●リプレイ本文
●ホルレー邸にて
信者福袋(eb4064)とエリーシャ・メロウ(eb4333)がホルレー邸を訪ねるのは久方ぶりの事になる。辺りの風景は勿論、男爵の無愛想ぶりも、夫人の朗らかさも、何一つ変わらず以前のまま。ただ、周囲の状況は激変しており、館の主もその事に無縁では無い。
「フオロからのお客様を迎えるにあたり、お聞きしておきたい事があります」
エリーシャの言葉に、うむ、と男爵。
「先方からおいでになるのは、どの様な方なのでしょうか?」
何と言ったかな、と問うた男爵に夫人が答えるが、エリーシャの知る名では無かった。どうやらさしたる地位の人物ではないらしいのだが、見学の後に、男爵への面会を希望しているという。
「当家を軽くみているのか、そもそも何も考えていないのか‥‥」
面白くなさげな男爵に、夫人がくすくすと笑った。
「偉い人が来たら来たで、威圧するつもりかーとかなんとか言って腹をお立てになるんでしょうに。こちらがどの様に扱っても問題にならない様に、エーロン様は気遣いをして下さったのですよ、きっと」
ますます憮然となる男爵だが、そこに怒りや苛立ちは感じ取れない。単に気に食わないというだけ、と見て取った福袋は、夫人が淹れてくれた茶で軽く舌を潤してから、本題を切り出した。
「フオロ家もエーロン様に代替わりをしました。これからどうなさいますか? 場合によっては新産業をもって新たな体制に食い込むことも可能でしょうが」
男爵は、ほんの少しだけ時間を取り、それから答えた。
「今までの状況がこれからも続くのは、無論、喜ばしい事では無い。これを機に改善を図れるのであれば、それに越した事は無いのだ。紙の事に限っても、広めて行こうとするならば、フロオと話しを付けぬ訳にはいかぬのだからな」
「では、極力協力的な雰囲気を演出する事に致しましょう。秘匿しておきたい技術等はございますか? 取引の要に何を据えるのかにも関わって来るのでしょうが」
「こういった話を持ちかけて来る以上、向こうもある程度の調べはしてあると見るべきだろう。見たがるものは見せて良い。ただし、単なる見学と言うなら、それに相応しい程度というものはある」
なるほど、と頷く福袋に、男爵は言った。
「後で会えというからには、何らかの話を持ちかけて来る筈だ。それまでに、向こうの真意を探っておいて欲しい。口から出る言葉が真実のものか、そうでないのか、判断する材料が欲しいのだ」
はい、と頷いたエリーシャに、夫人がお願いね、と微笑んだ。
●アトリエで作戦会議
さて、お山のアトリエに乗り込んだ冒険者達は、腰を据える間も惜しんで早速行動を開始した。物輪試(eb4163)がなにやら断腸の思いといった感をありありと残しながら出て行ったのと、熱血台風サイクロンこと賽九龍(eb4639)が、今回は何だか台風になり損ねた熱帯低気圧みたいなテンションの低さだった事以外は、いつもと変わらぬ風景だ。
アトリエに残ったエリーシャと白銀麗(ea8147)は、フオロからの客人対策に余念が無い。
「基本的な作法は一通りお教えしました。では、私を客人だと思って、対応してみて下さい」
エリーシャに言われ、ぎこちなく頷くマリエ。そう改まれると、何故か普段通りに出来なくなってしまうのが人というもの。
「よ、よ、ようこそおおお、おいで──」
「‥‥そう緊張なさらずに。もてなそうという気持ちといつもの笑顔があれば、必ず上手くいきますから安心して下さい」
苦笑するエリーシャに、マリエ、がっくりと肩を落とす。
「説明は、私がある程度噛み砕いてするつもりです。その方が分かり易いでしょうし、詳細を無闇に開陳しなくて済むでしょう? けれど、政治的な判断は私には出来かねます。男爵様は、見たいものを見せて良いと仰ったそうですけれど」
「何をどう見たがるかで相手の意図を探ろうという思惑もあるのでしょう。基本は、紙というのが如何なるものか、如何にして出来るのか、どのような用途が考えられるのかをざっくりと見せれば良い筈です。木の繊維が紙になるという理屈が分かっても、本当に紙を生み出すまでには数多の工夫と知識が必要ですからね。少し見た程度でどうにかなるものでもありません」
トックはこれまでの皆の苦労を見ているから、自信をもってそう言えるのだ。
慌しくしていたマリエを呼び止めたのは、加藤瑠璃(eb4288)だった。
「ねえまりえ、型紙を広めるつもりらしいけど、本当にいいの?」
え? と振り返った彼女に、瑠璃は言った。
「型紙って、大量生産の手段よね。それを広めるってことは、産業の形を変えてしまう事になるんじゃない? その結果がどうなるかは‥‥歴史の教科書に載ってるわ。大量の職人が職を失う事になる」
黙ったままのマリエ。
「今まで話を持ちかけた職人さん達が嫌がったのも当然なのよ。安く、大量に作れるようになっても、得するのは生産者じゃなく資本家と消費者なんだもの。まりえ‥‥、型紙を普及させようとするなら、自分が職人達の敵になる事を覚悟しないとダメよ」
少なからず、彼女は衝撃を受けた様だった。そんな事までは考えてはいなかったのだろう。
「依頼だから私達は話を進めておくけど、止めるなら早い方がいいと思うよ」
瑠璃が行った後、暫く考え込んでいたマリエに、トックが声をかける。
「ごめんなさいまりえ様。私が軽率なこと言ってしまったばっかりに、何だか‥‥」
「ううん、いいのよ。私も、もう一度考えてみるから」
●型紙の力
型紙に関して、フレッド・イースタン(eb4181)は、職人達を前に話し始めた。
「以前に『制服』という物が在ると酒場やギルドなどで耳にした事があります。騎士がマントやサーコートを揃えるのと同じ様に、天界では学生や専門職従事者‥‥そう、職人さんや技師さんなども含まれる‥‥公務に在る方々には制服というものがあるらしいのです。身分や職種が一般の方から見ても一目に理解できることが大きいと思われます」
九龍は、もう少し身近なところから例を持って来る。
「ウィル・カップってあっただろ。ああいったチームを見分けるにもユニフォームといった同一のものは重要だ。色さえ変えればいいが、同じ形の物が多く必要になる。そのためにも同じものが作れるように型紙が必要なんだ」
フレッドが言った制服ってのも重要だぞ、と彼。
「例えば同じ紋章をつけることで敵味方を見分けるが、それだけに留まらない。同じ服を身につけることで『俺達は多にして一つだ』という心構えを持つことになる。そしてこういう思いは集団戦で連携を生んでいくことになるんだ」
だから? と胡散臭そうに眺める職人達。フレッドは言う。
「同じ形の衣装がいくつも在る事の利点には『洗い替え』の服を多くの人が持てるという事もあります。食品を取り扱う方、接客を生業とする方等は特にですが、どんなに仕立ての良い服でも着たきりで居るのは望ましくありません。救護院のお手伝いもさせて貰いましたが医師各位も日頃の衛生管理が健康維持や病気の蔓延等を抑える事に繋がると言ってましたしね」
ご心配には及びません、とフレッドは彼らに言った。
「制服に関しては皆さん職人各位が手間や技術を駆使して作り出す物とは使用目的が異なっているのだとお考えください。故に新製法による衣服が出回るようになっても皆さんのお仕事は損なわれ無いと思います。むしろ、仕立て直しなどで新しい需要を生むかもしれないですよ。ご検討願えませんか」
「実際に制服が医療院や騎士団に導入されれば、必ず各人でアレンジするなどの仕立て直しが発生するでしょう。既製服の概念が広まれば、商売の仕方もまた変わりはしますが、新たな道とて生まれるのです。是非それを恐れないで頂きたい」
アリア・アル・アールヴ(eb4304)が力説するのだが。九龍がぐるっと見回してみても、職人達、明らかにしらけている。
「あんたら、俺達に型紙とやらを使わせたかったんじゃないのかね。まあそれはいい。そっちでやるから黙ってろというなら、好きにしてくれたらいいよ。それで、そんな話を俺らにしてどうしたいんだ? 応援でもしてくれってのか?」
彼らが揉めている間、試は仲間からのアドバイスを何度も頭の中で咀嚼していた。曰く、
『職人の方の心を動かす為には、職人気質を理解した方が良い』
完全にヘソを曲げた感のある職人達を前にして、試はこう切り出した。
「あなた方にはお得意様がいると思うが‥‥」
その前置きに、職人達が彼を見る。
「お得意様の服を作る際に型紙を作っておけば、次に服を作る際、寸法的には微調整で済む。それ故、作るとしても比較的短い期間で、しかも寸法に合った服が作成出来る。余った期間をより良く仕上げる時間にすれば、お得意様をより満足させる事が出来る。より良い物を作り、お客様に喜んで頂くのが職人の本懐では?」
これには、些か心を動かされた者もいた様だ。ただ、
「お得意さんの寸法はもう、この頭の中に入ってるよ。そんなもんに頼らなくてもな」
そう言って頑なに拒む者もいた。確かに、彼らはひとつの村、ひとつの町の顔馴染みを相手に商いをしている者が大半だから、お得意の事は覚えていてすぐに出て来るというのは、あながち嘘でも無い筈なのだ。
すっかり硬直してしまった場を打ち壊すかの様に、伊藤登志樹(eb4077)が『げはははっ』と豪快に笑った。
「そりゃ型紙使えば誰でも同じ物が出来上がるってのは確かだが、んなもん初歩の話だぜ?」
何!? といきり立つ職人達に、にっと笑って先を続ける。
「いいか? 便利な道具は、やれる事の幅を広げるんだ。型紙で同じ物を作り易くもなるが、逆にアイデア次第で、それまでなかったデザインの物も作れるってことなんだよ。つまりだな‥‥あー、まあ細かい話は後で誰ぞに聞いてくれ」
ふざけるな! と当然の如く怒り心頭な彼らを煩そう眺めながら、登志樹は言った。
「おぃ! まりえ。腕は発展途上だがアイデアはやたらにある若手の職人を呼んで、そいつに試しにやらせてみた方が手っ取り早く証明できるんじゃね?」
まりえ、突然話を振られて慌てるところに、それならここに居るわよ、と奥から瑠璃が引っ張って来たのは、天野夏樹(eb4344)だった。
「えーっと、色々アドバイスをもらってデザインを考えてみたんだけどぉ」
「‥‥あなたらしくないわね、はっきりしないさいよ」
おずおずと彼女が差し出したデザインは。
「こ、こりゃぁ‥‥」
男性陣、食いつきながらも軽く引く。
「うん、アドバイス受けた人がちょっとほら、あれなんで、そうはならない様にと思ってかなり自制したんだけど、かなり引き摺られてたみたいで‥‥」
フリフリでブリブリな制服は却下という事にして、夏樹が即興でデザインし直したのは、使いまわしの利くオーソドックスなスタイルのマントだった。
「まず実際に使う所を見て下さい。それで不要だと判断されたら諦めますから」
型紙に従って寸法通りの物が出来上がって行く様を、職人達は無言で眺めていた。
「マントや防寒服辺りには良いと思います。個人用に細かく採寸する必要は余り無く、身長に合わせて何パターンか用意しておけば良いですし」
素早く、正確に作業が進む所を見て欲しかった。しかし、相変わらず反応は芳しく無く、夏樹も諦めかけていたところ。空気が変わったのは、用意していた別の生地を取り出した時だった。
「ちょっと待て、その生地は何だ?」
否定ではない職人の声が、初めて上がる。夏樹が取り出した生地は、繰り返しのパターン柄で染められていた。
「これも、型紙を使ったものです。こんな風な染めや模様付け、装飾なんかにも型紙は使えるんです」
職人達が集まって来て、生地を広げて眺めながら何やら話し合いを始める。そして、こう結論を出した。
「俺達は、わざわざ型紙とやらを使って服を作る事にはまるで意味を見出せない。が、その染めの技法には見るべきものがあると思う。どうせなら、それを俺達に教えてくれないだろうか」
夏樹、複雑な気分だが、目的は紙の用途を広げる事。辛うじて相手の興味を引けたのは喜ぶべき事だ。そっちに食いつくのね、と瑠璃は思案顔。
「せっかく興味を持ってもらえたんだから、まずはこれで行きましょう。私の思いつきでみんなの生活を掻き回すのは本意では無いから‥‥。どんなものなら無理なく受け入れてもらえるか、もっと考えなくちゃね」
まりえの言葉に、仕方ないわね、と瑠璃。まりえは初めての失敗と、小さな成功を手に入れた。
●カードは出来た?
ところで、セオドラフ・ラングルス(eb4139)と結城敏信(eb4287)が依頼していたカード用厚紙の開発だが。サンプルが出来上がっていると聞いて彼らは早速、製紙工房へと足を運んだ。
「こんな感じで如何ですかね」
工房の職人に手渡された紙はどっしりと重く、以前触れたしなやかで軽い紙とは全く違った印象を受けた。何枚もの紙を重ねて接着し圧をかけたそれは、厚みがあり、腰があってヘタらず、透けも無い。ほぼ注文通りの品だった。
「おー、デコボコになってるかと思ったけど、綺麗なもんだな」
試しにカードのサイズに切断し、重ねてみる。
「どうですか?」
訪ねるセオドラフに、最初はあー悪くねえな、などと答えながらニコニコとカードの感触を楽しんでいた敏信だったが、その目が細まり、眉間に皺が寄ったかと思うと、
「ダメだ、このままじゃ使えねー」
ぽい、と放り出してしまった。困惑する職人に代わり問題点を問うたセオドラフに、敏信はいじくり倒した厚紙を手に取って、彼らに見せた。
「ひとつは、耐久性だな。カードは延々と擦り合わせる物だ。けどこれは、何度か弄くっただけでもう表面にケバが出来始めてる。これじゃあマズいんだよ。それからもうひとつ、紙の模様がな」
模様? とセオドラフがまじまじと眺める。和紙風のこの紙には、一枚一枚に繊維で出来た特徴的な模様が確かにあった。
「これじゃあ、印が付いてるのと同じ事だ。ゲームには使えねえ」
まりえもさすがに、そこまでは気付かなかったと見える。改良は可能か、と問うセオドラフに、職人は難しいと答えた。表面の処理はまだ工夫の余地があるが、繊維の模様に関しては、繊維を解す段階から人が手作業でやっている以上、完全に排除するのは不可能だ。
「ふむ。あまり上手くは行っていない様ですね」
ひょっこりと顔を出した福袋。
「カードに関しては紙にこだわらない意見も出てきています。私達も一度持ち帰って、比較検討してみる事にしては如何でしょう」
「そうですね‥‥こちらから提案出来る事があれば、またお願いに上がるかも知れません」
セオドラフの言葉に、その時はまた是非とも、と頭を下げる職人殿。その顔には落胆の色がありありと見て取れる。
「この厚紙はこちらの考える用途には少々問題がありましたが、大変良い品とお見受けします。これはこれで用いて何か新たな商品を開発し、その利用目的に沿った品質向上を試みられては如何でしょう」
ダメ出しをしておいて気に障り兼ねない発言ではあったのだが、職人殿、この紙には自信があったと見え、福袋の言葉を素直に受け取った様だ。紙を縦にしたり横にしたりしながら首を捻る職人に頭を下げると、福袋は帽子を被り、工房を後にした。
●石鹸はどうだろう
銀麗はアトリエにたどり着くと、真っ先に石鹸種を作っていた一角に足を向けた。まさか捨てられてはいなだろうと思いつつもドキドキしながら覗き見ると、そこには自分の背丈よりも長い棒と格闘しながら石鹸種を攪拌するトックの姿があった。
「あ、銀麗様。まりえ様に言いつけられてこの様に日々掻き混ぜておりますが、これで本当に良いのでしょうか?」
何だか良く分からないまま、それでも律儀に掻き回していたであろう彼の姿を思い、銀麗は感謝の笑みを浮かべる。
「何か変わった事はありませんか?」
「いえ、特には。‥‥あ、でも、最近は少し温度が下がって来たような‥‥」
と、これは、反応が収束しつつある証拠。銀麗は急ぎ幾つかの容器を用意してもらい、石鹸種をこれに移し変えた。
「これで、暫く置いておいてください」
最後のもうひと鹸化を進め、切れる程の固さとなったところで、適度な大きさに切り分けて陰干しし、ようやく使える様になるのだ。完成には、もう暫しの時がかかる。
「それにしても、時間がかかるよね石鹸作り」
あまりの気の長い話に、ふう、と溜息をつく天野夏樹(eb4344)だ。じっくり取り組むつもりの彼女だけれども、年単位の話になるとさすがに考えてしまう。これでは実験もままならない。
「考えたのですが、熱を加えて反応を促進させてみてはどうでしょう」
銀麗が提案に、マリエもなるほど、と頷いた。理屈としては間違っていない筈。となれば、早速実験だ。
夏樹はナトリウム石鹸を作る際、沸騰寸前の温度まで高めたものと、お風呂にして心持ち熱めくらいの温度を保った場合とで比較してみる。前者では反応は劇的に進み、後者では半日程で同等の状態に達した。どちらにせよ、自然の反応を待つのに比べれば遥かに早く結果が得られる。炭と格闘しつつ温度を保つという作業が増えたものの、数日単位だった作業が数時間に短縮されるのは有難い。これならば、色々と試してみる事も出来るというもの。
「使用感が悪かったのは、要するにソーダが残っちゃってるからよね。という事は、それを減らせばいい理屈だけど‥‥」
そうなると、当然ながら反応は鈍くなるのだが。
「でも、人が体に使う石鹸だものね」
幾つか作った石鹸種を型枠に入れながら、どんなものが出来上がるか、わくわくしている夏樹なのだ。彼女の常識では、石鹸と言えば花の香りとお乳の泡立ちが当たり前。福袋の小学校時代でも、廃油から作る石鹸にはレモンの香りが着いていた。
銀麗も、カリウム石鹸で試してみる。カリウム石鹸は液状なのが特徴だ。
「そうね‥‥これだと10日〜2週間といったところかしら」
やはり、元が半年〜1年の反応だけあって、これでも長い。けれども、劇的な短縮ではある。
●養蜂と樹園
養蜂はコーセブと村人達の手により、滞り無く進んでいる。試が見る限り、彼らは実に良くやっていた。
「シュタールさんが随分と心配していたんだが、この様子なら大丈夫そうだな」
試の言葉に、コーセブと村の面々、鼻高々。
「越冬した蜜はどうした?」
「4月頃には蜜源も整って来たでな、冬篭りの蜜はもう必要あるめえよと全部頂いちまったわ」
「新しい女王が巣を割って出て行ったりはしなかったか?」
「ああ、したした。外の木に巣を作っちまってなあ、そりゃちょとした騒ぎだった」
冒険者のやり方を見よう見まねで煙を浴びせ、新しい巣箱に収容したらしい。あんまり危ない真似はするなよ、と注意はしておいたが、何れは彼らがやらねばならない事。良い訓練になったのかも知れない。試がシュタールから聞いた病気の話などすると、目を丸くして大慌て、発生していないか巣を片っ端から調べ始める。この狼狽ぶり、やっぱりもう暫くは指導する者が必要そうだな、と前言撤回。一先ず巣箱の掃除や換気、具合の悪そうな蜂や幼虫の除去はこまめにやっている様で、巣箱の状況は良好だった。蜂の数が増し、箱の数が3割程も増えているのは、前年末から良い流れを作れていると見て良かろう。
「今年は蜜源が豊かだな」
「ああ、他の村の者も養蜂の事を知ってくれての、極力花畑やらを残す様にしてくれておるらしい。有難い事だわ」
コーセブさん、目頭を押さえる。年を取ると、涙もろくもなる様で。
エリーシャは少し足を延ばし、樹園を訪ねていた。忙しく木々の世話に精を出す人達の様子を暫し眺め、休憩を取るのを見計らい、話しかける。
「その後、熊や狼の出没はありませんか?」
「ああ、ここ最近はとんと出ないね。あの臭いのする液と、こいつらがよう働いてくれる。ただ、樹園を広げとるからな、事によるとあっちの方でまた一騒動起こるかも知れんがなぁ」
なるほど、とエリーシャ。人が進出して行けば、そこを住処としていた動物と衝突するのも已む無き事だ。
樹園を闊歩する番犬達は、頼もしい衛兵の様。彼女の愛犬エドと、番犬の中でも体の大きな一匹が、くんくんと互いのにおいを嗅ぎ合っている。
「エド。番犬とは仲良くなさい」
はう、と大口を開けて欠伸をし、わかってますよとでも言いたげなエドである。
●紙作りを見学会
そしてとうとう、フオロからの客人を迎える日となった。
「大丈夫です、あんなに練習したんですから」
エリーシャの言葉に、こくこくと頷くマリエ。工房に出向き、緊張の面持ちで待つこと2時間程。予定を遅れてやって来たのは、威厳とも貫禄とも無縁な、なんとも頼りなげな青年だった。
「や、これは遅くなってしまい申し訳も。私は──わわ!」
どさどさと荷物を落とし、それに突っ掛かってすっ転ぶという有様。慌てて拾うのを、フレッドとセオドラフが手伝いながらどんな物かを確認する。大半は羊皮紙の書類。契約関係のもので、その試案といったところか。ほらしっかりしろよ、と登志樹が彼を助け起こした。
(「ぱっと見、威圧的な内容ではありませんでしたが‥‥」)
フレッド、それでもまだ警戒は解いていない。
「あ、これは失礼。少々内容が目に入ってしまいました。貴方も製紙、そして紙を利用して発展を遂げるであろう新産業の展望をご覧になりたくておいでになったのですな。実はわたくしも紙作りには興味があるものの、詳しくはありませんので、一緒に見学させていただいてもよろしいでしょうか」
優しげに話しかけるセオドラフに、お客人は恐縮をするばかり。
「あ、はい、もちろんです。紙が将来有望な品であるならば、是非とも保護し発展を助けねばならないというのがエーロン様の意向でして。私は若輩の身ながら、それを見定める大切なお役目を承ったという‥‥」
自分で言っていて緊張し出したのか、生唾を飲み込むやら額の汗を拭うやら。
「ここに目を付けるとは、さすがはエーロン様です。教育に力を入れているフオロ家には得る物が大きいでしょう」
アリアの慇懃な圧力に、は、はあ、と頷きながら何となく気圧されるお客人。
「ようこそおいで下さいました。モーガン卿よりご案内を仰せつかりましたマリエと申します」
彼女が差し出した手を、両手で握ってペコペコと。これではどちらがゲストだか分かりはしない。
「えーと、そ、それではこちらへ‥‥」
マリエ、完全に調子が狂っている。丁度その時、樹園から材料が到着。お客を扱いかねているマリエに代わり、銀麗がさりげなく解説を始めた。
「追加の材料が到着した様ですね。紙とは簡単に言えば、植物の繊維を取り出して固めたものです。水の澄み具合と材料の腐敗を避けるという意味で冬が最盛期となりますが、基本的には季節を選ばない産業といえます」
ふむふむと感心頻りなお客人。早速人々が寄り集まって材料を運び込む様を横目に見ながら、剥がした樹皮を蒸し上げ、繊維を削ぎ取り、干して保存の効く状態にして行く過程をざっと紹介する。間を少し端折り、煮込んで柔らかくした繊維から丁寧にゴミを取り、繊維を叩いて柔らかくする行程に案内した。
「やってみますか?」
なんだか興味深々な様子だったのでマリエが水を向けてみると、大喜びでやり始めた。‥‥が、すぐにバテてリタイヤ。
「大丈夫ですか?」
「いや、なかなかに大変なものですね」
息も絶え絶えに呟く彼を見て、九龍君って頑張ってたのねと、ふと思ったりするマリエである。客人が漉きの行程を見ている内に、福袋が完成品の紙を用意しておく。
「なるほど‥‥軽くてしなやか、羊皮紙とは随分と違うものなのですね」
手渡されたペンを使い、実際の書き味も試してみる。
「これは、ペンで文字を書くのに適するよう工夫をした品です。用途に応じて素材や塗布剤を変えることで、また違った性質の紙を作りだす事が可能です」
銀麗の説明に、客人は紙を透かして見たり横から見て目を細めたり。そうしながら投げ掛けられる質問は、年にどの程度を産するのか、とか、樹園や工房にどの程度の人数を割いているのか、とか、次第に産業としての紙を計るものになっていった。
話し相手を福袋に任せ、聞き役に回っていたまりえの背後から、おーいおーいと小さな声が掛けられる。振り向くと登志樹がサンプルの紙を前にして、何やら真剣に悩んでいた。
「あのな、濾紙に使える紙ねぇか?」
唐突な質問に、はあ、と間の抜けた返事をしてしまうまりえ。
「‥‥何に使うんですか?」
「今とある所で蒸留酒造りをしててな。まだ、やり始めなんだが漏斗用の紙を今の内に用意しとこうと思ってな」
得心したまりえは、この紙が使えると思いますよ、と混ぜ物の無い紙を引き寄せた。
「お酒の事は詳しくないけど‥‥この手の紙を漆の濾過に使っていたと聞いた事があります。お酒を漉すのにも十分使えるんじゃないかしら」
へー、と感心する登志樹。
「それじゃ、一度使えるかどうか試してみるかな。ああ、度数の高いアルコールが入用なことがあったら連絡を入れてみてくれ。開発に成功してりゃ、雇い主の意向次第で分けてやれるだろうからな」
頑張ってくださいね、と応援されて、おう任せとけと胸を叩く。
「‥‥ちなみに紙の値段、コストダウンとかして安くなんない?」
「お客様、当店の紙は大変お安くなっております」
冗談めかして答えたマリエに、二人して大笑い。慌てたエリーシャに背中を突かれてハッと我に返り、マリエ、咳払いをして懸命に誤魔化す。
「新たな用途の発掘に立ち会えて光栄です」
笑う客人に、マリエは顔を赤くして俯いた。
「どうです? 紙には見るべきところがありましたかな?」
セオドラフの問いに、お客人は満足げに頷く。
「一見、手間がかかる様に見えますが、羊皮紙と比べて植物が素材というのがとても大きいですね。材料の生産という部分から考えると、とんでもなく有利な品だと思います。既に実用に足る完成度にある様ですし、エーロン様に良い報告が出来そうです」
にこにこと愛想を振り撒きながら工房の人々に礼など述べている彼を見ながら、福袋は男爵への報告を整理していた。
「どう思います?」
問うたフレッドに、福袋はそうですねぇ、と眼鏡を上げながら。
「紙の技術を奪い去ろうという様な、そういった意図は無いでしょう。彼自身の言葉に嘘は無いと思います。ただ、単に紙を買い上げるというよりは、フオロ、あるいはウィルの産業として振興を図りたい思惑はあるかも知れません。あの青年、見た目はああですが商売の嗅覚にはなかなか優れたものがあると見ました。エーロン様もなかなかどうして‥‥」
「それは独占が出来なくなるという事では?」
険しい顔のフレッドに、いやいや、と福袋が首を振る。
「確かにそうですが、男爵には振興の上で要となる役割が与えられ、安定と名誉と利鞘が転がり込む‥‥とまあ、こんなところで収まるのではないかと踏んでいるのですが」
うーむ、とフレッド、考え込んでしまう。
この件に関しては、ホルレーとフオロの間で、交渉が進められているという。
●お疲れ様
大役を果たしてアトリエに戻ったマリエは、椅子に体を投げ出して、はぁーっと大きく息をついた。お疲れ様でした、と労いの言葉をかけたエリーシャに、私はほとんど役に立たなかったけどね、とマリエ、苦笑い。そんなこと無いですよ、とエリーシャが差し出したのは、缶コーヒーだ。
「故郷の飲み物で疲れを取って下さい」
「え、でもこれ高価なんでしょう? いいの?」
どうぞ、と促したエリーシャは、素直に喜ぶマリエの様子に微笑んだ。
「うー、かゆかゆかゆ〜」
「ま、待って下さい私が今治療を──」
どたばたと騒々しいのは夏樹と銀麗。どうやら、加熱して作った石鹸のうち、沸騰寸前まで温度を上げたものはかなりお肌に厳しい仕上がりだった様で。
「こ、こんな筈では‥‥」
しょんぼりと肩を落とす夏樹を、マリエが慰める。
「これは、もっと塩折の行程を徹底すべきなのかもしれないね」
不純物を分離するこの作業は、何度も繰り返せばそれだけ残存した不純物を取り除けるが、一方で有用な成分まで除いてしまう一面も持つ。
「そんなに上手くは行かないかぁ。ね、気分転換に、またみんなでサウナに行かない?」 夏樹の提案に、あ、いいかも、とマリエも乗って、皆して出かける事になった。
九龍はひとり、黙々とムラサメを振るいながら、己の中の甘えを削ぎ落としていた。
(「命を切る覚悟、切られる覚悟、それらを支える強さと自信を身につけるんだ」)
ふと思い浮かぶ、クリスマスの日の切ない思い。だがすぐに首を振り、雑念を追い払うと、また黙々と刀を振るう。己の中の甘えを削ぎ落とし──
「あ、いたいた。九龍君、いっしょに公衆浴場に行かない? みんなであの浴場がどうなってるか、確かめに行こうよ」
ん、いや、でも俺は‥‥と断りの言葉を口にする間もなく、ひょいと覗き込んだマリエに驚いて後ずさる。真剣なんだ危ないぞ、と怒ってみるものの、現代人でしかも田舎で平和に暮らしている彼女に危機感が無いのはもう致し方の無い事で。
「修行? 大変なのねこんなに汗かいて‥‥これはもう、サウナでさっぱりするしか無いわよね!」
さ、みんな行きましょう〜、とにこやかに。缶コーヒーを弄びながら、川で冷やしてお風呂上りに飲むんだーと嬉しげなマリエに、今はあっさりと流されてしまう九龍なのだった。