パリで最も麗しきもの〜華麗なる蝶編〜

■ショートシナリオ


担当:呉羽

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:0 G 65 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:02月12日〜02月17日

リプレイ公開日:2008年02月20日

●オープニング


「ご主人様、お帰りなさいませ」
 娘がにこやかに客にお辞儀した。客は即座に破顔して大きく頷く。
「やぁ、久しぶりに帰ってきたよ。君は相変わらず可愛いね、ナターシャ」
「ありがとうございます、ご主人様」
 客を1つのテーブルに案内し、椅子に座った所を見計らって娘は尋ねた。
「今日は、厨房係のマリンがお茶を淹れております。お茶にお付けする果物は、干したプラム、ブドウ、ナツメをご用意出来ますが、どうなさいますか?」
「そうだね。じゃあ、プラムにしてもらおうか」
「かしこまりました、ご主人様」
 ここは『華麗なる蝶亭』。パリの一角にある酒場である。ここに店を構えたのは約1年前。『貴族生活の一端をお客様に味わって頂く』というのを基本方針に経営しており、店員達は皆、『貴族に仕える使用人風』を装っている。客の中には実際の貴族もおり、『うちの子達より可愛いわ』と足繁く通う者も居ると言う。
 この酒場のメインは、夜間よりも日中である。日中は一切酒類を出さず、紅茶や香草茶を楽しんでもらう。一般人が一生お目に掛かれないような贅沢な椅子と卓に、美しい模様が描かれた皿とゴブレットが置かれ、店員達が客の体調を気遣ってくれたり、何かと世話してくれたり、時には話相手になってくれたりするのだ。店員は男女それぞれ居り、誰を指名しても構わない。複数名から同時に指名されると、客1人と過ごせる時間が短くなってしまう為、敢えて新人を指名したり、毎回変えてみたりする客も居た。
 確かに、一般人からすれば目が飛び出るくらい酒場にはあり得ない高額な費用のかかる店である。だから、客の大半は金をある程度以上持っている者達なのだが‥‥。それでも、金が貯まったら自分へのご褒美として訪ねてくる人も居た。パリ見物のついでにやって来る者達も居て、つまり、この店はこの1年弱の間に少しずつ支持を広げ、売上を伸ばして行ったのである。

 そこに、暗雲が近付いてきている事にも気付かずに。


「お邪魔するわよ」
 嵐は突然やってきた。
「あら‥‥昼間から店を開いているのね‥‥。勤勉だこと」
 開かれた扉から、常識では考えられない格好をしたジャイアントが入ってくる。
「あ、あの‥‥ご、ごよやくは‥‥」
「まぁ予約制なの? ますますもって気に入らないわね」
「も、も、申し訳‥‥」
 扉の所に待機していた店員が震えながら謝りかけたところで、ジャイアントに頭を押さえ込まれた。
「店長を出していただけるかしら‥‥? 少し、お話があるんですの」
 その姿は凶悪。どう見てもジャイアントの性別男が、吟遊詩人風の帽子を頭に乗せて、黒を基調としたドレスを体に張り付けている。そのドレスにくっ付いているレースが桃色だという事が、尚一層店員を震え上がらせた。
 だが、それは恐怖の幕開けに過ぎない。
「店長代理。そんな風に言ったら、あたし達、借金取りに来たんだと思われちゃうわよ」
 巨体ジャイアントの後方から、やや小ぶりなジャイアントがひょっこり顔を出した。
「ねぇ〜、店員さんっ。‥‥悪いようにはしないわ。少し、お話したいんだけど‥‥?」
 そして店員に顔を近づけながらしなを作る。‥‥そのジャイアント性別オスは、恐ろしい事に桃色と赤色をふんだんに使ったドレスを着ていた。今にも破れそうなくらい窮屈な所が、かなり犯罪的だ。
「ナナミ。その子、気絶しちゃったわよ」
「あら。あたしの魅力って罪ね‥‥」
 そして、更に‥‥後からぞろぞろと同じような格好のジャイアント達が店に入ってきた。
「別に営業妨害するつもりは無いのよ。お話したいだけですわ」
 確実に3mは引いた人々を見やり、『店長代理』は出来うる限りの穏やかな表情でそう告げた。

「‥‥久しぶりね、ダナン」
「その名は私じゃないって言ったでしょう‥‥? 私の名はリリカよ、ジョン」
「きぃーっ。あたしをその名で呼ぶなって何度言ったら分かるわけ? このオーガ女!」
「んまぁ! 失礼ね。私達がジャイアントなのは神の采配。この姿は神の思し召し。あんたこそ、そのガリ骨のような体でどんな相手を満足させられるって言うのかしら‥‥?」
「あんたって本当に失礼な奴ね!」
 以上、両店の責任者同士の会話でした。
「‥‥で、用は何なの‥‥? こんな嫌味言うために、わざわざ手下を連れてきたわけ?」
「宣戦布告に来たのよ」
 しかし平然と『店長代理』は『華麗なる薔薇パリ亭』の店長に告げる。
「今度のバレンタインデー。12日から16日までの5日間。どちらの店の売上が良かったか、競いましょう。ただし、うちは夜しか店を開いてないから、夜限定よ。売上金を誤魔化さない為に、互いの店に監視役を置く。この条件でどう?」
「‥‥あんた達とこの店とで‥‥? 正気?」
「勿論、こちらには秘策があるわ。えぇ‥‥正々堂々と勝負しましょうよ。私達は冒険者の手も借りるつもりよ。あんた達も借りればいいわ」
「‥‥珍しいわね。敵に塩を送るなんて」
 店長は怪訝そうに目の前のジャイアントを見つめた。
「勝負と言ったでしょう‥‥? 勝ったらご褒美を頂くわ」
「ま、まさか‥‥うちの子達にあんた達の毒牙にかかれって‥‥」
「いいえ?」
 にっこり笑って(この上なく怖い形相ではあったが)、店長代理は軽く笑う。
「あんたの店の店員に、うちの店で働いてもらおうかしら。あぁ、勿論永遠じゃないわよ。軽く1ヶ月くらい」
「そんな事になったら、うちの子達再起不能になるじゃない!」
「勝ったらって言ったでしょう? それで、あんたの望みは何?」
「あたしは‥‥そうね‥‥」
 少し考え、店長はにやりと笑った。
「じゃあ、あんたの店員に『男姿』で来てもらおうじゃない。そして、1ヶ月あたしについて労って頂戴。こう見えても、繁盛店の店長は重労働なのよ」
「いいわ」
 人権を無視して2人は話し合う。
 そして、何だかよく分からないが、両店の売上競争が始まったのだった。

●今回の参加者

 ea1674 ミカエル・テルセーロ(26歳・♂・ウィザード・パラ・イギリス王国)
 ea2499 ケイ・ロードライト(37歳・♂・ナイト・人間・イギリス王国)
 ea8078 羽鳥 助(24歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb0711 長寿院 文淳(32歳・♂・僧兵・人間・ジャパン)
 ec0290 エルディン・アトワイト(34歳・♂・神聖騎士・エルフ・ノルマン王国)
 ec0887 セリア・バートウィッスル(23歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・イギリス王国)
 ec2418 アイシャ・オルテンシア(24歳・♀・志士・ハーフエルフ・イギリス王国)
 ec4009 セタ(33歳・♂・カムイラメトク・パラ・蝦夷)

●リプレイ本文


「いらっしゃいませ、ご主人様」
 礼服を着こなしたパラが、足を止めた人に声を掛けた。少年のような愛らしさの中に、背筋が伸びるような品の良さが滲んでいる。
「こちらのお屋敷にお戻りでしたら、どうぞこの手をお取り下さい」
「扉を開けたこの先は、すてきなご主人様のお部屋ですの」
 レースふりふりのメイド服を着た娘も、くるりと回りこむようにして位置を取る。その純朴な笑みと豊満さを隠しきれて居ない服に、客は赤くなった。
「お帰りなさいませ、ご主人様♪ ここは素敵な蝶屋敷〜♪」
 歌いながら客の手を取ったセリア・バートウィッスル(ec0887)を見、礼服を着たパラ、セタ(ec4009)がベルを鳴らしながら扉に手を掛ける。
「この先は、ご主人様の夢屋敷。ひと時の癒しを提供致します。さぁ‥‥中へどうぞ」

「パリのお屋敷にいらっしゃって良かったです〜っ」
 出迎えたメイド服の娘に、駿馬を降りたアイシャ・オルテンシア(ec2418)が駆け寄った。
「レスローシェまで行ったら往復3日掛かる所でした。あの、お願いがあって来たのですが」
「は〜い、何ですか?」
 『華麗なる蝶』の出資者であるエミールは、レスローシェという町の長でもある。エミール設立『天使隊』の一員でもあるアイシャの最大のコネが今回の売上競争の勝利の一因となるに違いない。というわけでパリ郊外の家にやって来たアイシャだったが、残念ながらエミールは最近頻繁に出かけているらしい。
 とにかく、レスローシェに住む貴族達にパリ亭がサービス中と宣伝して欲しい事。噂を広めれば利益にも繋がるという事。可愛いメイド服を貸して欲しい事を伝える。
「分かりました。エミール様にお伝えしておきますね。それより‥‥お仕事熱心なのは宜しいんですけどアイシャさん」
 メイドは頬に手をやった。
「貴女、目立ちやすいんですもの。お気をつけ下さいね?」
「? そうですか? 一応気をつけてみます」
 よく分からないままに衣装をごっそり借り、アイシャは再び騎乗した。

 開店前からライバル薔薇亭がパリ内を駆けずり回っている事は分かっている。だが、この店は気品と癒しを提供する店。負けてはならないからと言って、店の品格を落とすわけには行かないという点で、集まった冒険者達の意見は一致した。
「皆さん‥‥。これは最早戦争です。薔薇オーラを跳ね除け、勝利を蝶に! ですよ!」
 金髪を炎のように揺らめかせながら、ミカエル・テルセーロ(ea1674)がしゅぼーと燃える。
「ふむ。主人に愛され繰り返し足を運んで貰えてこそ。細かい行き届きが必要でしょうな」
 実に様になる礼服姿で、ケイ・ロードライト(ea2499)も顎に手をやる。
「薔薇からも勘定役来るんだろ? 誤魔化さないか俺、時々監視しとくな」
「それは助かります」
「よし、銀河! 見回り行くぞ」
 羽鳥助(ea8078)がぽんとテーブルを降り、愛犬と共に部屋を出て行った。
 とにかく蝶亭の店員達も怯えている。女装ジャイアント達の襲来は恐怖に他ならず、又、彼らが何か仕掛けてくる可能性は充分にあった。
「そうですね‥‥。では、お客様お見送りサービス実施は確実として‥‥指定が重なった場合の対処はどうしますか?」
 やんわりと尋ねながら長寿院文淳(eb0711)が皆を見回すと、エルディン・アトワイト(ec0290)と目が合う。
「あらかじめ時間制の指名制で重複しないよう気をつけましょう」
「ご予約頂ければ店員がお迎えに上がるというのは如何ですかな。護衛の意味も含めての送迎サービスですから、それをご予約と合わせる事で把握もしやすくなると思いますぞ」
「では、バレンタインフェアと題して‥‥」
 実に真面目に着実に、彼らは企画を立てていく。その姿を、店員達が感心したように見守っていた。
「皆さん〜! 衣装お借りしてきました〜」
 そこへばたばたとアイシャが戻ってきて、テーブルにそれを広げる。
「あ。セリアはこれにするですの」
 8人居て女性は2人だけ。中には女性と見紛う者達もちらほら居るものの、男性陣は今回きちんと男物の礼服を着る事になっている。あれやこれやと選ぶ女性陣を傍らに、男性陣は計画を煮詰めて行った。


 ベルボーイによって開けられた扉の先には、優しい笑みを浮かべた美男子が立っている。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
 ジャパン人のようだが、すいと向けられる流し目の艶に、客は棒立ちになってしまった。
「お帰りなさいませ、ご主人様〜♪」
「お帰りなさいませ、ご主人様」
 男物の礼服を着た娘とメイド服を着た娘が走り寄ってきて、輝けるような笑みを見せる。
「お席はちゃあ〜んとお掃除してありま〜す♪」
「ゆっくり寛いで下さいねっ」
 そうして案内された席に、実に品のある男が銀盆に載せた香草茶を持って静かにやって来るのだ。
「お帰りなさいませ。どうぞ、香草茶でございます」
 贅を尽くした椅子と机。美しい皿に器。美味しい茶と料理。それら全てを煌びやかで穏やかで癒しのある笑みを浮かべた使用人風の店員達が持ってくる。それこそ最高の贅沢ではないだろうか。そう、客は思うのだ。
「これが‥‥貴族の暮らしというものなのだなぁ‥‥」

 橙分隊の分隊長を呼び、宣伝のひとつとする作戦。これは、結果としては失敗した。
 後から聞いた話では、店同士の争いに国の最高騎士団の分隊長を務める者が巻き込まれては後々問題になるという事らしいが、実際の所は、
「入り浸るだけならまだしも、店員に『わが屋敷で働いてみないか?』などと言い出して領地間問題になったらどうする。っていうか、俺が行く」
 と言うわけで分隊長まで連絡が届かなかったらしい。
 エルディンは教会に協力を求めて宣伝をしようとしたが、これも教会側から断られた。ならばと知り合いの美男美女聖職者に声を掛け、店が作った焼き菓子を配って宣伝をする作戦に出た。
 ところが。
「お。これ旨いな。誰が作ったんだ?」
「あぁ、これは厨房係の‥‥って、貴方、薔薇亭の!」
「よしエルディンさん。俺にその身を委ねろ!」
「なな何言って‥‥ぎゃー」
 敵の妨害はこんな所にやって来ていた。小脇に抱えられ、今まさに攫われようとする黒衣の聖職者。
「曲者ですね! 覚悟!」
 だが皆の護衛役セタが、鮮やかな身のこなしで行く手に立ち塞がり妨害した。
「今回は敵同士! 容赦はしません」
「望む所だ!」
 睨み合う2人。しかし。
「‥‥っ‥‥えぇぇ〜ん‥‥。このおじちゃんがお兄ちゃんに酷い事をするよぅ〜」
「ええええ」
「みなさ〜ん。薔薇亭の店員が、蝶亭の店員に酷いことをしてますよ〜」
 セタとエルディンのタッグで、悪は滅びた。
 この後、薔薇が蝶の店員引抜をしたが失敗したとか、店の格がやはり違うとかいう噂を彼らが流しまくったのは言うまでも無い。
 そう、これは戦争なのだ。


「私は心配でなりません。麗しき貴女を、いつウィリアム陛下が見初めるかと‥‥」
 沈痛な面持ちで、紳士ぶりを発揮しているケイが呟いた。
 羊皮紙の小片で作ったネームカードは結構な数に上っている。これを自分が担当した客に配り、次回来店時には指名札も兼ねる事にした所、それもなかなかの評判を呼んだ。ネームカードは店員達が自分で名を書く。
「文字の書けない人には手取り足取り教えますぞ」
 と言ってアイシャとセリアに近付いた所、
「おじ様、えっちっぽいです〜」
 さくっと逃げられた。
 ともあれ功を奏したネームカードに加えてミカエルが配布用の告知カードも作り上げた。店を気に入ったお客に配り、新たなる新規客を呼び込む。
「アイシャさん、この服ってお胸が苦しいのですが‥‥サイズが小さいのではないでしょうか?」
 男物の礼服を着たセリアが、大きく息を吐いてアイシャにこっそり近付いた。
「そうですか? 大丈夫だと思いますけど」
 満面の笑みでアイシャはそう答え、セリアを送り出す。かつて衣装に仕掛けを施した事があるアイシャだが、さすがに今回はやっていない。エルディンには妖しすぎる蝶羽がついた礼服を渡していたが、何かを企んでいる彼女は惚れ惚れする程良い笑顔だ。
「セリアちゃん。こっち〜」
「は〜い。今行きますの〜」
 ドジっ子妹属性男装メイドを売りにしていたセリアだが、走って行って椅子に引っかかった。
「あう!」
「セリア。大丈夫?」
 素早く近付いたアイシャが心配そうな顔で見つめる。
「はい、お姉様。セリア、これくらいじゃ負けないですの! あ。お姉様、リボンが曲がってますの」
「ありがと」
 直して貰って毅然とした笑みで微笑みながら、アイシャは再び立ち上がったセリアを見送った。
「これくらいサービスよね、サービス。夜だし♪」
 セリアの服の胸の辺りが破れかかっているのを目撃していながら、決して指摘はしないアイシャだった。

「お姉様、酷いですぅ〜」
 後からセリアが泣きついたのはさておき。
 今回、店には男性店員が多い所為か、日を追うごとに女性客が増えてきていた。中でも密やかな人気を誇ったのが、物静かさを売りにした文淳である。
 昼間は店周辺で楽器を演奏して周り、その音色に惚れる人々に穏やかな微笑を残して去っていく。勿論宣伝用の木製カードも手渡すが、礼服姿の奏者が町を歩くのは珍しく、娘達にいらぬ妄想を抱かせた。
「ね‥‥みて。あの憂い顔。きっと貴族のお屋敷お抱えの方なのよ」
「年上の貴族の奥様と、結ばれぬ恋をしているって顔よね」
 というヒソヒソ声は店内でも交わされていたが、時折それへ流し目をやりながら文淳は店内でも竪琴を奏でている。勿論接客もするが、世話をする席に付いた時も演奏をせがまれる事が多かった。接客は素人同然と自信がない文淳にとっては有難い話で、言葉よりも音楽で癒しましょうという彼の幻術に嵌まってしまったかのように、彼を指名する娘は日に日に膨れ上がって行くのだった。
 ケイだってそれなりに人気である。彼は社交界必須のスキルを充分発揮していたし、ダンスに話術にと女性を退屈させない。背は低いが酒の相手も務められるし愚痴や相談相手にもなれるという事で、時には男性の指名を受ける事もあった。
 そんな中、最大の人気を誇ったのが。
「‥‥修行中なんだ。嫌なら指名を変えればいい」
「助? そんな事言ってはいけませんよ?」
 助とミカエルによる半ズボン少年使用人コンビであった。助はぶっきらぼうな少年風、ミカエルは笑顔の眩しい優しい少年風。2人同時に指名も多かったが、そのほとんどが貴族の奥様達によるものであった。
「ごめんなさい、お嬢様。助。ちゃんとお謝りして」
「う‥‥うるせぇよ‥‥」
 少し頬を赤くしてそっぽを向く助に、奥様方はくすと笑う。
「お、銀河。落し物拾ったのか? そっか、偉いな、お前」
 そのくせ、愛犬を褒める時だけは笑顔。このギャップがいいらしい。
 ところが。
「‥‥え‥‥レジス様‥‥?」
 一旦その場を離れたミカエルは、偶然見てしまったのだった。丁度店内に入ってきた2人の男。その顔を。
「アイシャさん! まずい、まずいですよっ」
「え〜? どうかしましたか?」
「きたきたきてるきてるんですよ!」
 そういえば彼らも貴族だったと呟きながら、ミカエルは強引に裏へと逃げ込む。
「何がきてるんです〜?」
 ひょこと顔を出したアイシャの目が、男の1人と合った。
「‥‥レミー様」
「すまないが、あそこの使用人は空いているかい?」
 遠くから声が聞こえてくる。ミカエルとアイシャは依頼でその2人の男を騙した事があった。しかも身分を偽って。ここで正体がバレてはまずい。だが慌てて隠れようとした彼らの前に、1人の男が立ち塞がった。
「やぁ、ボードリエのご子息君達。わざわざこんな所までどうしたんだい?」
 晴れやかな声を上げて、男は客を連れて去って行く。
「エミール様‥‥来て下さったんだぁ」
 アイシャは胸を撫で下ろし、それを見つめた。

「私に‥‥教えて下さいましたね」
 中庭へと続く露台で、エルディンは1人の女性客に囁いている。
 外は寒い。そっとその肩に上着を掛けてやりながら、その手を取った。
「この温もり‥‥。今、私は想いを伝えずにはいられません。初めてお仕えした時から、私は貴女の虜となりました。美しき女神よ、どうか今宵は‥‥私だけに微笑んで下さい」
 うっとりする女性に夜色の笑みを浮かべて、白の聖職者はその肩をそっと抱く。
「あぁ‥‥でも、私、そろそろ時間だわ‥‥」
「そうですね‥‥名残惜しい‥‥。このまま、貴女を帰したくない‥‥」
 ランタンの灯に照らされた雪が煌く中、2人の世界を作っていると‥‥。
「お出かけ前のお飲み物をお持ち致しました」
 にこやかな笑顔で礼服姿のセタが登場した。少し慌てたように女性がそれを受け取り部屋へ戻っていくのを見、エルディンはちらとセタを見下ろす。
「‥‥そんな顔されても、私は知りません。破戒僧と言われてもいいんですか?」
「教義では恋愛も結婚も否定されていませんよ」
「謳歌しろという教義が?」
「私もこの身を犠牲にして頑張っているのです‥‥。全ては依頼の為にっ」
 ぐっと拳を握るエルディンを置いて、セタは次の護衛に行くべく去って行った。


 5日が過ぎ、売上集計の時がやって来た。
 固定客、富裕層客向けと、新規客向けのメニュー。ネームカード、メッセージカードの導入、店員達手作り焼き菓子配布、送迎、予約時指名サービス、ご来店100名様ごとの特別サービス‥‥。それらをこなした上で、1人1人のお客様の世話を誠心誠意を籠めて行う。一段上の、最高級の使用人目指して。そんな5日間だった。
 皆が見守る中、薔薇店と同時に売上金額が数えられ‥‥。
「僅かの差ですが勝ちました!」
 店員が歓喜の声を上げた。
「やりましたな! 今日は祝杯ですぞ!」
「皆さん、お疲れ様でした。では私は皆さんの疲れを癒す為に何か奏でましょう。何の詩が宜しいですか?」
 わぁと盛り上がる店内から薔薇店の店員は去って行ったが、店長同士の約束がどうなったのか‥‥。そんな事は皆には関係の無い話で。
「でも、ぎりぎりの勝負だったのですね〜」
「終わりよければ全て良しですよっ」
 皆はワインを振舞われて手を叩きあった。
「あ、銀河も何か食おうなっ♪」
 5日間『つんでれ』なる言動をやり遂げた助が、ひとつ伸びをして扉を開く。開いた所で動きが止まった。
「あの‥‥助さん‥‥。もう、お仕事辞めてしまわれるって聞いて‥‥」
 そこには、助と変わらぬ年頃の娘が立っている。
「‥‥言ったろ。俺にこの仕事は合わないって思ってるって」
「でも」
「うん。でもさ。このまま辞めたら悔しいじゃん? だから、又時々店に出るからさ。らしくなったら褒めてくれよな」
 少年らしい笑顔を見せる助に、娘は両手で持っていた焼き菓子をそっと手渡した。
「貴方にとって‥‥。このバレンタインデーは、素敵な日々でしたか?」