隠居エーガン〜世に棲む日々

■ショートシナリオ


担当:マレーア3

対応レベル:8〜14lv

難易度:普通

成功報酬:4 G 98 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:09月13日〜09月18日

リプレイ公開日:2007年09月21日

●オープニング

 老人が、こんな人里離れたところで風景画など書いていたら、人は彼を芸術家と見間違うだろうか。
 しかし彼にとって、この絵は本業ではない。ただの、暇潰しに過ぎない。
 一人、筆を動かす渋面の老人。そんな彼に、向こうから一人‥‥来客ではない。
 男は、申し訳なさそうに言う。
「すみません、少々時間がかかってしまいました」
「遅いぞ、買出し程度にどれほどの時間をかけているのだ、ジェームス!」
 怪しい頑固親父に、またこれは奇妙な組み合わせ。現れたのは教師、ジェームス・ウォルフ。手に持っているのはインクに筆ペンに‥‥どう見ても筆記用具である。
 老人は筆記用具を受け取ると、そそくさと絵を片付け始める。どうやら、本業に戻るようだ。
 先ほどの絵画の他にも、盆栽(サンの国の園芸である)、陶芸。様々な『暇潰し』を日々行う彼は芸術家顔負け‥‥いや、もはや芸術家そのものだろう。
 そのあまりの自由な振る舞いに、ジェースは時々思う。
(「御身は幽閉の扱いをされている事を、忘れているのではないでしょうか」)
 老人は、何も好き好んでこんな辺境にいるわけではないのだ。

 書斎に入り、何時間が経っただろうか‥‥しかし老人の筆は未だに休む事なく動き続けていた。
「これは、またすぐに筆が駄目になりそうですね。今度はもっと丈夫そうな物を買ってきます」
「変な所でケチでいると、結果的には損をするものだ。それよりジェームス、ここについてなのだが間違いや書き漏らしが無いか、調べるのだ」
「はい」
 ジェームスは出来上がったそれを手にとって眺める。誤字一つ無い。決して作業スペースは早くないものの、この正確性はそれを考えても十分釣りが出る。時折挿絵なども書き記されており、つくづく、ジェームスは彼が芸術家気質の人間なのだと再認識する。
 老人の仕事は、歴史編纂‥‥簡単に言ってしまえばウィルの歴史書作りである。
 そんな、一見地味さ漂う作業に何故老人が夢中になるのか‥‥と訝しがる人もいるだろうが、この齢においていまだに多岐に渡って好奇心を向ける彼は、基本的に知りたがりの性格。一時期、それこそ大ウィルの全てを知ったつもりでさえいた彼にさえ、この仕事につけば新たな発見の連続。
 加えて、彼にあたっているジェームス・ウォルフ。彼にとってジェームスは最高のパートナーである。歴史学の第一人者であるジェームスは、こと歴史についてはその知識は深く広く、正しいものを習熟していたのだ。
 ジェームスが休憩を促すまで、筆を止めない事は日常的な風景である。
「特に問題はなさそうです。さて、そろそろ一服休憩を入れてはいかがでしょうか、エーガン様」
 エーガン・フオロは口元を歪めながら、返した。
「ふむ。ということならばお前も感染病の患者というわけだな」

 感染病を理由に発起された、エーガンの退位。その後、エーガンは隔離先の離宮に封じられた。尚、今も監視下にあり、隔離場所から外に抜け出すことは出来ない。
 そうしているうちに、気がつけばウィル王にはトルクのジーザムが就いていた。それを第一に推薦したものとして息子のエーロンは今まで以上にフオロ家の発展に貢献している。フオロ家安堵の報せは離宮にすら届いた。
 エーガン・フオロは頭の悪い人間ではない。もしそうだったのなら、『暴君』と呼ばれる政(まつりごと)を執る事もなかっただろう。愚か者は暴君にすら為れないのだ。
 隔離されて後は悶々たる日々が続いたものの、何事も信じられなくなった頑なな心に、万事を悟らせた凄腕の教師が、離宮にいた。
 それは、時間だ。離宮における空白の期間に、彼は様々な事を思い、そして悟った。
 心残りと言えばマリーネ姫と、姫の子にして自らの血を分けた子息オスカーのこと。一日たりとて二人を気にかけずにいられた日は無い。しかし我が身は離宮に隔離され、会いに行くことも叶わず。懊悩の日々を幾昼夜も過ごした挙げ句、エーガンは悟った。
 王位より退けられ離島の離宮に隔離されたとはいえ、自らの内に流れる血は紛れもない王者の血。現世の王国を統治することが叶わぬなら、人間の内なる精神の世界にある理知の王国の統治者となればよい。たとえ自らが離宮に死すとも、自らの残したる文物は姫とオスカーにとって大いなる遺産となるではないか。
「と、いうわけでエーガン・フオロは現世への一切の未練を断ち、残されし余生を理知の王国の建設へ捧げる事に決めたのだ」
 と、いうよりはエーガンは新しく覚えた趣味の数々と歴史編纂の仕事が楽しすぎて、当面の間は政治に頭を突っ込むつもりはない‥‥が正解である事をジェームスは知っているが、あえて口に出さない。いつものように、相槌を打ち続けるのみだ。
 しかし、これは監視側としてもありがたい限りである。動かれては困るが、殺すこともできない立場であるエーガンが、自ら書く理知に引きこもってくれるのであれば、様々な経費も安いものである。
「さて、休憩後、遺跡についての編集を行うのだが‥‥」
 休憩中も、こんな話をしてくるのはよくある事。それでは休憩にならないのでは‥‥と心配しながらも、ジェームスは律儀にこれに答える。
「‥‥と、私が知りえているのはここまでです。現在の状況と、若干の差異があるかもしれませんが」
「何、歴史書に過ちなどあってはならぬものだ、直ちに調べて参れ!」
 隔離されていても、王政を譲っても、エーガン・フオロは王様であった。
「しかし、その遺跡はモンスターも多く生息していると聞きます。私では、なかなか‥‥」
「ええぃ、冒険者を呼べ!」
 これに、驚くジェームス。
「ぼ、冒険者をですか?」
「二度は言わん」
「私だけでは判断しかねますので‥‥少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか‥‥」

 ジェームスからの報告を聞いて、頭を抱えるのは、この件に関して責任者の立場にいる人間。勿論、トルク家の者である。
 遺跡や古戦場などを冒険者に回らせて、それをソースにエーガンが歴史編纂作業を繰り返せば、恐らく彼の寿命まで十分に時間稼ぎができるであろう。また、このことにより、エーガンは史家としての名声を後の世に遺すことも出来よう。退位させて王位を継いだ形になるジーザム王も、史家の良からぬ勘ぐりを避けれると言う物だ。
 しかし、エーガンに組する者たちの謀反を、為政者が警戒するのは当然。何か有ってからでは、遅い。
「伯。いかが致しましょう?」
 密偵の相手はマスクをし、顔は良く判らない。
「とりあえず、今回は先王陛下に対する慰問という事で手を打とう。今更、エーガンの老体に鞭打って政治の世界に引っ張り出す者もおるまい。本人も、すっかり俗気が抜け、王位に未練はないようだ。但し、このこと自体秘密裏に。箝口令を布き事前に墓場までの沈黙を誓約させよ。こちらから見て信用できない者は、逢わせるわけに行かぬ。位置を知られぬ為に全員に目隠しを施し、この依頼の記録自体を封印せよ。慰問の時間は最大6時間。勿論、接触の前にワインで消毒させ、監視の元、天界人の指導による防護服に着替えさせる。現地出発前に再び消毒し、現地で使った一切の物を焼却させる。冒険者を島に入れるのはこの一度きりだ。エーガンの無事を確認させれば、妙な風聞も消えるだろう。その後『先王陛下はご回復なされたが、身体が弱くおなりに為られた。ご高齢もあるゆえ、健康な者ならなんでもない病が命取りになる。それゆえ、現在は気候の良い島での暮らしをお楽しみ遊ばされ。悠々自適の生活をされておられる。ついては先王陛下の画す大事業に奉仕する冒険者を求む』と、調査依頼を出せばよい。報告や史料はわれらが厳重に確認した上で、エーガンに渡す。パン焼き窯で湯が沸くほどの温度を保ち、丸一日捨て置けば、病の元は死滅すると天界人は言う。大抵の発掘物はそれで消毒して運び込めよう」
 それは、病の伝染を防ぐ物であると同時に、良からぬ物をエーガンに渡す物。エーガンから外部への密書を警戒しての配慮でもあった。
「そう言えばこの間、真人殿から聞いた話でありますが、天界に似たような事例があると言います。その人物は隠居の後国の歴史を編纂するため、隠棲のまま家来を方々に遣わしたのであります。後世、それが伝説となり、諸国を漫遊して悪を懲らし弱きを助けた大名君として庶民の輿望を集めたとか」
「コーモン様と言うヤツか? そうだな。ひょっとしたら後世、エーガンはジーザム陛下なんかよりも大名君として名を残すかも知れんぞ」
 伯と呼ばれた男は笑った。

 厳重な情報フィルターを掛けて、ギルドから依頼は出された。

●今回の参加者

 ea1565 アレクシアス・フェザント(39歳・♂・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea1984 長渡 泰斗(36歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea8218 深螺 藤咲(34歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 eb4096 山下 博士(19歳・♂・天界人・人間・天界(地球))
 eb4139 セオドラフ・ラングルス(33歳・♂・鎧騎士・エルフ・アトランティス)
 eb4181 フレッド・イースタン(28歳・♂・鎧騎士・エルフ・アトランティス)
 eb4233 カラハリ・ガリアーノ(33歳・♀・鎧騎士・人間・アトランティス)
 eb4242 ベアルファレス・ジスハート(45歳・♂・天界人・人間・天界(地球))

●リプレイ本文

●涙
 仮面を外したせいで彼が誰だかわからない‥‥などということはないだろうが、彼に滅多に会わない者ならそう思ったかもしれない。
 エーガン先王陛下に謁見のため、ベアルファレス・ジスハート(eb4242)はいつも身につけている仮面やその他の装備品をすべて自宅に置いてきていた。
 エーガンに話すことは決まっている。
 フオロ家には何の心配もいらないということだ。
「エーロン様、カーロン様によりしっかりまとめあげられ、フオロ家には塵ほども不安はございません」
「そのようだな」
 少しぶっきらぼうなエーガン。
「また、マリーネ様、オスカー様のことは私の指揮する親衛隊がお守りいたします。どうかご安心ください」
「うむ。その言葉痛み入る。今のわしには二人を護ってやる力はない。エーロンも、王者ならば時には身内を切り捨てねば示しが着くまい。まして、わしの失政の恨みの象徴となる者にはな」
「陛下。このベアルファレス・ジスハートが生きてある限りは、そのような事にはさせません。仮令カオスの魔物の汚名を被ろうと、お二人のお命だけはお守り致します」
 エーガンは自ら席を立ち、ベアルファレスの所まで歩み出て、涙を流して言った。
「その言葉、嬉しく思う。頼もしく思う。この通りだ」
 ベアルファレスの手を取り、両手で堅く握りしめた。そして、ベアルファレスがマリーネから頼まれた言葉を伝えると。止めどもなく涙が出てきて床をぬらすのであった。

●油注し
 エーガン先王陛下との面識はほとんどなかった。だから、今回の依頼で訪問できるのはとても幸いなことだ。
 これが、依頼を受けることにした時のセオドラフ・ラングルス(eb4139)の気持ちだった。
 それが少し変わったのは、エーガンの志すものを知った時。
 その事業が成功すればフオロ家にとって大きな力となるだろうと思った。オスカーが成人した後が楽しみだ、とも。
 そして、自分は人間より長寿であるエルフだ。きっと役に立てるだろう。
「フオロの鎧騎士、セオドラフ・ラングルスにございます」
 そんな思いでセオドラフはエーガンとの謁見に臨んだ。
「うむ。大儀である」
 あまり面識がないせいか? あるいはエーロンの差し金と疑っているのか? 少しエーガンの表情が硬い。
「人の世の移り変わりは激しきものです。建国120年の若き国、大ウィルですら、人間は王も庶民も代替わりし、過去の事は忘れ去られてゆきます。それを失われぬように書きとめ、後世に伝えるのは一つの偉業にございますな。いかに偉大な王とて、人の身で国を百年治めることは叶いませぬが、書はエルフですら超えられぬ数百年の時を越えて受け継がれるものですからな」
 私が私の父や祖父の年代であれば建国王の時代を語ることもできたのですが、とセオドラフは肩をすくめた。
 エーガンは難しい顔をしたままであったが、二、三の質問と答えの後、その唇は油を注した車輪の如くなめらかになった。面会を終える頃にはすっかり機嫌も良くなり、名残を惜しまれつつ、セオドラフは場を辞した。

●マリエの紙
 かつてのこともありフレッド・イースタン(eb4181)はやや緊張の面差しでエーガンの前に膝を着いた。
「まずは陛下のご回復をお喜び申し上げます。フレッド・イースタン、若輩故に一頃は陛下の御心を煩わせる失態を犯してしまいました。しかし再起の機会を残して頂けたからこそ、今回の大事業の一助となるべく参じることができ、感謝しております」
 エーガンは少し退屈したような顔で応対辞令を聞いていた。
「本日は陛下の事業の助けになりうる媒体、紙を献上しに参りました」
 フレッドは箱を差し出す。中には紙が収められている。
「これはモーガン・ホルレー男爵が支援し、天界より来落の賢者まりえ様の発案により生成しれた紙でございます」
「ほぅ? 紙とな‥‥?」
 興味深く身を乗り出す。
「はい。将来的には羊皮紙よりも安価で安定した媒体になっていくはずです。どうぞお試しください」
「ふむ‥‥羊皮紙よりも便利さは話を聞く限りでは本当のようだな。しかし、本当に便利かどうか試させて貰おう。もう下がってよいぞ」
 エーガンは手触りを確かめて、珍しき献上物に夢中になっていた。

●好奇心
「温故知新、という言葉もありますし陛下の事業は意義あることと思います。‥‥歴史が歪められて伝えられるのは、後々に生まれる者達にとっての不幸ともなりかねませんし」
 他愛ない近況報告から話題が歴史書編纂へ移ると、長渡泰斗(ea1984)は賛意を示した。
 続いて彼は参考になれば、と自身が赴いた遺跡について二、三話す。
「竜に滅ぼされたという都に行ったことがあります。実態はカオスに関わることだったのですが‥‥。また、これはカオスニアンでしたが、彼らとの激戦を物語る砦の遺跡へ入ったこともありました‥‥」
「ほほう。それで?」
 それらの話はエーガンの知的好奇心を刺激したようだ。
 話の中、泰斗は意図的に政治的な色は出さなかった。ルーケイ城周辺の探索のことも。

●手当
 次にエーガンの前に進み出たのはカラハリ・ガリアーノ(eb4233)であった。
「見かけぬ顔だな。毫の縁(ゆかり)も無いのに、いまさらわしを見舞うとは、酔狂な奴だ」
 カラハリはむっとした表情を作り、
「陛下! 陛下に近づく者が、皆富貴を願っての事であったと思われていたのですか!」
「許せ。わしは今までそう言う輩を多く見過ぎた」
 政治を離れた時、初めてエーガンは自分の半生を客観し出来る眼を持った。その規矩に当てはめれば、巧言令色鮮し仁を地で行く者のなんと多かった事か。
 その反応に、カラハリは目をエーガンの背後の壷に向けた。花を飾る陶器の壷。
「どうした?」
「いえ。素晴らしい壷です。どなたの作でしょうか」
 その言葉にエーガンは子供のような目をして
「うむ。何もせず此処にいては心が沈むばかりでな。少しばかり陶芸をしておる。そうか。見事か‥‥」
 エーガンが首を回すと、うっと言って顔をしかめた。
「陛下。お身体に触れる事を許されるなら、マッサージを」
「ほう、それは有難い。最近特に身体が痛くてな。頼めるか?」
「はい。師匠について学んだものではありませんが、旅の際には固い地面にも寝たものです。身体が痛くなった時には自力で揉み解しておりました。どこか痛む所はございませんか?」
 腰を肩を、脚をほぐして行く。脂汗をかくほどであるから、痛いのではあろうが、うめき声一つ上げないのは流石である。
「陛下?」
「いや、大丈夫だ。痛いが気持ちがよい。‥‥このまま残って毎日やって貰えないか?」
 カラハリは一瞬躊躇い、
「はい」
 と答える。
「ははは‥‥冗談だ。お前にはまだ他にやるべき事があるのであろう?」
 立会人は、エーガンの望むまま、面会時間を延長した。
 サンでは痛む所に手を当てる事から治療の事を「テアテ」と言う。人には精霊の力とはまた違う不思議な力があるのかも知れない。

●赦し
 浸すわけには参らぬので、注意深く酢と古いワインで拭い消毒した携帯。
「献上品としては認めましょう」
 写るオスカーの姿を確認して許可は下りた。

 エーガン陛下がお喜びになるように。
 山下博士(eb4096)にとって、今日の謁見はこれが全てだった。
 家族から遠く離された者が聞いて嬉しいものと言ったら、やはり家族の話だろう。
 だから博士はまず、マリーネ姫とナーガ族の使者が懇意になったことと、そのことについてエーロンが心を砕いていたという話をした。
 国を導く立場の身内が協力して事に当たり成功した話は、きっとエーガンの心を明るくすると思ったから。
「こうするのか?」
 博士の献上品をエーガンは殊に喜んだ。機嫌良く我が子の姿を眺め、声を聞き、そして目を冥むった。
「わしの顔と声を知らずに育つのが‥‥不憫ではある」
 らしくもなくこぼすエーガン。
「エーロン様は何れ、時期を見てオスカー殿下をフオロ家の藩塀となさるおつもりです。オスカー殿下とその子孫は、王位からは遠ざかりますがおん身は安泰だと思います。エーロン様もカーロン様もオスカー様も何れも聡明な陛下のご子息です。一本の矢はかんたんに折ることが出来ますが、三本まとめて折るのは難しくなります。陛下。この国において歴史は、王者の学問と聞きました。陛下のお子さま、孫、そして万世の子孫のために、名君たる心得をお示し下さい。陛下の子孫から、何人ものご名君が誕生するように」
 博士の言葉に
「この追従者め!」
 と怒鳴ったが、目も顔も笑っている。
「だが、確かに道理ではある。エーロンに伝えよ。わしは赦す。全てをだ」
 エーガンの声に迷いは無かった。

●人間エーガン・フオロ
 装備品の一切を預けたアレクシアス・フェザント(ea1565)は、献上品だけを抱えてエーガンの待つ謁見の間へ入った。
 退位してなお王気を失わない目の前の人物にアレクシアスは懐かしさに目を細める。
 招賢令、離宮への隔離からどれほどの時が過ぎただろうか。
 アレクシアスはエーガンの前で膝を着くとその思いを挨拶に乗せた。
「お久しゅうございます、陛下」
 王宮ではないこの場所で、冠を失った自分に対して膝を折るアレクシアスに、悪い気はしなかったものの‥‥
「ここはもうフオロ城ではない。礼式を以って、形式を捨ててかまわん」
 と返す。
(「こりゃあまた、陛下は難しいことを仰る」)
 泰斗が胸中呟いて苦笑した。威厳は王のそれであるのに、如何せんこうにもあまのじゃくとは。
 エーガンは自ら歩きアレクシアスの前に立ち、差し出してきたのは‥‥掌。
 意図を汲むと、アレクシアスは立ち上がりそれに応じる。
 アレクシアスが思っていた以上に、小さな掌だった。この手で、大ウィルを取り仕切っていたとは。
 エーガンが思っていた以上に、硬い掌だった。王領代官として、椅子に座っているだけの手ではない。
「久しいな、アレクシアス。よくぞ参った」
「お元気そうでなによりです、陛下」
 固い握手の後、限られた時間の中でアレクシアスは現在のウィルとその周辺国の状況を、事前に立会人と相談し了承を得た範囲内でだが報告をした。
 さらに、毒蛇団の討伐とルーケイ平定が着実に進んでいることも。このことは特に自ら伝えたかったので、今日ここに来たのだ。
「怠惰に溺れる輩に伯爵位を授けたつもりはない、当然の事だな」
「勿体無きお言葉です」
 それからアレクシアスはエーガンの歴史書編纂の力になれれば、と言葉を続ける。
「僭越ながら申し上げますと、調査依頼を出す前にジェームス殿を中心とする専門家に調査対象の所在地や伝承の記録などをそろえてもらうと、実際の調査が効率よく進むと思われます。また、多くの時間を必要とする大事業ですから、事前にギルドにプランを組ませるのも良いでしょう」
「そうだな‥‥わざわざ出向かせて外れクジを引かせても誰も得はするまい」
 最後にアレクシアスは持ってきた献上品を差し出した。
「天界製の万年筆というものです。羽ペンと違い丈夫で、使い続けるごとに陛下の御手に馴染むことでしょう。歴史書の編纂にお役立てください」
「ほぅ、これは‥‥」
 受け取るや、エーガンは握りを確かめ、それから全体のフォルムを眺める。シンプルな漆黒の本体に対となる、銀に輝くペン先には、細かな装飾がなされている。すっかり物珍しくそれを眺めるエーガンを見て、
(「喜んでもらえたようで何よりだ」)
と、アレクシアスは胸の内に呟く。
 そんな彼の目線に気づいたエーガンは、バツをわるそうにして、
「ふん、天界かぶれは好かん」
 と。今更苦しいものである。
「が‥‥、しかし書き味は悪くなさそうではある。今後の執筆に使う可能性も、ないわけではない」
 時系列を超越した話になってしまうが、後日、エーガンはこの筆を用いて日々の執筆にあたる事になる。
「御身体を大切になさってください」
 『エーガン王』ではなく、『エーガン・フオロ』に会う事が出来て良かった‥‥、アレクシアスはそれを敢えて口には出さず、深い一礼のみを残してアレクシアスはエーガンの前を辞した。

●偉業の始まり
 エーガンの大事業に全面的に賛成である深螺藤咲(ea8218)は、その気持ちを伝えるためにこんなふうな例え話としてエーガンに言った。
「あるところに、とても古い屋敷がありました。もはや住む人もいない屋敷です。ある日、その屋敷の処分について話し合いが行われたのですが、取り壊しを望む若い人々と屋敷の昔の有り様を知る年配の人々の望む保存とで意見が分かれてしまったのです」
 エーガンはふむふむと耳を傾けている。
「どちらの方法が良いか決めるため、まずは屋敷の調査から始めることにしました。その結果、屋敷には過去の素晴らしい芸術や優れた建築法などがあり、今の技術の発展に大いに役立つと判断され屋敷の保存に双方の意見がまとまったのです」
 藤咲が微笑む。
 わざわざ言わなくてもわかる、この例え話はエーガンのやろうとしていることについて言っているのだ。
「わしの心は決まって居る。わしは偉大なる父王の業績を見、それを超える政(まつりごと)を行おうとした。だが、王と雖も只の人間。一人の王が治世に為せる事は限られている‥‥」
 そう言い、エーガンは沈黙した。
「陛下‥‥」
 心配になって訊ねる程に沈黙は続いたが、
「それを悟ったのは、ここに来てからだと言うのが皮肉よな」
「いえ。遅くはありません。陛下の偉業はこれから始まるのです。人は未来へ進むものですが、過去を置き去りにすることはできません。歴史は智の財産にして土壌。陛下の事業は必ずや姫様とオスカー様に届くことと思います」
「そうだな」
 エーガンは大きく頷いた。

●ロードガイ
 面会の後、泰斗はジェームズ教官との話を所望した。ジェームスは、島の反対側で釣り糸を垂れて待っていた。
「釣れますかな?」
 後ろから呼びかける泰斗。横の岩に腰を下ろすと、ジェームスは餌のない針を引き上げた。
「太公望ですか?」
「華国の故事と聞くであります」
 泰斗は世間話から始まり、自分の身の上話をした。その中には故意に祖先のアキテーヌでの勲(いさお)の事などジ・アースの事を混ぜてあった。
「あなたは誰だ? モエギ姫の事までご存じとは、やけにジ・アースの事にも詳し過ぎる。また、名前もウィル風ではあるが、同じ姓はイギリスのチャタムにも多いと聞く」
 ジェームスは
「ふーむ」
 と呻り、
「ちと、おしゃべりが過ぎましたな。自分は伝説を求めるうち、こちらに来てしまった人間です」
「‥‥やっぱり」
 ジェームスの知識の偏りは、伝承について詳しくウィルの現状について誤りが多い。あるいは天界人では無いかと、薄々考えてはいたが。
 泰斗は徴を見せ
「いきなり伝説の戦士だなんだと祭り上げられるのは性に合わんし、情報が少なくては調べようもない」
 と、核心に迫った。
「元々、自分は失われた古代の伝承を調べて居たのであります。トロイ・ニネベ・ハトゥーシャ‥‥様々な遺跡を巡りました。そこで得たのがこの世界でロードガイと呼ばれる英雄にまつわる伝承の断片で有ります。ハトゥーシャの第一神殿で見つけた、火に焼けた粘土板。状況からして神殿が火災にあった形跡が残っていました。略奪を受けた様子は有りません。多分、都を棄てた王達が、堅固な都を敵に渡さぬ為に火を放ったのでしょう」
 暫し、本題とは関係ない遺跡の話が続いたが、泰斗は黙って聞いていた。そのうちに、それらの遺跡に偉大なる英雄の影が有ることを知ったという。
「彼らは、魔物を追ってこの世界に来ました。そして、その魔物、カオスを平らげる伝承が各地に残ったのです。自分の調べた記録では、天地を創った三柱の神、すなわちアシュラ・タロン・セーラは、天にそれぞれ、地水火風4つの宮を創りました。俗に12星座と呼ばれる物がそうであります。代わる代わる世を統べるために、天に太陽を据え春分の日に太陽か座す宮の主が世を統べる取り決めをしました。これらガイの伝承は、何れもアシュラの宮・牡牛座宮に春分点があった時代以前の物であります。ガイはタロンの加護を受け、部下達と共にこの世界にやってきました。ガイの戦士達の力は、タロンに与えられたものなのです」
「つまり、これはタロン神の神器なのか」
「さようで。ロードガイに与えられた使命を果たすため、すなわち泰斗殿の身が自ら避けがたい危険に晒される時、あるいはカオスと戦うその時。紋章は力を貸してくれるでありましょう。泰斗殿にその資格がある限り、水は泰斗殿のしもべであります」
「うーん」
 少し迷惑そうな表情が顔に浮かんだ。
「俺じゃなきゃ駄目なのか?」
「紋章が認める者ならば、あるいは使命を引き継ぐことが出来るで有りましょう。真の使命については、自分も判りませぬが」
「遺跡に立ち入ったのが運の尽きということか」
 泰斗は少し自嘲気味に言った。

●賢王エーガン?
 この日。エーガンは一枚の書類を自筆で認め、玉璽の代わりに自分の血判を押した。
『余、エーガン・フオロは、病と老齢による体力の限界を悟り、ここに正式に大ウィル及びフオロの王位を退く決意を致した。ついては、ウィルの仕置きの事であるが、名君と誉れ高きジーザム・トルク殿を指名する。愚息エーロンは、年齢・見識共にフオロ王の務めは果たせども、未だ大ウィル全土の王としては未熟。ジーザム殿の薫陶を受け、以て名君たるを企るべし。精霊暦1040年09月17日』
 この書を目にしたグロウリング伯は、こう言ったと伝えられる。
「この後に及んで化けおったか。これではいやでもエーガンを名君に仕立て上げねばなるまい」
 この一書でエーガンを担いでの叛乱の名分は無くなった。さらにジーザムは、選王会議に加えて先王からの後継者指名と言う二重の正統性を持つ。このことにより、何人たりともジーザム・トルクの政権に疑問を差し挟む事は出来なくなった。政治的に死んでいるならば、その墓は飾り立てるのが良い。但し、本当に飾り立てるのは、エーガンの日が数えられた後であろうが。
 地球の歴史にも似た例はある。ネルヴァはトラヤヌスに皇位を譲った一事にて、先人や後生と比し、さして特別な功績も無いのに五賢帝の始まりとされる。