花咲ける庭で 〜赤と、藍と

■イベントシナリオ


担当:姜飛葉

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:4

参加人数:10人

サポート参加人数:-人

冒険期間:01月19日〜01月19日

リプレイ公開日:2010年02月21日

●オープニング

 冬空に多い、暗く重い灰雲から覗く陽光は‥‥けれど、闇き色から注ぐからこそ、天空へ至る階のように壮麗に輝いてみえた。
 うつくしい日差しを受けて、貴重な色硝子を贅沢に使って描かれた美しい紋様を浮かべるステンドグラスが、淡い薔薇色の花崗岩で作られた優美な温室をやわらかく暖かに染め上げる。
 季節を問わず花が咲き誇る庭には、流れるように香る花の薫りが溢れていた。
 常春の庭で、過ごすひとときを。


●藍
「流石に祝賀の席には戻ってくるが。中央以上に地方が気になるからな、本来の役目に戻るとする」
 年の瀬から新年に掛けての警衛の任の申し送りを終えたところで、取り立てて前置きもなくブランシュ騎士団<藍>分隊長・オベルが告げた。遅かれ早かれそうなるであろう事を理解していたのだろう、分隊員達はみな特に異を唱える事もなく分隊長の言葉をさらりと受け入れる。聖夜祭から新年の祝賀対応とは違った忙しい日々が始まり、交代で休暇を取った後、揃ってパリから出立する事になる。
「そういえば、分隊長はご領地に戻られないのですか?」
「パリの屋敷で予定があってな‥‥今回の休暇では難しいだろうな。まあ問題はないだろう」
「予定、ですか?」
 訊ねたエドモンが首を傾げる。分隊員達にとっては急に決まった休暇だが、オベルとてそう変わりはないはず。それが既に『予定が決まっている』とは‥‥?
 オベルは正直に顔に出ている部下の表情に、ほんの僅か眉間に皺を寄せる。書類の束を執務机に投げ置きながら嘆息をついた。
 昨年、オベルが幾人かの分隊長を招いて私的な茶の席を設けた話がギュスターヴの耳に入ったらしい。長年の目標であり、生きがいでもあったウィリアム3世の妃問題が一段落した今、目下のターゲットは団長以下ブランシュ騎士団の分隊長達になるのは、王宮の侍童でもわかることだった。
 国事でもなければ、各分隊の長が幾人も一所へ集まる機会はそうそうないのが実情だ。その滅多に無い機会に居合わせる事が出来なかった不運を嘆くギュスターヴの声が、遠巻きにオベルの耳に入ってきたため(確実に入るように嘆いてまわっていたという話もある)、茶の席を設ける事になったのだという。
「陛下の件で世話になった人々を招いてねぎらいの茶席を開く‥‥というのが本来の趣旨だったんだがな」
「おー、開いとけ開いとけ。頑張ってホストの大任を果たして来い」
 巡回の任に戻るにあたり、諸雑務が増える事になった副長代理役のヴィルフォールが投げやりに煽る。
「良いんじゃないでしょうか。冒険者殿らには随分色々とお世話になりましたしね」
 エドモンは、自分も無論手伝いますから、と‥‥流石に入隊以来常に接している先輩を立てる事を忘れない。どこか困ったような笑顔で宥める。実際、巡回中のほうが問題は多いはずだが、行動にでてしまえば流れや勢いで何とかなる事も多い。走り出すまでが大変なのが、藍分隊なのかもしれない。
 良くも悪くも纏め役の色が出るのかもしれないな‥‥と、内心納得しながら、オベルは「言われなくとも果たしてくる」と小さく笑って請け負った。
 ステンドグラスの見事なバラ園を披露するに1番良い時間を‥‥と、建前をもうけてはみたが、露骨な見合いの場に仕立てられないように昼の席にした真意は、ギュスターヴには感知されているだろう。
「‥‥まあ、ギュスターヴ殿をお迎えできるとなれば、屋敷の者達の励みにもなるだろうしな」
 主人が不在がちにも関わらず、屋敷が荒れることがないのは、先代から長らく仕えてくれている忠誠心の厚い使用人達が多いからだろう。それも長い戦乱期を共に乗り越えてきた者ばかり。じきに戦の影を知らぬ使用人も出てくるだろうが‥‥そんな存在が生まれるように、自分達王国の騎士も努カを重ねなければならない。
「久方ぶりにジャパン風の茶の席も懐かしかろうが、王道的にイギリスの茶会の用意とすべきか‥‥さて」
 大貴族に属する身とはいえ復興戦争を経験してきたオベルに限らず、戦争を乗り越えてきた騎士達は大抵身の回りのことは一人で賄える。亡国の身となった貴族など養ってくれる人も財もないに等しい。常に世話を焼いてくれる従卒を連れ歩くわけにもいかない。
 その時に身につけた小技も幾つかあるにはあるが。ギュスターヴに叱りを受けない程度で、冒険者達と過ごすためには‥‥と、考える時間を作る為にも、準備の差配をすすめる為にもと、オベルは執務机の書類の山へと向かい始めた。

●今回の参加者

リーディア・カンツォーネ(ea1225)/ イルニアス・エルトファーム(ea1625)/ ロックハート・トキワ(ea2389)/ ユリゼ・ファルアート(ea3502)/ エーディット・ブラウン(eb1460)/ フィーネ・オレアリス(eb3529)/ リディエール・アンティロープ(eb5977)/ サクラ・フリューゲル(eb8317)/ レリアンナ・エトリゾーレ(ec4988)/ 桂木 涼花(ec6207

●リプレイ本文

●常春の庭
「オベルさんのお茶、初めて頂くので楽しみです〜♪ ゾウガメも毛布を被ってワクワク顔ですよ〜♪」
 エーディット・ブラウン(eb1460)の薔薇色の瞳が期待に染まる。目の前にある扉を開けば、瞳と同じ色や名をもつ花が咲き誇る、常春の温室が広がっているはずだ。うきうきと繊細な細工の施された扉の握りを掴む。足元にいるゾウガメも、甲羅に被った毛布の隙間から顔を覗かせ扉の向こう側を伺うように首を伸ばす。
 屋敷を預かる年老いた執事は、ノルマンの冒険者酒場の名物にもなっている亀の、珍妙にも可愛らしい様子に瞳を細めつつ、エーディットが掴む握りとは逆の扉のものを掴み‥‥穏やかな笑みと共に扉を押し開いた。
 重厚な音を伴って開かれてゆく扉から、幾筋の光が零れ出る。
 果たして――冒険者らの目の前に広がる茶会の主人自慢の庭は、外が寒風吹き抜ける冬であることを忘れさせる光景だった。
「もう2年も前になるのですね」
 そこここで感嘆の声が上がる中、かつて国王を招いた茶会の席へ同席していたフィーネ・オレアリス(eb3529)は懐かしさに瞳を和ませた。贅沢に使われた色硝子が描くステンドグラス越しの光に照らされた温室は記憶にあるものと変わらず美しい。
 庭を彩る花々は、四季咲きのバラを中心に、色とりどりの花が盛りを迎え、艶やかさを競うように咲き誇っていた。
 とても贅沢な光景は、けれど決して華美な絢爛を誇る訳ではなく。
 まるで主人の意を汲むように、温かに庭を訪れた客人達を迎え、咲いていた。


●花咲ける庭で
「ああ、本当に温かい‥‥春みたい。コートの下、春のドレスを着て来て良かったな」
 温室の世話人に外套を預け、春色に染まった陽光を透かし見るように瞳を細める。ユリゼ・ファルアート(ea3502)が深緑色の外套の下に纏っていたのは、若草色の萌える緑と白を基調にしたシンプルなデザインのドレスだ。
「我が庭へようこそ」
 丁寧な物腰で冒険者らを出迎えたのは、温室の持ち主であるオベル・カルクラフト(ez0204)だった。ブランシュ騎士団での姿とは異なる装いが新鮮に見えて、ユリゼはくすりと笑み零す。
「オベル様、お招きありがとうございます」
 軽くスカートの裾を摘んで一礼してみせると、傍らにいたサクラ・フリューゲル(eb8317)が瞳を瞬かせた。
「ふふ。サクラ驚いた? 私もこれ位はするのよ? 一応ね」
「普段の装いも貴女らしいが、今日のドレスもよくお似合いだ。そちらのご友人は初めてお目にかかるだろうか?」
 乙女達の王子様として凛々しい姿も、妙齢の女性としての姿もユリゼらしいとさらりと告げ、オベルはサクラへ視線を移す。
「オベル様にはお初でしたね。初めまして‥‥歌姫を夢見る吟遊詩人にして白の神聖騎士、サクラ・フリューゲルですわ。どうぞよしなに‥‥」
 目が合うと、サクラは邪気の無い笑みを浮かべ、折り目正しい騎士の礼を取り。先日、灰分隊にて行われたブランシュ騎士団登用試験で合格を果たしたイルニアス・エルトファーム(ea1625)も、優美な仕草で挨拶を述べる。配属は決まっていないが、直属ではなくとも、先輩となる方々へ御挨拶をと思ってこの席に参加した旨を告げれば、既に温室に設えられた席に着いていた人物を紹介された。
 席についていたのは3人。ブランシュ騎士団赤分隊を束ねるギュスターヴ・オーレリー。そして、社交界では変わり者で知られるギース伯爵とその傍らに在る事の多いシフールの少女・シェラ。
「お見合いじいじいの手先として頑張ってたから、私達もお呼ばれしたんだ」
 本人を目の前にして、にこやかに『お見合い爺』の呼称を使い「よろしくー」と冒険者達へ手を振るギースを、親しみを込めて赤様と呼ばれているギュスターヴは渋い顔で眺めている。
「‥‥ギース、お前もいい加減、落ち着いたらどうだ?」
「いやだなぁ、復興戦争で頑張ったご褒美に隠居生活中な私は絶賛落ち着いていますよ」
 赤様にぎろりと睨まれても、ギースは何処吹く風で笑っている。
「わたくし、レリアンナ・エトリゾーレと申しますわ。この度はこのような席を、ありがとうございますわ。薔薇の園を見ておりますと、あの日の事を‥‥こほん、いえ」
「レンヌ公の薔薇園も見事だと評判は伝え聞く。我が庭は如何かな? かの庭とは趣が異なると思うのだが」
 遠い目の理由を、こほんと咳払い一つで吹き飛ばすレリアンナ・エトリゾーレ(ec4988)。
 彼女には無事に何事も無くお茶の席に着けるという事が、とても幸せな事だった。気持ちをそのまま伝えると、マーシー1世の作り上げた庭園迷宮のことは聞き及んでいるのだろう。「心安くゆっくり過ごして欲しい」と迎えられた。
「バラ園、一度来て見たいと思ってたので、とてもワクワクしてます♪ デバガ‥‥お茶会が楽しみです」
 お茶会に参加する決心をさせた本当の目的がうっかり駄々漏れてしまいそうになったリーディア・カンツォーネ(ea1225)が、口元を手で覆う。誤魔化すように微笑を浮かべたリーディアの本当の目的を知っているシェラが、彼女へ向けて満面の笑顔で手を振っている。
「お世話になった方にお礼がいいたくて参りました。出会いに感謝して、今は暫しの安らぎが貴方にあらんことを願って」
 優しい温かな笑みを浮かべるフィーネにこそ礼をと、茶会の主は、温室に設えられた茶の席へとゲストらを迎え入れた。


●お茶の時間 〜赤と
 やわらかく芳醇な茶の薫香が漂う和やかな時間。
 テーブルの上には、屋敷の料理人が腕を振るったという菓子や、エーディットが差し入れた品が並び。イルニアスが持参した迷茶は、その効果の程を知っている冒険者の一人にすみやかに隠されていたりもしたのだが。茶席の主であるオベルが選び合わせた茶葉が、冒険者達に合わせて振舞われれば、ギュスターヴからは「自ら取り仕切るような真似などせず、早くティーパーティに相応しい主人を迎えよ」とちくりと刺されている。
 隙あらば妻帯を促し結婚を勧められる事には慣れているのだろう。それとなく聞き流しているようにしか見えないオベルとギュスターヴの遣り取りに、桂木涼花(ec6207)がくすりと笑う。
「依頼や茶会でご一緒し、陛下と国を想うお心に打たれまして」
 ギュスターヴ赤分隊長こと赤様と、こうして茶を囲む事ができるのが嬉しいと微笑む涼花に釣られるように、赤様は好々爺然とした笑みを浮かべ、常よりも饒舌に求める話題について語る。けれど赤様の言葉が詰った話題が1つだけ。
「奥方様のお話なども是非お聞きしたく」
 赤様を初めとする民達の長年の願いであった国王の結婚に際し、仲睦まじいといわれる奥方について涼花が訊ねると、ギュスターヴは僅かに瞳を瞠る。女性陣の期待に満ちた視線に圧されるように、カップを手に取り茶を口に含んだ。
「‥‥私には勿体無いくらいの良妻だ」
「ギュスターヴ殿は初恋を実らせてのご結婚だそうだよ?」
 茶化すようなギースの合の手に赤様が咽せ、女性陣からは歓声があがる。珍しく困った風情の赤様に助け手を出し、イルニアスが復興戦争を最前線で戦い続けてきた方の話を是非にと請えば、尽きる事の無い昔語りはいつしか年経た者の愚痴にすり替わっていた。
「‥‥いやいや、幼き頃に聞いたばあやの説教に比べればこれくらい‥‥」
「何だ?」
「いえ、何でもございません」
 相槌の代わりにうっかり心の声が駄々もれてしまったイルニアスは、視線を向ける赤様へ微笑みを返し。これも試練と覚悟を完了した彼の笑顔は清々しい。涼花もまた、止まらぬ愚痴に、内心爺様とはこんな感じかしら、と微笑ましく笑顔で耳を傾けている。
 そもそもそれを冒険者達へ依頼していた茶会の主はといえば、庭園に幾つか置かれているテーブルを巡り差配することを理由に、赤様がいるテーブルからは離れ気味で。自然、ギュスターヴの話を聞く心つもりで来た冒険者達で囲む形になっていた。
 最大の悩みであったと同時に、生き甲斐でもあった王の妃探しに決着がついたこと。
 赤様にとってとても喜ばしい事ではあったが、あまりにも長い間、気力も時間も注ぎ込んで尽力し続けてきたために、その心には安堵と共にどこかぽっかりと穴があいてしまったような、空虚感があった。
 990年以前の任はまっとう出来ず、本来は後進に道を譲るべきところだったが、同輩達が許してくれずで、再度分隊長の任を務めることとなった復興戦争直後。
 それから15年。幼かった王は立派(?)に成人し、漸く妃を迎えることとなり、ブランシュ騎士団も若い世代が育ってきた。今度こそ、老いたものは若き騎士達に後進を譲るべきか‥‥。
 遠い目で昔を懐かしむように語る赤様に、このたびめでたく王妃となる事が決まったリーディアが「いいえ」と首を振る。
「まだまだ赤様には若い私達へのご指導をお願いしたいです」
「そうですとも。それに、ここ最近はご結婚されますとのお話も多いようですわね。陛下様もご成婚をなされますとかで、苦しき時も続きましたが、それを乗り越えまして、良き事も多くなり、何よりですわ」
 リーディアの求めに鷹揚に頷きながら、レリエンナが微笑み、甲斐もないと幾分気落ちした様子の赤様の生き甲斐たる『お見合いセッティング』をつついてみる。
「わたくしは残念ながら、そういった縁がないのですけれど」
「私も‥‥はねかえりの放浪娘では、ご縁がそうある筈もなく」
『結婚』という言葉に、ふ‥‥と遠い目になりながらレリエンナに頷くのは涼花。
「素敵な殿方がいらしたら、ご紹介頂けませんか?」
 半分冗談、半分は本気で口にした『お願い』に、お見合い爺の瞳がきらりと光った。
 ‥‥ように見えたのは、涼花の気のせいではないらしい。
「藍の方はとても真面目で、自分の事より人の事な方のように見えますので、何かと気負ってしまう事も多いのではという心配があるのですよね‥‥。そんな時、どかーんと背中を蹴っ飛ばす位の気概ある方がよいのではと思うのですが‥‥そして涼花さんは目下お相手募集中」
 すかさずにこやかにリーディアが推したのは、この場の主たるオベルだった。独身分隊長は他にも緑や紫の方がいたりするのだが、まずは手近な対象にターゲットを絞ったらしい。さすが国王を射止めた聖女の打つ手は着実で素早い。
「‥‥という訳なんです赤様」
「おお、確かに。奴の家格は王家に次ぐ大貴族で身分は確か。多少、朴念仁のきらいはあるが、部下からは慕われておるし人柄については保障しよう」
「え? ええ?」
 問題点はあとまわし。お見合いにおいてセールスポイントを並べ上げ、まずは売り込むことが先決と指折り美点を数え始めた赤様。まさか行き成りそんな流れになるとは思っていなかった涼花が戸惑う間にも、リーディアと赤様の作戦は練り上げられていく。
 イルニアスとレリエンナはといえばゆるりとカップを傾けながら、見守っていた。分隊長達が見合いの席に着いてしまったら最後と、赤様と顔を合わせる前に全力で逃亡を図る理由が垣間見えた気がした。


●お茶の時間 〜藍と
 バラ園に設えられたテーブルは、繊細なレースの縁取りで飾られたクロスが広げられた洋卓子。
 素材の樹色を活かした淡いクリーム色の椅子は、精緻な細工が施され、華美ではないが贅沢な調度が揃えられている。
 その空間に異彩を放つ卓が1つだけ置かれていた。
「レンジャーだって卓袱台で戦える」
「‥‥何と戦うんですか?」
 持ち主の宣言に、リディエール・アンティロープ(eb5977)が静かに訊ねると。
「主に世間の目と」
「やっぱり面白い子だね、キミは」
 ギースは愉快そうにロックハート・トキワ(ea2389)の前にある卓袱台を見て微笑む。招かれた席で無ければ声を上げて笑っていたことだろう。
「重荷にしかなってない、とか言うな」
「言いはしないが、ジャパンの茶も用意した方が良かったか?」
 ギースのように笑いを堪えるような仕草も無いが、オベルは真摯な眼差しで卓袱台を眺め、次いで茶器へと視線を移す。
「お茶、マッチャは凄く苦いって聞きましたけど、緑茶は緑の香りがするって‥‥でしょ サクラ?」
「ええ、リゼのいう通りです」
「茶道だったか‥‥個人的に興味があったが、生憎学ぶ機会が得られなかったのが残念だったな」
 オベルがジャパンで短くは無い時間を過ごした理由は貴族の子弟の遊行でも留学でもない。そのような事が許される情勢ではなかった厳しい時代。ノルマン王国の復興時期には要職に就いていたために、その後も機会はないまま今に至る。この先に学ぶ機会を得たいものだというオベルに、フィーネが小さく首を傾け、艶やかな笑みを浮かべる。
「でも、こうしてお茶を楽しむ事ができるのは、この国が落ち着いた証です。出会いに感謝し、今は暫しの安らぎがあらんことを‥‥」
 願いの言葉を歌うように囁けば、オベルも小さく笑み頷いた。
「ところでオベルさんは、ご結婚はまだなのですか〜? 次の結婚執行は誰なのか、興味深々です〜♪」
 勧められたお茶菓子を食べ、お茶を一口飲んだところで、エーディットがにこやかに訊ねる。
 足元では、彼女の相伴に預かったゾウガメが、もぐもぐとお茶菓子を頬張っている。
「次はラルフ殿にだろうな」
「でも、オベル様はご結婚など予定がないのですか? カッコイイですし、実はどなたかいるのではないでしょうか? なんて‥‥」
「生憎褒められても、茶か花くらいしか返せぬが」
 サクラがずばり訊ねると、困ったように微笑む。
「全く無いのか? 藍を纏い愛に生きるとか、様になるぞ?」
 ロックハートにも重ねて問われ、やがてオベルは小さく息を吐いた。
「今の所はない。それよりその若さで、そのセンスはどうかと思う」
「‥‥爺やは嘆かわしい限りであります‥‥」
 ギュスターヴの声色を真似て、よよよ‥‥と目頭を抑えてみせると、露骨にオベルの眉間に皺が寄る。
「ギュスターヴ様も気苦労が絶えませんわね」
 隣りのテーブルの赤様の愚痴が聞こえてきそうで、サクラはくすくす笑いながらお茶を飲んでいる。
「‥‥結婚をしないつもりではないのだが」
「前に、お好みの女性は明るく快活な方って聞きましたけど、どうですか、今は」
 ギュスターヴの会話の相手を頼み安心していたため、冒険者に追及される事になるとは思っていなかったようだ。眉間に刻まれた皺は消えず。さりとて憮然とした表情を表に出す事も出来ずに瞳を伏せたオベルを見て、ユリゼが悪戯っぽく微笑む。
「ふふ。素敵なお嬢さん達が揃ってるから、改めて聞いてみてもいいかなって」
「私も聞いてみたいです。折角陛下が結婚されるという事ですので、好きな女性のタイプとか、過去の恋愛の事情あたりを」
 フィーネにまで問われ、困ったように小さく息を吐く。
「聞いても面白い事は何も無いが‥‥」
「隠すほどの過去もないだろう?」
「ご存知なんですか?」
 話題にひょいと入り込んできたのはギース伯。サクラが訊ねると、先程から口を開かないオベルとは違って、ギースはさらりと頷いた。
「知ってるよ、昔は同僚だったからね」
「ブランシュ騎士団!?」
 驚くロックハートに、敬っていいよとひらひらと手を振り笑っている。
「生意気もいいとこでねー‥‥やんちゃで大変だったんだよ、ほんと」
「‥‥意外かも知れません」
 見交わす女性陣から零れた感想。ロックハートとリディエールは、ギースの話をどこまで信じて良いものやら訝しげな表情で視線を交わしている。
「‥‥伯」
「猪突猛進とはよく言ったもんだよ、本当に前線に突っ込んでくの大好きだったよね。ヴァレリーと二人、問題児ったら無かったなぁ」
 オベルが一言諌めたものの、ギースの口は止まらない。
 もう止まらないと判断したのか、それ以上口を挟まず、茶を振舞うことに徹し始めたオベルを見上げるリディエールの視線は心配げ。
 不思議な空気が流れるのを気にする事無くギースが語った藍分隊の発足時の話は、冒険者達には初めて披露されるものだった。隊を纏めるオベルの口数が少ないのだから、発足から短くは無い時間が流れた今では、確かに珍しい話になる。
 藍分隊の前身といえる隊を飾る色は薄紅色――桃(ローズ)分隊を束ねていたのは、エルフの女性騎士。復興戦争終結も間近に迫った頃、激戦区での戦いで分隊長を始め多くが戦死し、隊としては壊滅状態になった。国を取り戻すための戦争、激しい戦も仲間の死も珍しくない時代だった。その後、まだ若いこと、王家と縁戚関係にある出自への邪なやっかみなど少なくはなかった就任への反対を、それ以上の戦功によりねじ伏せ分隊長に就いたオベルが、藍分隊として建て直し今に至る。
「初恋っていったら、隊長にだろう?」
「‥‥違います、騎士として尊敬申し上げていたが、そのような事はありません。ご自身のことを勝手にわが身に反映しないで頂きたい」
 表情にこそ出していないが、オベルの声の響きは憮然としている。
「えー、じゃ初恋はいつだったの?」
「この場では申し上げかねる」
 ギースの追及をざっくりと斬り捨てたオベルをみて、フィーネはやわらかな笑みを浮かべる。
「私も結婚してから、少し変わったかなって思います。恋や愛に対して余裕がもてるようになったような、ないような」
 僅かに染まった頬を押さえながら、「だから、きっと大丈夫です」と微笑む。
「初恋の思い出もあって、ご結婚をされないわけではないんですから」
「そうね、この国が落ち着けば、きっと素敵な縁が繋げるんじゃないかしら」
 「ねー」と微笑み交わすユリゼとサクラの様子に、オベルは愁眉を解いて、カップに新たな茶を注ぐのだった。


●変わり者の伯爵と
「去年はお世話になりました〜。今年もよろしくお願いしますね〜♪」
 オベルへ追求を諦めたギースは、改めて掛けられたエーディットの挨拶に「こちらこそ」と嬉しそうに笑みを浮かべる。
 エーディットと同じくギースに縁在るロックハートは、挨拶もそこそこに先日ギースから贈られた宝石についての陳情を訴える。
「宝石を貰ったは良いが‥‥持ち運び難い。加工も考えたが縁の証として貰った物だし‥‥とか考えて。でも矢張り身に着けていたい。‥‥如何してくれる!」
「はっはっは、大事にして貰えているようで贈り主としても何よりだねぇ」
 ロックハートが挙げる苦情の数を指折り数えていたシェラが小首を傾げる。
「ロックハートちゃんは、ギースちゃんに抗議してるんだよね?」
「身に着けるに不便だという苦情だから、身につけたいと思って貰えるほどには大事にしてもらえているのだろう?」
 抗議なんて言葉をよく知っていたねと、褒めるようにシェラの頭を撫でる。
 ギースの手の下で、まだ「?」を大量生産しているシェラを見て、ロックハートは話題を変えるように訊ねた。
「そう言えば、あんたは恋人とかいるのか?」
「えっと‥‥いないよ?」
「あぁ、知ってて聞いてみたっ」
 さらりと返された言葉にシェラは「ロックハートちゃんは、意地悪だー!」とぽかぽか肩を叩く。
 だがしかし、流石は今世紀最強のレンジャー。シフールの小さな拳で叩かれても、ロックハートには全くダメージにならないらしい。
 目の前で繰り広げられる微笑ましい遣り取りに、くすと笑みを零すリディエール。暖かな光が白いテーブルクロスの上で揺れる中、彼がギースへ告げたのは結婚報告だった。
「仲間の力添えあって、先日彼女と挙式してきました」
 水の様に穏やかな声音で語られた『彼女』が、かつて彼が話してくれた女性である事を理解したギースはカップを手にしたまま、ゆるく微笑みを浮かべた。
「これから沢山の苦難があるでしょうけれど‥‥二人力を合わせて乗り越えていくつもりです」
 だろうね‥‥と頷いたギースの笑みには幾分苦い色が混じる。
 けれど、一人でなく二人共に生きて行けるのならば、乗り越えていけるはず。
「‥‥おめでとう、と、心からの祝福を」
「いつか、彼女とも会ってやって下さい。何か面白い話が聞けるかもしれません」
「ご紹介頂ける機会を楽しみにしているよ」
 眩しそうにリディエールの笑顔を見つめるギースの横顔を見つめ、エーディットが首を傾げた。
「そういえばギースさんって既婚でしたっけ〜? 実生活のお話を聞いた事が無いですよね〜」
「残念というべきか、幸いというべきか未だに独身貴族を謳歌しているよ。私の実生活については聞いてくれるなら幾らでもお話するけれど?」
 行儀悪く軽く肩を竦めるギース。社交界で渾名される変境拍は伊達ではなく、貴族のご令嬢方に敬遠されがちなようで。「エーディット君はどうなのかな?」とギースが水を向けると、鮮やかな赤い瞳を緩めおっとりと微笑む。
「私は〜‥‥秘密です〜♪」
「おや、残念」
 ほんわりと微笑むエーディットの笑みを楽しそうに見つめるギースを、ゾウガメがのそりと首を伸ばし見上げていた。


●過去から未来へ
 日頃、自ら茶をふるまう事が多いため、供される茶を頂くだけという時間も面白いとカップを傾ける‥‥そんなリディエールの傍らに座していたロックハートが静かに口を開いた。
「‥‥開いた『穴』は埋まりそうか?」
 穏やかな春の午後を思わせる、温室で過ごす茶の時間に相応しくない問いかけだと思うから、ただ一言だけ。
 たった一言にロックハートの気遣いが垣間見え、リディエールは小さく微笑んだ。
「先日のブランシュ合同試験、実は藍分隊に行きたくて受けたのです」
 穏やかな声音で告げられた言葉に、藍分隊長の瞳が細められる。
「結局不合格でしたけれど‥‥騎士にならずとも、別の形で手伝える事もあるかと思って。もう少し、冒険者でいるつもりです。何かありましたらいつでもお呼び下さいませね」
 緩やかに流れる水のように、荒げた波はないけれど、揺れのない真っ直ぐな言葉。
 二人から向けられた言葉を聞いて、オベルは苦笑に似た微笑を浮かべる。
「我が隊は王都・パリには、ほぼいないも同じ‥‥一所への逗留もままならぬ任が役目。‥‥騎士らしい華々しい功から遠い隊を希望するとは」
 国土が豊かであるよう目を配り、民の声を聞くための耳となり、国の隅々まで王の治世が行き届くように、巡るのが藍分隊の役目。王国の騎士としては必要な役目であり、名誉な任とオベルは思っている。だからこそ、藍分隊を目指したいと言っていた少年が、胸を張って目標だと誇れるような騎士であり続けたいと思うと、オベルにしては珍しい柔らかな微笑とともに語った。
「それに‥‥ノルマンと言う名を冠する大地に立つ一樹が倒れ、土壌に穴が生まれたとしても‥‥周りに立つ木々が根を伸ばし、土が崩れぬよう支えれば良い。‥‥倒れる前に、種を蒔いていたようだしな」
 だからこそ――今は未だ、埋まらずとも構わない、という。
「騎士ではできぬ事もある。その時はまた‥‥」
「‥‥いつなりと」
 生真面目な顔で告げられた言葉が、オベルらしいとリディエールは微笑みながら、小さく頷いた。


●光は満ちる、人々へ
「常春の庭に、恋の花は咲く‥‥でしょうか?」
「咲くと良いですよねー?」
 互いに恋の花を咲かせた者同士、恋の芽吹きを待つ友人の行く末をそっと見守り覗く先。当人こそがこんな事になるとは思っていなかっただろう。
 赤様に紹介される形で涼花は、オベルの前へ立つと、覚悟を決めて口を開いた。
「初めて、近くお目に掛りますが‥‥精錬で涼やかなお人柄とお見受け致しました。体の利く限り刀の手放せぬがさつ者なれど、こうしてお会いできたのも何かのご縁。宜しければ、お付き合いの程、ご検討頂けませんでしょうか?」
 内心の不安を押し込め、女は度胸と腹を括った涼花は、にこ‥‥と笑顔を浮かべ気持ちを告げる。
 けれど、オベルからは答えが返らず。他の参加者達も息をひそめるように二人の様子を見守っているため、常春の庭に不自然な沈黙が満ちる。
 思いがけず生まれた沈黙に居た堪れなくなった涼花が、そっと見上げたオベルの静かな深い青い瞳は揺らがず、静かなままだったけれど。
 とても長い時間に思える数拍の後‥‥
「貴女の見立てが正しいか私には分らないが、お互いの事をもう少し知るところから‥‥では、どうだろうか?」
 藍色の瞳を和らげ、オベルは椅子を引いて、涼花へ勧めた。その顔に柔らかな微笑を見つけ、涼花はほっと安堵の息を零す。
 オベルが涼花へと選んだ茶葉は、ジャパンの緑茶に似た爽やかな香気を纏う、甘く豊かな味わいの茶。
 ノルマン王国を治める若き王に、恋の花が開いたように。
 いずれ白い騎士達の下へ恋の花が咲くことも――あるかもしれない。
 デビルの影を払った世界に満ちる光があれば。