●リプレイ本文
●狂姫の沙汰
はーはーはー
たまに息以外も吐き出たが、彼女は別に気にならなかった。多分、口の中を軽く切ったのだろう。
いや、別にこの際、内臓がやられてようが関係ない。相手だって相応の傷を負っているはず。自分は急所を避けている分、むしろ相手より軽症かもしれない。
いや、そんな事じゃない。今、重要なのは、そんな事じゃない。
はーはーはー
この殴り合いは楽しくて仕様が無い! こんなに楽しいのだ、下手にお利口になる必要なんて全く無い!
一撃、もう一撃! 殴られた――当たり前、避ける気無いから。お返しにもう一撃!
そうだ、今は殴る。いや違う、殴れ。いや違う!
殴り合え! 殴り合え殴り合え殴り合え殴り合え!
「はーはーはー、血が沸く! 肉が踊る! 戦いの時だ!」
その女は女でありながら、この戦いの場で嬉々とした表情でいた。思い切り握り固められた拳を、目の前の筋骨隆々とした男にひたすらぶつける。
痛みを厭わず血を厭わず、正気さえ厭わない彼女の戦いには、見る者も狂喜していた。
勿論相手からも反撃が来る。貴婦人のウエスト程ある豪腕が振り下ろされる、が、彼女はこれに対して一歩踏み込む。威力が乗り切らないうちに拳をわざと受け、威力を半減させた。
そして空いた胴をすかさず、突く。状況が許す限り、何度も――何度も!
「戦いに意味を求めたってはじまらないよ。戦いは欲望だ。意味などどうでもいい」
その突きのいくつかが『入った』のであろう、男は口から何かを垂らしながらも、最後の力を振り絞って彼女へ向かって殴りかかっていった。
殴打は、彼女を止めるには至らず、逆襲を見舞われ男は‥‥床に沈んだ。
「戦うと元気になるなー!」
血と、汗で濡れた身体を伸ばしながら、彼女は悠々とした様子でそう言った。久しぶりの、発散になったのだろうか。
血生臭い闘技場で、見ず知らずの人間との殴りあい。ミリランシェル・ガブリエル(ea1782)はその試合に勝利した。
●戦いの場
「へえ‥‥いわゆる裏闘技場といったところか」
ミリランシェルの戦いを見ていたアシュレー・ウォルサム(ea0244)の呟きの通り、ここは曰く付きの闘技場。
「当然、裏に色々と込み入った事情はあるのだろう。まぁ、戦う者には一切面倒な関与は無いとの事だがな」
考察するように言うクナード・ヴィバーチェ(eb4056)。この様な場でやっている事だ。当然、公に出来ない話もあるのだろうが、戦士達には関係の無い話となっている。
ただ、戦士達は思う存分戦うのみ。
「うん、楽しそうだよね、存分に披露できるからさ」
囀る様な微かなモノだがどこか背筋に冷気を覚える様な、アシュレーの笑み。クナードは、彼が自分の対戦相手だと思うと、緊張と不安を内に孕まずにはいられなかった。
「次戦うのは‥‥泰斗みたいだね」
アシュレーの声で、クナードは再び視線を格闘の場へ戻した。
「さてっと‥‥普段騎士道やら何やらに縛られた馬上槍試合だけでは肩が凝ってなぁ?」
長渡泰斗(ea1984)の背丈はそれなり逞しいものであったがそれでも、今彼の前に立っている男は、更に頭一つ分大きな男。
「あんたみたいな有名人を堂々と殴れると思うと、今からでも心が躍るぜ」
「よせよせ。元々、上品な戦い方をするような家柄でもなし」
「ほう‥‥相手は男爵様と聞いていたが?」
「そういうのを、気にしないで戦えると聞いていたが?」
そうして合図がなると、試合の始まり。
開始早々、大男は大股で接近してくると怒号と共に拳を振り下ろした。そのまま脳天を打ちつければ、常人なら脳挫傷か首の骨をやられるか‥‥そういった類のイメージを容易に起こさせる迫力。
尤も、泰斗には当たらないのであまり関係のない話だ。
無計画に放たれた攻撃は全て空振りに終わり、泰斗はその間隙に拳を叩き込む。浅めではあるが、蹴りを一撃当てると、深入りはせず、再び元の間合いに足を運んだ。
しかし間合いは再び戻される。
鈍重そうに見える体格からは想像し難い瞬発力をもって、男は泰斗に肉薄した。その巨躯を活かしての、ショルダータックル。
これに対して泰斗が選択したのは回避‥‥ではなかった。
霧のような何か男の視界を一瞬、遮る。
一瞬で充分だった。
男はそれがふきつけられた泰斗の唾と判断した時、既に泰斗の指は、頭蓋の窪みに容赦なく滑り込められた。
眼窩に引っ掛けた指を、下へ引くと、踏み固められた土の床に男の顔が打ち付けられる。
男は脳への衝撃に一瞬思考が途切れるが‥‥気付いた時には自分の顔に、泰斗の足の裏が迫っていた。
連撃で顔を踏みつけ、そして抵抗も出来ずにやられるがままの男‥‥勝敗は決まった。
「てめぇ、よくも‥‥っくそ、くそ‥‥! あんな卑怯な手さえ食らわなければ‥‥!」
「命懸けの現場で卑怯なんて言葉は通じんよ。もしこれが戦場だったら‥‥今頃その言葉さえ言えなくなっていただろうに」
絵に描いたような圧勝。
負け犬の遠吠えに、価値はない。
●戦士の精神
素手同士の戦いに一段落つき、これからは武器有の戦闘。
「改めて思うが‥‥本当に、命懸けの修行になりそうだな」
賽九龍(eb4639)がそう言う相手は、加藤瑠璃(eb4288)。
「‥‥ちょっと腕試し、ってレベルの話じゃないのは分かってたわ」
泰斗の戦いを見て、二人に幾らかの緊張が生じていたかもしれない。ここが、正真正銘の『死闘の場』であることを、再認識したから。
「おいおい、場所を間違えているんじゃねぇか?」
「春を売り物にするんだったら、ここじゃねぇぞ?」
そんな様子の瑠璃に、周囲にいた男の一部が嘲笑を向ける。
「ちょっとあなた達、何よ!」
「‥‥よせ、瑠璃。そんな奴ら、構う必要なんてない」
謂れ無き侮辱に対して、声色静かに瑠璃が憤慨をあらわにすると、九龍がそれを抑えようとする。
「ここは遊び場じゃねぇんだよ。キレーなお顔に怪我する前に帰りな。ったく、女のクセしてこんなトコ来きやがって」
長身の男の、吐き捨てるような口調。
「――! 言わせておけば!」
「構う必要なんてない、と言っている。落ち着け、瑠璃。あんな奴ら、口先でどうにかしようとしても、無駄だ」
今にも飛びつきそうになっていた瑠璃を、九龍は静かにそう言って諌めた。
「次の試合が始まる。後学のため、これを見る事を先決しよう。それと、ああいう奴らは口先じゃなく、切っ先で見返してやるんだ」
言いながら、九龍は瑠璃の腰にあるサンショートソードの柄を小突く。
「それも、そうね‥‥」
自分に言い聞かせるようにそう呟いて、瑠璃は大きく、息を吐いた。それで、大分落ち着いた。
彼女には、忘れ難い敗北がある。そして、乗り越えたい自分がいる。
自分がここに足を運んだ意味を思い出しながら、リングの方へ目をやった。
既に試合は始まっており、槍を相手に向けて構えるグレイ・ドレイク(eb0884)がいた。
相手の男は、両手で己が隙を消すように二刀を構えている。グレイもそれに迂闊には飛び込まず、槍一本に拳一つ分の距離を保つ。
男が一足、前に出る――が、グレイは接近を許すまいと浅く突きながら後退した。
穂先が脇腹を掠ると男は、舌打ち。先程からこの様子で、徐々にグレイは相手を削っていっていた。
‥‥しかし、相手もそれを甘んじて受け続けるほど愚かではない。
グレイの瞳に映った相手の男は、先程までの慎重な端運びとは一転‥‥突進のような勢いのある疾駆、突き出される長槍。それを相手は大きく跳躍して避けると、再び地を蹴って一気にグレイへと肉薄した。
男の両手は手に持つ刃を照明の反射で煌かせながら、グレイに痛みを刻んでゆく。
更にもう一撃、相手が連撃を仕掛けてくる。剣はグレイの右股を抉って更に彼の傷を増やした。
――しかしグレイもまた、ただで傷を被ってやるほど愚かでない。
攻撃が途切れた瞬間だった。一直線の銀閃が奔ったのは。
ソレに反応してバックステップを踏もうとした相手であったが、遅過ぎた――いや、グレイの刺突が速過ぎた。
逞しい上腕をはじめとするグレイの上半身の筋肉と、半回をもって威力の増幅を手伝う腰が、槍先に充分な重さを乗せる。反撃の一撃は、大よそ男の回避能力のキャパアシティを超えていた。例えそこに運が加わったとしても、どうにもならないほどの、一撃。
肩を刺し貫かれた男は、その勢いで後方に吹き飛んだ。
槍の間合いまで詰めるべく、グレイがそれを追う。相手の男は苦悶を叫びながらも何とか正気を保ち、立ち上がる。
そして、追い討ちをかけに来たグレイに、あえて向かう。
次の瞬間、長槍が宙を舞った。
二刀はグレイの武器を弾き落としたのだ。男は無言のままニヤリと笑い、刃を繰り出す。
が、傷によって先程の鋭さを失った剣は盾に防がれる。そして、その顔に盾が叩き込まれる。
今度こそ、意識が遠のき、男はそのまま体勢を崩す。そこに間隙無くグレイが踏み込み、全体重を乗せた肘を男の顔にめり込ませると、相手の意識は完全に消失した。
それが確認されると、グレイの勝利が声高らかに宣言されたのだった。
「‥‥人殺しを生業として、今日この日まで腕を磨いてきた。それなりに長い年月を費やしてきたつもりではあったがここまで歴然たる差で負けたのはじめてだ。よければ、どうやってその強さを培ってきたか、聞きたい」
試合後、意識を取り戻した男はグレイにそう聞いてきた。グレイは暫く考えるような仕草をした後、静かに口を開いた。
「ある時は弱気を助け、またある時は賊やモンスターを相手にした時もあった。そして、練磨の機会あらば努めてそれに従事し、多くの武闘大会にも参加してきた。その積み重ねの上に、今の俺がいる」
●修練
「本当に、それでいいのか?」
「何度も言わせるな。俺は修行を旨としてここに来たが、この装備には、ハンデや悪条件といったその類の思慮は無い」
武器と言える物はトリーファ一本。そんな九龍に、むしろ相手が遠慮気味であった。ちなみに、相手が今、両手持ちにしているのはラージハンマー。大柄の体格とマッチしている。九龍とは対照的に、いかにも「 一撃の威力に依存しています」と言わんばかりだ。
「まぁ、お前さんがそう言うなら、別にいいが‥‥」
粗野に伸ばしたヒゲを掻きながら男が言うと、九龍はサングラスの奥の双眸に力を込めて言葉を返した。
「ああ。お互いに最善をつくせるようにしような」
合図と共に、九龍が駆け出した。敏捷性は彼が勝っているようで、先手を打つ。
「あちゃ!」
トリーファの柄を強く握ると、九龍は跳躍により一気に相手の間合いに踏み込むと、そのまま間髪入れずに腕を振った。
彼に握られたトリーファは弧を描いて相手に襲い掛かる。男は身を捩って避けようとしたが、トリーファは相手の動きを確実に捉え、胴にその身を食い込ませた。途端、相手の目が見開く。偶然か、当たり所が良かったようで‥‥利いている。
この機を逃す九龍ではない。
「あちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃ、ほわちゃ!」
その九龍の叫び、天界人ならどこかで聞いたことのあるモノだ。
次々と、トリーファが男に叩き込まれていき、大きく相手をのけ反らせていく。このまま一気に――そう思った九龍は、突如、寒気にも近いものを感じ取り、身を引いた。
次の瞬間、男の大槌が振り下ろされる。栗色の髪を靡かせながら九龍はそれを間一髪で避ける。
しかし相手も馬鹿ではないようで、九龍はそんな大振りが利く相手ではないと判断し、動作をコンパクトにまとめた攻撃を仕掛けてくる。
先程のスマッシュより威力はないものの、それでも鉄で出来た金槌から被るダメージは浅くない。
避けきれなかった九龍は、歯を食いしばってそれに耐えた。
そのままではなく自身も打って出る‥‥が、連撃は傷のせいで先程よりも繊細さに欠けたと言わざるを得なく、一撃は相手に避けられた。
そうして相手の動き具合を見て、男は再び九龍にスマッシュを放つ。今度は避けることは叶わず‥‥そこで試合終了となった。
●射手踊り、戦士轟く
引き結ばれたような真面目な表情をしつつも、クナードは不安の渦中にあった。彼が見据えるのは今回の相手、アシュレー・ウォルサム。登場に際しては両腕を広げてリングに現れ、開始前から彼に声援を送る客席に向けては恭しく礼をする様は、まるで道化のそれだった。
そんなアシュレーの、卓越した射撃の腕はクナードも聞き及んでいる。
果たして、自分がどれほど、彼と対峙できるものか‥‥。
その時、目に入った輝きに、クナードは目を細めた。輝きは、照明を反射させて刃を煌々と輝かせていた、自分のハルバードだった。
その握りを確かめながら、クナードは大きく息を吸い‥‥吐き出す。
不安や緊張も、一緒に吐き出された気がした。気がしただけでも、充分。
(「どうせ、この場に立ってしまえば、あとは勝者としての栄光か。敗者として地に伏しているかのどちらにしかなれんのだしな」)
クナードの、戦いの準備が、整った。
それを見てアシュレーが薄く‥‥さりとて心底愉しそうに笑みを浮かべた。
いざ、勝負
合図と同時にクナードとハルバードは一対の突進力となってアシュレーに向かう。相応の威力を切っ先に込め。
しかしクナードの足に走る、痛み。足には、刃が埋まっていた。それはアシュレーが投擲した縄ひょうのナイフ。相手に先手を許す、彼ではない。アシュレーは微笑を浮かべたまま、それを引き抜く。
軟皮鎧の防御が及ばない部分への傷‥‥確実にアシュレーは狙ってきている。
しかし、耐えられぬ痛みではない。
クナードはそこから、前に出る。達人の腕を持って放たれる突き、アシュレーは身を翻して何とかそれを避ける。
しかし、続く横薙ぎの一撃はそうもいかなかった。切り裂かれ、倒れこむかのように身を半回させた。
倒れこむように‥‥と言うことは、倒れるわけではない。
クナードの視界一面を覆うのは、羽毛。それは、アシュレーのマント‥‥。
次の瞬間、またもや足への痛みを覚えるクナード。しかも先程と同じ位置、今度ばかしは彼とて顔をしかめる。
しかし、全く同じ場所を射るなど、なかなか出来る事ではない。クナードは改めて、自分の相手の射撃の腕を思い知る事になった。しかし、それで諦めては『猛突のクナード』の二つ名が廃る。再度接近を試みる‥‥が、
(「‥‥これは!?」)
彼は自分の足にある違和感を感じ取るにそう時間がかからなかった。原因は、アシュレーの『二度刺し』にあった。
その傷を押し切り、自身に鞭打ちクナードは踏み込むが、それで捉えられるほどアシュレーは鈍重ではない。
アシュレーは時折ふざけたような仕草さえみせて動き、クナードと距離をとり続ける‥‥と同時に動きながら投擲を繰り返た。そのたびに、クナードの機動力が削がれていく。
執拗な足への攻撃に、クナードは堪らず膝を付く。
「あれ、まだ倒れるのは早いんじゃない? まだこっちは色々と手が残っているんだ。すぐには仕留めるつもりないから、ホラ立って立って」
囃し立てるようにそう言うアシュレー。全力を出して、すぐに倒すつもりなど、無い。
その時だった。
――れ‥‥――かえ‥‥
アシュレーは不意に、観客から聞こえるそれに、意識を向けた。
声は段々と、鮮明になってくる。
――たかえ、戦え! ヤレ! 全力で戦え!
ギャラリーは、死闘を望んでいた。
(「どうやら、ここの客席にはせっかちな人間が集まるらしいね」)
アシュレーはクナードの腕を射てから彼に近づくと、その首筋にナイフを押し当てた。
「おーい審判ー? これでいいかな」
勝負は、アシュレーに軍配が上げられた。
「あー楽しかった‥‥次は森の中でサバイバル戦みたいなのやらないかなあ。あ、クナードお疲れ。傷は大丈夫?」
「問題ないな。どうやら治療に対しては抜かりなく整えられているようだ」
「そっかー。それは良かったねー」
「‥‥どうかした?」
「何も」
「そう? なら、いいや」
あんな試合の後だというのに、柔和な笑顔さえ浮かべているアシュレー。今更、それに言い及ぼうとするクナードではない。
何はともあれ、自分が全力で向かっていった結果だ。それに対して、別に悔いも文句も無い。
●倒したい相手のために
こげ茶の瞳、オールバックにした金髪と、その額の傷‥‥高い背丈。
先程、殴り飛ばしたかった相手が目の前にいる。
「さっき帰れって言ったからな。それでもここにいるんだから、手加減しねぇぞ」
「手加減なんて、必要ないわ。それに元からしてもらうつもりなんて無いんだからっ」
瑠璃は剣を鞘から引き抜きながら言う。目の前の長身の男は、それに対して鼻で笑いながら剣を構える。こちらは瑠璃よりも有利なリーチを持つ、サンソード。
「長引かせるのも面倒だ‥‥行くぜ!」
長身の男は開始早々、勢い良く駆けて瑠璃に接近する。そして掠めるような、サンソードの斬撃。
しかし、
「――何ィ!?」
「狙い過ぎよ!」
白刃は彼女に当たる事無く空を斬る。多分に幸運が働いた回避であったが、瑠璃は先の罵倒のお返しにと強がって言い、長身の男に切り込んだ。
男は慌てながら剣を戻すが、彼女の攻撃を弾けたのは一度だけ。
二連撃を相手に刻むと、瑠璃は心の中でガッツポーズをとる。
「てめぇ‥‥!」
「言ったでしょ、手加減なんて‥‥必要ないって!」
相手が動く前に、今度は瑠璃から攻める。直情的ゆえに直線的‥‥と思いきや、相手の横に飛び、側面からの斬撃を試みる。
「させるかよ」
しかしそれを易々とさせてはくれない。長身の男は、腕を横に振り、瑠璃を迎撃。向かってくる瑠璃の刃は、自身の剣の上に流す。瑠璃はそこから、振り下ろして相手に一撃を下すべくサンショートソードの柄を強く握り、力を下にかける。
縦に描かれた銀の軌道。それが斬ったのは、幾本かの金髪のみだった。
回避後すぐに、男は刺突を繰り出す。運は何度も彼女の味方にはならず、彼女は浅くない傷を負う。
出血‥‥思わず苦悶を漏らす瑠璃であったが、それでも再び動き出した。
「無駄だ。俺の方が上なんだよ!」
観客も、相手も、瑠璃自身も‥‥既に理解している。正面からの格闘能力では、瑠璃の方に分が無い事に。
(「だったら背後‥‥、いえ、せめて横だけでも取れれば!」)
それでも瑠璃は動き回ることを止めなかった。敏捷性においても彼女が別段相手より優れているわけではなかった。しかし、諦めるのは加藤瑠璃の趣味じゃない、そして第一に‥‥
「無駄だって言っているんだよ。女のクセに、しつけぇぞ!」
あんなこと言われて、大人しく引っ込む気になんて、なれない!
「馬鹿に‥‥するなー!」
(「く――こいつは‥‥!!」)
気迫の一閃を放つ瑠璃。
刃は男に、届かなかった。
代りに見舞われた男のサンソードが、瑠璃の出血をより甚大にして‥‥彼女の動きを止めた。そして、長身の男に、勝利が宣言されるのだった。
多量の出血によって朦朧とする意識の中、瑠璃は、何か自分に向けて喋ろうとしている男の姿を見た。また何か、罵倒か‥‥。
「女で、こんな『戦士』はいないと思ったんだがな‥‥」
瑠璃の意識は擦れていっていた。男がなんて言ったか、よく聞こえない。
●ようこそ、狂戦士
「これが本日最後の試合になります、トール様。最後まで、どうか我々を愉しませていただきたい」
一番豪華で、一番見通しの良い位置にある椅子に座りながら、足を組み、片手にワインの注がれた杯を持ち、丁寧に言いながらもどこか上から見る者の声色で‥‥リング上のトールに話しかけてきたのは、老人。執事調のそれとはまた違った礼服だが‥‥彼は紛れも無くここへの案内人であった、あの老人であった。
「お前が、ここの支配人だったとはな。まぁ、俺にはそんな事、どうでもいいが」
全くつまらないことのように、トール・ウッド(ea1919)はぞんざいな様子だった。事実、彼には、その老人が何者であろうと、関係無い。
「最後の試合ということと、トール様の実力を鑑み、良き試合になるようトール様に引けを取らないような戦士を用意致しました」
支配人の指差す先には、局を誇り‥‥そしてどこか、目の虚ろな戦士がいた。ラージハンマーを片手で持ち、もう片方の左手には盾を持っている。物静かそうに口を閉じたまま黙っているが、戦士が持つ独特の雰囲気を、撒き散らすかの如く身にまとっていた。
それを見て、感じ取って、トールはとても、とても嬉しそうに笑う。
「さぁ、試合前に再確認します。あなたは、何故ここに来たのです? 財も表立った名誉も得られ無そうないであろう、ここはまことに非生産的な戦場‥‥」
支配人の問いに対し、口の端を吊り上げ、トール。
「『狂戦士』だからさ」
老いた面に、まるで恍惚おも含むような満面の笑みが浮かんだ。
「宜しい宜しい宜しい宜しい!!!! ならば宜しい、思う存分戦い給え! その他の、一切の下らぬモノをかなぐり捨てて!!」
正気の沙汰では、無い。
支配人が片手の杯を、高らかに投げる。そしてそれが床に砕かれた音が、開始の合図となった。
両者、足運びに小細工が無い。
見ている方が怖くなるほど、無用心に二人は近づいていく。二人とも、武器のわりには防具が薄い。だと言うのに、慎重と言う言葉とは程遠い。
トールの怪力は、まるで軽々とした様子でヘビーアックスを持ち上げた。そして、強大な質量と破壊力が、振り下ろされる。
相手はそれに対して正確に見定め、弾くべく盾を構える。
しかしトールの狙いはまさにその盾。一撃を見舞われた盾は、まるで土塊であるかの如く、簡単にバラバラとなった。
そして、更に続く攻撃にも重さを充分にのせ、相手の武器に命中されば。これも、たった一回の攻撃。まるで、作り物のようにさえ思えてくる。
いとも簡単に武具が破壊され、男は狼狽と共に驚愕した。しかし次にトールの取った行動によって更に驚愕‥‥と共に、この運命の巡り合わせに感謝した。
(「竜よ、精霊よ‥‥この『話が分かる奴』を俺の対戦相手にしてくれたことを、心より感謝します」)
既に相手には、自分も素手。トールは自分の斧をかなぐり捨て、相手に向かって走り出していたのだ。
間もなくお互いの拳が届く間合いなった。
天界の果物、林檎くらいは軽く握りつぶせそうな握力で握り固められた男の拳は、音を出して風を切り、トールに向けられる。狙いは腹部。常人が直撃すれば、一撃で胃の中身をぶちまけることになるだろう。
しかし、トールはそれをあえて避けない。己の回避力よりも、肉体を信頼した。
固められた腹筋で拳を受けると、それはまるで嘘のように相手の攻撃の威力を殺した。
「貧弱貧弱貧弱ぅぅぅ!」
攻撃し終えたすきだらけの相手に、抉るような拳打。それで思わずよろめく相手に、更なる拳打、拳打、拳打。
勿論相手も黙ってはいない。うつろだった目にはいつの間にか力が込められていた。
お互いに、防御の手は一切打たない。純然たる殴り合い。まさにそこには、ただの暴力しかなかった。
しかしその暴力がここでは唯一の価値であり、観客にとっては唯一の望みだった。
「ぶっ潰れろ! WRIIII!」
奇声すら放ち、トールが拳を振るう。お互い、消耗している、もうすぐであろう。勝敗が決するのは。
「‥‥楽しかったぞ! ククク」
「俺も、同感だ。この負けに、後悔は無い」
そこから出ると、また目の前に、『ウィルの世界』が広がっていた。権利と責務、様々な思惑が交差する、この世界。
まるで今まで、夢を見ているかのようだった。