●リプレイ本文
●挑戦再び
山裾の、のどかな風景の中に佇む錬金術師まりえのアトリエ。冒険者達が訪れたらすぐに作業に入れる様にと、マリエはパラ執事のトックと共に準備を整えていた。間もなくして、コンコン、とドアノッカーを鳴らす音。大荷物を抱えて慌てるトックに、私が出るからそっちよろしくね、とマリエが扉を開けた。
「いらっしゃいみな‥‥さん?」
彼女の目の前には、恭しく跪くザナック・アレスター(eb4381)の姿があった。
「偉大なる錬金術師まりえ殿。貴女のなさろうとしている事は、ウィルにとって偉大な一歩となるでしょう。レディ、貴女の為に働ける事を誇りに思います」
よ、よろしくお願いします、と、ぎこちなく頭を下げるマリエ。映画の中でしか見た事が無い様な振る舞いをされて、どう対応していいものか途方に暮れている様子。確か前にケミカさんのお手伝いに来ていた方? と会話を探り探り。そうする内にもうひとり、こちらはスーツ姿に黒縁眼鏡の、寸分の隙も無い営業スマイルを湛えた男、信者福袋(eb4064)がするりと近寄って来た。
「いやいやいや〜、どうもどうもはじめまして、私こういう者ですが」
目にも止まらぬ早業で脱出を許さない距離に詰め寄って、名刺など手渡している。
「なんでもマリエ様は、『紙』の開発をなさっておられるとか。そういうビジネスチャンスには是非とも協力させていただきたいですねぇ。売り込みの方をこの信者福袋にお任せ頂ければ、きっと事業を軌道に乗せてご覧に入れます」
満面の笑みを湛えて営業トーク。
「はいはい福袋さん、そのくらいにしておきましょうね」
割って入った深螺藤咲(ea8218)がマリエを救出。
「おっと、これは失礼。サラリーマンの性というやつでして」
はあ、とまだ何となく腰が引けているマリエに、福袋が頭を掻く。
「でも確かに、この世界でまだ普及していない品を広める為に努力と考案を重ねる‥‥素敵な事業ですよね。今まで旅して来た知識と経験が、何か役に立てばいいのですけど」
藤咲の言葉に、そうでしょうそうでしょうと頷く福袋だ。それにしても、とクロウ・ランカベリー(eb4380)は呟いた。
「紙が一般的でないというのは、正直かなりのカルチャーショックだな」
書類が無ければ始まらない官僚の世界で生きていた彼にとっては、有り得ない状況である。やっぱり異世界、っていう事ですよね、と篠宮沙華恵(eb4729)がしみじみと。
「皆さんが少しでも便利に暮らせるように、協力させてくださいね」
「天界の方々にばかり良い格好はさせられません。この世界に生きている者として、是非とも協力させて頂きますよ」
アトランティス人、リュード・フロウ(eb4392)がザナックと頷き合う。
「妾が得意とする水墨画には白い和紙が不可欠。微力ながら力添えになれば‥‥」
「良い画材が安く手に入るかどうかは、画家にとっては大問題よねー」
柳麗娟(ea9378)とケミカ・アクティオ(eb3653)は意気投合。何やら話が弾んで、苦労話に発展中。
「本とか、絵本とかを作れるようになったら素敵ですよね」
私の知ってるお話とか、書いてみたいなぁ‥‥と辰木日向(eb4078)が夢を語れば、本を作るのはいいですね、とソフィア・ファーリーフ(ea3972)も賛同した。
「紙作りを解説する本を作り、実際にその本に記されている製法で作られた紙を使えば、説得力があると思うんです」
本は本でも、こちらはHowTo本という訳。
「この世界では本はみんな手で書き写すものだし、そもそも識字率が低くて読める人が少ないから、本ってとても高価で贅沢なものらしいんですよね」
お話は専ら口伝で語り継がれているみたいなんです、と語るマリエに、日向は改めて驚く。これはジ・アース人のソフィアにとっては常識なのだが、地球人にしてみれば、俄には信じられない事だろう。
「そこは男爵様からも指摘される可能性がありますね。どう返答するか、考えておいた方がいいでしょう」
福袋が指摘する。マリエ、悩み事をひとつ増やしてしまった。
「パトロンがいると研究結果を見せなきゃならないんだ。まりえちゃん大変だねー」
あたしも良い物ができるようにいろいろ頑張るね、と肩を叩いた御紅蘭(eb4294)に、お願いしますー、とかなり切実なマリエである。
「まりえ様〜、いつまで皆様に立ち話をさせておくのですか〜」
トックに言われて、はっと気付く。まりえ、慌てて皆を中へと招き入れた。
●改良・筆記具
さて、紙の様々な改良点について話している内、一緒に出て来るのは筆記具に関する話。
「興味があるのは、先日まりえさんが使っていた『えんぴつ』でしょうか。具体的にはどういったものなんですか?」
白銀麗(ea8147)に聞かれ、マリエは頭を捻って思い出す。
「確か、黒鉛と粘土なんかを混ぜて焼き固めたもの、だったと思うのだけど‥‥」
黒鉛を合成する程の技術は無いので、これを作る為には天然の黒鉛を掘り当てるところから始めなくてはならない。現実的ではなく、残念ながら保留という事に。
一方、蘭が目指すのは、滲み難い粘度のあるインク作り。油性の顔料インクを調達して、それをベースに更に粘度を調整して、最も好ましいインクに仕上げるのだ。
「つけペンには粘性の高いインクの方が向いているっていうけど‥‥」
「やっぱり伸びは悪くなってしまいますね」
「でも、かなり滲みは解消されてるね。紙の方も改良するから、もう少しゆるめてもいいと思う」
蘭の実験にマリエと銀麗も加わって、試作品の紙の上に、くるくるとタコやらイヌやらが描かれて行ったのだった。
一方、墨と筆作りに挑戦するのは木下秀之(eb4316)と賽九龍(eb4639)。
「墨は、油を燃やしてスス集めて、煮て溶かしたニカワとよく混ぜる。スス6ニカワ4くらいの比率で良かった筈なんだよ。餅くらいになったら台に乗せて捏ねる。熱くても我慢、空気が入らない様に注意しながら捏ねて、型に入れ乾かしたら完成だったと思う。筆はまあ、馬の尻尾の毛を縛って一塊にして、竹に糊でつければいいんじゃ?」
と、いう訳で、九龍は筆に使う毛を調達に。秀之は油を燃し、その煤を集め出した。
「ふ‥‥筆といったら、やっぱり馬の尻尾だろう」
妥協しない男、九龍。彼は毛艶の良い馬を見つけると、ナイフを手にそっと近付く。
「あちゃちゃちゃちゃ! ほわちゃ! ほわ──」
どご! 後ろ脚の一撃を食らい、鈍い音と共に彼は吹っ飛んだ。だが、ゆらりと立ち上がったその顔には、不敵な笑みを浮かべている。
「馬、なかなかやるな‥‥だが!」
彼の手には既に、一束の毛が握られていた。
さて、苦労の末に入手した毛で筆らしきものを作った彼だったが、いざ使ってみると水を見事に弾いてしまい、話にならない。獣脂のせいだというので煮込んでみるものの、結果は芳しく無かった。しかも、穂先が揃わず寝癖の様に跳ねてしまう始末。
「‥‥煤が、煤がちっとも集まらないんだ‥‥」
遠い目をして呟く秀之。墨作りの方も簡単には行かない様で。油を燃やし、その煤を集めるのは、気の遠くなる様な作業だった。秀之がなんとかヒビだらけの墨を完成させた時、依頼は最終日になっていた。結局筆はモノにならなかったので、様子を見に来た麗娟の私物を頼み込んで貸してもらう。
「それは構いませんけど‥‥筆なら、普通に入手できるんじゃありませんか? こちらでも筆は使うと思いますけど。例えば、絵筆なんかはあるでしょうし」
あ、と一言。天を仰ぐ。
「ま、まあいい、とにかく墨を試してみよう」
秀之はやっとの事で完成させた墨を磨ってみる。どんどん磨る。と、あっという間に半分ほどになってしまった。しかもその墨は、何ともはや、締りの無い薄らトボケた色をしていた。九龍は煤を直接水で溶いてみたりもしたが、これも駄目。
「もしかして、もっとじっくり乾燥させなきゃいけなかったのか?」
「意外と手間のかかるものなんだな」
二人して反省会。墨筆組は、完全撃沈となってしまった。
●素材探し
ソフィアは山林を歩きまわりながら、銀麗が語った木の特徴を思い出す。彼女が知識として聞きかじっていた紙の素材となる木の話。しなやかで繊維の長い樹皮を持ち、栽培も比較的容易だという‥‥。
「これ‥‥かな」
ナイフで少しだけ傷つけて表皮を剥ぎ、繊維の状態を調べる。悪く無さそうだ。
「じゃあ、お願いしますねザナックさん。もし良い様なら、また来て何株かお庭に植えて、栽培に適するかどうかも確かめましょう」
「任せて下さい」
どのくらいこの植物が生えているかを確認するソフィアに代わり、大量の枝を背負ってアトリエに戻っていくザナックだ。
さて、情報を提供した銀麗自身はどうしているかというと、近隣の村々を回り、古着の回収を試みていた。
「それにしても、皆本当に物持ちが良いのですね」
呆れるやら感心するやら。銀麗が提供されたもののうち、服の形をしているものなど、数える程しかなかった。大概は端布となり、更に何かに使われてボロボロに擦り切れている。
「この調子だと、何も出なくなる日も近そうね。もっと範囲を広げた方がいいのかしら‥‥」
考え込む彼女。ボロ布を差し出した農夫が、立派な鎧騎士殿に頭を下げられ狼狽している様が何だか可笑しい。
「ザナックさん、その調子でどんどん集めて下さいね」
まいったな、と頭を掻く彼に、銀麗が微笑む。
一方、ケミカはといえば。
「偉大なる錬金術師、マリエ様のお仕事なんだから、みんなの知恵と力を貸して欲しいの、お願いよ!」
おうさ、と村人達。再び彼らを率いて探索だ。
「それにしても、紙に土を混ぜようだなんて、天界の人って面白い事考える物ねぇ」
と、そんな事を言っている間に、手招きされ飛んで行った。
「今度のはいいわねー、とっても白くて滑らかで。肌理も細かいし」
既に何種類か積まれた驢馬達の背に新たな1つが加わった。と、そこに駆けつけたザナック。
「ちょうど良かった、荷物を持った村の人達を護衛して、一足先に戻ってて。私はもうちょっと探してみるから」
「‥‥ちょ、ちょっと休みた‥‥いえ、何でもありません」
さ、行こうか、と村人達を率いて、今来た道をザナックは戻っていく。お疲れ様。
●改良・漂白
白い紙。雪のように白い紙。柔らかくてしなやかで、それでいてしっかりとした強い紙。一同は念仏のように繰り返す。
「絹かぁ‥‥俺の実家さ、爺さんの代までお蚕様育ててたんだ。少しは知ってるぜ」
日本人である秀之にとって、蚕はかなり身近な生き物。小学校の自由研究で、蚕の研究をした友人もいる。彼女はフンを見て、蚕が何齢の幼虫かを当てて見せた。
(「確か、フンの大きさが頭の大きさと同じだったっけ?」)
今すぐは役に立たないトリビアが頭に浮かぶ。
「‥‥、桑で紙作りとかどうよ。葉はお蚕様に、皮は人が使えば完璧!」
その桑が充分に存在するかどうかは別の話ではある。蚕はウィルに無いようだし、一男爵が入手可能かどうかも判らない。気持ちを切り換え提案する。
「一手間増やして、内側の白い皮だけ使ったらどうだろう? 白木の部分だけから作ったら、色は白くなるんじゃね? 叩きすぎたら弱くなりそうだけどよ」
「それよりも、色の白い樹を使いましょう。この白楊はどうでしょうか? 柔らかで軽く、木色がとても白いという特徴がありまする」
あちらで鞴と格闘している麗娟が助言。
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材料を蒸す→皮を剥ぐ→干す→一日流水に晒す→内側の白い皮だけ剥ぐ→
アクで煮る→一日流水に晒す→ゴミを取る→叩いて柔らかくする→
マロウを混ぜ漉く→重ねて一日干す→板で挟み重石をのせ一日放置→天日干し
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ロウ板に書いて説明し、我ながら気の遠くなりそうな作業だと途中気づく。省力化を図らねば、紙の原価は高くなるのだ。
「白い樹かぁ‥‥」
秀之は材料の検討に入った。
紙の表面に塗料を塗る方法を試みるクロウ。ちょっと丸めただけでポロポロとはげ落ちる塗料に苦心惨憺。石灰その物は目も粗く、あまつさえ滲みの程度が酷くなってがっかり。小麦粉から作った澱粉などを加えて、色々と配合を変えては見たが乾けぱ粉を吹いて惨たる有様。
「一朝一夕には行かないか。そもそも素材が間違っているのか‥‥」
修正液の作成など夢のまた夢。そう言えば、初期の修正液は白いマニキュアの流用だったっけ? 水性では難しいのかも知れない。普段何気なく使っていたものではあるが、実は自分が何も識らない事に改めて気が着いた。下手をすると紙わりも高価な塗布剤になりそうだ。
リュードが苦心しているのは陶土の配合。紙の表面のでこぼこを埋めるための充填材なので、細かければ細かいほど良い筈。白亜、石膏、焼いた貝殻を砕いた粉。小麦粉から取った浮き粉。クロウが試みた材料を、片っ端からパルプに混ぜて試してみる。
「う‥‥うん」
そこそこの白さが増した紙を引っ張り擦り試してみる。どうやら塗るよりも混ぜた方が結果は良好。これに前回試した滲み止めを行い、アイロンを掛けるとまずまずの物になった。
思いがけない効果が一つ。紙の色が白さを増して居るのだ。但し、まだ紙本来の色が基調になっている。
漂白に挑んでいるのは銀麗、麗娟、沙華恵の三人。漂白剤を創り出すために奮闘中。
「ああ! またやっちゃいました」
貴重な試験官を壊したのは銀麗。火加減を間違えて目的の過酸化物を作り損ねた。手に入りやすい材料でいろいろと試しているが、なかなか巧く行かない。
「お料理や水回りの掃除で、よく重曹を使ってたんですよ。匂い取りとか、色々な事に使えるんです。洗剤にも使えるって聞いた事があります。確か海藻で天然石鹸を作るときの油を分解するのは重曹の効果だそうですよ」
沙華恵の会話をヒントに、麗娟と沙華恵は釜で海藻を灰にしている。良質の炭を使い、盛んに鞴を踏んで汗まみれ。そうしてやっとの事で出来た僅かな海藻灰を手に入れた。地球の言葉で言うならば、多分に重曹分を含んでいる筈。
さぁ、やっと実験だ。試してみると、僅かながら漂白の効果があることを確認。しかし、純度の問題か? あまり良い結果は出なかった。
顔を見合わせる二人。
「‥‥もう少しね」
徹夜続きで行き倒れ状態で眠っていたマリエが目を覚まして覗き込む。
「重曹の純度を上げないと駄目ですね」
「炭酸の効果がもっと強化されないと難しいです」
交わされる意見。
「炭酸? 炭酸が漂白効果を持つの?」
マリエは鞄から化学の教科書を取り出す。パラパラと捲る音。
「あった! 炭酸と似た性質の物があるわ」
指さした表の文字はH2SO3。亜硫酸である。
「これなら、硫黄を燃やした煙を水に溶かせばすぐ出来るわ」
早速試してみる。硫黄の煙の充満する部屋の中で管を通る煙が水を潜り、溶けきれなくなったガスが別の管を通って再び水を潜る。こうして混じり気の少ない亜硫酸が出来た。
亜硫酸は炭酸水や重曹水よりも反応の強い物質である。純度も充分であったためであろう。一晩置くと、パルプは見違える白さになった。まだ生成の色は残っているが、筆記用としては充分な白さだ。
●改良・紙質
かじかんだ指を脇に挟み、暖める。ソフィアが試みるのはパルプの均一化。荒い目から順に細かい目のザルで濾し、大雑把な異物を取り除く。それでも混ざってしまった色の強い樹皮などを、木製のピンセットで丁寧に取り除いて行く。随分と根気の居る作業だが、先ずは最上の手間を掛けて、どのくらいの物が出来るかを見極めておく必要がある。そして、それを物差し為して、許容できる歩留まりを決めるのだ。
「ちょっと目と腰に来ますねえ」
背筋を伸ばすと少し貧血気味。舌の奥に一瞬しびれるような感覚。あくびをすると両耳の辺りでカコンと小さな音。
丁寧に剥いだ漉きたての紙を注意深く重ねて、板の上に紙のお豆腐を作る日向とクロウ。間に布を挟んで慎重に積み上げて行く。その厚みが豆腐ほどになると、上に板を載せ縁に鉛の錘を着けた専用の小さな網を二人で被せる。均一に重みが加わってくれるよう。丁寧に。これで一昼夜水を切り、紙の繊維を定着させるのだ。さらに一枚一枚板に張り付けて自然乾燥。これが様々な試行錯誤の末、一番出来が良かった方法だ。
藤咲の研究は、丁度良い紙の厚さ。薄すぎてはすぐ破れ、厚すぎてもしわが出来やすい。ローラーを作ってでこぼこを直そうとしたが、
「これじゃ、先に道具を作らないと駄目ですよね」
ローラー自体の精度が悪いので、却って酷くなるような気がする。思いあまって窮余の一策。洋服のしわを伸ばすアイロンを掛けてみる。アイロンと言っても炭火を上に置く火ノシといった方が正しいかも知れない。こちらは存外に巧く行った。なんとか格好が着いた辺りで、厚さを、具体的には漉く時のパルプを揺する回数を変えた紙を、折ったり引っ張ったり負荷を掛けて試してみる。
「羊皮紙と同じくらいの厚さが丁度良いみたいですね」
アヤメ・アイリス(eb4440)は膠と樹脂を用意して滲み止め工夫。蘭はそれをプレスし、ごわつきが抑えられないかを実験中。今のところ膠と明礬が最も良い成績を見せた。ごわつき防止のプレスは、藤咲の発見したアイロンより劣り手間も掛かることが判明。結局、乾燥してから霧吹きで滲み止めを塗布しながらアイロンを掛けるのがベターのようであった。
「うわぁ。ザナックさん。なにそれー」
膠造りは悪臭との戦いでもある。量産のためすっかり臭いが染み付いたザナックは、服まで嫌な匂いがした。
●報告
「さて、モノは出来上がりました。後はどう売り込むかです」
福袋が眼鏡を押し上げながら、にやりと笑う。その不敵な笑みは、まさしく戦う男のもの。彼は商いという戦場で戦う戦士なのだ。
「研究の成果は、現物を見て頂ければ一目瞭然ですよね」
アヤメは以前の紙と改良した紙を手に持って見比べる。努力の結晶に、おもわず頬が綻んでしまう。
「ええ、プレゼンテーションの上で、これは大きい。一方で、あくまで実験の為に採算を度外視して材料を集め、人を動かしている現状では、コストの面でのアピールは弱いですね。コストダウンの見通しと紙の有用性、活用法を示し、期待の持てるものだと理解して頂くのが正道と考えますが‥‥」
麗娟と2人して何やら工作中だったケミカが、はいはーいと手を挙げた。
「紙をたくさん作って、じゃあそれを何に使うの? ってなるかと思うから、『インサツに使うの!』って事を示したいわけよ」
「こんな感じでどうかしら?」
彫刻刀を置き、麗娟が作品を使ってみる。アヤメがまあ、と手を打った。
「ほう、いいですね、分かり易いのは何よりです」
「ふっふーん、ナイスアイデアでしょ」
福袋に褒められ、麗娟の分まで鼻高々なケミカさんだ。リュードはというと、今回の改良点、その経緯など、自分が記録したものを纏め直している。
「うわ、難しい言葉がいっぱい‥‥」
前回の記録を担当したケミカが、横から覗き見て感心する。
「でも、天界人の会話にはよく分からない言葉や概念が出て来るから大変ですよ。──あ、すいませんソフィアさん、この植物についてもう少し噛み砕いた説明を──」
解釈が誤っていないか確認しながらの、地道な作業だ。
「前に私が書いたのも校正してもらった方がいいかな?」
こうした努力があって初めて、知識は蓄積され、整理されて行くのだろう。
あれこれと忙しく皆の世話を焼くトック。その彼を呼びとめたのは沙華恵だった。
「あの、偉い方にお会いする前に、ちょっとお聞きしたい事が‥‥。女性が脚を見せたりしちゃいけないとか、同性愛が死罪だったりとか、そういう事はあるんでしょうか? この間、バニーガールのお仕事をしたりもしたんですけど‥‥」
「ばに‥‥って何ですか?」
改めて聞かれると説明に困る。
「えっとですね、一般的な話をするなら、やはり女の人が無闇に肌を見せるのは、はしたないとされていますし、同性愛なんて‥‥いきなり死罪ってことは無いでしょうけど、普通、バレたら強い嫌悪感を抱かれます。ただ、貴族の方々は時折、趣向と称して私達平民にはちょっと理解し難い事をやったりやらせたりもするので‥‥」
難しいんですね、と沙華恵。厳しい戒律を課す宗教が根付いていないせいか、彼女が知っている中世世界程には厳しく無いが、現代程に緩んでもいない。現代人の感覚でも、お堅い場に出る心積もりで振舞っていれば、大失敗する事は無い筈だ。
モーガン・ホルレー男爵は、甲冑と剣が似合いそうな、無骨を絵に描いた様な人物だった。
「よく来た。早速話を聞こうか」
はっきりとした大きな声。愛想は無いが、こちらに強い興味を持っているのを感じ取り、語り甲斐のある人物、と福袋は見た。マリエが手短に支援への感謝を述べ、今の研究内容について説明を始める。男爵は社交辞令が好きでは無さそう、というマリエの見立ては、多分間違ってはいないだろう。
「こちらが最初に完成させた紙、そしてこちらが改良した紙です。どうぞ、お手に取ってご覧下さい」
少々緊張しながらも、アヤメは進み出て紙を差し出す。男爵とその奥方は、それを摩ったり透かしたりしてみては、驚いたり得心したり。そんな様子を見ている内に、緊張も解けて来た。麗娟は筆を取ると、紙にさらさらと荒野を駆ける駿馬を描いて見せた。
「未熟な手ではありますが、どうぞお納め下さい」
墨の濃淡だけで描かれた絵に、特に奥方が喜んだ。ごく自然に、十分使用に耐えるものだと示して見せた訳だ。男爵はペンとインクを持たせ、白い紙に自ら字を書いてみる。
「なるほど、羊皮紙とはまた異なる書き味だな」
「この紙の主な材料は、ご領地の山に自生する木の皮です。それに麦藁と麻、マロウ、土、若干の鉱物。全て手近なところで調達できるものばかりです」
ソフィアの説明に、ならば生産できる季節が限られるのではないか、と男爵。
「栽培を手がける事で、その問題を回避できると考えています」
なるほど、と納得してもらえた様子。ソフィアはほっと胸を撫で下ろす。男爵は福袋が手渡した試算に目を通し、高いな、と一言。
「経費の圧縮は難しくないと考えています。例えば生産が軌道に乗り我々冒険者の手が離れれば、それだけで大幅に経費を抑える事が可能となります。素材の栽培を計画的に行えれば、更に安価に、安定した生産が可能となるでしょう。ご領地に、新たな特産物がひとつ生まれる事になります」
ふむ、と男爵が考え込む。
「男爵様、ご覧下さい」
ケミカが紙にスタンプをぽんと押す。セトタ文字で『男爵様の寛大なる命が未来を拓く』と、くっきりと読み取れた。彼女はぽんぽんとスタンプを押し、同じものを何枚も作って見せた。
「紙を量産する事が出来ましたら、このように同じ書を次々に作る事が出来るようになるのです。今は手作業ではありますが、この延長上に、インサツ、という技術があるのです‥‥ですよね、まりえ様? これは男爵様のご領地に、ひいてはウィルの国に、すばらしい文化をもたらすと思いますわ」
ザナックは大きな身振りを添えて、力強く言った。
「男爵殿! 紙が安価に大量に手に入るようになりましたら、ウィルの騎士、貴族の学問の水準は、必ずや向上するでしょう! どうか今後とも、偉大な錬金術師まりえ殿の研究に、ご支援をお願いいたします!」
明朗明快。彼自身がそう信じているのだから、言葉には一点の曇りも無い。
「しかし例え大量の紙を作り出しても、書ける者は少ない。書物を生み出せても、読める者も少ない。結局は無駄なのではないか」
予想されていた指摘に、マリエはこう答えた。
「書物や文房具が安価に広まれば、読み書きを学ぶ為の敷居も下がる筈です。そして、今よりもずっと多くの人達が、それに触れる事が出来る様になります。大切な記録、確かな知識や、想像力が生み出した空想物だって‥‥残しておける事、触れる機会をもてる事は、それだけでとても大きな力を生み出します。もしも私にそのお手伝いが出来るなら、とても嬉しい事だと思います」
つたなくはあるが、一生懸命考えてた末の言葉だ。男爵は暫し考え、奥方と二言三言、言葉を交わし、
「よし、良かろう。更なる成果を期待している」
そう結論づけたのだった。
「今度は、是非アトリエの方にいらして下さい。その方がずっと研究の現状をご理解頂けると思いますので」
アヤメの言葉にうむと頷き、男爵は席を立った。
アトリエに戻ったプレゼン組は、そわそわしながら待ち侘びていた仲間に、腕を掲げて大きな丸を作って見せた。留守番組が歓喜の声を上げる様に、先に散々喜び倒した彼らにも、再び嬉しさがこみ上げて来る。彼らを労う様に、漂ってくる美味しそうな香り。扉を潜ると、蘭が機嫌よく口笛を吹きながら、トックの料理を運んでいた。お行儀がいいとはいえないが、香ばしいマヨネーズの香りを嗅げば、その気持ちも分かろうというもの。
「上手く出来たんですね」
微笑むアヤメに、嬉しそうに頷くトック。
「はい。秀之様、アヤメ様からまよねずの正しい作り方を教えて頂いたおかげです。手順ひとつでこんなに結果が変わるなんて、びっくりですよ。残念ながら胡椒は大変希少で高価なので入れられませんでしたけど‥‥。秀之様がまよねずとエビを使った料理を教えて下さいましたので、早速作ってみました」
内陸のこの辺りでは、手に入るのは川エビだけ。ただし今が旬でとても美味しい。トックは自分なりに工夫して、やや小ぶりな川エビを殻つきのままでさっと揚げ、さくさく殻つきエビマヨに仕上げて出した。
「そういえば、当の秀之さんは?」
辺りを見回すアヤメ。
「エビマヨを独り占めにしようとしたので、反省中なんですよね」
くすりと笑う日向。藤咲が笑いを堪えながら、ちらりと視線で示す。物陰から、そーっと覗く秀之。
「お祝いですから、みんなで頂きましょう」
マリエの救いの声に、嬉しさを隠さず輝く様な笑顔で秀之が転がり出て来る。この日は皆、一先ずの成功を心の底から喜び合ったのだった。