●リプレイ本文
●小さな願い
「あの、セレナちゃんに会わせて貰えないかな?」
依頼主であるグローヴァ男爵邸を訪れた天野夏樹(eb4344)は、応対に出たラウルに、そうお願いした。
「だが、今はセレナの容態も安定していない事だし‥‥」
「お気持ちは分かります。ですが、今は‥‥一刻も早くぴーちゃんを探し出す為には、状況を正確に把握する必要があるのです」
娘を案じているからだろう、難色を示した男爵を説得したのは、夏樹と同じ天界人である富島香織(eb4410)だった。
「そうですね‥‥父上、ここはこの方たちにお任せした方が‥‥」
「うぅむ‥‥だが、くれぐれも慎重に、注意して欲しい」
真剣な二人の面持ち。受け止めた息子ラウルの口ぞえもあり、男爵は溜め息混じりに頷いた。勿論、その表情は不承不承といった様相であり、渋い。カウンセラーを生業とする香織はそこに、心配だけでない、不安や恐怖といった感情を感じ取った。
(「セレナちゃんが小鳥にこだわるのは、大切な友達だから、というだけではないかもしれませんね」)
だから、だろうか。香織は依頼を受けた時感じた印象を、強めていた。
「ぴ‥‥ちゃ‥‥ぴぃ‥‥ゃん‥‥」
案内されたベッドの上、少女は熱に浮かされながら、うわ言のように繰り返し繰り返し呼んでいた。彼女の、飛び去ってしまった友達の名を。
少女‥‥セレナは、訪れた冒険者達にも気づかぬ様子で。
「セレナちゃん‥‥あのね、あのね、お姉さん達が必ずそのぴーちゃんを見つけてくるからねっ、だから‥‥」
何かを‥‥いや、ぴーちゃんを求める為に伸ばされた手、夏樹は耐え切れずその小さな、細すぎる手をそっと包み込んだ。
と、熱で潤んだその瞳がふと、焦点を結んだ。
「「セレ‥‥っ」」
「落ち着けっ!?」
「気持ちは分かりますが、今は私達に任せて下さい」
咄嗟にベッドに駆け寄ろうとした男爵とラウルを、飛天龍(eb0010)とシュバルツ・バルト(eb4155)がよってたかって止めた。小さく叱責し、言い含める。シフールながら十二形意拳の使い手である天龍と、鎧騎士であるシュバルツ‥‥止められ、親子も不満げでありながらも一応
、従った。
「しふしふ〜! 安心しろ、俺たちが必ずぴーちゃんを見つけてみせる」
今、セレナに必要なのは、案じる‥‥つまり、不安でいっぱいの家族ではなく、希望を与える力強い言葉だと、天龍は殊更明るく、言い切った。
「‥‥ほ、んとう?」
「うむ、本当じゃ」
そのセレナのか細い声に応えたのは、やはりシフールであるユラヴィカ・クドゥス(ea1704)。夏樹や天龍と同じく、少しでも励ましたいと。
「うちにもぴぃちゃんというペットがおるのじゃ」
「そ‥‥うなの?」
「あぁ本当じゃよ。じゃからの、わしにとっても他人事とは思えないのじゃ」
ユラヴィカのペットは蜥蜴だったりするのだが、それは敢えて口にしない。何故なら、自分の言葉を聞いた時、セレナの熱で紅潮した顔に、儚いけれど笑みが浮かんだのだから。
或いはそれは、羽を羽ばたかせるユラヴィカにぴーちゃんを重ね見ているのかもしれないが。
「その為にも‥‥」
そして、意を組んだ香織が意識を集中する。その身体が淡い銀色の光をまとい‥‥香織は、視た。
突然開いた扉、驚きビクリと身を震わせるセレナ。ぶつかった肩が偶然ひっくり返した、鳥かご。セレナの手から慌てて飛び立つ青い小鳥。セレナの頭の上をぐるりと旋回してから、小鳥はそのまま開かれたままの扉から外へと‥‥。
それは、香織がバーストの魔法を用いて視た、過去の光景。この部屋であの時あった、光景だった。
「で、ラウル君。ぴーちゃんの事、教えてくれる?」
そんな、魔法を使う香織の様子を不安げに見つめるラウルに、夏樹は尋ねた。
「種類は分からない? じゃあ、色や大きさは? どんな声で鳴くの?」
「あ‥‥青い‥‥そうですね、よく晴れた空を映したような青い色をしていて、小さいです。セレナの手にすっぽり収まってしまうくらいの大きさでした」
出来るだけ詳細に伝えたい、ラウルの思いを受け止めていく夏樹。
「とある池の錦鯉は、餌をやる際に手を叩いてからあげていたら、今では手を叩くだけで集まってくるそうです」
と、シュバルツが口を挟んだ。唐突な話に小首を傾げるラウルに、
「というわけで、セレナ嬢は小鳥に餌を与える際、どのようにやっていましたか?」
真面目な顔で質問するシュバルツ。
「普通に‥‥そうですね、優しく名前を呼んで、手の平の上であげていました」
「それは‥‥初見の俺達じゃあ少し難しいかな」
まぁ方法は色々あるが、呟いた天龍はとりあえず、とラウルに頼む。
「いつも食べさせている餌、分けてもらえるか?」
「はい、勿論で‥‥」
サイドテーブルから直ぐに取り出してきたラウルに、ここで男爵が
「名案を思いついたぞ!」
と、ポンと手を打った。
「この餌をバラ撒けば、あの小鳥も釣られて戻ってくるに違いない‥‥!?」
「いやだから、落ち着けって」
「直接の風はセレナ嬢に毒でしょうが」
いきなり窓を開けようとする男爵を、やっぱり溜め息まじりに突っ込み取り押さえる天龍とシュバルツ。今度はラウルをも抑え役に回っている。
「‥‥」
その様子をはクレア・クリストファ(ea0941)じっと観察していた。
何と言うかこの親は――まぁ兄もだが――いくら娘が心配とはいえ、突き抜けすぎている気がしてならない。
というか、ちょっとした事でパニックになって自分を見失ってしまう‥‥そんな親子の事も心配になった夏樹は、問うた。
「セレナちゃん、どうなの? ずっと寝たきり、なんだよね?」
そこまで踏み込んでいいのか、少し迷いながら。
「病気、ではないんです正確には。ただ、生まれつき病弱で‥‥ちょっとした事ですぐ熱を出したり体調を崩したり‥‥母もそうですしから、心配で‥‥」
唇を引き結んだまま無言の父に代わり、説明するラウル。ぎゅっ、と唇を噛み締めるその表情もまた、沈痛なもので。
「‥‥そっか」
夏樹はいたわる様に、ただそれだけを口にした。
「これを‥‥セレナに使ってみて」
そんなラウルに持参したハーブを手渡したのは、クレアだった。
「熱さまし用の、ハーブよ」
「あっ‥‥ありがとうございます」
ペコリ、と素直に感謝するラウル。だが、やはりその表情は暗い。
「大丈〜夫、私達に任せときなさい」
だからこそ、クレアは頼もしげに言い放つ。
「ぴーちゃんは私達が、必ず無事に連れて戻るから」
微笑むクレアに、ラウルは少し目元を潤ませ‥‥手の甲で乱暴に拭うと、もう一度丁寧に頭を下げた。
「おそらく、小鳥はただ驚いて逃げたのだと思います」
銀の光の残滓を消しながら、香織は皆を見回し、継げた。
「この部屋から出るのは初めて、という事ですし、最初に落ち着いた場所からそんなに離れた場所にはいないと思うんですよね」
そして、あの小さな小鳥が最初に羽を休めるとしたら、屋敷の庭か‥‥或いは屋敷周辺の木、という可能性が高いと香織は見ている。
「じゃが、寒い季節じゃし、小鳥は餌がなくなったら1日ぐらいしかもたぬ‥‥早く探しださねばのう」
心配そうに呟くユラヴィカに、全員が大きく頷き。
「セレナちゃんにとって、その小鳥は大切な友達だったんだよね。うん、私達がきっと見つけ出すよ!」
そうして、部屋を最後に出る夏樹は、心細げな顔になったセレナを強く励まし、約束したのだった。
●青い鳥を探して
「では、とにかく近場から捜索しましょう。私とユラヴィカさん、天龍さんと香織さん、夏樹さんとクレアさんでそれぞれペアになって」
「各ペア、餌と鳥かごは持ったわね?」
「小鳥はおそらく、この近くにいる筈です」
確認するシュバルツとクレアに頷きながら、香織は散っていこうとする皆にそう告げた。自分の直感と推測、そして、自分の魔法とを信じているから。
「行きましょう、天龍さん」
「あぁ。俺は空から行く。何か気づいたら知らせるからな」
「クレアさん、宜しくお願いしますねっ」
夏樹はクレアにペコッと軽く頭を下げると、早速探索にかかる。
「あの、青い小鳥を見かけませんでしたか?」
先ずは周囲の聞き込みだ。上手くするとぴーちゃんの姿を目撃した人がいるかもしれない。
「誰か‥‥親切な人が保護してくれてる可能性だってあるものね」
「そうね」
答えつつ、クレアも時折立ち止まり呪文を唱える。デティクトライフフォース‥‥生命を感知する魔法だ。
小さな小さな生命‥‥鼓動に耳を澄ませながらのクレアと、聞き込みつつ周囲を見回す夏樹と。ただ一つ、セレナの為に小鳥を見つけたい‥‥共通の思いを胸に、二人は必死で捜索を続けた。
「‥‥」
一方、シュバルツ・ユラヴィカ組の、ユラヴィカもまた意識を集中していた。淡い金色の光をまとうユラヴィカ。サンワードとテレスコープの魔法を用い、ぴーちゃんを探す作戦だ。
試す事、数度。
「‥‥む」
小さな吐息が、もれた。
「ユラヴィカさん?」
「うむ、もう一度じゃ」
言って、再び魔法を‥‥テレスコープの魔法を唱えるユラヴィカ。その精度を増した視力が確かに捉えた、青。
殺風景な枯れ木の中、小さな小さな、だが、鮮やかな色が在った。
「餌だけだと心配ですね‥‥香織さん達を呼んできます」
小鳥を刺激しないよう、そっと囁きシュバルツが場を離れる。香織達もクレア達も、そう遠くへは行っていないはずだ。
「さ、餌じゃよ」
残されたユラヴィカは、その手に餌を抱え、小鳥へとゆっくり距離を詰めていく。
「とにかく見つかって良かったわ」
駆けつけたクレアは安堵の呟きをもらす。
「これで、大人しく餌に釣られてくれれば良いのだけど、な」
しかし、天龍の指摘通り、小鳥はこちらを警戒している、もうバリバリに。
「なら‥‥」
香織はしゃがみ込むと、足元の地面に餌を撒いた。そのまま一歩、距離を取る。
「ほら、あなたの好きなご飯ですよ」
地面に降りてきた小鳥はトトト、と香織の方に来かけて‥‥だが、やはり途中で怯えるように立ち止まった。
「‥‥何か怖い目に遭ったのかもしれませんね」
その様子に、思う香織。憂いを帯びた囁きに、天龍も頷く。
「仕方のないやつだな、セレナが心配しているぞ」
言いながら、天龍は細心の注意でもってゆっくりと移動する‥‥小鳥の背後に回るように、小鳥を香織達の方に追い込めるように。
「チャームを使えば鳥かごに入ってもらえるでしょうが‥‥」
出来れば無理強いはしたくない‥‥それは香織だけでなく皆に共通する気持ちだった。けれど、このままではラチが明かないのも、事実で。
「あぁ、逃がすわけにはいかない‥‥セレナの為にも、小鳥自身の為にもな」
「あっ‥‥そうだ!」
と、夏樹が思わず声を上げ、慌てて潜めた。
「これ、使えるかも?!」
夏樹が懐から取り出したのは、メモリーオーディオだ。ぴーちゃんを脅かさないよう、慎重に再生スイッチを入れる。
『ぴーちゃん‥‥ぴーちゃん‥‥』
冷たくピンと澄んだ空間に響く、か細い声。それは、セレナの‥‥ぴーちゃんにとって最も親しきはずの、声だった。
「‥‥ぴぴ?」
二の足を踏んでいた小鳥は小首を傾げる仕草をした後、ぱさっと羽を羽ばたかせた‥‥逃げるのではなく、近づく為に。
「‥‥」
そして、息を殺してつつ夏樹が差し出した手に、ぴーちゃんは躊躇いがちに、止まり‥‥メモリーオーディオへと顔を寄せた。
「さ、お腹が減っておるじゃろう」
機を逃さず、ユラヴィカはそっと餌を小鳥へと近づけ‥‥今度こそ小鳥はそれを啄ばんだ。
「たくさん食べて下さいね」
香織はそのまま餌をパラパラと撒いていく‥‥小鳥を、鳥かごへと誘導していく。そして、タイミングを見計らったシュバルツが、鳥かごの扉をパタン、と閉めた。
「さぁ‥‥貴方の友達が待ってるわよ」
優しく囁かれた言葉が分かったわけではなかろうが、小鳥は円らな瞳でクレアを見上げ、「ぴ」と小さく鳴いたのだった。
●生まれいずる翼
「‥‥ぴーちゃん!?」
小鳥を見た瞬間、セレナの顔はそれはそれは嬉しそうに輝いた。心なしか、顔色と調子も良くなったようで。
「良かったです」
「うん、本当に」
香織の顔にも夏樹の顔にも、自然と笑みが浮かんだ。男爵とラウルの親子に至っては、もう涙涙‥‥男泣き全開だ。
「お二人とも、少しいいかしら?」
その中。そんな父と兄に向けられたセレナの眼差しに気づいたクレアは、有無を言わせぬ雰囲気でもって、二人をセレナの部屋から連れ出した。ぴーちゃんの帰還‥‥自分の無事を喜んでくれる父と兄に対しての感謝の気持ちと、その中に滲む申し訳なさと、微かな不満と。
「どうやら悩みはぴーちゃんの事だけではなさそうだな。俺でよければ相談に乗るぞ」
同じく気づいた天龍は、クレアが親子を連れ出したのを確認してから、そう申し出た。
「悩み、なんて無い‥‥よ? お父様も‥‥お兄様も‥‥優しいもの‥‥わたしを愛してくれて‥‥心配してくれて‥‥」
けれど、そう言うセレナの表情は沈んでいる。
「ただ‥‥」
「ただ?」
「‥‥心配かけてばかりで‥‥わたし‥‥ダメだなぁって‥‥」
「そんな事、ないさ。まぁあの二人は心配しすぎだが‥‥あの二人だって、セレナに幸せになって欲しいんだ。笑っていて欲しいんだよ」
天龍は少し考えてから、問いかけた。
「そうだな、セレナはどんな事が好きなんだ?」
「ぴーちゃんと‥‥遊ぶの‥‥お空、見るのも‥‥好き」
天龍の問いに、はにかんだ笑みを浮かべる少女。少しだけ、寂しげに。
(「無理をさせない程度に、やりたい事をやらせてやるのもいいかもな」)
その様子を眺め、天龍は思う。今のセレナに必要なのは、生きる希望だと。
(「努力しようとする気持ちがあれば、健康面でも頑張れるしな」)
同じ事を考えたらしい。
「もしよければ、たまに遊びに来て依頼の話などして差し上げたらどうかと思うのじゃが‥‥ご迷惑じゃろうか」
ユラヴィカが言うと、セレナは必死に頭を振ろうとし、慌てた周囲の者達に止められた。
「嬉しい‥‥でも‥‥」
「何、わしがそうしたいのじゃよ。セレナ嬢が嫌でなければ、じゃがの」
「‥‥うん」
遠慮と期待の間で揺れていた少女は、にっこりと笑むユラヴィカにようやく、頷いた。
「その為にも、たくさん食べてたくさん寝て、体力をつけねばの」
「そうですね。それと、この部屋もよくない気がします」
こちらも柔らかく笑みながら、香織がアドバイスを送る。
「部屋に、外を感じさせる田園風景のような自然を描いた絵を飾り、壁の色を明るい色にして、部屋自体を明るくすれば、気持ちも明るくなるものです」
セレナの部屋はゆっくり休めるように、という配慮なのだろうがどうにもシック‥‥少なくとも年頃の女の子らしくない、と部屋に入った時から思っていた香織である。
「それから、体調が良くなったらですが、たくさん本を読んで‥‥この部屋の外の世界を知ること、です」
「本は好き。でも、あまり読むとお兄様やお父様が心配するから‥‥」
「ええ。ですが、セレナちゃんが少しずつでも元気になっていけば‥‥お二人も却って喜んでくれると思いますよ」
少なくとも、病気のことばかりを考えるのは不健康すぎるし。
「それに、礼儀作法やウィル歳時記なんてつまらない本ではダメです。オシャレやおとぎ話、ウィルの観光ガイドなど、もっと楽しい本を読むべきです」
その方が、外の世界を知る勉強の方が、身が入るし楽しい‥‥今はそれが一番大切だと香織は思うから。
「オシャレ‥‥ウィルの事‥‥」
うっとりと目を細めたセレナの様子は、そんな香織の予想を裏切らないものだった。
「でも、きっとわたしには‥‥」
「セレナちゃんは幸せになるの‥‥幸せにならなくてはダメです」
だから、香織は俯こうとするセレナの手をそっと握ると、力づけるように繰り返した。
「さて‥‥一つ確認したい事があるのだけれど?」
一方。セレナをユラヴィカ達に任せたクレアは、別室にてラウルと男爵と対峙していた。
静かな‥‥冷ややかとさえ言える眼差しを向けられた父子は、かなり落ちつかない様子で、続くクレアの言葉を待った。
「あなた達は、病弱だからと言う理由で、あの娘から‥‥セレナから――『自由』と言う名の翼を奪ったのではないかしら?」
「なっ!?」
「言い掛かりだっ! あなたの方こそ、何も知らないくせにっ!?」
スッパリも切りつけるような言葉に、男爵は絶句しつつ顔を赤くしたり青くしたり忙しくし。ラウルの方は反対に、激昂して叫んだ‥‥その瞳に傷ついた色を浮かべながら。
「勿論、あなた達の気持ち‥‥不安も分かるわ。あなた達は実際に、妻であり母である女性を失ったのだから‥‥」
指摘され、父と子は押し黙る。喪った痛みと悲しみ、再び喪うのではないかという‥‥恐怖。
だから、クレアはホンの少し声の調子を和らげ‥‥しかし、「でもね」と続けた。
「分からないの? 愛し守る事と‥‥閉じ込める事は違うの。セレナが‥‥その命を賭してまで外に出た意味を知りなさい」
愛しすぎて大切すぎて、壊れ物のように扱うばかりになってしまった二人を、穏やかに諭す。
「本当の家族なら‥‥あの娘の気持ちを知ってあげなさい」
セレナは人形ではない。一人の、ちゃんと意志を持つ、一人の人間なのだから、と。
「あのね、セレナちゃん」
ラウル達とクレアが部屋に戻ってくると、夏樹がセレナを励ましているのが見えた。
「外では生きていけないって思われてたぴーちゃんでも、こうして戻ってくる事が出来た。セレナちゃんにも同じ様に、周りや自分が思う以上の事が出来る可能性がきっと有るよ」
ぐっと拳を握り締める夏樹に、だが、セレナは視線を俯かせる。
「でも、でも、わたしは‥‥」
「ダメダメ! もう少し、自分を信じてみようよ。外に出る事だって、セレナちゃんの頑張り次第では出来るかもしれないよ?」
「わたしが、頑張れば?」
「うんっ、きっとね!」
「だけど‥‥わたしきっと‥‥全然上手に出来ないわ‥‥」
「最初から上手に出来る人なんていませんよ」
期待と、それを持つことへの不安。シュバルツは頑なな心を解きほぐすように、柔らかく微笑んだ。
「ゴーレムを操縦するのだって、何度も失敗を繰り返して、でも、諦めずに頑張るから、上手になるのですよ?」
「そうだな。上手くいかなくても、やれる範囲で頑張る事が大事なんだ」
少しずつでいい、前を向いて頑張ってみろよ、と天龍。そんな冒険者達を泣き出しそうな顔で見上げるセレナだったが、入ってきた兄と父の姿に、その表情を慌てて引き締める‥‥大好きな家族にワガママを言わない為、心配をかけない為に。
「セレナ、私は今でも、お前の事が心配だ。お前に何かあったら、それこそ気が狂ってしまうだろう」
だが、そんな娘に男爵は告げた。彼もまた気づいてしまったから。セレナにも自分の意思が‥‥やりたい事や願いがあるのだと。
「だから、約束して欲しい。決して無理はしない、と‥‥約束してくれるなら、共に少しずつ努力していこう。お前が、この部屋から外に、出られるように」
「僕も協力するよ、セレナ。セレナが望む事が出来るように、支えていきたい‥‥これからは、一緒に」
「お父様‥‥お兄様‥‥」
今度こそ、セレナの瞳から止め処なく涙が零れ落ちた。多分、それは言うほど容易い事ではないだろう。努力しても望んでも叶わないかもしれない‥‥だが、それでも。
「今‥‥わたしは幸せ‥‥とても‥‥とても幸せに気持ち‥‥」
頬を伝う涙はそのままで、セレナは本当に幸せそうに微笑んだ。
「いつか‥‥あの空の下に‥‥あの空に‥‥」
そう思うだけでこんなにも、胸に希望が満ちていく。
「あのね、セレナ。私もね、空を飛んだ事があるの‥‥魔法や愛獣の背を借りて、だけどね」
クレアは、ユラヴィカと天龍を見て微笑むと、その背にある羽を見つめるセレナの頭を優しく撫でた。
「元気になって、春になったら‥‥一緒に遊びに行きましょう?」
「‥‥本当?」
「ええ。貴女の翼は、きっとあるわ」
その時、クレアは確かに感じていた。クレアの背、そこにともった小さな翼。今はまだ小さいけれど、いつかきっと‥‥これからきっと大きくなっていくだろう、翼。
希望という名の、翼を。