とちのき通りのしふ学校〜拳は空に掲げて

■ショートシナリオ


担当:マレーア3

対応レベル:8〜14lv

難易度:普通

成功報酬:4 G 15 C

参加人数:8人

サポート参加人数:5人

冒険期間:10月03日〜10月08日

リプレイ公開日:2006年10月12日

●オープニング

 とちのきの老木に殻をかぶった実が実り、ぽろぽろと落ち始める頃。
「やった、拾い〜」
「げー、こっち虫ついてるよー」
 子供達は集めた実を、パン屋のおかみさんに献上する。実を届けた子だけが後日、焼き上がった『とちパン』にありつけるのだ。通りに暮らす人々にとって、この『とちパン』は秋の味。通りを行き交うだけの人々にとっても、とちの実を天日干しする様は季節の風物詩というやつで。
 そんな長閑な風景の中を強張った表情で飛んで行くのは、今はしふ学校に転がり込んでいる元わるしふ幹部のオークルだ。

 オークルは意を決して老魔術師のもとを訪ねた。貴重な古書を盗もうとしたオークルだから、当然、向けられる視線は厳しい。
「申し訳ありませんでした」
 頭を下げたオークル。老魔術師の手には、オークルが描いたという十数枚のスケッチがあった。様々な鳥や昆虫、植物をスケッチしたそれは、シフールの視点だからこそ可能な精巧緻密な代物で、さしもの老魔術師も唸る出来栄えだ。
「‥‥もっともっと本が読みたいです。それを仲間に話して聞かせて、びっくりしたり笑ったり、感心したりするのを見るのが大好きです。いつか、字が読めなくても楽しめる本、字が読めるようになりたいと思わずにはいられないような、そんな本を作りたいって思うようになりました。それから、それから‥‥」
 滲む涙を拭いながら、素直な気持ちを吐露するオークル。
「泣くな馬鹿者めが」
 身体を背もたれに預け、大きな溜息をついた老魔術師。共に無言のまま、長い時間が流れ。
「本が増えすぎて書庫が大変なことになっておる。整理をするというなら、置いてやってもよい。仕事さえきちんとするなら、本を読む事も許そう。ただし、使えぬとなったらすぐに叩き出すからそのつもりでな」
 老魔術師の言葉に、オークルの表情が輝いた。ありがとうございます! と床に打ち付けんばかりの勢いで頭を下げる彼。暫し家を空けるので10日後から来る様にと言い渡され、オークルは天にも昇る気持ちで帰路についた。
 夕暮れの大通りをとちのき通りへと向かっていたオークルは、自分の名を呼ぶ声に、きょろきょろと辺りを見回した。
「こっちだよ、相変わらず鈍いなオークル」
 物陰から声をかけた人物は。
「ば、バンゴさんだ‥‥」
 わるしふ幹部、眼帯のバンゴと共にオークルが裏通りに消えるのを偶然目撃したしふ学校の生徒。彼は慌てて後を追ったのだが、すぐに見失ってしまったという。

 オークルは、夜になっても戻らなかった。バンゴと共に行くのを見た生徒がそのことを話すと、真っ青になって立ち上がる者が。
「‥‥バンゴさんは、ずっとひとりで『わるしふ団』のアジトを守ってたんだ。『余所者が気まぐれで始めた学校なんて当てに出来ない。散り散りになった仲間が帰って来る場所はここしか無いだろ』とか言って。でもあそこ結構いい場所だから、スラムのタチの悪いのが度々奪いに来てて。昨日見に行ったらワルダーさんはもういなくて、中で浮浪者が場所の取り合いしてて‥‥」
「ここと目をつけたら連中執拗だからなぁ。冬も間近だし、棲家の良し悪しは命に関わるんだから当然なんだけど」
「てことは、ワルダーはオークルと一緒にアジトを取り戻すつもりか」
「2人でどうにかなるの? 浮浪者の5人や10人に遅れを取るとは思わないけど、今いるのを追い出したところで、すぐに次のがやって来るんじゃないかな」
「放っておけないよ、ワルダーとオークルを助けに行こう!」
「そうだ、助けに行こう!」
「待ちなっ!!」
 わっと盛り上がったシフール達を一喝したのは、イーダ先生。
「皆で押しかけて行けば大騒動になるよ。スラムの連中向こうに回して、本気で一戦構える気かい? 通りの人達や、新しい道を見つけた仲間にも迷惑をかけることになるだろうけど、それでも?」
 厳しい言葉と視線に射抜かれて、うぐぐ、と言葉を失う彼ら。
「でも、それじゃあバンゴとオークルを見捨てるっていうのか?!」
 食い下がったのは、普段これといって目的も持てずクダを巻いていた不良しふ達。彼らとて、仲間の一大事となれば懸命になる。
「そうは言って無いよ。でも、あいつらが何か始めてしまったら難しくなるだろうね。その前になんとか止めなくちゃ‥‥」
 通りの人々には事を伏せ、2人の行方を探るシフール達。しかし何処に身を潜めているのか、その行方は杳として知れない。

●今回の参加者

 ea1704 ユラヴィカ・クドゥス(35歳・♂・ジプシー・シフール・エジプト)
 ea3501 燕 桂花(28歳・♀・武道家・シフール・華仙教大国)
 ea5597 ディアッカ・ディアボロス(29歳・♂・バード・シフール・ビザンチン帝国)
 ea5684 ファム・イーリー(15歳・♀・バード・シフール・イギリス王国)
 ea6917 モニカ・ベイリー(45歳・♀・クレリック・シフール・イギリス王国)
 eb0010 飛 天龍(26歳・♂・武道家・シフール・華仙教大国)
 eb3771 孫 美星(24歳・♀・僧侶・シフール・華仙教大国)
 eb4375 エデン・アフナ・ワルヤ(34歳・♂・鎧騎士・人間・アトランティス)

●サポート参加者

陸奥 勇人(ea3329)/ ソウガ・ザナックス(ea3585)/ 麻津名 ゆかり(eb3770)/ 山下 博士(eb4096)/ シャリーア・フォルテライズ(eb4248

●リプレイ本文

●相談
 大通りから辻を曲がり、とちのき通りに踏み込んだエデン・アフナ・ワルヤ(eb4375)は、息をついて足を止めた。背中にはまだ大通りの喧騒が残っているというのに、そこにあるのは、何とものんびりとした全く別の時間の流れだ。皮を打つ木槌の音。主人と話し込んでいるのは、張り込んだ革靴の完成を待ちかねる依頼主だろうか? 道端に腰掛けて何やら売り物を並べる辻売りの老人が、ぼんやりと空を眺めている。遠くから聞こえて来る声は、素朴な焼き菓子を売り歩く少年のものだ。
「旦那〜、ペローさんから急ぎの注文だよ。夕方までに白パン3斤届けてくれって!」
 御用聞きに回っていたらしいシフールの少年が伝えると、パン屋の旦那は腕まくり。
「なんだ祝い事か? よっしゃ任せとけ!」
「あんた、こないだみたいに張り切りすぎて生焼けにするんじゃないよ! トート、こっち来て手伝っておくれ!」
 賑やかな遣り取りが丸聞こえだ。穏やかな街角の風景を噛み締めていると、背中をとんとんとつつかれた。
「お兄さん何やってんの、困りごと? んなところで突っ立ってるとイタズラされるわよ? なんてったって、この通りはシフールだらけなんだから」
 気の強そうな少女の手には指貫が填まっているから、針子か何かだろう。そのシフール達の学校を探しています、と答えると、ああ、あの学校の関係者なのね、と彼女は肩を竦めた。
「まあ素性の怪しい無礼千万な連中なんだけどさー、なんだかんだで結構頑張ってるみたいだから、力になってあげてよね。ほら、あそこの、妙ちくりんな看板がぶらさがってるとこ‥‥そうそう、ガラクタ屋の隣ね、あそこがそうだから」
 ありがとうと彼が微笑むと、お嬢さん、ちょっと赤くなって駆けて行った。鮮やかな色彩の不思議な看板を見上げ、いざ学校に入ろうとしたエデンは、こっそりとにじり出て来るシフール達と鉢合わせになった。
「こんにちわ可愛らしい皆様」
 はっと見上げた不良しふ達。
「可愛いとは何事だ! 舐めてると齧るぞコラ!」
「おっとこれは失礼しました。微力を尽くしますのでどうぞ宜しくお願い致します。さ、中に入りましょう」
 丁寧に頭を下げ促す彼に、不良しふ達の怒りも不発で終了。どうみても脱走の途中だった彼らだが、ぶつぶつ言いながらエデンに従った。

 普段はうるさい程に賑やかなしふ学校が、今は沈んでいる。
「あーくそやっぱ我慢できねえ! いつまで待ってりゃいいんだよ!?」
 不良しふ達の爆発は、皆の気持ちの代弁でもある。
「まずは、話を聞かせてくれないか」
 飛天龍(eb0010)に促され、バンゴとオークルを最後に目撃したというシフールが話を始めた。
「オークルさん、無理矢理連れて行かれるって感じじゃなかったよ。勇んで行くって感じでも無かったけど‥‥。暫く話をしてて、すっと一緒に消えちゃったんだ」
 モニカ・ベイリー(ea6917)は、最近までバンゴと接触があった薬しふに話を聞く。
「話した通りだよ。アジトを見に行ったらバンゴさんはもういなくて、中で浮浪者が場所の取り合いしてて‥‥」
 嘘偽りは無さそうだ。落胆激しい様子の彼を落ち着かせながら、モニカは噛んで含むように言い聞かせた。
「彼が潜伏しそうな場所に心当たりがあるなら、教えてくれないかしら? どんなに可能性が低くてもいい。手分けして虱潰しに探すから。よく思い出してみて」
 彼が頭を捻っている間に、何やら巻いた羊皮紙を持ち出した孫美星(eb3771)。
「じゃーん。画家工房のしふ達に作ってもらったアルよ」
 おー、とシフール一同から感嘆の声が上がる。裏通りマップには、わるしふ団が利用していた秘密の通路も、かなりの部分再現されている。薬しふは暫しそれを眺め、何箇所かを指差した。
「ここに、バンゴ組だけが使ってた抜け道がある。でも、一通り回ってみたけど、誰もいなかったんだ」
 その情報を、美星がマップに書き込んだ。一度洗い直してみるしかないか、と天龍。
「バンゴさんを止めるのも大事だけど、バンゴさんとスラムの人達の間に穏やかな空気を作ってあげなきゃね〜」
 と、これは燕桂花(ea3501)。
「どうやって? 言っちゃ悪いけど、穏やかとか和やかとか、そういうのの嵐の壁を越えた向こうっかわにいるのがあの連中なんだよ?」
 あたいら、奴らと混ぜこぜになって暮らしてたから良く知ってるんだよ、と首を振りながら語るイーダ先生。
「そうだね、お腹が減ると誰しもイライラしたりするしね〜。そうなると、争いごとも増えるだろうし〜、取り敢えず、大きな鍋でスープでも作ってみんなに配ったりしてみようかな〜」
 うん、そうしよう、と手を打つ桂花に、イーダは呆れるやら感心するやら。
「あの連中にもタダメシ食わせようっての? はー、あたいらの事もそうだけど、ほんと、大者というかおめでたいというか‥‥」
 気にしない気にしない、と桂花は笑う。
「じゃあじゃあ、しふ学校のみんなでとちの実を集めて、とちパン作ろう!」
 ファム・イーリー(ea5684)の掛け声に、桂花の弟子達とお菓子屋しふ達が立ち上がった。やる事がはっきりすれば根が楽天家なしふ達のこと、ああしようこうしようと賑やかしい話し合いが始まった。
「とちパンを作るなら、小麦粉を調達しなければなりませんね」
 ゴドフリーさんに相談してみましょう、とディアッカ・ディアボロス(ea5597)も早速動く。
「皆それぞれやる事は違うアルけど目的はひとつ、バンゴさんたちを助ける為に頑張ろうアル!」
 美星が拳を突き上げ檄を飛ばすと、しふ達もおお! と大きな声で拳を掲げた。

「ああそうじゃイーダ殿。これをあげるのじゃ」
 ユラヴィカ・クドゥス(ea1704)が差し出したのは、貴重な天界アイテムのひとつ、スプレー塗料。
「ここのところを押すと塗料が出るのじゃ」
 へえ、と感心するイーダ。天界人様は妙なものを持ってるんだねぇ、などと言いながらボタンを押し込んでみる。
 ぶしゅー。
 噴出した塗料が、壁に鮮やかな円を描く。イーダの瞳が、きらきらと光る。もう一度、ぶしゅー。
「ああダメだダメだ、今はバンゴとオークルの事に専念しなきゃ! で、でももう1回だけ‥‥」
 ぶしゅー。
「ああくそ、とんでもない呪いのアイテムだよ!」
 ぶしゅー。
 どうやら、気に入ってもらえたようだ。

「うー、もったいなけど仕方無いアル、思い切ってやっちゃってアルよ!」
 美星に促され、調査の結果が細かに書き込まれたマップとスクロールを用いて仲間が術を執り行う。ちりちりと燃えたマップが残した灰は、裏通りの一郭を指し示していた。
「どう思うアルか?」
 オークルの弟子達と元バンゴ組の者達が、鼻息で灰を飛ばさないように口元を押さえながら、燃え尽きたマップを穴が開く程に凝視する。
「ここら辺は‥‥やっぱりバンゴ組の抜け道に篭ってるのかな」
「オークルさんが一緒にいるから、どんなところに潜り込んでるか分からないよ」
 考え込む彼らに、一先ずこの辺りに行ってみるか、と天龍が腰を上げた。

 ディアッカが小麦粉のことをゴドフリーに相談すると、彼は驚きながらも、すぐにパン屋の旦那に話を通してくれた。
「金出して買ってくれるぶんには文句を言う筋合いじゃ無いが、本当にこれ、スラムの連中に食わせる気か? 奇特というか何と言うか」
 粉を持って来た旦那が開口一番、イーダと同じ事を言うので、ディアッカも思わず吹き出してしまう。くすくす笑うシフール達に、な、なんだよ? と困惑する旦那の肩を、桂花がポンと叩いて慰めた。
「とちの実はエグみが強くてそのままじゃとても食べられない。手間をかけてやらなくちゃ駄目なんだよ」
 おかみさんのとちパン講座も開設されて、さっそく皆でとちの実拾い。保存を考えなくとも、ふやかしたり煮込んだり、1日単位での作業が必要なとちの実の処理には、5日あってもぎりぎりといったところ。シフール達が持って来た実を、虫食いが無いか確かめながら、桂花は次々に水の中に放り込んで行く。
「師匠、スープの方はどうしよう?」
「んー、そうだね〜、朝市でお野菜買って、お肉か魚も入れたいよね。量もあるし、お肉屋さんが村を回る前に頼んでおかないと‥‥」
 桂花の前髪が、ぴん、と跳ねた。
「そうだ、いい機会だから、みんながどれだけ腕を上げたか見せてもらおうかな。今までちゃんとあたいのすること見てたか、しっかり確かめさせてもらうからね」
 ぐ、と固まる者、ガッツポーズで意気を上げる者。それぞれにあれこれと頭を悩ませる弟子達を、桂花はにこにこしながら見守っている。
「私は、私なりにスラム住民の様子を探っておこうと思います」
 エデンは単独でスラムに向かう。
「よろしくなのじゃ、気をつけるのじゃぞ」
 ユラヴィカに声をかけられ、エデンは恭しく頭を下げた。大丈夫かのう、と心配になるユラヴィカである。

●浮浪者修行
 とちのき通りでスラムと言えば、裏通りの事を指す。昔は寂れながらも風情のある良い通りだったと言うが、王都東門から入る商隊を相手に荷物運びの職を得ようとする流れ者達が入り込むようになって雰囲気が一変。古くからの住人は姿を消し、やがては素性定かならぬ者達が徘徊するスラムと化した。
(「なるほど、酷いところですね‥‥」)
 エデンが嘆息するのも当然。荒みきった狭い通りをほんの数分歩いただけで、物乞いにしつこく絡まれること8回、懐に手を突っ込まれそうになること5回、金を置いていけと凄まれること3回。彼らには丁重にお帰り願ったが‥‥こちらも同じ宿無しの文無しなのに、と苦笑するばかりだ。
 干からびた老人が椀を前に置いて座り込んでいるのを見つけたエデンは、その隣に腰を下ろしてみる。
「‥‥わたくし、今日よりここでの生活を始めようかと思います。是非とも先達のご助言など頂きたく」
 恭しく教えを請う彼に、老人は線の様な目を更に細くし、顔中の皺を揺らしながら笑い始めた。
「ひゃっひゃっひゃ、お前さん冗談を言ってはいかんぞ。ここはお前さんのようなお上品な人間の住むところではないわえ。道楽もほどほどにのう」
 あまりに豪快に笑い飛ばされて、エデン、少々傷つく。最も、彼がこの場所から見事なまでに浮いていたのは事実だから、老人の反応も致し方の無いことではあるのだ。
(「とにかく、雨風の凌げるところを探さないと」)
 荷運び相手の安宿なら、彼の所持金でも泊まれない事は無いのだが、それでは意味が無い。家を借りるには当然金が必要だし、不法占拠にしても良い場所は既に誰かしら陣取っているから、凄みを利かせて追い出しでもしない限り、新米には場所など回ってこない。結局、空きっ腹を抱え寒さに震えながら、家々の隙間や軒下に蹲っているしか無いということになる。野宿することには慣れていても、この人で溢れている筈の街中でひとり、誰の助けも得られず、それどころか奪いに来る者達を警戒しながら、石畳の冷たさに凍え一夜を過ごすというのは、恐ろしく心細く、心荒む経験だった。
 翌朝。それでも人は眠れるのだと知って驚いた。
「‥‥お前さん、本当にここで暮らす気か」
 昨日の老人が、驚いた顔で自分を見ているのが可笑しかった。
「さては、おてんとう様を拝めんようなことを仕出かしたか。あーいやいや、言わんでいい。ここはそういう訳ありが吹き溜まる場所じゃて」
 こんなところでは冬は越せぬぞえ、と老人が案内してくれたのは、他でもない、バンゴが追い出されたというアジトの一角だった。
「ここは元々わるしふ団とかいうシフール流民どもが陣取っておったんじゃが、解散してしもうたでな。腕自慢のシフールが頑張っておったが、宿無しが珍しく力を合わせてぶんどったという訳じゃよ」
 それは、ここではごく当たり前のことであるらしい。
「そのシフールは今何処に?」
 聞くと、老人はさてなぁ、と首を傾げた。そうですか、と落胆した彼の目の前に、老人の手が差し出される。
「働かせたら、それに応じて礼をするものじゃ。まさか何も無いとは言うまいな?」
「残念ながら今、持ち合わせが‥‥こんなものしかありませんが」
 差し出したのは発泡酒。と、老人は顔を紅潮させて、飛び上がらんばかりに喜んだ。バンゴの情報は得られなかったが、エデンは裏通りで暮らす内に、覚えたことがいくつかある。ここの者達は、報酬なくしては体を起こしすらしないということ。その報酬は、時に貨幣よりも、実用的な生活用品や保存食、特に嗜好品が喜ばれるということ。そうした『つけとどけ』を上手く使うことで、情報も快適も、スムーズに手に入るということ。
「ああ? ここで炊き出し? 馬鹿野郎、そんな勝手な真似許す訳が‥‥」
「物好きな人達の道楽です、どうか大目に見てあげて下さい。これはつまらない物ですが」
「ん? そうか? まあ俺も小煩く言うつもりはねぇんだ」
 この場も、発泡酒で話がついてしまった。
 エデンは奇妙な新入りとして、裏通りで認知されつつあるらしい。

●炊き出しの下準備
 どろどろの灰の中からとちの実を取り出した桂花は、灰を洗い流し、薄皮を剥いた。
「うん、なんとか使えそうね」
 ほっと安堵の桂花に、シフール達も嬉しげだ。
「こりゃ料理ってよりは、何かの実験みたいだったなぁ」
「おかみさんが言ってたけど、保存するなら最初に1ヶ月くらい天日干しするんだってさ。気の長い話だよね」
 普段料理などしたこともないシフール達も総出で作業に当たった甲斐があったというものだ。さ、皮を剥いてパンを作るよ☆ と促す桂花に、皆が灰の中に手を突っ込んだ。
「そういえば、村でもとち料理を作ったよなぁ。美味しくてほっぺた落ちるってものでもねーけど、なんだか懐かしいや」
 しみじみと、そんな話も出てみたり。
「ほら、お喋りはいいけど手を動かしてね。皮をちゃんと剥かないと、パンが真っ黒けになっちゃうんだから」
 桂花は素人達を指導しながら、ちらりと弟子達にも目をやった。大きな鍋を幾つも並べ、下ごしらえした野菜と、今朝絞めたばかりの鶏肉を用意している。忙しく飛び回る彼らに、桂花も満足げだ。
(「うん、みんな自分で仕事を見つけて動いてるね、偉いぞ☆」)
 弟子達の成長を見るのは、師匠の醍醐味。こうして改めて見てみると、同じ様に桂花に教えを受けて来たのに、それぞれに特徴が出ているのが面白い。とにかく包丁さばきに拘る者がいるかと思えば、材料の吟味に命を賭けている者もいて、目立って光るところは無いけれど下ごしらえや灰汁取りを地味に地道に頑張っている者もいる。
「それじゃ、味を決めよっか」
 味付けはシンプルに塩中心で。微調整をして、うん、と頷いた桂花、弟子達に味見をさせた。
「う、美味い、美味いです師匠!」
「塩加減ひとつで全く別の料理になるから、気をつけなきゃ駄目だよ?」
 はー、と溜息をつく彼らに、桂花はふふっと含み笑い。
「みんな早く一人前になって、美味しい料理を出世払いしてちょうだいね☆」

●説得
「だめなのじゃ、何処かに潜り込んでおるのかのう」
 ユラヴィカの陽の精霊への呼びかけは、不発に終わった。どうやら、地道に探すしか無いらしい。
「なるほど、ここで見失ったのですね?」
 ディアッカはオークルとバンゴが目撃された路地に赴き、過去の映像を探ってみた。幸い時間も場所もはっきりしているので、望む光景を引き当てるのに然程の苦労は無かった。ただし。
「あそこに飛んで入ったようです」
 指差したのは、頭の上。破れた屋根の隙間から、天井裏に忍び入る。わるしふ達は、こうした秘密の通路をいくつも持っていて、街中をあちらこちら、神出鬼没に動き回っていたものだ。それを縦横無尽に駆使するバンゴとオークルを追うのは、とんでもなく骨の折れる仕事だった。
 一方、美星は灰の指し示した場所に愛犬影虎を放ち、天龍やエデンの協力と共に、彼らの痕跡を追って行った。2組が到達した場所はごく近く。ただし、そこには分厚い煉瓦の壁が立ちはだかっていた。
「‥‥この中に空間があるのじゃ」
 ユラヴィカのエックスレイヴィジョンには、その存在がはっきりと捉えられていた。更に、
「この向こうに何かいるアル!」
 美星が感じ取った呼吸は2つ。だが、迫る彼らに気付いたか、瞬く間に脱出を図った。影虎が吠えながら駆けて行く。壁をすり抜け外に飛び出したバンゴとオークルは、早くも回り込んでいた天龍に遮られ、逃げ場を失った。
「本気で奴らと事を構えるつもりか? 皆が心配しているぞ」
 天龍の言葉に、ち、と面倒臭そうに舌打ちをしたバンゴ。眼帯と鋭い眼光は以前のままでも、やはりやつれた感じは否めない。逃亡名人でもあった彼だが、今、この場から逃亡するのは、恐らく困難だろう。
「貴方の仲間を思う気持ちは本物とお見受け致します。アジトを取り戻したいのならば、正当な手段で手に入れなければ争いが続き疲れ果てるだけです。奪う事でなく、周囲と協力して分かち合う方向へ努力する事が出来れば、皆様も貴方が守りたい場所を一緒に守る協力を惜しまないはずですよ」
 エデンの言葉に、バンゴはふんと鼻で笑う。
「何を言い出すかと思えば‥‥ここが契約とか正当とか、そんな理屈で動いてる場所に見えるのか? 戦って、勝ち取って、守り続けられるもんだけが手元に残るのさ」
 ユラヴィカが首を振る。
「そんな生き方がいつまで続けられるというのじゃ。バンゴ殿が仲間の帰る場所を守る気持ちは分かるし、それは大切なことだと思う。じゃが、仲間がまずあっての場所なのではないかの? おぬしのことをそれは心配している仲間達のもとに、来てやってはくれぬじゃろうか」
 う、とバンゴが言葉に詰まる。彼が仲間を思う気持ちに偽りは無いと確信しての言葉だ。学校の生徒達を見ていれば、わるしふ達の繋がりがどんなものだったかは一目瞭然だとユラヴィカは思っている。
「バンゴさん、スラムの住民と衝突したら、今立派に職についてる子達の邪魔をしちゃうことになるわ。だから、それは思い留まれないかしら? それとも、出て行った元仲間はもう、あなたにとってはどうでもいいのかしら?」
 やや挑発的なモニカの言葉。
「所詮はそんなことで放り出される場所だってことだろ。そんなところにいることはねーんだよ」
「‥‥それは違うよバンゴ」
 オークルが、大きく首を振った。
「彼らは、大好きな場所を新しく見つけたんだ。こんな幸せなことは無いのに、バンゴはそれを価値の無いことのように言うのか? あの、強欲で自分勝手な領主みたいに」
「な──」
 バンゴの顔が怒りに染まる。掴みかかられても、オークルは口を閉じなかった。
「僕らは、いつだって大好きを探してる。新しい大好きが見つかったからって、前の大好きが色あせる訳じゃない。でも、僕らには翅があるんだよバンゴ。いつまでも飛んで行かないとしたら、こんな無駄なものは無いじゃないか」
 くそ、と苛立ち紛れにオークルを放り出したバンゴは、くしゃくしゃと頭をかき回した。
「どいつもこいつも飼い慣らされやがって‥‥」
 ぴりぴりとした嫌な空気が流れる中、突然、ガンガンとけたたましい音が響いた。そして、鼻の奥をくすぐるような、なんとも言えない美味しそうな匂い‥‥

●炊き出しで賑やかに
「炊き出しだよ、お代はいらないよ本当だよ、お野菜ごろごろあったかスープと、ほっこりほろにがとちパンだよ〜、たくさんあるよ、ちゃんと並んでお待ちください〜」
 お鍋をガンガン鳴らしながら、シフール達が呼びかける。肉と野菜とハーブをコトコト煮込んだスープは、何とも言えず美味そうで。立ち上る湯気に、皆、ごくりと生唾を飲み込んだ。何事かと遠巻きに見ていた人達も、空きっ腹でこの匂いに抗える筈も無く、ぞろぞろと並び始めた。
「とちパン焼き上がったよ!」
 ばばんと並べられたパンから香り立つ、幸せな小麦の香り。とちの食感と微かなほろ苦さは、スープを滲ませて口に放り込んだ時、程よいアクセントとなってくれる筈だ。
「む、わるしふども! 今更戻ってきても、アジトは明け渡さないからな!」
「うるせー、ごちゃごちゃ言ってねーで食えっての!」
「ね、美味しい? 美味しい?」
「‥‥うめーよ畜生が」
 交わす言葉は乱暴でも、そこにはもう一発触発の空気は無い。
「なんなんだよこりゃあ‥‥」
 わいわいと人集りがする様を呆気に取られて見ていたバンゴに、はい、と桂花がスープとパンを手渡した。じんわりと伝わって来る温かさ、そして香り。彼の顔を、ファムがひょいと覗き込む。
「みんなで協力して作ったんだよ♪ みんな、きまぐれで学校してるんじゃないんだよ!」
 彼女の竪琴が、ぽろんと音を奏でた。そこに、ディアッカのベルが巧みに重なる。

♪バンゴさんは どうするの
 その日暮らしに未来はあるの
 みんな将来のこと考えて
 学校でガンバッてるの
 バンゴさんは なりたいものないのぉ
 あなたも学校で考えてみない?♪

「魔法の歌かよ、卑怯者め!」
「ココロを捻じ曲げる歌なんか、歌ってるつもりは無いよ。ただ、言葉が届いてほしいだけ」
「届きませんでしたか、皆の気持ちが」
 ち、と顔を背けたバンゴ。彼を慕うシフール達が集まって来て、事の成り行きを見守っている。天龍が、バンゴの名を呼んだ。
「俺達を信用出来ないというのは構わないが、自分の道を見付け歩み出した者達の事も信じられないか? 見に行った事がないというなら案内してやる」
「‥‥知ってるさ。どんな目にあってるかと思って、何度か見に行ったからな」
 仲間が新しい場所を見つけてしまったと悟ったからこそ、バンゴは一層、あのアジトに拘ったのかも知れない。天龍は分かった、と呟き、バンゴの目を見据えた。
「どうしても行くというのなら俺を倒してお前の力を証明して見せろ。俺を倒せない様では多勢を相手に敵う筈もない」
 言いながら、天龍は武器を置き、防具も外す。バンゴは天龍を睨みつけ、ぎりぎりと奥歯を噛んだ。バンゴとてそれ相応の力を持つ男。天龍に自分を倒す意思が無く、その彼にすら、今の疲弊した自分では抗し得ないことを一瞬にして悟っていた。それでも、挑まずにはいられない。バンゴは何度も突進し、かわされて土を食った。僅か一発の拳も受けることなく、バンゴはボロボロになって行く。
「畜生!」
 とうとう動けなくなり、地面に大の字になった。
「天龍先生!」
 集まって来た弟子達に天龍は、
「何の為に力を求めるのか考えておけ」
 そう言い残し、その場を後にした。身じろぎもしないバンゴの傍らにオークルが座り込み、その体を摩る。薬しふをはじめ、彼を慕うシフール達も、かける言葉すら見つけられず、ただ見守るばかりだ。と、そのバンゴを、美星が突然抱きしめた。
「バンゴさん、アジトより自分と自分を心配してくれるヒトのことをもっと大事にして欲しいアル。バンゴさん自身をアジトより大事に想うヒトはいっぱい居るのアルよ」
 ‥‥。
「うわ! な、なんだお前っ!! 何抱きついてんだフザケンなコラ!!」
 一瞬にして3mほどすっ飛んで行った。
「あらー、意外と恥ずかしがりやさんだったアルね」
 深刻な顔をしていたオークルも仲間達も、必死で笑いを堪えている。
「さ、診察してあげるから大人しくしてね」
 接近するモニカから逃げようとしたバンゴは、とうとう業を煮やした仲間達に羽交い絞めにされてしまった。
「兄貴、わがままもいい加減にしとけっての!」
「怪我治して、また一緒に何か面白いことやりましょうバンゴさん!」
「うるせえ! こんな女の治療なんか受けてられるか、こんなのはツバでもつけときゃ──」
 すぱこーん! と実に気持ちの良い音が響き、モニカのハリセンが興奮するバンゴの気持ちを静めたのだった(気絶したとも言う)。
 以来、モニカの治療に逆らう者はいなくなったという。

 用意されたスープとパンはあっという間に皆の胃袋に納まり、裏通りの住民達に、ささやかな幸せを与えたのだった。バンゴは未だに反抗的な態度を改めないが、仲間達によって強引に学校へと連れ込まれ、傷の手当てを受けている。

●顛末
 オークルは約束通り老魔術師のもとに出向き、正式に迎え入れられた。
「色々と難儀なことがあったようじゃな」
 何処から情報を得ているのか、老魔術師は全てを心得ていた。
「必死で考えて、一緒にいて説得して‥‥でも、結局何も出来ませんでした」
 肩を落とすオークルに、それはどうかのう、と老魔術師、かすかに笑う。
「ところでオークルよ、お前には生意気にももう弟子がおるそうじゃな」
 え、あ、はい、でも弟子といっても‥‥ともごもご言うのを断ち切って、
「構わぬから、その連中も連れて来るがいい。学ぶつもりがあるならば、じゃがな」
 そう、老魔術師は言ったのだった。オークル組のしふ達4人が新たな働き場所を得て、学校にはバンゴが加わり、しふ学校の生徒は31人となった。

 ファムがゴドフリーを訪ね、相談を持ちかけたのはこの日のこと。
「ん〜と、あたし、実はしふ学校の一期生が卒業したら、今度はスラムの人達の生活自立もお手伝いできたらなぁって密かに思ってたんだけど‥‥ゴドフリーさんどう思う?」
 話を聞いたゴドフリーは、ふむ、と難しい顔。
「もちろんそれは大変に意義のある行いだとは思うが、正直、とちのき通りが担うには少々荷が勝つように思う。シフール達を受け入れることも、随分と勇気がいったものだよ。今のように何から何まで面倒を見るのでは無いにしても‥‥いや、やはり厳しいな。彼らはシフール達ほど素朴でも無垢でも無いし、際限も無い。下手に関われば、こちらがスラムに飲み込まれる恐れすらある。どうしてもと思うなら、しかるべき人物に話を通し、後押しをしてもらうべきだろう」
 そうですか、と、しょんぼりするファム。実現したいなら、まずはゴドフリー氏の不安を拭う決め手が必要だろう。
 しふしふ団の面々は、少々心許なくなりつつあった学校資金に、新たな寄付を行った。ユラヴィカ、ディアッカ、ファムがそれぞれ100G、天龍が200G、美星が50G、桂花が炊き出し代にと10Gを出し、エデンは依頼報酬を寄付に充てた。
 そんな様子を眺めていたバンゴが、ひゅう、と口笛を吹く。
「なんだ、お前らもなかなかやるじゃないか。どうやって生活してんのかと思ったら、あの連中にあんな大金を出させてるなんてな。いったいどんな手を使ったんだ?」
 彼の問いに、んん? と首を捻ったイーダ。
「別に? あたいらは何もしてないけど?」
「‥‥そんな馬鹿な事があるか。じゃあ、何で奴らはあんな金出してんだよ」
「んー、善意、かな?」
 妙な沈黙が流れる。
「こんの、ド戯けどもがーっ!!」
 いきなりバンゴ大噴火。あまりの剣幕に、さしものイーダもちょいと気圧されて仰け反った。皆して宥めるのだが、バンゴは収まらない。
「苦しくてもひもじくても、自分の力で生きて来たのが俺達だろーが! それを今になって他人の一方的な情けに縋るってのは、どういう了見だ!! 乞食にも劣るぞお前ら!!」
「いやでもバンゴの兄貴」
「でももクソもあるか!! 俺は認めねーぞこんなのはッ!!」
 それはもう大変な剣幕。眼帯のバンゴ、どうやら大人しくはしていなさそうである。

 前回の残金340G25C。ユラヴィカ、ディアッカ、ファム、天龍、美星、エデンの寄付454G15Cを加え、8月24日〜10月7日の生徒35人、生活費1日ひとり5Cの合計78G75Cと炊き出しの費用50Gを差し引いて、10月7日の残金は665G65Cとなる。