●リプレイ本文
「うわぁ‥」
辺りの樹木が鮮やかな紅葉と黄葉に染まる野原で、3頭の馬が辺りを駆け回っていた。騎乗している者の内2人は子供に見える。
「はしゃぎすぎて落ちないでくださいね〜‥」
それを見学しているのは2人の女性。シェアト・レフロージュ(ea3869)は笑顔で見守りつつも、やや不安げだ。
「大丈夫じゃない? ちゃんと手綱持ってるし?」
隣で大きく伸びをしたのはアフィマ・クレス(ea5242)。そして。
「駆けるときは、もう少し引いたほうがいいですよ」
「ジュールの身の丈に合った馬とは、言いがたいですからね」
ガイアス・タンベル(ea7780)とユーフィールド・ナルファーン(eb7368)が馬上から少年に話しかけていた。
「はい、分かりました!」
今回の依頼目的である少年、ジュールは笑顔で頷く。
だが彼は、最初からこんな素直な笑みを見せていたわけではない。ここまで到達するのに4人の冒険者達は、それなりに苦労を重ねていたのだった。
ジュール訓練開始日の前日。彼の母親から依頼を受けた4人は相談をし、まずジュールを母親から引き離すことが先決だろうと判断した。そして。
「まずジュールさんが気持ちを開いて頂けなければ、簡単に覚えられることも難しいと思うのです。‥少し、出来ればこの3日間は私達だけとの時間を頂けないでしょうか?」
翌日。シェアトが思い切ってそれを母親に告げた。
「えぇ、そのつもりですわ」
しかし拍子抜けするくらいあっさりと母親はそれを許し、パリ郊外にあるマオン家の避暑用別宅を使うよう指示をした。そして既に数人の使用人と料理人、それに必要な物などをこの3日の為に運んだことを告げる。
「では、おまかせ致しましたわよ。3日後を楽しみにしておりますわ」
そう言い置き、彼女は豪奢な馬車に乗って去って行った。
監視者が去り、4人はそれぞれジュールに挨拶をした。しかし、彼は初めて会ったときから変わらない浮かない表情のままだ。
「まずは、簡単に身体を動かしてみましょうか」
ガイアスが言い、自分と同じ背丈のジュールに微笑みかける。
「‥あの‥僕は、運動とか苦手‥なんです。それで‥」
「分かっていますよ」
膝を曲げてふわりとしゃがむと、シェアトもジュールを下から見上げるようにして、安心させるように笑んだ。
「騎士には、っておっしゃってましたものね」
「‥僕は、だめ‥なんです。剣も、馬も‥」
「それ、お母さんに言ったの? ちゃんと言った?」
後ろから飛んできたアフィマの声に、びくりとジュールは身体を震わせる。
「イヤだ、って一言。母親は勇敢な心を、って言ってたけど、イヤだ、って言える勇気は必要だと思うよ。あたし達は、それを教えに来たの」
「え‥?」
「騎士になる為ではなく、あなたの将来のために。短い間ですが、よろしくお願いします」
最後にユーフィールドが礼をして、ぽかんとしているジュールに練習用の剣を手渡した。
午前中は身体の鍛錬。昼食を挟んで、午後は乗馬。
ジュールは、それらについて特別秀でてはいないが劣っているわけでもなく、黙々とそれらをこなした。
「ジュールくんの好きなことは何ですか?」
最初は屋敷の周りで乗馬の訓練をしていたが、しばらくしてからガイアスは、ジュールを少し離れた場所まで連れ出した。そして落ち葉が重なり合う木の下まで来てから馬を降り、腰を下ろす。後から馬を借りてシェアトもやってきて、同じように座った。
「僕の、好きなこと‥ですか?」
「将来の夢でも」
「今はお母様はいませんから、こっそり私達に教えてくれませんか? そこから始めましょう。想いや夢をきちんと口にするのも、勇気がいりますよね」
2人を見比べるようにしていたジュールは、一瞬視線を落としたが、すぐに顔を上げて口を開いた。
「僕の夢は、学者になることです。本を読んで、勉強して、立派な学者になりたい」
「ちゃんと言えましたね」
シェアトの穏やかな微笑みに、ジュールは少し赤面して膝を抱えた。
「とても素敵な夢ですね。でも、騎士以外の道を選ぶとしても、今は身体を作る大事な時期です。風邪を引いて、好きな本が読めなくなった時は無かったですか?」
それへと、ガイアスが諭すように話しかける。
「‥‥あります」
「騎士の心構えの第一は、『色々な物や人を守る為』に自分がどう動くかって事です。ジュールくんは自分の夢を守りたくないですか?」
「‥‥」
「‥‥お母さんの心も。守りたいんですよね」
柔らかい口調に、ジュールは僅かに涙を浮かべた。その肩に、慰めるように励ますようにガイアスは手を置き。
「守れるならば、両方守りましょう。それが、騎士ですから」
2日目の朝。
ジュールは1日前とは幾分変わった、どこか晴れやかな様子で自室から出てきた。
ガイアスとユーフィールドが、前日の訓練での状態などを考えて、2日目の計画を立てる。
「ジュールは、騎士になりたいのですか?」
剣術の訓練の後。剣の手入れをしながら、ユーフィールドが尋ねた。
「‥いえ、僕は‥‥学者になりたいんです」
「騎士になりたくないなら、勇気を持ってそれをはっきりと伝えることです」
「‥はい‥」
どよんと沈んでしまったジュールに、黒髪の神聖騎士は持っていた剣の柄を彼に向ける。
「大切なのは、誇りと信念。それと優しさです。努力の上に得た誇りと信念。そして自らの弱さを認める事で得た優しさが、騎士ではなく人として、自信と勇気を自分に持たせてくれるのです。剣ひとつにしても、ただ奮うことだけが強さではありません。何の為に剣を持つのか、誰の為に剣を振るのか」
「‥守るものの為、ですか?」
「守りたい物があるのですね。‥結果も大切かもしれません。でも、過程も大事なことです。何になるにせよ、何をするにせよ」
「お兄さんは、強いんですね。騎士として、自信も持ってて‥」
立ち上がり剣を収めたユーフィールドを見上げ、ジュールは呟く。それへと半ば苦笑しつつ彼はジュールを見下ろした。
「いえ、わたしも新米ですよ。でも騎士として大事なものは、持っているつもりです」
「それで、言えそう?」
その日の夕刻前。屋敷近くの木に登り、アフィマとジュールは、ジャムを塗り込んだパンを食べていた。庶民が普段目にするような硬いパンではなく、ジャムもふんだんに盛られている。
「‥分からない」
口に運ぼうとした手を止め、ジュールは正直に呟く。
「あたし、自分の夢を押しつける母親ってだいっきらいっ!」
叫び声に驚き一瞬バランスを崩して落ちかけたジュールを、一応手助けして再び枝の上に座らせつつ、アフィマは不服そうに言葉を続けた。
「でも、ちゃんとイヤって言えないアナタも、いいと思えないな」
「‥うん」
「こういう風に考えたら? 自分の夢が果たせないままでいいの? 母親に立ち向かえないで、どうやって運命を切り開くの? それとも子供に、自分の果たせなかった自分の夢を、押しつけるの?」
「‥アフィマ。僕は‥‥」
言いかけて、言いよどむ。それを見ながら、アフィマは最後までパンを口に入れた。夕陽が傾き、空が緋から藍へと変わる。
「弱気に見えるから、お母さんも心配してるんじゃないかな。たった一言、イヤだ、って言えれば、きっと変わると思うよ」
橙に染まる景色の中、ジュールは小さく頷いた。
最後の日。
皆は、まだどうするか決めかねているジュールに、『知を誇る騎士もいる』とか『学問を志す騎士や吟遊詩人顔負けに音楽に堪能な騎士もいる』などと教えた。道は1つや2つではないことを、彼に知って欲しかったのだ。
ジュールのほうも、今までのお礼にと彼らに甘い食べ物を手渡した。
そして、その日の太陽が沈む頃。
「使用人から話は聞きましたわ」
再び馬車で、依頼人である母親がやってきて一同の前に立った。
「ジュールに、勇敢さだけではなく、騎士として必要な様々な事を教えて下さったとのこと。ジュールも伸び伸びと学び、3日で乗馬も随分と上達したそうですわね。お約束通り、報酬をお支払い致しますわ」
後方から現れた使用人達から報酬を受け取った事を確認して、母親はジュールを呼ぶ。
「さぁジュール、帰りましょう。これでますます立派な騎士になれるわ。明日から、もっとお稽古の時間を増やしましょうね」
硬直しているジュールを、後ろからシェアトがつつく。
「最初は小さな一歩から、ですよ?」
その小声に押されたように、ジュールは足を踏み出し口を開いた。
「ママ‥僕!」
彼にとっては大きな声だったのだろう。母親は驚いたように息子を見つめた。
「僕、剣とか、乗馬‥だけじゃ‥なくて。他の‥勉強も‥」
「まぁ、まだそんな事を言っているの?!」
『他の勉強もしたい。いろんな勉強をしたほうが、立派な騎士になれると思うから』。そんな台詞を、ジュールは皆に相談して、言うことに決めていた。だが母親はその全てを聞くことなく、ジュールの腕を引っ張る。
「少しは勇敢になったと聞いていたのに。やっぱり冒険者では駄目だったのかしら。明日からのお稽古も考え直さないといけないわね」
ぶつぶつ言いながら母親は馬車に乗り込み、ジュールも乗せるよう使用人に指示を出した。
そんな2人を一同は、『やはり無理だったか』と見送る。そう簡単に、今までの関係が変わるはずもないのだ。恐怖心、強迫観念。それを克服する為にかかる時間は計り知れない。
だが。ジュールは彼らへと振り返った。そして、不意に使用人の手を振りほどく。
「ママ。でも僕は感謝してるんだよ、とっても」
そのまま彼は駆けて来て、4人の前で立ち止まった。大した距離ではなかったが、荒く息を吐き。
「‥やっぱり言えなかったです。いろいろ教えてもらって、励ましてもらったのに‥ごめんなさい」
深く頭を下げた。
「いいえ、ちゃんと言えてましたよ。がんばりましたね」
その両手に触れて、ガイアスが笑いかける。きょとんとしたジュールに向かって、ユーフィールドも頷いた。
「わたし達が伝えたことが、きちんとジュールの中で種となって実になれば、分かってもらえる時が来ると思いますよ」
「あの‥?」
「さっき使用人殴って来たでしょ」
「えっ‥殴ってません!」
「イヤだ、ってハッキリは言わなかったけど、お母さんに反抗したよね。一度に沢山なんて出来ないんだから。少しずつ、自分の思ってること、伝えていけばいいんじゃないかな」
ジュールは、アフィマを見つめた。その目が涙でうるうるになっている。
「ありがとう‥ございます。皆さんに会えて、本当に、僕‥」
「ジュールさん、泣かないで。今日はお別れしますけれど、又、いつでも会えますよ」
皆の後ろで竪琴の準備をしていたシェアトが、それを爪弾く。秋空に優しい音色が広がって、彼女の澄んだ歌声が響き渡った。それは彼を励ますための明るい行進曲で、離れた所にいる使用人達ですら聞き惚れていたが、ジュールは更に涙をこぼした。
「僕、がんばります。‥3日間のこと忘れないで、自分のことも諦めないでがんばります。‥でももし、折れてしまいそうになったら、また、僕に道を教えてください」
頷いた皆を見て、ようやくジュールは笑顔を見せる。
それは10歳の少年が、初めて自分の未来の為に生きることを決めた瞬間だった。
人が変わることは難しい。けれども人の小さな後押しが、その優しさが、時に人の一生を左右することもある。
少年は、4人の冒険者達のささやかな力添えによって、新たな道を模索し始めた。
ありがとう、冒険者達。あなた達の元にも、沢山の優しさが降りますように。