●リプレイ本文
●神の家の前で
「神の愛がどうのとかは知った事じゃあありませんが、しっかりお仕事させていただきますよォ〜、依頼人殿ォ、ムヒヒ」
第一声。血走った目をくわっと見開き、舌を垂らし、左右のバタフライナイフをチャキチャキ鳴らしながら、まるでトーマスのはらわたでも引きずり出さんばかりの勢い、ヴァラス・ロフキシモ(ea2538)はその頬を舐め上げた。
「おおっ! 神は申されました! 右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せと! さあ、お舐めなさい!」
正に神の愛を具現するチャンスとばかりに、逆に熱くヴァラスを抱擁するトーマス。
「けっ! こいつぁ〜イカレタ野郎だぜ! ケハハハー!」
ドンと突き離すヴァラスは、べろべろ〜とナイフの刃先を舐めながら、にこやかに両手を広げ、全てを受け入れようとするかのトーマスを睨み付けた。
「神の愛は無限なのです! なぜならば、私達がここに存在する事自体が、その現れなのですから☆」
●話は少し戻る
マーカス商会を尋ねたルイス・マリスカル(ea3063)と富島香織(eb4410)、そしてヴァラスの3人は、妙にピリピリした空気の中、マーカスランドへ向かう様に言われ、合言葉を教えられた。それは『天に星、地に花、人に愛』というもの。
「ふっ‥‥なかなか洒落た合言葉を‥‥」
ルイスがニヤリと笑む。
「けっ、マーカスの旦那とやらも、ヤキが回ってるんじゃねぇの、ケハハハ」
「じゃあ、一度街から出なければいけませんね」
三者三様の反応をしながら商会を出ようとした時、ふと香織は店の奥へと案内される集団に目がいった。黒いローブを羽織り、フードを目深に被った十名程度の一団は、その案内する店の若衆の表情といい、何やらピンと張り詰めた様な不思議な空気を纏っていた。
「ふぅ〜ん‥‥」
マーカスランドは、今日もダミーバガンやチャリオットの模型、その周囲で行われる大道芸、レース名物の土産物や天界の珍味を売る屋台、サロンでの貴族同士の交流、最近になって併設されたクアハウス、要は温浴場等、目新しいモノを観たり体験したりする人々で賑わっていた。
『天界人マイケルの迷子小屋』で合言葉を言うと、別の合言葉を貰い、またと言った具合で数箇所を回る。そんなこんなでようやく競技場内の一室に案内された。
「何よ、ここって裏方で使ってる部屋じゃないの‥‥」
『何、拠点をこっちに移したんでな』
唐突に響く声に驚いて振り向くと一部の壁が回転し、でっぷりとした悪徳商人、マーカス・テクシその人と若衆数名が現れた。
「で、俺に話があるって、どういう事だ? 何か儲け話でもしに来たのか? ルイスに香織‥‥そいつは誰だ?」
「マーカス殿ォ。このヴァラス、金が貰えるのであれば何でもやりますからよォー、入用の時はぜひお呼び立て下さいよォ〜、ムヒヘヘヘヘ」
もみ手をしてへつらうヴァラスに、眉をひそめマーカスはルイスに目線を戻す。それをマーカスが話を聞く体制に入ったと解釈し、ルイスは口を開いた。
「実は‥‥」
「ほお〜あそこにな‥‥まぁ、うちのもんには邪魔しねぇ様伝えておこう。最もうちとしちゃぁレースが休みになっちまたんで、この隙にってんで、ここの施設の改装でてんてこまいよ。だがな、ルイスに香織、あそこの連中は普通じゃねぇから気をつけるんだぜ」
「普通じゃ無い、ですか‥‥?」
オウム返しに聞き返す香織に、マーカスは目を細めてニヤリ、歯茎をむき出しに笑った。
「薬にゃ人を虜にするってぇのもありゃ、生かしも殺しもすらぁ。またそれを扱う連中も似たり寄ったりってぇ事だ。首ぃ〜突っ込むなら精々気ぃ付けるこったな。劇団やレースに引きずんじゃねぇぜ‥‥。そして、やるなら一気にだ。用心深い奴らだからな」
「それは‥‥」
「判ってます」
ルイスが口に仕掛けた言葉を、香織がスッパリ斬って捨てる。その瞳の色は、複雑な色合いをしていた。
「香織、お前‥‥」
「ケッ、俺は無視かよ‥‥」
ニヒルに笑い、ヴァラスはその部屋を後にした。
一方、冒険者街では‥‥
「そうか‥‥そうだね、街とスラムは城門で区切られてる。普通に通るには子供でも税がかかる」
「ごめんよ『おばちゃん』」
「おれ達にも縄張りってもんがあるしな」
「あっちの連中の事は、良く判らないや。先ず、遊べないからよ」
「そんなに知りたいなら、門の向こうの連中に聞いたらどうだい?」
マヤの手造りビスケットを頬張りながら、口々に好き勝手な事を口にしだす欠食児童達。
クリオ・スパリュダース(ea5678)は、まぁ半分は予想済みとばかりに首を左右に振った。
「いいんだ。もしかしたらと思っただけだからな。マヤ、ありがとう」
素っ気無い言葉でその場を流し、時間が来たのでクリオは席を立った。
「ううん。気を付けてね」
「「「気を付けてね」」」
笑顔に送り出され、クリオは自宅を後にした。
●では参りましょう!
「ああ、神の軍隊の行進です! サタンの手先、テロリストどもめ! 目に物見せてくれようぞ!」
意気揚揚と歩き出すトーマスに、慌てて皆でストップをかけた。
「ちょっと待って下さい。下調べもしないで突入なんて危険すぎます!」
クウェル・グッドウェザー(ea0447)がトーマスの前に立ち塞がった。だが、トーマスは変わらぬ笑顔で首を横に振った。
「しかし、ギルドで募集をかけた以上、向こうにこの動きが知られている可能性があります。それにこちらの下調べは終わっています。ですから、少しでも早く襲撃をかける必要があります」
だが、その横合いからそれを嘲笑するかの響きが飛ぶ。
「こちとら聖典も愛も語るつもりは無い。オレはただ、苦しむ人を救う為にここに来た」
クウェルの肩を軽く叩き、リオン・ラーディナス(ea1458)が前に出る。不敵な笑み。
「だったら今すぐ!」
「俺やエルザが先に潜入し様子を見る。そして連中に罠を張るんだ。そうすれば、一網打尽だぜ!」
「いえいえ。今回の事件に関しては、少人数で三ヶ所の拠点を攻略することに無理があると思います。そこで同時に攻略するのでは無くて、支所ABにガサイレの噂を流し、幹部が本拠Cに集まったところを一網打尽にするのがベストでしょう」
ケーファー・チェンバレン(eb4275)は胸に手を置き、朗々と語った。
しかしトーマスは目頭を押さえ、やれやれと首を左右に振る。
「判ってないのですね。一分一秒でも早くサタンの手から捉われの人々を解放するのが私の使命なのです。首謀者を捕らえることが目的ではありません。折角、有志の方々から支援を戴き、この様な機会を得たのです。最早、待つ事は出来ません!」
「それはそうとして、大体その薬物って何よ?」
プリプリとした口調で、つっかかるエリザ・ブランケンハイム(eb4428)。
「私達も命懸けで仕事をしているのよ! 何も判らないまま、ただ突っ込んで死ねってあなたは言うの!? そんなのゴメンだわ! 死ぬならあなた一人で死になさい! 何も出来ずに、サタンとやらの手にかかってね!」
「そ、そんな‥‥」
オデコをキラリ輝かせ、エリザはクッと胸を張って見下した。
「私達は冒険者よ! 決して無謀な荒くれ者じゃないわ! 冒険をするには充分な準備が必要なのよ! 判る!?」
同時に、零落したとは言えエリザには名門のプライドもある。その横で、口をへの字にして黄安成(ea2253)も腕を組み大きく頷く。
トーマスはその他の様子を見渡し、ガックリを肩を落とした。
「本日は王都の警邏の方にも時間を作って頂いていたのですが‥‥分かりました。今日は下調べ、明日は絶対突入ですよ」
●潜入潜入、魔窟に潜入☆
スラム。魔窟が一般人をも客として受け入れる夕刻。シルクのスカーフで口元を抑え、その貴婦人然とした女性は嫌悪感を顕わにした。
「何ですのこの埃臭い部屋は!? もう少しましな部屋は無いのかしら!?」
「へへへ、奥方様は無茶をおっしゃる。ここは王宮か? まぁ大して変わりは無ぇな。何しろここは、エーガン陛下様の治世の賜物、己の欲望に忠実なる者の都、ウィルのスラムだぜ」
廊下を歩くエリザに、開け放たれたドアの向こうから突き刺さる無数の目線。それは腐れた魂の現れの如く、ドブの様にどんよりと澱んでいた。
風通しの良い、二階の一画に通されたエリザは、扉が閉まると共に部屋を検分した。
「ふん、この部屋に薬は無い様ね」
窓の下には、ショアへと続く街道が見える。
コンコンとノックされ、返答するエリザ。すると、ぞろぞろと三人の少年が入って来る。一見10歳前後だろうか。見た目も小奇麗で整った面差し、不思議と穏やかな表情を浮かべている。身なりもこの場に不釣り合い。白い緩やかな服だ。
一人はお盆の上にガラスのタンブラーとグラスを。タンブラーにはワインらしき液体が。そして、その横には奇妙なガラスのパイプらしき器具があった。
「それは何?」
「本当に初めてなんですね? パイプですよ。ここに薬を入れて、ランプで燻すんです」
「そして貴方に精霊の祝福を‥‥」
にっこりと陰りの無い天使の微笑み。
「では、誰が宜しいでしょうか?」
「?」
エリザは少年たちが何を言っているのか、一瞬、理解出来ずに眉をひそめた。
「一度に三人でも構いませんし、もっと年上がお好みでしたなら、その様にお申し付け下さい」
「っ!?」
そう言って少年達は肩紐をゆっくりと引き、ふわりと、エリザの目の前で一糸纏わぬ姿を晒して見せた。
「こんな混ざりモンじゃお茶会程も盛り上がらねぇ。もっとイイのがあるんだろ?」
どしゃりとカウンターに放られた皮袋。
店員は虚ろな目でそれを眺め、手を伸ばした。
「待ちな」
カウンターの向こう、浅黒い肌の男が制止する。
「この辺じゃ見ねぇ顔だな? どこの組のモンだ?」
ガタリガタリと何人も顔を出し、6人程に囲まれる。
「組ぃ〜? そんなん知らねぇ。俺は一人よ」
リオンの答えを鼻で笑う男。ナイフで皮袋を引き裂いて見せた。
金貨がカウンターを転がり、乾いた音を発てる。
「一人だぁ〜? 幾ら何でも一人で使う分じゃねぇだろうよ‥‥」
鋭い目で睨みつけてくる。
「そいつは、前金だ。そいつは金貨で50ゴールドあるが、明日90ゴールド持ってくらあ。それまで、上物を用意出来るか?」
「ふん。そいつが本当なら、用意はしてやろう。前金などはいらん。持って返れ。明日同じ時間にここに来い」
どうやらフラレたようだ。話が終わったとばかりに立ち去るリオン。店を出て仲間の元へと立ち戻る彼を、数名が尾行する。が、当の本人はそれにまったく気付かなかった。
城門のまん前にある大きな旅館。
エリザがその中へ消えてから、裏手に回った高村綺羅(ea5694)は、黒いフード付きの外套を纏い、魔窟の様子を窺った。何しろ城門前の一軒が今回の解放目標。
人通りも多く、建物に出入りする者も多かった。
「さて、あの人から‥‥」
綺羅は裏口から出た一人をつけた。少し離れ、人気の無い所を狙う。行き交う人々は、顔見知りらしくその男と軽い挨拶を交わす。スラムは、表通りはそれなりに立派な建物も建ち並ぶが、裏に回ればウサギ小屋の様な粗末な建物がひしめいている。草を編んで造ったテントも珍しい物ではない。日中、人目に付かない様に誰かを襲うという事は、かなり難しい。男はその内、一軒の小屋に入る。すると中から何人もの人の気配。
そっと覗くと、老人や小さな子供を含めて十人程の家族が男を出迎えていた。
「ちっ‥‥」
綺羅は軽く舌打ちしてその場を離れた。
●魔窟燃ゆ
「どういう事だ!?」
その騒ぎに、アッシュ・クライン(ea3102)は冒険者街の自宅の窓から、魔窟がある東の方角を眺めた。東の空は朱に染まり、もうもうたる黒煙を浮かび上がらせている。あの中には、内偵に行ったリオンとエルザらが居るはずだ。
急ぎ身支度を済ませて飛び出すアッシュ。だが、この火事に駆けつけた者達を、皮肉にも街の城門が遮った。その場には百名近くが集まっていた。
「通せっ!」
吼えるアッシュ。
「駄目だ駄目だ! スラムで火事が起ころうが、それは関係ない事だ!」
「この門は、エーガン王陛下が日没より翌朝まで閉鎖する事を命じた門であ〜る!! それを開ける事など断じて許されん!!」
わらわらと兵士達が集まり、スピア等で野次馬たちを追い散らす。
だが、ダンダンと向こうからも門を叩く音がするのだ。
「お前達には、あの音が聞こえないのかっ!?」
「聞こえない訳が無いだろうっ!!」
くわわっと目を見開いて兵士の一人が叫び返す。
「だが、我々は街の治安を護る為にここにいる!! その我々がその禁を破れるかっ!!」
その必死の形相に、ウッと唸るアッシュ。
街の人々は、その向こうから轟く、あばら屋が焼け落ちる音や、舞い散る火の粉を、ある者は呆然と眺め、またある者は自分達の家屋敷に類焼しない様にと、飛び回っていた。
●裏依頼
若い娼婦や娼夫達が煉瓦造りの二階より、悲鳴と共に跳び下り慌てふためいて逃げて行く。一斉に放たれた火により、その一帯は瞬く間に炎に包まれていた。手近な逃げ場所として門を叩いていた者も、意を決して炎に囲まれた回廊に逃れて行く。まだ煙は回っていない。多少火傷はするかも知れないが、そちらにも逃げ延びる道はあるのだ。
辺りが朱に染まる中、綺羅は自分と似た様な姿をした小集団と対峙する。
「どうして、こんな事を‥‥」
「貴様も雇われたのではないのか?」
くぐもった笑い。ローブの下から白刃が覗く。
「何を!?」
「所詮はコインの裏と表よ!」
ピュンと風を切り白刃が唸る。
交錯する火花。
(「こいつら、忍者じゃない!」)
その動き、体捌きは忍びの者とは明らかに違っていた。どちらかと言うと我流、そんな印象を受けるも、横合いからの鋭い切っ先をいつまでも避けきれるものではない。
ポンと後ろに飛び退る。
「緑豆党の依頼を受けた奴だろう。引けよ! この件、俺たちゃぁ根は同じよ!」
「何をっ!?」
「ふふふ‥‥我等は貴様等の取りこぼしを仕留める為に雇われたのよ。だが、動かぬ時は独自にやれともな!」
「馬鹿な! あのトーマスがそんな事を!」
綺羅は表情も無く言い返す。
「物事には裏がある。我等の雇い主は、そのトーマスとやらの裏よ。昨日が聞いてた決行日。貴様等がやると言うので、一日だけは待ってやったがな。動く気が無いならしょうがあるまい。一つや二つは潰してくれると思っていたが、我等とて3つ一遍にはこの手しか無いわ。安心しろ。主だった売人は始末してやってた。今頃は河の中だ」
「トーマスの裏?」
相手は油断無く三方からじりじりと囲む。そして残りは散った。
「くっくっく‥‥久々の大仕事よ。愉快でたまらん!」
「だが、女。気付いているか?」
「何を!?」
「敵はカオスニアンだぞ」
「!?」
「カオスニアンを殺しても、スラムの住人を殺しても、それを罰する者は、この国にはおらぬわっ!!」
「それどころか、国をあげての虐殺ゲーム!!」
「腐った国よのう!! は〜っはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」
「ともあれ、これで魔窟は一掃される。上手く処理して手柄にするんだな」
それだけ言うと、残る三人もスッと引く。
ぎゅっと握った拳が、綺羅の心を映し出す。燃え上がるスラムの中、綺羅はしばし呆然とこの光景を眺めていた。
●脱出
煙にまかれながらもエリザは酒と薬に酩酊する半裸の少年たちを伴い、館の二階の廊下をよたよた。エリザが無理無理潰したのだが、これが返って仇となっていた。
下より吹き上がる黒煙が、廊下のほとんどを占め、僅かに空気の残る床面近くを這う様に進む。
「全く! 予定は明日の筈なのに!」
「あ〜ははは‥‥」
「うふ! うふふふふ‥‥」
「ほらほら! しっかりなさい!」
「わ〜い、しゅごいぞ! おはぁなばぁたけだ!」
「ちょうちょうがいっぱぁ〜い!」
彼女一人ならば苦もなく逃げれる。しかし、へらへら笑いながら火に飛び込みダンスをしかねない少年達を押さえ込みながら、流石のエリザもこの時ばかりは死を意識した。
すると、目の前に男が一人、まるで風の様に現れた。
「大丈夫か?」
「貴方は!?」
男は首を左右に振り、口元に巻いた布の下からくぐもった声を出す。
「組織だった襲撃だ! だが抜け道がある、さぁこっちだ!」
そう言われて階段と逆の方向へ誘導されるエリザ達。二階にいた他の客等も彼が集めてきた。そして壁の一角をポンと押すと、カラリと壁が回り、その向こうにぽっかりと下へ通じる穴が現れる。そこからは新鮮な空気がふわりと吹き上がって来た。一本の木がその空洞の中にそそり立つ。
「行けっ! 手探りで先に進め! ここはもう御終いだ!」
エリザは小さく頷き、子供を一人背負うや、残りを男に預けた。
「お願いします!」
男は頷き、エリザを即す。
バキバキとそこかしこが焼け落ちる音を、まるで館のあげる悲鳴の様に感じつつ、エリザはその暗闇の中へと、しゅるしゅると滑り落ちて行った。その後を他の客や娼婦達も続く。
●マーカスランドにて
遠くに燃え上がる炎を眺め、ゴーレムチャリオットレース専用競技場、その貴賓席の屋根から杯を空けた。
「やれやれ、やられちまった。俺の力じゃ駄目だった。猶予1日が限界だ。冒険者達ぁ〜動けずじまいか‥‥こいつぁ〜ひでぇや‥‥俺もよくよく考えて動かねぇとヤバイぜこりゃ‥‥くくくくく‥‥くかぁ〜っかっかっかっかっかっかっかっ!!!」
苦虫を噛み潰した様な顔半分。マーカスは高らかに嘲笑した。彼の心に残る良心故の期待を、冒険者達が叶える事は出来なかったようだ。マーカスも闇の住人に属するが、まだまだ浅い。この世にはもっと深い闇がある。マーカスは己の無力を嗤うしか無かった。
●翌日の朝
冒険者達は依頼の二日目の早朝、城門が開くと同時に焼け野原となったスラム街へ出て行った。
「ううっ‥‥」
ルイスは思わず帽子で鼻を塞いだ。肉の焼ける匂いが、充満している。カラスが舞い降り、それをつついている。
「このっ! しっ! しっ!」
だが、スラムの大多数の人々は焼け出されたものの生きている。火が出ても失う財産など無いことが幸いし、逃げ遅れた者はいないようだ。犠牲者は逃げる意志を失っていた重度の薬物使用者であったと思われる。また、住人の殆どが無傷であった
「大丈夫ですか!?」
クウィルは傷を見せて貰い、その度合いを見計ってリカバーをかけて回る。放置しても差し支えない軽度の者まで全員にかけて回るには、人数が余りに多すぎた。ただ、概して薬をやっていない者の傷は軽微である。。
「安心するのじゃ。それ程大した怪我では無いのじゃ」
口をへの字に、黄も応急手当をして回る。全治1ヶ月と言うところか。
「大丈夫だ。こんな火傷くらいで死にはしない!」
その横で、アッシュも額に深い溝を刻みながら、手伝っていた。
「そっちを持って‥‥」
「よっこいしょっ!」
クリオとケーファが合いの手を打つ様に、動けぬ者を毛布を2本の木の棒に巻き付けただけの担架に移した。命に別状なさそうだが、酷く傷むらしい。
「うぐぐっ‥‥」
「痛みますか? ごめんなさい。でも、ちょっとの間、我慢して下さい」
涙ぐみ、香織がそっとその手を握り締めた。
冒険者が聞き取りで確認した限りでは、避難できた住民の縁者に逃げ遅れた者は居ない。最も酷い者でも全治1ヶ月程度。しかも負傷者の多くは魔窟から自力で逃れた軽〜中度の者であった。
「何と言う事でしょう‥‥」
トーマスはよろける様にこの焼け野原を歩いた。間もなく魔窟の奥。重度の薬物使用者達が逃げようともせず焼かれていった場所を発見する。ここの犠牲者は3体ばかり。
「おおっジーザス!! 我等が昨日の内に救助に向かっていればっ!!」
そして両膝を着き、泣き濡れた頬もそのままに咽び泣いた。
「うっ?」
鈍い衝撃。背中に震える手を差し伸べると、そこは見る間に赤く染まって行く。誰かの立ち去る気配。
「ああ、ジーザス‥‥ここは、ここは神の国では無いのですか‥‥?」
トーマスはその場に力無く横たわった。
数刻後、そこにみぐるみ剥がされた死体が一つ転がっていた。
●川岸にて
土手にぽっかり穴が開いていた。
焼け出され、命からがら抜け穴から脱出した者達。
その中にあって、エリザは呆然とその光景を遠く眺めていた。あの時彼女が直接救えたのはたった3人の男の子達。実際には娼舘に居た殆どが助かり結果オーライかも知れない。されど魔窟に囚われし者全てを助けると、心の伽藍に誓っていた彼女の心は辛い。
空が虹色に染まっても、鳥たちが朝のさえずりを始めても、それは実感を伴わぬ虚構の様な気がして、ただ立ち尽くしていた。
「では、お頭に‥‥」
「既に走らせた‥‥」
「これだけ組織だった攻勢をかけられる連中となると‥‥」
「うむ、先日チブール商会系の実行部隊が川筋からウィルに入ったばかりだ。恐らく奴等の仕業であろう。冒険者どものやり口とは違う‥‥というか、冒険者ギルドの主だった者達はルーケイで最も弱小の盗賊団を襲撃し、平定の贄としている頃合だ‥‥緑豆党の依頼は中毒者の救護にあった。この様な手は絶対に使わぬ‥‥」
「では、どこだ? この裏にはどこが?」
「恐らく裏には‥‥」
ふと気付くと、肌の浅黒い男達が額いを寄せ合って相談している。
あの娼館で見かけた顔もある。
「次に狙われるのは、大体察しがつくが‥‥さて‥‥」
「攻めるか‥‥」
「護るか‥‥」
不敵な笑みを浮かべる男達。その中で、一人の男が結論を導く。
「先ずはお頭の采配を仰がざるをえまい。だが、今は大事な時期。恐らくは敵もそれを狙っての事であろう。お膝元では、おかしな連中が未だ暗躍している。場合によっては我等だけで事に当たらざるをえぬやも知れぬぞ」
「うむ‥‥」
「応援は無いか‥‥まぁ、殺るだけ殺るか‥‥」
「護るより、撹乱する方が性に合ってるぜ‥‥」
「仕方あるまい‥‥」
「先に仕掛けたのは向こうだ‥‥」
「くっくっく‥‥我等の本気を見せてやらねばな‥‥」
「一先ず‥‥散るぞ‥‥」
一陣の風が吹いた。
エリザが僅かに目をこらした次の瞬間には、その場に誰一人として残る者は居なかった。あるいは心労と煙になった麻薬の効果による幻だったのかも知れない。
「どういう‥‥どういう事なのよーっ!!」
その叫びは、大空にわんわんと響き、消えていった‥‥。
●リカバー
さて、調査の結果、犠牲者は皆重度の薬物使用者達であったことが確認された。判明していた3箇所の魔窟からのみ死体が発見された為である。その数10余。あれほどの火事にしては驚くほどの軽微な被害だ。その他の者は傷や火傷を負いながらも命に別状は無かった。行きがかり上教会が、重度の怪我を負った者を無償で回復させ、中度以下の薬物使用者の薬が抜けきるまで保護することで落着。
「死体を改めると骨がボロボロでした。おそらくは、私たちも尊厳有る死を看取ってやるくらいしか出来なかったと思います。中度の者も、社会復帰には時間が掛かると思います」
教会関係者の検死結果は問題の深刻さを浮き彫りにした。
「‥‥」
アッシュは苦い思いを噛みしめる。その背に香織がそっと手を置いた。
火事の翌朝からマーカス商会がパンとスープを配り始め、翌日には草のテントやぼろ板を寄せ集めた建物が同じ場所に建ち始める。一月もすれば元通りのスラムに為って行くだろう。違うのは、魔窟と呼ばれる場所が一掃された事だけだ。
僅か1日の逡巡が後味の結果をもたらした。しかし、冒険者達の献身の為これを境に教会に対する敬慕の念が起こり、一旦地に落ちていた信頼が回復へ歩みだして行った。