The labyrinth of the promise

■ショートシナリオ


担当:姜飛葉

対応レベル:フリーlv

難易度:易しい

成功報酬:4

参加人数:6人

サポート参加人数:2人

冒険期間:02月13日〜02月16日

リプレイ公開日:2008年02月25日

●オープニング

 昔、ある貴族が余暇を過ごすために、都より離れた場所へ心安く過ごすための屋敷を建てた。貴族は幾季節もその屋敷で、愛する家族や友人、何よりも愛しい伴侶と共に過ごす。そうして長い永い時の中で、いつしか主を失った屋敷は、今では訪れる者も無く、静かに朽ち、森へ染まっていった。
 けれど、何より花や樹を、森や自然を愛した貴族が残した庭は、深い深い森に抱かれ、自然に染まった人の手の入らぬ美しい姿でそこに在り続けた。
 今尚残る面影は3つ。
 1つは、凍てつく冬の寒さにも氷りつく事無く、滾々と湧き出る澄んだ水をたたえた泉。
 1つは、灯せば暖かに揺れる炎宿す花の形に彫られた素朴な石細工が幾つも飾られた石英の間。
 1つは、朽ちかけたその身を包みように、茨が絡み閉ざされたかつて優美であったろう鉄の門扉。

 ある時、深い森に迷い込んだ旅人が、面影宿す森緑の至玉のその場所を見つけ出した事により、長い時を経て再び庭は開かれる事になった。
 けれど昔と違う事が1つだけ。
 それは、旅人により見出された道を辿り訪れた人々から、いつしか囁かれるようになった噂話。

 主の愛した3つの場所を、ある人々が訪れると‥‥‥‥‥‥


●深緑の迷宮
「っていうところがあるんだって♪ すごいよね、不思議だよね♪」
 森に鎖されていただけあって、鬱蒼とした暗い森の中にひっそり佇む忘れられた庭は、迷い路にも似た神秘的な空間。不思議の場所へ誘う地図をニコニコと眺めながら、シェラ・ウパーラ(ez1079)が歌うように語る。地図の譲り手でもある親しい放蕩貴族にその場所を聞いたらしい。胡散臭い、よくある話と断じず、夢見る受け止め方をするシェラに向いた場所と変境伯は判断したのかもしれない。
 それと知らず、話の真偽を疑問視する声を聞いて、シェラは小首を傾げた。
「えっとね‥‥噂話が嘘かほんとかわからないけど、そのお庭は森の中が好きな人だったら、普通に素敵な場所らしいよ?」
 雪があるかもしれないし、雪や濃い緑の中で咲く忘れ形見の花があるかもしれない。街の賑わいから離れた場所である事は確かだ。
 曖昧に語られていたその噂話が何であるのかと問われ、シェラは地図の書き込みを読み上げる。
「んとえと、噂話は確かね‥‥」

 遺された3つの場所――それは、泉と東屋と、そしてかつて屋敷があったであろう場所を示す庭の門扉の事だという。

『契約の泉』と呼ばれるその泉は、恋人達の泉。
 貴族が愛しい妻のために作ったといわれる泉は繊細で優美であったろう縁石がその面影を僅かに留めてる。
 そんな場所だからか、思いあう相手と共に訪れ、共に泉を覗けば良いという。
 水面に互いの姿が映れば誠の愛情を抱いている証といわれ、その想いが深ければ深いほど、姿ははっきり映るといわれている。

 花の形の石細工がたくさん飾られた場所は、『相思の灯』と呼ばれる石英で作られた東屋。
 その場所に咲く石華の燭台に蝋燭を、手を揃え預けるのだ。
 互いに思いやり助け信じあう、親愛の心を糧に炎が燃えるというその場所で、消える事無く炎が灯り続ければ心の明かりは決して消えないだろうといわれている。

『求心の扉』は、強い想いを裡に秘め門扉を押せば、求め望む心に応じ開かれるのだという。
 茨に鎖された扉は未だ開かれたらしい跡は無いそうだから、錆びたその扉が本当に開くものかどうかはわからないけれど。
 開かれた先に何があるのか、進む先、想いの深さ、強き心を量るかのように佇んでいると語られていた。

「シェラも行ってみようと思ってるの。道は一緒だから、気になるんだったら廃園まで案内できるよ」
 場所はパリから馬車で1日ほど掛かる場所。
 農閑期のこの時期は辻馬車も走っているし、冒険者であればさして苦労も無くいけるはずだとシェラは話す。
「緑が濃くてとてもきれいな静かな場所なんだって。外はちょっと寒いから気をつけておでかけしないといけないけど、不思議な話がほんとか嘘か確かめるのも楽しいし、普通におでかけしても楽しそうじゃないかな?」
 深緑とは異なるが、森の色の一つである鮮やかな色を背に持つ少女は、笑顔で小さな白い手を差しのべた――同じ冒険者である仲間達を誘うように。

●今回の参加者

 ea2446 ニミュエ・ユーノ(24歳・♀・バード・エルフ・イギリス王国)
 ea3502 ユリゼ・ファルアート(30歳・♀・ウィザード・人間・ノルマン王国)
 ea4757 レイル・ステディア(24歳・♂・神聖騎士・エルフ・イギリス王国)
 ea7489 ハルワタート・マルファス(25歳・♂・ウィザード・エルフ・ビザンチン帝国)
 eb5669 アナスタシア・オリヴァーレス(39歳・♀・ウィザード・エルフ・ロシア王国)
 eb8226 レア・クラウス(19歳・♀・ジプシー・エルフ・ノルマン王国)

●サポート参加者

若宮 天鐘(eb2156)/ 鳳 美夕(ec0583

●リプレイ本文

●guide
 差し伸べた手を取ってくれた仲間の少しだけ先を進むシェラ・ウパーラ(ez1079)。そんなシェラの傍らを進むのはハルワタート・マルファス(ea7489)が贈った小狐だった。彼は皆が連れ歩くペットを羨ましそうにシェラが眺めていたのを覚えていたらしい。「襟巻きにすんなよー」といわれ、「大きくなると襟巻きになっちゃうの?」とシェラが首を傾げていたのはご愛嬌だ。「無粋ですわよ」とニミュエ・ユーノ(ea2446)を始めとした女性陣に冷ややかな視線を貰ったハルワタートだったが、今日の彼の装いは完璧だったので、へっちゃらである(※ハルワタート主観)。
「空気も澄んでて美味いのなー」
「冬の森なのに、緑が深いのね‥‥嬉しい。張り詰めた澄んだ空気と緑の匂い、両方味わえるって贅沢じゃない?」
 別な意味で冷たい空気はさておいて、ハルワタートは道すがら緑の息吹を奥底に秘めた空気を吸い込む。人の手では作る事の無いとっておきを贅沢と笑ってくれたユリゼ・ファルアート(ea3502)の微笑が優しくて、それが嬉しいとシェラは笑う。けれど次いで小首を傾げ「大丈夫?」と訊ねられてユリゼは瞳を瞬かせた。
「春の兆しを探しながらのんびり行きましょ」
 小さく頷き返すユリゼにシェラは少し考え込む様子を見せたが、シェラの興味はあっという間にアナスタシア・オリヴァーレス(eb5669)が持っていた不思議な初めて見る盾に移ってしまった。
「方形の盾なんじゃなくて、こう、暖かいのね。盾なのに暖房器具なの、シェラさんも、ほら、当たってみてね」
「炎の精霊さんも色々大活躍だね♪」
 アナスタシアの持つ橙色に塗られた丸い盾は、常に柔らかな熱を放っていて、まだ寒いこの森の中でも暖かだった。
 すごいと手を叩き、歌うように感想を述べるシェラに合わせて、レア・クラウス(eb8226)も足取り軽く落ち葉を踏む音を鳴らし、踊るように歩く。
 未だ冬の色を残す森への道も、春の先触れを探しながら仲間達を歩む道程は、穏やかで温かなものだった。


●walk
 崩れかけた外塀を越え、深緑の館を訪れた。
『広いけれど、広くないから大丈夫』と良くわからない事を告げ、シェラは素敵な冒険してねと仲間達を送り出した。
 どこへ行くのかとアナスタシアが訊ねれば「探しものを見つけたいの」と笑顔で答え、ペットらと散策しようと思っていた彼女の背中を「楽しんできてね」と押し出した。
 思い思いに庭園散策に踏み出した仲間達に続き、アナスタシアも歩き出す。
 彼女が仲間と違ったのは、1つ。目的の場所を決めて探す仲間と違い、アナスタシアは庭園そのものを散策しようと館に来ていたから、その足取りはゆったりしたものだった。
 毛糸の帽子についた猫の耳の形に見える飾りを揺らし、ニナの手綱を引きながら、アッピウスと共にゆるゆると歩く。
 出来れば泉を覗いてみたかったけれど、シェラの言葉通りなら庭を巡っていればいつか辿りつけるのだろう。
 何かを成すには――それが仕事などであればより困難を伴うものもあるけれど、思い出したくはない事を考える事は止めて、友人から聞いてきた綺麗で良い場所の欠片に触れるのも良いだろうと、大きく息を吸い込むと柔らかな森の香りが体に満ちる。
 話を聞けば聞くほど興味を感じ、楽しいだろうなと思って訪れたその場所には、かつて人が住んでいたと思われる名残は少しだけ。
 自然が館をその身に抱く様は決して乱暴な荒廃ではなく、長い時間を経ての共存。人の手が作り出す造形美とは異なる自然が作り出した『綺麗』を――鮮やかな碧瞳に深い緑を映し、色々みてみたいと歩を進める。かさり、乾いた葉や枝を踏む音に紛れ、やわらかな土の感触が返る。
 きっと春はもう少し‥‥。


●an oath
 軍馬の背に揺られ、ニミュエは機嫌良さそうに小さく歌っていた。その様子を見て知られぬようそっとレイル・ステディア(ea4757)は息を付く。恋人が行きたいというのであれば、と同行を承知したのだ。‥‥気付けば、既に勝手に参加を申し込まれていたわけだが。
「エスコートさせて差し上げますわ」という彼女の言葉の後ろに長い付き合いならではの何かを感じ取る。近頃構ってやれなかったので、このあたりで機嫌をとっておくことが得策かもしれない――という打算が働いたのも否定できないが、己の腕の中で楽しそうに過ごすニミュエを見ているとそれは間違っていなかったのだろう。
 件の森の館へ着いたところでニミュエが取り出したものを見るまでは、そう思っていた。
「お弁当もってきましたのよ♪ 何ですのその顔は? 折角、皆が作ってくださった物を詰めてきましたのに」
 皆とは華国出身の料理上手の従姉妹達なのだろう事は弁当の具を見ればレイルにも分かった。
 だが、明らかに食用ではないと分かる鮮やかな色の実や花が彩る非常に前衛芸術的な品になっていた。芸術家の感覚はいまいちレイルには理解し難い。それが己の恋人であったとしても、である。この弁当を食べるのは主に俺なんだよな‥‥と思うと、片頬が引きつるのを隠しきれなかった。

「レイル‥‥わたくしに言うことがあるんじゃなくて? とぼけた顔をして、だまされませんから」
「ニム?」
 巡る先に選んだ泉の畔で、弁当を食べ終え人心地ついた所で切り出された恋人の口上に、レイルは小さく首を傾げる。
 泉に伝わる不思議を試そうともせず、レイルに向き合うニミュエはつれない恋人に対しての不満を言っているわけではなかった。
「地下闘技場の時の事‥‥わたくしは忘れていませんことよ」
 レイルは瞳を瞠った。彼女の言葉は、彼が危険な仕事を請け負っている事を本気で案じているものだった。
 地下闘技場に限らず今も、これからも騎士として進み続ける事を知っているからこそ。
「俺が帰ってくる場所は‥‥」
「『帰ってくる』‥‥安易な言葉だけを口にしないで!」
 乾いた音が響く。言葉を飲み込み、痛みを伴う熱が生まれた頬をレイルは押さえた。
 不誠実な恋人を詰るニミュエの心は、ただ彼を案じるが故のもの。
 一瞬の事に驚くレイルの手を取り、ニミュエはそっと指輪をその上に乗せた。
「‥‥お守りですわ、もってなさいな。‥‥これが少しでも貴方の守りになるのならば‥‥」
 身に付ける者の護りになると言われている指輪を恋人へ贈り。そうして護りの指輪が収まった彼の手を取りそっと己の頬に押し付けた。
 凍りつく事無く湧き出でる清らかな泉のように、白磁の頬を透明な雫が止まる事無く滑り落ちていく。
 幼い頃から共に育った幼馴染の許婚。けれどその手はいつしか幼い頃に見知ったものでは無くなっていた。自分とは違う固い剣を持つ手――剣の道を進む証。吟遊詩人である自分がリュートに触れずにはいられないのと同じく、きっと彼にとって剣が己が進む道を共に歩む半身なのだろう事は分かる。そして神聖騎士として歩む道の先が決して平坦ではない事も。
「ニミュエの傍らにいる時は、ニミュエただ一人の騎士でいよう」
 誓いの聖句を囁いて、溢れる雫が彼女を凍えさせぬようにと美しい蒼の瞳の縁を唇でそっと拭う。
(それでは傍に居ないときはどうですの?)
 どこまでも実直で、口は悪くても嘘をつく事は出来ない恋人の誓句にニミュエは心でそっと誓った。
 泉の謂れなど気にはしまい。今を生きる想う心が大切なのだから。
 泣いて帰りを待つだけの都合のいい女にはなりはしない、共に肩を並べ、愛しい人の背を守れるように在るのだと。


●fortune
 木漏れ日を返し煌く銀の髪を揺らし、大きく伸びをしたレアは一つ息を付いた。
 久しぶりに歩く故国の森の中は、レアに不思議と安らぎににた落ち着きを齎す。元々森の中を好む種族性もあるのかもしれない。この場所そのものが故郷の森というわけではないけれど、深く濃い森の空気は故郷と同じ印象を彼女に与えた。
 初めて会ったこの場所への案内人であるシェラに訪ねた目的を聞いてみると、少女は『緑が好きで、探し物があったから』と深緑より鮮やかな萌え染まる色の髪を揺らし笑って答えた。
 印象的な紅玉の眼差しを見上げ、『いつかどんな音で踊るのが好きか教えてね。楽しいお散歩時間を♪』と、手を振っていた森と同じ色彩を持つシェラの姿を思い出し。自然、歩む足取りが軽やかに、音を刻む。
 特に目的があるわけでなし、のんびりと穏やかに流れる時間をそのままに楽しむ事にした。
 春近しといえど未だ寒いこの時分、動物の姿を見かけることは少なかったが、旅人が見つけてから開放されているという話通り、冒険者以外の姿も幾つか見かける。ただ、普通の人がただ訪れるには深い森の中、その数は多くはなく。時折出会う人と挨拶し、時には言葉を幾つか交わし、また別れては思い思いの道を歩く。
 そうして見つけた場所は、花の形の石細工がたくさん飾られた場所は、石英で作られた東屋だった。
 既に幾つかの蝋燭が暖かく燃え、揺れている。
 縁が欠け、ところどころひびの入った石のテーブルが目に入る。ひびをそっと指でなぞれば、ゆるやかに朽ちていく時間の流れを感じる気がした。
「‥‥たまには良いかしら?」
 整えられた場所でなく、自然に清められた空気に満ちた場所で広げるタロットカードも。
 さまざまな想いを抱えて、この場所を訪れる人達へ向けて、めくってみても。
 滑らかなカードの背を撫ぜ、そう思った。


●challenge
「今回の三つの場所ってやっぱ好きな人と一緒に来ないとダメなのか〜?」
 澄んだ水を覗き込みながら、ハルワタートは一人ごちた。
 清らかで透明な湧き水は、彼の想い人の姿を映すどころか、その場に佇むハルワタートの影すら飲み込み、水底にたゆたう僅かばかりの色石の姿を見せていた。
「‥‥いやいやいや。諦めたらそこで全て終わっちまうからな――届け俺の愛!!」
 諦めきれず身を乗り出し願う言葉にも、滾々と湧き出る泉が僅かばかり揺れるだけ。そんなハルワタートが見つめる水面に、ふわり落ちてきたのは1枚の常緑の葉。広がる波紋に思わず零れたため息は、思いがけず重く、それが更に彼の心を重くする。波紋が落ち着けば‥‥と、更に身を乗り出したハルワタートが、「危ない」と自覚した瞬間、彼は冷たい水の中に落ちていた。
 声を上げ、慌てて泉を這い出たハルワタート。春が近いとはいえ泉に落ちて心の臓が驚き凍えなかった事は不幸中の幸いだった。我が身についたオチに、熱も冷めたか泉の縁石の側に座り込んでしまう。
「そりゃ‥‥俺と、ミランダさんは種族も違うし‥‥これから先の時間も違うのはわかっちゃいるけど‥‥」
 雫を払うように空を仰げば、緑の合間から覗くのは冬の乾いた色合いの青。
 忘れられない女性――彼女の微笑みが好きで、歌声が好きで、傍らにいる時の優しい時間の流れが好きで、何より彼女自身が大好きで。
 けれど、恋しく想う相手は人間だった。
 祝福されない想いを無理に押し付ける事など出来なくて。そもそも抱いた想いを割り切る事も出来るわけがなく。想いきれるものならばこれ程悩みはしないのに、人に恋し想う悩みはともすれば出口のない袋小路に迷いこむようで‥‥迷う事無く見つけることの出来たこの泉とは正反対だった。
 吹きぬける風に、熱を奪われ身を震わせて。冷めた頭で思考を纏めた所で、ハルワタートの心に浮かぶ結論は変わる事はなかった。
 彼女が好きだという己の想いは曲げられない事実なのかもしれないという事。
 表に出して告げ回る事は出来ない想いだけれど、心に浮かべる恋しい姿を制限する事など誰にも出来ないのだから。
 恋をする気持ちは、自分自身でだって御せはしない。
「あー‥‥会いたいな。後姿一目だけでもいいから‥‥‥‥会いたいぜ」
 俗な噂に浮かれた熱は冷め。けれど消えない温かで切ない想いを小さく呟き零す。
 清らかな水を湛えた泉は、その水面に彼の想いをゆらゆらと映し揺れていた。


●a calm at dawn
――悩むのも、迷うのも好きじゃない。
――立ち止まる位なら気が済むまで足掻いて歩き回る気質。
――捕われずに笑ってすり抜けて 特別なんていらない 埋もれていたいの。
――だから来たの。

 ユリゼが一人訪れたのは場所――庭に植えられた薔薇がそのまま門扉を抱くように伸ばした茨に固く鎖されたさび付いた鉄の門扉を見上げれば、かつては優美な細工であったろう門飾りの名残が見えた。そっと触れれば乾いた薔薇の葉が音を立てる。
 自分の気持ちでは開かないと解っていた。求めるものが解らないのだから、きっと開きはしない。
「‥‥でも、そっと撫でる位はいいわよね?」
 不用意に揺れる気持ちを抑えに来た――揺らがぬように茨に抱かれて在る鎖された扉は自分のよう。
 自分が飛びぬけて何かだとは思わない。埋もれる様な中で、ちょっと悪戯めいた事をして誰かの笑顔を見るのが好き‥‥王子様のように笑顔を見たい、守りたいと願う大切な友がいて、けれど。多くの中の1つで良い。特別はいらない――そう思っているのに、心臓が跳ねた人は皆、世間で言う特別な人だった。
 芽生えた想いが望みと相反するものを抱え、己の中に矛盾が生まれる。さざなみ立つ胸の裡が苦しいのかもわからない。
 かつて、お忍び姿の貴君が誰か、その正体を知らずに憧れ‥‥諦めた。また同じ事をするのかと、自分に呆れ、思う。
「嫌になる‥‥」
 知らず零れた呟きに応える者も無く、葉ずれの音だけがざわりと響く。
 開かぬと知っている扉に来てしまったのはなぜだろう。門扉の柱に刻まれた紋様をそっとなぞるように触れれば、返るのは冷たいものだけ。
 求める事はとても力を必要とする。求め得れば、得た事で己にも変化を齎すからだ。
 変わる事はとても大変な事だから、誰かの特別にはならず、自分の特別も望まず身を守り過ごす事も、生き方の一つ。
 そう在れればきっと悩まない。生まれた相反する想いに傾く心がどこかにあるから、きっと悩む。
 戯れだと解っているのに気持ちがざわつくのは、振り回される事を恐れて戯れだと信じたいのかもしれない‥‥それすら自分の感傷のようで、わからなくなる。
 開かぬ扉だからこそ、触れていた指先に茨が引っかかり、それが抱くように蔓に飾っていた何かが小さな音を立てユリゼの手の中に落ちた。
 茨を傷つけてしまったのかと慌てて見れば、枯れた蔓先だったが、鉄の門扉を守る茨の一つがかさりと剥がれ落ちた。
「‥‥扉の向こうに誰かいるの?」
 返る応えはなく、求める答えも訊ねた者の胸のうち――扉は未だ開かれる気配は無く。
 ユリゼは心が静まるまで、ただその前で膝を抱え門を見上げていた。
 春告げる風は深緑の館までは‥‥遠く。