき動揺していた。十数人の者達が柵を開いて中へと入ってくる。台付近にいる者達もどよどよと小声で会話していた。
「ちょっとソコ! 私の話を聞きなさい! 天罰を与えるわよ!」
「キミは一体何者ですか! なぜ、私達の邪魔を!」
だが、黒の教会で使われる牧師服を着た男が、女性に抗議をする。女性はそれをちらと流し目で見つつ、何も無い空間へと手を伸ばした。
「確かこの辺りに‥‥」
と言って空間から取り出したるはスコップ。
「あら、間違えましたわ」
「な‥‥今、どこから‥‥」
「あぁ、ありましたわ」
今度は白く輝く長い槍を取り出して、女性は微笑む。
「天罰覿面! 御遣いくらーっしゅ!!」
叫びながら鮮やかなスマッシュEXを、牧師服の男にお見舞いした。
「ぐお‥‥」
傍目から見ても、明らかに中傷とかいうレベルを超えている怪我である。倒れた男と何故かちょっぴり涙を流している女性から、慌てて皆は離れた。
(「ごめんなさい、あなた‥‥。これもラティールの為ですわ‥‥。後から優しく介抱してあげますわね‥‥」)
心の中で嘆きつつ、自称御遣いことリリーは皆に向き直る。
「さぁ、次はどなたが天罰を食らいたいかしら」
後ずさる人々の前で、槍を構える自称御遣い。ちなみに飛んできたり突然武器を出せたりしたトリックは、彼女のペット、インビジブルホースが単にペット装備ごと姿を消していただけである。
「せ‥‥聖女様だ‥‥。本物の聖女様がっ‥‥」
「お、おい。黒の牧師! しっかりしろ!」
「何と神々しいおすが‥‥」
「牧師―っ!」
と気絶したフリをした牧師姿の男が、リリーの夫セイルであった。
だがその時、辺りを霧が立ち込め始めた。濃霧の中、隣の者さえ見えず人々はワケも分からずパニック状態に陥りそうになる。
「ちろ!」
そこへ、何かが突っ込んできた。物凄い強風に煽られ、ひっくり返る者も居る中、リリーは勘でセイルの体を引っ張り起こす。そのまま声がした方向へ向かって行き、そっと囁いた。
「夫も乗せて貰えるかしら」
「うん、分かったよ」
巨大な何かにセイルを乗せ、リリーは後ろへ下がった。そしてそのまま、それは飛び上がる。主人であるパラーリアと、とっさに助け出した人々を乗せて。
「な、な、あれは何だ!」
濃霧を抜けて飛んで行った巨大な鳥に、皆は完全に腰を抜かして呆然と見つめた。そんな人々の上空でロック鳥はゆっくり旋回し、パリの方角へと飛び去って行った。
「ふ〜。危機一髪だったね。パリに下ろせばいい?」
「いや‥‥馬をラティールに置いてきた」
「じゃあ近くの村に下ろすね。教会まで歩ける?」
「‥‥どうかな」
「あ、ちろ。何咥えてるの。その人は食べ物じゃないよ!」
どさくさに紛れて関係ない人まで咥えて来たペットに、食べないよう言いくるめてパラーリアは雲を眺める。さっきまでの喧騒が嘘のような、静かな空の旅だった。
「あれは私のペットですわ。今、天の御心により、罪の無い人を運ばせました」
「せ、せ、聖女様!!」
1人、また1人と人々は両膝をついて彼女へと向かって両手を組んだ。それを見下ろしながら、彼女は指笛を鳴らす。すっと自称御遣いの横で、白馬が姿を現した。
「私から、預言をひとつ」
馬に飛び乗り、リリーは人々を見回す。
「この世は愛に満ちている。愛を信じなさい。愛の力がラティールを救いますわ」
馬が走り去っていく中、人々は頭を上げずにただ御遣いが去って行くのを送るだけだった。
●館
鈴は、そっと領主館を窺っていた。
元使用人の男から、半ば脅すようにして巧みに引き出した話は、ある程度予想していたものだった。そう。彼ら使用人はどさくさに紛れて領主の財産を盗み、その金を使って豪遊しようとしていたのである。ついでに、領主館であった出来事を町中にばら撒いて。彼らに悪意が無かったとは言えない。だが、屋敷内では彼らの仲間である使用人も何人も殺されていた。領主を恨む気持ちは強かっただろう。
しかし彼らは今も尚、自分達の犯した罪の重大さを認識していない。敢えて、認識したく無いのだろう。酒に溺れて逃避しているようにも思える。
「シャトーティエリー領の兵士か‥‥。装備が違うね」
見張りは厳しくなっているようだった。纏う空気も違うと感じる。
「中に入るのは無理かな‥‥。あたいじゃ無理だよね」
断念し、鈴は踵を返した。
一日や二日で変わる物ではない。今までに蓄積された思いは、簡単に変えられるものではないだろう。それでも少しずつ溶かしていくべく、彼女達は動くのだ。
●パリ
「エミール様。お会い出来て光栄ですわ♪」
教会で傷を癒したセイルと合流し、リリー達2人はパリに戻って早々『華麗なる蝶パリ亭』を訪れた。数日前に予約してあった面会に出る為である。
金髪の男はリリーのドレス姿から溢れる程よい色気に満更でも無いようで、機嫌よく席に着いた。
「あんたがレスローシェで『華麗なる蝶』を作ったって話は聞いた。それから天使隊を作ったのも。だから、あんたの娯楽に対する手腕は知ってる。ラティール領の現状は知ってるか?」
セイルが話しやすいようにリリーの合間に言葉を挟むが、話が進むにつれ、エミールは嫌そうな顔をした。
「ラティール領は娯楽ってもんに飢えてる。そういう街を、あんたなら変えられるんじゃないか?」
「簡単に言ってくれるなぁ」
「領主が居ないのも、混乱の原因のひとつだろう。あんたがシャトーティエリー領の」
「シャトーティエリー領領主代行の弟だからと言っても、俺に出来る事なんて些細なもんだ。でもまぁ分かった。近所が騒がしいととばっちりが来る事くらい代行だって分かってるだろ。臨時の統治、兵力の提供、娯楽の提供。どこまで出来るか分からんが、やれるだけの事はやってやる。ただし」
「ただし?」
尋ね直したセイルに、エミールはにやりと笑ってみせた。
「俺だけに負担背負わせようなんて言わねぇよなぁ? 交渉は、互いにリスクを背負うべきだろ」
「分かった。何をすればいい?」
「お前、レスローシェの『華麗なる蝶亭』で働いてた事あるんだってな。丁度いい。パリも人足りねぇんだよ。1日か2日、無報酬で働いてくれよ」
言われて一瞬セイルは硬直する。パリの該当店は、『お客様に貴族の家に帰った時のようなもてなしをし、満足感を味わっていただく』事を目的とした酒場だ。腰は低くしかし卑屈にならず、あくまで上品かつ優雅に爽やかな笑顔で接しなくてはならない。
「あなた‥‥頑張って」
「お前はやらないのか?!」
「だって私、あなた以外の男性をおもてなしするなんて出来ませんわ‥‥」
「俺だってなぁっ」
「いちゃつくのは外でしてくれよ。じゃ、よろしくな」
そう言い残し、エミールは部屋を出て行った。
翌日、『華麗なる蝶パリ亭』内で、特訓を受けたぎこちない動きの店員が、お客様をもてなしている姿が見えたとか。
●教会
彼女は1人待っていた。
時折、教会内からは歌声も聞こえてくるようになった。穏やかに話す声も耳に届いた。
だが彼女は何も変わらない。彼女を取り巻く環境は、彼女が外に出ることを許してはくれない。
今この一瞬にでも、誰かが扉を開ければ。彼女に訪れるのは死のみだ。
変わらないのだ、何も。
何も。