●リプレイ本文
●冬でも咲く願いの花
「お久しぶりです、クラリッサさん」
「よくいらしてくださいました。ようこそ、マントの祝祭へ」
穏やかなフィーネ・オレアリス(eb3529)の挨拶に、クラリッサは嬉しそうに微笑んだ。久しぶりに会う姫領主に再会を喜ぶ抱擁を送れば、嬉しそうに抱きしめ返される。クラリッサが浮かべる笑顔が、柔らかくなった事が、フィーネにはとても嬉しいことだった。
「細工を趣味としているものですから」と参加を告げたイルニアス・エルトファーム(ea1625)を職人達は嬉しそう迎えた。
「マントの細工・工芸品に興味がありまして‥‥とはいえ、それはまた別ですね」
「えらい騎士さまに興味を持って頂けるのは嬉しい事です。銀細工はまた別ですが、蝋細工も今色々取り組んでいますから‥‥どうぞこの機会に、触れていって下さいまし」
「キャンドル作り、してみたいのです」
勿論好きな花灯を作って下さいと、蝋細工を扱う職人がエフェリア・シドリ(ec1862)達冒険者を、花灯作りに参加する人々のために開放されている工房へ案内する。どんな形をと訊ねられると、エフェリアは迷わず望む形を告げた。
「エスカルゴさんの形、作ってみたいのです」
蝸牛の形を模したキャンドルは可愛らしいかもしれないが、祝祭で流すキャンドルは花灯ですからと是非花にしませんか?と勧められ、エフェリアは小さく首を傾げる。
「‥‥それなら、エスカルゴさんの好きなぶどうの木の花を一房分、作ってみたいです。緑色でつぶつぶたくさん、なのです。むずかしいなら、さくらんぼの木のピンク色の花にするのです」
「‥‥葡萄、難しいかもしれませんが、折角ですからお好きなものを作ってみましょうか」
こくんと一つ頷くと、花灯用の蝋を手にした職人に勧められ、席に着く。
「粘土細工の似ているでしょうか?」
「似ているかもしれませんね」
細工するための蝋は、粘土と違って繊細な指先で触れると熱過ぎるものだったが、色合いを確めながら少しずつ染料を混ぜていく。以前、依頼で出かけた葡萄畑を思い出しながら、エフェリアは細やかな葡萄の花を、少しずつ咲かせていった。
「あ、マント特有のものなのか‥‥まぁ、やる事は大体同じだっ」
改めて、祝祭に流す花灯の説明を受けて何かを納得するロックハート・トキワ(ea2389)に、「そうですよね」とジャパンから訪れた明王院未楡(eb2404)も頷く。職人達から直接話を聞く事はできないけれど、ジャパン語に訳してくれる仲間は事欠かないし、実際の作業そのものは見て習う事ができる。
幾種類もの香料や染料、基本となる蝋を前に、冒険者達はそれぞれ土台となる木を手に、花灯を作る作業に取り掛かる。
イルニアスは花灯を2種類作ろうと決めてきたが、時間が限られている為、難しい。まして選んだ花は細やかに咲く花2つ。
「‥‥なかなか難しいですね」
優美な顔に不似合いな皺を眉間に刻み、納得がゆくものを作るために、黙々と作業に取り組む。願いを込めて流すための、春告げる花を冬のセーヌに咲かせるために。
職人たちの説明を一通り聞いた後、ラルフェン・シュスト(ec3546)は迷わず細工蝋と香料を選びとる。作る花は決めてあったから、完成形を描くのは容易だった。蝋は冷えてしまっては加工出来ないため、熱い蝋に触れ淀みない手つきで細工を施していく。土台である台木に、花灯の芯となる部分を用意し、薄く花びらのように延ばした蝋を重ね、花灯が本物の花のように咲いてゆく。一枚、また一枚と花びらを重ねる作業は、どこか人生の営みにも似ていて。過去の痛みは、こんなふうに穏やかな今を重ね続ける事で薄れていくのだろう。けれど、痛みが本当に消える事はない。かつては全てを克服せねばと気負っていたが‥‥だからこそ安寧の未来を望み続られると今は思う。
ラルフェンの手に在る花は今は未だ何にも染まらぬ白い花。想い想われ、かけがえのない者達との絆が、ここに色を添えてくれるだろう。
リュシエンナ・シュスト(ec5115)は、兄が何かを作る時、いつもその手を見ているのが好きだった。長い指が器用に動き、大きな手の中で形が生まれてく様は、リュシエンナにとって何だかとても不思議な光景。
幼い頃は、布や粘土や木材などを使い、ラルフェンは器用に裁縫や彫り物を施し、人形を作ってくれた。
(「‥‥懐かしいな」)
器用に動く手の、左薬指の輝きが眩しくて。幼い頃のようにただ甘える事に少し気後れを覚えた。
「願いは星に、祈りは月に。‥‥じゃあ望みは?」
自分の花灯を作る為の香料を手に、ふとリュシエンナは首を傾げた。
妹の問いに、ラルフェンは静かな色を湛えた瞳を細めた。唐突にも思える質問にもあいた間はほんの一瞬。
「望みは‥‥太陽に、か?」
太陽と聞いて思い浮かんだのは、大好きな兄と大切な友と見た海から昇る太陽の姿。大好きな兄の答えは、すとんとリュシエンナの心に落ちる。
取りとめのない会話も、ささやかな疑問へ答えてくれる兄の姿勢も、幼い頃から変わらない遣り取り。
世の中には変わっていくものと、変わらないものがあるけれど、兄妹の絆は変わらないものなのだろう。大切なのは今この時に作られてく思い出。
(「‥‥甘えていいよね?」)
リュシエンナの心の内で呟かれた問いが聞こえていたなら、ラルフェンは勿論と頷いた事だろう。家族の絆は変わることがないものなのだから。
兄の手の中で生まれつつある祈りの花は、白い薔薇。
すぐ傍らで聞こえてくる兄の鼻歌は、低くて深い‥‥穏やかな音。
きっとセーヌを流れていく花灯は、天の川に煌く星みたいなはずだと、瞬く煌きを思い浮かべながら、星を模った花灯を作る。花びらが5枚ある物は星に見えなくもないはずだ。色は、淡い青。纏う薫りは、きらきら爽やかな香り。尽きない話も一休みで耳を傾けて、リュシエンナは彼女だけの花を作り始めた。
未楡は、ジャパンの困窮者達を支えようと働き掛ける中で差し伸べられた、ノルマン王国の方々の余りに大きな優しい、慈しみと善意に満ちた言動に心打たれる出来事があった。それは遠い過去の話などではなく、今もってなお深く感謝すると共に、中々礼の出来ぬ小さき身であれど、せめて感謝の祈りを‥‥と実の娘である明王院月与(eb3600)らと共に、マントの街まで足を伸ばしたのだ。
未楡達と親戚でもある玄間北斗(eb2905)もまた、ノルマンに腰を据えた身とは言え、祖国の危機に、国を超えた大きな優しさ、労わり、慈しみの心で行動を起こしてくれたこの国の人々への感謝の想いを花灯に託す。祖国の人々の分まで感謝を込めて、ジャパンらしい花々の蝋細工を、一つ一つ祈紐を紡ぐように祈りを籠めて作っていく。
未楡は娘と共に、欧州に咲くスノードロップやジャパンに咲く睡蓮や黄菖蒲の花を。北斗は豆の花や桔梗、梅の花を。大きな蝋から削り出していく作業は、華国やジャパンの菓子や飾り包丁のように。細かい部品を作り繋ぎ合わせていく作業は、繕い物で小物を作る要領で、一つ一つ丁寧に作成していく。
ノルマンに咲く花でも香料とすることができる花は限られている。まして異国であるジャパンにしか咲かない花は、同じ香りを付ける事はできないが、香水の調香師でもある職人の手助けもあって、咲かせたいジャパンの花は、北斗らの手で咲いていった。
「クラリッサはどんな物を作るのだろう?」
「ふふふ、夜まで内緒です」
ロックハートが訊ねると、クラリッサは笑顔で「秘密です」と返す。蝋を赤く染め、捏ねる。願いを託す花灯は、どうしても自分の手で作りたいと、染料に指を赤く染める姿は貴族の令嬢としては規格外でも、クラリッサらしい。
「ロックハートさんは何の花灯を?」
「俺は‥‥というか、自分は秘密で俺には聞くのか? ずるくないか?」
けれど、蝋と香料、製法についてを盾にされ聞き出されてしまい、ロックハートはこっそりと溜息を吐いた。強かになったものだと心中で零す程に不本意である。
「作る形はローズマリーだな」
花に託された言葉をなぞらえば、植物に詳しい友人は笑うかもしれない。けれど、愛の象徴ともされるローズマリーは「海のしずく」という意味を持つ。
「ロックハートさんのような花にされるんですね」
瞳を瞬かせるロックハートにクラリッサは「『静かな力強さ』という花ですもの」と小さく微笑んだ。そんなつもりも無かったロックハートの手が再び止まる。ふと、己らしいとは何だろうと振り返れば、単純作業の繰り返しの中ではあっという間に思考の波に浚われる。
『生きているか?』
――勿論。
『強くなれたか?』
――最近じゃ今世紀最強だとか言われてるんだぞ? 他人を殺して利を求め、己を磨いた事もある。
『満足か?』
――まだ足りない。血で穢れた俺でも‥‥守りたい者が、場所が‥‥沢山出来たんだよ。
短く問うのは‥‥あんたは、『昔の俺』は、そんな俺を嘲笑うだろうな。
かつての願いは、今も変わらず『強くなりたい』ということ。
けれどこれからの理由は、己の為ではなく、大切な人を守る為。
願いを持つに至った、己に変化を促した大切な人や場所達の前で、素直に口にする事などできはしないだろうけれど――思い出を、追憶を、願いと共に海へ還そう。
そのための花灯を作る手を再び動かし始めた。
「キャンドル、私はゾウガメが背中にムスカリを背負ってる型を作ってみましょう〜♪ 花言葉は、明るい未来だそうです〜♪」
名を呼ばれたと思ったのか、のんびりと首を持ち上げるゾウガメの鼻をちょんとつついて、エーディット・ブラウン(eb1460)は花灯作りに取り掛かった。
「素敵な言葉ですね。エーディットさんの願う明るい未来はどんなものでしょう?」
「クラリッサさんのお願い事は家族が欲しいでしたよね〜‥‥、孤児だった私には、気持ちが判るような〜‥‥」
エーディットは問いには答えずおっとりと微笑んで、祝祭へ冒険者達を招くために冒険者ギルドで聞いた話を口にした。
「クラリッサさんのことが少しだけ、羨ましいです〜」
『羨ましい』という言葉に、クラリッサは花びらを作る手を止め、エーディットを真っ直ぐに見つめた。エーディットは、視線を気にする様子もなく、蝋細工のゾウガメを作っていく。
「私は失うのが怖いから、欲しくても手に入れようとは思えないのですよ〜。だから代わりに、皆さんに笑顔で居て欲しいのですけれど〜。
ですからこのキャンドルにも、私が今まで出会った皆さんに、明るい明日がありますように、と願いを込めて〜‥‥」
エーディットが咲かせたムスカリは、艶やかな青色。
「それと、私の師匠や記憶にも無い家族達が、天上で安らかに眠れます様に〜」
歌うように穏やかに、いつもと変わらない声音で紡がれたから、聞き逃してしまいそうになったけれど、意味を理解してクラリッサは大きな瞳を細める。
「‥‥このお話は秘密で〜♪」
そっと人差し指を唇の上に置いてエーディットが微笑む。その笑みに、緊張を解かれた様にクラリッサは小さく頷いた。
「はい、秘密ですね」
クラリッサが浮かべた微笑を見て、今度はエーディットが頷いて。そっとムスカリの花を、ゾウガメの背に飾るのだった。
生花を混ぜ固めるのは難しいらしく、ポプリにするため干した薔薇の花びらを挽いて粉にして、蝋に練りこむ事にした。それだけでは香りが足りないので、薔薇の香料を足して混ぜる。染料を使い染めた色よりも、淡い自然な色にそまった蝋を、薔薇の形に似せてゆく。薔薇の薫りを纏い、薔薇のように咲く花灯が、セーヌ川をゆったりと優雅に流れていく姿を思い浮かべ、フィーネの顔に笑みが浮かぶ。
隣りで作業しているクラリッサの手元をみると、彼女が作る花灯が何か、フィーネにはすぐに分った。
クラリッサの手の中で、開いていく花灯の姿に、フィーネはそっと唇を耳元へと寄せた。
「理想の方には近づけましたか?」
大切な秘め事を分かち合うように囁かれた言葉に、クラリッサが瞳を瞬かせる。
「いつも近付きたいと思っていますが、やっぱりまだまだ未熟者です」
互いに顔を見合わせて、どちらともなく二人は微笑みあった。
フィーネの手により、クラリッサに出会えた奇蹟への感謝が込められて咲いた薔薇に、叶うのならばこれからも変わらぬ友情が続くことを願った。
●花灯に想いを託し
マントを流れるセーヌの川縁。
祝祭の会場となっている川原には幾つもの灯火が掲げられ、美味しそうな香り漂わせる食事を振舞う屋台に、祝いの酒を配る屋台らが立ち並んでいた。
贅沢に香草を練りこみ、隠し味に香辛料を利かせた鶏の焼き串は、祝祭に際してのとっておきの贅沢に‥‥と姫領主に仕える料理人が振舞っている今宵だけの品。ワインは新酒。ちょっとばかり長く寝すぎたワインには、蜂蜜を垂らして温めて配られる。冬入り直前に収穫された秋の果実は、今宵の為に氷室にとり置かれていた秘蔵品。果物や花の蜜を使った甘い菓子は、祭りでもなければ気軽に口に出来ない民達にとって、特に子供にとっては花灯作り以上のお楽しみの1つ。
漸く訪れた平和を歓び、平穏が長く続く事を願って、祝祭を祝うマントの民の喜びが、川縁に満ちていた。
祭りの賑わいを楽しむように屋台街を眺めるエーディットの足元で、ゾウガメもまた屋台で振舞われる焼き鳥や焼きイカを満足そうに食べていた。
水辺から一つ、また一つと、水面を滑るように流れていくのは、人の想いを糧に咲く蝋花達。
ちりぃ‥‥んと響くハンドベルの音色を餞に、エフェリアが作った葡萄の花の花灯が水の上をゆっくりとゆく。花を支えるように広げた葉の上には、ちょこんと蝋の蝸牛がのっている。
「たくさん流れて行く様子、あとで絵にしたいです」
羊皮紙を用意して、たくさんの人々の祈りや願いを裡に秘めて流れていく花灯の光の群れを描こう。
「この街も、良いところ、なのです」
ちりん、と送り音がまた一つ。
祈り願いを託し流す花灯を持ち帰る事は出来ないのだと、慣習に固い職人達に首を横に振るものだから、イルニアスが作り上げた花灯は、2つとも今宵の祝祭で、セーヌの流れへと託される事になった。
白色で軽やか、清楚なイメージを抱く花は、『願い続ける』意味を持つ‥‥アトランティス帰りの妹から聞いた、天界の花を模した花。自称氏夫妻の妻殿が参加していたから、祝う気持ちだけ贈り、『希望』を託す願いの花灯と共に、イルニアスは川へそっと流した。形見である十字架に触れながら、流れてゆく花を見送る。
人の想いに定められた形が無いように、花灯も同じものは2つとない、世界にたった一つだけの花灯たちが‥‥作り手の想いを身に宿し、艶やかに、可憐に、あるいは密やかに、冬のセーヌに咲いていく。
「わぁ‥‥この沢山のキャンドルの、一つ一つが皆さんの暖かな心なのですね♪」
「ええ。どの花灯も、この世界に同じものは2つとない大切な気持ちです」
川の流れを見つめ、感嘆の声をあげたクリス・ラインハルト(ea2004)に優しい笑みを含んだ声が掛けられる。振り向くとそこに立っていたのは、祝祭の催主の一人であるクラリッサだった。
「クラリッサ様の下の、マント領の復興祈念の蝋燭流し、参加させてもらうです」
ぺこりとお辞儀をするクリスに「いらして下さってありがとう」とクラリッサは、微笑んで、花灯を流す川縁へとクリスらを導いた。花灯を流すに易い場所が、川縁に築かれているのだという。向かう間も流れていく花灯達の行く先に、リーディア・カンツォーネ(ea1225)は思いを馳せて、クリスと微笑みあう。
「このキャンドルが川を流れ、やがては海に辿り着いて‥‥海に棲むイルカさんや、人魚さんの国に届くかもしれない‥‥。ふふ、そういうのも素敵ですね♪」
「込めた想いに咲く花灯が、海へ住む方々へ届くのは、とても素敵なメッセージですね。さあ、こちらです」
クラリッサが指し示した花灯を流す場には、既に顔見知りの冒険者達の姿が何人もいて、まるでパリの街にいるような錯覚を覚える。
祝祭でみるそれは、協力を求められれば、それに応えようとする冒険者達の想いが結実した形の一つ。
ラファエル・クアルト(ea8898)と共に祝祭に訪れたシェアト・レフロージュ(ea3869)は、川べりに友人の姿を見つけ、声をかけた。
「クラリッサさま、アンさん、こんばんは。冬に咲く灯りの花‥‥素敵ですよね。どんなお花のキャンドルにされました?」
「私はこの花よ」
シェアトの手にした花灯に並べるように、アン・シュヴァリエ(ec0205)は紫に色づくアイリスを模した花灯を差し出した。
「あ、私も知りたいです。クラリッサさんはどんなキャンドルを作られたのでしょう?」
ひょっこりと、ウィリアム三世との結婚がきまったばかりのリーディアも顔を覗かせる。いずれシェアト夫妻に負けず劣らずの愛情深い絆をもち、臣下を困らせることになるかもしれない未来の王后陛下の手に咲いていたのは、ジャパンの写本「桜花絢爛」を参考に作られた薄桃色の山桜。
「‥‥私はこの花です」
ふわりと穏やかな笑みを浮かべ、クラリッサが皆の前に差し出したのは、赤い薔薇の花。クラリッサに転機を齎した象徴の花だった。
「それでは、ボクもこれを‥‥忘れな草を象ってみました☆」
クリスが水面に浮かべたのは、青い花。
「流れ往く先で、海の碧や空の蒼にも負けず、咲き誇って欲しいのです。このキャンドルを拾った海の精霊さんやイルカさんが自慢出来るくらいに」
「うん、おいらも海の友達・イルカのイー君達へ海の華っぽい(?)サンゴを模した蝋細工を流したいのだ。何時までも幸せにとの祈りと一緒に」
北斗が浮かべた珊瑚の花灯とともに、忘れな草の花灯が、川の流れに委ねられる。
命の糧となる河がいずれ行き着くのは、命を生み育む母なる海。その海にもたくさんの思い出があり、大切なものが在る。リーディアは、流れの先を思い花灯を浮かべる。
「海までの道行きの最中にも、様々なものと出会うのでしょうね。このキャンドルには、旅路の中で出会うもの全てに、温かな心のぬくもりを届けてほしいです」
キャンドルを目にした人達に、流れる香りと共に、ささやかな春が訪れる事を願い、祈る。神に仕える身から俗世に還ることになったとはいえ、心に在る想いは変わらない。
「どうか、ひだまりのような幸せを得られますように‥‥クラリッサさんにもっ」
花灯へ祈りを十分籠めてから川へと送り出したリーディアは、クラリッサを振り仰いでにっこりと笑う。
「それでは、私も。‥‥この国と、国王夫妻の未来に祝福を」
穏やかな笑みと共にリディエール・アンティロープ(eb5977)が川の流れへと送り出したのは、淡い薄紅色に咲くリリィの一種。リディエールが細工に苦心した甲斐あって、別名に宝石の名を持つリリィには、輝く日々を灯火に映して咲いていた。
「‥‥そして、優しき姫領主にめいっぱいの幸福がありますようにと願って」
リディエールが、これまでの素晴らしき日々と、大切な友人達に感謝を込めて託した『幸せな思い出』『また会う日を楽しみに』という想いを糧に咲き、流れていく。
クリスが花に託した想いは、咲かせた花の名そのままの『私を忘れないで』
復興を願い、日常を取り戻すべく頑張ってる人や、志半ばに倒れた人たちの願いを現した花は、ささやかに咲き、海へと流れていく。
空に境界が無いように、全ての地へ繋がる海へ至れば、ノルマンから遠く離れた地で今尚、戦禍と戦い続ける人々へと届くと信じて。
実母である未楡が丁寧に1つ1つ作った花灯を、月与は母と共に川へと流す。
二人の手を離れた花灯は、『希望』を忘れる事無く、『清純な心』をもつ人々の、『信じる者の幸福』を祈り咲き、流れていく。
本来なら遠い異国の地の出来事でしかないジャパンの人々の苦境に、復興戦争の恩義があるからと沢山の善意と優しさを持って、募金や救援物資の買付に協力してくれるノルマンの人達への感謝の想いを花灯に託して。想いを同じくして北斗の作った花灯もまた『優しい温かさ』と『高潔な心』を持つ民達へ『必ず来る幸福』を願い、水の流れに咲き誇る。
「2年か‥‥長かったわ。お互い大変だったわね」
花灯を川へと流し、アンは傍らの月与をそっと撫でた。彼女たちのジャパンの現状に憂える気持ちは同じ。アンが乱世のジャパンで時を重ねて2年。漸く光が見えてきたが、それもこの先どうなるはまだわからない。
花灯に託した想いのままに、戦禍がなくなる様に和解し、よき便りを未来に送りたい。
「クラリッサ様‥‥難しいですね、どうして人同士がこんなに争うんだと思われます?」
流れていく小さな灯火達を見つめながら、アンはぽつりと訊ねた。
「誰もが、幸せになりたいだけに思えるんだけど、でも争いは終わらなくて‥‥」
「アンさんの疑問は、とても難しいものですね」
故郷も同じだったからこそ、願わずにはいられないアンの想い。吐露された想いに触れて、クラリッサはどこか寂しそうな笑みを浮かべる。
「幸せの形と求める大きさが違うから‥‥でしょうね。自分の幸せが自分だけにあるのか、それとも自分と周りの人によってあるのか。‥‥私にも『答え』はわかりません」
「ごめんなさい、初対面なのに。でも、よければまた訪ねても良いかしら?」
自分よりも年若い身で重責を負うクラリッサに尊敬と、助けたい気持ちを抱いたアンが尋ねればクラリッサは「勿論です」と微笑み頷く。
「祝祭にこうして出会い、ご一緒できたのですもの。その縁を私も大切にしたいですから。‥‥先程の答えを一緒に探しましょう」
友人兼相談相手になれたら良いと望むアンに、同世代の友人の少ないクラリッサは嬉しそうに笑って、一朝一夕に答えが出るものではない問いを探そうと約した。
「ノルマン王国が平和でありますように」
アーシャ・イクティノス(eb6702)が願いを込めた花灯を、そっと川面へ送り出すと、「大きな願い事ですね」とクラリッサが微笑みながら赤い薔薇の花灯を浮かべている。
「私はイギリス出身だけど、ノルマンが故郷のようなものですから」
にっこり笑って。そして「夫婦円満、子宝祈願、素敵な奥さんになれますように‥‥」と続くめいっぱいの願いに温かな笑みが、周囲に満ちる。
「クラリッサさん、さよならの挨拶に来ました」
さよならという言葉に、流れていく花灯の姿をみていたクラリッサは、川面から視線をあげアーシャを静かに見つめた。
領主となってそれなりの日が経ったクラリッサの表情が、感情のまま大きく変わる事はなかったけれど、「どうして?」と訊ねるように小さく首を傾げる仕草は、冒険者達と出会った頃と変わらない少女のよう。
「でも、永遠のさよならじゃないです。また会う日までなのです」
再会を願っての別れは、停滞なく成長するための変化。アーシャは人として女性として、大きな人生の転機点に飛び込む。
「イスパニアの夫のもとへ嫁ぎます。小さな領だけど、領主夫人になります。立派に領地を治めているクラリッサさんをお手本にしたいです」
「‥‥ノルマンにも大きな春が訪れましたが、アーシャさんもなのですね。おめでとうございます」
領民を始め、こうしてマントへと駆けつけてくれるアーシャ達冒険者‥‥色々な人に助けられて復興の道を歩んでいるマント。大切なものを見失わなければ、大丈夫とクラリッサは祝福の抱擁をアーシャへ贈る。
「ノルマンに戻ったらまた遊びに来ますよ」
「故郷ですもの、是非に。お里帰りされるのをお待ちしておりますね」
ラファエルは、シェアトの手を取り、川辺で共にそっと手を伸ばした。ジャパンでも、ノルマンでも、闇に光る灯りは、人が生きる命の煌きのよう。だから人は祈りをかけるのかも‥‥と思う。想いを込めて、灯りを流すその様は、まるで尽きない祈りのように見えた。
彼が流した花は、ジャパンの春を過ごした事のある者なら、よく似た花を見たことがあるかもしれない。温かい海を故郷にもつ樹木に咲く、桜に良く似たアーモンド。
彼女が流す花は、花びらの先端だけ赤く染められたクリスマスローズ。
「温かい花‥‥」
想いを込めて作った花灯の姿に、シェアトの口から感嘆にも似た吐息が零れた。夫の温もりに寄り添い、流れていく花灯を見送る歌は、子守唄。
ラファエルとの未来を思い口ずさむ。
傍らに在るこの人が愛おしくて愛おしくて。この人と築く家庭が幸せで‥‥そんな幸福が何時か広く伝わります様にと願い、祈る花灯りと送る歌。
妻の優しい歌声に耳を傾けながら、ラファエルがそっと抱き寄せれば、シェアトは柔らかく身を委ねた。妻の温もりを抱いて、ラファエルは微笑む。生命の糧たる流れに委ねたキャンドルの花に象徴されるのは、「豊かさ」「豊穣」‥‥そして。
「ラフ‥‥あなた」
「なあに?」
温もりを分け合うように寄り添いながら、この地の復興を祈り、流れる灯を眺めていたラファエルは、隣で共に花灯を見つめていたシェアトを見遣る。
「前にも言ったけど、家族‥‥増やしましょうね。女の子が欲しいわ、勿論男の子も。陽だまりの様な温かい家庭‥‥」
貴方となら、きっと‥‥と歌うように囁く妻の願いに、ラファエルの顔に浮かぶのは蕩けるような温かい微笑。
望むものは同じ。だからこれからも二人で歩いていける。
傍らに在る温もりの、その得がたさに、ラファエルは心の内からあふれ出す想いそのままを、言の葉に載せた。
「貴女と‥‥出会えてよかった。こういう、日々を、重ねていくこと。幸せよ‥‥そして、ずっと‥‥」
――幸せにする。
大切な誓いの言葉のように、真摯に紡がれた言葉が、心の内を優しく満たす。
心も体も二人寄り添い分かち合う温もりに、ラファエルとシェアトは花灯の群れを静かに見送っていた。
ミシェル・コクトー(ec4318)の手から離れてゆくのは、薄紅色に染まる薔薇を模った花灯。想いを託した花が流れていく様を見つめていると、穏やかな声が降ってきた。
「ミーちゃん偶然やな。来てたんかいな」
掛けられた声に顔を上げると、そこにあったのは見知った顔。ニコニコと笑みを浮かべる年の離れた友人の顔に、ミシェルは相好を崩す。
「今からそんな寂しそうな顔しとって、旅に出るやなんて大丈夫か?」
「ジル兄さん‥‥お兄ちゃん」
純粋に己を案じてくれる気持ちがくすぐったくて、甘えてからかうように呼びかければ、ジルベール・ダリエ(ec5609)は瞳を瞬かせた。
意地っ張りで甘え下手なミシェルが「お兄ちゃん」等と呼ぶのは初めてだったからだ。
「こんな美少女の妹おったら、家でグータラ出来へんな」
「フレッド、アリシア、リィ、マール、ヒルケ、レン、ぬくぬく‥‥いっぱい、いっぱい皆に助けてもらいましたわ。‥‥勿論、ジルベール、お兄ちゃんにも」
川縁で花灯を見つめるミシェルの傍らに膝を付いたジルベールに、ミシェルはそっともたれるように寄りかかった。遊歴の旅に出る事を決めたミシェルにとって、旅立ちが迫る事は、偶然の出会いを重ね縁を結んだ皆との別れ。仲間達といつまた会う事ができるのかもわからぬ旅路に、意地っ張りの意地も溶けてしまったのか、今夜だけは素直に「お兄ちゃん」と呼べた。
「揺れて、流れて、あの灯りはどこにたどり着くのかしら」
「何処行くんやろなぁ、キャンドルも俺らも‥‥って、うわ!」
静かにミシェルの頬を流れ落ちる涙に、ジルベールは慌てて懐から取り出したハンカチを差し出す。
「今は皆と一緒やけど、いつか離ればなれになってしまうんやろか。でも皆との日々が灯火になって、それぞれの人生を照らしてくれるやんな、きっと」
流れるキャンドルに冒険者である自分たちを重ね、くしゃりとミシェルの髪を撫ぜた。川の流れを見つめていれば、いつの間にかミシェルの流した花も夜闇に紛れ、幾つもの光の一つに消えてしまう。
「さて屋台でも行こか。おにーさんが奢ったるで〜」
「‥‥うん」
差し出された手を、素直に借りて立ち上がる。
人々の祈りを乗せて、花灯は水の流れを彩る。流れていく幾つもの灯りを1度だけ振り返って。
――愛してるわ、皆を
――愛してたわ、心から
――皆、幸せでいてね
‥‥そっと祈った。
尽きる事無く流れ続ける川の音に重なるように、りぃ――ん、と鈴音が響く。河の精霊の加護が宿っているとされる鈴の音は、水音に清廉と重なり響く。幾つも生まれた和音に導かれるように、するりと流麗に奏で始められたのは、優しい旋律。
川面を埋め尽くす小さな光の群れに惜別と旅の無事を祈り紡がれる竪琴の音は、奏者であるクリスの想いも乗せてセーヌの川縁に流れていく。
琴の音に耳を傾けていたリディエールは月与と視線を交わし、ふわりとやわらかな微笑みを浮かべて、歌い始めた。花灯を見送りながら、クリスの竪琴に歌声を乗せ、込められた想いが叶うように、大切な人に届くように。
月与もまた『希望の詩い手』の呼び名に相応しい歌を紡ぐ。希望と愛を謳う声は水面を流れる風にのり、夜空へ広がる。
ノルマンも様々な戦災で傷付き苦しむ最中にあって尚、笑って手を差し伸べてくれる‥‥尽きぬ感謝と、物価高騰の噂への謝罪の想いを胸に。世界中の遍く民人達の元に安寧が齎されるように‥‥との祈りを籠めて、セーヌへ委ねた花灯と共に歌を贈る。
高く透き通る歌声を支えるように艶めく豊かな低音が重なり、優しい旋律の竪琴を彩りながら、音色は水面を海へと、空へと流れていく。
水は巡り巡りていずれ戻るもの。
誰かへの想いも‥‥いつか幸福となって戻りますように。