【王女のお忍び】後ろに立つカオスの魔物

■ショートシナリオ


担当:マレーア4

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:3 G 32 C

参加人数:8人

サポート参加人数:1人

冒険期間:02月11日〜02月16日

リプレイ公開日:2007年02月22日

●オープニング

●少し前――ウィエ分国、ウィウィ男爵領、領主の館
 爛々と灯りが点る部屋。ランタンの火に照らされて浮かび上がる調度品は、どれも一流のそれだ。
 ――ぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃ
 静謐な空気の中、淫靡な響きを伴った水の爆ぜる音がする。
「ああ‥‥レベッカ様‥‥レベッカ様‥‥」
 ――ぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃ
 熱を帯びた艶めかしい吐息を吐き、譫言のようにランの国の第一王女レベッカ・ダーナの名を囁き掛ける。
 それは天蓋付きのベッドの上で侍女の正装をだらしなく半脱ぎにし、横たわる一体の石像に身体を絡める、レベッカに仕える侍女グリーフィアだった。
「うふふ‥‥レベッカ様ぁ‥‥こぉんなに固くなって‥‥」
 石像の、古典的で重厚なドレスの上からも分かるよう象られた豊満な胸に自らの胸を押し付ける。石像の胸は当然だが全く崩れていないが、グリーフィアの双房はゴム鞠のように形を崩している。
 その姿はまるで、猫が臭い付けをしているかのようだ。
 グリーフィアはその像の頬を愛しげに撫で、不安そうにわずかに開かれた冷たく硬い石の唇に口付けの雨を降らせ、その中へ舌を滑り込ませる。グリーフィアの唾液に濡れそぼった瞳は、恐怖を体現するかのように見開かれて象られている、ランタンの光に照らされて鈍い光を放つ石の塊でしかない。
 そう、瞳も唇も胸も身体も石の塊でしかない。
「それでもお美しいレベッカ様は私のもの‥‥私だけのもの‥‥私がどれだけあなたをお慕いしているか、私がどれだけあなたを好きか、私がどれだけあなたを愛しているか、たぁっぷりとその身体に刻んで差し上げますわ」
 グリーフィアは身体を起こし、舌なめずりをしながら石像にそう語り掛けると、再び石像に身体を絡め始める。
 既に何時間、いや何十時間、繰り返したのだろう。それでもグリーフィアは一向に満足し、止める気配はなかった。
 爛々と赤く妖しく輝く瞳が、石像を楽しげに見据えていた。

『理性などという下らない枷を外してやれば、人間も所詮は獣。あの女も盛りの付いたメスそのものだな』
「くくく、欲望のままに赴く人間ほど見ていて滑稽なものはないよ」
 グリーフィアの痴態を、楽しそうに見つめる二つの双眸。
 一つは鷹の翼を背中に宿した大きな牡牛のもの。
 もう一つはチョッキ姿のジャイアントのもの。首から大きな銀のスプーンを毛深い胸元にぶら下げている彼は、ボボガ・ウィウィ男爵。ゴーレムチャリオットレースウィエ分国王チーム【ライトニングナイツ】のスポンサーだ。
 傍らに大きな牡牛が寝そべる椅子の背もたれに背を預け、肘掛けに置いた手には、10cmくらいの白い玉が二個握られ、手持ち無沙汰からそれをくるくると手の中に回している。
「それが一歩一歩破滅へ近付いているのだから尚更ね」
『全くだ。あのメスも自分が仕えている王女をあのような姿に変え、抑えてきた欲情をぶつけていると知ったら‥‥いや、ウィルとランとの戦争の火種を自らが付けたと知ったら、さぞ悔しがるだろうな』
 一匹と一人は笑い合う。
「ただ、一つ見落としがあってね。レベッカは貴族女学院に入学届けを出していたそうなんだ。これだと王女が行方不明になっても、しばらくはランの国から連絡が来る事はなだろうね」
『学園都市ウィルディアか‥‥それに選王会議が近い。エーロンも余計な政争の火種を自ら持ち込みたくないはず。となれば、入学手続きで時間を取っていると釈明出来るな』
「今の時期を選んで魂が大量に手に入れられる手駒は揃えたけど、エーロンもなかなかの切れ者だ。レベッカが行方不明になったと知ったら、いきなり最大のカードを切ってくる可能性もある」
『シュトリィよ、あのメスを我に預けぬか? エーロンが最大のカードを切ってくるなら、こちらも手駒を使わねば意味がない』
「そうだね。グリーフィアの魂の半分は僕が持っているから、君が固形化を使ったとしても、彼女を元に戻す前に死んでしまうだろうしね。それはそれで面白い展開になるよ、ザガム」
 人を人として思っていない一人と一匹の会話。
 喋る牡牛の名はザガム、カオスの魔物だ。そしてザガムが言ったように、ボボガもまたシュトリィという名のカオスの魔物に憑依されていた。
 そして、グリーフィアが愛でている石像は、ザガムのよってコールタールのような唾で塗り固められたレベッカ・ダーナその人だった。

●現在――王都ウィル、貴族街、ラッセ男爵家
 表向きは“お忍びの外遊”という理由で、ウィルを訪れたランの国の第一王女レベッカ・ダーナ。
 ランの国はアプト大陸の大国の1つであり、ウィルが有する月道と繋がった交易相手国でもある。彼女は前国王エーガン・フオロ以下、フオロ家の貴賓として扱われ、ウィルの案内役として新米騎士カティア・ラッセ(ez1086)が付けられた。
 レベッカはウィエ分国の貴族令嬢レフィーナを名乗り、冒険者達に一緒にウィルを散策する依頼を出した。彼女の真の目的はウィルの視察であり、特にゴーレム関連の技術を自分の目で見に来たようだ。近い将来、ゴーレムをランの国への輸入を考えての事だろう。
 レベッカは冒険者に案内されたウィルの散策を満足して別れた。しかし、依頼後、侍女グリーフィアと共に行方不明になってしまう。
 カティアはエーロン王にその事を包み隠さず報告し、レベッカ探索の任を受けると共にキャペルス四機とバガン四機、そしてフロートシップを一隻の使用許可をもらう。
 再び冒険者を募り、レベッカが逗留していた高級宿から調査を始め、手分けをして彼女のウィル散策時の足取りを追いながら、行方を探す。
 だが、行方不明になってから既に一ヶ月以上が経っており、残された手掛かりは少ないものの、その中から冒険者達はレベッカの行方に結び付くものを洗い出してゆく。
 レベッカが何者かに誘拐され、その誘拐にグリーフィアが関わっている事、そしてグリーフィアがボボガ・ウィウィ男爵と会っており、そのボボガは第四回ゴーレムチャリオットレースの辺りから性格が豹変しているらしい事を突き止めた。
 そんな冒険者達の前へ、探し求めていたグリーフィアが現れ、事もあろうに凶刃を振るう。「今のレベッカ様は私のもの! 誰にも渡さない!!」と思いの丈を叫びながら。
 しかし、グリーフィアはザガムと名乗る牡牛の姿をしたカオスの魔物によってコールタールのような唾で塗り固められてしまう。しかも、ザガムには冒険者達の攻撃が一度しか効かない。
 万策尽きた冒険者を後目に、グリーフィアを元に戻す方法を告げつつ、楽しそうに去ってゆくザガムだった。

 ザガムの唾によって石像のように塗り固められたグリーフィアの身体は、貴族街にあるカティアの家へ運び込まれた。
 この石化はザガムの特殊な力に依るもので、ストーンといった魔法の類ではない。ニュートラルマジックでは元に戻す事が出来ない。
「ザガムは“一旦火を付けて水を掛け火を消せば元に戻る”と言っていたけど‥‥」
「駄目です、地球ではコールタールを溶かすのにかなりの高温が必要ですの。そんな事をしたら、この人が死んでしまいますわ!」
 カティアがザガムの言葉を思い出すと、グリーフィアの容態を診ていた“白衣の天使”彩星・巴が猛反対する。地球で看護師をしていた巴はカティアにその腕が買われ、客分として住まわせてもらっていた。
 ザガムや巴が言うように、この方法ではグリーフィアが耐えられない。
「レベッカ様を誘拐したのは、カオスの魔物に操られていたグリーフィアさんだと仮定して‥‥グリーフィアさんは確か、宿を出る際、大きな荷物を持っていたんだよね。部屋にはベッドから入り口まで重い荷物を引きずった跡が残っていて、グリーフィアさんを固めてしまったザガムのコールタールの唾‥‥!? レベッカ様はグリーフィアさんと同じように、宿の部屋でザガムに固められて、荷物として運ばれたのかも知れない! そうだとして、問題は何時グリーフィアさんがカオスの魔物に操られた、もしくは憑依されたかだけど‥‥ボク達が最後にグリーフィアさんを見たのはWカップ会場だから、その後、と見るべきだよね」
 冒険者に協力してもらって集めた情報をまとめ、推理するカティア。
 グリーフィアだけではなく、レベッカも固形化されているとしたら、元に戻すにはやはりザガムを倒すしかない。

 そしてザガムはどこにいるのか?
 カティアは一つの答えを導き出すと、家を飛び出して冒険者ギルドへ向かい、その後フロートシップのドックへ向かうつもりだった。

●今回の参加者

 ea0760 ケンイチ・ヤマモト(36歳・♂・バード・人間・イギリス王国)
 ea1458 リオン・ラーディナス(31歳・♂・ファイター・人間・ノルマン王国)
 ea1565 アレクシアス・フェザント(39歳・♂・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea1681 マリウス・ドゥースウィント(31歳・♂・ナイト・人間・ノルマン王国)
 eb4097 時雨 蒼威(29歳・♂・天界人・人間・天界(地球))
 eb4248 シャリーア・フォルテライズ(24歳・♀・鎧騎士・エルフ・アトランティス)
 eb4333 エリーシャ・メロウ(31歳・♀・鎧騎士・人間・アトランティス)
 eb4344 天野 夏樹(26歳・♀・天界人・人間・天界(地球))

●サポート参加者

フェリシア・フェルモイ(eb3336

●リプレイ本文

●カオスの魔物の誘惑
「ここがカティアちゃんのマイホームかぁ」
「護民官様をお通しするには些か不相応の小ささですが、どうぞ」
「いやいや〜、女の子の家に招待されるだけで、オレのハートはドキドキだよ」
 鎧騎士カティア・ラッセ(ez1086)は、“護民官”リオン・ラーディナス(ea1458)達と冒険者ギルドで待ち合わせをし、貴族街にある自分の家へ招いた。
 カティアは男爵位なので、本人が言うように家はそれ程大きくはない。しかし、天界から召喚された天界人達を精力的に保護しているので、部屋数は家の規模の割には多い。
「洋館のちょっとした下宿って感じだな」
「私もこんな素敵な洋館に下宿で良いから住んでみたいなー。『お嬢様』とか呼ばれて。メイドとかいっぱいいるんでしょ?」
 「何ドキドキする展開を期待しているんだ?」と視線でリオンに訴え掛けつつ、天界人の時雨蒼威(eb4097)は通された応接間を軽く見回す。こぢんまりとした応接間だが、イスや数は少ないものの調度品の趣味は良い。天界人の天野夏樹(eb4344)は胸の前で手を組み、満天の星空のように瞳をきらきらと輝かせて感嘆の溜息を付いた。
「いえ、侍女を雇う程の働きはしていませんし、鎧騎士になる前の従騎士時代に一通りの家事の下積みはしていますから、自分の事は自分でしていますよ」
「侍女に身の回りの世話をしてもらうのは、男爵位でも広大な領地を持っている貴族か、子爵位以上の貴族だな」
 しかし、現実は夢のようにはいかない。カティアが身の回りの事は自分でしている事を告げると、“ルーケイ伯与力の男爵”シャリーア・フォルテライズ(eb4248)も頷く。物語に登場する貴族のような暮らしが出来るのは、一握りの貴族だけだ。
「でも、カティアさんは私達地球人を保護して下さっていますから、私達も身の回りの世話をさせてもらっていますわ」
「お久し振りです、トモエ殿」
 そこへピンク色のナース服を着た女性が、トレーに湯気の立つカップを載せて持ってくる。“白衣の天使”彩星巴と知人の鎧騎士エリーシャ・メロウ(eb4333)は、腰を浮かしてトレーを受け取り、全員にカップを配った。
 カティアは侍女は雇っていないが、住んでいる天界人達が率先して家事を手伝っているので必要ないようだ。
「トルク家の男爵に、ルーケイ伯爵とは‥‥この錚々たる顔触れを見る限り、捕らわれの身の女性、レフィーナと言いましたね、只者ではないですね。ノルマンで言えば、オスカー様に相当する人物とお見受けしましたが」
 紅茶で口を湿らせた後、ナイトのマリウス・ドゥースウィント(ea1681)がそう切り出す。彼には『ウィエ分国の貴族令嬢レフィーナ』の救出としか伝えられていない。それはバードのケンイチ・ヤマモト(ea0760)も同じだ。
「済まない、マリウスに多くは語れないが、レフィーナはノルマン王国で言えばオスカー様以上の地位にあるお方、と思ってくれて構わない」
「なるほど、それならこれ程の大掛かりな救出作戦も頷けますし、私達の責任は重いですね。気を引き締めて掛からなければなりません」
 同じノルマン王国出身のナイト、アレクシアス・フェザント(ea1565)が説明すると、納得がいったように頷いた。
「どうでした?」
「間違いなく、ザガムの『固形化』の能力です。リカバーもニュートラルマジックも効果はありませんでした」
 すると扉が開き、クレリックのフェリシア・フェルモイが俯き加減に入ってくる。彼女を招いたエリーシャが聞くと、フェリシアは沈痛な面持ちで頭を横に振った。フェリシアは今まで、カオスの魔物ザガムのコールタールのような唾によって石像のように塗り固められ、寝室のベッドの上に安置された、ランの国の第一王女レベッカ・ダーナの侍女グリーフィアの容態を診ていた。
「ザガムが言ったように、ザガムを倒すしかないのですね」
 ケンイチが確認するとフェリシアは頷く。蒼威が携帯電話のカメラ機能を使って撮ったザガムの写真のお陰で、フェリシアはザガムの仕業だと確実に特定する事が出来た。
「ですが、ただ倒すだけではダメです。先程、リカバーを掛けた時に分かったのですが、グリーフィアさんはデスハートンと呼ばれるカオスの魔物の魔法で魂を半分以上取られています。固形化が解けたとしても、グリーフィアさんの魂を取り戻さない限り、目覚める事はないでしょう」
「デスハートンか‥‥便利な魔法だな。1人の人質を二分割に出来る。使わない手は無いな、普通は」
「ま、待って下さい! という事は、ザガムの手に落ちているレフィーナさんの魂も!?」
「‥‥ザガムか、シュトリィによって既に魂を抜かれている、と思った方がいいね。女の子の身体ばかりか、魂を弄ぶなんて許せないよ!!」
 フェリシアから【デスハートン】の説明を聞いた蒼威が利用例を告げると、ケンイチは否や予感が拭えない。相手はカオスの魔物だから、こちらが考えている事は既にしているだろう、と思うと、リオンは心の底から怒りが込み上げてくる。
「いえ、身体と魂だけではありません。仮令どのような想いを秘めていても、グリーフィア殿は貴族令嬢の侍女たるに充分な、己を弁えた方。それを暴き出し、人の本性と嘲る‥‥汚らわしきカオス共を決して許しません!!」
「グリーフィア様に掛けられているのは、シュトリィの『魅了』でしょう。シュトリィは美しい女性を自分の虜にし、破滅へ導くのを好むカオスの魔物です」
「グリーフィアの豹変は、そのシュトリィというカオスの魔物を倒せば解けるのだな?」
 グリーフィアはおそらく、レベッカに親愛の情以上の感情を抱いていたと思われる。だが侍女である以上、それを抑え、レベッカの為に尽くしてきた。その心を利用して暴走させ、弄ぶシュトリィに流石のエリーシャも怒りを露わにする。
 シュトリィの魅了の能力についてアレクシアスが聞くと、フェリシアは頷いて答えた。
「レフィーナを救出する為にも、グリーフィアを元に戻す為にも、カオスの魔物を倒さなければならないが、ボボガ卿の関与もカオスの魔物達の仕業と考えられないだろうか? 人心を惑わし、災厄を招かんとするカオスの魔物‥‥戦争以外にも火種を撒いている可能性はあるが、月道開放までに何としてもレフィーナを保護しなければな」
「はい、帰国予定から1ヶ月以上経っています。次の月道でも音信不通なら、国許が不審を抱くは必定。必ずやお救いせねばなりません」
「先日、実際に戦ってザガムの強さは分かったが、シュトリィはより強いだろうか?」
 アレクシアスとエリーシャがレフィーナを救出する決意を新たにする傍らで、シャリーアが先日のザガムとの戦闘を振り返りながらフェリシアに聞く。彼女はザガムやシュトリィは【エボリューション】といったカオスの魔物の魔法を使う事を教え、加えて、シュトリィは月の精霊魔法も使いこなす事を付け加えた。
「アレクシアスを凌駕する実力の持ち主ですか‥‥“名持ち”は伊達ではないという事ですね」
 マリウスは思わず唸った。今までウィル近郊に現れたカオスの魔物は、名前を持っていなかった。だが、今回のザガムとシュトリィは名前を持っている。それだけで『格』が違うと言えよう。ザガムは高速詠唱が使えるようで、中級のカオスの魔物ながら強敵だろう。シュトリィはカオスの魔物の中でも上級に位置するという。 
「ちょっと聞いて欲しい。敵はレフィーナさんの顔立ち、ウィルへの来訪に至るまで知ってた訳だ」
 これからフロートシップへゴーレムグライダーを搭載する作業や、フロートシップでウィエ分国に入国する際の手続きをエーロン王に根回ししてもらうので、全員が席を立とうとすると蒼威が引き留めた。
「それだけの事をザガム一体で、且つ短時間で集められるなら、世界はとうに滅んでるだろうよ。計画は前から準備していたはず」
 蒼威は携帯電話を弄り、ザガムの写真を見ながら淡々と話を続ける。
「入念に情報を集め、計画を立て、実行できるだけの人員がいなければ、今回の計画は先ず無理だろう。つまりカオスの魔物は組織として行動している。ザガムはその先兵に過ぎない、という事だ」
「レフィーナさんの誘拐事件はつい最近だけど、ボボガさんの、スィーツ・iランドへのスポンサー契約の一方的な打ち切りとかは、かなり前からあったよ。つまり、ボボガさんはその頃から正気じゃないって事?」
「おそらくはその頃に、カオスの魔物に憑依された可能性が高いな。ゴーレムチャリオットレースのスポンサーをしていれば、少なくとも一介の貴族よりは対外的な情報が入ってくるはずだ。そこにカオスの魔物は目を付けた可能性も十分考えられる」
 夏樹の記憶が正しければ、ボボガ・ウィウィ男爵は、第5回ゴーレムチャリオットレースの時点で【ライトニングナイツ】のチームディレクターを辞任している。これは去年の9月末から10月に掛けての事だ。この後、ファミリーレストラン『スィーツ・iランドinウィル店』は開店を間近に控えながら、ボボガからの資金提供を打ち切られたどころか、汚名を着せられた上に閉店へ追い込まれるような、採算無視とも言える競合相手への出資をされている。
 夏樹からしても人が変わったようにしか思えない。蒼威の推測が正しければ、今回の事件は既にその頃から火種が蒔かれ始めていた事になる。
 それだけではない。貴族を利用しているという事は、カオスの魔物はウィルを物理的にではなく、内部へ、政治へ入り込もうとしている節が見られる。
「グリーフィアさんの性癖については‥‥これはまぁ、偶然だろうな。フェリシアさんの話を聞く限りだと、シュトリィは元々女性を魅了するのが得意だそうだから、グリーフィアを利用しようとして、たまたまグリーフィアがそういう性癖を持ってたのが災いして利用されてしまったんだろう、うん」
 流石にカオスの魔物でも、人の心まで読む事は魔法でも使わない限り出来ない。蒼威の言うように、グリーフィアからすれば秘めた想いを暴露させられた、とばっちりとしか言いようがない。

●兵は神速を尊ぶ
 蒼威の推測と携帯電話の画面に映されたザガムの写真、これらを踏まえ、シャリーアとカティアはフオロ城へ登城し、エーロン王にゴーレムを搭載したフロートシップでウィエ分国へ入国できるよう、ウィエ分国王エルートへの親書を認めてもらう。
 親書を賜ったシャリーアは、その足で自分のゴーレムグライダーを駆り、一足先にウィエ分国のエルート王の元を訪れ、親書を渡してフロートシップによる入国の理解を求める。
 親書の詳しい内容は彼女も知らされていないが、エルート王もカオスの魔物が自国内に蔓延っているのは良しと思わず、ゴーレムを搭載したフロートシップによる入国の許可を出した。

 その頃、エリーシャ達はフロートシップのドックで、空戦騎士団のゴーレムグライダーを搭載する準備を進めていた。今使用しているシャリーアのゴーレムグライダーも搭載するので、2騎のバガンを降ろし、エリーシャのゴーレムグライダーを替わりに積載する。
 建造途中なのだろうか? それとも事前に悶着の芽を摘むためだろうか? このフロートシップにエレメンタルキャノンが搭載されていなかった。
「キャペルスの武具は銀製の物を、と思ったのですが」
「キャペルス自体が銀製だものね」
 ゴーレムの標準的な武装は鋼鉄製の長剣と盾で、それはキャペルスも同様だ。銀製の武器はもちろんの事、弓といった飛び道具も基本的には無い。必要とあれば操縦者が都合を付けるのだが、今回に限っては如何せん時間が無い。
 エリーシャは残念がるが、夏樹が言うようにキャペルス自体が銀製なので、殴ったり蹴ったりしても、カオスの魔物に十分効果はあるし、バガンもエレメンタルフィールドが発動している間は魔法が付与されている状態なので、同じく格闘戦でカオスの魔物にダメージを与えられる。
 シャリーアは自前で強弓「十人張」とシルバーヘッドスピアを用意したが、十人張はキャペルスでも十分使えるし、シルバーヘッドスピアは人間で言えばレイピアやエストックのように使えるだろう。

「そろそろ本当の事を話して下さいませんか?」
 ケンイチは一人、みんなから離れ、カティアと相対していた。レフィーナが国賓級の人物である事は、先のザガムとの戦いやアレクシアス達の行動を見ていれば、薄々気が付いている。
 にも関わらず、カティアの口からレフィーナの正体について語られる事はなく、彼はやきもきしていた。
「自分の役割はきちんと果たしますし、守秘義務も守ります。不安ならば誓約書を書き‥‥」
「いえ、そうではありません」
「ならば、何が足りないと言うのですか?」
「‥‥行動です」
 ケンイチに聞かれたカティアは、しばらく躊躇った後、正直に切り出した。
「行動、ですか?」
「申し訳ないですが、ケンイチさんの行動は皆さんの受け身になっていて、自分からレフィーナさんを助けたい、という気概が伝わってこないのです。もちろん、ケンイチさんは信用していますし、行動の善し悪しで気概を計っている訳ではありませんが‥‥」
「‥‥何となく分かります。確かに言われる通り、私は皆さんに比べると、今一歩、踏み込みが足りないのかも知れません。今回は諦めますが、次にレフィーナさんとお会いする時は、本当のお名前を聞かせてもらえるよう全力でぶつかっていきます」
 カティアの言いたい事が何となく分かり、ケンイチは今回は諦めた。
 そこへシャリーアが帰還し、エルートから許可が出た事を告げると、フロートシップはウィルより出港するのだった。

●結末
 ウィエ分国領空に入り、しばらくするとウィウィ男爵領へ到着した。
「エーロン王の根回しの他にもウィウィ男爵領へ来訪する理由が欲しかったから、プブリン子爵達ゴーレムチャリオットレースのチームディレクターに会ってきたんだが」
 蒼威はゴーレムの積み卸し作業中に貴族街へ出掛け、チームディレクター達からボボガ男爵宛ての励ましの手紙をもらってきていた。
「その際、雑談程度につい最近までのボボガ男爵の様子を聞いたんだけど、ウィルの貴族街の屋敷はとうに引き払ったそうだ」
 引き払ったのは去年の10月。やはり、【ライトニングナイツ】のチームディレクターを辞任した後だ。
「そればかりか、屋敷を引き払う前後から侍女を多く雇い入れるようになったらしい。チームディレクターの間では、寂しさを紛らわせているのでは? と言う噂が飛び交っていたな」
「それはエルート陛下も危惧されておりました。ボボガ男爵は領地の女を侍女として差し出させ、囲って女遊びをしているのではないか、と」
 蒼威の聞いた噂話を後押しするかのように、シャリーアもエルート王より似たような話を聞いていた。
「な、何て羨ましい事をしているんだ! ‥‥嫌だなぁ、緊張を解す為のジョークだよ、ジョーク。その話が本当なら、シュトリィの魅了を考えると、ボボガ男爵は侍女を囲っているんじゃなく、自分の私兵にしているっぽいな。ボボガ男爵‥‥いや、シュトリィの命令しか聞かない罪のない侍女達か。女の子達に囲まれて普通にもみくちゃにされるなら諸手を挙げて大歓迎だが、ナイフで刺されまくるのはゾッとするな」
 リオンは思わず本音が出てしまう。
「これなら気絶させるだけで済むよ」
「ありがとう。操られているとはいえ、女の子に手を上げるのは、“愛の狩人”のする事じゃないからね」
 仕切り直してボボガ男爵が女性達を雇い入れる真意を推し量る。それを聞いた夏樹は彼にスタンガンを貸し、リオンはウインクでお礼。

「護民官のリオン・ラーディナスだ。ボボガ男爵にお目通りを願いたい」
「お約束や書状は?」
「無い」
「約束はしてないけど、プブリン子爵達ゴーレムチャリオットレースのチームディレクターから親書を預かってきていてね。手渡しして欲しいって頼まれているんだ」
 ボボガ男爵邸の扉をリオンが叩くと、扉が開き、侍女が笑顔で出迎える。
 カティアから事前に、『護民官の権限は王都ウィル内だけ』と確認しているが、王都ウィル外でも貴族相応の扱いを受けるので名乗っておく。もちろん、突然の訪問だとキッパリと言い切るが、そこは蒼威が上手く理由を付ける。
 侍女は「少しお待ち下さい」と一旦扉を閉め、しばらくすると
「ボボガ様はお会いになられるそうです」
 とリオン達を中へ招き入れた。
 屋敷の中は意外と小綺麗だ。同じ男爵位とはいえ、領地を持つボボガ男爵と持たないカティアとの差だろうか。かつ、彼は領地経営が巧みだったのだろう。何れにしても屋敷の中はカティアのそれより遙かに広く、部屋数も多かった。
 しばらく歩くと食堂へと通された。応接間ではなく食堂。大食漢で知られるボボガ男爵らしいといえばらしいが‥‥。
「護民官リオン・ラーディナス様をお連れしました」
「ご苦労」
 リオン達を案内した侍女に労いの言葉を掛けると、ボボガ男爵は下がるよう手で指示する。
 ジャイアントのボボガ・ウィウィ男爵はチョッキ姿で、毛深い胸元に大きな銀のスプーンを首からぶら下げている。それは、ゴーレムチャリオットレースの時と何ら変わりはない。
 変わりがあるのはボボガ男爵の周りだ。10名近い侍女を侍らしている。
「これはこれは護民官殿、遠路遥々良くお越し下さいました。わたくし宛のお手紙を預かっているとの事ですが」
 髭もじゃの顔に穏やかな表情を浮かべる。だが、リオンは生理的にその笑顔が受け付けない。
(「こいつは女を泣かす、女ったらしのいけ好かない笑顔だ!」)
 流石フラレー! 笑みだけでそこまで見破るとは! もっとも、嫉妬もかなり混じっているように思えるが。
「こちらです」
 蒼威より封書を受け取ったマリウスがボボガ男爵に近付く。その時、左手に指に嵌めた指輪の、大粒の宝石の中に刻まれた蝶がゆっくりと羽ばたき始める。それはボボガ男爵に一歩一歩近付く度に羽ばたきを激しく増してゆく。
(「間違いないです。ボボガ男爵にはカオスの魔物が憑依しています」)
 石の中の蝶の反応を以て確信したマリウスは、カティア達に目配せすると、アレクシアス達の連絡を待った。

 マリウス達より後れる事数10分後、アレクシアスとケンイチが屋敷の中へ潜入した。
 尚、アレクシアスは、カティアの家を出る時から、フェイスガードで顔を、サーコートを纏って鎧に刻まれた勲章を隠し、別人として振る舞っている。自分の立場を考え、後日問題が起きない為の配慮だ。アレクシアスと旧知の仲でもなければ、容易に彼だとは気付かないだろう。
「デスハートンで魂を抜かれている可能性もあるから、この方法も危険を伴うが、四の五の言ってられないな。ケンイチ、レベッカ・ダーナ、女性、人間、でムーンアローを唱えてくれ」
「了解です(レフィーナさんの本名は、レベッカ・ダーナ、と言うのですね)」
 デスハートンで魂を抜かれていると、ムーンアローの一撃ですら致命傷になる危険性もあったが、リオン達が囮になっている以上、この広い屋敷を虱潰しに探している時間もない。
 アレクシアスはケンイチにムーンアローでレベッカを探すよう頼んだ。この屋敷にいるレベッカは一人しかいないと思うので、ランの国の王女という事は伏せてあった。
 ムーンアローの光は屋敷の奥へと飛んでゆく。途中、侍女と出くわし、ダガーで襲い掛かられる事が何度かあったが、アレクシアスはその度に躊躇う事無くスタンアタックで気絶させてゆく。
 ムーンアローが消えていった部屋の扉をケンイチが指し示す。アレクシアスが扉に手を掛け、そっと開けると、ムーンアローが飛び込んできて驚いている侍女が二人いた。
 アレクシアスはサンソード「ムラクモ」の峰打ちで、ケンイチはスリープで侍女達を眠らせた。
「まさか、本当に石に変えられていたなんて‥‥」
「様子から察するに、ウィルの宿屋で固形化されたようだな‥‥」
 天蓋付きのベッドの上に、レベッカ・ダーナの石像がひっそりと横たわっていた。その瞳は上目遣いに大きく見開かれ、口は不安そうに、おそらくグリーフィアの名前を呟いた形のまま開かれている。仰向けになり、上半身をわずかに上げた姿は、何かに追い詰められ、後退ったように見える。
 実際に宿屋の部屋を検分したアレクシアスとケンイチは、その姿からベッドの乱れをが思い当たった。グリーフィアに憑依したザガムによってベッド近くで固形化されたのだろう。
(「ウィルがレベッカ姫を攫ったと見せ掛けて、ランと戦争を起こす人質だからか? それではまるで、カオスの魔物がウィルの内部崩壊を狙っているようではないか!」)
「アレクシアスさん? 蒼威さん達に連絡を取りますが?」
「あ? ああ、頼む」
 アレクシアスはカオスの魔物の蒔いた火種の、別の方向性を思い付いていた。ケンイチに呼び掛けられて我に返ると、レベッカの像を背負い、フロートシップへと向かうのだった。

「男爵、面白いものをお見せしましょう。これは天界より持ち込んだ魔法の指輪で、カオスの魔物に近付けば近付く程、宝石の中に刻まれた蝶の羽が羽ばたきます。ほら、この様に‥‥」
 ケンイチからテレパシーでレベッカの像を救出した知らせを受けたマリウスは、指輪を嵌めた左手を前に差し出しながらボボガ男爵に近付いた。よく見れば、ボボガ男爵の手には白い珠が握られている。おそらくグリーフィアかレベッカのデスハートンで抜かれた魂だろう。
 次の瞬間、彼を中心に足下の影が爆発した。マリウスとリオンが吹き飛ぶ。
「茶番はここまで、という事だな」
「こちらはとうにお前の正体に気付いているんだよ」
「女を侍らすのは一流でも喧嘩は三流か。今キミと対峙しているのは、徒の人間の男なんだが?」
 ボボガ男爵が立ち上がる。蒼威は長弓「鳴弦の弓」の弦を掻き鳴らし、リオンはスタンガンを構えてボボガ男爵を肉薄しようとするが、10人の侍女が行く手を阻む。
「どいてくれ! キミ達は操られているだけなんだ!! オレは君達は、女の子は斬れないんだよー!!」
 リオンの実力なら素人同然の侍女達を切り伏せる事など造作でもない。だが、彼女達はシュトリィに操られている何の罪もない女性達なのだ。リオンがそんな彼女達に手を上げられるだろうか!?
 だが、ボボガ男爵は平気でシャドゥボムを撃ってくる。リオンやマリウスの近くにいる侍女達も無差別に、だ。
「どうだい、その女達は殺せないだろう? だけどね、ぼくは殺せるんだよ」
「卑怯な!」
「それは誉め言葉だよ」
 攻めあぐねるマリウス達。蒼威が鳴弦の弓を掻き鳴らし続け、シュトリィの力を抑えてはいるが、専門ランクのシャドゥボムの威力は抜群、確実にじり貧だ。
「その音は耳障りだね」
「ぐは!?」
 シュトリィのシャドゥボムは、鳴弦の弓を掻き鳴らし続ける蒼威にも襲い掛かる。彼は直撃を受けて、壁まで吹き飛ばされ、鳴弦の弓を取り落としてしまう。
「聞いているようだが、鳴弦の弓だけでは憑依は解けないようだな‥‥ん? この壁、崩れ掛けているぞ?」
 頭を振って意識をはっきりさせると、蒼威は鳴弦の弓の行方を探す。すると、自分が吹き飛ばされた壁が崩れ掛けている事に気付いた。
 鳴弦の弓が鳴らなくなった事で、シュトリィの意識は自分から外れている。
 蒼威は転がっている瓦礫で壁をより壊してゆく。
「‥‥これは‥‥死体、じゃないよな‥‥女の人の‥‥石像か?」
 部屋の灯りが差し込むようになると、そこは隠し部屋で、梳った長い髪の女性の石像がひっそりと佇んでいた。蒼威ですら思わず息を呑んでしまうくらい美しい少女だ。地球の日本の着物に似た服を纏っている。頭をわずかに垂れて身体を竦ませ、何かの衝撃に耐えている姿を象っている。
「‥‥この子もザガムの固形化で石像に変えられたっぽいな‥‥しかし、何でこんなところに隠してあるんだ?」
 その時、アレクシアスとケンイチが雪崩れ込む。
 ケンイチはムーンアローをシュトリィへ放つ。ムーンアローは憑依しているシュトリィへ直接ダメージを与えられるが、威力は高くなく、憑依を解く事は出来ない。更にシュトリィ自身が月の精霊魔法を使う事もあり、抵抗力は高いようだ。加えて、カオスの魔物定番の【エボリューション】が既に掛かっており、最初の一撃で憑依が解けなければ二撃目以降は効果がなかった。
 アレクシアスは二刀構えているが、一振りずつ使用してゆく。
(「オレがダメでもアレクシアスがいる! 彼がトドメをさせればそれでいい。オレは侍女達を引き付ける!」)
 彼らが参戦した事で、リオン達も息を吹き返す。
 リオンはスタンガンで一人また一人と侍女達を気絶させ、カティアが抱いて避難させてゆく。
 アレクシアスはボボガ男爵が憑依状態なのを見て、まずムラクモを鞘に入れたままスタンアタックを仕掛けるが、倒れない。
 最悪の事態を想定して、ボボガ男爵ごと攻撃してゆく。一撃ごとに武器が効かなくなるので、ムラクモからサンソード「ムラサメ」、ダガー「雷光」へと持ち替えてゆく。
 マリウスも聖剣「アルマス」からファングブレード、野太刀、刀、レイピア、サンショートソード、シーマンズナイフへ、リオンも破邪の剣から霊剣「ミカヅチ」、ワイズマンナイフへと切り替えてゆく。
『このカオスの魔物は‥‥非常に強力です‥‥今なら‥‥わたくしの身体以上の事は出来ません‥‥わたくしごと‥‥倒して下さい‥‥』
「ボボガ男爵‥‥心得た!」
 憑依されているボボガ男爵の声が聞こえる。カオスの魔物には銀製か魔法の武器しか効かないが、ボボガ男爵に憑依している以上、人間としてダメージを与えられるのだ。
『ウィエ分国王チームのディレクターの任を解かれ‥‥その隙をカオスの魔物に衝かれたわたくしの失態は‥‥わたくし自身が責任を取ります‥‥』
「や、止めろ!」
『ウィエの騎士の誇り‥‥最期に見せてあげます‥‥』
 蒼威が鳴弦の弓を掻き鳴らしてシュトリィの気を逸らし、アレクシアスとリオン、マリウスとケンイチが同時に攻撃を仕掛ける。それがシュトリィとボボガ男爵の最期の言葉となった。

『コノ船ゴトレベッカヲ壊セバ、ソレハソレデ楽シソウダナ』
「ザガム!」
 フロートシップの甲板に、鷹の翼を背に生やした大きな牡牛が姿を現す。
 エリーシャとシャリーアは即座にキャペルスを起動させ、迎撃に当たる。向こうから来ているのだ、既に【エボリューション】は使用済みだろう。こちらの手数が限られている以上、一気に討ち取るしかない。
 エリーシャがパンチを仕掛け、遅れて起動させた夏樹がフェイントを交えてキックを繰り出す。ボディ自体が銀製という事もあり、ザガムにダメージを与えているようだ。
 ザガムの攻撃はエレメンタルフィールドによって緩和されるものの、それでもキャペルスを傷つけてゆく。
「うわ!? これって銀製だよねぇ? 壊しちゃったら弁償とかするのかな?」
「それは倒してから考える!」
 もうパンチやキックは効かない。エリーシャはショルダータックルを放ち、夏樹はボディプレスで押し潰す。
「これで‥‥終わりだ!」
『コ、コレガゴーレムノ力カ‥‥ヤハリゴーレムヲ作ッタウィルハ‥‥崩壊サセネ‥‥』
 シャリーアのキャペルスが十人張から矢を放つ。着矢するまでの間、魔法の効果を得るそれは、寸分違わずザガムを射抜いたのだった。

 キャペルスに乗っていた夏樹達は無傷だったが、シュトリィと戦ったリオン達はケンイチを除いて深手を負っており、ポーションで応急処置を済ませる。
 シュトリィに操られていた侍女達は、シュトリィを倒す事で正気に返った。だが、操られていた時の事は覚えており、後々、精神的なケアが必要だろう。
 そしてシュトリィと共に散ったボボガ男爵の死は、『カオスの魔物から国を守った英雄』としてエルート王によって処理される事となる。彼の領地はエルート王へ返され、彼が資金提供していたスィーツ・iランドinウィル店へ、遺産の何割かが贈与される事が決まった。これでシュトリィによって妨害されていた開店も可能になるはずだ。

 ザガムを倒した事により、レベッカの身体を蝕んでいた固形化も解かれた。
 アレクシアス達がフロートシップ内の、レベッカの像が横たえられた簡易ベッドへ戻ると、レベッカの身体はゆっくりと本来の色彩と瑞々しい肌、柔らかな布触りを取り戻していった。
 だが、恐怖に彩られて見開かれた瞳に、一向に意志の光が灯る様子はない。
「魂が戻っていないからでしょうか?」
 マリウスがシュトリィから取り戻したレベッカの魂を差し出す。これを飲ませるしかないが、レベッカは気を失っており、自分では飲み込めない。
「‥‥ど、同性はノーカウントですよね!?」
 エリーシャが全員に聞くと一斉にコクコクと頷いた。ファーストキスの事を気にしているようだ。流石にリオンも一国の王女が相手となれば「自分が!」と立候補できない。
「‥‥で、では‥‥せ、僭越ながら、私が、レベッカ様の魂を取り戻す重要な任を承ります‥‥う、うん‥‥」
 エリーシャは自分に言い聞かせるように反芻すると、リカバーポーションを軽く口に含み、レベッカの魂と共に口移しで飲ます。すると、レベッカの喉が動き、魂を飲み込むのが分かった。
「‥‥か、身体が石に‥‥あら?」
「お目覚めですか、レフィーナ? ご無事で良かった」
「アレクシアス? どうしてわたくしの部屋に? ‥‥それにわたくし、グリーフィアの接吻を受けて‥‥身体が石に変わっていって‥‥あら? ここはどこですの?」
 レベッカの記憶はグリーフィアに憑依したザガムに固形化された時から止まっていたようだ。それが動き出した途端、場所は宿屋の部屋ではないし、目の前にアレクシアス達がいるのだから軽く混乱するのも無理はない。
「ウィルへ帰る間にお話ししましょう。その前に、まずは自己紹介をしなければなりませんね」
 マリウスがノルマン騎士の礼を取って微笑み掛けた。

 ボボガ男爵に仕えていた侍女同様、グリーフィアも魅了されていた時の記憶はしっかりと持っていた。
 エリーシャが魂を飲ませて気が付いた彼女は最初、レベッカと会うのを拒んでいたが。
「レベッカ様に私の想いを知られたどころか、無礼の数々を‥‥もう会わす顔がありません」
「グリーフィア‥‥ごめんなさい、あなたの気持ちに気付かなくて‥‥でもわたくし、あなたに愛されていて、とても嬉しいのですわよ?」
「レベッカ様‥‥も、申し訳ございませんでした」
 レベッカの本心を聞いて、グリーフィアはこれからも彼女に誠心誠意仕えていく決意を固めるのだった。

 今回のザガムとシュトリィが引き起こした事件の全貌をマリウス達から聞いたレベッカは、エーロン王に謁見して礼を述べ、これからもウィルとランの国が変わらない関係を保っていきたいと改めて告げた。
 月道に見送りに来たケンイチとリオン、アレクシアスとマリウス、時雨達へバラのマント留めが、シャリーアとエリーシャ、夏樹達女性陣にはローズ・ブローチがレベッカよりささやかなお礼の品として贈られた。着ている愛用のドレスを見れば分かる通り、彼女はロゼ色が好きだ。バラのマント留めとローズ・ブローチも、彼女の重厚で古典的なドレスに合わせた色彩になっている。
「正式な爵位や騎士の称号ではありませんが、あなた達に“レベッカ・ダーナの騎士”の名を与えますわ。また、ウィルを訪れる事がありましたら、その時もよしなに」
 レベッカはリオン、アレクシアス、蒼威、シャリーア、エリーシャの名を呼んで手を差し出し、口付けをもらうと、そう告げてランの国へと帰っていった。

 ――蒼威がボボガ男爵の館の隠し部屋で見付けた少女の石像。
 彼女もザガムの固形化によって石像に変えられていた一人だった。
 フロートシップへ保護された後、レベッカ同様、生身に戻ったが、何故かデスハートンで魂は奪われておらず、代わりにウィルに着いても目覚める事はなかった。
 レベッカが帰国後、カティアの家に保護された彼女は目覚める。
「私の名前は‥‥セーラ‥‥セーラ・エインセル‥‥それ以外は思い出せない」
 記憶を喪った少女セーラ・エインセルは、そのままカティアの家に住む事になったが。
 彼女を巡って新たな歯車が動き始めようとしていた。