●リプレイ本文
●前日
この日も一日、ウィルは呆れる程に良い天気だった。利賀桐真琴(ea3625)は暮れかけの空を眺め、灯りを用意しなくちゃなりやせんねぇ、と立ち上がる。
「手元が暗くなってきやした。指を突っつかないように気をつけるんでやすよ」
へーい、と答える声。裁縫の出来るシフール達が集まって、ちくちくと縫い物に精を出す。
「上手いものだよ。仕立て屋を手伝ってだけのことはあるね」
モニカ・ベイリー(ea6917)は自分が貸した『小さな浴衣』と彼らが縫い上げた浴衣を見比べて、素直に感心。シフール用は背中の仕立てが特殊だから、結構手間がかかるのだ。
「えへへ、こっちも出来たよ〜」
じゃーん、と掲げた水着に、感嘆の声があがる。これのサンプルは真琴作。浴衣と水着、全員分を間に合わせようと、小さな仕立て屋達は頑張っているのだ。痛っ、とか、やばっ、とか、あれ? とか、不穏な呟きも聞こえるが、それもまあご愛嬌。真琴は灯りの用意もそこそこに、苦戦しているシフール達にアドバイスを始める。そして出来上がったものには、
「こっちのは『いーだ』、こっちは『おーくる』と‥‥」
名前もきっちり入れておく。薄暗い灯りの下で針仕事はなお大変。だが、シフール達は楽しげだ。あたいももうひと頑張りと、真琴は指貫を手に填めた。
「へえ、立派に育ったね、偉いぞ」
うんうんと頷く燕桂花(ea3501)に、収穫したラディッシュを抱えて誇らしげなシフール達。こんなちゃんとしたのが出来るんだと、トートも一緒になって褒めるものだから、彼ら大喜びで照れまくっている。
「で、これをどう食べるかなんですよ師匠!」
「正直サラダには飽きましたっ!」
結構な量だもんね、と苦笑する桂花。どうしようかと悩む時間も楽しくて。料理組は、キャンプ料理の下準備に余念が無い。‥‥一部を除いては、なのだが。
顔を出したユラヴィカ・クドゥス(ea1704)に、どう? と桂花。
「余程ショックだったのじゃのう、すっかり自信を無くしてしまっておるようじゃ」
そっか、と桂花は溜息ひとつ。
「‥‥己が犯した愚は重々承知しておるが故の落胆じゃろうから、あまり叱らんでやって欲しいのじゃ」
わかってる、と頷いた彼女は、下準備をトートと弟子達に任せて、相変わらず放心中のお菓子屋達の元へ出向いて行った。
「小麦粉焦がしちゃったか〜」
突然後ろから話しかけた桂花に、彼らはひい、と小さな悲鳴を上げた。
「どの程度焦げたのかな〜、隠さないで見せてごらん〜?」
まさかもう捨てちゃったなんてことは無いよね? と小首を傾げて見せると、ぶんぶんと首を振り、大慌てで大きな袋を引き摺って来た。
「そう警戒しないでいいんだって、怒らないから」
苦笑しながら袋を開ける。と、中には見事に焦げた焼き菓子の無残な姿が。焦げと甘さが混ざり合った、なんともがっかりな臭いが鼻を突いた。
「はや〜、全部焦げちゃったのね〜」
彼らが作ろうとしたのは、小麦粉に蜂蜜とバターで味付けをして釜で焼く素朴なお菓子だ。石釜の火加減を操るのは、決して簡単なことではない。小さなシフールがとなれば尚更だ。桂花は焦げをがりがりと削り取って、お菓子を一口食べてみる。
「んー、ちょっと粉っぽいかな? 材料の分量も調整した方がいいかもだね」
こりこりと失敗作を齧りながら、思いつく限りのアドバイスを口にする桂花。彼らはいつのまにか、彼女の話に聞き入っていた。
「明日はよろしく頼むのじゃ」
馬や驢馬達に飼料を用意していたユラヴィカは、暗くなった通りを飛んで来るひとりのシフールに気が付いた。
(「む? いつの間に外出しておったのかのう?」)
その彼には覚えがあった。
(確か、『とびきり効く傷薬の作り方』を訊かれたとモニカ殿が言っておった‥‥」)
そんなことを考えている間に、目が合った。ひらりと舞い降りた彼、
「あのー、俺、やっぱり残ろうかと思──」
言いかけたところを、伸びて来た手がむんずと掴んだ。
「往生際が悪いアル、油安売りしてる暇があったら手伝うアルよ!」
準備で大忙しヨ、しふの手も借りたいアル! と大変な剣幕の孫美星(eb3771)。抗議の声は一蹴され、彼は哀れ、ずりずりと引き摺られて行った。ま、よかろ、と肩を竦め、ペット達のお世話に専念するユラヴィカである。
●山へ行こう
お出かけの日を迎えたしふ学校。ずれ込んだ準備に、わくわくで眠れなかった反動で、起床時間になってもごろごろぐうぐう。ありがちな話ではある。ファム・イーリー(ea5684)はすう、と大きく息を吸い込むや、手にしたフライパンをぐわんぐわんと打ち鳴らした。
「おはよーっ! 起きる時間だよーっ!」
「うわあ!!」
突然の大音響に、堪らず飛び起きたシフール達。寝ぼけ眼を擦っていたイーダ先生、状況を察して、また寝床に戻ろうとする彼らを手当たり次第に揺さぶり起こす。
「朝ごはん出来てるから食べちゃって!」
「手が空いた奴から、こっち来て荷物を積むの手伝っておくれよっ」
「あわわ、積み過ぎ積み過ぎ、ヴィッツくんがぐえっていったアル! 天龍さん、やっぱり麟くんも連れて来て欲しいアル! そこ、どうして黒王に積まないヨ!? え? 睨む? シッポ引っ張って遊ぶからアル!」
そりゃもう朝から大騒ぎ。
『よふかしで、おおねぼう。ファムちゃんにたたきおこされたよ。しゅっぱつまえはだいこんらん』
ファムの絵日記は、そんな一文で始まることになった。
「ふふふ、いよいよ“しふしふプロデュース計画”始動だよっ」
きらりとファムの目が光る。ウィルに『ラジオ』なる不思議機械が出来上がり、それに関わる依頼を受けて以来、これを利用してしふ学校の知名度を上げ、生徒の就職活動を有利にしようと思い描いていた彼女。
「まぁ、色々あるかもだけど、まずは、皆の様子を記録しなくちゃ!」
てな訳で、しふ生徒達の毎日を、漏らさず書き残す所存なファムなのである。
「それでは、行ってまいります」
頭を下げたディアッカ・ディアボロス(ea5597)に、頷いて見せるゴドフリー。彼らはどうにか時間通りに出発をした。
ユラヴィカは、のんびりと眼下を行くしふ一行の様子に表情を緩ませる。今日もまた、天気は良好。テレスコープで方々を見渡しても怪しげな影は無く、行き交う人々は賑やかなシフールの集団を珍しそうに眺めながら通り過ぎて行く。世は並べて事も無し、だ。
「ここを登って行くのである」
モロゾが細い裾野の道を指し示した。ここからは、緩やかとはいえ山登りだ。
「皆さんに足下は関係ないかも知れやせんが、はぐれない様にきをつけて」
真琴は、よっと荷物を担ぎ直して、山道に踏み込んで行った。道は細く木々が生い茂っていて決して楽では無かったが、道々に景色の良い場所などもあって、画家工房のシフール達は大喜びであちらこちらと走り回り、その景色を脳裏に刻み込んでいた。
「はしゃいじゃって、よくやるねぇ」
呆れた様に呟いた不良くん達は、一度は飛天龍(eb0010)に教えを請いながら、今やドロップアウトしてしまった者達が中心だ。
「良い機会だ、卒業した者達から話を聞いてみたらどうだ?」
突然に天龍から声をかけられ、顔を見合わせる彼ら。
「別に俺らは‥‥」
などともごもご言っている内に、
「あ、川だ!」
「おおお、水が冷たい!」
「この上流に行けば、滝があるのである」
「うむ、確かに向こうに見えるのじゃ」
ユラヴィカが指し示すと、よし行こう! とシフール達は鉄砲玉。宙ぶらりんな状態のまま置いてきぼりを食った不良くん達も、慌てて彼らの後を追った。天龍は、今はとやかく言わず、見守っていようと考えている。
●川で遊ぼう
「滝だぁ〜」
こういう時、何故か人は見たそのまま、当たり前の感想を口にする。決して大きくは無い滝なのだが、シフールにとっては大瀑布。水に勢いがあって迫力満点。舞い散る飛沫で辺りはひんやりと涼しくて、何とも言えず気持ちがいい。
「全員いますか? 点呼を取ります」
ディアッカの号令で、1、2、3‥‥と元気よく。どうやら迷子はいない模様。
「それじゃあ、まずはテントを張ろう。少し川から離れた、向こうの幾分高くなっている辺りがいいだろう」
天龍の指示で始めるのだが、テントを建てるのもひと騒動。これもまたイベントだ。どうにかこうにか雨風を凌げる場所を確保して、後は原則自由時間。皆、見事な早業で用意した水着に着替えると、早速川へ。しかし彼らの前に、美星が立ちはだかった。
「ちょっと待つアル、注意一秒怪我一生アルよ! 泳ぐ前には準備運動アル!」
うずうずが抑え切れないシフール達だが、美星に倣って運動開始。見よう見真似でぎこちなく身体を動かすと、終了の声も終わらぬ内に、わっと辺りに散って行った。
「そ〜れ〜アル〜」
川の中に勢いよく飛び込んだ美星、川縁でたむろしていたシフール達に、盛大に水を浴びせかけた。ひゃあ! 冷た! と悲鳴が上がる。
「むむむ、美星さんに負けるな、それ!」
トートが反撃を開始するや、他のしふ達も飛び込んで、水かけ合戦が始まった。もう、しょっぱなから皆ずぶぬれ。水着に着替えておいたのは大正解だ。
「こうなったら、水中鬼ごっこで勝負アル!」
「望むところであるのである〜」
水中で揺れていた藻の様なものが、ぬぼーっと浮き上がって来た‥‥ら、モロゾだった。どうやら巻き添えを食っていたらしい。
「ぬっふっふ、流れのある川を自由に泳ぐには熟練が必要なのである、このモロゾから逃れられると思うてか」
「にゃ、あたしの水着をつかんじゃ駄目アル〜!!」
危うくポロリな事態になるところだった美星さん。ぷーっと頬を膨らませ。
「むうー、こうなったら必殺滝つぼ渦巻きの術アルっ!」
これは幾人もで輪をつくり、同じ方向に泳いで流れを作り出す秘伝の技だ。巻き込まれたモロゾが、意外に強い勢いに慌てている。しかし、やり過ぎると自分も流されてしまう諸刃の剣。
「‥‥溺れない程度にしておくんだぞ」
天龍が苦笑しながら見守っていた、その傍らを、妙な物体が通り過ぎて行った。胴長短足ずん胴でくちばしのある、鳥とも獣ともつかない生き物。これがひょこひょこと歩いて行く様に、シフール達は目を丸くした。
「水夏丸でやす」
真琴のペットと聞いてシフール達、興味津々で追いかける。水夏丸が水辺に到達した頃には、後ろにシフールの列が出来ていた。と、寸足らずの翼をばたつかせ、ざぶんと飛び込み。追いかけようとしたしふ達は、それまでが嘘の様な、水中を飛ぶが如くに泳ぎ渡る水夏丸の姿に、おお〜、と感嘆の声を上げた。僅かな間に魚を銜え、水面に顔を出した水夏丸は、どんなもんだいと自慢しているかのよう。
「おー、魚がいるな、釣りしよう釣り!」
その声に、ファムがヴィッツくんの荷物をガザゴソと。
「じゃーん、釣り道具一式〜」
ぱららぱっぱぱ〜と取り出して、大事に使ってね、と手渡した。
「ほら、あなた達も今晩のおかずを取ってらっしゃい」
モニカも不良くん達を捉まえて、フィッシングロッドセットにウェットスーツ、ニョルズの釣竿を彼らに渡し、しっかり取って来ないと夕飯抜きだからね、と発破をかけた。
「レジャー用品、他にもたくさん持ってきたよぉ、いつでも言ってね!」
遊び倒す気満々の美星とファム。バナナボートに浮き輪、玩具の木彫りの舟と、色々なものを揃えてある。もっとも、
「こうなったら、滝登り勝負アルよ!」
「その挑戦、このイーダ様が受けて立つよっ!」
今は体ひとつで存分に楽しんでいる様ではあるが。
賑やかな声を聞きながら、木陰の涼しいところに陣取って、川遊びに夢中なシフール達を見守る忍犬・冬影丸。万が一の為の救助班だ。
「遊びに行ってもいいですよ。私が見ておきますから」
声をかけたのはディアッカだ。膨らませた浮き輪にロープを括って、救助用具も準備万端。まだ幼い亀も役立ってくれないかと期待しているのだが、そんな気持ちを承知しているのやらしていないのやら、のんびりと草を食むばかり。空には鷹の疾鳳が、気流を受けて悠々と飛んでいる。
「どうやら、周りに危険は見当たらない様だな」
天龍が一息ついているところに、周辺を散策していたモニカも帰って来た。
「獣の類はいるみたいだけどこの騒ぎだから、近寄っては来ないみたいだね」
『山海経』を紐解きながら語るモニカ。
「それでは、少人数であまり遠くには行かない様に、注意しておきましょう」
ディアッカに頷いて、ここにいる間くらいは世知辛い厄介事とは無縁でいたいもんだ、と肩を竦めるモニカである。さて、と腰を上げた彼女は、休憩もそこそこに、仮設の医療所を準備し始めた。と、
「モニカさん、コケちゃった」
「早速来たか。ほら、こっちにおいで」
傷を洗ってリカバーしながら、暇はさせてもらえそうにないね、と覚悟を決めるモニカ。
「‥‥モニカさん、面倒かけるアル。せ、背中が‥‥」
「め、面目ない‥‥」
ヨタヨタとやって来たのは美星とイーダ。水面で強かに打ったと見え、背中もお尻も真っ赤になっている。まあ大したことは無いのだが、さぞ痛かろう。
「何やってんの、あんた達は‥‥」
呆れ顔のモニカに、項垂れるしかないふたりである。
『かわでみずあそび。イーダは8m、美星は10mたきをのぼったけど、おしもどされておしりとせなかがまっかになっちゃったよ』
絵日記にばっちり書き止めてから、ファムは差し入れを持って医療所へ。
「これで涼んでよ、遠慮しなくていいからね。お大事に〜」
彼女が置いて行った『風守る従者』は、魔力を込めると大きな団扇で風を送ってくれるという代物。
「確かに涼しいですが、見た目は少々暑苦しい様な‥‥」
やけに出来の良い男性像を眺めながら、ディアッカが素直な感想を。そう? とモニカは気に入っている様子なのだが。
真琴さんはビキニ水着とサングラス。優雅な天界のバカンススタイルで決めているのだが、その手には色々な形に切られた怪しげな布が握られていた。疲れて昼寝中のしふ達にこっそり近寄って、その布を貼り付けて行く彼女。
「ほわわ‥‥ん? なんだこの布」
ぺりっと剥がせば、ほらもうそこだけくっきりと白いまま。
「ふっふっふ、日焼けプリント大成功! やり方はでやすな‥‥」
真琴に耳打ちされたシフールが、次のターゲットを求めて飛んでゆく。こうしている間にもまたひとり、その餌食になっているのだ。
随分と釣り糸を垂れているというのに、まるで釣れないものだから少々苛立ち始めていた不良くん達の隣に、画家工房の面々がやって来たのは、全くの偶然だった。彼らも釣りをしてはいたが、主な目的は風景を眺めること。気に入った場所に陣取って、空の雲が不思議な色だとか、あそこの木はなんだか怖いだとか、そんな取りとめの無い事を話しているのだ。
何となく居心地が悪かったのだろう、口を開いたのは不良くん達の方。
「画家工房楽しいか? きっと親方から、凄い技術教えてもらったりしてんだろうな」
「うん、凄く楽しいよ。でも、特別な技術ってのは無いかな。まだ僕ら駆け出しなんだし。あ、漆喰の塗り方は今修行中なんだ。あれもやっとかないと訛っちゃうなぁ。聞いてよ、こないだなんか僕らの手があんまし遅いもんだから漆喰が乾いちゃって‥‥」
良くは分からないが、彼の話は本当に楽しげで。でも、よくよく聞いていれば、それは地味で地道な下積みの毎日だと気付く。
「お前らさ、こんなんで本当に上手くなれるのかなって不安になったりとかしないの? 基本はもういいからもっといろんな技法を教えろって言いたくなることは? 他の親方のとこに行けば、もっと早く上達できる近道を教えてもらえるんじゃないか、とかさ」
「んー、考えたことも無かったな。おいら覚え悪くて、体で覚えないと身に着かないし。それに、近道を行くってことは、その間にあるものを飛ばして行くってことでしょ? それ、なんだかもったいないかなって。あ、普段そんなこと考えてないよ? 目の前のこと覚えるだけで精一杯だから。もうね、色んなことがあり過ぎて、この先どれだけのことがあるかなんて全然想像もつかないもの。来年の今頃、何をやってるのかも謎」
あははと笑う彼に、不良くんが天を仰いだ。
「‥‥俺はお前の行く末が不安になって来たぞ。そんなんで大丈夫なのかよ。すっかり迷子じゃんか」
「あは、迷子かぁ、そうかもね。でも、楽しいよ、迷子」
満面の笑みで答える彼に、すっかり毒気を抜かれた彼ら。
「お、引いてる、引いてる! 上げろ、上げろって!」
「あわわ、どうするの? 引っ張るの?」
やれ手伝うの網持って来いのと大騒ぎする様を眺めて、天龍はふっと笑みをこぼした。彼は今、弟子達の指導中。きょとんとしている彼らに、こほんと咳払いをひとつ。
「基礎の鍛錬というのは地味だが大切な物だ。2ヶ月前と同じ鍛錬も、以前に比べて短時間で余力を残して出来るようになっているだろう? 覚えておけ、費やした時間は決してお前達を裏切らない」
「押忍!」
天龍の掛け声と共に、彼らの今日の鍛錬が始まった。
●火の手綱
桂花に呼ばれたお菓子屋しふ達。やって来るなり、あ‥‥と息を飲んだ。
「あ、分かった? みんなもこっちに来て手伝ってよ」
彼女が作っていたのは、石を積み上げた即席の石釜だった。それらしきものが出来上がる頃、桂花は驢馬のどんちゃんを引いて来て、そこから荷物を降ろし始めた。何種類かの夏野菜、もちろん皆で作ったラディッシュも。塊のベーコンに、塊のチーズ。そして、小麦粉も現れた。
「えーっと、まずはこれを捏ねて生地にしてみて?」
嫌な記憶が蘇ったか、彼らは言葉少なになってしまったが、それでも一応はパン屋の手伝いに出向き、お菓子屋を始めるなどと言っていただけのことはあって、なかなかどうして様になっている。
「そうそう‥‥あまり力入れすぎないでね。この生地を延ばして、その上にいろんなもの置いて焼くんだよ☆ ベーコンとかチーズとか‥‥。天界人の知り合いが教えてくれた料理で、ピザって言うんだ。もちろん、何とかソースってのが作れないから、本物とはかなり違ってる筈なんだけどね〜☆」
桂花は石釜の中の炭を遠ざけて、色とりどりのトッピングを乗せたピザ生地をするりと落とし込んだ。中は熱が渦巻いて、煌々たる赤い世界。けれど吹き上がる炎はあまり見えず、じりじりと焦がし焼かれる様な輻射熱を強く感じた。
「釜は、余熱を上手に使うのがコツなんだよ」
小さい釜は熱を失い易いから、その分余計に難しい。一時も釜から目を離さない桂花の姿に、彼らは恥ずかしさで赤面する思い。釜の近くで手伝うことで、それをどうにか誤魔化していた。熱と格闘すること暫し。なんともいえない食欲をそそる香りが漂って来た。
「さぁ、焼けたよ〜☆」
チーズが適度に焦げたいい香りに、小麦の甘い香りも合わさって。じゅうじゅう音を立てるベーコンに、鮮やかな色はそのままに幸せな湯気を立てる野菜たち。皆のお腹が、ぐうと鳴った。
「一度や二度の失敗で諦めちゃダメだよ、失敗から新しい発見が生まれるんだからさ。今度パンを作るとき、あたいを呼んでくれないかな? 一緒にパン作りをやろうよ☆」
は、はい、と嬉しげに頷く彼らに、桂花はうんうんと笑みを浮かべた。
「さ、冷めちゃわない内に運んじゃおう☆ 食いしん坊が揃ってるから、あと2枚くらいは焼かなくちゃかな?」
夕暮れ時。美味しそうな匂いに皆が引き寄せられる中、居眠りから目覚めた真琴は、
「真琴さん、ほっぺほっぺ!」
言われて初めて気が付いた、ほっぺたの違和感。ぺりりと剥がしてみると、それは彼女が作った星型の日焼けプリントだった。
「だー! や・ら・れ・た〜でやすっ!」
かーっ、と額を叩いて突っ伏した。頬にくっきり鮮やかに光る星型に、辺りのしふ達もどっと笑った。
美味しい夕飯でお腹を満たし、彼らは皆、ぐっすりと眠った。
深夜。火の番をしているディアッカのもとに、モロゾとイーダ、オークルの、元わるしふ幹部達が集まっていた。
「それでは、ワルダーさん達がどうしているかは、皆さんもご存知無いのですね?」
頷いたのはオークルだ。
「その内連絡をするからと言い置いての解散だったが‥‥結局、なんの音沙汰も無いままに諸君らに捕らえられてしまったからなぁ」
「しからばしかし、わるしふ団は元々が、大幹部連中が何事かを画策し、幹部と下っ端は概ね方針に従いながら、皆の鬱憤晴らしと食料確保に奔走するという、そういう組織だったのであるがな」
モロゾの話に、まあね、とイーダ。ぱちり、と枝が弾け、火の粉が散った。
「いっそ、ここに来て一緒に楽しんでくれればいいのですが」
ディアッカの呟きに、イーダが苦笑した。
「ワルダーって、自分じゃはしゃがなかったけど、こんな風に皆が集まるの、大好きだったよね。‥‥行くとこなんて、昔の村か、わるしふ団しか無いだろうに。ほんと、何処で何をしてるのか」
「気性が真面目で思い詰める性質である故、心配なのであるよ」
元幹部達は頷き合い、ひとつ大きな溜息をついた。
●オークルの引き出し
翌日。朝から天界の音楽ロックの素晴らしさを不良くん達に説いていたファムは、そんな騒音みたいなの嫌、と一蹴されて、ひとり寂しく川縁に座り込んでいた。
「いいと思うんだけどなぁロック。魂の叫びを騒音なんて酷い‥‥」
黎明期のロックに対する評価は概ねそんなものだから、突然聞かされた彼らの反応も仕方あるまい。アーティスト養成計画、いきなり頓挫だ。
そして、もうひとり。ぽつねんと川を眺めているのは、オークル。川ではシフール達が、蟹や魚を捕まえようと賑やかに跳ね回っている。
「オークルさん、人間関係一番の基本は、悪いことをしたらまずごめんなさい、ということじゃないかと思うのですけれど。難しく考えすぎなのではないかという気がします」
ディアッカは、彼の傍らに腰掛け、嗜めてみる。
「それは、そうなんだけれど、あの老魔術師殿はもうひとつ、別の事も求めている気がするんです」
話を聞いていた天龍が、一つ聞きたい、と割って入った。彼にしては珍しい事だ。
「オークル、お前は何の為に知識を求めているんだ? お前を見ていると、知識を得る事、それだけが目標になっている様に見えるのだが」
オークルは天龍に言い返そうとして、そのまま言葉を失ってしまった。
「どうじゃ、獲れるかの?」
ユラヴィカが、川のシフール達に声をかけた。駄目だよ、全然だよ、と口々に答えが返って来る。どうしたものじゃろな? と、いきなり話をオークルに振る。
「‥‥そ、そうだな、罠を仕掛けたらどうだろう。水中に石を積んで、だんだん口を狭め、脱出口を失わせる様な」
「オークルさん、一緒に作ってよ!」
ほれ、行ってくるがいい、とユラヴィカが彼の背を押す。面白そうなことをしているというので、皆がいつの間にやら集まって、ちょっとした大工事になってしまった。
「あ、やった、早速魚が入ったよ!」
「よし、みんなで追い込もう!」
オークルの罠は、見事に機能しシフール達に満足の行くおかずを提供した。
「やはり、知識というのは使ってこそだろう?」
天龍が、オークルに呟く。
「やっぱり凄いね。ね、本が無いなら作ればいい! というわけで、いっそ自分で本を作ってみない?」
ファムの突拍子も無い提案に、オークルは唖然呆然、そんなこと考えたことも無かったのだろう。
「せっかく山には題材が豊富にあるんだから、本気で何か考えてみようよ、ね?」
「面白そうなことしてるアルね。そうだ、これをオークルさんにあげるアル」
手渡されたのは万年筆。この貴重なプレゼントがどんな思いを抱かせたのか、オークルはこの万年筆を肌身離さず持って、山を散策して回っていた様だ。
●キャンプファイヤと肝試し
浴衣を着て積み上げられた木組みのもとに集まったシフール達は、お喋りなどしながら夕暮れの時を待つ。空が赤色から紫色に変わる頃、美星は手始めに、空に蜃気楼を生み出した。空にかかる鮮やかな虹景色。そこに、真琴から聞いた打ち上げ花火を再現してみる。空を駆け上がる火の玉、紅蓮の火の粉を、まるで花の様に辺りに散らして。
少し離れた場所から眺めていた真琴が、ぐっと親指を立てて見せる。これから後は、美星の想像の世界。青に、緑に、赤に黄色。空をキャンバスに、鮮やかな花を咲かせては散らす。
日が暮れると、今度はキャンプファイヤーに火が付けられた。
「では、皆で踊るとしよう。このわしの踊りについて来られるかのう」
ユラヴィカが紹介するのは、誰しも踊れる簡単なものだ。彼が一通り踊り終わった時、ディアッカの演奏が始まる。ちょっともたつきながらも、踊りの輪は回り、縮み、広がって。炎に揺らめくその姿は、不思議と何処か、幻想的である。
(「ほう、いつも余り目立たないのほほん組が、皆を誘って良い空気を生み出しておるのう、結構結構」)
ユラヴィカ、新たな発見を喜びながら、次の役目の為にその場を去る。皆が思い思いに寛いでいる中、ディアッカは語り始めた。
「それでは、妖精王国ディナ・シーの物語などひとくさり」
歌う様に語るディアッカに、皆の目が釘付けになる。語りに合わせて生み出される、美しき女王の幻影。争いの渦中にある彼女の悲しげな表情に、シフール達ももらい泣き。
そして、今度は美星の語り。こちらはずっと身近な感じで。額を突き合せる様にして、囁くように語るのだ。
「‥‥ちゃんと埋葬されなかった死体には悪霊がとりつくと、硬くなった体でポヨンポヨン跳ねながら、何処までも何処までも追っかけて来るのアルよぉ」
可笑しいながらも、恐ろしい。そんな気分になったところで、肝試しは開始されるのだ。
「くじ引きで決まった5人で、この地図にある場所まで行って、勇気の証を取って来て欲しいのアル‥‥」
妙な感じの掠れ声で十分に不安を煽っておいてから、後の進行をユラヴィカに委ねてコースまでダッシュする。
「いくらなんでもちょっと忙し過ぎたアルか」
言っている間に最初の挑戦者がやって来る。すっかり『お化け変装道具一式』で準備を整えたユラヴィカは、真琴のメイクで怖さ倍増。美星もお化けに扮し、愛犬の影虎にはゴーストの扮装をさせて、準備万端。
「じゃあ、いくよ〜」
ファムの生み出した幻影が、挑戦者の前でゆらりと揺れる。朽ち果てたしふの成れの果てが啜り泣きながら歩み寄り‥‥大半は、これだけですっ飛んで逃げた。あるいは、背後でがさり、横手でがさり。そこには、白装束のしふ幽霊が。更には、地を這うゴースト、もしくは薄ぼんやりと輝きながら浮遊する炎、それらに気を取られている隙に、突然地中から生えて来て、足首を握る不気味な手‥‥これらを見事突破して勇気の証にたどり着いたのは、不良しふに名を連ねる、たったひとりだけだった。
さて、証を手にした彼、がさりと背後で鳴った音に、また出たかと振り向いた。と、そこには爛々と目を輝かせる、一頭の暴れ猪が牙を鳴らしていたのだ。
「おいおい、これは誰のペットだよ」
「それは野生だ、避けろ!」
天龍の声に弾かれる様に、転げて突進をかわした彼。何事かとやって来たシフール達に、猪はいきりたって鼻を鳴らした。青ざめ逃げ惑うシフール達。と、彼は咄嗟に石を投げつけ、猪の注意を自分に引き付けたのだ。駆けつけた冒険者達には、この一瞬の時間があれば十分だった。
どうと倒れた猪を前にして、ぐったりと座り込んだ彼に、良くやったな、と天龍が手を差し伸べる。
「無差別級の大会の優勝コメント、格好良かったっすよ」
ぼそっと言ったのは、照れ隠しだったのか。
「俺も、頑張ればあんな風になれるんすかね」
これには幾分、皮肉の臭いが混じっていた。
「それは、俺には答えられない。その答えは、お前しか知らないんだ」
そりゃそうか、と苦笑いした彼は、天龍の手を握り、立ち上がった。
こうして、少々のトラブルもありつつ、肝試しは無事終了。
「では、小さき勇者の無事の帰還を祝い、賑やかに参りましょう」
ディアッカが演奏したのは、心軽やかになる陽気なメロディ。怖さが後を引かない様にとの配慮からだ。
『きもだめしのオバケやくに、イノシシさんがとびいりさんか。はくりょくまんてんだったよ』
ファムも絵日記をつけ終えて、ふう、と一仕事終えた実感を味わった。
翌朝。皆してテントを畳み、火の跡を片付けて、下山。
「ひとつ、怖い話をするアルよ。あのね、景品としてあげた筈の動物根付が、何故か戻って来るのアルよ‥‥」
そんな話がありつつも。
●学校にて
学校に戻ったシフール達。OB達は、パン屋へ、農家へ、画家工房へと戻って行った。オークルは自分の気持ちを見詰め直して、老魔術師のもとを再び訪ねる決心をした様だ。お菓子屋シフール達は、帰って来るとすぐに焦がしたお菓子を焼いたときのままに並べ直し、その時の釜の状態を思い出しながら、どうするべきだったか研究を重ねている。小麦粉と蜂蜜とバター‥‥再び準備するには全くお金が足りないのだけれども、その時の為に、ただ放心しているくらいなら出来ることが色々あると気付いた様だ。不良くん達は相変わらず道に迷ってはいる様ではあるけれども、以前ほどには自暴自棄な言葉を吐かなくなったという。まずは、良い傾向と思って差し支えは無いだろう。
ユラヴィカは、薬しふが学校にもどるとすぐ、食べ物などを抱えてこっそり外出するのを発見。彼の追跡を試みた。
「‥‥まずいのう、スラムにまで入り込んでしまったのじゃ」
彼が足を向けたのは、中でも特に治安の悪い一帯だった。一軒の廃屋に入り込むのを見て、ユラヴィカは慎重に近付き、中の様子を覗き見た。
「むむ、あれは眼帯のバンゴ‥‥」
しかし、見れば翅はボロボロ、怪我をしているのか辛そうに足を摩っているし、すっかりやつれてしまい、以前の不敵な憎々しさを、まるで感じ取ることができなかった。
声は聞こえないものの、どうやら揉めている様子。薬しふが一生懸命説得するのを、バンゴが頑なに拒んでいる風だった。
「頑固者っ! そのうち俺が無理矢理にでも連れ出してやるからなっ!」
慌てて隠れたユラヴィカには気付くことなく、薬しふは怒りながら出て行ってしまった。ち、とバンゴの舌打ちが聞こえる。
(「どうなっておるのかのう、これは」)
腕組みをして、首を捻るばかりのユラヴィカだ。
前回の残金415G。8月19日〜23日までのお出かけ中は、基金からの出費は無かった。生徒35人、生活費1日ひとり5Cを差し引いて、8月23日の残金は340G25Cとなる。