●リプレイ本文
●挑戦開始
製紙工場の準備は村人達の協力で遅滞なく整い、後は操業の時を待つばかり。
「もちろんご領主様の意に沿う様にとは考えていたけれど、こんな風にたくさんの人を動かす事になるんだって、最初は全然想像してなかったな。なんだか不思議な気分ね」
しみじみと語るマリエに、パラ執事のトックも感慨ひとしお。うるっと来かけたのを誤魔化しながら、油断大敵ですよまりえ様、といつもの調子で。
「本当に喜んでいいのは、ちゃんと操業できた時です」
そうだね、と頷いたマリエ。あ、いたいた! と背中から聞こえてきた声に振り返った。
「まりえ、久しぶりっ! もっとしょっちゅう呼んでくれてもいいのに〜っ!」
ばびゅーっ、と飛んで来たのはケミカ・アクティオ(eb3653)。マリエが掲げた掌に、ぺちんと手を打ち合わせて再開を喜び合う。冒険者一行のご到着だ。陸奥勇人(ea3329)は工場を見渡し、ほう、と感嘆の声を上げた。
「紙作りの方もいよいよ佳境か。頑張ったな、まりえ」
男臭い笑みを浮かべた彼に、マリエも嬉しげに微笑む。
「あー、けど人に物を教えるのは苦手でな。今回はその分、蜂退治に力を入れさせて貰うぜ」
お願いします、とマリエが頭を下げる暇も無く、彼はシュタール・アイゼナッハ(ea9387)に名を呼ばれ、慌しく駆けて行く。現場を探索して戻った仲間と共に、早速作戦会議に入るらしい。
「ま、こっちは任せといてよ。ちゃちゃっと終わらせて、お土産話たくさんしてあげるねっ」
楽しみにしといてねーとケミカも彼らの後を追う。
「村の方々は、何人くらい集まるのでしょう?」
「あ、はい、20人の予定です」
「皆、一通りの作業を理解してもらった方がいいんでしょうか?」
指導を買って出た白銀麗(ea8147)と篠宮沙華恵(eb4729)は、マリエを挟んでこちらも打ち合わせ。その間に、建物の中を見て回っていたのは物輪試(eb4163)だ。
「中も外も広いし、働き易そうないい工場だ。後は、作業の手順、説明してもらっていいか?」
トックお願い! と命じたところに加藤瑠璃(eb4288)。
「私はちょっと試してみたい事があるんだけど‥‥それに専念させてもらって構わない?」
彼女の申し出に、もちろんです、とマリエが頷く。やっぱりトック、瑠璃さんをお願い! というので、とっとっと、と戻って来たトックが彼女をアトリエへと案内する。工場案内と打ち合わせはやっぱり私が‥‥と、打って変わっての何とも気忙しい雰囲気に、マリエはくすりと笑った。
「やっぱりみんなが来ると事が早いなぁ」
私も頑張らないと、と気を引き締めるマリエである。
●紙作り人作り
翌日。工場には近隣からやって来た20人の村人達が集まった。皆、そわそわと落ち着かない様子。マリエは皆の後ろに立ち、説明に立つ銀麗と沙華恵に、頑張って、と心の中で声援を送る。
人々のざわつきが幾分静まって来た頃を見計らい、銀麗がおもむろに説明を始めた。
「みなさんには今日から紙作りをして頂くのですが、さて、みなさんの中に、布作りについて知っている方はおられますか? やった事はなくても、聞いた事がある程度で結構です」
幾人かの手が上がる。機織など副業にしている者もいるのだろう。
「紙作りというのは布作りに似ています。どちらも植物繊維を薄く平らにしたものですからね」
へえ、と意外そうな声が上がった。もっと小難しい、得体の知れないものだと身を強張らせていたところ、突然身近なものに例えられて、ぐっと理解の範疇に近付いた様だ。反応の良さに、沙華恵が小さく手を叩く。順調な滑り出しに、銀麗の説明にも自ずと力が入ろうというものだ。
「布を作る場合、まず植物の茎などから糸を取り出します。紙の場合は、もっと安く仕上げるため、木の皮などから繊維を取り出します。木の繊維は硬いので、柔らかくしないと紙に使えません。ですから煮たり叩いたりして柔らかくする必要があります」
実際の素材を指し示しながら、作業の流れと、それが何をしようとしているのかを簡潔に説明する。いつしか皆、その周囲に集まって素材に触れたりしながら、彼女の話に熱心に聞き入っていた。
「布の場合は、糸に染色します。紙は白くないと字が読みにくくなるので、逆に色を抜きます。まず、不純物‥‥混じり気を取り除き、そして漂白剤と言う色を溶かす液体を使います。漂白剤は染料と同じで体に良くないので、使う際には体にかからないように気をつけてください」
注意を受けて、少々人の輪が後ろに引いた。おっかなびっくりになってしまったが、尤も、薬品をぞんざいに扱われるよりは、怖がらせておいた方がいいのかも知れない。
「最後に紙の生成です。機織ほど難しい作業ではありませんよ。今までの作業で作った繊維は、半分水に溶けた状態です。その中にこのスクリーンを浸け、ゆっくり持ち上げれば‥‥水分だけ抜けて薄い膜になります。あとは、これを乾かせば紙になるのですよ」
出来上がったのが、これです、と完成品を人々に見せる。手に取らせ、その軽さと肌触りを実感させた。紙の周りに集まって、摩ったり透かしたり、初めて見る紙に、大いに興味をそそられた様子だった。
「良い感じですね。出来るかどうかは別として、紙がどういうものなのかは、きっと分かってもらえたでしょう」
まりえの賞賛に、ここで銀麗はようやく、ほっと胸を撫で下ろした。
「引き出した興味が失われない内に、畳み掛けましょう」
沙華恵が頷き、では実際にやってみましょうか、と声をかけた。木の皮を蒸し剥いで干し、保存できる様にしておく技術、それを戻して繊維豊富な内皮だけを剥ぎ取る方法など最初から解説しながら、叩いて解す辺りからを体験させるのだ。漂白は安全の為、銀麗がやって見せるが、後は全て、何もかも今日が始めての人々がやる訳で、当然ながら上手く行かない。
「むわー! ダメだダメだ、全然薄く綺麗に広がってくれねえぞ!」
どうなってんだ! と癇癪を起こす若者を宥めながら、マリエが紙液の上手な伸ばし方を説明する。すっかり落ち込んでいる彼の目の前で、これも原因なんですよ、と沙華恵は紙液の中に手を突っ込み、ダマになった繊維を掬い上げた。
「糸を集めて布にするのと同じように、草や木を砕いた物を集めて固めた物が紙、というのは、先程説明しました。布や織物を作る時に、糸の太さや色にばらつきがあったり、配置が偏ってしまうとちゃんとした布になりませんよね? 同じように、紙を作るときも、紙の材料である草や木を砕いた繊維が均等に細かくなって、偏らないよう平らでないといけないんです。その為には良い材料を集め、しっかりと細かくしないといけません」
「‥‥あんな、ただ力任せに叩いてるだけみたいに見えたもんも、ちゃんと影響するんだなぁ。手抜きは出来ねえぞって事かな?」
「そういう事です」
微笑んだ彼女の前で、若者はバツ悪げに頬を掻いた。何せその作業、手を抜いていたのは他でもない、彼自身だったのだから。
●蜂、蜂、蜂
北の山一帯は、どちらかと言えばあまり人の手の入っていない場所が多い。木も草も茂り放題で、そういった場所は有り難く無い生き物の格好の生息地となる訳だ。門見雨霧(eb4637)やアッシュ・クライン(ea3102)の勧めで薄色の服装に務め、頭にも白い布を巻いた彼らは、コーセブや近隣の人々、仲間からの調査報告を基にして、何箇所にも点在しているらしいスズメバチの巣の駆除に着手した。
「しかし、ラージビーが何処から来るのか、判明しておらんのは辛いのぅ」
憮然とした表情のシュタール。敵が敵だけに、是非とも先手を打ちたかったのだが。
「この辺りにスズメバチが出るって話だったわね」
ひらりと舞い上がり、辺りを見回すケミカ。
「巣は木の上だけじゃない、土の中にある事も珍しくはないから、足下にも気をつけておいた方がいい」
勇ましく踏み出した賽九龍(eb4639)、アッシュの忠告に、そっとその足を引っ込めた。慎重に、慎重に。
「あ、スズメバチ!」
ケミカが声を上げて報告。暢気に飛ぶスズメバチを、皆して見失わぬ様に追いかけて行く。ふと、九龍が耳を欹てた。
「ん? 妙に近くから羽音がするぞ?」
「あ、巣、発見〜。うわー、薮の中に隠れてる! 知らずに踏み込んだら大変だわ」
刺激しない様にそっと下がり、ケミカは魔法の準備、勇人が『まるごとばがんくん』、九龍は『まるごとな〜がくん』を着込んでいる。ほあちゃ、ほあちゃ! と構えを取って、ばっちりキメ。
「これが本当のドラゴンだ!」
これ、ナーガ(ドラゴン)とブルース・リー(ドラゴン)を掛けた洒落なのだが、勇人は当然キョトン顔。残念ながら誰も気付いてくれなかった。
「‥‥いや、何でもない。やろうか」
「おう」
勇人は用意の仕掛けを取り出す。長い棒の先に黒い布を巻きつけ、強烈な匂いの保存食を貼り付けたものだ。これを、その場で炙り始める。辺りには何とも形容し難い脳髄に沁みる臭いが。雨霧が巣を燻しにかかるのと同時、それを勇人、九龍が巣の前に突き出すと、スズメバチ達は一斉に纏わり付くや、猛烈な攻撃を仕掛け始めた。ぞっとしない蜂団子が出来上がったところで、
「それっ、氷結!」
ケミカのアイスコフィンで、一瞬にして氷の中に閉じ込められてしまった。まだ多少飛んでいる蜂がいるのはもう気にせず、ばがんとなーがが巣を掘り返した。
「サナギや幼虫は食用にもなるそうだが‥‥持ち帰る者はいるか?」
問うたアッシュに、皆が一斉に首を振った。そうか、と彼、巣に火を放って処分した。どうやらこの方法でやれそうだ、と次々に巣を見つけては処分して回っていた、その幾つ目か。その太い羽音は聞こえて来た。
「‥‥ラージビー!? 伏せろ!」
オルステッド・ブライオン(ea2449)の声に、皆が一斉に反応した。頭上を掠めて飛んでいったラージビーに、雨霧が首を振る。
「信じられない、体長30cmの蜂‥‥本当にいるんだな」
雨霧は身を潜めながら、まじまじとその姿を見た。自分が異世界にいる事を、改めて認識する。
「な、何で俺ばっかり追って来るんだーっ!!」
なーが九龍に凄まじい勢いで突進して来るラージビー。どうやら敵は中途半端に煙で煽られ、興奮状態にあるらしい。そして、その飛行速度はとんでもなく速い。結論。逃げるの無理。
「ええいままよ! さあ、『ムラサメ』お前の出番だ!」
彼が戦い始めるのを見て、オルステッドはたいまつを掲げ、燻し様に積み上げてあった草に油をかけ、次々に火を放った。駆除途中だったスズメバチが辺りを飛び回り、その上ラージビーまで。敵の目を晦まし、態勢を整えなければどうにもならない。
あちゃ! あちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃ! ほわちゃ! 気合いで繰り出す九龍渾身の連続攻撃。しかし、その刃はことごとく空を斬った。勝ち誇った様に滞空するラージビー。
「見るんじゃない、感じるんだ‥‥」
ほあちゃ! 巨大な蜂の足が2本、宙を舞った。そして、ぶっつりと刺し込まれた針が、どくどくと毒を流し込んでいる。みるみる九龍の顔が青ざめた。まるごとな〜がくんはあくまで防寒着。過信は禁物。
(「あー、解毒剤飲まないと、死ぬなこれ‥‥」)
何とか自力で解毒剤を呷ったところで力尽きた彼。川の向こうで心の師匠が呼んでいるのが見えたというが、定かではない。
暫くして、草むらからひょいと顔を出したのは、忍犬シヴァっち。その下から、ケミカが這いずり出て来た。
「シヴァっち、追うわよ!」
太い羽音を響かせながら飛んで行く手負いのラージビー。
「面目ない」
まだ朦朧としている様子の九龍に、オルステッドがポーションを差し出した。
「いや、助かった。だが‥‥程々に頼む。心臓に悪い‥‥」
サングラスを少しだけ下ろし、九龍はにっと笑った。
敵は、まんまと冒険者達を己が巣へと導いてくれた。
「大きいのう‥‥どうやらあの朽ちた巨木のウロが丸ごと、巣になっておると見た」
シュタールは微細な振動から、蠢く大蜂達の様子をありありと感じ取っていた。成虫の羽音は意外と少ないが、無数の幼虫が身を捩る様を感じ取ってしまい、些か気分が悪くなる。
「丸ごと固めるのは無理か。なら、入り口を封じてしまうのは?」
バガンを脱ぎ、汗を拭いながら勇人が提案。やってみようかのぅ、とシュタールは頷いた。雨霧とオルステッドが、外にいるラージビーに矢を射かけ、その注意を自分達に向ける。と、中にもそれが伝わったか、巣の入り口に何匹ものラージビーが顔を見せた。瞬間、彼らは入り口ごと固まり始めた。暫くは翅を震わせ抵抗していたが、やがて、巣の生命線を塞ぐ石の彫像になり果てた。巣の奥で、出るに出られず右往左往するラージビー達の姿が見える。巣の外にあった数匹は、猛然と冒険者に襲い掛かって来たが、
「そら、これでも食らえ!」
勇人と雨霧が投げつけた香水の強い芳香に、一瞬、敵も気を取られた。触覚で必死に突きそれが何であるのか探ろうとする彼らに、幾本もの矢が射込まれた。
「ソウルバイス! シュバイン! 戻れ!」
狩猟犬のソウルバイスと鷲のシュバインを操りながら、アッシュは混乱するラージビーに手傷を負うのを恐れる事無く盾を掲げて突進し、1匹づつ確実に仕留めて行った。
「身軽で力もあり、しかも毒まで。嫌な敵だな」
主の気持ちが通じたか、ソウルバイスはフ、と鼻を鳴らして余裕の表情。足踏みをして、もっとやろうとおねだりをする。こちらも負けじと、ケミカに襲い掛かろうとした敵にはシヴァっちが躍りかかって見事に牽制。
「ありがとシヴァっち! さあ、虫は冬眠の季節よ!」
ケミカが放った氷の吹雪に晒されて、ラージビー達が吹き飛ばされる。心なしか、動きが鈍くなった気も。凍え、矢衾になり、サンソードの露と消え、遂にラージビー達は制圧された。怒りに朽木全体が震えているよう。冒険者達は手際良く準備を整え、朽木に火を放った。蒸し焼きになったラージビーは、朽木が崩れても、1匹たりと飛び出しては来なかった。
「‥‥悪いな。人死を出す訳にゃいかねぇんだ」
勇人が呟く。巣が燃え尽き、辺りに火種が残っていないか丹念に調べ尽くした後も、彼らは暫し、何をするでもなくその場にいた。
「ねえみんな、もう一仕事終えた気分になってない? まだまだスズメバチの巣は残ってるんだからね!」
ケミカの喝が入って、そうだった! と皆大慌て。夕暮れ時まで、辺り一帯を駆けずり回る事になった。良い風の吹く暖かい場所で消耗した体力を養っていた九龍。彼にとってだけは、のんびりとした休息の一日となった。
●そろそろ冬支度
駆除完了の知らせを受けて、翌日早速、巣箱が北の山に移された。
「おうおう、蜂どもシャカリキになって蜜を集めとるわ」
飛び回る蜜蜂達を眺め、コーセブは満足げ。しかし、シュタールはというと、少々懸念がある様子。
「今回の採蜜は、蜂達の越冬用に取っておかなくて良いのかのう?」
彼の問いに、そこなんだわ、とコーセブは頭を掻いた。
「もう少し早くこっちに移っとけば良かったんだが、あの様子だったで尻込みしてしもうてな。ここはなかなか蜜の集まりもいいみたいだが、寒くなり始めりゃ蜂の動きは鈍るしなぁ。さてどうしたもんかと思案に暮れとるんよ」
ふーむ、と一緒になって考え込む彼らのもとに、蜂の世話に携わる村人達も集まって、皆での相談が始まった。彼らが言うには、前の場所での備蓄が思いのほか伸びず、収穫してしまうには不十分で、後の不安もあるとの事。コーセブは、暖かい日が続くならまだ当面この場所で蜜を集められるだろうと語る。ただし、それは天候次第の博打である、とも。
「ここでの集まりを見越して何割かだけでも収穫しておくという手も無いでは無いが、さてどう思う?」
コーセブに振られたシュタールは、
「越冬を経験する初めての年でもある。ここは万全を期して、収穫は見送る方が良いのではないかのう」
と、そう答えた。これは、他の皆とも同じ意見だ。シュタールの提案で話はまとまり、現在の蓄えに手をつけず、蜂達を越冬に備えさせる事にした。
(「それにしても、村人達の養蜂家ぶりも随分と板についたものだのう」)
彼らの働きぶりを見守りながら、嬉しげに頷くシュタールだ。彼らは自分達から願い出て、効率の良いスズメバチの駆除法を冒険者達から習ったりしている。知識と工夫が収穫に影響するのは農業と同じ。一見まるで違う仕事の中に似通った部分を見出して、面白くなって来たのだろう。
「こりゃぁ、うかうかしとられんなぁ」
コーセブのボヤキに、シュタールが笑った。
「‥‥そうですか、残念だけど仕方がありませんね。養蜂の結果を纏めて、移動の時期とか、収穫のタイミングとか、もっと考えてみなくちゃ」
アトリエで報告を受けたマリエは落胆しながらも、事を前向きに受け取った。初めてで何もかも上手く行く訳が無いのは当然。とにかく今は、来年に繋げる事だ。今、外から聞こえて来る声と音は、まさにその為のもの。蜂達に無事冬を越させる為、蜂小屋造りが進められているのだ。アッシュが以前より仲間の手を借りながら地道に作業を進めて来た甲斐があって、完成はもう目前。どうやら蜂達を凍えさせずに済みそうだ。
「思ったよりも狭いんですね」
ひょいと覗き込んだのはトック。子犬の氷雨を腕に抱え、頭の上にフェアリーの紅を乗っけた姿はなんとも滑稽。氷雨は先ほどから彼の指を甘噛みし続けているが、まるで動じず。もう慣れたらしい。窓板の具合を確かめていたアッシュが、彼の言葉に手を止める。
「空気が淀まない程度に間隔を置いて、丁度今の巣箱が納まる程度の広さにしてあるんだ。冷気を避け温度を調節するには、その方が都合がいいか筈だからな」
なるほど、と感心するトック。そうこうする内にコーセブもやって来て、なかなかしっかりした造りじゃな、などと言いながら柱を摩ったり床をまじまじと眺めたり。落ち着かないことこの上無い。
「ところで、中を暖める様な仕組みは必要無いのか? この辺りの冬がどのくらい寒いのかは知らないんだが」
声はすれども姿は見えず。声の主、試は今、屋根の上だ。
「暖か過ぎると蜂が活動を始めてしまうで。そうなると却って消耗する事になり兼ねん。蜜さえありゃあ、蜂は自分で熱を発して暖を取るだで、それ以上に熱を奪われん様、雨風に曝されん様にしてやっとけばええんよ」
なるほどな、と試。納得して再び木槌を振るい始めた。カッカカ、カッカカ、と頭の上から聞こえて来る調子の良いリズム。
「中の適温、換気の頻度なんかはどうだ?」
アッシュの問いに、コーセブはさてなあ、と頬を掻いた。
「その辺の知識はわしにも無いでよ。なんたって、蜂をこんな風に箱の中で飼おうなんてのは、あんたらが初めてだでなぁ」
自分で開拓して行くしか無いという事か、とアッシュ。腕をすり抜けた氷雨が、庭に飛び出して走り回るのを慌てて追いかけ回すトック。その真似をして笑う紅。心地よい陽気の中、村からの手伝いもやって来て、この日の内に蜂小屋は完成に漕ぎ着けたのである。
●人作り基礎作り
工場に集まった人々が慣れない作業に試行錯誤している中、マニュアル作りに着手した沙華恵とケミカも、大いに悪戦苦闘していた。作業手順や注意事項を、文字の読めない人々の為に絵に描いて説明しようというこの試み。
「ふふ、これは私の表現力に対する挑戦なのね? そうなのね?」
めらめらと美術家魂に火をつけられた彼女、蜂退治から戻ったばかりというのに休息もそこそこに、ああでもないこうでもないとアイデアを捻り出す。
「紙すき場では均一に繊維が乗るようにすき機をゆすります、か。こういう動きのある図案は難しいね」
頑張っているケミカに、沙華恵が一杯のハーブティを淹れてくれた。彼女の腕前もどうしてなかなか。暫しケミカは、幸せな気分に浸る。
「銀麗さんも指導と監督で大変そうだけれど、試さんが朝のミーティングをしてくれる様になってから幾らかトラブルが減ってるって、喜んでました。何でも、危険予知って言うものなんだそうです」
「予知? 凄いわ、天界の魔法なの?」
「いえ、そういうのではなくて、気付いてる危険や失敗の種を見逃さない様にする方法‥‥なのかな? 私にもよく分からないですけど」
「やっぱり魔法だ。凄いね〜」
そんなとりとめの無い話をしながら。ケミカは、マニュアルに加える為に引っ張り出して来た、以前まとめた植物スケッチを眺めて言った。
「この時は私達、分からない事だらけのなかで、失敗しながら一生懸命挑戦したんだもんね。みんなにだって、根気よく教えてあげなくちゃ」
「そうですね、そうですよね」
私も頑張ります、と沙華恵さん。この日も、作業は深夜まで続いた。
それから間もなく、工場には、ケミカの絵と沙華恵が考え抜いて選んだ簡潔な語句だけで説明された、新たな製紙マニュアルが置かれる事となった。作業場にも、そこで行われる作業を表す大きな絵が掛けられている。これもケミカの作だ。工員達が喜んだのは言うまでもない。
ただし、と沙華恵、少し怖い顔。
「このマニュアルは、工場から出してはいけません。もちろん、書き写すのもダメです。製紙の秘密が詰まっているんですから、つまりはご領主様の大事な財産ですよね。そんなものをもし持ち出してしまったら‥‥」
皆、首の辺りが薄ら寒くなる。
「では、皆さん一緒に。正しく使ってスキル向上、はい」
「正しく使ってスキル向上!」
工員達の腕前は、日々目に見えて向上している。
先に完成を見た水車塔は、既に稼動し、山の中腹に水を送り込む役目を果たしている。現代の感覚からすればさしたる規模のものではないが、しかし、周囲に比較する物の無い長閑な風景の中では一際目立ち、誇らしげに胸を張っているかの様に見える。
「しっかりした造りではあるが、やはり稼動部が多いな。これは損耗が早そうだ」
雨霧は薄暗い木造塔の中を借り物のランタンで照らしながら観察する。大半木製、一部に鉄といった代物で、水に浸かる部分は当然傷んで行くし、擦り合わさる部分は日々磨り減って行く。さすがに出来て間もない今は、これといった損耗は見て取れないが。
「破損してからでは、修理も費用も大変だろうな」
「月に一度、技術者の方が来て直してくださるという事でした」
彼を案内した水車守は、そうフォローする。
「こういったものは、日々の細やかな補修が物を言う。今日のところは俺が見ておいたが、多少の事なら水車守さん、あんたがどうにかできるようにしておいた方がいいんじゃないか?」
私は普通の水車がせいぜいで、としどろもどろになる水車守の肩をぽんと叩いて、雨霧は水車塔を後にした。
●新たなる試み
豚の毛以外の毛を試す。馬の毛は意外と硬い。ウサギの毛は柔らかすぎ。
「加工方法も有るんだろうなぁ」
試は額に汗を滲ませて試作品作りに余念がない。硬い毛と柔らかい毛をどう配置するか? 柄の角度はどうあるべきか。記憶を辿り試してみる。
「弾力性のある柄を作る素材として鯨のヒゲが有望だけど、高価な物になる‥‥」
王侯貴族や金持ちだけにしか売れない物では発展性がない。気分転換も兼ねて、合わせて開発中の歯磨き粉の具合を見る。
「岩塩は良好。草炭の粉末は悪くない。砂は研磨力が強すぎて、歯にヤスリを掛けるようなものか‥‥」
研磨剤は岩塩と草炭粉にほぼ決まり。ミントは爽快感には欠かせない。粘結剤として安価で適当な物は見つからなかったが、試行錯誤の結果、歯を磨く直前に水の代わりにワインを使って磨くと汚れが落ちやすかった。
「この殺菌作用は馬鹿に出来ないな。強い研磨剤を使わなくても良く落ちる」
歯垢は細菌の巣である。ワインの殺菌作用が良い効果をもたらしている様に思えた。
一方、磁石作りに奔走していた瑠璃だが‥‥。
樹脂を塗りつけた銅線で作ったコイルに電気を流し、電磁石を作ることには成功していた。
「あとは、鉄を磁化するだけよね」
しかしここに来て、磁石にしやすい鉄の材質に恵まれないことが判った。ウィルで手に入る鉄は、結構質にばらつきがあるのだ。何度かの試行錯誤の後、やっと一つだけ棒磁石の作成に成功。但し、磁力はかなり弱め。小さな釘の二、三本をくっつけるのがやっとと言う物だった。実は、地球でも性能の格段に優れた磁石が工業的に製造されるようになったのは20世紀に入ってから、そしてそれは普通の鉄を磁化した物では無い。酸化鉄に希土類を加え焼結する物。酸化バリウムあるいは酸化ストロンチウムを加え焼結する物。若しくは鉄とアルミニウム・ニッケル・コバルトの合金。
およそウィルでは入手不可能に近い材質を使わねば、地球で作られるような磁石には為らないのだ。瑠璃はまりえの教科書の記述を見て、ため息を吐いた。
●更に挑戦?
工場から戻って来た銀麗、沙華恵、ケミカ、試は、マリエにこう報告をした。
「まだ覚束ない様子ではありますが、一通りの事は教え、自ら学べる様にマニュアルも用意しました。後は経験を積んで行けば時と共に熟練し、生産力も上がって行くでしょう」
ご苦労様でした、ありがとう、と、マリエもほっと一安心の様子だ。
「これで、紙作りの方もマリエさんの手を離れる訳か。大きな改良でも加わるなら、また話は別なんだろうけど」
そうですね、と答えるマリエは、やはり何処か寂しそうだ。
「ところで、手を離れたといえばガリ版印刷なんだが、あれの使用権、器材の購入には、いったい幾らかかる事になったんだ?」
そこは、トックが説明を。
「今のところ、印刷機が売りに出されてはいない様です。ご領主様は、冒険者の助言に従って、王に献上する事も考えているみたいなんです。でも、これが価値あるものだという評判を広めてからでないと、せっかくの貢物も理解されない恐れがありますよね。そこで、50G程度の使用許可料を徴収の上で貸与、内容を検閲の上で発行させる注意を払いつつ、実績を作らせようと、そんな事を考えていらっしゃるみたいなんです」
「あんなに約束したのに、結局こんな風になってしまって‥‥」
地味にヘコんでいる様子のマリエに、ケミカが発破をかけた。
「落ち込んでてもなんにも始まらないよまりえ! 私はね、あちこち行って、色々取材して来たんだから。見る? 見るよね?」
ふふ〜ん、と鼻歌など歌いながら荷物を解きに。すぐに、羊皮紙の束を抱えて戻って来た。
「じゃーん♪」
どちゃっとマリエの前に積まれたのが、他でもないケミカの取材成果だ。
「色んなところに行ったのよ〜。大食い大会でしょ、W杯も観戦したし、小さなお祭りも楽しかったな」
「でね、この時は××な事があってねぇ‥‥」
「××‥‥」
「ウィンターフォルセって街は字が読める人が多くて学問の町を目指してるんだって。シンブンの売込みしてみたけど断られちゃった」
「えー、残念」
「W杯ってチキュウのサッカーっていう競技なのね。懐かしい?」
「でも私、ワールドカップ日本戦しか見たこと無いし、ロボット同士のサッカーって、ちょっと想像できないね」
土産話に目を輝かせるマリエに、ケミカが言った。
「ねぇ、W杯見たり観光したり、ウィンターフォルセ訪問したり。一度首都に来てみない? 男爵のお許しが出ればだけど」
うーん、そうだね、楽しそうだけどね、と煮え切らない。小首を捻ったケミカに、トックが耳打ちをした。
「まりえ様は今、手元不如意なのです」
「‥‥お金が無いっていうこと? マリエ、研究費用とは別に、ご領主様からお金貰ってるわよね?」
「実は‥‥シンブンの発行権買ちゃったから‥‥だって、そんな事よりも、もっと役に立つ研究を進めてくれって、そんな風に言うものだから‥‥わからずやのご領主様でも楽しくてみんなに見せずにはいられない様なシンブンを作って見せますって、啖呵切っちゃった」
はは、と笑いながら頬を掻く。まりえ、ほのかに大ピンチだ。