●リプレイ本文
●お風呂改善計画
「ふー、あつあつ〜ぅぅ」
ケミカ・アクティオ(eb3653)は滴る汗を拭いつつ、満足げに息をついた。
「やっぱり実際に入ってみないとね、人に勧められないもの」
まず体験してみよう、と皆を公衆浴場に誘ったのは天野夏樹(eb4344)。果たしてどんな代物か、もしかして混浴じゃないわよね!? などとドキドキしながら来てみれば、これがログハウス風の建物に大小幾つもの浴室を持つというなかなかに小洒落た代物。まあ、現地の人達からすれば飾り気も何も無い木造の貧相な施設という事になるのかも知れないが‥‥。
まりえとケミカ、揃ってぱたぱたと顔を手扇ぎ。
「ふふ、ケミカちゃんもすっかり温まったね。『えーんまりえのバカぁ〜もうすっかり冬じゃないのぉ! さむさむ〜〜ぅ』ってシヴァっちに張り付いてなくても、もう安心」
モノマネなどされて、ケミカさんちょっとばかりカチンと来た。
「ま〜り〜え〜? そういうこと言うとぉ」
「きゃ!? ケミカちゃん、タオル返してーっ!」
「あはは、まりえって色白いよねー。肌も綺麗だしー」
「着痩せするタイプよね。あ、腰ほっそい!」
「うう、抱きつかないでください‥‥」
きゃあきゃあと賑やかな女性陣の声を壁越しに聞きながら、くっと拳を握る賽九龍(eb4639)。
「何故だ‥‥何故この浴室は密閉されているんだ? お風呂といえば上のとこの隙間は必須じゃないのか!」
無念げに涙する彼の肩を、門見雨霧(eb4637)が、ぽんと叩いて慰める。ユラヴィカ・クドゥス(ea1704)とディアッカ・ディアボロス(ea5597)は呆れ気味に首を振った。
「そ、それより何か改善案は思いつきましたか?」
まりえの声に、こほん、と咳払いをしてディアッカが返答。
「浴室は十分に魅力的な様ですから、後は湯上りに一曲聞きながらのんびり、というのはいかがでしょうか。上がり場に寛げる場所を用意して、ちょっとしたゲームを置いたり、バードの営業の場を提供するとか」
故郷を懐かしく思い出しながら語る彼に、うむ、とユラヴィカも頷いた。
「娯楽とか、社交場のような面を打ち出すのは面白いかもなのじゃ。なんなら、占いの店開きもするのじゃ‥‥はくしょ!」
サウナが出来上がる過程、それ自体も面白かった。係の少年達がてきぱきと焼けた石を運び込み、その上に水をぶちまける。ジャっという小気味良い音と共にもうもうと蒸気が吹き上がり、まもなくして浴室は蒸し風呂となる訳だ。小僧さん達の連携が美しくちょっとした見物なのだが、入浴前に見入っていると、体を冷やしてくしゃみを連発する羽目になるという訳。
「お風呂上りには、冷やしたエールや牛乳をぐいっといきたいよね」
夏樹の一言に、皆、ごくりと生唾を飲み込む。
「サウナには飲み物が必須ですね。ただ、酒類を入浴前に飲んでしまうと少々問題が‥‥注意を促す必要がるかも知れません。あまり注意事項を前面に押し出しすぎると、敷居を高くしてしまいますが」
ディアッカに指摘され、夏樹は暫しの思案。
「飲酒後の入浴や金属製品の着用禁止なんかの決まり事は、お断り事項として浴場入り口に張り出しとくと良いかな。さっと目を通せるくらいの量に収まっていれば、そんなに煩くもないと思うけど」
彼女の案に、皆も賛同。
「俺はそろそろ、歯ブラシと歯磨き粉を物にするつもりだ。体はさっぱり、口もすっきりってことで、入浴と一緒に普及しないもんかね?」
はーっと息を吐きながら天井を見上げる物輪試(eb4163)。薄暗い浴室内に、微かに木の香りが漂っている。気持ちは良いが、頭はぼんやり。物を考えるには向かない場所だな、と苦笑い。
「もうだめ、降参ーっ!」
ばん! とケミカは飛び出すと、積もった雪に飛び込んだ。
「ひゃー気持いいーっ!」
追って、他の面々も浴室を脱出。外には水浴び場が置かれているが、冬に限ってはこの『雪浴び』がお勧め、とは支配人殿の弁。皆で雪に飛び込み、大小様々なヒトガタを作って遊ぶ。
「ふー、もう何回か楽しみたいところだけど、そろそろお仕事にかからなくちゃね。他に改良案は無い?」
名残惜しげにお風呂から上がり、集合した彼ら、まだ体から湯気が上がっている。やはり、まったり出来る場所と飲み物は必要、と切実に感じながら。
「なあまりえ、これはこれで満足なんだが、俺はやっぱり、湯船にどぶんと浸かりたいんだよな。ちなみに、この辺りには温泉とか湧いてないのか?」
九龍に問われた支配人は、残念ながら、と首を振った。
「てことは、湯を沸かさなきゃならない訳か」
「もしも湯船を作るつもりなら、俺はボイラの製作を提案するよ。一応、製図と模型を作ってみた」
雨霧の提唱するボイラーは、燃焼室内にパイプをくねらせ水を通し、熱を与える事で自然に循環するという、構造的にはごく簡素なもの。ただし、実際使用に耐える物を作ろうとすれば、高度な鍛冶の技も必要となるだろう。
「ほほー、天界ではこの様なものを使ってお湯を‥‥」
支配人、感心すること頻り。これならば、店側は火を焚く事だけを考えれば良い。
「大変魅力的な提案ですが、問題は燃料ですね」
お湯は自然と冷めてしまう。温度を維持するには熱を加え続けなければならない。客の多い都ならまだしも、一地方の浴場に、これはかなり厳しいものがある。湯船に浸かるという事は、それだけ大変な贅沢なのだ。
「それから、湯船にはもうひとつ問題が‥‥何人もの人が入れば、お湯はどうしたって汚れてしまうってこと。濾過の仕組みが無いから頻繁に水の入れ替えが必要になるけど、それだとますます燃料が必要になってしまう」
まりえの指摘に、九龍が唸る。そりゃ確かに、他人の汗や垢でドロドロになった湯船になんか浸かりたくない。却って病気になってしまいそうだ。湯船は駄目か、と九龍、肩を落とした。
「ああ、肩まで湯船に浸かりたかったな。いや待て、贅沢品でもいい人向けになら需要があるんだよな。貴族様用ゴージャスゴエモンブロとか‥‥あー、でも俺は入れなくなるのか」
そんな事を未練いっぱいにブツブツ言っていた九龍。ふと、ハーブ湯用に準備していた袋一杯のハーブを思い出した。
「水に漬け込んでおいてハーブサウナ、とかな」
我ながら安直だ、と自嘲気味に笑いながら、それでも試しにやってみる辺りが、熱血台風サイクロン。いそいそと準備を整え、室で焼いた石をせっせと運んで、ハーブ水をぶちまける。
「あちゃ! あちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃ! ほあちゃ!! 熱、あっつぅ〜!」
ぼふっと吹き上がった蒸気を被って大慌て。が、しかし。
「ん? これはこれで‥‥いや、結構いいんじゃ?」
ほのかにハーブの香り漂うスチームに、何だか体の中から洗われる様。このアイデアは思いもかけず、支配人から喜ばれる事となったのだった。
●石鹸をつくろう
さて、相談の最中、夏樹がこんな事を言い出した。
「ウィルに来て困った事の一つに、石鹸が無いってのが有るんだよね。良い機会だから、是非挑戦してみたいと思うの」
まりえ達はアトリエに戻ると、早速石鹸作りに挑む事となった。サンプルとして、ディアッカが高級石鹸を提供する。これほどの物が出来れば良いのだが。
「友達のお母さんが趣味で石鹸作りをしてる、なんて話を聞いた事があるし、そんなに難しい事じゃないと思うんだけど‥‥」
「油と灰汁を混ぜる事で石鹸になるというのは、習った覚えがある。ただ、分量までは分からない。あと、動物性の油脂を使うと臭いがキツくなるという話は聞いたな。陸生植物の灰は成分の関係で、石鹸が軟化し易い。固形石鹸を作るなら、ナトリウムの多い海草灰が良いのだったと思う」
海草灰は調達可能という事で、翌日には実験を始められる事となった。それで分かったのは、
・木灰・植物灰はカリ分が多く、液体石鹸に向いている。海藻の灰が必要。
・木灰・植物灰・海藻灰は、鹸化能力が低いため、石鹸製造に時間が掛かる。
と、いう事だった。シュタール・アイゼナッハ(ea9387)は熱を持ってほのかに温かい混合液を攪拌しながら、むう、と難しい顔になる。
「この様子だと、使えるまでには相当な時間がかかりそうだのう」
そうですね、と白銀麗(ea8147)。
「ざっとですが、半年〜1年くらいは見ておくべきかと」
「なんと。それでは分量を確かめながら実験など無理なのじゃ」
困ったのじゃ、とユラヴィカが頭を抱える。
「要するに、問題は苛性ソーダを何処から得るかなのよね。まりえ、念のために教科書見せて!」
加藤瑠璃(eb4288)は首っ引きに読み漁り、よし、と頷いて本を閉じた。
「灰汁から作れるカリウム石鹸は水溶性が高くて風呂場の蒸気でも簡単に緩くなってしまうらしいから、できれば固体のまま使えるナトリウム石鹸を作りたいわ。現状で可能なのは、天然の重曹を使うか、有毒の塩素は出るけど塩水の電気分解かしら」
「ソーラー充電器で何とかなるかな‥‥」
でも天界アイテムに頼りきりだと産業化は難しい。と、まりえがアトリエの奥から不恰好な器具を出してきた。
「以前に秀之くんが作ったボルタ電堆だけど、使えるんじゃないかな」
プラス、銅線の先に木炭を結びつけた電極だ。まりえは言う。ウィルの銅は純粋では無い。粗銅に近いのでカドミウムなどの重金属も含んでいると。
「カドミウム? そいつは駄目だ」
試は慌てて苦言を呈す。すったもんだのあげく木炭を電極として電気分解開始。ただ、塩素の発生はやばいと思うし、これじゃ大量の亜鉛を必要とするからコストが割に合わない。もっと現実的な方法を探さないと。
一方、ディアッカはサイカチという木の実が洗濯に使われる事を知り、村人から分けてもらった。これとオリザの糠を合わせる事を考えていたが、残念ながらそちらは入手できず。オリザの栽培はルーケイの一部で行われているものの、一般にはまだあまり出回っていない様子。
実を弄びながら途方に暮れていた彼に、トックが話しかけた。
「サイカチの実ですか、懐かしいな。これを漬けた水を使って古い家具なんかを磨くとピカピカになるんですよ。でも、もっと強烈な汚れ‥‥例えば羊毛の洗浄なんかには、尿を発酵させたものを使ったりします。後は、飲めない代わりに汚れが落ちる水が湧く泉もあるんですよ。白っぽい結晶がいっぱい出来てて‥‥」
トックの何気ない話に反応したのは、瑠璃だった。
「汚れが落ちる泉? 白い結晶? ねぇ! それどこかしら。暖かいの?」
天然に湧き出る物質で汚れが落ちる物と聞いて、瑠璃は二つの物質を思い浮かべた。炭酸水素ナトリウム即ち重曹と、炭酸ナトリウム即ち洗濯ソーダである。
「苦くて飲めない他は、普通の冷たい水ですよ」
「ねえ。そこへ連れていって! 成分を知りたいの」
掴み掛からんばかりの勢いで頼み込む。トックは目をぱちくりさせながら
「馬で半日掛かります。でも、近所の農家に取り置きがあったはずですよ」
分けて貰い、早速成分を確かめてみる。酢をたらすと忽ち気泡を生じ、その気体を石灰水に通すと白く濁った。
「見て見て予感的中、天然のソーダよ! 重曹やソーダ灰を含んでるわ。かなり不純物も多いみたいだけど‥‥これで」
泉は冷たい重曹泉なのだろう。費用は掛かるが暖めれば温泉として使えるかも。
「まりえさん。教科書貸して‥‥」
程なく目的の物は見つかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
1.石灰を加熱→生石灰
CaCO3→CaO+CO2↑
2.生石灰を水と反応→石灰水(水酸化カルシウム)
CaO+H2O→Ca(OH)2
3.重曹(炭酸水素ナトリウム)を熱分解→ソーダ灰(炭酸ナトリウム)
2(NaHCO3)→Na2CO3+H20+CO2↑
4.
石灰水とソーダ灰+加熱→苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)と石灰
Ca(OH)2+Na2CO3→2NaOH+CaCO3
5.
4の生成物に水を注いで濾過。苛性ソーダを分離。
――――――――――――――――――――――――――――――――
こうして瑠璃達は、不純物が混じってはいるものの現地調達出来る苛性ソーダを手に入れた。
出来上がった石鹸で、夏樹は手を洗ってみる。
「うーん、ちょっとぴりぴりするかな。肌の弱い人でなければ体を洗うには問題無いと思うけど、顔は洗わない方が良さそう」
「塩折して肌に良い成分も分離しているし、反応し切れなかったアルカリ分とか、分離し切れなかった不純物とか、いらない物も残ってる筈だからね」
塩折しなければグリセリン等も残るが不純物も多くなる。それに植物油が原料の方は、まだまだ固まりが悪い。原理は簡単だが、使える物を造るのはまだまだ実験を重ねないと不可ない。
瑠璃がどうしたものかと考え込む。動物脂を使ったものは、植物のそれよりかっちりと固まってくれるが、やはり臭いがあった。
「素人考えじゃが、蜂蜜や蜜蝋を加えたら優しい石鹸にならんのかのう」
ユラヴィカの声に
「そういう石鹸もあるわ。もう少し勝手が分かって来たら、やってみましょう。先ずは顔を洗えるベースの石鹸を造らないと」
さもなくば、余分な苛性ソーダが肌を荒らすことを免れない。
木製の柄に豚と馬の毛を植えた歯ブラシと、焼き塩と草炭粉にミントを少し加えた歯磨き粉。安く手に入る古ワインで軽く口を濯いでから磨くことで、歯磨きの効果はぐっと上がる。試とシュタール、並んでゴシゴシと試し磨き。
「歯磨き粉は我ながら良く出来ていると思うんだが、歯ブラシが今一歩なんだ。なるべく柔らかいものを選んで使っているんだが」
「そうじゃのう、暫く使っておればいい感じに草臥れるんじゃろうがなぁ」
やはり、幾分固い。もう心持ち柔らかい質の毛を開拓するか、あるいは毛の切断面を上手に処理できればソフトな磨き心地を得られるのかも知れないが、良いアイデアが出て来ない。
「あまり強く当てぬ様に指導するしか無いかの」
「うーむむむ‥‥」
試の中の職人魂が激しく納得していないのだが、今の所は如何ともし難し。
銀麗は、雨霧が何かせっせと作っているのに気が付いた。
「ん、ああこれか。紙燭だよ。紙を縒ったものに蜜蝋を染み込ませてるんだ。ちょっとした仕掛けがしてあって、変わった色の炎が立つ」
以前作っていた蝋燭の応用ですね、と応じると、そう、それそれ、と嬉しげに。
「これだって紙に蜜蝋使ってるんだからそれなりの値段にはなるだろうけど、蜜蝋の蝋燭よりかはお求め安く出来そうだ。聖夜祭なんかの雰囲気作りに手軽に使える物にならなって欲しいしね。ほら、こっちって『灯の文化』だからピッタリだと思うんだ」
完成品の一本に、火を付けて見せる。と、明るいオレンジ色の炎が揺らめいた。
「浴場の雰囲気作りってことで、売りつけられないかな?」
悪戯っぽく笑う彼に、銀麗もつられて微笑んだ。
「あ、まりえさん、少々お話が‥‥」
呼び止めようとしたものの、領主様からのお呼びがかかったとやらで、彼女は出かけて行ってしまった。手持ち無沙汰に、紙燭作りを手伝ってみたりする。
●かみで遊ぼう
時を少々遡る。ここはホルレー男爵邸。
「南ルーケイではカードを使った遊戯‥‥賭博を企画しております。ご当地にカードを製作して頂き、当方に卸して頂ければと考え、それが可能か否か、まずは視察に参りました。契約が成れば双方にとって大きな利益になると、わたくしは確信しております。当方の準備が整った段階で、いずれ正式なお願いにあがりましょうが、その前に誤解を招かぬようご挨拶に参った次第にございます」
セオドラフ・ラングルス(eb4139)の口上を聞いたホルレー男爵は、博打かね、と些か険しい表情を見せた。
(「あらら、セオさん大ピンチだ」)
結城敏信(eb4287)は心の中でセオドラフを密かに応援。何か援護射撃を、とも思うのだが、
(「いやいや、僕の口下手ではきっと男爵を説得できない‥‥というか、きっと却って怒らせてしまうよ。ここはセオさんに任せて口チャック、と‥‥」)
敏信、敵前逃亡。孤軍奮闘のセオドラフだが、思わぬところから助っ人が現れた。
「あらまあ、新しいカードゲームなんて楽しそう。ね、貴方、協力して差し上げて。どんなものが出来上がるのか、私も見てみたいんですもの!」
ホルレー夫人は、実に楽しそうに話をする。妻のお強請りに、気難しそうな男爵も早々と折れてしまった。
「まあ良かろう。用に足りるかどうか、工房を見て行くが良い」
感謝致します、と頭を垂れるセオドラフと敏信に、夫人がニコニコと微笑みかけた。
工房でまりえと合流した2人は、早速紙を見せてもらった。実際手に取って見てみると、紙はしなやかで、カードにするには少々難がありそうだった。透けも気になる。
「もう少し硬い紙は作れませんかな。膠や糊を増量するなどして。透けては具合が悪いので、真っ黒に染めた紙を間に挟んで接着するなりして頂きたいのですが」
うーん、とまりえ、暫し考え。
「混ぜ物や厚みを変えるのは大変そう。でも、何枚もの紙を糊で接着して圧をかければ、かなり固めの紙が出来るんじゃないかしら」
まりえが何気なく発した言葉を逃さず、セオドラフは我が意を得たりとばかりにその手を握った。
「ここに10Gあります。是非ともその紙、試作して頂きたい」
「は、はい」
勢いに圧され、思わず引き受けてしまう。それで良いだろうか、とセオドラフに問われ、敏信は紙を透かしたり撓ませたりしながら、良いと思いますよ、と返答した。
「和紙みたいな質感で痛みが早そうなのが少々気になるけど、使用には耐える‥‥かな。トランプみたいに裏に同じ図柄を、表には別々の図柄を刷る必要があるんだけど、可能なのかな?」
「可能ですよ。でも、それなら‥‥私達のガリ版印刷を使うより、版画の技法を使った方が良いかも知れませんね」
なるほど、と2人。まりえ、儲け話を半分逃しかけているのに、まるで気が付いてない。
●製鉄は難し
戻ったまりえを今度は逃がさず、銀麗は製鉄についての相談を持ちかけた。
「ここは足下を見直して、炉の改良を考えてみてはどうでしょう。鉄を溶かす入れ物ですから、鉄よりずっと高温に耐えられる必要があります。実は、そのような物質に心当たりがあるのですよ。モナズ石から取れる金属なのですが、これを錆びさせると驚くほど融解しにくい物質ができるのです。この物質で容器を作れば、溶鉱炉として十分に耐えうるものになるでしょう。たとえホルレー領での製鉄が難しいとしても、超高温に耐えうる器であれば、製鉄や金属加工を行う他所が欲しがるかもしれませんし」
「私が知る限り、ご領地の山からは産出しないと思うけれど‥‥」
熱心に語る銀麗に、申し訳なさげにまりえは言う。と、ハーブティを淹れていたトックが不思議そうに話しかけた。
「銀麗様、そのなんとか石から作る炉は、粘土で作るよりも安価になるのでしょうか」
この世界では、ある種の粘土を用いて溶鉱炉を作るのが一般的。経験的に生み出される天然のセラミックといったところか。
「‥‥いえ、さすがに粘土よりは高価になってしまうと思うけれど」
「それでは、どうしてそんな方法を? 鉄にしろ何にしろ、今までの方法で不都合があるという話も聞いた事がありませんし」
はい、とお茶を差し出す。銀麗は、複雑な表情でそれを啜った。
ホルレー領の鉱山は、岩山を上から豪快に切り崩す、いわゆる露天掘りで掘り進められている。白い石肌の中から黒い縞模様が現れると、その部分を残して砕き割り、まりえが齎したアマルガム法により金を抽出するのだ。また、河川からは砂金が得られる為、金山の麓辺りでは、日がな一日、川の方々に散らばり砂利を漉く男達の姿を見る事が出来る。砂金が得られる場所では砂鉄も得られる場合が多いが、ここもその例に漏れない。
「で、その砂鉄から良質の鉄をどうにかして得られないか、という事なんだけどな」
ひとまず試は、石組みの試験炉を作る許可を得た。石組みでは熔けた銑鉄が漏れ出てしまうのでは、との指摘を受け、説明に苦慮したりもしたが、先ずは一歩進めたというところか。
「ほれ、手土産じゃ」
シュタールが愛馬のザクに積んできたのは、100Kg近い袋詰めの砂鉄。
「これ‥‥ひとりで?」
目を丸くする試に、ふふん、とシュタールが笑う。
「舐めてもらっては困る。わしがちょいと本気を出せば‥‥いや、嘘、嘘。わしが悪戦苦闘しておるのを見ての、砂金取りの人々が協力してくれたのだ」
有り難く受け取る。身が引き締まる思いの試である。
●蜂の寝床も清潔に
他の仕事が一段落したところで、越冬中の蜂の世話も。
「一応、言われた通り時々確認する様にはしとるよ」
コーセブと村の者達がこれまでの処置を説明する。
「外した巣板はどうかの? 虫など湧くこともあるかと思うが」
「うむ、前に忠告を受けたので、見つければ潰す様にしとるよ」
試は保管中の巣板を確認し、大丈夫だ、と頷いて見せる。かなりしっかりと管理してくれている様で、ほっと安堵のシュタールである。試が感心するのは、蜂小屋の中が風雪から守られているだけではなく、ちゃんと外気より温かいこと。安普請にしては立派なもので、これは蜂達にとっても大いに助けとなっている筈だ。皆が知恵を絞って、事前に準備をした甲斐があったというもの。
雨霧は巣箱に耳を当て、蜂達の発する音を聞いて回る。と、音のしない巣箱が。軽く叩いてみても応答無し。
「‥‥コーセブさん、幾らか蜂蜜残してあったよな?」
彼が持って来た蜂蜜をぬるま湯に解くと、巣箱を開き、吹きかける。死んだ様に固まっていた蜂がモゾモゾと動き出し、糖液を啜るのを見て、彼はよし、と頷いた。
「なるほどなぁ。こうやってハラペコの蜂にはオマンマをくれてやるっちゅー訳だ」
そういうこと、と雨霧。彼は蜜を掬い取ると、巣に補填しておいた。
「冬越し出来ずに死ぬ蜂を減らせれば、来春、巣はそれだけ力強く動き出せる。卵はしっかり育って蜂は着実に増え、養蜂家は万々歳さ」
蜂が凍死しかかっている場合は蜂を温かい部屋に移して蘇生させてから‥‥などと彼が披露する知識を、村の者達は熱心に聞いている。養蜂の成功は彼らの生活に直結するのだから、それはもう真剣だ。
「ここのところの冷え込みを思えば、少し藁を増やしておいた方がいいかの。小屋の中の掃除もしておかねば、鼠にでも住み付かれて齧られたのでは大変だからのう」
せっせと藁を運んで来ては、丹念に巣箱を覆う。試は外に出て、小屋に破損など無いか見て回った。
「ここらでは、花が咲き始めるのは何時ごろからかのう」
「そうさな、2月の中頃〜下旬頃になるじゃろか」
コーセブの返答に、ふむ、と考え込むシュタール。
「では、女王蜂が卵を産み始めるのもその頃という事かの。蜜の蓄えは、まあこんなもので大丈夫か‥‥いつ巣板を戻すかも考えておかねばのう」
全ては手探り。シュタールはこれまでの養蜂を纏め、文書に起こした。今の所は実験レポートといった体裁。これからもしくじりを乗り越え成果を上げつつ、これを確かなものにして行かねばならない。
24日の夜、アトリエがそろそろ眠りにつこうという頃。九龍はサングラスとサンタクロースハットという姿で、2階にあるまりえの部屋の窓を叩いた。何故わざわざ外から挑んだのかといえば‥‥仲間に見られたくないという男心である。察しなさい。
「九龍くん? どうしたの?」
驚くまりえに、リボンで飾られた綺麗な袋が差し出された。中身は、アメジストのネックレス。
「ほら、クリスマ──」
「まりえ様、そろそろお休みになって下さ──」
と、そこにトック現る。目が合って、2人は固まった。
「く、曲者っ!」
「待て待てこれはサンタクロースといって天界のわわわ」
サンタの説明などしている場合ではないのだが、慌てた時はこんなもの。トックは駆け寄り様に箒を掴むや、たあっと掛け声も勇ましく九龍の胸を柄で突いた。不安定な場所にしがみついていた事もあって到底避けられず、九龍、そのまま敢え無く転落する羽目に。後で平謝りに謝られる事になるが、逃したチャンスはデカかった。
翌朝。
「九龍くん、腰は大丈夫? ところで昨日は何だったの?」
「‥‥いや、何でもない」
機会を逃すと、何となく渡し辛い。心の中でしくしくと泣する九龍なのだった。
●温かな一時を
浴場では、皆の助言に従って入浴後に寛げる広い休憩室を作り、飲み物の販売もする予定だという。そこで芸の披露やちょっとした商いもさせてくれると噂を聞きつけて、早くも話を聞きに来た者達がいると言う。錬金術師まりえが関わったことで、既に幾許かの宣伝効果があった模様。注目してもらえる下地は出来た。ここからが大切だ。
「支配人の話では、現状客の大半は男だと言うし、美容効果をうたい文句に女性客を狙ってみるのも面白いかも」
雨霧のアイデアに、夏樹もそれいいね、と乗っかった。
「まずは、風邪や病気の予防と言った衛生面から入るのがいいと思うけど、それに加えて美容効果を押すのはいいと思うよ。男性向けには疲労回復とかかな?」
「それじゃあ、最初に人の絵を2つ描いてー。『お風呂に入らない人』背中を曲げて、疲れた顔で、両手を下げて、どよ〜んとした感じ。『お風呂に入る人』しゃっきり、元気な顔、両手を上げて万歳! ぴかぴか光ってるみたいに。一目で『お風呂に入る事って素敵!』って分かるようにね!」
「うん、いいね、分かり易い」
さらさらとケミカが描いた下絵に、まりえが頷く。
「それから、お仕事で疲れた男の人も、お風呂でしゃっきり! で、お肌が気になる女の人も、お風呂でスベスベ! あ、セッケンと歯磨きの事も書かなくちゃね。『セッケンで体を洗って体ぴかぴか、歯磨きしてお口すっきり! 心はればれ!』‥‥こんな感じでどう?」
「天界人の知識を活かした、という部分をアピールすると、結構効果的かもなのじゃ」
ユラヴィカの発言に、皆して、おお、と手を打った。
「ね、冬を健康に過ごすコツとかも書いておかない? 配るんだからみんなの手元に残って何度も見てもらえる物にしないとね。で、その度に『お風呂に行こう』って思ってもらえるかも」
更にケミカのアイデアも盛り込んだ結果、お風呂の宣伝に乾布摩擦の勧めだの体を冷やさない食べ物情報だのを掲載した不思議な印刷物が出来上がった。皆してカリカリ原紙を切りながら、他愛の無い話などもする。
「この女の人、何だかまりえさんに似てませんか?」
「あ、分かった? まりえって黒髪にくりくり黒目でシンプルな顔立ちだから、鉄筆でがりがりっと絵にするのに向いてるのよね」
「ケミカちゃん、それって‥‥ううん、なんでもない」
「はは、まりえさんもこれでチラシデビューって訳だ」
「へー、チキュウではこういうのを『チラシ』って言うのね。紙をばんばん無料でばら撒けるって本当に凄いわね〜。その資金はどこから出るの?」
「宣伝して欲しい人がお金を出すんだよ。確かに出費だけど、それ以上にお客さんが来て売上が伸びればいい、とまあ、そういう考え方だな」
「うちのにも応用できないかしら‥‥シンブンの下にセンデンを載せて、シンブンを安くするとか? 今回はモデルケースだからアトリエの持ち出しよね。いずれセンデンも正式な取引として成立させたいわね」
ケミカが新たな着想を得たところで原紙切り完了。印刷に入ったのだった。
印刷物が刷り上ると彼らは手分けして散らばり、人通りの多い場所を選んで張らせてもらうと共に、それぞれアピールを行った。雨霧は女性が多く立ち寄りそうな井戸端に。ただでさえ、なんとなく背を丸めてチラシを配る青年は目立つところに、話しかけると実によく喋り笑うものだから奥さん方に気にいられてしまい、彼の手持ちのチラシはあっという間に無くなってしまった。
少々遅れて現れた夏樹さんはというと。
「疲れた後にはお風呂が最高! 新陳代謝も良くなるし免疫力だって上がるんです!」
彼女が狙ったのは、これまた女性の多い市場。
「皆さんも浴場使って見ませんか? お肌にとっても良いですよー」
私も今入って来たとこです! と、これは実に分かり易いアピール。色白の頬は紅潮して、まるで玉のよう。体からは仄かにハーブの香りがした。
まりえは酒場を訪ね歩き、一仕事終えて一杯楽しむ男性達を労いながら、一日の疲れを癒すには浴場にどうぞと宣伝して回る。そして‥‥。
ディアッカとユラヴィカは、公衆浴場リニューアルの日を休憩室で迎えた。ユラヴィカは占いをしながら、ディアッカは求めに応じて歌と音楽を奏でながら。
「石をもっと焼いておいてくれ、すぐに足りなくなってしまう!」
支配人の嬉しい悲鳴が聞こえて来る。くるくると目を回しそうに駆け回る小僧さん達。お客は開拓の甲斐あって女性も多く、本当に賑やかだ。石鹸や歯磨きにはまだまだ難があるので、使い方を間違ってトラブルが起きないよう小僧さん達が小銭を取って売り、やり方など説明して見せる、治療行為に近い形が取られている。強すぎる石鹸は、このままでは洗髪や洗顔には使えない。しかし使用上の注意を守って使う限りに置いては、どちらも概ね評判は良く、売り上げに貢献している様だ。
ほかほかと湯気を立てながら休憩室に入って来る人々の顔を見て、ユラヴィカの口元は自然と綻んでしまう。飲み物など楽しみながら寛ぐ内に顔見知りが出会い、楽しげな世間話が始まる。
「これなら、最初の目新しさが消えても皆に必要な場所となってくれそうじゃな」
小さく呟いて、声をかけて来た客の相談に耳を傾ける。
浴場の営業時間は、昼前から日が暮れる頃まで。間もなく室の火を落とす時間となると、薄暗くなった店の中に紙燭が灯されて、客にその事を教えてくれる。
「楽士さん、最後に何か心楽しくなる様なのをひとくさり頼めないかしら」
「承りました、それでは公衆浴場の賑やかしき恋歌の一遍を」
彼の歌に、人々のざわめきや笑い声が効果音の様に混ざり合う。滑稽な恋愛騒動の情景が、今そこで繰り広げられているかの様に歌い上げられるのだった。