【潮風を纏う姫】 レンヌの公女、冬の海へ

■イベントシナリオ


担当:姜飛葉

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:4

参加人数:17人

サポート参加人数:-人

冒険期間:01月18日〜01月18日

リプレイ公開日:2010年05月10日

●オープニング

 冴え凍る澄んだ夜空には、まるで白砂を撒いたように数多の星々が煌いていた。
 冬の鮮烈な寒さに身体をさらせば、その身もその心も引き締められる。
 夜明け前‥‥痛いくらいの寒さが緩むひとときに、新たな陽光の訪れを予感する。

 本当は太陽が顔を出してから昇り始めるひと時が一番冷え込む。
 太陽が顔を出す、1日の始まりの時間が、一番凍える時間だということを、識っている。
 皮肉にも似た相反する理。
 間違いなく生まれる、新らしい1日の、始まりの時間。
 寄せては返す波音が響くなか、生命の色にもにた緋橙色の太陽が生まれてくる様は、泣きたいほどきっと美しいだろう。

 優しく厳しい夜闇に眠り。
 騒々しくも穏やかな波間に晒され。
 燃え出でる太陽を迎えよう―― 一緒に。



「日の出を見に、海へ行くんですか?」
 レンヌの公女・フロリゼルからの依頼に、記録係が小さく首を傾ける。顔馴染みとなった記録係の瞳を瞬かせる様子に、公女は笑って頷いた。
「本当はレンヌの海で初日を見たかったのだけれど‥‥流石に色々難しかったの。せめて海辺の日の出を見てみたくて‥‥パリから1番近い海辺に行く時間くらいだったら、何とか作れそうだったから。夏の海も好きだけれど、冬の海も好きなのよ。北海の色は特に人にとても厳しそうな、付き合いにくいところとかもね」
 フロリゼルが、人の手には及ばぬ自然を感じる事ができる場所を好むのは、精霊に愛されると評されるほど豊な森と海に囲まれたレンヌで生まれ育ったからだろうか。
 新年の祝賀から続く様々な式典の数々もひとまずは落ち着いた今なら作れた時間。初日は逃したけれど、海で初めてみる日の出ならばある意味『初日の出』だろうと屈理屈をこねてみたらしい。
 新年に迎える初めての太陽を尊ぶ風習はジャパンのものだが、ノルマン王国は復興の経緯からしてジャパンに縁が深い。異国であるはずのジャパンの風習が、いつの間にか流れ込んでいる地域も多い。
「私は久しぷりの遠乗りがてら、工トワールで行こうと思っているけど‥‥海辺の場所は、伝えていくから現地集合でかまわないわ。折角未だパリにいるのだから、皆と一緒に海辺の夜明けのひと時を過ごせれば、きっと楽しい素敵な時間になると思うのだけれど、どうかしら?」
「‥‥現地集合では、警護の依頼の意味がありませんけれど」
 常日頃から騎士のような出で立ちで過ごすフロリゼルの姿が、格好だけではない事を知っている記録係は苦笑する。本当は警護なんて要らないけれど、それを認めてしまうと冒険者ギルドに来られなくなってしまうもの‥‥と微笑むフロリゼルの笑顔は、どこか悪戯っぽそうな表情にみえる。
「そういえば‥‥これから、どうされるご予定なのでしょうかと、伺っても?」
 国王ほどではないが、それなりの地位のそれなりの令嬢であるはずのフロリゼルも、冒険者達が集うギルドや酒場へよく顔を出している気安さからか、記録係が訊ねると、少しだけ考えるように眉根を寄せる。フロリゼルがパリに来た――滞在していた理由が解消された今、普通に考えれば、こうしてふらりと冒険者ギルドを訪れる事もなくなるのだろうが。
 同じ理由でパリに来たエカテリーナと異なり、治める領地を持つわけでないフロリゼルは、ある意味で自由で、ある意味で不自由な立場にある。
 パリではなくレンヌで、側ではなく遠くから、彼女にとって大切な人達を支える道‥‥各地方が落ち着いていれば、国全体としても落ち着くことになる道は、フロリゼルが選べる道の1つ。
「‥‥そうね、ここ最近の父上は一年の大半をパリで過ごされているからこそ、レンヌに戻って少しでも父上のお手伝いをしたいとも思うし、‥‥もうちょっと考え中」
 おどけたように小さく肩を疎めてみせたフロリゼルは、やわらかく微笑んだ。
「それはそれとして、ちゃんと考えようと思ってるから、今回は私の警護を宜しくお願いするわね。ちょっとどころか、かなり寒いし大変なお誘いで申し訳ないけれど、良ければ一緒に行けると嬉しいわ」

●今回の参加者

リーディア・カンツォーネ(ea1225)/ イルニアス・エルトファーム(ea1625)/ ディアルト・ヘレス(ea2181)/ ロックハート・トキワ(ea2389)/ ユリゼ・ファルアート(ea3502)/ フレイア・ケリン(eb2258)/ ネフィリム・フィルス(eb3503)/ フィーネ・オレアリス(eb3529)/ アレーナ・オレアリス(eb3532)/ 鳳 令明(eb3759)/ 尾上 彬(eb8664)/ ククノチ(ec0828)/ エフェリア・シドリ(ec1862)/ ラルフェン・シュスト(ec3546)/ ルネ・クライン(ec4004)/ リュシエンナ・シュスト(ec5115)/ レオ・シュタイネル(ec5382

●リプレイ本文

●海へ
「‥‥あら、とっても素敵な道中になりそうね」
 今回の依頼人であるレンヌの公女・フロリゼル・ラ・フォンテーヌ(ez1174)は、北海へ向かう旅の同行者達をぐるりと見渡し、楽しそうな笑みを浮かべた。
 馬が好きと公言して憚らず、自ら手綱を操る公女にとって魅力的な同道者が揃っていたのだ。鍛えられた駿馬や戦闘馬から、冒険者でしか連れ得ない幻獣達まで、壮観ともいうべき顔ぶれ。ペットの手綱はしっかり握っていて頂戴ね、とだけ念を押して、以降は海まで宜しくと告げたフロリゼルの前へ、ネフィリム・フィルス(eb3503)を始め数名の冒険者が進み出る。
「ドレスタットの海戦騎士でもあるところのネフィリムさね、どうぞよろしくさね」
「レンヌ公女のフロリゼルよ。海戦騎士殿ということは、海にはとても詳しそうね」
 面識の有無は気にしていなかった依頼者へ、きちんと名乗りの挨拶をするのは騎士ゆえの礼儀ただしさなのだろう。
 イルニアス・エルトファーム(ea1625)が初対面に礼を欠かない挨拶を述べると、フロリゼルの瞳が瞠られる。
「遠乗りは趣味でもあるので、私もお付き合いしますよ」
 華やかな笑みと共に、丁寧な物腰で一礼する彼の名を、先頃まで王宮の一角で暮らしていたフロリゼルは知っていたらしい。
「ブランシュ騎士団の入団試験を通った方と趣味が一緒で嬉しいわ、道々試験の時の事も聞かせて頂戴ね」
 この1年デビル達の活動は暗躍を越えたものだった。冒険者達は国という鎖をもたず、各国のギルドで共同戦線を敷き、戦い――退けた。亡き恋人の仇たる悪魔を追って幾年も過ごしたイルニアスも、これより後はブランシュ騎士として心持新たに、踏み出す事が決まっている。
 ノルマン王国に剣を捧げる事は、エルフであるイルニアスが過ごす長い生において新たな、そして己を賭けるにナイトとしてふさわしい生き甲斐になればいいと思う。
 イルニアスの相棒である戦闘馬・シャルトラーデにも「よろしくね」と微笑みかけたフロリゼルは、次いで主人である彼を真っ直ぐに見詰め、静かに口を開いた。
「ノルマン王国の白き騎士として、どうぞ陛下を支えてさしあげてね」
「勿論です」
 柔らかな声音の中、強い響きを持って応えられたイルニアスの言葉に、嬉しそうに微笑んだ。
「偶然、うちの子もエトワールと言うんです。とても光栄だわ」
 ユリゼ・ファルアート(ea3502)と共に来た駿馬の名に「素敵な偶然ね」とフロリゼルが微笑み、横面を撫でれば。
「久しぶりだエトワール、リュミエールは元気かい?」
 レオ・シュタイネル(ec5382)が額の星へと手を伸ばし、鼻先を擦り付けるように首を曲げる愛馬の様子に、フロリゼルはくすりと笑う。べろんと温かい舌で顔を舐められ、声を上げるレオの傍らから、すっと姿を見せたのは婚約者であるククノチ(ec0828)だった。
「フロリゼル殿‥‥改めて、ククノチと言う。宜しくお願い申しあげる」
 凛と伸ばされた背筋を折り悠優と礼を取るククノチに合わせ、膝を折り目線を合わせたフロリゼルからは、先の夜会の時は姉を支えてくれてありがとうと改めての礼が伝えられる。「また後でね」と微笑んで、未だ挨拶を交わしていない面々の方へと踵を返した公女の背を見送りながら、ククノチはぽつりと呟いた。
「凛と華のある美しい方だな」
「うん、格好良いよ」
 クロヴィスとイワンケをぽむぽむと撫でるレオは、ククノチに寄り添いながら笑って頷いた。
 初日を見る旅路に婚約者を紹介したのは、ラルフェン・シュスト(ec3546)だった。挨拶と共に小さくお辞儀をするルネ・クライン(ec4004)へフロリゼルは多くを訊ねる事は無かった。彼らからも多くを語らず。けれど、ラルフェンの浮かべる幸せそうな微笑が、何よりもルネとの幸せな現在を雄弁に語っていたから。
 レンジャー仲間であるレオが婚約者と、大好きな兄がやはり大好きなルネと寄りそう様子を、ほんわり微笑を浮かべて見つめていたリュシエンナ・シュスト(ec5115)。肩をぽんと叩かれて振り向けば、フロリゼルが立っていた。
「さあ、それじゃ急ぐ道行きでもなし。ゆっくり行きましょう」
 騎乗の術に慣れていない者も少なくない同道だったが、日限が定められるような急ぐ旅路でもない。慣れぬ者達に負担とならぬように休憩を取りながら、ゆるゆると珍しい一団の海への旅路。月竜を供に道を進むのはフレイア・ケリン(eb2258)の軍馬。フィーネ・オレアリス(eb3529)が乗るグリフォンは、空を翔るに雄大な幻獣。ククノチの伴うキムンカムイの姿もノルマン王国には珍しい。
「‥‥エトワール、そこまで競争しない?」
 クロヴィスに跨るレオに名指しで呼ばれては引けぬのか、一声高く嘶き駆け出す愛馬が駆けるままに走りもすれば、アレーナ・オレアリス(eb3532)の天馬やネフィリムの軍馬と肩を並べて駆けたり、鳳令明(eb3759)の操る魔法の箒に同乗し、馬との違いに感心する程、依頼人たる公女は道中も楽しんでいるようだった。
 単に好きだったり、何かしらの想い入れを海に持つ面々と共に‥‥順調に冬の北海へと至る。
 海より吹く風は冬の鋭さをもって、フレイアらの頬を撫でていくが。
「冒険者が一緒で無ければ見られない光景だったわね」
 フロリゼルは、海辺までの道中を思い返し、楽しそうな笑みを浮かべ、冷たい北の海を見下ろした。


●浜に
 フロリゼルが日の出を見ようと冒険者らを誘った場所は、静かな、水平線が望める浜辺だった。浜として過ごせる空間は広くは無い。北海の岩場に自然の手で作られたところ。近隣に人の気配もなく――かつて北海に起こった異変の影響で、住んでた民は別の土地へ移っていったのだという。それでも時折、潮流が良い時節には糧を得るため訪れる漁師達のために、海へ至る岩場の上には小さな小屋が建っている。
 水場がある小屋に傍らに置かれた水桶をペット達への水飲み場として使い、冒険者らが岩が並ぶ岸壁を背に小さな浜に降り立てば、目の前に押し寄せるのは冷たく暗い水色の北海の海が広がっていた。
「うみだーー!」
 波音に負けないくらいの声で叫びながら、リュシエンナが波打ち際へと駆け出す。転ばぬように注意する兄達の声に振り返り、手をあげる様は彼女らしい。屈託無い様子につられる様に、リーディア・カンツォーネ(ea1225)は、てへと笑みこぼした。
「海好きな私には堪らなすぎる依頼だったので‥‥飛び込んじゃいました」
「海はいい。冬の北海は更に寒いけれど、海の青さと波の音は心に響く。荒れた海も、静かな海も、いい」
「‥‥そうね、私も海と森の国で育ったから、海はとても大切」
 ネフィリムの言葉に頷いて、楽しんでくれる者がいるのなら、誘った甲斐があったとフロリゼルは笑う。 
「海に着いたんだもの、暖をとりましょ。それが人間の自然、なんだもの」
「そうですね〜、私も色々用意してきたんですよっ」
 水を作ったり、火をつけたり‥‥瞬間でお湯を沸かしたりは得意技なユリゼが、ぽむりと手を打ち合わせ、真っ先に一晩浜辺で過ごす為の準備に着手すれば、リーディアも嬉々としてバックパックを探って、ワインや甘酒を取り出す。
「ホットワインに温か甘酒でほっこりしながら日の出を待つのです♪」
「香草茶も入れようかな。フロリゼル様は何がお好みですか?」
 何を淹れ様かうきうきしながらユリゼがヒートハンドで拾い集めた流木に火をつける。フレイアは僅かに首を傾け‥‥豊かな胸の下で組んだ腕を解き、ウィンドレスのスクロールを広げた。
「火が安定するまでは、強い海風は避けた方が良いでしょう?」
「‥‥はい、便利、です」
 強い海風に煽られよろめく仲間達を目の端に捉えたエフェリア・シドリ(ec1862)は小さく頷き、「火、看るのです‥‥」とユリゼの傍らに座り込む。
「茶器が足りんようならあるぞ」
 女性陣が賑やかに用意する場に、尾上彬(eb8664)がひょっこりと顔を出す。イルニアスが、持参した新巻鮭を火で炙ろうと取り出せば、令明は新鮮な魚!と竿を持って海へ翔けていく。
「私は、干肉、根菜類でスープを作るか‥‥リーディア殿はシチューがお好きだったな」
 茶や酒は十分とみてとったククノチが、温かいスープの準備を始める。好みを覚えていてくれた友人にリーディアはほんわりと嬉しそうに笑う。
「お城に入ったら、私もこゆ事は中々できなくなるので‥‥こうして皆さんと過ごせる時を、大切に、噛み締めていきたいです」
「カンツォーネさん、お菓子もどうぞ‥‥です」
 熾された火で、用意してきた菓子を焼いたエフェリアがそっと勧めれば、こうして色々皆の持ち寄った品を楽しむのも旅の醍醐味ですよねと、齧りつく。温かな茶と共に海を眺めれば、心は甘く解れて。だからぽつりと零れた胸の内。
「フロリゼルさんがレンヌに戻られれば、レンヌはより良い所となるのだと思うと、とても安心‥‥。でも‥‥」
 やっぱり寂しくなりますね‥‥と、小さく笑うリーディアに、フロリゼルは微笑みかける。
「いつでも駆けつけるわ、この国を支える貴族の一人として」
「フロリゼルどにょ〜た〜す〜け〜て〜にょ〜‥‥」
「‥‥パリに駆けつける前に、救援要請ですね」
「あらあらあら‥‥かわいいわんこさんを魚のご飯にする訳にはいかないわね」
 くすくすと笑うリーディアに見送られ、フロリゼルが手を伸ばす。ひょいと背を掴み支えられると、令明に掛っていた負荷が消えた。
「大物だな‥‥いや俺は応援だけしているつもりなんだが」
 どうせ食べるのだから手伝いなさいとでも焚き付けられたか、横合いから覗いたロックハート・トキワ(ea2389)に釣竿がバトンタッチされ、令明の苦労の証たる魚が釣り上げられた。


●海焔
 日も暮れ、空には星が瞬く紺藍の空の下、時折ぱちぱちと爆ぜる焚き火を囲み、飽くことなく繰り返される波音を背に、熾された火を囲み過ごす海辺での一時。
 波音を聞き、静かに夜空を見上げながら夜明けを待つ者も入れば、火を中心に語らう為に杯を掲げる者もいる。
 特に炎の側は、少しでもすごし易いように風の影響も無く落ち着いて火を囲み落ち着いた時間。
「冬にょ海で、フロリゼルどにょとパーティーにょ〜」
 釣り上げた魚は、イルニアスが持ってきた新巻き鮭と共に塩で焼かれ、美味しく仲間に振舞われている。ご機嫌な様子で、酒で伸ばし溶かしたチーズを、炙った肉を絡めて食べれば絶品の肴になる。兎餅を焼いて振舞うレオの傍らには、シチューを勧めるククノチが。
「今心にかかってる事なんてどうだ? 普段は立場上言えないが、でも言いたくなる事ってあるだろ?」
 彬にストレートに訊ねられ、フロリゼルは小首を傾げる。
「そうねぇ‥‥ちょーっと言い難い事の1つや2つ、私も一応あるかもしれないわね」
「新しい酒は新しい皮袋にだ♪」
 とくとくと酒を満たした杯を目の高さへ掲げ、にやりと笑う。
「新たな日が昇る前に、古い衣を脱ぐのも悪くないだろ?」
「この際だから言っておかねば‥‥」
 重々しく口を開いたロックハートの様子に、フロリゼルは何事かと首を傾げた。
 ロックハートは姿勢を正し、フロリゼルに対し真っ直ぐに向かう。自然、聞く立場となる側の背筋も延び‥‥。
「‥‥すまん、最初は口だけのお嬢様だと思ってた‥‥」
 一瞬、焚き火の周りに沈黙が落ちる。
 沈黙を破ったのは、半ば吹き出す様に笑い出したフロリゼルだった。
「何を言うのかと思ったわ‥‥!」
 笑いが止まらないフロリゼルを見て、割と真面目に告げたつもりだったロックハートは憮然とした表情になる。何も目じりに涙まで浮かべるほど笑う事だろうか。
 それでもまだ言いたかった事があったので、バックパックの蓋を開けながら再度口を開いた。
「後、見逃したけどドレスを着ていたようで‥‥想像できないから少し楽しみにしてたのにな。今着てみないか?」
「‥‥準備万端、持ってきたの?」
 フロリゼルの笑いは止まったようだが、ユリゼら女性陣の驚きの視線が‥‥ちょっと痛い。半ば冗談でもあったのに、言い辛い状況になっている。
「ここでそんな薄着は幾らなんでも寒いだろう?」
「‥‥ご尤も」
 彬が酒杯を手にからから笑うと、それもそうかと仕舞われる服。
 冗談の類かあるいは本気なのか読み難いロックハートを、面白そうに瞳を眇め眺めたフロリゼルはひらりと繊手を閃かせ、己が胸を指し示す。
「春になったらレンヌに遊びに来て頂戴。ちゃんと連絡をくれれば、ドレスで出迎えてあげるわ」
 事前連絡が必要なあたり、相変わらずの格好で過ごしているのだろう。
「‥‥レンヌは大事な故郷、精霊の恵み豊かな地。父さんも母さんもいて、遠いと思ってた公女さまはとても素敵で、大好きよ。もっと好きになった」
 ゆっくりと、気持ちを噛み締めるように話すユリゼの言葉を、フロリゼルは瞳を緩め見守りながら耳を傾ける。フロリゼルにとっても大切な故郷を『大好き』と語るユリゼの優しい言葉はとても心地よいものだった。
「心配かけさせたくなくて話してない事が沢山在る。すっきりしたら、一度帰ろうって‥‥」
 心の中にある想いを一つ一つ確めるように話す。
「もしその時、そこに居たら‥‥」
 促すように頷かれて、ユリゼは小さく微笑んだ。
「お帰りって言って下さいね?」
「ええ、勿論。ユリゼこそ、父君や母君、そして私に『お帰りなさい』を言わせて頂戴」
 フロリゼルは、心の中にある想いを真っ直ぐに伝えてくれたユリゼをそっと抱きしめ、約束を交わす。
「頑張りすぎて疲れた時は、ちゃんと休んで。どこに行ったとしても、故郷は変わらないから」
 抱きしめられた腕の優しさに、ユリゼは、祈りに似た言葉を告げる。フロリゼルは夜闇にも分るほど、嬉しそうに微笑み、もう1度頷いた。
「‥‥お疲れさん、色々と。あの掴み所の無い兄ちゃん相手に、ホント頑張ったな」
「ありがとう。でも慣れると意外に分り易かったりもするのよ?」
 レオの労いの言葉に、フロリゼルは小さく肩を竦め、笑う。
「これから、どうする?」
 冒険者ギルドを訪れた時は「迷っている」と話していたフロリゼル。
 問われて微笑む顔には未だ迷いがあるように、レオの目には見えた。
「俺達、春待って、それぞれの実家に顔出して‥‥結婚するよ」
 寄り添い座るククノチの手を、握ったまま。レオを見つめるククノチの黒い瞳が柔らかに緩む。
 迷いない真っ直ぐな瞳で告げられた祝事にフロリゼルは柔らかな微笑を浮かべる。
「少しの間、ノルマン離れて‥‥でも戻って来る。キミがレンヌに居てもパリに居ても、必ず、会いに行くよ」
 何処にいても必ず会いに行くと、真っ直ぐな瞳で約すレオに、頷くように微笑み返した。
 困った時は何時でも力になる‥‥と、言ってくれる友人がいる事が、とても幸せだと笑う。
「大好きだよフロリゼル、会えて良かった」
「私もよ、レオ。大切な友人に出会えたから、パリに来て本当に良かった。でも、いつか大好きな友人の大切な場所に、私からも会いに行くから」
 晴れた星空のように澄んだ笑みを浮かべるフロリゼルの顔から曖昧な色は消え。己の言葉が友人の迷いを切る助けになったのなら良いと、レオは寒さに白く染まる息を吐きながら、天上の星を見上げた。


●凍星
「レンヌは森の海だけれど、海は好きかい?」と訊ねれば、「大好きよ」と迷いない答えが返ってきた。公女の即答振りに、にっと口の端を歪める様に笑う。今、ネフィリムの目の前に広がる北海は冷たく荒れる事の多い海だが――同じ海でも地中海は常夏の穏やかで暖かい海らしい。伝聞でしか聞いた事の無い海。
「いつかローマと仲直りしたら見てみたいとは思うのさね」
「仲直り出来る様にしたいものね」
 それは文字通り血肉を賭して戦い続けてきた者達には、『甘い』と断じられる願いなのかもしれない。
 今は未だ公にする事はできないが神聖ローマ王国を故国に持つ妃が立つのだ。いつかを信じて、その為の努力を重ねてみても良いのではないだろうか。国の枠に捉われず、共に手を取り合うことの出来る冒険者ギルドに属する者達をみていると、夢物語ではないと思える。
「海はいい。冬の北海は更に寒いけれど、海の青さと波の音は心に響く。荒れた海も、静かな海も、いい」
 毛皮の敷物の上に寝転がりながらネフィリムが見上げた空には、白砂を振りまいたような見事な星空が広がっていた。
「そういえば、アレーナと一緒に冒険にでるのも久しぶりですね」
 フィーネはアレーナの隣に座り、星空を見上げる。静かにゆっくりと流れていく時間を過ごすのも久しぶりだ。
 冬の海は厳しくも、美しく。冬の空は冷たいけれど、澄み渡っていて星は輝く。
「姉妹の時間を邪魔してしまったかしら?」
「いいえ、アレーナがよくお話をするフロリゼル様とお話しするのも楽しみだったんですよ」
 フロリゼルがからかう様な声音で、手に持った温かい茶の杯を差し出せば、フィーネは微笑んでアレーナとの間をあける。
「何故か懐かしい気がする。戦争もあったし、色々な出会いと別れがあって、でも、きっと、フロリゼル嬢は私の大切な妹のように思えて‥‥聖母様と星星にただ感謝をしたいと思う」
 清々しい香気纏う茶を一口飲んで、アレーナは囁くように零した。
「月下に一指し、冬の海に舞おう。余り上手くはないのだけれど」
 冬の青白い月光の下、水のサーリを身に纏い、つと白い繊手を伸ばす。
 その手に握られた短刀の純白の刀身が、海風に煽られる金の髪が、淡く月光に煌く。
 魔力を秘めたサーリの護りの下、波の上でひらりと舞う姿は妖艶にも、神秘的にも見える‥‥民族的な舞踊ではなく、どこか優美な淑女の踊り。
 聖母と星々に感謝を捧げるように舞うアレーナを、フィーネ共にフロリゼルは静かに見つめていた。
 賑わう輪から少し離れ、夜空を見上げるフレイアの青い瞳には、瞬く星が映される。
 喧騒の世界に住んでいると、こうした夜の静寂が恋しくなることがある。
 だからこそ、暫しの、そして貴い――静寂、今はそれを楽しみむために、月の竜を傍らに侍らせ、月を見上げる。
 朝が来れば、再び喧騒の日常が始まるから。
 ――だから、今だけは。


●告白
 火の周りを離れ、海風が吹き抜ける場所にディアルト・ヘレス(ea2181)はフロリゼルを誘った。
 波が連れてくるように吹く海風が、フロリゼルの髪を攫う。夜闇にも鮮やかに蜂蜜色の髪が揺れる。
「茨の園で話した事を覚えていますか? それを実現するためにこの場に来たのです」
 北海の海とは違う、鮮やかな海の色と同じ蒼い瞳が真っ直ぐに自分に向けられる。その瞳から視線を‥‥想いを逸らす事無く、ディアルトは静かな声音で訊ねた。
「‥‥私と結婚を前提として付き合っていただけますか?」
 彼女の結果を残念だったと思う。
 けれど、ディアルトにとっては、チャンスでもあった。例え、思い届かぬ事になろうとも、今告げなければとならないのだと、この誘いに同行を決めた。
 最初は世間的な立ち位置が己と似ているところが気に掛かって。けれど、フロリゼルに惹かれたのは、自分の境遇に満足せず、自分の道を切り開こうとしている所。不器用だけれども、実直に突き進んでいる様に「自分の嫁にしたい」と決心した自分が居たあの秋。彼女がパリに来た経緯と立場もあって、今まで深く関り踏み込む事は無かったけれど、これから少しずつ互いに理解しあえていけたら良いと、望んで。
 ディアルトの言葉は、まるで彼の想いの強さを表すかのように、波音に満たされた浜辺にあってかき消されることなくフロリゼルへと届けられた。
 貴族の結婚は当事者の関係ないことの方が多いくらいだから、求婚が先になることは別段おかしな事では無い。
「私を妻に望むのならば、父上の眼に叶う事が1番早いと思うけれど‥‥そうではないと貴方はいうのね」
 伏せた瞳をあげて、真っ直ぐにディアルトを見つめるフロリゼルの表情は静かだった。男勝りな公女を口説き落とすより、辣腕家で知られるマーシー1世を相手にする方が難易度は高いようにも思われたが、実際のところは似たようなものかもしれない。
「私は自分よりも弱い男の妻になるのは御免よ‥‥まあ、そこは心配してないけれど」
 ドラゴンスレイヤーの称号を持つテンプルナイトであるディアルトに対し、不敵にも見える微笑を向けて‥‥けれど。
「私は、レンヌに帰ってやりたい事があるの。どうしても確めないといけない事」
 レンヌの公女として生まれ育ったフロリゼルにとって、レンヌの民のために尽くす事が当たり前で。そしてレンヌの領主である父の命令は絶対だった。
 パリに来た理由が無くなった今、フロリゼルがレンヌに帰る事はおかしいことではない。
「それでも私で良いと言うなら、追いかけてきて。私に貴方が好きって思わせて頂戴。貴方の妻になる事を承知できるものを私に頂戴」
 どんな状況であっても常に揺らぐことの無いディアルトの静かな瞳を真っ向から見つめ返し、フロリゼルは華やかな笑みを浮かべ、告げる。
 貴方は、それでも――?
 挑戦的な微笑は、剣を手に道を切り開く事を常としてきた公女に相応しい、父の命令から離れた今だからディアルトに向けられる笑みだった。


●曙光

 ――リィィ‥‥ン‥‥

 星の飾りが彫られたハンドベルから、涼やかな音が響いた。
「‥‥もうすぐ、ひので、です‥‥みんなで、みるのです」
 エフェリアの手の中で鳴らされた涼やかな音が、波音に遮られる事無く不思議と浜辺でこの時を待っていた冒険者達へと届き、其々に水平線を見つめる。
 ネフィリムも毛皮の敷物の上から身を起こし、白く輝く光の線へと目を移す。
「‥‥お、夜が明ける」
 白く滲むように染まり始めた水平線に生まれた光を見つけ、レオが碧瞳を細めれば、夜の闇に慣れた目にまばゆいばかりの新しい光が届く。
 夜闇の中に確かにあった冬の寒さが、日が登る一瞬ごとに張り詰めていく。
「‥‥心が生まれ変わるみたい」
 自然が作り出す荘厳な光景に、リュシエンナはそれだけを言葉にするのがやっと。
「後何回、こう言う空を眺められるのだろうか‥‥」
「‥‥何回でも。眺めてやるって心意気が何より大切よ」
 誰に告げるでもない呟きに返った応えに、ロックハートが瞳を瞠る。フロリゼルは朝陽を見つめたまま。
「‥‥神々の時間だな」
 夜の残滓を貫くような眩い光の中、白い吐息ごと吐き出して、そう評したのは彬。
「陽は万物を遍く照らし、慈しみ、時に裁く。ジャパンじゃ、太陽は厳しくも優しい女神なんだ‥‥フロリゼルと少し重なるかもしれないな、印象が」
 神々しい新しく生まれた白い光に照海鏡をかざし、光を集めて海へと返す彬をみて、ふわりと微笑む。
「恐れ多いわね‥‥ジャパンでは太陽は女性なの、初めて知ったわ‥‥ちょっと意外ね」
「訳もなく‥‥きたくなるな。来て良かった」
 彬がいう時間に相応しい、自然の持つ絶対の理‥‥神秘の風景を見て、ぶわぁっと涙を溢す‥‥情の濃い令明らしい。言葉を尽くすよりも雄弁な感銘を受けた様子に、フロリゼルは膝の上に座る柔らかなまるごとわんこの頭を撫でた。
 優しい手の感触に、令明が振り仰ぐと、海と同じ色の瞳と合う。
「また会えるにょね?」
「ええ、勿論。私は馬派だけれど、令明わんことだったらきっと犬派になれるわね」
 膝の上に座って共に夜明けを見つめていた令明を、まるごとわんこごと抱きしめる。
「‥‥く、苦しいにょ〜」
「ごめんなさい、つい加減が効かなかったわ」
 慌てて解放されたフロリゼルの腕の中から、ふわり跳べば白い白い光の中。
 海と空の間を走った一条の白光はやがて、空海へ滲み出すように淡い黄金色に染まっていく。
 新しい1日の始まりに生まれた陽光を見て、ククノチの白い頬に涙が一雫零れた。
 夜明けを待つ夜‥‥凍て付く様な寒さに、もう帰らないと出てきた故郷が重なった。
 そんな寒さも嫌いではなかった。澄み、張り詰めた空気と静寂。火を囲い踊り身を寄せ合う‥‥温かな。
「レオ殿は‥‥温かい‥‥夜と朝を繋ぐこの陽光の様な」
『愛してる』という大切な言葉を紡ぎ、そっと寄り添えば、優しく肩を抱かれる。言葉より雄弁な愛しい温もりに包まれ、ククノチは静かにレオの胸に顔を埋める。己を包む腕の力強さと優しさに、ククノチは静かに瞼を閉じた。
 新しい太陽の輝きに心震え、知らぬ間に大自然への畏怖からか涙を流していた事を、ルネに指摘されて初めて気付いた。
 頬を拭うルネの指先に、頬に口付けを落とす。くすぐったそうに微笑む彼女が何よりも愛しい。
「命の誕生を目の当たりにする時の様な‥‥畏怖と高揚感によく似ているな」
 そうねと頷きながら、けれどルネは、純粋な喜びを太陽に見出す。
「こうやって皆で一緒に日の出を見られて幸せだわ。この平和がずっとずっと続きますように‥‥」
 うっとりと海の夜明けに見惚れるルネに、ラルフェンは光の中へと誘う。
 天馬の背に導かれたのは、闇と光の溶け合う空‥‥地上とは違う景色の中。
「2人乗りは初めてだけどラルフェンと一緒だから怖くないわ、風も朝日もすごく気持ちいわ‥‥」
(「ラルフェンがずっと幸せで、笑っていられますように‥‥」)
「どうした?」
 心の中で呟いたはずの願いが聞こえたのだろうかと思うタイミングで掛けられた婚約者の気遣う声に、何でもないのだとルネは返す。
「内緒よ♪」
「パリに辿り着いた時‥‥俺には何らの望みもなかった。けれど今は沢山あるんだ。君と共に一つずつ叶えていきたい‥そんな望みがね」
 恋人にだけ伝えたい言葉は、願いや決意。未来への想いや誠心の愛。
 真白い光に洗われて、心を新たに‥‥いつまでも。
 羊皮紙に、エフェリアが美麗の絵筆を走らせる。彼女の目を通した日の出が描かれていく。
 それはエフェリアだけの日の出で、大切な思い出。
「‥‥今年もきっと良いことあるのです」


●始まり
 曙光を共に眺める約束は、日が昇ってしまえば終わりを迎える。
 始まれば終わる。けれど、終わりは次の始まりを迎える機。
「それでも、この時は意味があって、この空は遠く離れた異国にも通じている。出会いに感謝し、暫しの別れを惜しみましょう。再会を信じて」
 冒険者ギルドでの巡り合わせ、縁に結び優艶と微笑むフレイアにフロリゼルは「是非」と笑う。最後は笑顔でと決めていたフィーネも、礼を告げながら微笑んだ。
「また会いましょう」
「‥‥約束ね。それじゃ私の大好きなパリの姉上と一緒に、必ず」
 ふわり柔らかな笑みを浮かべ『また』と告げると、フロリゼルは『必ず』と約束を乞う。
 勿論と頷くと、嬉しそうに微笑んだ。そんな彼女を慈しむようにアレーナは優しく抱きしめる。
「貴女が選んだ道ならば私が多くは言うことはないけれど、許されるのならば、パリに遊びに来てほしい」
 優しい温もりにフロリゼルも抱き返し、頬を合わせて、感謝を伝える。
「そうね、私もパリではたくさん出会いがあったわ。巡り合わせに感謝してるのは一緒よ。‥‥貴女が聖母様と星々に感謝するように、私は白薔薇に感謝するわ。妹の所にも遊びにきて頂戴ね」
 パリとレンヌで再会を約し、抱擁を解いたフロリゼルの元へ、おずおずと歩み寄ったのはリュシエンナだった。
「フロリゼル様、握手、して頂けますか?」
 リュシエンナが、はにかみながら手を差し出すと、ふわりと微笑み、その手を握り返す。
「楽しみにしてます。またこうして‥‥誘って貰えるの」
「私も楽しみにしているわ。またこうして一緒に過ごせる時間を」
 リュシエンナが握手を交わしたフロリゼルの手は、姫君というよりも、剣を持つ硬い騎士の手。自分や公女がどこへゆこうとも‥‥再会を願い、応援や親愛の気持ちこめたリュシエンナの手の温もりを受け取って、フロリゼルは笑って――手を離した。
「貴女も頑張って‥‥そして兄上君のように貴女だけの素敵な方を見つけたら、一緒にレンヌへ遊びにきて頂戴」

 海から生まれた陽光の下、交わされた約束は幾つも。
 遠い昔から繰り返される自然のままに、約束を果たすために、明日を迎えるための努力を常に。