●リプレイ本文
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昊天は薄青に染まり、露を含まぬ乾いた空気はすっかり冬の色に染まっていた。太陽から淡やかに陽光が降り落ちる。それは冬特有の寒さを癒す柔らかな光だ。晴天に恵まれたこの日‥‥レンヌ公爵・マーシー1世の持つ別宅の庭は、冒険者達に解放されていた。
「これがマーシー1世様ご自慢の茨の迷宮。素晴らしい」
礼服に身を包んだガルシア・マグナス(ec0569)は、迷宮の中心に広がる薔薇の庭園に感嘆の声を上げる。
白い大理石で作られた東屋の周りには白を基調としたガーデンパーティのテーブル達。
「そういって頂けるのなら父もきっと本望でしょう」
迷宮を通らずに庭園に入る事が出来る秘密の通路を使って訪れた冒険者らを歓待した黒い服の女性はマーシー1世の娘の一人であるフロリゼル・ラ・フォンテーヌ(ez1174)だった。
「こんなに早く、またこの庭へ戻ってくる事ができるとは思いませんでした」
冬空の下で咲く薔薇を見遣り、リディエール・アンティロープ(eb5977)が吐息のような囁きを零した。
「私も。前は花をじっくり見ることが出来なかったから」
ユリゼ・ファルアート(ea3502)が頷く。薔薇の実や花、あとは柊を使ってリースや聖夜祭の飾りを作ったらきっと素敵だと話すとリディエールが「それも楽しそうですね」と微笑む。
東屋の周りには、温もりを伝える石をくりぬいて作られた火桶や、炎を身内に宿し暖かく燃える鉢が置かれ。薔薇が織り込まれた布が張られた衝立が風を遮るように置かれていた。最も東屋を囲むように幾重にも巡らされている深緑の壁そのものが寒風を遮る役目を果たしてくれている。
お茶会に招かれた冒険者達が揃うと、鉄柵や木柵に這わせた茨の壁が閉じられ薔薇の咲く庭は再び迷宮の中へと切り離された。やがて薔薇の庭はお茶を囲む楽しげな声に満たされ始める。
「大姐がしきりに騒ぐから来て見たのだけれど‥‥ふむ、中々良い場所だな」
東屋の周りに咲く色鮮やかな花々を眺め、紅麗華(eb2477)が呟くと「そうでしょう?」と大姐と呼ばれたニミュエ・ユーノ(ea2446)が誇らしげに笑う。ともすれば出不精気味になってしまう従姉妹達を引っ張り出したのはニミュエの手柄だ。きらと瞳を輝かせて庭を見つめるニミュエの様子を、華やかな笑い声が迎える。
「バードのニミュエと申します、以後見知り置きくださいませ」
ドレスの裾を摘み、ふわりと優雅な礼を取るニミュエに倣うように、紅天華(ea0926)と麗華も揃ってこの茶会の席の主人である公女へ挨拶を述べた。ニミュエの手の中にリュートを見つけ、吟遊詩人さんが多くて楽しそうな席になりそうねと笑顔で歓迎する。
「天華ちゃん、麗華ちゃん。お腹がすきましたわー!」
楽器に触れている時とはまるで別人のような幼い仕草で食事の催促をするニミュエに、従姉妹達は小さく笑み零した。歌以外‥‥所謂、一般常識とか生活能力とかが皆無な彼女の行動もすでに慣れっこである。
「大姐、食事はきちんと手を拭いてからだぞ」
天華が濡らした手巾を差し出す間に、麗華が慣れた手つきで茶を入れる。ちらと天華は緑の壁の向こう側を透かし見るように一瞥し。
「何やら悲鳴が聞こえたが、気のせいであろう」
妹の淹れた茶の香りを楽しむように白磁のカップを傾けた。
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天華が気のせいと思う事にした声の主は、ノルマン王国でも有数の実力者たる神父の叫びだった。神に仕える者が挙げる声としては甚だ不穏当な声ではあったが、崇高な使命があったのだから仕方ない。その使命とは体を張ってあえて罠にかかり、罠の存在や種類を他の参加者に知らせるという自己犠牲精神に基づく素晴らしき隣人愛!
その名も『チーム「罠にかかってやるぜ!」』のリーダーで身体を張っているエルディン・アトワイト(ec0290)の悲鳴‥‥もとい、叫びであった。
「そろそろ前回は落とし穴があった場所ですね‥‥ほうら、一見ただの道に見えます。が、そこをあえて通る!!」
と、華々しく宣言して踏み出すと‥‥一拍後――盛大な水音と、蛙が潰れたような悲鳴。
「ふぎゃっ‥‥☆●△□★!?」
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お茶とお菓子が行き渡り、落ち着く頃合を見計らって、リル・リル(ea1585)は奏剣と名付けた楽器を手に取った。
「奏剣立てかけられる場所下さいな〜。このサイズで抱えたら弦が届かないの〜」
お願いすると、東屋の白い大理石の柱を使って弾き易い様場所を整えて立てかけてくれた。珍しい楽器が綴るのは季節に合わせた冬の曲。
クリステル・シャルダン(eb3862)が淹れた薔薇の花を浮かべたお茶を飲んでいたサクラ・フリューゲル(eb8317)が、リルの奏でる旋律につられ口ずさめば。「一緒に歌おう〜♪」と誘われる。誰もがよく知る冬の歌。厳しい節を嘆くのではなく、冬の楽しみを見出し過ごす日々を唄った温かな曲。吟遊詩人を生業とするニミュエや歌を嗜むリディエールも加わり、幾重にも重なる音は鮮やかに庭園を満たしていく。
非礼があってはならないと、茶会の主人へ騎士の礼を以って挨拶をしたエスリン・マッカレル(ea9669)も、和やかな雰囲気の茶会に瞳を細める。せめてこの一時だけでも、ゆっくりお茶を楽しんで鋭気を養えれば良いと彼女は思う。頑なな程真面目なエスリンは、常日頃から理想の騎士像に近づく為に努力を怠らない。それ故に、無自覚な無理を重ねる処がある彼女は、やわらかな薫香が心身を安らげてくれるのを感じた。
「わーい、お菓子がいっぱい♪ いいのかしら、こんなに贅沢させて貰っちゃって」
目の前に詰まれた菓子の山にネフティス・ネト・アメン(ea2834)は瞳を輝かせた。1つ1つが小さめに作られた細工菓子達は、甘いものが好きな女性が幾種類も食べる事が出来るようにと配慮されたもの。賑やかな声にエスリンも表情が綻ぶ。
「お礼に、私が王様との恋占いをしてあげるわ。タロットと水晶玉、どっちがいい? これでも結構腕は良いのよ☆」
エスリンが言葉を選んで伝えると、公女は「その気持ちだけ頂いておくわ」と応えた。
「恋に迷っている他の子達の標になってあげて頂戴」
恋する女の子には違いないでしょう? と首を傾げるネフティスへ、小さく微笑む。
「こう見えて結構気が小さいのよ、未来が良いものばかりなら良いけれど‥‥そういうわけにはいかないもの」
ネフティスが視線を落すと手元に在った水晶球が、きらと陽光を返し輝いた。
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先日迷宮を踏破した折に贈られた鮮やかな青いマントを身に着けたヘラクレイオス・ニケフォロス(ea7256)は、薔薇樹が通路を囲むように高い壁を作っている場所へと足を踏み入れた。
「さすが形を変えるというだけあって、先日とは違う佇まい。見事なものじゃ。如何様な罠でも、知恵と技と力を尽して潜り抜けてみせようぞ」
こちらは敢えて罠に嵌りにいくのではなく、罠のある茨の迷宮を無事突破しクリアする事を目指す冒険の王道スタイルだ。
茨の壁を見上げ、更に奥へと真白の東屋目指して進もうと踏み出した足元に違和感を覚えた直後だった。
仕掛けを踏んで支えが外れたらしく僅かに落ち込んだ足元に蔓が絡み、文字通り足元を救われたヘラクレイオスはバランスを崩した。転げれば目の前には茨の棘しかない。ナオミ・ファラーノ(ea7372)が息を呑む。茨の蔓に文字通り吊るし上げられる恰好となった当人は至って冷静に手斧で蔓を切り裂いた。
「成る程、前回には無かった種類の罠が増えておるようじゃ」
受身は取り降りたヘラクレイオスは、「ふむふむ」と唸りながら髭を撫で茨の壁を見上げた。
「おっ宝、おっ宝、宝探しはたのし〜な」
迷宮に流れる調子ぱずれな陽気な歌の歌い手は、長い毛足がモコモコと可愛らしいキタリス――の恰好をしたエイジス・レーヴァティン(ea9907)。彼は、難しい事は考えずノーテンキ。純粋に迷宮競技として楽しんでいた。
探索に勤しむ他の冒険者達とは違い、杞憂したり思案する間こそ無く、文字通り弾むような足取りで事も無げに迷宮を進む。聞いていた落とし穴などは、トラップ対応になれたエイジスにとっては、リズミカルな流れのままにやり過ごせるもの。時に強引な力任せのトラップは腕力に任せて突破。強引には強引で対抗である。茨にふわもこの外見を引っ掛けたりしても気にしない。愛らしいファンシーな冒険衣装とは裏腹に、ストロングスタイル――むしろある意味正攻法で力任せの突破を目指すキタリスの進む先には――。
セイル・ファースト(eb8642)は、槍を棒代わりに用いて地面を突つき確認しながら迷宮を進んでいた。時に槍を囮としての目の高さ、あるいは天井への警戒を忘れずに‥‥傍らには妻であるリリー・ストーム(ea9927)を伴って。熟練の冒険者である彼らにとって、茨の迷宮に仕掛けられた罠は依頼で向かうそれらに比べれば分りやすいものだった。経験を活かした注意を怠らなかったからともいえる。
「マーシー公爵様がご用意される宝、一体どんな物なのかしらね?」
どんなものかふと気になって夫に問い掛けると、セイルはさして興味が無さそうに進むに邪魔な茨を退けていく。
「さあな‥‥俺はもう既に大いなる宝って奴なら手にいれってからさ、それに比べるとたとえどんな宝でも‥‥さしてな」
「あら? その大いなる宝とは何ですの? 私も見てみたいわ」
今までそんな話を聞いた事が無かったリリーが興味を惹かれて尋ねる。
と、セイルはしげと妻を見つめ‥‥夫の言葉を待っていたリリーを、不意に槍を持たない腕で妻を抱き寄せた。
「お前だよ、リリー‥‥」
「まぁ! あなたったら‥‥」
耳元に囁かれた答えに、リリーは顔が熱くなるのが分った。今自分の顔を見る事が出来たなら、薔薇に負けないくらいの赤に染まっているに違いない。抱き寄せられるままに夫の胸にそっと体を預ければ寄せられた頬に落とされる柔らかな温もり。
「あ‥‥あなた‥‥こんなところじゃ、誰が来るか‥‥」
抗議の声はセイルに封じられ、口付けに霞んで消える。深緑の蔓薔薇が二人を世界から切り離す壁となった。
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「‥‥? おや、お久しぶりさね」
『フロランス殿?』と囁けば茶会の主人は微笑んだ。ほんの少しだけ蒼い瞳に困った色を浮かばせて。その笑顔が悪戯が見つかった子供のように見えて、ライラ・マグニフィセント(eb9243)は小さく微笑み、持参した手製の菓子を詰めた籠を手渡した。
「お菓子を用意して頂いているのは聞いていたけれどね、これはあたしからさ」
籠の中に詰められていたのは、パンフォルテ、生姜入りのウーブリ、それと、ライラの新作菓子のアマレッティ。レンヌの菓子とはまた違う女の子には嬉しい差し入れに、彼女の味を知っている友人達が嬉しそうな声を上げる。
「材料はアーモンドと卵白と、ま、後は秘密さね」
菓子職人のとっておきの新作の詳細はトップシークレット。公女は頷いて、そっと人差し指を唇に当てた。
「出来れば、私も秘密にしておいてちょうだい」
返された囁きに、ライラは瞳を瞬かせ‥‥頷くように瞳を閉じた。
リルやサクラ達の演奏へ拍手を贈り、クリステルはゆったりとした時間が流れる様に微笑んだ。のんびりとお茶を楽しみながら、薔薇を眺め綺麗だと思う。心に浮かんだ言葉をそのままに公女に告げると、庭園に合わせた装いが素敵な貴女に贈られた言葉はもっと素敵と微笑む。
「また会いましたね」
「そうだったかしら?」
ディアルト・ヘレス(ea2181)が声を掛けると、公女は茶を勧めながら首を傾げた。お忍びだった時の事はそらとぼける気らしい。
「心の中で秘めていても声に出していかなければ届きませんよ?」
「秘めてはいないのだけど、届いてないわねぇ‥‥」
パリに呼ばれた理由も意思も隠していない。むしろ折々で礼を欠かさぬ程度に本人からも王へ伝えてはいるのだが、結果はディアルトが知っている通り。
「運命なんて物は自分で掴み取る物ですよ。貴方が私の嫁になる可能性だって無いとは言いきれないでしょう?」
回そうとしなければ運命の輪は回らない。発破をかけるため挑戦めいた言葉を掛けると、驚きに青い瞳を瞬かせた。
「‥‥そうね、それも面白いかも」
言葉通り面白そうに笑う。
「私の場合、どちらかというとブランシュ騎士団の入団試験でも受ける方が向いてるかもしれなかったわね」
深窓の令嬢の手とは違う、硬い手のひらは望んで得た剣を握る手。何が掴めるかわからないけれど、何もしないで諦めはしないわと告げた。
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「やっぱ、冬はこうでなきゃな」
エチゴヤフルコーディネートないつもの格好に落ち着き、納得気なハルワタート・マルファス(ea7489)は己の現在の衣装に満足げに呟いた。
たまにはがっつり迷宮に挑むのも悪くないと思い迷宮を訪れていた。
その恰好が、公爵家に訪れるにしては只管怪しい世界規模チェーン店販促グッズコーディネートだろうと気にしない。むしろ意気揚々と茨の道を歩いていた。
ただ見るだけならば行き止まりにしか見えない深緑の壁をただの壁ではないと見破り、扉として押し開く。
鋭い観察力でクリア‥‥かと思った瞬間、大地がぱっくりと穴開き、姿が消えた。一拍後には‥‥水音。
「今の季節考えろー! さむ‥‥ごばっ!!」
どうやら迷宮の下には地下水路もあるらしい。必死の苦情は、水に飲まれ文字通り流され消えていった。
ナオミはグリーンワードを使って茨達に声を掛けてみた。罠の存在が分れば道行きに注意もし易いからだ。
「あなた方のご主人がこの辺りに用意してるものは何かしら?」
『私たちと似た何かがあるわー』
さわさわと茨達が囁く。茨の声に誘われるようによくよく深緑の壁を覗き込めば、そこには宝石で薔薇の花が模られたマント留めがひっそりと飾られていた。『私たちと似た何か』の言葉に納得する。久しぶりに旦那様の一緒の仕事で、迷宮を探索しての宝探し。内心子供のようにわくわくしているのは、はしたないと思うから内緒にしておこうと思っているが、こうして隠された何かを見つけるのは楽しい。
「どうかしたか?」
「こんなものを見つけたんですよ」
ナオミの手の上にあるマント留めを見て「ほう」と目を丸くしたヘラクレイオスが見せてくれたのは木の箱だった。落とし穴の下にあったのだというその中身は‥‥酒好きの間では名の知れた酒が収められた瓶だった。
聳えるは高い高い深緑の壁。迷宮探索を選んだ仲間達への魔法サポートを主に行っていたシャクリローゼ・ライラ(ea2762)は壁の上の方に深緑とは違う色を見つけ、ふわり空に舞い上がった。
茨の壁が広がる迷宮には、どの薔薇も花を咲かせてはいなかったのに‥‥彼女が誰よりも高い場所で見つけたのは、麗しく咲き誇る薔薇一輪。棘に羽根が引っ掛からぬよう、シャクリローゼはそっと手を伸ばす。足元では変わった絶叫がこだましていたが、彼女の手の中には冬にも枯れない花が咲いた。
「なんでも、貴族が用意した迷宮に挑戦できると聞いてやってきたんだが。ダンジョンじゃなかったのか‥‥」
虚空牙(ec0261)は、肩透かしを食ったように息を吐いた。だが状況確認後の意識の切り替えの早さは流石世界に名を連ねる力量の冒険者。強いモンスターと戦うことはできないが、これもまた立派な迷宮であるのは確かと気分を切り替えたっぷりと修行させてもらう事にする。
単身で迷宮に踏み出した空牙が踏み込んだのは、まるで茨で編み作られた回廊のような場所だった。瞳を細め、様子を見ていた空牙が一歩踏み出すと、左右の壁から鋭い棘もそのままに茨が唸りを上げて振り下ろされていく。裾を掠らせる事も赦さずに、次々に茨の降り注ぐ茨の罠を走り抜けると空牙の目の前には、池とも呼べるサイズの水溜め。池に浮かぶ葉は、花の季節になればさぞ幻想的な風景を作り出すだすのだろうが、今は冬。冷たい水を湛えた池を見回した空牙が目をつけたのは、池に立つ白い大理石の柱だった。
少ない助走で見事な跳躍をみせた彼は、柱を利用し身の軽さを活かして池を渡りきった。途中の1本が崩れるように池の中へ倒れ、水音を立てたのは彼が渡りきって後のこと。
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茶会の席だからこそ、衣装は大切。美人さんはより美人に、格好良い人はより格好良くコーディネートのお手伝いと称して皆の衣装も弄っていたエーディット・ブラウン(eb1460)。無論、女装の似合う人は似合う衣装を勧める心つもりだったのはお約束だ。レリアンナ・エトリゾーレ(ec4988)の認識は間違っていないのかもしれない。
時折、妙に物悲しい雰囲気の曲が奏でられたりしていたが、庭園に流れ出した軽やかな曲を聞いて、アレーナ・オレアリス(eb3532)はクスリと微笑みながらフロリゼルをダンスに誘った。
「お嬢さん、私と一曲踊って頂けませんか?」
「喜んで?」
柔らかな雰囲気のドレスを纏うアレーナの繊手を取り、公女は踊り出した。春を待ち楽しげにリズムを刻むステップは形式張らないコミカルなものだ。くるくると独楽のようにまわるアレーナらと軽快な曲に誘われて、冒険者らがおとなった妖精達もふわりひらりと中空に軌跡を刻む。やがて春を告げる音色が響き、曲の終わりを告げる節。そっと歌う様に囁かれた言葉に公女は瞳を瞬かせ‥‥曲が終わり優美に礼を取ったアレーナへ「ありがとう」と微笑んだ。
「そうね、パリに来てレンヌの外を知って、出会えた人や出来事全てがとても大切で、幸せな事だと思うわ」
「それじゃ今度は別の曲〜♪」
哀しげな音色は少しだけ。リルの奏でだした緩やかな音色にガルシアが誘う。
「それでは公女殿、次は自分とお願い出来るだろうか?」
「国有数のテンプルナイト殿のリード、楽しみね」
アレーナとのダンスと違い、一見男同士で踊っているように見え茶席の笑いを誘うのだった。
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「さすが殿方が普段女性の格好をするというパリですわね。お庭も変わっていますわ」
ぽんやりとレリアンナは、目の前に障害の様に聳える茨の迷宮を見上げ、呟き零した。
迷宮を目指し作られた庭なのだから変わってはいるが趣旨には合っている。問題なのは彼女が途中で遅れてしまった事だった。すでに茶会の席への通路は閉ざされており、東屋へ行くには迷路を抜けるしかない。茶会に出席するつもりで迷路への備えなどのない彼女にとって、迷宮は変わった庭の一言ですむ障壁ではなかった。それでも茨の向こうから聞こえる賑やかな音色を励みに迷宮へと踏み出した。
「へぇ‥‥茨の迷宮かぁ金持ちの道楽って感じ」
迷宮を形作る植物にも興味深々の様子で辺りを見上げながら、きぱっと断じたレオ・シュタイネル(ec5382)の感想は何より公女に同意してもらえたに違いない。
罠を気に掛けながら進むレオの東屋へ至る導は、奏でられる冬の音色。目印ならぬ耳印だ。
いかにもな通路に張られた縄を飛び越えて通る隣りの壁から、奇妙な悲鳴と風切音が響いた。
「うわっ?!」
咄嗟に飛び退った彼の目の前に茨壁と共に倒れてきたのは既に満身創痍なエルディンだった。
その後ろに立っていたのは倒れるまったく無傷の巴渓(ea0167)とシャクリローゼ。何かを理解したレオは、そっと彼の耳元へ本日幾度目かの復活の呪文を囁いてやる。
「‥‥お宝はエルフ美女(かもなっ)」
「どこに、金髪碧眼ナイススタイルな我が同胞の美女がっ!?」
効果覿面、がばっと物凄い勢いで蘇生‥‥もとい起き上がったエルディンの襟首を渓が掴み引き摺っていく。
「はっはっは、ノビてる暇ねぇぞ。まだまだ行くぜ! おらおらああああっ!!!」
彼の心意気に胸を打たれ協力を心に誓った渓に連行され更に迷宮の奥へと向かったのだった。
「月道が繋がったから覗きにきたんだけど‥‥うーん、あっちだとノルマンから来た人とも普通に話せてたのにー。こっちは竜と精霊の加護が足りなくて言葉が通じないのね」
何を話しているかがわからず、ラマーデ・エムイ(ec1984)は少しだけ疎外感。
「わーい、これが天界のお菓子?」
物ごとはつねに前向きに考え、あまり悩まない性質のラマーデは、思考を切り替え目の前に可愛らしく飾られたお菓子の山に瞳を輝かせた。言葉が通じなくても甘い香りと美味しい誘惑に国境は無い。
「折角だから、美味しいお菓子と見た事ない花を楽しませて貰いましょ☆」
手にはお茶とお菓子を持って。折角の機会なのだから‥‥と、アマーデは物珍しげ興味深げにあっちこっちウロウロと、薔薇の咲く庭園の散策にと踏み出した。
「公女殿下には妹がお世話になったゆえご挨拶を」
流れるような仕草で騎士の礼を取ったラルフェン・シュスト(ec3546)が名乗ると、公女は思い至ったのかくすりと笑う。
「妹さんとお揃いなのは瞳の色だけなのね、雰囲気が違うからわからなかったわ。こちらこそ、とても楽しい出会いと旅行をありがとう‥‥今日は一緒ではないのかしら?」
「俺は迷宮には心惹かれるが東屋でのんびりと過ごすつもりだったからな‥‥」
近頃慌しく過ごしていたラルフェンは、ゆっくりと過ごすのも悪くないと茶会の席へ来たのだが、妹は‥‥。
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「茨の迷宮‥‥わくわくしますね♪」
歌いながら愛犬ラードルフと一緒に迷宮を探索していたリュシエンナ・シュスト(ec5115)は、一応足元に気を付けながら進んでいた。見上げれば、空には淡い水色を重ねた薄い蒼天。
「天気もいいし素敵‥‥でも不思議な雰囲気ね」
主人の呟きに愛犬が応える。一人だけれど一人ではない探索。
やがて、角を曲がると行き止まりに当たる。どうしようかと迷う間に金属の留め金が外れる様な音。壁に小窓が現われた。覗きこめば小窓の向こうに大中小3つの的が見えた。手にあった魔弓に視線を落とし、もう1度的を見遣る。
「どうせ行き止まりだもの、試してみるべきよね?」
軽やかな風切音と共に、狙い違わず的は3つそれぞれ順繰りに射抜かれていく。
最初に大きな的‥‥何か開くような大きな音、次いで2つめ、中ほどの的では何も鳴らず、小さい的を射抜くと前方の壁が倒れるように左右の茨から切り離される。
「全部じゃなくて、どれか一つじゃないとだめだったのかしら。ね?」
倒れた壁の向こうには、大きな穴が通路一杯に広がっていて、覗き込んだ先はとても深く飛び越えられそうにも無い。
「‥‥兄様と一緒に東屋の方に行けば良かったかしら?」
やれやれ思わず零れたため息は仕方ない。新たな道を探すべく、リュシエンナは踵を返した。
アルフレッド・アーツ(ea2100)が、ねじれた骨の様な素材で作られた不思議なペンを持ち、紙の上に走らせていた。書き味が良く思うように線が引ける描き易いペンでさらさらと綴られていくのは深緑の迷宮の地図。
エルディンが発動させてしまった茨の鞭の罠をするりとかいくぐり、黙々とマッピング。目指せ、全踏破。冷静な探索者の隣りで、物悲しい叫びが茨の迷宮に響き渡っていた。
「いや‥‥、もう無理。ああっ、やめてぇぇぇー!!」
切ない声にも途切れる事のない紙を滑るペンの音――。
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――聖なる母にお仕えしております旅のクレリック、エルシー・ケイ(ec5174)と申します。
――旅の途中ではございますが、偶然にも素晴らしい薔薇のお庭の噂を耳にしましたの。
――わたくしも是非拝見致したく訪ねて参りました。
と、うっかり旅の徒然ナレーションをあててみたくなるほどに、エルシーは一人ぽつんと迷っていた。まさかこんな事になるとは思っていなかった現状を懸命に分析していた。賑やかな音楽の方へと誘われ向かうが、いくら進めど辿り付かない。そのうち茨に裾を引っ掛けてローブには穴が空き、茨に注意すれば足元が疎かになり穴にはまる。一息つこうと寄りかかろうとした壁はぱたりとエルシーを飲み込み、気が付けば東屋も見えず、音楽も聞こえない‥‥一面緑の見知らぬ場所。
既に遭難の様相を帯びてきたエルシーは、とうとう疲れ果て‥‥空腹に耐えかね、足も進まなくなり、ついにはぱたりと倒れ伏した。もう少し指を伸ばせば、甘い味の保存食があったというのに‥‥。
遭難寸前のエルシーがいる通路近く。レリアンナがひっそりとため息を零していた。狭い通路を通り抜けてきたため、服は茨で引っかき裂け。あるいは泥々に。
「不覚ですわ‥‥」
こんな恰好でお茶会に出席するのはどうなのだろうと座り込んだ彼女の前でそっと幸運の葉が揺れていた。
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幾度目かの壁に当たり、アルフレッドは空を見上げた。
視線より高い位置でようやく途切れている壁は、彼からすれば塔の様に聳えている。ひっそりと息を吐き、気をつけて地面へと降り立った。罠に注意しながら先に進んできたが、途中で出会った冒険者仲間達の行動から察するに、罠を発動させなければ進めぬ所もあるようだ。
書き綴られた書きかけの地図に視線を落す。経験から言って何となく迷宮の繋がりは予想がついた。動かぬ壁ではなく、一定時間ごとに茨の壁面の一部を人の手で動かしているのだろう。上から迷路を見渡せば1番早いのだが、アルフレッドはしなかった。
「上から先に見ちゃったら‥‥先に進む楽しみが‥‥ちょっと‥‥減っちゃうような気がする‥‥」
地図の上には既に薔薇の花が幾つか描かれていた。その場所にあった宝はきっと誰かが手にしているのだろう。書きかけの地図を完成させるために、アルフレッドは再び迷宮へとふわり舞い上がった。
その足元で‥‥。
「エルディン!」
レオの指し示した先には、明らかに怪しい、地面とは違う色の床が広がっていた。落とし穴か跳ね板かあるいはそれに類する罠のに違いない。
「‥‥‥‥」
自前のリカバーで傷を癒してはいるものの、すでに必勝を誓う鉢巻はどこかへ落としてしまい、外套もぼろぼろである。
一歩を躊躇っていたエルディンの首根っこを渓がむんずと掴んだ。
「骨は拾ってやる、心おきなく逝ってこいやぁぁぁぁッ!」
「いや‥‥、もう無理。ああっ、やめてぇぇぇー!!」
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『ごめんなさい』の言葉にフロリゼルは大きな蒼い瞳を丸くした。
小さく続いたユリゼの言葉に、ほんの少しだけ首を傾げ‥‥微笑みを浮かべてそのまま柔らかく抱きしめた。
「私の方が『ごめんなさい』だったのだけれど。ごめんなさいより『ありがとう』の方が素敵な言葉だから」
『また遊びに来てくれてありがとう』とユリゼにだけ聞こえる声で囁いてから、公女はユリゼを解放した。
たくさん用意されている菓子の中に、レンヌで馴染み深い焼き菓子を見つけユリゼは瞳を細めた。
「レンヌのお菓子か‥‥懐かしい。数日でも帰ろうかな」
「‥‥ああ、ユリゼはレンヌの出身だったね」
公爵家自慢の職人が作った菓子の味を確かめるように摘んでいたライラに頷く。
「そう言えば、フロリゼル様は冬は此方なんですよね。華やかな正装をされたフロリゼル様を見てみたいな」
「ふむむ、男装も似合ってたですけど、ドレス姿も素敵ですよ〜」
ユリゼが訊ねるとまるごとメリーさんでかわいらしく装った給仕さんのエーディットも後押し。
「きっと口が塞がらない位綺麗だと思うから」
「そうです〜、聖夜祭のイベント楽しみにしてるですよ〜♪」
彼女達の希望に「考えておくわ」と小さく笑った。
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「迷宮突破して来た人達がぞくぞくですね〜、コゾウガメがタオルや飲み物を持ってお出迎えなのです〜♪」
迷宮と繋がる扉が開かれ茶会の席へ辿り着いた人達に、エーディットはコゾウガメ共々飲み物やタオルを差し出す。
傍目には羊さんと亀さんのお出迎え給仕である。用意されていたタオルが無くなるかというほどに、すっかり濡れてしまっている参加者も少なくない。
「落とし穴の中に落ちるとぼっちゃんでしたからね〜」
流石に1度乗り越えた経験者は違う。濡れた身体に冬の風は殊更染みる。メリーさんに差し出されたお茶はとても温かかった。
多少、茨の引っかき傷を作った程度の者から、満身創痍の者まで迷宮を歩いたものの結果は様々。
1番の健闘者はといえば‥‥‥‥。
「ま、貴族のお遊びなんだし致命傷にゃならなかったんだから‥‥謝る!」
エルディンは渓の謝罪に応える余裕も無くがくりと膝を付いた。軽微な負傷も積もり積もれば体力は底をつく。むしろちくちく(略)ちくちく体力を削られて、疲労も心の傷も既に限界に近い。ついでに魔力も底を尽いている。
そんな彼の傍らに膝を付き、アルコン・ソニード(eb2455)がそっと神へ祈りを捧げ、傷を癒してやった。眠れる美女では無かったが、エルフの麗しい同胞の癒し。迷宮を抜けてくる勇者達の怪我を、どんな些細なものでも軽視せずに癒していた天使の祈り。応急手当ではなく本当にリカバーが必要になるとは思っていなかった事は秘密だ。
「すり傷とはいえ侮ることはできません。放置しておけば、大変な病気に繋がることもありますから」
癒し手の温かい笑みに礼を述べたエルディンの前に差し出されたのは、マーシー1世からの褒美だった。
「この迷宮を心底楽しんで頂けたようで、きっと貴方に贈るのが1番ね」
公女が差し出したのは、然程大きくは無い物。クリステルも薔薇を一輪、胸元に挿し贈る。労いの数々にエルディンの苦労は報われただろうか?
濡れたり汚れたり破れたり、困難を越えてきた面々を加えた頃には大分、太陽も傾いてきていたが、人がたくさん集う場所には温もりが溢れているから、冬の寒さも和らいで‥‥春を待つことが出来る。
明るいざわめきと音楽を聞きながら和やかな雰囲気にとろとろとまどろんでいたラルフェンは、淡い眠りの中で薔薇が好きだった亡き人の面影がふと思い出した。
ノルマン王国は建国の時からずっと激動の時代を重ねてきた。血と涙と嘆きではなく、花の香りが満ちるこの庭のように‥‥叶うなら、穏やかな時が王国に満ちれば良いと、願った。