まりえのアトリエ〜成功は蜜の味:交渉編

■ショートシナリオ


担当:マレーア3

対応レベル:8〜14lv

難易度:普通

成功報酬:4 G 15 C

参加人数:13人

サポート参加人数:7人

冒険期間:08月01日〜08月06日

リプレイ公開日:2006年08月10日

●オープニング

「この不思議世界でも、やっぱり夏は暑いのね」
 ふう、と汗を拭って木陰に休むのは、言わずと知れた大錬金術師(?)須藤まりえ嬢。空に煌々と照る太陽は見えなくても、陽の精霊力が満ち溢れるこの季節、植物は色濃く茂り、生き物達は活発に活動する。つまり、その両方を扱っているマリエは、それはもう大忙しという訳。
 ぶんぶん飛び回る蜂をものともせず巣箱の中を覗いていた地元の養蜂家コーセブが、ん、と頷いてマリエを見る。
「そろそろええんでないか? 蜜と蜜蝋と‥‥ろいやるぜりーに、ぷろぽなんとか? あんたが欲しいもんをちーっと分けてもらっても。夏の終わりにもう1回採って、後は蜂に蓄えさせてやるってことでよ。上手くやりゃ、もう1回くらいは余計に採れるかもしれんが」
 コーセブの太鼓判に、まりえ、ほっと胸を撫で下ろす。
「蜜蝋は半分をインサツ用に置いておいて、後は売りましょう。蜂蜜も、欲しいと声をかけて来る商人がけっこういますよ。なるべく良い条件を出してくれるところに売りたいですね」
 ほくほくと、楽しげに話すパラ執事のトック。ローヤルゼリーとプロポリスはどんな風に売り出そうかな、とマリエも思案に余念が無い。
「そういえば、ご領主様のお話は何だったんですか?」
「あ、そうだ、ルーケイの蜜源を使わせてもらう話、責任ある立場の人が来てくれるなら、すぐにでも契約を交わしたいってご領主様が。そうなったらあと2回の採取、出来るかしら。どんなところか、一度、現地を見ておきたいね」
 それはいいとして、とマリエ。んー、と眉間に皺を寄せる。
「問題は、樹園よね」
 小山の山腹に設けられた、紙の素材となる木を育てる大切な樹園。今は、麓の貯水池から人力で水を運んでいる。これを自然の力を用いて汲み上げる仕組みが作れないか、というので頭を悩ませているのだ。冒険者が提案した水車と風車のアイデアを、まりえは領主ホルレー男爵に伝え、男爵は技術者を集めて話し合わせているのだが、水車派と風車派が喧々諤々の論争を始めてしまい、話がちっとも先に進まない。
「両方とも、なるべく自分が専門の技術を用いて成功させたい、という欲があるんですよ」
 トックに言われて、そんなものなのかな、とマリエ。『いつになったら水を担いで山を登らなくて良くなるのですかいのう』などと、樹園を見に行く度に村人から言われるのはマリエな訳で、彼女、内心ちょっと怒っている。技術者達に会う度にジト目になってしまうのも、致し方の無いところ。
「でも、これだけ大掛かりになると私達の力だけでは出来ないし‥‥上手く話をまとめないといけないのよね。こうしてる間も、村の人達は重い水を担いで山を登ってるんだって、その大変さを分かってもらえればいいんだけど」
 頑として譲らない技術者達の顔が頭の中をぐるぐると駆け巡る。どうしようかなぁ、と悩んでいる内に居眠りを始めてしまったマリエを、トックはそのままにしておいた。空は眩しく暑くとも、木陰に入ると過ごし易い。昼寝には最適の日和だ。‥‥若干うなされている様ではあるが。

 トックに揺さぶられ目を覚ましたマリエの前に、ひとりの男性が立っていた。
「サカイ商店の方だそうです」
 男は深々と頭を下げ、一片の非の打ち所もない笑顔を向けた。
「今日は、マリエ様にもきっとご納得頂ける話をお持ちしました。これに関しての話なのですが」
 男が差し出したのは、マリエ達が刷って配布した新聞だった。

 サカイ商店が目をつけたのは、印刷物より、それを作り出す道具の方。ガリ版刷りの道具と紙を、製造から販売まで、独占で扱いたいという申し出だった。マリエは満更でもない気分だったが、これに待ったをかけたのは他ならぬホルレー男爵。
「せっかくの技術を安売りするのは感心しない」
 ホルレーとしては、生み出された技術そのものは厳重に手元で管理しておきたいという思いがある様だ。
「それに、あの者達はどうも、な」
 サカイ商店の商いが、あまりお気に召さない様子でもあり。
「うーん、どうしよう‥‥考えることが多すぎるよ‥‥もうだめ」
 ばた、と突っ伏すマリエさん。
「なにもおひとりで考えることはありません。皆さんのお知恵を拝借しましょう」
 じゃあ、ギルドに行ってきます、とトック、素早い対応。かくして、冒険者ギルドにまたもや依頼が掲示される事になったのだった。

●今回の参加者

 ea0353 パトリアンナ・ケイジ(51歳・♀・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea3102 アッシュ・クライン(33歳・♂・ナイト・人間・フランク王国)
 ea3329 陸奥 勇人(31歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea8147 白 銀麗(53歳・♀・僧侶・エルフ・華仙教大国)
 ea9387 シュタール・アイゼナッハ(47歳・♂・ゴーレムニスト・人間・フランク王国)
 eb3653 ケミカ・アクティオ(35歳・♀・ウィザード・シフール・イギリス王国)
 eb4181 フレッド・イースタン(28歳・♂・鎧騎士・エルフ・アトランティス)
 eb4316 木下 秀之(38歳・♂・天界人・人間・天界(地球))
 eb4434 殺陣 静(19歳・♀・天界人・人間・天界(地球))
 eb4637 門見 雨霧(35歳・♂・ゴーレムニスト・人間・天界(地球))
 eb4639 賽 九龍(29歳・♂・天界人・人間・天界(地球))
 eb4713 ソーク・ソーキングス(37歳・♂・鎧騎士・人間・アトランティス)
 eb4729 篠宮 沙華恵(27歳・♀・天界人・人間・天界(地球))

●サポート参加者

柳 麗娟(ea9378)/ ユノ・ユリシアス(ea9935)/ フェリシア・フェルモイ(eb3336)/ 物輪 試(eb4163)/ ザナック・アレスター(eb4381)/ エリスティア・ヴァールハイト(eb4817)/ 中州の 三太夫(eb5377

●リプレイ本文

●揚水問答
 冒険者達の求めによって、モーガン・ホルレー男爵の屋敷に集められた技術者達。これまでの経緯で互いの関係は拗れ切っていると見え、水車を推す技術者も、風車を推す技術者も、顔を合わせるなり口をヘの字に結んで巌の如し。雰囲気は最悪で、付き合わねばならない冒険者こそいい迷惑というもの。
 意を決して、賽九龍(eb4639)が口を開く。
「俺は水車がいいんじゃないかと思うんだよな。風車じゃどうしても構造的に複雑になるだろ? それに、毎日絶対に風が吹くって訳でも無いんだ。水車だったら、川から水がなくならない限り動くだろ」
 ぱっと水車派技術者の顔が明るくなる。が。
「分かっておられませんな。水車は、水の流れを力に変えるには確かに優れた方法です。しかし、水を汲み上げる方法としては、些か‥‥。5m10mなら問題無いでしょう。しかし今回の場合、更に高い場所へと水を運ばねばならないのです」
「だから、それも可能だと──」
「真に水が必要な渇水時に、さてはて物の役に立つのかどうか」
「‥‥計画書を見ると、水車は水量を得る為に川と貯水池にも手を入れる、となってますね。風車は‥‥やはり固定で、羽布の張り方を調節することで風向きに対応する形ですか」
 殺陣静(eb4434)始め、冒険者も多くは水車が良いのではと考えていたが、見ればこちらも計画は大掛かり。もっとも、小さな樹園ひとつを潤す為の計画としては、大袈裟という点で、どちらも同様ではあるのだが。ただ、この事業には、山勝ちなホルレー領における山地の有効活用を探るという意味合いも含まれているから、少々ややこしい。どう思います? と、彼女は、先ほどより図面と睨み合いを続けている門見雨霧(eb4637)に声をかけた。
「効率と確かさという点では、やはり水車だと思う。ただ、問題は樹園の場所だ。風車派の言う通り、水車だけで汲み上げるには高過ぎる。で、水車派は巨大な水車を提案しているんだが、正直これは‥‥どうかな」
 冒険者達がひそひそ話をする間も、喧々諤々の議論は続いている。
「風車の何処が不満だというのだ!」
「風などという不確かなもの、それこそいざという時に当てにはならん。仕組みは複雑になり故障も増える、そうでなくとも最大の効率を得ようとすれば毎日の調整が欠かせぬではないか!」
「十分に許容範囲の労力と考える。水車とて巨大になれば維持するのは容易であるまい。今日も故障、明日も故障と、止まってばかりいる姿が見える様だ」
 顔を真っ赤にして言い合う様は、まるで猿山の猿さながら。話は延々と堂々巡りを繰り返すので、聞いているとうんざりして来る。この不毛な言い合いを止めたのは、陸奥勇人(ea3329)の咳払いだった。
「共に持論に自信がある事は分かった。もう少し具体的な話が聞きたい。工期、人手、費用の面ではどうなんだ?」
 勇人の言葉に目を光らせ、ここぞとばかりに迫る両派。
「何といっても、水車の利点はそこなのです。その全てにおいて、水車の方が格段に優れていると確信しておりますぞ!」
「何を言う! 長期的な視点で見れば──」
 また議論が始まってしまった。さしもの勇人も頭を抱える。
「つまりは、全てにおいて一長一短という事ですか」
 フレッド・イースタン(eb4181)が、半ば強引に纏めた。溜息をついたのは、白銀麗(ea8147)。
「いつまでも机上での議論を続けるより、現地に視察に行きませんか? 判断材料も増えるでしょう」
 いや、それはもう既に、と言いかけた技術者達だが、銀麗はその続きを言わさない。
(「見たと言っても、それは地形や水流だけでしょう。ちゃんと、そこで働いている人達と触れてもらわなくては」)
 銀麗は、既に彼らの弱点をお見通しだ。
「まさか、持論の弱点を目の当たりにするのがお嫌、などという事は‥‥」
 む、と眉を潜めた技術者達。相手の前で弱みを見せるのが嫌と見えて、皆、むっつりしたままこの申し出を承諾した。
「技術は技術者の面子のための道具じゃないのにな‥‥」
 彼らの様子に、雨霧は溜息混じりに肩を竦めた。

●契約は慎重に・その1
 さて、技術者達が下がった後、勇人とフレッドは改めてホルレー男爵に目通りを願った。
「ご夫人にはご無沙汰しております。ホルレー男爵も、以後お見知りおきを」
 夫人にはかんざし『早春の梅枝』、男爵には上質の貴腐ワインを贈る心遣いも忘れない。あらあらまあまあ、と夫人は無邪気に喜んでいる。男爵の方は、『気遣い無用』と淡々としたもの。却って機嫌を損ねたか、とも思ったが、杯が用意され、早速の乾杯となった。
「ルーケイを蜜源にとのお話ですが、視察はすぐにでも可能です。ただし候補地はまだ復興中ゆえ、万が一に備え、護衛を付けさせて頂く事になります」
 彼が推した場所は、東ルーケイ街道傍のクローバー村。ただホルレー領からの距離を考え、日程を定めてまたの機会に、という事になる。
「その場所に問題が無ければ、春〜秋の間、自由に蜂を放つ許可を願いたい。巣箱の数や養蜂家の人数に関係なく、一定の額で許可してもらえれば有り難いのだが」
「その、契約についてなのですが‥‥」
 どの様に説明しようか、と一瞬迷った勇人だったが、元々小手先の繕いは苦手だ。あるがままに語る事にした。
「周辺地域の平定が終わらぬ現段階では、東ルーケイ内といえども安全が保証できません。養蜂を本格的に行うには時期尚早。一先ず今後この話を進める約束を取り交わし、後は後日の事とさせて頂きたい」
「なるほど。ルーケイの不穏は話に聞いていたが、さしもの伯も手を焼いておられると見える」
 言葉に微かな棘を感じ、ムッとした勇人だが、ここは堪えた。
「ルーケイ伯はモーガン卿との良好な関係を望んでいます。養蜂はルーケイ領内でも産業として期待される物。その取引とあらば、決して疎かにはしないでしょう」
 堪えはしたものの、憮然とした気持ちが言葉の端々に出てしまうのは仕方が無い。
「いまのはあなたがいけませんわ」
 夫人に窘められて、男爵は咳払い。
「そちらの状況は理解した。こちらとしては、一日も早く貴領の治安が回復するのを祈るばかりだ。商売の事ばかりではない。不穏は悪疫の如く、領地の境など簡単に越えて広がるもの。国内の治安が悪くて良い事などひとつも無いのだからな」
 適度に苦労した後は、程々に成功して欲しいという訳だ。ぽっと出のルーケイ伯に貴族達が抱く気持ちは、皆、そんなものだろう。
(「何も面と向かって言う事は無いのに。男爵が疎まれるのは、口の災いも大きいのでは‥‥」)
 苦笑いを飲み込んで、フレッドは話を進めた。
「それでは、今日はこの事業を進めると確認のみして、後はルーケイの情勢が定まった後に、という事で良いでしょうか?」
 ホルレーと勇人が共に頷き、交渉は終了した。
「契約書にはこれを使おうと、持って来たのですけどね」
 残念です、とフレッドが取り出したのは、まりえ作成の紙だった。
「ほう、それは良い。成立の暁には、是非この紙で契約書を取り交わそう」
 思いのほか気に入ってもらえて、フレッドも悪い気はしない。では、と立ち上がった勇人に、男爵が握手を求める。
「包み隠しの無い説明に感謝する。蜜源使用に配慮あらば、こちらも技術の指導など、協力できる事もあるだろう」
「感謝致します」
 ともあれ両者は握手を交わし、夫人の笑顔に送られて屋敷を後にした。

 この日の夜、ホルレー邸にはもうひとり客人があった。
「麗娟、良く来ましたね」
 夫人の言葉に、彼女は深々と頭を下げる。
「冒険者を廃業しようと考えております。本日は、そのご挨拶に」
 そうか、と男爵。それもまた、ひとつの生き方。感謝の言葉を述べる彼女に、男爵は、これまでご苦労、と短い言葉で労った。
「スイポクガだったかしら? あの素敵な絵を描きながら暮らすといいと思うのよ? ああ、またあの絵を見たいわ。紙と墨はあるのだけど‥‥」
 夫人の、期待にきらきら光る目を見て、彼女はくすりと笑った。
「では、今宵の月など写し取って進ぜましょう」
 彼女は夜が深けるまで、他愛の無い語らいをしながら男爵夫妻と過ごし、一枚の水墨画を残して去ったのだった。

●働き蜂の一日
「ふーん、やっぱりお流れになっちゃったんだ、ルーケイの話。盗賊が徘徊してるって聞いてたし、どうかなーと思ってたのよね」
 ケミカ・アクティオ(eb3653)の話に、はあ、と溜息をつくマリエ。どうやらまだ未練がある様で。
「もう、まりえったら、しっかりしてよね! 今回は相手もちゃんとした人だったから良かったけど、確かめもせずに美味しそうな話にホイホイ乗っちゃ駄目なのよ? しっかりリスクとリターンを考えて判断しないとね」
 分かった? と念を押すケミカに、マリエ、気をつけます‥‥と小さくなる。
「よろしいっ。じゃあ、始めましょうか」
 ケミカが、ぼふっ、ぼふっと噴霧器で巣箱に煙を吹きかける。
「この作業にも、すっかり慣れたのぅ」
 蜂達の動きが鈍って来たところで、シュタール・アイゼナッハ(ea9387)とコーセブが、素早く巣板を取り出した。
 シュタールはひょいと巣箱を覗き込み、煙に巻かれてモゾモゾする蜂達を掻き分けながら、巣の入り口やら隙間やらに塗り込められているプロポリスも採取する。コーセブは、慣れた手つきで巣の蓋をナイフで切り取り、まりえの指示で作られた遠心分離機に、おっかなびっくりセットする。
「上手く行きます様に‥‥」
 マリエがハンドルを握り、ぐるぐると回転させる。と、みるみる内に蜂蜜は巣板を離れ、遠心分離機の下にセットした壷の中に流れ出した。黄金色のとろりとした液体が満ちて行く様に、皆の表情が自然と綻ぶ。
 更に。
「なるほどのぅ、これが女王蜂を育てる為の王台か」
 シュタールが巣の中に手を突っ込み、その部分を剥ぎ取った。中には確かに、蜂蜜とは明らかに異なる白濁液。
「しかし、ひとつの巣箱でたったこれだけとは。ロイヤルゼリーというのは、あんまり採れぬものなのだのぅ」
 シュタール、ちょろっと舐めてみる。
「む、酸っ──」
 あまりの酸っぱさにぷるぷると震える様に、皆が笑う。差し出された蜂蜜を、慌ててひと舐め。
「女王蜂用の特別な食事だから。どうしても量は取れないのよね」
 マリエの呟きに、雨霧がそういえば、と口を開いた。
「現代の養蜂では、蜂を勘違いさせてロイヤルゼリーを作らせる、と聞いた事がある様な」
 どうやるんだったか、と首を捻る雨霧。
「人工の部屋を設置して溜めさせるんだったと思うんだが、何か色々条件があった様な‥‥」
「蜂達にロイヤルゼリーを作らせるには、たくさん女王を育てなきゃいけない状況を作る訳よね」
 考え込むマリエ。もうひとつふたつ、条件を思い出せれば、試してみる事も出来そうなのだが。

 皆が蜂の恵みを採取している内に、アッシュ・クライン(ea3102)は普段巣箱を運んでいる村人達から話を聞いていた。
「今の箱数なら、領内の蜜源だけでも賄えそうなんだな?」
「へえ。ただ、村の者が本気でこれをやるとなると、もっと箱も増やして、採取も何度もやれんと手間に見合わん事になります。そうなると、今以上に広く箱を散らさんといけません」
 なるほど、とアッシュ。
「スズメ蜂の方はどうだ? 頻繁に目にする様なら、駆除しなければ」
「前にも駆除してもらったおかげで、今のところ目立っては。ただ、これから秋にかけて、だんだん増えて行くとは思うとります。秋には、果樹の多い北の山辺りにも巣箱を置くつもりです。そういう場所はどうしても大きな蜂も多いもんで」
 避けた方がええでしょうか、と相談されて、いや、とアッシュは首を振った。
「‥‥と、いう訳だ」
「なら、スズメ蜂避けの工夫でもしてみまようかの」
 シュタールは借り物のツールナイフを駆使しながら、巣箱の入り口に填める格子を自作した。苦労の末に完成させたものだが、結果から言えば、これは失敗だった。蜂は羽ばたきながら、入り口に設けられた棚に向かって降りて来る。格子をつけてしまうと、蜂達がそれによって傷ついてしまうのだ。
「ううむ、難しいものだのう」
 シュタール、せっかく取り付けた格子を自分で外す。
「なんの、しくじりからも学べ、じゃ」
 そこへ、技術者達一行が現れた。

「ようこそ、働き蜂の巣へ」
 汗を拭き拭き登って来た技術者達に、水桶を担いだパトリアンナ・ケイジ(ea0353)が、白い歯を見せて微笑みかけた。朝から何往復したものか、このパワフルな女傑の額にもじっとりと汗が滲んでいる。そうする間にも、黙々と水を運び続ける村人達。
「せっかくですから手伝っていきませんか」
 銀麗にいきなり言われ、技術者達が鼻白む。猛烈抗議しようとした彼らだが、そそくさと女性の銀麗が水桶を担いで行ってしまうわ、村人達が嬉しそうに寄って来て『申し訳もねえことです』などと頭を下げるわで、引っ込みがつかなくなってしまった。やっと登って来たというのに、休む間もなく水桶担いで下り坂。それでもまだ言い合いをしている彼らを見て、パトリシアンナが苦笑した。
「エールもワインもパンもチーズも、最初は自分のものだと揉めたのかねえ?」
 おどけて言う彼女に、マリエも笑う。
「よし、私も手伝いに行くかな」
 それ、と立ち上がったフレッドは、そのままボテりと倒れてしまった。体を壊したままの人間があまり無茶をしてはいけない。
「本当に大丈夫なんですか? 顔が青いですよ?」
 フレッドはマリエに介抱されて、情け無い思いをする羽目になってしまった。彼の仕事は、彼の愛馬2頭がしっかりと肩代わりしてくれたので心配には及ばない。
 さて、技術者の皆さんの戦果はというと、全員が3往復の間に潰れる体たらく。樹園の木陰でくたばっている彼らに、村人達が汲んできた水をお裾分け。喉を鳴らして流し込んで、ようやく彼らは一息ついた。
「樹園の木は元々が野生のもんですから、野菜なんかを育てる程には水はいらんのです。けど、やっぱり時々は地面に湿り気を与えてやらねばならんので‥‥。蜜源にもなるハーブ類を育てたいという話もありましたが、そういうのをやるならもっともっと水は必要になります」
 苦労して運んできた水だが、撒いてみれば僅かに地面を濡らすばかりで、なんとも頼りない。
「以前は、ここから水が湧いていたらしいんだ」
 パトリシアンナが指差して見せた水源は、微かな湿りにその痕跡を残すのみ。どうやらすぐには復活しそうにない。
「揉めるくらいならいっそ、水車も風車も両方作るという訳には行かないんですか?」
 フレッドの問いに、技術者達は渋い顔。
「それは‥‥。山全体を開墾するというのでもない限りそこまでの水量は必要無いし、今は良くとも、後々、採算を考える時に大変な足枷になります。だいたい、実績が欲しいからと風車などという──」
「何を言う、水車こそ不向きな──」
 シュタールが珍しく大変な剣幕で怒り始めた。
「ええい、さっきから聞いておればごちゃごちゃと! 議論ばかり続けておっても、いつまでたっても水は汲めないんじゃ! とっとと計画立てて作らんかい!」
 怒鳴りつけられて、技術者達はしょんぼりと項垂れてしまった。どうにかならないのですか、とマリエも問う。不安げに見詰める村人達に絆されたか、逡巡した後、風車技術者が新たなアイデアの説明を始めた。
「水車の設計と、風車の水を汲み上げる部分の設計を組み合わせます。巨大な水車を作るのではなく、複数の水車の力を歯車に与えて水を汲み上げる。詳細は計算してみなければ分かりませんが、ゆっくりとした速度ながら、これで数十m程度は水を上げられる筈。稼動部が増えるので日々の手入れと数年ごとの組み直しは避けられないでしょうが、現状を見るに、これが一番確実かと」
 図を描いて説明するのを、水車の技術者が真剣な眼差しで眺めている。ああするべき、ここはこう、と指摘し合う様は喧嘩もさながらだが、以前の堂々巡りとは違って、着実に前進している手ごたえが感じられる。
「もう、大丈夫そうですね」
 マリエの表情にも笑みが浮かんだ。
「そうだ、一緒に木の皮を叩く小さな水車も作ってもらいましょう。これで、九龍さんに無茶な皮叩きをお願いしなくても良くなります」
 以前の大騒ぎを思い出して、咳払いと共に顔を伏せる九龍。これはこれで、何だか少々寂しかったりもするから、不思議なものだ。

●夏の自由研究
 天井から下げられた人の頭ほどの鉛の玉。さっきからずっと振り子運動をしている。
「いろいろ試したんだけど、地球とは違うのよね。見ての通り、この世界は回転してないのよ」
 まりえの説明に意味不明な銀麗とシュタールを後目に。
「確かに‥‥。あれから二時間になるけど、振り子の軌道が変わらない。15度は動いてなきゃおかしいのに」
 一人、木下秀之(eb4316)が頷く。
「そう。ガリレオが証明できなかった地球の自転は、皮肉なことに彼が発見した振り子の性質から証明されたの」
 外から力が加わらない限り、振り子の振動面は不変である。地球の自転を受けて1時間に8度位動いて行くのは中学理科の知識であった。
「じゃあ、地磁気も無いのですか?」
「それはまだ証明できてないし、材料の質にも拠るかも。ここで手に入る材料は、いいとこ炭素鋼ですし」
 まりえも難しい顔。
「磁石か。確か焼き入れした鉄を磁石にこすりつけると出来たはず」
 秀之がぼそりと言うと銀麗は
「でも、磁石を創るのに磁石が要るんですか?」
 顔を見合わせる二人。
「すると、やっぱりこれか‥‥」
 思い浮かべるのは電磁石。コイルに電流を通すことによって磁力を創るやり方だ。しかし、ボルタ電池では心許ない。充分な起電力の残る時点でも、発生する水素の泡沫が電力を弱める。電気の実験には充分でも、実用にはほど遠い。素焼きの壷で液を分け、銅の電極に硫酸銅、亜鉛の電極に硫酸亜鉛を使ったダニエル電池までは再現した。しかし、この発展形のルクランシュ電池、すなわちマンガン電池の再現は材料の調達が不可能であった。
「水力発電が出来りゃいいんだが‥‥」
 発電器=モーターを造るには、これまた磁石が必要という堂々巡り。しかも、これで造られる電気は交流。
「整流器を造るのは大変ですよ。半導体相当の物を創り、実用的なコンデンサーを造り‥‥。結局、私も完成品からしか造ったこと無いし」
 半導体で一方向の波にして、それをコンデンサーで平滑化。抵抗を掛けて整った電圧を得る。原理は簡単だが部品がない。
 地球の技術は、技術の蓄積で作られた完成品の存在を基礎として成立している。一朝一夕に一からやるのは、様々な難関が待っていると言うことだ。
「黄銅鉱とか、金属と錆の境目が部分的に半導体の性質を持ちますが、電気のロスが大きすぎて役に立たないでしょう」
 不可能ではないだろうが、実験室の域を出ない。

 暗礁に乗り上げた電気や磁石と異なり、実用的な研究をしているのが物輪試とシュタールであった。まだ使い心地は最悪だが、豚毛歯ブラシの制作は成功。歯磨き粉は焼き塩と野菜クズの黒焼き。それにミントを少し加えてみた。
「ちょっと硬いかな」
 歯茎の粘膜を痛めたらしく、口から血を流すシュタール。毛の加工にまだまだ改良の余地がありそうである。

●契約は慎重に・その2
「お手伝いした後どうなったかとても気になっていたのですけど、紙の製造は進んでるみたいですね。それどころかガリ版印刷までやってるなんて、素敵です!」
 篠宮沙華恵(eb4729)に褒められて、マリエ、ちょっと照れる。しかし、いつも通りに見える彼女だが、サカイ商店との交渉を前にして、大いに悩んでいるのだ。ガリ版の普及は、マリエの夢を叶えるひとつの方法。しかし、この契約を急ぐ事は、男爵の意向に背く事にもなり兼ねない。
「芸術とか技術とか魔術とか、目先役に立ちそうにない物を支えてくれる貴族って大事な存在よ。男爵に投資して貰ってここまでこぎつけたのだし、男爵の意向は重視するべきじゃないかしら」
 ケミカの助言は、マリエもその通りだと思っている。ホルレー男爵に認めてもらえなければ、マリエは今でも冒険者街の片隅で燻っているしか無かったろう。
「あの、その‥‥」
 壁の向こうから覗き見ながら話しかけるソーク・ソーキングス(eb4713)にも、ようやく慣れたマリエ。何ですか? と振り向いた彼女に、ソークはじりじりと引っ込みながら言った。
「あの、その、私も、その、ホルレー様と同じ考えです。あの、そのインサツ技術ですか、そういったものはあまり外に出さないほうがよいかと思います。天界の技術は、この世界にどんな影響を及ぼすか分かりませんし‥‥」
「影響?」
「あの、その、良い影響もあるでしょうが、わ、悪い影響も見過ごせません‥‥」
 この指摘は、マリエにとってはショックだった。そんな風に考えた事が無かっただけに。
「では、皆さんはどうしたらいいと思いますか?」
 そうですね、と持論を述べたのはフレッド。
「まりえさんの意向に沿う形で行くなら、委託生産と販売を認める代わりに、売価の4〜5割を徴収。生産技術の向上と比較しつつ価格上限を設けて高騰を避ける、といったところでしょうか。もっとご領主の意向を汲むなら、ここで生産したものを卸売りするのみとすべきです。どちらにせよ、サカイに販売の独占は認めるべきではないでしょう」
「これはサカイ商店ではなく、国のプロジェクトとして立ち上げた方が良い気がします。 税という形で徴収できれば、回収の手間が省けて安定した収入が得られると思います」
 と、これは沙華恵。
「なら、発行は許認可制。印刷機で印刷した際に許認可番号が紙に打ち込まれる様にして、不正な使用があれば許可取り消し、機器回収ってことでどうだ?」
 パトリアンナの提案に、おお、と手を打つ冒険者達。盛り上がる一堂に対して、おいてきぼりのマリエがおたおたしている。
「なんだか、どんどん話が大きくなって行きますね‥‥」
 困り果てる彼女に、雨霧は言う。
「領主のホルレーさんに管理権を献上し、交渉・流通の中継ぎして貰うのは、どうかな? そうすればホルレーさんも技術の管理もし易いし、まりえさんも契約に煩わされる事も少なくなると思うんだけど」
「そうした方が、いいのかな‥‥」
 迷うマリエを、沙華恵が諭す。
「今はパトロンの意向に従うべきでしょう。技術を秘しても印刷物を売る事は出来ますから」

 冒険者達の勧めもあって、マリエはガリ版印刷機の扱いを男爵に委ねる事にした。元々、有用なものはだんだん規模を大きくして領地の特産品にと考えられていた訳だから、遅かれ早かれ、マリエの手からは離れる運命だったのだ。これに際して、マリエの希望は2つ。
「なるべく広く、望む人にはこの道具を入手する機会が与えられるよう望みます」
「政や犯罪に関わらない限り、何を印刷するかが制限されない事を望みます」
 男爵はうむと頷き、決して悪い様にはしない、と約束をした。
 一方、男爵に目通りした沙華恵は、男爵にこう助言した。
「サカイ商店と提携すれば、道具の販売で利益が得られます。が、印刷、出版事業を独占、軌道に乗せる事が出来れば、国内産業振興と国内外への印刷物販売が生む富がそれを上回るでしょう。問題は、印刷に何を載せるか、なのですが」
「まずは、貴重な書物の複製を作るだけでも、利益を上げる事は出来るだろう。現状、書物は皆手書き。故に大変貴重で高価なものになっている。問題は、一般庶民は大半文字を読めず、本など無用の長物、という事だが‥‥」
(「そうなると、技術を押さえてそれを使わせる、胴元みたいな商売の方が効率がいいのかしら?」) 
 小首を傾げて考え込む。そうこうする内に、交渉の為、サカイ商店の者が現れた。社交辞令の後に、契約の為の条件が伝えられる。これは、冒険者達が提案した内容、ほぼそのままだ。交渉相手がマリエから男爵に移った時点で、予想はしていたのだろう。サカイ商店はあまり動じてはいない様子。致し方ありません、今回は見送らせて頂きます、との返事だった。
「代わりと言っては何なのですが、せめて紙を扱わせては頂けませんか。専売とは申しません、優先的に卸して頂ければ、きっと広く普及させてご覧に入れましょう」
 さすが、只では帰らない。男爵は一先ずこれを保留したが、話は進みそうな気配である。
「そこで、なのですが‥‥」
 フレッドは男爵に、領内に製紙工房を作る事を提案し、聞き入れられた。一方、雨霧はサンプルとして用意されたガリ版セットを弄くっている内に、ふと、思い出した事がある。
「文字のレイアウトに大きさに合わせて、ヤスリ版と鉄筆の組み合わせを変える必要があった筈なんだ。前回滲んだのはヤスリ版に合わない鉄筆だったからかもしれない」
。尖度や面積が異なる何種類かの鉄筆を作成し、実験した結果、最初のものよりも太い鉄筆で、描線が鮮明になる事が分かった。ヤスリ板の方の相性も試してみれば、より表現力を高められるかも知れない。

●編集部、発足?
 ガリ版印刷機の販売話も撤回となって、結局、まりえの野望は大半が頓挫ということになってしまった。不備のある契約が勢いで結ばれてしまうよりは遥かに良かったものの、やはりがっかりしてしまうのは仕方の無い話。
「何だか、疲れた‥‥」
 まりえさんは、ぐったりと。トックの入れてくれたお茶など啜りながら、ぼんやりと外を眺めている。そこでアッシュが作っているのは、蜂小屋だ。まだ基礎が出来たばかりだが、村人達も手伝って、何となく形が見え始めている。
「ほらほら、萎びてる暇なんか無いよ? こうなったら、自分達でインサツをどう使うか考えないとね」
 発破をかけたケミカさん、うーん、と腕組みしながら歩き回る。
「私はシンブンをやりたいって思ってる。遠くで起きた事を知りたいっていう好奇心は、誰しもあると思うわ。吟遊詩人を歓待して酒場に集まるのはそういう事よね。生活に必須な物じゃないから、その好奇心を強く刺激しないと。吟遊詩人に勝る部分は、何度でも見直せるっていう部分ね。絵を多用して、文字を少なくして、誰もが見られるシンブンにして、更に、より早く、安く、を実現できればいけるんじゃない?」
 ケミカに蜂蜜入りのハーブ茶を淹れながら、トックは素直に感心している。
「‥‥面白そうかも」
 むっくり起き上がったマリエさん。
「うん、それで行きましょう。ケミカちゃんが編集長になって、さっきのシンブン、ばしっと纏めてみて」
「へ? ええええ!?」
 にっこり微笑んだマリエに、ケミカが素っ頓狂な声を上げた。

 揚水水車の設置場所には、技術者達が集まって測量など始めている。そこから少し離れた川べりには、木の皮を打つ為の水車小屋が作られている。だが、今は秀之にちょいと手を加えられて、『冷え冷えハウス来来軒』になっている。屋根の上に水車で汲み上げた水が流れ落ちる仕組みだ。
「やぁ、思いのほか涼しいな。後でみんなも連れて来よう」
 満足げに頷きながら、冷やした夏野菜に味噌マヨをたっぷり付けて丸齧り。そしてエールをぐびっと。実に美味い。何やら不完全燃焼気味の九龍も、ご相伴に預かっている。
「この暑いのに、勇人の奴、熱心に話してるなぁ」
「ああ、復興後のルーケイの為に、ああいう技術者に声かけて回ってるらしい。さすがだよな。おおい、あんたもこっち来て涼め〜!」
 流れ落ちる水の音で聞こえない様子。と、言い合いながらやって来る2人組みも。呼んでみると、フレッドと、なんとサカイ商店。
「何やら現場をウロウロしていたので、問いただしていたところです」
「いえ、やましい事など何も‥‥ただ、マリエ様の事業には大いに興味のあるところでして」
 胡散臭げに睨むフレッド。秀之はふふんと笑う。
「そう簡単にくれてやる訳にはいかないな。ま、難しい話は置いといて、エールでもどうよ。マヨサラダもあるでよ。美味いよ」
 またマヨですか! と眉を潜めるフレッドを余所目に、サカイ商店ひと齧り。
「‥‥美味い」
「お、あんたイケるクチだね? さあさあマヨ食いねえ、エール飲みねぇ」
 わいわいとやっているところに、マリエにトックを先頭にして、他の面々もやって来た。おーいおーいと呼ばわると、気が付いた彼らが手を振り返す。だが、何故かこっちへやって来ない。
「来いって、涼しいぞ──」
 と。天井でめきっ! と音がしたと思った途端、頭の上から水の塊がざばんと落ちてきた。勢いに負けて、ごろごろと小屋の外に押し流される彼ら。どうやら何処かに水が溜まっていた模様。
 小屋を勝手に改造して壊した秀之が、後でマリエにこってりと絞られた事は言う間でも無い。