まさかの時の友〜思いの行方
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■ショートシナリオ
担当:マレーア4
対応レベル:8〜14lv
難易度:難しい
成功報酬:4 G 98 C
参加人数:10人
サポート参加人数:-人
冒険期間:05月12日〜05月17日
リプレイ公開日:2006年05月19日
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●オープニング
「綺麗な石ですね。こんな大きくて美しい石、初めて見ます」
仕事に没頭していた青年は、ふとかけられた声に振り返った。
「‥‥ルージュ‥‥。作業場には入ってくるなって‥‥」
「申し訳ありません。おばさまから、お茶と食事を運ぶように、と言われまして‥‥」
差し出されたカップを黙って青年は受取って口に運ぶ。
作業台の横のテーブルに食事の入った盆を置いて、ルージュと呼ばれた娘は青年の座る卓を見る。
「だいぶ作業が進まれましたね」
「まあね。山に行ったとき、いつも使っていた羽根ペンを忘れてきてしまったから、新しいペンが指に馴染むまで大変だったけど、デザインさえ出来てしまえば、あとは作るだけだから‥‥」
金の粉。銀の板。火と鋸と刃とやすりの並ぶ、煩雑とした作業台の上を娘は眩しいものとして見つめていた。
「それが、商会から依頼された首飾りのデザインですよね。‥‥花をモチーフにこんな見事なデザインができるなんて、流石はマリオ様です!」
石と、羊皮紙に描かれたデザイン画と、そして青年を憧れの目で見つめる娘。
だが、微かに歪んだ口元から吐き出されたのは嘲笑にも似たため息だった。
「確かに、この石はいいものだと思う。でも‥‥こんなもんじゃないんだよ」
「えっ? 何が、ですか?」
「‥‥本当に美しい、っていうのはこんなもんじゃないんだ。って言ったんだ‥‥。まあ、解ってもらえなくてもいいけど」
「マリオ様?」
「悪い。仕事の邪魔だから出て行って貰える?」
カップを娘が持ってきた盆の上に置いて、青年は手を払う。
「はい‥‥」
お辞儀をし、娘は退室する。その直前、彼女は青年が、そっとテーブルの上に伏せたデザイン画とは違う羊皮紙を広げたのを見た。
そして、背中越しに声が聞こえる。
「シンルー‥‥」
心から甘く呟かれたその囁きが、彼女の耳から、心から離れることはなかったと言う。
その日、冒険者ギルドにやってきたのは一人の少女と、付き添われた一人の娘だった。
そう、付き添っているのは少女の方。
「こんにちわ!」
「やあ、ツキカ。どうしたんだ? また母親を困らせているんじゃないだろうな?」
元気に挨拶したもはや顔なじみの少女に、ギルドの係員もからかい笑顔で返事をする。
「そんなことしてないもん。今日は、ルージュがギルドに案内して欲しいっていうから、付き添ってきただけ。ほら、ルージュ!」
物怖じと言う言葉を知らないようなツキカに比べると、あまりにも大人しいその娘はルージュと呼ばれたとおりの名を名乗って頭を下げた。
「ルージュはね、マリオお兄ちゃんの工房とお店で働いてるの。宝石とか、アクセサリーとか扱う店の娘さんなんだよ」
母の勤める商会と取引もあり、だから知り合いなのだとツキカは補足した。
今は、商売の見習いもかねてマリオの工房に預けられている。とも。
「ルージュがね。冒険者のお兄ちゃん、お姉ちゃん達にお願いがあるんだって。あ、お願いじゃなくて仕事だっけ?」
ツキカの説明に照れたように頷くと、ルージュは冒険者達の方に顔を向けた。
「あ、あの‥‥私を‥‥山に連れて行って頂きたいんです。以前、ツキカさんが山に冒険者の皆さんと花見に行かれたと‥‥。そこに、私を連れて行って頂きたいんです?」
「山って‥‥、あのアーモンドの巨木があるというあの山か?」
はい、と彼女は頷く。
「そのアーモンドの巨木のところへ、です。マリオ様が、あの山に大事なものを忘れてきて困っておられるので‥‥それを取りに行きたいのです」
以前冒険者の何人かは山に行った事がある。あの時は他でもないマリオ本人が山に向かい、それを迎えに行ったのだ。彼が向かった先には見事なアーモンドの巨木があった。
言葉に出来ないほどの美しい花をさかせていた、精霊を宿した古い木が。
もう花の時期は終わりを迎えているだろう。
だが森は目覚めたばかりの春のあの頃とは違い、獣達も多く活動している。しかも、かなり奥深い山道。この、見るからに街から一歩も出たことの無さそうなか弱い娘が一人で行くのは確かに無謀に思えた。
宝石商の娘とあれば、そこそこ裕福でもあろうから冒険者をガードに雇うというのは、まあ珍しい話ではない。
「じゃあ、その山に行ってマリオの忘れ物をとって戻ってくるまでの、案内と護衛でいいんだな?」
「はい。‥‥私が街に戻るまで、護衛して頂ければ‥‥」
「解った」
係員は依頼書を受理する。
山は、一人歩きには危険とはいえ、そう変なモンスターが出るという話は聞かない。
ちゃんと用意して、時間をかけていけば一般人でも辿り着けないことの無い普通の山道だから。
出てきたとしても山の獣程度。その護衛としては報酬もなかなか悪くないと言えた。
「依頼を出しておく。決まったら、連絡するから」
「はい。‥‥あと、あの、マリオ様は今、商会より依頼された作業が大詰めに入っていて、工房に篭っておられるのです。ご心配をおかけしたくはないので‥‥どうか、この依頼の事は内密にお願いします‥‥」
それだけ言うと、お辞儀をしてルージュは去っていった。
「大丈夫かなあ。ルージュ‥‥」
その背中を見送って、ツキカはぽつりと呟いた。
「どういう意味だ?」
係員は問う。少し、悩んだ顔をしたあと、ツキカはそれに答えた。
「あのね、ルージュはマリオお兄ちゃんの『えんだん』の相手なの。要は婚約者? でお、マリオお兄ちゃんはそれを嫌がってるの。そして、山に行っちゃったんだよ」
その後のルージュの落ち込み方は仕方なかったと、あとで母はため息を付いていたと戻ってからツキカは聞いた。あの時はマリオのことで頭が一杯だったが、考えてみれば無理もない。
親が決めたとはいえ婚約者が自分との結婚を嫌がり『愛する人』のところへ行ったのだから。
その後、マリオは戻り彼が恋していたのは木の精霊だと解った。
今は、元の生活に戻り半ば裏切られたというのに、ルージュは今もマリオの側にいる。
「ルージュは間違いなく、マリオお兄ちゃんが好きなんだと思う。でも、マリオお兄ちゃんがあの精霊さんが好きなのも解るし〜〜〜。だいじょうぶなのかなあ? ルージュが山に行って〜〜〜」
髪の毛をくしゃくしゃと掻き乱し、ツキカは顔を顰める。
そして、急いでルージュを追いかけていった。
その背中を見送り、係員は、ほんの少し依頼を張り出すのを躊躇う気持ちになった。
ほんの少し‥‥だが。
これはただのガード依頼ではない。
それは不思議な確信になっていた。
人の心に寄り添える、そして何からも想い、思いを守ることができる。
そんな冒険者が入ってくれる事を願って、彼は依頼を貼り出した。
彼女は自らに言い聞かせるように呟く。
「あの人は、渡せません‥‥。精霊なんかに‥‥絶対に」
「どうしたの? 何言ってるの? ルージュ?」
「! なんでもありません。 帰りましょう‥‥。 そう。例え‥‥」
「?」
その呟きはあまりにも小さく、隣にいる少女もはっきりと聞き取ることはできなかった。
●リプレイ本文
●願い
彼女は宝石店主の娘。
彼は今、売出し中、才能あるとはいえ一介の彫金士に過ぎない。元々、立場的に言えば彼女の方が上である。いや、上になれるのである。
だが、彼女はそうしない。
「マリオ様。私、暫く外出させて頂きます。どうぞお許し下さい」
甲斐甲斐しく世話を焼き、忠実に仕える。そして、頭を静かに下げた。
「別に断る必要は無い。勝手に行ってくればいい。こっちのことは気にしなくていいよ」
そんな言葉を、顔をこちらに向けることさえ無く彼は聞き流し、仕事に没頭している
「‥‥はい。では」
彼女は静かに頭を下げて部屋を出る。ドアが開く音がして、閉じる音がしても彼は振り返ることさえしない。
だから、彼女がどんな顔をしているかさえ、知ることは無かったのだ。
●誰かの為に‥‥
少女がふくれっ面で木箱に座っていた。足をばたつかせ明らかに不満げな様子で。
「別に、貴女を置いていくわけでは無いのですよ」
「マリオさんと、いてあげて下さい貴方なら彼を元気づけてあげられるでしょう」
優しい冒険者達の声がかかるが、それでもまだ、少女の機嫌は晴れない。やれやれと少し困ったような表情でアトス・ラフェール(ea2179)は肩を上げた。くるくると、ペットボトルの蓋を回し、戻しを繰り返し、様子を見ていたイェーガー・ラタイン(ea6382)も苦笑する。
「連れて行ってくれると思っていたのに‥‥」
不満げな、ではなくて本当に不満なのだろう。感情を素直に表す少女には好感が持てるが、ふと、やってきた人物を見て仲間と、少女に向けて指を口元に一本立てた。
大きくない荷物を背負い、やって来る娘。彼女はもう既に人が揃っている事を見て取り慌てた様子で走ってきた。
「あ、遅れて申し訳ありません。今回は‥‥どうぞ、よ・よろしくお願いいたします」
集まってきた冒険者達に依頼人ルージュは丁寧に頭を下げた。金持ちの娘とは思えない腰の低さだ。
「いえ、こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
それに負けないくらいの丁寧さでピノ・ノワール(ea9244)は礼を返した。同じように深く頭を下げる者、軽い会釈のみに留める者。冒険者達の年齢も、性別も、態度もそれぞれで、箱入りに近い彼女は少し、萎縮したように身を硬くしている。
そんな彼女の肩を
「はじめまして。そんなに硬くならないでいいよ。もっと、気軽に行こう!」
黒峰燐(eb4278)は、ポンと叩いた。姉のような優しい燐の笑みに少しホッとした笑顔を見せるルージュ。だが
「私達の雇用主は貴女です。遠慮は無用でしょう」
クールに感情の薄い声で殺陣静(eb4434)が言うと、はたと、何かを思い、彼女はまた表情を変えた。さっきと違う顔色、様子。それが静には何かに怯え、何かを隠しているように感じられてならなかった。
だから、眼鏡を軽く上に上げて仲間達を見る。その時にはもう、彼女の様子をしっかりと見ていよう。そんな気になっていたのだ。
「依頼内容を確認させて下さい。山奥のアーモンドの木に行ってその側に忘れてきた忘れ物を見つけ出す。それで、いいんですよね?」
「はい」
ギルス・シャハウ(ea5876)の問いにルージュは頷く。
「忘れ物とは何です? 私には形の無いもののような気がするのですが‥‥」
アトスの問いに少し首を捻るようにしながらもルージュは羽ペンです。と依頼書に出したとおりの言葉を告げた。
「マリオ様が愛用していたものなのです。それがなくてもお仕事はできると言われますが‥‥その、少しでもお力になりたくて‥‥」
言葉尻を濁すルージュをサリトリア・エリシオン(ea0479)は見つめる。
「なら、何故マリオに隠す? 本来仕事に必要なものであるのならマリオが取りに行くものだろう?」
「あの‥‥その‥‥い、今、マリオ様は大きな仕事に入っておられて、しかもそれが佳境に差し掛かっています。お邪魔は‥‥したくないのです」
「‥‥そうか。解った」
それ以上の追求は止め、サリトリアは風烈(ea1587)と目線を合わせた。澱む口調。躊躇いの態度。それが、示すものは‥‥。
お互い今は何も言わなかったが、何かを感じあったようである。
「ねえねえ、マリオさんって、ひょっとして、貴女の恋人?」
二人の会話を聞いていたのだろう。軽い口調で問う燐にとんでもない、と彼女は手を振った。
「私など‥‥恋人とは。ただ、あの方の作品が好きで、あの方の心栄えが好きで‥‥だから‥‥その‥‥」
頬を朱に染め下を向くルージュ。その言葉と行動が、彼女の思いを物語っていた。だから
「そっか。危険を冒してまで好きな人の羽ペンを取りに行くなんて凄いよ。ルージュさんって思いやりと優しさを持った良い人なんだね」
ニッコリと燐は微笑んで、俯くルージュの顔を上げさせる。
「大丈夫。僕らはみんな、貴女の力になると約束するから‥‥ね?」
「あ、ありがとうございます」
優しい笑みに、ルージュは小さく頭を下げた。
うん、うん、と明るく頷くガレット・ヴィルルノワ(ea5804)。彼女の後ろでは用意をしていたショウゴ・クレナイ(ea8247)が声を上げる。
「そろそろ、行きましょう」
「はい。解りました!」
歩き出す冒険者達。依頼人を守るように軽い陣形を作って歩く彼らの最後方で立ち上がった者がいた。頬の膨らみは落ちたもののまだ不満げな少女の耳に
「頼みがある。頼みと言うより伝言だが‥‥彼、マリオに‥‥」
二言、三言と囁かれた言葉に、少しずつ少女は表情を変えていった。
「え‥‥あっ‥‥うん!」
「マリオさんと‥‥‥‥。貴方なら彼を‥‥」
「頼んだぞ。ツキカ」
最後にそっと頭に触れていく手達。振り返った冒険者達の眼差しとそのぬくもりを胸に
「うん! 任せて!」
ツキカは心からの思いで、手を振った。
「行ってらっしゃい!」
心からの笑顔で‥‥。
●一途な思い
「ワウン!」「ワワン!」
「キャア!」
犬の鳴き声と、足元を走る小さな影に驚いたのだろうか。声を上げてルージュが、あとずさった。
「あ、足元を何かが!」
冒険者達は軽く身構えるが、直ぐに構えを落とす。
「大丈夫ですよ。あれは、リスです。ほら、可愛いものですよ」
ショウゴが指差した木の上には彼の言うとおり、こちらに向けて丸い目をくるりと輝かせる小さな動物がいた。
「あれが‥‥リスなのですか? ‥‥私、街から殆どでたことが無いので、動物も、馬とか、犬猫以外は殆ど解らなくて‥‥」
「それも、怖かったみたいだよね。最初は」
クスッと笑いながらガレットは自分の横を歩く愛犬の背中を撫でながら苦笑した。本当に歩き始めた頃は、犬達はおろか、馬にさえ怯えた顔を見せていた彼女だ。
「動物は、こちらから害を加えない限りは、人を害することはありません。むしろ心を通わせることができれば、大事なパートナーとなってくれるのですよ」
「はい、解ります‥‥。この子達は‥‥とっても、優しいですね‥‥」
右と左の両方からギルスの愛犬達がルージュを支えるように歩いている。暖かい毛皮の感触が、彼女の心にそっと寄り添ってくれているのだろう。緊張に強張っていた顔からも、笑顔が浮かぶようになった。
「ええ。最近は心も大分通じ合ってきたみたいでうれしいんですよ〜。この分だともう少しで背中に乗せてくれるかもしれません。楽しみなんです〜」
嬉しそうに、楽しそうにふわふわとギルスは空を飛ぶ。そんな光景を見ながら烈は大きく背中を上に向けて伸ばしながら言った。
「人と、人ならぬものが心通わせることができる。素晴らしいことだな」
つと、足が止まる。何事かと足元から見上げる犬達には見えたかもしれない。顔を下に向け何かを噛み締めるように唇を結ぶルージュの顔が。
「どうか、したのですか?」
静はその俯いた顔を覗き込むように頭を近づける。冷静な声に
「いえ、‥‥なんでもありません‥‥。すみませんでした」
と、持ち上げられた顔は笑顔。だが、人と関わりあうことが生業の冒険者達。それが素のものか、それとも作られたものかは一目でわかる。あえて会話を切り、そう静は話を切り替えた。
「それならばいいのですが‥‥。おや、美しい首飾りをされていますね」
元よりそれは気になっていた。山歩きの間も服から覗く場違いなまでに美しい首飾り‥‥。
「そうそう、マリオさんて、どんな方ですか? 優れた彫金士であるとは聞いていますがひょっとしてそれも、マリオさんの細工?」
「そうなんです! マリオ様は本当に素晴らしい腕をお持ちなんです。これは、私にとって何よりも大事な宝物なのです」
とたん、輝くように彼女は笑顔を見せた。きらめくような笑顔は、自分が褒められた時にはけっして見られなかったものだ。
「ふうん、貴女にとってマリオさんは一番大事なんだね」
「はい。特に宝石をメインに据えて花をデザインしたものは、若手随一のセンスだと言われていて、その美しさは夢のようなんです。私は、その力になりたくて‥‥」
「それはそれは。どのような作品を作られるのか、一度拝見したいですね〜」
相槌をうつようにピノの言葉をギルスは受け継いだ。
「とっても、いい笑顔をされていますよ。羽ペン一本の為に冒険者を十人も雇って、しかも落とし主に内緒で探しに行くなんて、その方をよほど大切に思っているんでしょうね‥‥。どうしました?」
「しっ!」
先を歩いていたサリトリアは唇に指を一本付けて、立てた。
「‥‥! 何か、来る。気をつけるんだ! 皆」
がさがさがさ、草が揺れる。現れたのは‥‥熊だ。しかもかなり大きい。
「ルージュさんを頼みますよ。二人とも!」
主の頼みに答えるように、犬達は大きな声でワンと吠え、ルージュの側に寄り添う。
「あまり、手荒な真似はしたくない。追い払う程度にして、我々も早く先に進もう!」
「そうですね。この先でイェーガーさんも待っているはずですし」
剣を構える冒険者はうなずきあい、そして、後ろで、犬に縋りつく娘を守るように前に立ったのだった。
夜更け
かつても同じようにしたな、と何人かの冒険者は思いながら、小さなカンテラを囲んだ。
ここは森の中。しかも先には木に宿る精霊がいる。炎の使用はできる限り控えるべきだった。
「あ、臭い? ごめんね、保存食の用意忘れてたよ〜」
「今度は気をつけて下さいね。どんな噂が立てられるか解りませんよ」
仲間達の注意に苦笑してガレットは頭を掻いた。初春の頃に比べると過ごしやすいとはいえ、やはり夜は冷える。彼らは毛布を肩に身を寄せ合ってカンテラを見つめた。
依頼人はとりあえずテントの中。周りに注意しつつ、アトスが口を開いた。
「どうやら、間違いは無いようですね‥‥。彼女は忘れ物を取りにいく。それ以外の何かを、目的にしている‥‥」
周囲にだけに聞こえる声で、アトスは囁いた。冒険者達の首ははっきりとは前に振られないが、視線は全員がそれを肯定している。
「難しい依頼ですね。 まずはやるべき事をやらないと」
「あの子を連れてこなくて正解か‥‥。そんな光景はできるなら、見せたくは無い‥‥」
「まあな。彼女はツキカのような魔法使いではないようだが、家が金持ちだからかなりの教育を受けている。精霊碑文学の知識も多少あるそうだな」
烈の言葉の意味を、冒険者は理解していた。要は‥‥目を離してはいけないということだ。
「マリオさんは、夢見がちで純粋な人だって姐が言ってたけど、ルージュさんもそんな感じの人みたいだよ。完全な箱入り娘で殆ど外にも出たことなくて、恋もしたことがなかったってヨーコさん言ってた」
小さく吐き出す思いと共に、ガレットは聞いた話を仲間達に伝える。
「そんな時、彼と出会った。大事なおばあさんから譲られたネックレスを壊してしまったのを直してもらったのがきっかけだったらしいけど、それ以来ずっとマリオさんのことを思い続けてきたって‥‥」
「縁談も、ルージュさんの方から望んで申し込まれたもので、一介の細工師が、宝石店の主に望まれて婿になるなんて申し込まれた方にしてみれば願っても無いことのはずなんだけどな‥‥」
『二人とも良い子なのです。ですが‥‥どちらも一つのことに集中してしまうと、他の事が目に入らなくなる傾向があるようですね。ある意味似たもの同士、なのだと思いますけど』
二人を良く知る婦人はそう苦笑していた。自分の世界と思いに囚われてしまいがちで‥‥少しでも外へと連れ出してみれば信じられない事態を引き起こす。先日の依頼の報告に行ったとき彼女はそう言って笑って見せたものだ。
「確か、杏露と、言いましたか? その樹精霊は‥‥」
「ええ。私達は、とりあえずそう呼んでいますよ。美しいアーモンドの巨木の精霊ですよ」
「姐さんが名付けたんだよね〜。でも、‥‥むー。正直人の恋路に関わることはあんまりしたくないなあ」
イェーガーは仲間達に前回の依頼で出会った精霊とマリオの恋、そしてその顛末を同行する仲間達に語っていた。
「人の恋路を邪魔する奴は? ってことだよね。でも、こっちもある意味恋路の邪魔、だよね〜」
腰に手を当て、やれやれという顔でため息を付く燐。できればショウゴは彼女を応援したいとさえ思っていた。
「周囲の方達にとって、精霊との恋など信じられないし、理解できないようですけどね。我々とて、実際に見ないと精霊の存在だってなかなか信じられませんし‥‥」
旅になれ、いろいろなものを見てきたから冒険者だからこそ、目の前で見た事を信じられるのだ。精霊の存在も。その思いも‥‥。
ふと今まで黙っていたギルスが
「で、イェーガーさん。どうだったんですか? 杏露さんとのお話は?」
先行していたイェーガーにそう聞いた。道の確認と言う名目で、先に出発し、先ほど戻ってきた彼は、様子を伺うように首を動かすと静かに答えた。
「とりあえず、来てはいけない。とまでは言いませんでしたよ。ただ‥‥」
サリトリアは目線を鋭く向ける。その眼差しを真剣に受け止めて‥‥イェーガーは呟いた。
「今の彼女は、あの時の彼女では無いですから‥‥」
「どういう意味だ?」
「‥‥今は、もう5月だということです。‥‥行けば解ります」
もう、明日の昼前には着くだろう。闇の向こうにあるはずの樹とそこに宿る精霊。
今は、どんなに目を凝らしても見えないその先に、待っているものがあるはず、だった。
●恋の炎
「おや?」
微かな違和感を冒険者は簡単に突き抜けた。薄布のような弱い抵抗は反発に身構えていた冒険者達を明らかに拍子抜けさせた。
「随分素直に入れてくれるのですね。かなり抵抗されるかと、覚悟をしていましたのに‥‥」
「抵抗したくても、できないんですよ‥‥ほら、ここです」
「うわあ‥‥。おっきな樹だねえ。もし、これが聞いたとおり真っ白な花で包まれていたとしたら、うん、さぞかしキレイだったろ〜なあ」
うっとりとするガレットの横を、すっとすり抜けルージュは樹の前に立った。
深い森の奥。見上げる空は木々の新緑に包まれ、その隙間から差す木漏れ日がキラキラと足元を照らしている。心、凍らせたものさえも溶かすであろう美しい光の中で、ルージュはただ、樹を真っ直ぐに、真っ直ぐに見上げていた。
「さて、羽ペンを探すと致しましょう」
微かに何かを思い、動こうとした彼女の肩を掴んで、静は声をかけた。
ハッと我に返ったように瞬きを二回。
「あ‥‥‥‥はい!」
ルージュは頷いて、樹の根元や周囲に目をやった。膝をつき、手で草を掻き分ける。
「私も、手伝いましょう」
高いものは膝丈くらいまでに伸びたそれを、冒険者もむしりながら探していく。
だが、十一人がそれだけ一生懸命捜したのに今回の目的、羽ペンはまったく見つからなかった。まだ、高かった日がいつの間にか消えかけても。
「本当に、ここに忘れていったのですか?」
「そのはず‥‥なんですが‥‥」
静の確認に不安そうにルージュが答える。
「もう、暗くなるから、とりあえずここで野営の準備しよっか。まだ時間はあるしね」
「そうだな。その後、ゆっくり捜すとしよう。明日もある。焦る必要は無い」
「ですが‥‥。解りました」
冒険者達の促しに彼女は静かに頷いた。それは、納得したもの、では無いことは解っていたが、一度彼女を冷静にさせる必要は間違いなくあったからだ。
野営の準備を行う仲間達。その中をそっと抜け出すものがいたことに、冒険者達は気付いていただろうが止めはしなかった。
深夜。
風が木々を揺らす音以外なにも聞こえない真夜中。微かに何かが動く音がした。簡易テントの扉が開き、出てくる一つの影。何かを握り締め、灯りの無い中よろめきながらもその影は真っ直ぐにそれの前に立ち、決意をするように顔を上げた。
「‥‥杏露さん、と言いましたね。どうか、姿を見せて下さい」
だが、目の前の樹は無言で佇むのみ。その影はもう、一度今度はさらに大きな声を上げた。
「私は、マリオ様の婚約者です。どうか‥‥彼の心から出て行って下さい!」
木陰から微かに光る月光が影を照らす。そこには真摯な顔で立ち尽くすルージュの姿があった。叫びにも似た呼びかけにも『彼女』は姿を見せない。
それが、まるで無視されているかのようで、お前など眼中に無いと言われているようで、彼女の心の熱を上げる。
「貴方がいると、マリオ様は‥‥どこかへ行ってしまう。人の夜を見ようとして下さらない。だから‥‥だから‥‥」
握り締めた手に持っていたものを彼女は握りなおした。そして、夜に慣れた目と月明かりの前にそれを広げようとしたその時。
ぱしん!
「きゃっ!」
ルージュの手が手刀で打たれた。声と共に地面にスクロールが落ちる。
「な、なに?」
「それで、本当にいいのかな?」
「気持ちは解りますが、その結果、マリオさんの心は永遠に離れますよ。その強い想いは別の形で伝えなければいけません」
「えっ?」
声のする方にルージュは目線を送った。カンテラの光が闇に慣れた目を刺す。木々の陰、自分の後ろ。そこには一人残すこと無い冒険者達の姿があった。
「少なくとも、シンルーさんがいなくなればマリオさんの心を取り戻す。事は永久に出来なくなります。‥‥マリオさんが後を追うから‥‥」
「愛する人の心を奪っている者はどんな物でも排除したくなる気持ちは分かるよ。でも、それは逆に彼に嫌われる事だから止めて。そんな事をすると本当に貴方と彼との繋がりが切れちゃうから。もっと広い心で彼を受け止めないと駄目だよ。だから、だから‥‥ね」
冒険者達の説得に、沈黙するルージュの目に、キラリ、何かが光り映った。夜の中だと言うのに何故かそれははっきりと見えた。羽ばたくシフールの腕の中にある銅鏡。
それに映った自分の姿。
「貴方は今、誰かに愛される顔をしていますか? 相手の愛しいものを奪っても、その心は奪ったものには決して移りませんよ。本当は分かっているのでしょう?」
「‥‥あっ‥‥」
膝を落としルージュはしゃがみ込んだ。鏡に映るオーガのような、自分の顔。この浅ましい姿を、行動を全て、見られていたのだ。
「私は、マリオ様に振り向いて欲しいんです。あの方の側で共に生き、同じものを夢見て生きたいのに‥‥」
「奪おうとする者が与えられる事は無いのですよ‥‥愛にせよ何にせよ‥‥ね。貴女にはその望みを叶える事が出来るはず。焦る必要はありません。貴女は彼の側にいられるのですから‥‥」
そっと、言葉を選んで静はルージュに告げた。
「今、杏露を殺せば、杏露より劣っているからこそ、杏露を排除しなければマリオさんの心をものにできないと認める事になる。マリオさんへの思いは偽りなのかな、杏露さんに負けるほどのものなのかな。違うだろ、だったら正直にその思いを伝えるだけでいいんじゃないかな」
冒険者達の一言、一言が静かにルージュの心の熱を冷ましていく。
「何故、この樹の精霊は、姿を現してくれなかったのでしょうか? 私など、眼中に無いということなのでしょうか‥‥。精霊が、姿を現してくれさえすれば‥‥」
言いながらルージュは苦笑していた。頭に熱が上っていた間。杏露と呼ばれる精霊をなんとか消し去ろうと思っていた時には気付かなかったが‥‥ひょっとしたら最初から彼らは、自分の本当の目的を理解していたのかもしれない。ならば、無理だったのかもしれないが‥‥。
「この樹という存在を滅した所で、マリオの心が動くとは思えない。いやむしろ手を出した事を恨み、感情を悪化させる。取り返しがつかなくなるぞ」
「それに、そもそも無理なのですよ。貴女の目的を果たそうとするのは‥‥」
落ちた火魔法のスクロールを拾い上げながらイェーガーは小さく言った。
ルージュの目的は、この樹の精霊杏露と向き合い、マリオと引き離すこと。それが叶わなければ樹を燃やし、滅する。それが失敗し、反撃を受けた最悪の場合には自分を樹が攻撃したと、冒険者に樹を倒させるつもりでさえあったのだろう。だが‥‥
「聞いていませんか? この樹の精霊は、花期で無いとその姿を現すことが殆ど出来ないのですよ。力を振るうことはできるでしょうが、それは‥‥止めて下さいとお願いしました」
膝を折り、拾ったスクロールをルージュに差し出す。
「シンルーさんとマリオさんの仲を裂く事は不可能に近い位二人は愛し合っています。ですが、やはり二人は住む世界の違うもの同士、なのですよ」
かさり、樹が揺れた。震えるような気配を感じながらイェーガーはそっと微笑みかけた。アーモンドの樹と、ルージュ。二人の女性に向かって。
「恋の炎は、自分を燃やすものであっても、他人を傷つけるものであってはいけないのです。よく考えてみて下さい‥‥」
言葉での返事はどちらからも返っては来なかった。
だが、
「‥‥あっ!」
突然空から、白いものが降ってきた。頭上に落ちてきた雪にしては大きすぎるものをギルスは素早くキャッチする。
「これは‥‥羽ペン? 彼女が持っていたのでしょうか?」
音さえも吸い込むような静寂の森の中、冒険者達はルージュと、そして彼女の啜り泣きを確かに聞いたような気がしていた。
●対峙‥‥三人の未来
「なんだって!」
訪問者を迎えたマリオは、彼には珍しいほどの大声で工房を揺らす。依頼の結果を彼に報告する。冒険者達の行動にルージュは反対しなかった。こうなることは解っていても。だ。
「ルージュが‥‥シンルーの樹を燃やそうとしたって? ルージュ!」
びくん!
荒げられた声に、恋する娘は身を硬くした。怒りに肩を震わせた彼が手を上に上げている。それを避けようとはしない。
振り下ろされる‥‥。
「待って下さい!」
「止めて。お兄ちゃん!」
冒険者達の制止と、少女の声が無ければ間違いなくルージュの頬に落ちていたそれは寸前で止められた。
静は言う。
「確かに、彼女のしようとしたことは良いこととは言えません。ですがそれは全て貴方を思ってしたこと。彼女の思いに、貴方はちゃんと向き合いましたか?」
ショウゴは告げる。
「今の貴方は、自分の欲求と言う名の殻に閉じこもり、現実から逃げ、目を背けているだけの臆病者となってしまいます。言ったはずです。この問題は本人達だけの問題ではない事を」
そして、ピノは諭すように静かにマリオの瞳を見つめた。
「精霊との恋には、苦しみは無い。ただ、身をゆだねていればいい。でも、それは本当の恋や愛では無いと私は‥‥思います」
マリオは反発しない。彼自身、心の底でそれを感じていたのだろう。否定も肯定もできず、ただ沈黙するのみ。
「マリオさん?」
呼び声に彼は目を上げる。ギルスは聖職者の眼差しでその目を見つめると一言だけ、と言って問うた。
「ルージュさんを親の決めた婚約者としてでなく、一人の女性として見たことはありますか?」
返事は返らない。ただ、俯き唇を噛み締める。完全否定ではない。ということは、ほんの僅かでも彼女に寄せる心があるのだと確かめて、ギルスはそれ以上の言葉を紡ぐのは止めた。
「あ、これだけはお渡ししていきますよ〜。彼女が、貴方の為に命がけで取りに行ってきたものですからね〜」
羽ペンを置いて、冒険者達は立ち上がった。そして‥‥部屋を出る。ここから先は、二人、いや三人の問題だ。彼らが口を出し過ぎていいことでもないのだから。
「ただ」
足を止めて振り返ったピノは二人に言葉を残した。心からの思いを。
「一言だけ言わせて下さい。答えは自分で出さなければなりません。人からの意見は参考にし、自分の出した答えに従い行動して下さい。それが間違っていたとしても‥‥どうか後悔だけはしないように‥‥」
「行くぞ‥‥」
「‥‥うん」
ツキカもサリトリアに促され部屋を出た。残ったのは二人だけ。彼と彼女が、何を思い、どう考えたかは解らない。どんな結果が出たのかも‥‥。
それを見守っていたのはあの白い、羽だけだったから。
元より、彼女の考えは箱入りのものだった。良く言えば一途だが、現実も、そして状況も何も知らずに突っ走った結果と言えよう。生木に炎を放ったとしても簡単に燃えるものではなく、宿る精霊が簡単に死ぬはずも無い。
精霊を怒らせることで、自分を攻撃させ、彼女を貶めようとしたのかもしれないし、冒険者に倒させようとしたのかもしれない。
あまりにも浅慮で、純粋な思い‥‥。
「マリオさんの気持ちがルージュさんに向かうのが一番の解決法だと思いますが‥‥」
「うん、まだ彼の心は精霊の元にあるだろうからね」
今は、これ以上の介入はできない。するべきでもない。
「人の恋路を、ってか〜。どっちの邪魔をして、どっちの応援をしたらいいんだろう」
答えは出ない。未来はまだ、見えない。いつか、また彼らに関わることがありそうなそんな予感さえする。いや、それは不思議な確信になっていた。
二人と一人の恋の行方は、まだまだ前途多難のようである。