【破滅の魔法陣】 聖櫃護送

■ショートシナリオ


担当:姜飛葉

対応レベル:4〜8lv

難易度:難しい

成功報酬:2 G 88 C

参加人数:12人

サポート参加人数:4人

冒険期間:11月23日〜11月28日

リプレイ公開日:2005年11月27日

●オープニング

 かの男は討たれ、ようやく彼女に訪れた安息。
 立場に、地位によって負う責はあれど、その重さに屈する事無く。むしろ、忙しさの中に身を置くことで、彼女は自身の居るべき場所、果すべき役割に徹しようとしていた。
 確かに彼女の身に平穏が訪れた‥‥はずだったのだ。
 彼女が見上げたその視線の先。
 そこには大きく歪み霞む月を背に優美な翼を広げた、梟の頭を持つ‥‥決して人ではありえぬ存在。
 鋭いレイピアをその手中に、彼女らを睥睨する存在――
「‥‥アンドラス」
 庇われた腕の中、かの人の呟きに少女は身を強張らせた。
 なぜ私が狙われるのだろうか――今頃。そう、今頃‥‥。

 領主の私室での異変に気付いたのだろう、館の警護の兵達が駆けつける足音が大きくなり、やがて扉を叩く音が響く。
 叩かれる力に揺れる扉を見やり、震える手足を叱咤し彼女は立ち上がった。
 支えてくれる腕はもう無い。自分自身がそれを選んだのだから、甘えは許されない。既に離れた彼らはそれぞれ動き始めているはず。私にもできること、しなければならない事はあるのだから。
「大事ありません」
 主の応えに扉が開け放たれ、剣や盾を手にした数人の騎士達が駆けつける。
「クラリッサ様!」
「‥‥大丈夫です、それよりも」
 視線を巡らせ窓辺を見やれば、優麗な細工の施された窓枠は、周辺の石壁ごと壊され崩れ、寒々しい冬も間近な夜の冷気が吹き込む穴と化していた。風の向きによっては、階下のけん騒も聞こえる気がする。
 冷たい夜風を吸い込んで、弾み乱れた呼気を整え彼女は告げた。
 強大な恐ろしいまでの存在とその力を目にし、怯まずにいられようはずもない。
 けれど今‥‥この地の領主は、彼女――クラリッサ・ノイエンでしか在り得ないのだ。
「急ぎパリの冒険者ギルドへ使いを‥‥フロランス様へ、また冒険者の助力をお貸し願いたいと」


●聖櫃移送
 襲撃に負傷した城内の者達の手当てと、欠けた人員の再配置。
 崩された城壁、壊れた領主の私室の修復‥‥全てに采配を調え後事を頼んだクラリッサが、密やかに冒険者ギルド――ギルドマスター、フロランスの元を訪れたのは、アンドラスの襲撃からそう時をあけない日の事だった。
「‥‥怪盗さん‥‥いえ、マスカレードの一党も、皆それぞれ既に行動に移されているご様子。マントの領主としての依頼です。陛下のお許しは頂いております――冒険者の皆さんには、聖櫃を安全な場所へ運んで頂きたいのです」
 先の騒乱の後、聖櫃はマントの姫君の元に在った。
 騎士団の管理下ではあるものの、ヨシュアスの膝元ではなくマントに在った事――決して護るに不穏なところではない。
 けれど、再びデビルの魔手が迫る状況にあっては、もっと人を配し守るに適した場所へ移すべきという結論になったのだ。そして、密かに送られた使者の依頼もあり、聖櫃の移送が決まったのである。
「状況を伺う限り、クラリッサ様の御身も危ういご様子ですが‥‥?」
「カルロス亡き今、なぜ私がデビルに狙われたのか、それはわかりません。マスカレードもその理由をはっきりとは掴めていないようでした」
 フロランスの問いに小さく首を横に振るクラリッサ。
 だが、自分の身は自分で守る。守りの備えは大丈夫だと彼女は微笑んだ。
 これ以上、瑣末事で手を煩わせる事無いと。何より、領地に傍らにある騎士達を信じていると。
「それよりも、聖櫃です」
 なぜデビルらは、あそこまで聖櫃に固執するのか。
 聖遺物であることを思えば当然の事なのかもしれないが、未だ判らない事が多いその存在。
 先のシュバルツ城での聖櫃を巡る攻防戦にて、聖櫃の側にてその存在を奪われまいと、尽力した者達の話では、神聖魔法の使い手は、聖櫃の側で振るうその力が、常に増して効果が得られたように感じられたという。
「シュバルツ城という場所が重要なのか、聖櫃そのものの力なのかそれは未だはっきりしていません。調査にあたられている方々の報告は‥‥」
「じき届く頃ではあるのだけれど。それで、シュバルツ城へ移す話になったのですね」
 フロランスの言葉にクラリッサは頷いた。
「わかりました。クラリッサ様の依頼に叶う人材を、直ちに集めましょう」
「‥‥ご無理をお願いし、申し訳ありません」
 力のしっかりした、信頼のおける人を‥‥と、クラリッサは願った。
 だが、何より彼女が願ったのは‥‥
「デビルに屈しない強い心を持った方、苦難にも諦めない方を」
 気取られぬよう秘密裏に事を運ばねばならない。そのために選んだ少数精鋭という選択。
 けれどそれは、万一の時の危険度も跳ね上がる事になる道。
「あれ程までにカルロスが固執し、デビル達が奪おうとしていた品です。移送の道中は、くれぐれもお気をつけて‥‥」
 酷な願いを、フロランスに‥‥冒険者にしている自覚はあった。
 重責を負う立場にある人間は、その力を行使する場を誤ってはならない。必要な役目、誰かを送り出さねばならない事‥‥その責任から逃れるつもりはない。
 それを判っていてなお、彼女は辛かった。見知った、親しくなった者も多いパリのギルドの冒険者達。
「怖いのです‥‥マントを預かる者として、しっかりしなければいけないと思うのですが、陛下やブランシュ騎士団の皆様のご尽力は元より、冒険者の皆さんにお助け頂きカルロスを討つ事が出来てなお‥‥まだ、この国は平和には遠いのかと‥‥」
 クラリッサの言葉にフロランスは、ただの気休めなどを口にする事も無く、彼女が見つめる窓の向こうへと視線を移す。
 思慮深いその瞳に映るのは、血潮のような紅い紅い夕陽に染まるパリの街だった。

●今回の参加者

 ea1999 クリミナ・ロッソ(54歳・♀・クレリック・人間・神聖ローマ帝国)
 ea3785 ゴールド・ストーム(23歳・♂・レンジャー・エルフ・ノルマン王国)
 ea7489 ハルワタート・マルファス(25歳・♂・ウィザード・エルフ・ビザンチン帝国)
 ea8284 水無月 冷華(31歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea9142 マリー・ミション(22歳・♀・クレリック・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 ea9687 エクレール・ミストルティン(30歳・♀・レンジャー・ハーフエルフ・フランク王国)
 ea9855 ヒサメ・アルナイル(17歳・♂・神聖騎士・ハーフエルフ・ビザンチン帝国)
 ea9960 リュヴィア・グラナート(22歳・♀・ウィザード・エルフ・ロシア王国)
 eb2762 クロード・レイ(30歳・♂・レンジャー・ハーフエルフ・イスパニア王国)
 eb3243 香椎 梓(33歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 eb3360 アルヴィーゼ・ヴァザーリ(28歳・♂・ファイター・ハーフエルフ・イスパニア王国)
 eb3536 ディアドラ・シュウェリーン(21歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・ロシア王国)

●サポート参加者

ヴィグ・カノス(ea0294)/ オラース・カノーヴァ(ea3486)/ ツルギ・アウローラ(ea8342)/ 神剣 咲舞(eb1566

●リプレイ本文

 皆が皆、この依頼の重要性を認識していた。
 聖櫃を護り運ばなければならない道中の危険性。
 聖遺物である聖櫃に、明らかにカルロスは執着していた。
 それはまたデビルも同じ事。
 彼らは何よりも、急ぎ運びきる事を優先とし事にあたる積りだった。

 奪われてはならない、何に代えても――そう覚悟を持って、護送の任についたのだった。


●聖櫃ヲ、護リ送ル
 ゴールド・ストーム(ea3785)の言が聞き入れられ、馬車は2頭立てで引き行かれる事となった。
 その手綱を握るのは、水無月 冷華(ea8284)である。
 視界の効かぬ夜は無理をする事無く、体を休める事とし野営を引いて。
 日が昇る時刻間近から目一杯馬車を飛ばすこと幾日か‥‥冒険者らの緊張を他所に、拍子抜けするほど順調すぎる行程を辿った。
 もうじき日も落ちる頃。だが、シュバルツ城の尖塔が見える所まで来た。
 残り僅かならば、シュバルツ城にまで一気に駆け込んでしまった方が良いかもしれない。
 そう馬を潰さぬ程度に先を急いだ冷華らが、今宵の野営の事も兼ね先行きを急ぎながらも話交していた。
 オラース・カノーヴァやヴィグ・カノスが、出立前に集め整えてくれた行程の情報に助けられたか、ツルギ・アウローラの情報操作が功を奏したのか。
 けれど向かう先は、これまでに2度もデビルとの攻防が繰り広げられた因縁めいた場所である。
 『破滅の魔法陣』――そんな存在が確認され、密かに暗躍するデビル達・アンドラスの動きが隠される様子も無く見え始めた不穏な空気漂うその場所付近。
 集うのは、ウィリアムやフロランスの元へと駆けつける騎士や冒険者ら以外も――当然といっていいのか、居たのである。

 白く細い指に嵌められた指輪。リュヴィア・グラナート(ea9960)は、この道中、常にそれを気に掛けていた。
 指輪に飾られた大きな石の中に在るのは蝶‥‥石の中に封じられ、羽ばたく事の無いはずのそれが、ふわり羽根を揺らしたように見えた。
「! 近くに‥‥っ」
 リュヴィアが警告を発するのと馬車の近くで爆音が上がったのはどちらが先だったろう。
 進路上に突然降って来た炎の塊に、冷華が咄嗟に手綱を引き絞った。目の前に広がった夕陽とは違う赤色。
 唐突に御する命に馬は慌て弓形に身を逸らした。留まりきれぬ馬車が軋み大きな音を立て街道から後輪を大きく外す。
 目の前の異変に足を止め、後方を振り返ったアルヴィーゼ・ヴァザーリ(eb3360)の視界に入ったのは、あがる砂埃。多くが急ぎ移動する様。
 ふっと歪んだ笑みを浮かべ、アルヴィーゼが瞳を眇め見る。
「オーガと‥‥人、かな? 悪魔崇拝者かどうかはわからないけど、柄が悪そうだからお金で買われた傭兵ってトコじゃないかな」
「んじゃ、リュヴィアの蝶が感知したデビルはあれか」
 デビルに対して特に効果を発する聖剣アルマスを鞘から抜き払ったアルヴィーゼの隣りへ愛馬を寄せ、頭上を仰ぎ見るハルワタート・マルファス(ea7489)の視線の先には、夕陽を背負うかの如く、炎を身に纏った醜い小鬼が、黒い翼を空に広げ其処に居た。

 緊張を解かず周囲に気を配りつづけていたこの道程、満足に休む事とて出来ぬ依頼にあって疲労はどれ程、彼らの身に積み重ねられていただろうか。
 けれど、その覚悟を持ってここまで来たのだ。そして、たどり着くべき場所まであと僅か。
 奪われるわけにはいかない‥‥そんなクリミナ・ロッソ(ea1999)らに緊張が走る。
「アンドラスの使い走りかしら。ま、いい男じゃないなら興味ないわね」
 目の利く仲間達から僅かに遅れ、彼らを追う存在に皆がそれらを視界に収めたディアドラ・シュウェリーン(eb3536)は、距離の優位を迎え撃つ方向へと転換し、艶やかな笑みを浮かべ詠唱を完成させる。雪舞う季節にはまだ早い‥‥、防寒などという備えもない身に凍てつく氷の飛礫が嵐となってオーガ達を襲う。
 そうして、デビルに従う尖兵らに先んじて放たれたディアドラの魔法を機に、戦闘の火蓋が落とされた。
「デビルにオーガか‥‥」
 数が多いのを見てとったクロード・レイ(eb2762)が、矢を番えずに弓を構える。
 弓弦絞り引き離せば、『鳴弦の弓』がその力を解放する。かき鳴らされる弦の震える響きに、迫るオーガの幾つかに戸惑いの色が走って見えた。
 その隣りでは、ゴールドが剣を振るう仲間を支えるために、空にとどまり耳障りな笑い声を上げるデビルに銀の矢を放った。
 けれど、嘲笑の響きを残し空を滑ったデビルは、そのままその身を中空に溶かし消える。
「何っ!?」
 デビルへ次の矢を狙い番えていたゴールドが言葉を失する。
 その光景に冷華が件のデビルの名を口にした。
「ネルガル‥‥あれには、確かそんな能力があったはず」
「‥‥厄介な」
 冷華の言葉に柳眉を寄せ、リュヴィアが指輪を覗き見れば蝶は忙しなく羽ばたいている。傍近くいるのには間違いないのだろう。
 姿の見えぬデビルは二の次と馬車へ迫った傭兵に、マリー・ミション(ea9142)がホーリーを放つ。
 幾分常より魔力の手応えが異なるように感じられたのは、噂に違わぬ聖櫃の効果か、気のせいか‥‥。だが彼女に迷う隙は許されず、再び馬車の近くへとネルガルの炎が落とされる。
 爆ぜる炎に髪を焼かれ、短い悲鳴があがる。
 聖櫃に伸ばされる手を払うように、痩身にそぐわぬ重い一撃をゴブリンに見舞った香椎 梓(eb3243)が空を見上げれば、再びデビルはその身を隠してしまう。
「やはり、壊そうとしているのでしょうか」
 聖櫃と分かって襲っているのか、シュバルツ城へ近づく者を排除しているのか、梓には判断が付かなかった。成さねばならぬのは、届ける事――
 その馬車を取り囲むように、唸りを上げ斧や棒を振り回すゴブリンやオーガ達。暴れまわる様子に精彩を欠くのは、クロードの助力にもよるのだろう。
 けれど、聖櫃を包む結界やそうした妨害の効かぬデビルに組み入った悪魔崇拝者とは異なる傭兵達が共に居た事が、冒険者らにとって盲点だった。
「‥‥ちっ、確かに前の攻防戦でも金で魂売った奴らがいたっけなぁ」
 ゴールドより借り受けた英雄キンヴァルフが有していたといわれる両刃の剣で、傭兵と切り結ぶヒサメ・アルナイル(ea9855)。
 バーニングソードを施した霊刀を振るうエクレール・ミストルティン(ea9687)は、切り結ぶよりも避けることで敵の多くを引き受けてはいたものの、排除が追いつかなければ敵の数は減じられない。
「僕は責める‥‥いや、攻めるほうが好きなんだけどね」
 軽口を叩きつつ、けれど自身には剣を振るうしか術が無い事を理解するアルヴィースは、踏み込んだ一撃の軌道を歪め、切り結ぶ傭兵を惑わせるように馬車を護る矢面に立つ。
 クルスダガーを用いアイスコフィンを有用できる隙を窺うハルワタートは、ハーフエルフの多いパーティを、否、友人を気遣いその背を空けぬ位置を守る。
 信頼し、背を預ける仲間が居る‥‥それは、常から冷静である事を心掛けるヒサメにとって、何より心落ち着ける事だった。
 心乱され血の宿業に囚われる事なきよう、神へ祈りの聖句を呟きつつ、ヒサメは目の前の障害を斬り伏せていく。
 そんな仲間達が馬車を囲むオーガ達を迎え撃つ一方、馬車近くにいるリュヴィア達は、ネルガルという存在に手を焼いていた。
「どこに‥‥」
 魔法を放つその間に姿を現すデビルは、けれど一瞬の後に姿を周囲に紛れ消してしまう。
 いつどこから現れるかわからないデビルがいる中で、中々数の減らないオーガや傭兵達に取り囲まれ、防戦を強いられる冒険者達の疲労は蓄積する一方だった。
 玩ぶような攻撃を繰り返すネルガルは、空にある事に驕り、文字通り地に縫いとめられた彼らを見下しているのだろう。
 放たれる銀の矢も当らなければ効果はない。
 鳴弦の弓の効果もあってかお互い決め手に欠くものの、このままでは冒険者らに不利であった。
 焦りの色を隠せぬ彼らの中にあって、仲間に神の祝福を与えつつ、クリミナは常に冷静に機をうかがっていた。それは、何より強い覚悟の現れだった。
 嘲笑と共に再び馬車上に現れたネルガルが、炎を冒険者ら――馬車を目掛け注いだ。けれど――
「この身に代えても渡しませんっ!」
 落ちる炎を避けるでなく、聖櫃を庇い叫ぶクリミナ。背に触れる冷たい感触‥‥渡すわけには行かない大切な物。
 そんなクリミナを助けようと咄嗟に聖櫃を乗り越えマリーが放ったホーリーは、常にない鋭い光と共に炎を破りネルガルを刺した。
 全てを相殺する事叶わず落ちた炎が身を焼こうとも、痛みに屈せずネルガルを見上げる。
 思いがけず目にした力にマリーは瞳を見開いた。
「えっ? ‥‥これって聖櫃の‥‥」
 かつて狙い定まらず上手くいかなかった事もある馬車上よりの魔法。今は停まっているその上から、そして聖櫃があれば‥‥。
 考える間にもデビルを退ける方が先と、右手に十字架のネックレスを握り、一か八か左手を聖櫃に触れ、白き神へ祈りをあげた。
「私達はこんな時の為に集められたんですもの。絶対にシュバルツ城へ届けるわ!」
 決して折れない心を持つ者――デビルに屈しない強い心、クラリッサが願った白く強い心を持った彼女が放つ聖なる力が、更にネルガルの身を焼く――

 白き聖なる炎で焼かれた、傷む羽を羽ばたかせ、よろり中空に舞い上がったネルガルは再び馬車を見下ろした。
 たかが神聖魔法、ホーリー如きでここまでとは‥‥戯れに襲った馬車、急ぐ様子からただの人の手繰る物ではないとは思っていたが、まるでこれはあの存在があるようではないか。
「あんどらす様ニ、伝エネバ‥‥。あれガ、あそこニ‥‥」
 銀の矢すらも届かぬほどに舞い上がったネルガルは、甲高い声でそれでもオーガ達に聖櫃の奪取を命じ、その身を宵闇に溶かし消した。
 兵力を削ぎ、聖櫃を見送る事しかできなかったネルガルに、アンドラスがどのような反応を示すかよりも、聖櫃がシュバルツ城――アンドラスの魔法陣のひかれた場所へ運び込まれようとしている事実を伝える事を選んだネルガルは、聖なる力に焼かれ傷む身を引きずり羽ばたき去った。
「逃げたか‥‥。深追いせずとにかく一刻も早く聖櫃を運ぶ事を優先させるぞ」
「言われなくとも。‥‥とっとと突破してくぜ。敵倒すより、とにかく前へ進むコト重視で行こうじゃん」
 羽ばたきを止めた蝶を一瞥し、告げるリュヴィアに承知と頷くヒサメ。彼が、剣を振り薙げば、刀身に纏わり付く血が落ちた。
 どれ程斬り捨てて来たのだろう、上がる息を整えながら周囲を見れば転がるオーガ達の骸。
 主が消えれば傭兵の戦意は、続かぬものかもしれないが、頭の回らぬオーガ達は命じられたまま向かってくる事だろう。
 仲間の内で力の強いクロードが、鳴弦の弓をゴールドに託し冷華らと共に外れた後輪を街道に戻し終えたのを確認する。
 同様の力有るアルヴィーゼが、それを手伝わなかったのは、敵を排除する前線を維持するためというよりも、単に地味な作業よりも好いた向きを選んだだけなのかもしれない。
 単に置き土産を残した所で、このまま発てば易々と追いつかれるだろう‥‥馬首撫ぜ迷った冷華に、暗さの感じられぬ声が掛けられた。
「次が来る前にシュバルツ城へ走っとけ。何、俺は利口なアシャが近くにいる。後から追っかけるさ」
 スクロールを幾つか借り受け、その手に遊び。ハルワタートは派手な炎の魔法をオーガの只中に叩き込んだ。
「‥‥依頼は、完遂しなければ意味がありませんしね」
「デビル達の鼻をあかしてやろうじゃない。炎の円舞、とくと御覧なさい。ついでに曲がった性根を焼き清めてあげるわ」
 面に浮かぶ微笑のまま、冷静に状況を見ながら聖剣を振るう手を止めず、頷いたのは梓。
 託宣のような言葉を放ちオーガに向き直ったエクレールは、再びその刃を炎で包み戦意の衰えぬゴブリンにその剣を振るう。
 脂で刃がなまり始めた剣を倒れた傭兵の戦布で拭うと、ヒサメも再び未だ戦意衰えぬ傭兵の刃を受けて立った。
 何よりも聖櫃を届ける事を優先する彼らの様子にまたクリミナも、炎に焼かれ痛み残る体をおして馬車から降り、マリーをその上にと頼んだ。
「私が残りましょう。癒しには私の方が向いていますから。マリー様は聖櫃の傍で、万が一の時はそのお力を」
 そう笑って馬車を送り出したクリミナの姿が遠くなる。
 すぐに追いつく、皆で一丸となって護り送ると交した彼らの姿。
 マリーは仲間に伝えた言葉を今は己へと言い聞かせるように呟いた。
「‥‥自分の役割をこなせばきっと結果は出るはずだわ」
 そう、今すべきは聖櫃をシュバルツ城へ届ける事。手綱を握る冷華は、もう目の前にあるであろうシュバルツ城を目指し、馬を飛ばす。
 行きがけの駄賃とばかりに、アイスコフィンで生み出した氷壁をせめてもの障害にと置き去ったディアドラは振り向かず馬車と並び先を急ぐ。
「この依頼は失敗するわけにはいかない‥‥」
「勿論だ」
 鳴弦の加護も届かぬであろう場所へ呟くゴールドに、同様に番えた矢を下ろしたクロードが頷いた。
 
 駆け出した馬車を見送り。オーガを薙ぎ払う。
 馬が活きている傭兵が稼ぎの良い方を選ぼうというのか、追おうと馬首巡らせれば、それを許さぬと魔法が飛んだ。
 馬上からの援護の弓も届かぬほどに距離をあけ、日が沈み切る前にと聖櫃を乗せた馬車がその姿を視界から消す。
 傭兵の馬は潰した。追える足は速くは無い。
「‥‥頃合でしょう」
 既に身を染める血は、己のものか敵のものか、あるいは仲間のものかも分からぬほど。
 梓の言葉に心得たと頷くヒサメ。オーガや傭兵を惹きつけるように戦場に立った者ほどその身に刻まれた怪我は重い。
 既にクリミナの癒しの奇跡も尽き、彼女自身も深い傷を負っている。
 傷ついたエクレールを背に負い、怪我と気力とで消耗激しいハルワタートには肩を貸す。
 その身を汚す血泥に狂えるエクレールを留められたのは僥倖だったろう。
「虐め足りない気もするけどね」
 消耗しても決して止まぬ軽口でオーガを振り払ったアルヴィーゼの一刀を見届けて、梓がその場へと霧を生み出した。
 夜闇せまる薄暗がりに、1メートル先をも見通せぬほどの濃い霧が漂い、周囲を包む。
 混沌を更に煽るように霧の向こう目掛け放たれた魔法の使い手らの一撃に、上がる悲鳴と惑いの声。
 それらを背に、馬車の轍をなぞるように追いかけた。
 シュバルツ城へ――かの場所までたどり着くために。