●リプレイ本文
●久しぶりの、初めての‥‥
夏が過ぎ、太陽が沈むのが早くなった秋の空は、橙と紫を混ぜ合わせた不思議な色合いを浮かべていた。もうじき夜を迎える夕暮れ時のパリの街並みには、あちらこちらに明かりが灯り、辺りを照らしている。いつもよりも明かりの数が多いのは、パリの街全体が収穫祭に沸いているからだ。
祭りに繰り出す人の波で込み合う通りを、仲間達を案内するために、彼らに先立って歩くクリス・ラインハルト(ea2004)の足取りは軽やかだった。
皆と待ち合わせた冒険者酒場から今日の目的地である銀花亭まで、通り過ぎてきたパリの通りは、どこも秋の実りを祝う祭りで楽しそうに賑わっている。
「久しぶりの銀花亭ですね〜♪」
灯火を数えるように、通りに並ぶ建物を見上げながら、祭りの人出の多さに合わせてゆったりと歩くエーディット・ブラウン(eb1460)に、「はい♪」と、クリスが頷く。
「銀花亭は久しぶりです。年の瀬の慌しい時期と違い、収穫祭の華やぐ空気も良いものですね」
「そうですね〜、収穫祭はこの季節だけですから〜」
二人が最後に銀花亭を訪れたのは、幾年か前の慌しい年の瀬。他にも折々で求められたヘルプミーコールに応えて訪れた事はあったものの、収穫祭の季節は初めてだ。
祭りならではの露天の行商人が広げる店もずいぶん多く通りに並び、客を引く声やそれに応じる声も混じって、いつもの声の大きさでは、隣にいる仲間の声も聞き取りにくい程の賑わいだ。
「おーい、クリス、エーディットー‥‥! まだかかるのか?」
「もうちょっとなのです♪」
慣れた足取りで進むクリスとエーディットの後ろを着いていくラシュディア・バルトン(ea4107)が人込みに負けぬ声で訊ねると、「もう少し」という言葉と共にクリスが大通りから1本奥に入る路地を指し示した。
賑わう大通りから1本奥に入っただけで人込みも随分と落ち着いたが、それでも人の波が途切れるわけではない。
「しかし、昨今の騒動はやはり街の方にも影響を出しているのですね‥‥」
僅かに首を傾け、リディエール・アンティロープ(eb5977)が見上げた夕暮れに染まる街の様子からは、暗い影など見出せない。祭りの賑わいを目にする限り、見えるところまで影響が出ているわけではなさそうだが‥‥。
「直ぐに解決するものでもないし、難しいところ、ね」
北海にギルマン退治に行ってきたユリゼ・ファルアート(ea3502)も、リディエールに頷いて街並みを見上げる。飾られた花々や灯りは、心まで折れたわけではない民達の心の現われなのかもしれない。
「ん〜‥‥でも、銀花亭に元気がないのは心配です」
「根本的な解決はできませんけれど、少しでもお店に活気が戻るように、頑張りましょう」
むむむ‥‥と、難しい表情になったクリスを励ますように、リディエールは微笑んだ。
「ですね。銀花亭のお手伝いは久しぶりですから、頑張りましょう〜♪」
難しく重くなりそうな空気を、ほんわりと穏やかにエーディットが払い、そのままぴたりと足を止めた。
彼女が足を止めたそこは、大きな木の扉の前だった。飴色の風合いの扉の奥からは、人が賑わう声が聞こえる。
「はいっ、着きました!」
クリスが「じゃ〜ん」と指し示した『銀花亭』と屋号が綴られた木製の看板を、エーディットは懐かしそうに見上げる。
「ここか〜‥‥」
「銀花亭‥‥お名前はよく伺っていたのですけれど、なかなか機会がなくて。こうして訪問する事ができて嬉しいです」
ようやく着いた店を前に、しみじみと看板を見つめるラシュディアとリディエールに、同じく初めて訪れたユリゼがくすり、と笑み零し、彼らの背を軽く叩く。
「さ、宣伝するにもまずはちゃんと味と雰囲気を知らないとね」
「ですね」「だな」
顔を見合わせた二人は、女性陣の後押しを受けて、ゆっくりと扉を押し開いた。
●いざ、銀花亭へ
「いらっしゃーい!」
扉を開けると、明るい女の子の声が掛けられた。エプロンドレスを身に着けた小さな女の子が、木の盆を手にラシュディア達を出迎える。
ユリゼがぐるりと見回せば、暖かな明かりが灯る店内は、既に半分ほどの席が埋まっていた。
「ここが銀花亭、か。何かアットホームな良い空気。良い時間が過ごせるといいな」
「お兄さん達、初めて?」
「‥‥ああ、えっとはい、そうです」
どう答えるべきか迷ったリディエールが、馴染みであるはずのエーディットとクリスを振り返ると、二人は後ろに下がってにこにこしている。初めて訪れた仲間の自由に過ごして欲しいという配慮なのだろう。結局、初めてだと答えると、女の子はにっこりと笑う。
「じゃ好きなトコに座って。ワイン? エール?」
気忙しい所は下町の安酒場ならではの間。冒険者酒場などとも違う店の空気に、即答しかねていたラシュディアの後ろから、ユリゼはふと目に入った店の奥の方を見た。見つめる先にある小さなステージは空っぽだった。
その視線に気付いたのか、給仕の女の子は小首を傾げる。
「もしかして、ミランダお姉さんの歌を聞きに来たの?」
「あ〜‥‥そうそう、聞ければいいなって思って」
「ミランダお姉さんの歌を聞きに来たのなら、始まるのはもう少し後よ。今だったら歌を聞くのに良い席が未だ空いてるから、歌が始まるまでに喉を潤して、お腹に物を入れておくのがお勧めよ」
ラシュディアが頷くと、少女はステージから少し離れているものの、左右に偏らないステージ正面にあたるテーブルを指し示した。注文が決まったら声を掛けてね、と言って、少女は別の注文の声に返事をして離れていった。
「ん〜‥‥前に会った事があるような、ないような」
「前から給仕してたんじゃねえの?」
クリスが首を傾げていると、お勧めはなんだろうと周りのテーブルを見回しながらラシュディアが、他の面子に飲み物の注文を訊ねながら返すと、エーディットがほんわりと笑う。
「多分、フィメイリアさんだと思うのですよ〜」
「ああっ! 店主の娘さんの!! 小さな子の成長は早いですね〜。お手伝い偉いです」
クリスが納得の手鼓を打つのを見て、ユリゼとリディエールも小さく笑う。結局、フィムにお勧め料理を適当に何品かとオーダーし、料理が並び、歌が始まるのを待つばかりとなった。
「それなりにお客さんは入ってるみたいですけれど‥‥」
「何がだめなのかしらね?」
ちびちびと酒の杯を傾けながら、周りの様子を伺ってみると、賑わいとしては悪くないように思える。そんな彼らの目の前に、美味しそうな匂いをさせる温かい料理の載った大皿が置かれた。
「懐かしい顔が来たな。ほい、お待たせ」
クリスとエーディットに向けられた店主の言葉。同じテーブルに座っていたユリゼ達をみて、店主は笑顔をますます深める。
「友達連れて来てくれたんだな。この間、ハルも来てたぞ? もしかしてあいつに聞いて来た口か?」
「そんな感じなのです♪ そういえば、店主さん自ら厨房離れて大丈夫なのですか?」
「いや、ミランダがな、舞台袖から店を見たら懐かしい顔が来てるぞって言うもんだから。色々助けてくれた奴に挨拶なしってことはないさ! そういや、ハルはどうした?」
次いで運ばれてきた大皿もどかっと勢い良くテーブルに置かれ、皿の上に盛られた魚介類が跳ねる。豪快な料理に顔を輝かせていたクリスが、はたと我に返った。
「そういえば‥‥」
見合わせた先で、ラシュディアも首を捻る。
「ここに来る前、港でハルワタートさんに似た後姿を見かけました‥‥ね」
リディエールが記憶を思い起こすように首を傾ける。よくよく思い返せば、ハルワタート・マルファス(ea7489)その人だった‥‥ような気がする。
「まさかご本人とは思っていなかったので‥‥」
「大丈夫ですよ〜、ハルワタートさんはちゃんと銀花亭に来るのです〜♪」
テーブルの下に座っているノルマンゾウガメに、フィムからもらった野菜くずをやりながらのほほんと応じる。彼らの付き合いの長さは短くは無い。人となりをちゃんと知っているからこその保証。依頼期間は5日間もある。それもそうかと納得し、クリスは仲間達に料理を取り分け始めた。
ゾウガメがのんびりと野菜だの面白半分に酔客に差し入れられたつまみだのを咀嚼する間に、店に備えられた小さなステージに、リュートを手にした楽士の女性と、以前会った時から変わらぬままの歌姫・ミランダが立った。
雑多に賑わっていた銀花亭が、ほんの一瞬静寂に包まれる。ミランダが優雅に一礼すると、未だ始まる前だというのに喝采がステージに贈られる。
客達の声に応えて微笑むミランダは、下町の酒場の歌姫には不似合いなほどの美貌の主だった。
収穫祭の最中の来店に感謝する旨の短い口上の間に、楽士の女性は椅子に座り、伴奏の用意を終える。ステージの相方の合図を受けて、ミランダはその日の始まりの曲を歌い始めた。祭りの時期に合わせた軽快で楽しい調子の歌だ。手拍子が溢れる店内に、初めてだというのにつられる様にラシュディアやリディエール達も手を叩き、楽しげな空気に笑いあう。
そんな中、バードだからこそ、クリスには分かった事があった。
フィムが父の店の手伝いが出来るくらい大きくなった時間分、クリス達も色んな場所へ冒険に向って成長したし、出会いもあった。
そして彼らが過ごした時間分、ミランダも積み重ねてきたものがあるのだと。
変わらないはりのある豊かな歌声には、更に深みと人を惹きつける魅カが増しているように、クリスには聞こえた。
●リディエールが見かけた後姿は果たして
水の流れの上を吹き渡る風が運んでくるのは、冬の気配。
身を焦がすほどに照りつける夏の日差しが懐かしく思えるほどの冷たい風に吹かれるまま、男はパリの港に立っていた。
海へ繋がる流れの上に行き交う船達を遠くに眺め、男は釣竿を右手に、左手には網と桶を持っていた(大物をゲットするために、借りたのか、買ったのかはわからない)。
身を包む衣服は防寒対策ばっちりの完全装備で、忍び寄る冬気配もガン無視である。
お洒落心や街の視線もガン無視だったりするのは抜群に秘密だったりする。
いやだって、エチゴヤ帽子を被って、エチゴヤコートを羽織り、エチゴヤマフラーを巻いてる、フルエチゴヤコーディネートですよ?
毛糸の靴下も揃えて完璧です。
レミエラだって付いてます。
毛糸の靴下ですけど、きらりと光るのです。
「‥‥‥‥‥‥‥‥よし、一丁やるか!」
気合を入れる掛け声1つ。痩身をエチゴヤの印が背中に刺繍されている毛皮のコートに包み、男は荒海に挑、む‥‥?
●作戦準備中
「さ、皆大体雰囲気は掴めたでしょうかっ?」
食後に出された爽やかな香りのするハーブティを飲みながら、ハルワタートを除く冒険者達は、盛り上げるための作戦会議を行っていた。
「ええ、良い感じのお店ですね」
「料理も美味いし、ハルワタートのお目当ての歌姫の歌も良かったな」
単なる客寄せならば、店を知らなくても出来るけれど、知っている方がより良く宣伝できるはず‥‥と、来ていた彼らは、本来の目的を忘れずに、しっかり客目線をリサーチしていたのだ。
宣伝をするためのチラシを作ろうかとリディエールが申し出れば、配布や告知には手伝うとクリス達も手を挙げる。
全く別のアプローチを試みる事を提案してみたり、作戦会議は着実に進んでいく。
最終日には、お疲れ様会ができればいいね‥‥という所で、会議は終了となった。
「それじゃ銀花亭のお手伝い作戦開始ですね〜♪」
店主から貰った蒸し鶏の身を割いたものと苑で野菜をあえたご飯をはむはむと食べるゾウガメの甲羅の上に、エーディットのとっておきが収められたバックパックが置かれていた事に、男性陣は気付いていなかった。気付いていたかもしれないけれど、気付いていなかった。
●港にいた後姿はやっぱり‥‥
「まっさか、銀花亭の台所事情まで変わっていたなんて‥‥世知辛い世の中になったもんだぜ」
やれやれと嘆息を吐きながら、馬の手綱を引き歩いているのは、「久しぶりに銀花亭行ってみねえ?」と仲間達を誘ったハルワタートだった。
今の彼を見て、その正体が水の精霊魔法を操る正義の味方な冒険者と看破出来る者は多くは無いだろう。港で釣り糸を垂らした成果を馬に載せ、街中を歩いていく様子は、魚を商う商人そのものだった。
「これで何かの足しになればいいんだけどな〜‥‥」
そんな事を呟きながら、遠回りになるにも関わらず、港から冒険者ギルドの方をまわってきた理由はと言えば‥‥。
「お? 今上がりか、良い店知ってるんだけど一緒に行かねえ?」
誘い口調は前後の脈絡を流しながらやや強引。しかも明らかに財布が重そうな仕事あがりの冒険者にばかり声をかけるという周到さ。
強引さも、ギルドマスターに睨まれないよう程度に抑える知恵は流石知識の探求者たるウィザードの姿(違)。
「‥‥ハルワタート? 何、やってんだ?」
たまには冒険者酒場ではなく、一般の酒場に行って見ないかと声を掛けにきていたラシュディアと合流する事になった。
着眼点はやっぱり一緒。手段が違うのは、個性ということで。
●それいけ新メニュー
銀花亭の店主は、悩んでいた。
店主が悩んでいるのをみて、結論を急かす事無くユリゼはただ黙って待っていた。
店主の悩みは、ユリゼが持ちかけた話に始まった。
ハルワタートの紹介で、エーディットやクリスと一緒に訪れたユリゼについて、その時点で彼女の人となりは保証されているも同然である。何を悩んでいるのかといえば‥‥ユリゼが、レミエラで作ったジャパンの酒を、銀花亭に収穫祭限定として、格安で卸すがどうかという内容だった。
「本当は無料でも良いのだけど‥‥お酒の種類のにぎやかしに使って貰えれば」
「んーんーんー‥‥元手が無いっていってもなぁ、お嬢ちゃん‥‥」
「ジャパンだと料理の味を調えるのに使うんですって。貝類をこれで蒸すと美味しいらしいわ。新メニューにどう?」
「酒はうまく使えば料理に合うからなぁ‥‥ってんじゃなくて」
店主の葛藤は、価格もさることながら、存在についてだ。1度店で商えば、それの評判が良ければ良いほど反動も大きい。
実際に、加工されて作られた月道渡りのジャパンの酒とは物が異なる。
ジャパンの杜氏たちが手間暇掛けて作った酒と飲み比べてはいないが、ノルマン王国でいえばワインなども、作り手や原料となる葡萄など、作成状況の条件下で同じものなど2つとない生き物と同じ。画一化されたレミエラ製の酒でだからこそ、ユリゼも格安どころか無料で構わないと思っていたが、商売倫理上、それでは店主も納得がいかないらしい。
今後も継続的に卸してもらうわけにもいかないが、手に入らないゆえに客の要望に応えられなくなっても申し訳ない。
「うーん、他所の国の品だけれど、月道が開放されたから、ジャパンのお酒でも入手しやすくなるかもしれないし。それにほんとに無料でもいいのよ?」
「良し、そんじゃ収穫祭の間、うちでの飯代でどうだ?」
流石にジャパン渡来の酒を無造作に料理に試してみた経験など無かった店主は、料理人としての興味が商売人としての気持ちに勝ったらしい。
『収穫祭限定』を強く銘打って区切りをつける事をはじめとして、その後も細々とユリゼと調整した店主は‥‥。
「俺は、この味は良くわからんが‥‥お嬢ちゃんのアドバイス通り、料理にでも使ってみるか」
「ん、その意気。頑張って」
来客のきっかけが、物珍しさからだとしても、お店に来れば注文する品が1品だけということはないだろう。他の料理も食べてみて、店の美味しさを知ってもらえれぱ客足は続くはず。
実際に自分で食べてみた感じは、客足の継続を信じられる味だと思った。
初日の感想を仲間達と述べ合った時に、それが売りなのだからと言われたが、願わくば女性客だけでも頼みやすい小皿があれば良いのだけれどというアドバイスは、次の機会だろうか。
今回は男性陣と一緒だったから良かったけれど。女性だけでも来易いメニュー作りも出来ればいいなと思う。
「さて、次は‥‥」
その日分の日本酒を作り終えたユリゼは、次なる作戦のために銀花亭を後にするのだった。
●ラシュディアの奮闘 〜魔法の使い手として、ネオ・プリティらしゅ☆として
「たまには、こういうゆっくりと落ち着いた依頼ってのもいいよな」
収穫祭の飾り付けを、リトルフライで難無く天井近くの高いところまで引き受け手伝っていた。
「俺はこう見えても空飛べるから」と言った時に、フィムが随分驚いた顔をしていたが、実際にラシュディアが、ふわりと宙に浮いて見せると「すごいすごい」と瞳をきらきらと輝かせて拍手をした。普段は手の届きにくい場所を掃除され、きれいに飾りつけられていく様子に、フィムは「魔法使いの冒険者さんってすごいのね!」と歓声を上げていた。
褒められ、お礼を言われて気を悪くする人は少ない。
手放しの賞賛が少し照れくさかったけれど、ラシュディアは上機嫌で店を飾り付けていった。
‥‥今回は女装しなくて済みそうだし。
エーディットが男性陣にと見立ててくれたウェイターの衣装はびしっと格好良く決まっていた。
逆に格好良く決まりすぎているためか、変に女性客の注目を集めてしまっていたりもする。
‥‥何でか女装姿と同じくらい恥ずかしかったりもするんだが、ま、頑張ってみるさ。
‥‥嫌よ嫌よも好きのうち、とか言われたけど‥‥決してそんなんじゃないんだからな?
「フィメイリアさん、ラシュディアさんは、銀花亭のお手伝いをする時は格好良いウェイターですけど、彼の正体は魔法少女なんですよ〜♪」
「えっ? お兄さんなのに魔法少女なの? だから魔法が使えるの?」
?を大量生産して首を傾げるフィムに、エーディットは飾り作りを手伝いながら、ネオ・プリティらしゅ☆の雄姿をそれはそれは丁寧に語ってあげるのだった。
●客寄せ大作戦
「きれいなチラシですね、大変だったでしょう」
リディエールが作ってくれたチラシを見てクリスが感嘆の声を上げた。
「そんなに凝った物ではありませんから」
控えめに受け取ったリディエールが、さて、と見回したその場所は、収穫祭の露店で賑わう広場だった。
「やりますか♪」
「本職の方には適いませんけれど、頑張りましょう」
「はいです♪」
広場の他にも、街角や収穫祭の催しが開かれ人が集まる場所では、美しく輝く銀の弦がかき鳴らされ、澄んだ音を響かせた。
月の魔力が込められたリュートを手に、クリスが昨晩ミランダが歌っていた流行歌の旋律を奏でると、リディエールが艶やかな低音の歌声を響かせた。
街頭のパフォーマンスに人々が足を止め、人垣ができれば彼らの狙い通り。
「美味しい料理と素敵な歌姫と過ごせる銀花亭にどうぞっ☆」
「収穫祭の宴に、祭りの打ち上げに銀花亭でいかがでしょう?」
歌に惹かれて集まってきた人々に、お勧めの料理やミランダの歌の紹介を、華やかな飾り枠で彩った銀花亭の紹介したチラシを配り、収穫祭の宴に、祭りの打ち上げに銀花亭をどうぞと勧めてまわった。
そしてエーディットもチラシを暮らしの相棒であるゾウガメと共に配り歩いていた。
ゾウガメの背には、『銀花亭で振る舞い酒キャンペーン中』という看板が括りつけられている。
のんびりゆったりしたゾウガメの歩みとその体躯の大きさに、親子連れの注目が特に集まる。
「叩いたりしちゃだめですよ〜、撫でて上げてくださいね〜。あ、お父さんにはこちらです、珍しい東洋のお酒が飲めるかも〜♪」
噂が噂を呼ぶように、下町や常連客の多い場所を更に巡る。
銀花亭の名を耳にした人達が、やがて夜に足を運ぶ事になるのだった。
●王子様がパリを行く
麗々しい青年が、パリの大通りを楓爽と歩いていた。その腕には、祭りの賑わいに劣らぬ華やかで大きな花束。
花売りの少女が作ってくれた花束は、抱えきれないくらいに大きなものだったから、それを抱える彼はとても人目を惹く。
最初にとても大きな花束になんだろうとそちらを見れば、男は舌を打つか、あるいは祭りの雰囲気も手伝って陽気に口笛を吹いた。
そして年頃の娘達は、持ち歩く青年の方に歓声を上げるか、見惚れるか‥‥だった。
目が合ってにっこりと笑い掛けられたら、見惚れない娘の方が少ないほどの麗しい王子様が向かう先はどこなのだろう。
あるいはどんな娘があの花束を贈られるのだろう‥‥そんな興味や羨望が入り混じった注目を集める青年が向かった先は、銀花亭だった。
銀花亭の評判を知る人達は、青年の相手は酒場のミランダかと思ったのだが‥‥。
ミランダの歌が終わって立ち上がった青年の姿に、隠しきれないどよめきが上がる。けれど‥‥。
「貴方の歌の前には、この花も色褪せる。この場に居合わせたお嬢さん方にお分けしても宜しいですか?」
「あら、素敵な褒め言葉‥‥お上手ね」
流石、乙女達の王子様の2つ名を持つユリゼの綺麗な言葉に、ミランダはにっこり嬉しそうに微笑み、酒場に来ていた女性達へと水を向ける。
それは無論今日も酒場で働くフィメイリアにも贈られて。フィメイリアは顔を真っ赤に染めて、貰い慣れぬ花を手にお礼を言うのがやっとだった。
青年が訪れる日の店の客層は、いつもより女性が多かったのはあとから店主に聞いた話だ。
●悩める若人
「‥‥おっちゃん、ミランダさんて誰か付き合ってる人いんの?」
辺りの賑わいに遠慮するように、あるいは問いそのものが憚られるのか、ハルワタートがひっそりと訊ねると、店主は呆れたように鼻を鳴らした。
「なんで今更俺にそんな事を聞くんだよ、お前は。直接聞け、直接」
――それが聞ければ苦労は無いから、おっちゃんに聞いたのに。
ハルワタートの顔に浮かぶ心の声を、一語一句違わず読み取った店主は手に持っていた盆で遠慮なく頭を打った。
「ミランダに相手もしてもらえん奴らが俺に聞いてきた時には、『歌が恋人』だって言ってたって返してるさ。でもな、お前はちゃんと話してるんだから、そういう事は自分で聞けよ」
じんじんと痛む頭を抑え、涙目で店主の情けを聞いたハルワタートは、言葉を心の中で反芻して、「そっか」と繰り返す。
その様子に訝しげに眉を顰めた店主は、「よし」とハルワタートが席を立ったために、疑問に思った事を言えなかった。
●冒険者酒場でもアイドルです
「あら、可愛いウェイターさんだこと」
赤いリボンをタイ代わりに結んだノルマンゾウガメが、よいしょよいしょとワインの入った小さな樽を運んでくると、ミランダは瞳を細めて微笑んだ。
「お久しぶりです〜、ミランダさん。こちらのウェイターさんは、ノルマンゾウガメさんなのですよ〜♪」
数曲歌って休憩中のミランダヘハルワタートからの振る舞い酒のおすそ分けだった。
ゾウガメとお揃いのタイを結ぶ凛々しいウェイター姿のエーディットが、ゾウガメの運んできたワインを杯に注いで渡す。
足元へ特別サービスのすりすりを振舞うゾウガメの甲羅を撫でていたミランダに、エーディットはこっそり尋ねたいことがあった。
「ミランダさん、ハルワタートさんの事をどう思ってらっしゃるのでしょう〜?」
突然の質問に、ミランダは瞳を瞬かせた。
答えを急く訳でもなく、エーディットが少しだけ首を傾ける。ゾウガメがきょろりと主人の方へと首を回せば、ミランダはふわりと微笑んだ。
「そうね、下町で生活している皆を忘れないでいてくれる良い人だと思うわ。貴女もね、エーディット」
ありがとう、と空いた杯をエーディットへ返し、再び歌をうたうために、ミランダは店の方へと出て行った。
渡された杯を見つめていたエーディットは、服の裾を食んで引くゾウガメに気付いて顔を上げた。
ミランダのお礼は、酒の事だけではないような気がして、小さく笑みが零れたのだった。
●慌てものの恋歌舞踏曲
「お久しぶりね」
ここ数日銀花亭には通っていたのに、久しぶり‥‥がっくりと肩を落としたハルワタートをみて、ミランダはころころと笑う。
「だって、貴方、私には声を掛けてもくれなかったでしょう? 他の冒険者さん達みたいにお店のお手伝いしてくれたりしてたら、私だって話し掛ける機会もあったのに‥‥ようやくだもの、お久しぶりでしょう?」
「ぐっ‥‥!」
心中を読まれたような言葉と、更なる攻撃文句に、ハルワタートは言い返せず押し黙った。
これ以上言うといじめになるわね‥‥と、ミランダは笑って言葉の矛を収める。
「いつも可愛らしい格好しか見た事がなかったけど、そうした格好の方が素敵だと思うわ」
「そっ、そうかな‥‥そう、かも‥‥」
褒め言葉に給仕服のシャツを押さえ、見下ろす。エーディットが見立ててくれた、きりりとした働く男なイメージの服は、ハルワタートにぴったりのサイズと色で纏めてある。
褒め言葉にふと己の過去を思い返せば、可愛らしい給仕姿を、友人と披露しまくってきた思い出しかでて来ない。
必要だからした事だったが、好きになった女性の前で男としてそれはどうなんだろうかと再び肩が落ちそうになる。
それを紙一重で堪え、酒場の歌姫に歌を乞う。
「初めて会った、時の歌。また、歌ってもらえるかな?」
ようやくそれだけのお願いを口にするまでに、どれくらい日を要したのか。振り返る事はすまい‥‥!
ハルワタートのお願いに、ミランダは柔らかな微笑を浮かべて、楽士の女性に声を掛けた。
女性からリュートを譲り受けると、ステージに置かれた椅子の上に座って曲を奏で始める。
練習のように爪弾かれたのは賑やかな流行歌‥‥指が満足に動く事を確認したミランダは、短くその曲を切り上げる。
「それじゃお祭りを祝う新酒のお返しに‥‥」
蠱惑的な笑みとは違う、柔らかな笑みを浮かべそう言い置いたミランダが歌い始めたのは‥‥可愛らしい恋歌だった。
少々慌て者だけれど幸せに暮らす笑みを誘う小さな恋人達の歌‥‥ハルワタートが初めてミランダがステージに立っている銀花亭に訪れた時に歌われていた曲。
歌の中の慌て者は、気の利かない、空回りしがちな自分に似ている気がした。
ユリゼの抱えてきた花束を見て、自分も用意してくれば良かったとか思っても遅い。
ならば王子様のような言葉でも‥‥と思っても、いざ会ってみると、言葉すら出てこない。
それでも、やっと伝えられたお願いを、ミランダは叶えてくれた。
毎日歌をうたう彼女の紡ぐ歌は、とても多い。そんなたくさんの曲の中から、自分が願った曲を覚えてくれていた事だけで、ハルワタートは十分だと、思った。
●揺れる灯火の下、親しく時は流れ
「今日の出会いと、おっちゃんの髪の毛の無事(何)を祝してー!」
「余計なお世話だっっ!!」
新酒の樽が明けられて、既に酔ったハルワタートへ木の盆が飛んだ。見事に後頭部にヒットさせて星を飛ばすハルワタートを見てラシュディアが笑う。
彼も酒には余り強くないのだが、目一杯楽しみたいと注がれれば断らなかった結果が完成されている。
「こういう酒場がいつまでもパリにありますようにー♪ 乾ぱ〜い☆」
「乾杯だー!」
ラシュディアの音頭に応える声が上がった後で、今度はラシュディアの悲鳴が聞こえた気もするが、酔っ払った勢いだろうから気にしない。
ハルワタートが酔うとキス魔だった事を、クリスは思い出した。
「えヘヘ。この時のために酒屋さんから別枠でワインを一本調達しました」
とっておきのワインをクリスがテーブルに置くと、リディエールが私も‥‥と、ドライシードルを隣に置いた。
「お酒はあまり強くはないのですけれど‥‥たまには良いですよね」
「酒屋の店主からお前らに差し入れだ」
その隣にどんと置かれた小さな樽の中身は、酒屋の店主お勧めの新酒の瓶。年代物のお酒は無かったが、訪ねてくれたお礼らしい。
「お疲れ様」
「お疲れ様でした」
杯に注がれたワインを手にユリゼが隣のリディエールと乾杯すると、ぐるり巡るように乾杯の声がまわっていった。
「お店のお酒を飲み潰せるかはともかく、お役に立てたでしょうか」
「大丈夫なのです〜、銀花亭も‥‥」
彼らを銀花亭に誘ってくれたハルワタートも、きっと。ご褒美の野菜スープを飲むゾウガメの甲羅を撫でながら、ジュースを飲んでいたエーディットがそういって微笑んだ。
「知るのがちょっと遅かったけど来られてよかった。また誰かと来られるといいかな‥‥うん、姉さんとか」
温かな湯気をあげる料理が、店にある温もりのように感じられる店。来訪を願ってワインの杯を重ねる。
ステージではミランダが鈴の環輪を鳴らし、リュートに合わせて次の実りを願う歌をうたっていた。
静かで綺麗な旋律に、クリスがそっと瞼を閉じた。席に着いてゆっくりと歌声に浸ってグラスを傾ける。
「バードのボクだからこれがどんなに賛沢なのか、良く判るのです〜」
普段は、冒険者酒場のアンリに目を瞑ってもらって、古ワインを飲む事が多いけれど、お疲れ様の乾杯は、とっておきで、ご褒美にしたいから。
ミランダが歌う歌は、やがて今年の実りを齎した精霊達との別れを告げる。
けれどそれは、次の実りを、再会を願う言葉で‥‥締められた。