まさかの時の友〜さくら色の誘惑
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■ショートシナリオ
担当:マレーア4
対応レベル:8〜14lv
難易度:難しい
成功報酬:4 G 15 C
参加人数:10人
サポート参加人数:7人
冒険期間:04月09日〜04月14日
リプレイ公開日:2006年04月15日
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●オープニング
『あなた‥‥本当に、来てくれたの‥?』
「もちろんだ。もう離れない。ずっと、君の側にいさせてくれ‥‥」
『‥‥嬉しい。ずっと、ずっと寂しかったの‥‥』
「ねえねえ、お兄ちゃん、お姉ちゃん。一緒にお花見に行かない?」
変わった常連の明るい誘い声に、おいおい、と言いながら係員は肩をすくめた。
少女ツキカはこうして時々大好きな冒険者の顔を見に来るのだ。
天界にいたころに通っていた学び舎に今は行く必要も無い。大事な親友は病気療養中。
退屈しきっているこの子は今に冒険者ギルドを遊び場と勘違いするのではなかろうか、などと本当になりかねない考えを頭から払って少女に声をかける。もちろん笑顔で。
「花見ってどこにいくつもりなんだ?」
軽い気持で聞いた質問の答えに係員は目を瞬かせる。彼女が行きたいという場所はウィルの街外れの森のかなり最奥に位置する。大人の足でも歩いて丸一日はかかるだろう。日帰りのお花見、というレベルのものでは当然無い。
「なんだって花見にそんな山奥まで行かなきゃならないんだ。花なら街の近くにいくらでも‥‥」
チッチと指を振ってツキカは笑う。その顔は解ってないなあ書いてある。
「あのね、日本、あ、こっちでは天界地球って言うんだっけ? そこではお花見っていうのはその花だけに使うってくらい特別な花があるの。サクラって言うんだけどピンク色でとっても綺麗なんだよ〜。見ているだけでドキドキして、それでどっか切なくなっちゃうの」
自慢げに微笑む笑顔はそれこそ桜色で幸せそうに咲く。
「じゃあ、そのサクラとかいう花がそこに咲いてるっていうのか?」
「ううん。お母さんはサクラじゃ無くってアーモンドの花だって言ってた」
「アーモンドの樹だったら、近くの森や‥‥時々好事家の家の庭とかでも見かけるぞ」
「大きさとね、綺麗さが違うんだよ! 前にね、知り合いの彫金士のお兄ちゃんと一緒にキャンプに行った時、見つけたの。その樹はねサクラの花そっくりでとっても、とっても、とーーーっても綺麗なんだ。お兄ちゃんなんかそのアーモンドの花のアクセサリー作るようになって、大人気になったくらいステキなんだから‥‥」
行こう行こうと声を上げるツキカの動きと声がピタリ止まる。凍りついたように。
開かれたドア。入ってきた人物が一瞬キッと場違いな場所で駄々をこねる少女を睨んで‥‥視線をカウンターに向けた。
「お母さん‥‥」
「冒険者の皆様に依頼をお願いしに参りました。一人の青年を捜しております。彼の名はマリオ。ウィルの街で宝飾品の製造を手がけている彫金士です」
「マリオお兄ちゃんが?!」
ツキカの驚きの声をわざと無視して、彼女ヨーコは説明を続ける。
若いが才能有る彫金士マリオは、ヨーコの預かる商会の仕事を良く受けていた。
彼の作るアクセサリーは細やかで繊細な美しさがあると評判だ。
だから、また彫金の仕事を依頼しようと思って彼の家を訪ねたところ、家族からここ数日マリオが行方不明になっていると聞かされた。
家族の話によると空気が春めいて来たここ暫くからマリオは落ち着かなくなり、つい先日家を出てしまったのだという。
残された書き置きは
『愛する彼女のところに行きます』
食べ物と毛布などは持っていったようだが、火の道具は一切持っていかなかった彼が家を出てもう3日になる。
「なあ、縁起でもないことを言うようだがな『愛する彼女』って死んだ恋人とかじゃあねえのか? 彼女の後を追って‥‥」
「それはありません!」
係員の心配をヨーコはきっぱりと否定した。
「彼に恋人がいるという話は一切無いだろうと家族も言っております。ここ数年彼は殆ど街中のそれも一部を歩くだけ。ここ数年で一番遠出したのは一年前の今頃、私達と一緒に春にキャンプに行ったときだけだそうですから‥‥」
奥手で生真面目な青年だから、危ないことに手を出しているということは無いと思うが、家から持ち出した食料ももう直ぐ底をつくだろう。
「仕事の為、というだけではありません。私も、彼が心配なのでぜひともよろしくお願いいたします。さあ、ツキカ帰りましょう!」
丁寧にお辞儀をし、カウンターで下を向いていたツキカの手を、ヨーコはぐいと引く。
だが‥‥
「ツキカ!」
ぶん、と手を振り解いてツキカは再びカウンターに駆け寄った。
「私も行く!」
「ツキカ! またご迷惑を!」
母親の制止に首を振り、だって! とツキカは声を上げる。
「だって、きっとあの樹のところに行ったんだよ」
「あの樹って、さっき言ってた山奥に咲いてるアーモンドの巨木ってやつか?」
彼女は首を静かに前に倒す。
「お兄ちゃん、前に言ってたの。あの樹にはとっても美しい女の人がいるって。見ているだけで胸が切なくなるような綺麗な‥‥女の人がいて、彼女の側にいたいって」
キャンプの帰り際、名残惜しそうなマリオを連れ出した時、彼はそう言って樹を長いこと見つめていたと言う。
「あの時は、信じられなかったけど、お兄ちゃんがいるとしたら、きっとそこだと思う。だから!」
ヨーコとツキカが帰っていったのち、係員は依頼書を冒険者に差し出した。
「あの子が嘘を言ってるとは思わんが‥‥そうだとすると余計にやっかいだぜ。ゴーストか、樹精霊か知らんがそれにマリオとかいう男が魅入られていのかもしれねえ。取り付かれてるのかも‥‥。簡単に連れ戻すことはできねえだろうよ」
ツキカの同行にはいい顔はしていないが、捜しに行く時の必要経費は出す、とヨーコは言って帰っていった。
彼女の望むような穏やかな花見にはならないだろう。
遠い山奥を思う彼らの頬を春の風が触れていった。
『このまま、時が‥‥止まればいいのに‥‥』
眠る彼を膝に乗せたまま、彼女は小さく呟く。
薄紅色の瞳がそっと伏せられた。
その願い、小さな思いは誰にも届かないまま、静かに‥‥風に溶け消えていった。
●リプレイ本文
●花見への出発
澄み渡った青空を箒が飛ぶ。気持良さそうな鳥と並ぶと風が頬を気持ちよく触れていく。
「あ〜、いい天気だよなあ。ホント、こんないい天気ならのんびりピクニックでもしたいくらいだ」
愛する者と一緒に。そんな甘い誘惑を首で振り払ってアシュレー・ウォルサム(ea0244)は跨った箒に力を込めた。
「ま、それは後からにするとしようか、例のアーモンドの木はもう直ぐのはず‥‥っと、あれかな?」
視線を降ろすと斜め下に、樹氷のついたような木が見える。緑の木々の中で一際大きく目立つ純白の木。それは近づくまでも無く、氷より優しい薄紅色を纏っていると解る。
「うん、本当に綺麗だ。‥‥でも、そうか、あれが‥‥」
今が花の盛り。風に揺れる満開の木を言葉で褒めながら、アシュレーはどこか鋭い目で見つめていた。
「連れてってくれるの?」
顔を輝かせる少女ツキカをサリトリア・エリシオン(ea0479)は横目で見ると肩をすくめた。首を傾げるツキカの横をすり抜け婦人の前に進み出る。心配そうな顔で少女を見つめる母親の前へと。
サリトリアと共に礼をとった柳麗娟(ea9378)はヨーコ殿、と婦人に呼びかけ頭を下げる。
「此度の依頼、確かにお引き受け致します。ただ、その依頼を果たすため、どうかツキカの同行をお許し願えませぬか?」
「ご安心を、ヨーコ殿。私が責任を持って今回もお預かり致す。怪我などは決してさせぬ故‥‥」
深いため息にも似た呼吸を吐き出した後、依頼人ヨーコ・トオサカは
「あの子が役に立つ、というのであれば仕方ありません。よろしくお願いいたしますわ」
と頭を下げた。依頼人として、では無い。一人の母親としての行為にサリトリアも麗娟も微笑む。
「わ〜い! ありがとう。大好き! じゃあ、行こう! 早く早く!」
強く手を引くツキカにサリトリアは再び肩をすくめ、息を吐き出すと‥‥
コツン
軽く拳で頭に触れた。
「?」
両手を頭に置く少女に向けて膝を折り、目線を合わせる。
「ツキカ。遊びに行くのではないのだぞ。ちゃんと準備をし、用意を整えて行くのだ。さもなくばマリオ殿を助けるどころの話ではなくなる」
言う事を聞けるか? 問いかけにツキカは躊躇い無く首を前へと動かした。
「うん!」
「ならば、準備だ。まずはお弁当作り。それから情報収集を‥‥」
「私も手伝う!」
一度麗娟と目を合わせ、頷きあうとサリトリアはツキカを連れて部屋を出た。
残されたのは麗娟とヨーコ。
「いろいろ苦労されますな」
「解って下さいますか? まったく親の心子知らずで」
「サリトリア殿もやれやれと思っておるようです。‥‥それでも愛しき子ではありますが‥‥」
微笑みあった二人は、やがて目線を真面目なものへと戻す。
「さて、ではお聞きしたいことが」
「なんなりと‥‥」
カチ、カチ‥‥。
小さな音が何回か鳴って、携帯電話のディスプレイはパッと白い画面に変わる。
「桜、ちょうど去年の春に撮ったのがあるから、今から見せてあげるよ。何の気なしに、近づいて花弁も写したりしてたのが、こんな時に役に立つなんて‥‥アーモンドの花って桜に似ているって話だけどこんな感じかな?」
携帯電話の画面に映った桜を出して音無響(eb4482)は仲間達に差し出した。
「懐かしいね。そういえばもう桜のシーズンだな」
「俺の故郷では花見といったら桃の花だったな。へえ、でも桃の花とも良く似てるぜ」
神凪まぶい(eb4145)の背後から風烈(ea1587)がひょいと響の手元を覗きこむ。白い五枚の花びらがうっすらピンク色に染まっているように見えた。写真越しでも美しさははっきりと解る。
「とっても似ていると思う‥‥。花はね、桃よりも少し小さい感じかな。でも、見れば解るよ。とっても綺麗だから」
響は笑った。遠い故郷を懐かしむように‥‥。
「あのね、アーモンドの花は桃や桜の花よりずっと大きかったよ。これくらい、あったかなあ?」
ツキカが指で輪を作る。直径7〜8センチというところだろうか?
「‥‥随分大きな花ですね。きっとさぞかし美しいことでしょう」
仲間達の会話を聞きながらクウェル・グッドウェザー(ea0447)は優しく笑う。その横では
「ツキカさん。私の名前もその花に因んで『サクラ』というのですよ」
「まあ、桜や桃は日本では特別だからな、やっぱし‥‥」
サクラ・スノゥフラゥズや桜桃真治がさっきまでの話を一時止めて、微笑んでいた。
春に咲く花というものには人の心を和ませ、暖かくする力があるようだ。仲間達の空気もどこかほのぼのとしている。
「だが、今回は遊びに行くわけではないからな‥‥。ツキカ。‥‥約束は守れるな?」
そんな中で一番いつもと変わらないランディ・マクファーレン(ea1702)は強い眼差しでツキカを見つめた。
無論、ツキカはうん、と真剣な眼差しでそれに答える。
「一人で勝手なことはしない。危なくなったらみんなの言うことを聞いて、後ろにかくれる。邪魔はしない!」
完璧に復唱したツキカの髪をランディは無言でくしゃくしゃとかき混ぜた。照れくさそうに微笑むツキカを見つめるショウゴ・クレナイ(ea8247)の頬にも笑顔が浮かんでいた。
「いいなあ。僕も行きたかった。はい、お弁当できたからもって行って」
「弁当箱等も用意しておいた。役立ててくれ」
少し重そうな荷物を抱えたサリトリアを手伝って和紗彼方やヴァルフェル・カーネリアンもやってくる。
「うわ〜、楽しみだね」
響は携帯電話を畳んで荷物を受取った。山道は少し険しいがゆっくりと引けば驢馬くらいは通れるとツキカが言うので重い荷物はランディの驢馬に荷物を積み、他は皆で手分けして持つことにした。
「ブリッツは留守番ですね‥‥」
寂しげにイェーガー・ラタイン(ea6382)は愛馬の頭をなでて預けた。
「マリオお兄ちゃん、お腹すかせてないかなあ‥‥」
心配そうなツキカに冒険者達の表情はにわかに厳しくなる。マリオがツキカの言う山に行ったらしい事は冒険者達が軽く聞き込みをしただけでも解った。
それほどの大荷物ではなく持っていったのはバックパック一つ。細身の青年にそれほどの大荷物は持てまい。フライングブルームで先行したアシュレーの事もあるし、何よりもう一週間も戻らないマリオの体力も心配だ。
急いだ方がいい。視線を合わせた彼らを確かめるように
「用意が出来たのなら、行くぞ」
先頭に立ってランディが歩き出す。その後を驢馬と冒険者達。そして小走りにツキカが追いかけた。
見送る者達に笑顔で手を振りながら。
●優しく、厳しい春の森
春の山は驚くほど賑やかである。そよぐ風、揺れる木立、小鳥の声、眠りから目覚めた動物達の呼吸音。
「うわ〜、春だね〜。気持ちいい〜」
思わずはしゃぐ響に冒険者達は無言で、でも心は同意していた。
午前中は街道沿いに進んでいたが、午後からは木々の間をすり抜けていく形になる。
薬草狩りをしていた知り合いが偶然見つけたというそのアーモンドの木までの道のりは、細い、道と指差されなければ解らない道が一本だけ。
とはいえ、旅なれた冒険者にとっては気になるほどのものではない。旅なれた、とは言えない天界地球人達にとってもそれほど困難なコースではない。まして、つい最近、人がそこを通った形跡もある。
少し歩きづらいハイキングコースと言うところだろうか。周囲の美しさ、楽しさに目を奪われるくらいの余裕はある。
だが、
「‥‥ごめんね。あ、そこの岩から右に行くの」
息を切らせる道案内役の少女には若干異なる。街道からここまで先頭を歩いていたツキカはここに至って若干ではあるがペースが落ちていた。
立ち止まって冒険者達はツキカを待つ。そもそも足の長さも違うし、体力も冒険者と比べるにはあまりにも酷な十歳の女の子だ。
遅れ気味なことを責める者は誰もいない。
「急げば今日の夜には着くよ!」
と張り切っていたが、この先はさらに歩きづらい道が続きそうだ。
「焦る必要はありませぬ。ゆっくり行くがよいでしょう」
冬眠から目覚めた獣がいるかもしれませぬゆえ、麗娟は偵察から戻った愛犬を厭いながらツキカを気遣う。
だが、ツキカはその言葉を受け、逆に背筋を伸ばす。
「ううん、大丈夫。頑張るから! ‥‥あっ」
だが、膝が笑っている。よろめいたツキカを誰かが後ろから抱き上げた。
ふう、とため息をついたのは誰だったか‥‥。
「あっ、大丈夫だよ‥‥。自分で歩ける」
ほんの少し頬を赤らめるツキカをランディは気にする様子も無い。
「無理をするな。こんな山道で案内役を失っては俺たちまで戻れなくなる」
そしてそのままツキカを背中に回し、背負った。ランディの荷物はイェーガーが、ツキカのバックパックは烈が何も言わずに持っている。
「ランディさんも無理はなさらず、疲れたらいつでも交代しますよ」
クウェルの言葉にイェーガー達も頷いた。
「これでも体力と根性には少し自信があるんです、任せて下さい」
もう背中の上でツキカも抵抗しないで身体を預けていた。
ああ、とだけ言ってランディは歩き始める。
「‥‥なんだか、お父さんや、お兄ちゃんみたい‥‥」
一人っ子で、母子家庭だと聞いていたツキカ。その言葉にどんな意味が込められていたのか冒険者は知らない。ただ桜色に染まった頬の少女を微笑ましく見つめながら冒険者達は春の森を歩いて行った。
夜更け。
春とはいえ地面の上はなかなかに底冷えがする。それでも、冒険者達は焚き火をせずに夜を過ごしていた。
灯りは小さなランタンが一つだけ。
「なるべく炎を使わないようにしましょう」
というイェーガーの提案からだ。
後ろのテントの中ではそのイェーガーから借りた防寒具に包まれ、ツキカが寝息を立てている。
子供が眠った後は大人の時間。
「ご苦労さん。交替で、とはいえ大変だったろう?」
烈が労うように仲間達に酒を差し出した。ヨーコが整えてくれた差し入れと聞いて、冒険者達は素直に受取って喉に流した。
「まあ、あの年頃にしては小柄で軽いですからそれほど大変と言うわけではありませんでしたね」
小さく笑うクウェル。ランディも微かに口元を上げた。
「‥‥しかし、縁談ですか。マリオさんに?」
ツキカの前ではと最初は口を濁していた麗娟がイェーガーの問いかけに是と、答え話し始める。依頼人ヨーコから聞き、友であるガレット・ヴィルルノワや操群雷が調べてくれたマリオの人となりと家庭事情をだ。
「かの青年が内気で奥手である、というのは最初にヨーコ殿が話されたとおりじゃ。兄弟の末で、美しいものに憧れを持つ穏やかな心の持ち主で、それ故に彫金士を目指したと‥‥」
その腕は徐々に見込まれ、新作の装飾品の人気で近年では名指しで依頼を受けるようにもなっていたという。
「そして彼に焦がれる娘がおり、周囲の勧めにより縁談と言う形で話が進んでいたそうな‥‥。本人は嫌がっておったようですが‥‥」
気立てがよく、やさしく、可愛らしいということで親はとても気に入っていた。マリオは親の決めたことに異を唱えることはできず、また娘本人にはっきりと断る勇気も持てず、ますます家に閉じこもりがちになっていった。
「家出をするなど思いもよらなかった、とヨーコ殿はおっしゃっていたがはてさて、恋というものは人を盲目にさせるものなのでしょう」
口には出さない心で麗娟は思う。
誰にも何も言わずに言ったのは道理。必ず反対されるであろうから。
(「ツキカには‥‥別な意味で遠慮したのかと。この娘も女子ですから、ね」)
「僕も、仲間達といろいろ調べてみました。今までに同じようなことは無かったか、と」
この地アトランティスは精霊の国。精霊の伝承は少なくないものがある。
無論、ありふれているというわけではないが、その中に古木に宿る樹精霊の話があったという。迷い疲れた男性がその木の側に行くと、美しい女性に出会うという。長い髪、しなやかな長き腕。そして花の如き目を逸らせぬ瞳に魅入られると彼女に恋をせずにはいられなくなるという。
「優しい、心の美しい男性ほど『彼女』に心を奪われることが多く『彼女』もまたそういう男性を愛するとか。人とは思えぬ美しさを持ち、それにインスピレーションを受けて芸術に優れた才を発揮する事が多いそうですが、長生することは稀だとも」
「マリオさんの想い人、ツキカちゃんは見てないんだよね‥‥とすると、やっぱりその樹の精とかなのかな?」
「ふむ、となれば彼の方は樹木と情を通じ逢う稀有なお人なのですね」
「森羅万象に魂は宿るか。独り寂しい精霊が話し相手を求めただけですめばいいがな」
クウェルの話を聞きながら冒険者達はそれぞれの感想を述べる。この奥深い森を歩いて、マリオが出会ったという女性が本当にいた場合それがゴーストであるという可能性は低いだろうと彼らは実感していた。
ツキカが嘘をついているとは最初から思っていない。アーモンドの樹の元にマリオがいるのはまず間違いない。ならば
「去年出会い、春に又来る約束を交わし会いに行ったという所か。樹精霊ならば、そう悪しき存在とも思えぬし、攻撃の意志がない限りはこちらもするつもりも必要もないだろう」
「いえ、ですがそれはかえって始末が悪いかもしれません。マリオさんを連れ戻すという依頼を果たす為には‥‥」
小さく唇を鳴らしショウゴは考え込む。
「そもそも、僕は精霊とマリオさんが一緒にいるということを良いこととは思えないのです。二人が例え愛し合っていたとしても‥‥」
精霊と人。その間に恋は生まれるのだろうか。愛は存在しうるのだろうか‥‥。
だが、存在したとしてもその末路は‥‥。
「‥‥アーモンドの木の下の美人‥‥。まあ話で聞くだけならロマンチックな話しなんだけどねえ‥‥。どうやら彼女も一筋縄ではいかないみたいだよ」
ため息のように吐き出したそれでも明るい声に、冒険者達はカンテラを森に向ける。頭を掻きながら出てきたのは‥‥。
「アシュレーさん! どうしたんです?」
クウェルは慌てて立ち上がり、駆け寄った。
傷らしい傷があるわけではないが、彼の姿は妙に薄汚れている。
「例のアーモンドの木、見つけたよ。もう、この近くだから。その樹精霊とやらも見つけた。マリオさんも、多分‥‥いる。でも、さ‥‥」
言いよどみながら彼はまた頭を掻く。なんと説明していいやらという顔だ。
「とにかく、明日の朝、案内するよ。今日は休もう」
言ったアシュレーの言葉に頷いて冒険者達は交代の見張り以外は立ち上がる。その足元に、どこから現れたのか、ひらり。白い花びらが地面に落ちた。
●白い花びらの涙
こつん。
石に足が当たる。
「あれ?」
この石を見るのは確か二度目だと気付いた時、イェーガーは昨夜アシュレーが言った事を思い出した。
「昨日言ってたのはこのことですか?」
そう、とアシュレーは頷いた。
昨日、森の上からアーモンドの花が満開に咲く木を見つけた。間近に降りては気付かれるし近くに広場らしきものも無かったので、少し離れた所に下りて木を目指したのだ。
でもそう遠い場所ではない。直ぐに木に辿り着けるだろう。と思ったのだが一時間過ぎても二時間歩いても木に辿り着けない。それどころか注意していたはずの足元の草に引っかかって転んだり、顔の目の前で木の枝が跳ねたりしてろくな目に合わず、とうとう木の側に辿り着けなかったのだ。
「これが、噂に聞くフォレストラビリンスというものかもしれませんね。ということはやはり、樹精霊が‥‥」
クウェルは顎に手を当てて考えた。森が冒険者達を拒んでいるのだろう。いや、正確には拒んでいるのはきっと‥‥。
「俺は正直魔法相手は苦手でな。どうすればいいと思う?」
肩をすくめながら烈は聞いた。サリトリアがブンと手を振った。風をきるような音がする。
「クウェル殿、皆に祝福を。オーラの力で自らを奮い立たせられる者はそうしたらいいと思う。この先に間違いなく道がある。強い心で歩めばきっと道は開けるはずだ」
「解りました。聖なる母よ。我らに力を‥‥」
白い光、薄紅色の光がそれぞれを取り囲む。
「アシュレーさん、ツキカさん。花のあるのは向こうの方角、でしたよね?」
方向を確認したクウェルに二人は頷く。
「行きましょう!」
その声を合図に冒険者達はまた、思いと方向を同じにして道に踏み込んだ。微かに何かが揺れる気配。そして‥‥
「あっ」
手ごたえを感じた。魔法が破れた。そんな印象だ。そして、それが間違いなかったと冒険者達は知る。森の奥深く。新緑の木々の中それがあったからだ。
「キレイだ〜」
「本当に桜そっくり」
響は思わず声を上げる。純白の花。だが頬を薄紅色に染めた少女のように微かな色を纏っている。それまで桜そっくりで、冒険者達は息を呑んだ。
だが、次の瞬間。
『こないで‥‥。近寄らないで‥‥』
「えっ?」
泣き出しそうな細い声とともに、地面が揺れた。地面そのものが揺れたのだ。
「キャア!」「わああっ!」
ツキカを庇いながら冒険者達は必死に足元の揺れに耐えた。揺れる大地の向こう。白い花びらが舞っている。その木の根元には‥‥
「マリオお兄ちゃん!」
木の根に頭を預け眠る青年が居た。彼の傍らには美しい女性がこちらを睨むように立っている。
『何をしに来たの? 貴方達。ここは、貴方達のような人が来る場所ではないわ。帰りなさい!』
また地面が揺れる。周囲の木々も冒険者を拒むように枝を木々との間に廻らせている。感じるのは敵意ではない。拒絶だと烈は感じた。
(「近寄らないで。私達の邪魔をしないで」)
そんな声が聞こえるようだ。この木、自体も決して悪い存在ではない。こちらに直接的な攻撃を仕掛けてくるわけではないのだから。
「なら‥‥! 戦う意志はない。マリオさんの安否を心配する者に頼まれて様子を見に来た者だ」
パシンと気合を入れるように自分の頬を軽く叩いた後、烈はそう『彼女』に向けて声を上げた。
「あー‥‥申し訳ないんだけどここにいるツキカを含めてその人を心配している人たちがいるから開放してくれないかな? 生木を無理に裂くつもりは無い。できれば彼にも、そして貴女にも自分の意思で理解して欲しいんだ」
(「解っているだろう? このままじゃいられないと‥‥」)
目で訴えてくるアシュレーに『彼女』はさらに怯えるように身体を震わせる。
『どうして? どうして、一緒にいてはいけないの? 私は彼を愛しているのに!』
三度目の地震。その時、白いフィールドの中で木の方を見つめていたツキカが声を上げた。
「マリオお兄ちゃん!」
『マリオ!』
地震にか、それとも周囲の気配にか、とにかく何かを感じたのが理由だろう。‥‥眠っていたマリオが身体を起こした。頭を振って周囲を伺う。悲痛な声が響き、顔をゆがめた彼女を横目に見て、ランディは一際大きな声を上げて呼びかけた。
「あんたがマリオか? あんたを迎えに来た子がいる。解るか?」
アシュレーとクウェルが白いフィールドの前から身体を逸らす。
「ツキカ? どうして‥‥ここに?」
「おぬしを心配して捜しに来たのだ」
「心配? どうして? 僕はただ、彼女の所に来ただけなのに‥‥」
判断力は失われていない。サリトリアはそう素早く判断し、前に飛び出した。
マリオと『彼女』の間にクウェルと一緒に強引に割り込んで、二人を引き離す。
「マリオ!」「!」
『彼女』はマリオとの間に立ちふさがる障害物を排除しようと手を伸ばす。だがその時、声が響いた。
「どんなに好きかしれないけど、人は物を食べないと生きていけないんだよ。好きな人が死んでもいいの? だとしたらそれはほんとの愛じゃないよ!」
一瞬動きが、心が止まる、そしてその隙に
「動かないで!」
クウェルは『彼女』に向かってコアギュレイトをかけた。ピタリ、マリオに伸ばされた手が止まる。駆け寄ろうとした足が止まる。
「ま、待ってくれ。彼女は何も悪い事はしていないんだ!」
真剣そのものの表情で『彼女』に駆け寄ろうとするマリオ。彼の髪に白い花びらが張り付いている。彼の瞳と花びらを交互に見つめ、ランディは頷いた。
「解った。俺達も、彼女を傷つける気は無い。とりあえず、話を聞いて欲しい。俺達と、そして‥‥あの子の‥‥な」
「お兄ちゃん!」
「ツキカ」
駆け寄ってきた少女を抱きとめて彼は『彼女』とツキカの間で首を動かして‥‥静かに頷いた。
「杏露(シンルー)。貴女のお身体、見せては頂けませんか?」
呪縛を解かれた『彼女』は心配そうな表情を隠そうとはしなかったが、さらなる攻撃をしようとはせずに、木の根元に一人佇んでいた。
「ご両親はあなたの行方が分からずとても心配をしていますよ。それにお仕事はどうするのですか? いきなり投げては困る方が多くいらっしゃるのではないでしょうか?」
「‥‥男女の愛も大切だろうが、心配している家族の為にも一度家に戻って、彼等ともよく話をしてみては?」
「あの書き置きだけではなく、もう少し家族と話し合った方が良かったんじゃないかな。あなたの思いは、自分の理解者の家族すら説得できないようなちっぽけなものじゃないはずだろ?」
冒険者達がマリオを説得しようとしているのを、寂しげに見守っているのだ。
『別に、どこも悪いところは無いわ‥‥。ただ、心の中が痛いだけ‥‥』
麗娟の申し出に『彼女』は首を横に振る。本体の木は古いもののまだ力を持っているようだ。
「ふむ、美しい。この大輪の花。純白でそれでいて、ほのかな色気もあって本当に美しいな‥‥」
弁当を広げ、サリトリアは木皿にいくつかのおかずを取り分けた。そして、マリオと麗娟がシンルーと呼んだ精霊の前に差し出す。精霊が肉や魚に手を出すはずは無い。これは、一つの思いやり、そして意思表示だ。
マリオは無意識にその皿に手を伸ばす。ここ暫くろくなものを食べていなかった、という彼にシンルーは顔を背ける。
「‥‥そなたらも、もう解っておるのであろう? 人と精霊。同じ時を過ごすことはできぬのだ‥‥と」
この森の中、人間は一人きりで生きていくことはできない。そしてどんなに愛し、ともに生きたいと願ってもそれはかなわないだろうとサリトリアは無言で言った。
それが、ショウゴも心配した正しい形ではない二人の恋愛だ。
「それでも‥‥僕は、彼女を愛している。友に有りたいと願うんだ‥‥」
「元より逢瀬の邪魔はするつもりはありません。それに‥‥美しき木の精霊よ。貴女を見ていると俺の大事な人と、縁の深い花の木を思い出します。大切にしたいと思うのです」
小さなブローチを握り締めながらイェーガーは言った。
「貴方達は俺と違って、機会があれば逢う事が出来ます‥‥。それで良いのではないですか?」
「でも‥‥」
言っている事は解る。その通りだと思う。それでも、辛く別れがたい。二人は視線を交差させそう言っていた。この気持ちだけは真実なのだ。
『彼女』は彼の澄んだ瞳に心を奪われた。『彼』は彼女の無垢な心と、美しい姿に恋をした。
そこに魅了の魔力は無い。ただ純粋な思いだけがあったのだ。
「ならば一度戻りちゃんと家族に納得して貰え。この森で暮らすにしても、きちんと生活する準備をした上での話だ」
「‥‥‥‥‥‥はい」
長い沈黙と逡巡の後、マリオは静かに頷いた。それを『彼女』も引き止めはしなかった。
「では明日の朝、帰るとしよう。それまで俺達はここで花見でもさせてもらうからな‥‥」
「『えっ?』」
まだ昼過ぎ。直ぐにでも別れが来るかと思っていた二人は顔を見合わせた。冒険者達は視線をわざと外すように、桜の木の下でキャンプと花見の用意を始める。
弁当を並べ、飲み物を用意し‥‥。青空が茜色に染まり、夜桜になるまで冒険者達は花を見上げる。
「無事を確認し、戻ると自分から決意した。ならば急ぎ街に戻る事も無し、一晩くらい恋人達の時間を尊重しても良いのでは‥‥」
ランディの提案に、冒険者達は心から同意した。最後の一夜。二人がどんな会話をし、どんな時を過ごしたのかは解らない。ただ、アシュレーが奏でる竪琴の音色を聞きながら、満開の花の下で過ごした夜は、舞い散る花びらを見つめた時は、冒険者達にとっても、ツキカにとっても忘れられないものとなったのだった。
きっと、彼らにとっても‥‥。
●再会の約束
翌朝、冒険者達はマリオを伴って森を後にする。
『さようなら‥‥マリオ』
『さようなら‥‥シンルー』
別れを告げた精霊を、彼女の木を幾度と無く振り返る青年は噂に聞くほど弱々しい存在ではなく、強い意志を眼差しに秘めていた。
「何を話したのか聞いてもいい?」
もう必要なくなったサングラスをそっと外しながら響は横を歩く青年に問うた。
はい、と返事をした後、彼は答える。
「‥‥僕は、君を心から美しいと思う。そして心から君を愛すると‥‥。いつか自分の役割を終えたらその時は永遠に共にあろう、と‥‥」
それまでは春ごとあの地に通い、共に時を過ごすつもりだと彼は照れたように言う。元々、彼女は通常の時期には人の姿を取らない。もっとも力が高まり、もっとも美しく咲く春のみ姿を現すのだとか。
「人は、一人では生きられない。貴方の命も力も決して本人だけのものではなく、この問題も本人だけの問題ではないのですよ」
ショウゴは思う。きっとこれで万事解決、ではない。だが、二人が重荷を、いや十字架を背負ってでも、それでも一緒に生き続けたいと願う気持ちを切り捨てる事は誰にもできないのだ。
そう、誰にも‥‥。
「でも、お兄ちゃんが元気そうで良かった」
「そうだね。でもマリオさんって結構普通の人なんだねえ。ちょっと残念な気もするなあ〜」
「どういうことです?」
「いいや、なんでもない。ちょっと髭のおじさんじゃないのかなって」
「「はあ?」」
二人は同時に首を捻った。その意味を知る者は少ないが、何故かその行為は笑顔を生んだ。
明るい笑い声が森に木霊する。
足元にも、木々にも各種各色の花が萌え出る春の森。
その森は、今も数日前と変わらずに賑やかだった。
無事に戻ったマリオはすぐ仕事に復帰し、商会からの首飾りの修復を最初の仕事として手がけることになったという。
商会からは報酬と共に依頼期間内の食事代飲み物代が負担された。
彼は最初の仕事のモチーフをアーモンドの花にするつもりだという。
銘は杏露。その首飾りが生み出す事件はまた別のお話で。