まりえのアトリエ〜成功は蜜の味:発展編

■ショートシナリオ


担当:マレーア4

対応レベル:8〜14lv

難易度:やや難

成功報酬:4 G 98 C

参加人数:12人

サポート参加人数:-人

冒険期間:05月28日〜06月02日

リプレイ公開日:2006年06月05日

●オープニング

「これは駄目、これはいいかな、うん、これもいい‥‥」
 まりえの目の前には、厳選した蝋紙20枚が並んだ。特別に粘度を高めたインクも用意できた。せっせと作り溜めた紙が、取り敢えず200枚ほど積んである。
「謄写器は作るべきだよね。切った原紙と印刷する紙をずれない様に固定できればいいんだから、そんなに難しくは無い‥‥筈。鉄筆、インクを万遍なく塗る為のローラー、蝋紙を掻く時に使うザラザラの下敷き‥‥使う道具って、こんなものだったかな?」
 彼女が試みようとしている印刷方法、一般的に『ガリ版刷り』と呼ばれる印刷の理屈は至って単純。鉄筆でゴリゴリと表面を掻いた蝋紙の下に紙を敷き、蝋紙の上からインクを塗れば、蝋が削れ細かな穴の開いた部分だけがインクを通し、下の紙に文字や絵が写し取られるという仕組みだ。電気や複雑な機械が無くとも、これで同じ印刷物を大量に作る事が出来る。
「とうとうインサツというのが出来るんですね、おめでとうございますまりえ様!」
 パラ執事のトックも感慨ひとしお。
「ううん、まだまだこれからなの。こういう物が広まれば、訳も分からずこの世界に来てしまった仲間達に、いろんな事を報せる事が出来る。みんなが何かを残す事だって出来るでしょ? でもその為には、ウィルの人達にも印刷の便利さ素晴らしさを分かってもらって、どんどん使ってもらわなきゃ。冒険者として大活躍した人でなければ使えない高価な珍品では仕方が無いもの。とにかく今、用意出来たのはこれだけ。これで何を刷って、どんな人達に見せるか、そこが考え所よね」
 うーん、と思案に暮れるまりえ。貴族達に珍重される充電の切れた携帯電話や、飲まれる事の無い缶コーヒー。それと同じにするつもりは、彼女には無いのだ。

 その為にやらなければならい事はたくさんある。
「どうですか?」
 巣箱の工夫など、まじまじと眺め感心していた地元の養蜂家コーセブは、まりえの問いに、そうさなぁ、と頬を掻いた。
「巣の方はしっかりしたもんだな。驚いたわ。ただ、少しばかり蜜の集まりが悪い気がするんよ。ただ飼っとられればええっちゅうなら話は別だが、これからちょくちょく蜜やら蝋やらとって、色々こさえようっちゅうんだろ? このままではそう何度も取れはせんし、何より確実に冬は越せんで。哀れ箱の中で全滅だわ」
 それは困ります! と焦るまりえに、そりゃそうだわなぁ、とコーゼブ。
「それなら、もっと蜜の集められるところを回ってやる事だわな。まあ、見とるにゃ面白いだで、応援しとるよ」
 がんばりな、と、まりえの肩をぽんと叩いて、ひょこひょこと帰って行くコーセブ氏。それと入れ違いでやって来たのは、樹園の世話をしてくれている村人達だ。
「あら、皆さんいらっしゃい。これから顔を出そうと思って思ってたんですよ?」
「いや、それが‥‥困った事になりました」
 何とも言い難そうに説明を始める彼ら。なんと、樹園の近くにあった湧き水が涸れてしまったのだという。
「元々が野生の樹木だから、そんなに水が必要な訳では無いんですがね。これからの季節、下から汲み上げて来なければ水も撒けないというのではいかにも不安で」
 樹園は、低い小山の麓近くに切り開かれている。さしたる高さでないとは言っても、水を担いで何度も往復するのは大変な重労働になってしまうだろう。
「‥‥どうしよう」
「また、他の天界の方々にお知恵を拝借しますか? まりえ様にはハーブティーを淹れて差し上げますから、それを飲んで落ち着いてくださいね」
 温かい飲み物を村人達にも振舞ってから、トックは早速、必要な手続きに取り掛かったのだった。

●今回の参加者

 ea3102 アッシュ・クライン(33歳・♂・ナイト・人間・フランク王国)
 ea3982 レイリー・ロンド(29歳・♂・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 ea8147 白 銀麗(53歳・♀・僧侶・エルフ・華仙教大国)
 ea9378 柳 麗娟(35歳・♀・僧侶・エルフ・華仙教大国)
 ea9387 シュタール・アイゼナッハ(47歳・♂・ゴーレムニスト・人間・フランク王国)
 eb3653 ケミカ・アクティオ(35歳・♀・ウィザード・シフール・イギリス王国)
 eb4078 辰木 日向(22歳・♀・天界人・人間・天界(地球))
 eb4181 フレッド・イースタン(28歳・♂・鎧騎士・エルフ・アトランティス)
 eb4316 木下 秀之(38歳・♂・天界人・人間・天界(地球))
 eb4637 門見 雨霧(35歳・♂・ゴーレムニスト・人間・天界(地球))
 eb4639 賽 九龍(29歳・♂・天界人・人間・天界(地球))
 eb4726 セーラ・ティアンズ(22歳・♀・レンジャー・人間・イギリス王国)

●リプレイ本文

●蜜蜂はご機嫌斜め
 アトリエの庭先に、ずらりと並べられた蜜蜂の巣箱。シュタール・アイゼナッハ(ea9387)は念入りに煙を吹きかけてから、巣板に手をかけ引っ張り出した。縮こまっている蜂達をじっくりと眺め、刷毛で優しく掃き落とすと、巣の状態、幼虫達の様子や蜜の集まり具合まで、つぶさに観察する。
「‥‥蜂達には、これといって異常は無い様だのう」
「と、いうことは、純粋に蜜源の問題ということか」
 ふむ、と考え込むアッシュ・クライン(ea3102)。確かに、満杯になって蓋をされた蜜室は疎らにしか無い。
「えっと、花が足りないって事なら、山の斜面に花を植えられないでしょうか」
 提案したのは、辰木日向(eb4078)。そうだな、とアッシュも頷いた。
「蜂の行動範囲はかなり広いと聞いている。利用できる土地を見つけて、蜜が採れそうな植物を植えて行けばいいんじゃないか? 有用なハーブを植えておけば、収穫も期待できる。これからの季節に備え、食用にもなる果樹の苗を植えてみるのはどうだろう」
「果樹となると、花をつけ実が生るまで何年もかかりますよ?」
 パラ執事トックの指摘に答えたのは、柳麗娟(ea9378)だ。
「もちろん当面を凌ぐ手立ても必要でしょうが、先を見越して手を打っておくのは悪い事ではありません。個人的には、雑木林の木々と共生できるカタクリや、生命力が強いローズマリー、樹木でいえばトチノキ辺りを試してみたいのですが‥‥」
 彼女が挙げる名を、マリエはふむふむなるほどと感心しながら熱心に書き止めている。皆の話を興味深げに聞いていたレイリー・ロンド(ea3982)も、堪らず議論に参戦だ。
「ハーブの栽培は、確かに有益と思う。生命力も強く、すぐ増え花も綺麗な上に手間が掛からない。新たな財源としても期待できる筈だ」
 皆が勧める栽培なのだが、マリエは少々尻込みする気持ちがある様子。
「でも、それってかなり大変ですよね。庭に少々の草花を育てれば良いという話では無いでしょう? 開花の時期を考えて複数のものを育てなければならないだろうし‥‥」
 すでに紙の為の樹園を手がけている。このままでは専業農家になってしまう、と内心途方に暮れる彼女である。それならばとフレッド・イースタン(eb4181)が別の提案を。
「蜜源は必ず何処かにあるのだから、巣箱を蜜のある場所に運べば済む話です。聞けば、ご領主はルーケイ伯に花畑を貸せと冗談を言ったとか。その冗談、本当にしてしまったらどうでしょう」
「その場合は、ご領主様に話を通して頂かないといけませんね」
 トックの言葉に、マリエ、どっちにしろ簡単には行かないか、と溜息をついた。
「栽培にしろ他領まで出向いての蜜集めにしろ、ご領主様に相談してみないとですね。ただ、すぐに解決するかどうか分からないので、さしあたってどうするかを考えないと‥‥」
「今は草花芽吹き育つ季節。少し足を延ばせば咲いてる花もあるだろう」
「もしも蜂蜜がたくさん採れる様になったら、私達に安く譲ってくださいね。私は今、スィーツ・iランドという天界のお店を手伝ってるんです。夢を叶える為に頑張るって、素敵ですよね」
 太陽の様な笑顔で商売を持ちかけるセーラ・ティアンズ(eb4726)。マリエもにっこり微笑んで。
「採算を無視して安くは売れません。でも、優先的にお売りするのはありかも知れませんね」
 にこにこしながら、商いの火花を散らすふたり。
「まずは養蜂を軌道に乗せないと、皮算用に意味はありませんけどね」
 トックが小さく、肩を竦めた。
「先の事になるが‥‥この辺り、冬場に雪は降るか? どの程度積もるだろうか」
 アッシュが問うと、トックは『時に私が埋まるくらい』と答えた。普通の人間でいえば腰くらいの積雪だろうか。冬はそれなりに厳しそうだ。小屋の様なものを作って巣箱を守ってやった方がいいのかも知れないと、アッシュ。蜂も自然と雨風に曝され難い温かな場所に巣を作る。無意味ということはあるまい。ここまで手をかけて蜂を飼う養蜂は、この世界では彼らが先駆者。全ては自ら試さなければ答えは出ない。

「綺麗に咲いていても蜜をあまり出さない花もあるから要注意。今はクローバーなんかが、良い蜜源になる筈よ」
 足を延ばしての蜜源探し。セーラ、意外と博識なところを披露する。ここで見かけるのは主にクローバーだ。休耕中の畑に飼料兼肥料として植えられているものだ。
「あ、そうそう、蜜蜂はある花に通い出したら他の花には行かず、同じ種類の花だけに通い続けるっていう習性があるんだって。その辺りも考慮しないとね」
 一同、へえ、と感心。
「もっと畑でクローバーを育ててもらう訳にはいかないんですか? 他の草花でもいいんですけど」
 日向の問いに、村人が困った風に笑う。レンゲや菜種の無い風景というのは、日本育ちの日向には何だか少々物足りない。
「畑は計画立てて作物を植えてますんで。どうしてもというなら、山裾でも切り開いてもらうしか。クローバーは何処でも生える。蕎麦も強い。木なら林檎なんかがいい。蜂もよく集まっとります」
 日向は村人の話を反芻しながら、日当たりの良い斜面に目を向ける。畑にするには難のなるこういった場所を利用する、良い機会かも知れない。愛馬バングリートに跨ったレイリーが、彼女の横に並び話しかける。
「しかし、本当に山だらけの領地だな。小さなボテ山ばかりだが、それ以上に平地が少ない。先ずは巣箱を散らして様子を見、その間に草花の栽培を進めるなり他領との話をつけるなりするのが順当なところかな」
 シュタールは翌朝、蜂達が起き出さない間に準備をし、セーラ、日向、レイリーらそれぞれに四方に分かれて巣箱を移した。とはいっても、蜂の行動範囲からすればやはり被っているのだが‥‥。あくまで一時凌ぎだが、それでも蜂達は人間よりも遥かに上手に蜜を見つけ、集めて来る。
 シュタールは巣箱の換気や置き場所、天敵の有無にも気を配った。鳥などが巣の中にまで入らない様に大工に頼んで工夫してもらった。ただ、蜂の習性を邪魔する様な手は加えられないのが辛いところ。後は見守ってやるしか無い。
 のんびりと、良い風を体にうけながら蜂達の仕事振りを眺めていた彼は、何度目かの魔法で嫌な振動を感じ取った。レイリーと二人して辺りを探した彼は、まだ小さな、しかし特徴的な巣を発見する。
「スズメバチ‥‥だな」
 苦々しげに呟くレイリー。
「とにかく、大きくならん内に処置してしまおう」
 道具を持ち出し大騒ぎで巣を取り除いた彼らだが、他にもまだ無いとは限らない。相談を受けたコーゼブは言った。
「スズメバチはいかん。あれに襲われたら、蜜蜂の巣なんか簡単に全滅してしまうで‥‥出来る事なら、今の内に徹底的に駆除してしまう事だな」

●樹園
 何故水が枯れたのか。
 冒険者達はそれを探るため問題の湧き水へと繰り出した。
 一通り現場を見て回ったフレッドは、途方に暮れたように立ち尽くしていた。
 目の前にあるのはかつて湧き出る水で満たされていたはずの名残。水は湧き出てはいないが、土の水分まですっかり蒸発したわけではないので、踏み込めばズブズブと足が沈む。これでは詳しい調査は難しいだろうか?
 同じことを考えていたのかレイリーも黙考していた。
「原因調査は後回しにするとしても、水源だけでも見つけて何とかしたいな」
 と、そこに現れたのは異様な格好の男。
「俺に任せな」
 男の顔半分は物々しいマスクに覆われていて、一瞬誰だかわからない。彼はそんな周囲の視線など全く気にせず、両手に持ったL字の細い金属棒を地面と水平にしながらゆっくりと歩き出す。
「ああ、誰かと思えば九龍さんでしたか。いったい何をしているんです?」
 フレッドが首を傾げながら賽九龍(eb4639)に問う。
 地球人ならわかったかもしれない。九龍が行っているのはダウジングである。
 最も、謎なのはなぜヘッドランプと防塵マスクをし、背中にスコップを背負っているのか、だ。
「これはダウジングといって、地中にあるものを探ったりするんだよ。これで水源がわかればいいんだがな」
「なるほどのぅ。わしもバイブレーションセンサーでちと探ってみるかのぅ」
 シュタールの身が淡い光に包まれる。
「うまく見つけたら掘るとしようかの」
「いやいやいや。それには土地のドワーフを呼びませんと」
 呟きに、周りで見守っていた村人達がいっせいに止めにかかる。見つけるのはいいが、掘るにはいろいろとあるようだ。
 二人が水源を探っている間、湧き水について村人から話を聞いた。
 この湧き水は雨の少ない日が続けばちょくちょく涸れていたらしい。そのことをよく調べないまま、まりえの樹園話を進めてしまっていたのだ。
 しばらく雑談交じりの話をしていたが、どうにも水源が見つかりそうもないので、日向は次の案として麓の川や貯水池から風車を作って水を運べないか、という話になった。
 木の枝でむき出しの土面に図を描いて説明していた日向だが、ふと困ったようにため息をついた。
「朝と夕方、この辺りに風が吹くのは確かです。でも、それで本当に安定して水が汲み上げられるものかどうか‥‥」
「自然の事ですから、毎日同じ様に働いてくれる事を望むのは無理でしょう。上に小さな溜池を作って、水を溜めておけばいい。水を誘導する方法も色々ある筈。上手く組み合わせれば、きっと上手く行きます。結論は急がなくてもいいと思いますよ。知恵を絞れば解決案も出るでしょう」
 フレッドの言葉に日向が小さく笑む。

●インサツを広めよう
 ふーむ。ふーむ。みんなで丸く輪になって。限られた材料と限られた時間、一体何をするべきか。
「とにかく、この世界に紙が在るってことを知って貰う必要がありますよね」
 口火を切るセーラ。
「そこで、スィーツ・iランドの広告やメニューの用紙として使ってみてはどうかしら?」
 こちらに来ている地球人に、紙が開発された事を報せるには、良い方法だろう。一頭の子羊から5枚しか採れない羊皮紙では、とてもこんな使い方は出来ない。
「紙の安さをアピールする上ではいいかも」
 まりえを始め皆から反対意見は無い。
「じゃあ、これは決まりね」
 幸先の良いスタートに皆の話もノッて来る。

「‥‥俺、だけどさ。アトランティスに来て一番困ったのは町並みや習慣がわからなかった事だったよ」
 レイリーの発言を承け、白銀麗(ea8147)が話を続ける。
「そうですね。印刷の試し刷りについては、地図が一番だと思いますよ。こう言う今までにない便利な物を広めるには、商人が価値を理解してくれること。先ず、交易商人の目に留まる必要がありますよね。交易に役立つ地図を安価で生産できれば、きっと良い宣伝になると思いますよ」
「では、さしあたりは一番入手しやすいセトタ大陸と王都ウィルの地図を複製より始めましょう。出来れば色の違うインクを拵えて多色刷りに挑戦したいところです。山岳、街道、国名、都市、国境を誰にでも判る形で見せれば、きっと便利さを判ってくれる筈です」
 そう言う麗娟は具体案として、木枠に丈夫な糸を格子に貼り、ズレを防ぐアイディアを提示した。
「アトランティスでも識字率はあまり高くないですから、絵の入った地図ならば、多少読み書きが不自由でもなんとかなると思います」
 賛意を受けて、銀嶺は身を乗り出す。
「うん。読み書きが出来ないのが一般的みたいだから、それがいいかもな」
 頷くレイリー。
「地図のインサツについては男爵に問題無いか聞いてからね。問題無いなら空高くから地上を見て地図の下絵を描くわ」
 ケミカ・アクティオ(eb3653)も賛成に加わって決定事項となりかけたとき。
「あ、駄目ですよ」
 意義を唱えたのは、パーブティーを運んできたトック。
「地図は大変な軍事機密なんです。交易に便利だというのは戦争にも便利です。領地の地勢や街の位置が露わになるだけで、攻める方は大変楽に成るんですから。橋の位置を制限したり、架けずに渡し舟にしたりしてるのは、敵に攻められたときの守りのためです。王都の地図だって、大雑把な物しかありません。どんな物を作ろうとしているのか知りませんが、一つ間違えると男爵様のお立場が悪くなりますよ」
 うーんと唸る一同。華国もイギリスもビザンチンも、皆一人の偉大な王や皇帝が君臨する国家である。程度の違いはあれ、地図が広まらないことが安全の条件などとは思いもしなかった。特にビザンチンのレイリーに至っては、道を、それも複数路線創って維持し、速やかに軍隊を戦場に集結させることこそが国防であるとの常識を持っていた。
「所変わればって事か‥‥」
 カルチャーショックを受ける。
「セトタ大陸全体の概略地図も、持っている物は少ないんですよ」
 トックの言葉が、文字通り異世界の常識に思えた。

 トックの持ってきたハーブティーを啜り菓子を食べ、窓を開いて空気の入れ換え。こもっていた熱気が清冽な風に取って代わられると、漂っていた憂鬱な気分も一掃される。うわさ話や軽口を叩ける状況を、ティーブレイクはもたらした。
「へー。それでそのカオスにゃんって人、ジャガイモを持ってきたの。ウィルの、いやアトランティスの歴史が変わるかもね」
 まりえの言葉にフレッドは質問する。
「まりえさん。ジャガイモと言う物で歴史が変わるのですか?」
「そりゃもう。エンマ麦よりも寒さに強いし荒れ地でも育つ。育てるのが子供でも簡単な上、お肉やミルクに良く合うの。とても美味しいのよ。大々的に栽培するようになったら、今よりもより沢山の人口を養うことが出来るのよ」
 未開拓の土地が多いウィルでは人口が国力である。食って行けると成ったら流民も定住させやすいし、無用な争いも減るであろう。そこまではフレッドも瞬時に理解した。
「食生活に革命が起きますね」
 食糧を握る物が支配者となる。それはここウィルでも同様なのだ。
「‥‥それでね。ケミカちゃ‥‥ケミカさん」
「あーもぉ、ケミカちゃんの方が呼びやすいなら、それでいいわよ。今更さん付けよりはその方がいいわ」
 ケミカはまりえの膝にちょこんと横すわり。可愛い人形の用にニコリと口元を綻ばせ、言った。
「インサツの使い道かぁ‥‥。私はね、いずれは、絵と簡単な文章を書いた紙を、皆に配って、遠くの土地でどんな事が起きたかを伝えられたらって思ってるわけ。吟遊詩人が歌で遠くの出来事を伝えるみたいな感じね。歌は、聞く人と歌い手が同じ場所にいないと伝わらないけど紙とインサツなら、どこまででも持ち運べるでしょ」
「新聞を作るの?」
「シンブンって‥‥」
「今ケミカちゃんが言ったものよ」

♪知・ら・な・い・事なら〜 私に聞いてぇ〜
 な・ん・で・も・かんでも〜 お報せしまっすぅ〜♪

 飛びながら一節歌い、ケミカはの心は加速する。
「そんな事が出来るようになったら、私はシヴァっちと一緒にウィル中を走り回って、絵を描いて。まりえにインサツして欲しいな。そうだ! 華やかなチャリオットレースの模様の絵と文を描くわ。ね! 素敵でしょ?」
「新聞社? いえ出版社よね。名前はそう‥‥夢は大きく『アトランティス出版』なんてどう?」
 まりえはぐいと拳を天に突き出した。ならばと来賓の主だったウィル王侯貴族の肖像を風刺画的に愛らしく描いてみよう‥‥と言い出す麗娟。文字だけじゃ読める人が少ないけど、絵やイラストを多くして、絵巻のように絵で読ませる物ならば読者は増える。読み書きの普及にも寄与するかも知れない。
「あ、一応ご本人の許可は必要ですよ」
 トックが慌てて釘を刺した。

 他にも、農業書や料理のレシピを絵本で出せば面白いと言い出すレイリー。フレッドは前に挫折した債権の話を提案してみた。
「実用書は需要がありそう。お料理の本とかなら買い手が着きやすいだろうし。‥‥でも。有価証券は難しそうだわ。それを保証するものがないと成立しないと思うの。中央集権国家で経済統合されていない限り、難しいんじゃないかしら」
 無数の領主が割拠するウィルでは難しいと言うことなのだろう。マルコポーロの時代の中国。元と言う国で使われた紙幣も、国家の専売する塩とお茶をどこでも紙幣で買えることが信用の基盤であった。領主毎に小さな独立国を作っている現状では、かなのり難しい事だと言えよう。
 結局、印刷テストの題材に選ばれたのは次の物であった。
・料理レシピ
・チャリオットレース新聞
 肖像画、多色刷りなどは、少数刷って実験。スィーツ・iランド広告・メニューは、試し刷りの1枚づつをサンプルとして作る事になった。

●印刷できるかな
 まずは、必要な道具作りから。
「ところでまりえさん、鉄筆は鉄の純度が高い方がいいですか? 必要なら磁石を作って、砂鉄を集め高純度の物を作りますよ」
 さりげなく『磁石』を強調。いつも控え目な彼女が心なしか身を乗り出し気味に、その碧い瞳も期待にてらてらと輝いている。まりえの対人センサーは、今彼女に逆らわない方がいい、との結論を瞬時に導き出した。
「そうですね‥‥力をかけて壊れてしまわなければそれでいいんですけど、細かい事はお任せします」
 承りました、と満面の笑み。
「よし、ではわしも手伝おう」
 腕まくりでも始めそうな勢いでシュタールまでやって来て。製造方法は、古代から知られた基本的なものを用いた。細長い鉄の棒を用意し、南北方向に置いて真っ赤になるまで熱し、中まで十分焼けた所で水をかけて急冷するのだ。
「これを木片に乗せて水に浮かべると、方角を示す指南魚にもなるのです。地図と組み合わせれば、大いに役立つ事でしょう」
 期待に満ちた目で磁気を帯びた筈の金属片を見詰める銀麗。しかし、次第に戸惑いの色が浮かび始める。それはただ、水の上で気まぐれに漂うばかりだったからだ。試しに金属を当ててみても、引き付ける様子は無い。結果は、何度試しても同じだった。
「何か、この世界特有の現象かも知れませんね‥‥」
「うむむ、残念、残念‥‥」
 シュタールは磁石を利用して更なる天界人の技術を実現させようと目論んでいただけに、落胆も大きかった。銀麗のそれは、いわずもがなだ。
 ところで鉄筆の方はどうなったかというと。
「砂鉄なら手に入りますよ。砂金を採掘する時に、一緒に出る様です」
 トックが調達して来て、それ相応のものが完成するに至ったのだった。

 しくじりも、次の挑戦への糧というもの。
「ざらざらした下敷き‥‥こんなもので如何でしょう?」
 銀麗が次に作ったのは、簡単に言えば板の上にニカワを塗り、砂をまんべんなく貼り付けたものだった。が、早速使ってみたケミカが、素っ頓狂な声を上げる。
「あ、わ、あらら、下敷きごと削れちゃった」
 何せその上で力いっぱい鉄筆を走らせるのだから、かなりしっかりしたものでなければこうなってしまうのだ。荒砥石なども試したが、これもすぐに傷ついてしまってよろしく無い。銀麗もケミカも、途方に暮れてしまった。まりえの記憶が曖昧で、どんなものか正確に把握できていないのが痛い。
「ねえ、雨霧くんは覚えてないの?」
 ケミカに問われ、ひょいと顔を出した門見雨霧(eb4637)。謄写版の構造を書き出すのに悪戦苦闘、ずっとアトリエに篭っていた彼。まるまった背を伸ばし、大きな欠伸をひとつ。
「んー、記憶曖昧だけど、確かそれ、俺らはヤスリ板って呼んでたよ。かなりゴツイ代物だったと思う」
「それで、ザラザラ?」
「そう。目はかなり細かかったかな」
 なるほど、と頷き合うケミカと銀麗だ。
「これはもう、ちゃんとした職人に発注した方がいいかも知れんのう」
 シュタールの言葉に、マリエも、そうですね、そうしましょうと賛同した。
「インクをまんべんなく塗る為のローラーはどうする? 歪みの無い正確な円柱をつくってその中心に穴を開けるって、けっこう難しいよ? ろくろがあれば楽ちんだけど」
 ケミカの指摘で、これも発注する事にした。そうなれば、今度は職人にどんなものを作って欲しいのか伝えなければならず、設計図を作ったり出向いて行って話したりと、結局のところ皆、大わらわだったのだが。

 鉄筆は、この世界の技術で問題なく完成した。細かく目打ちされたヤスリ板は、さすが本職の仕事。ローラーもまずまずの精度のものが出来上がった。貼り付けたフェルトのふわふわが気持ちいい。雨霧うろ覚えの謄写版は、試行錯誤の末にどうにか使えるレベルに漕ぎ着けた。
「木枠に細かいメッシュ状の金網、蝋紙を固定する為の留め具。木枠と原稿を置く木板とを接続する蝶番がこれでもかってゴツさなのはご愛嬌だな。謄写版の蓋を閉じる時に印刷紙がズレ難くなる様に、木板部分に鉄板を当てて上から叩いてみた。いい感じに凹みがついてるだろ? 憎い心遣いだよなぁ偉いよ俺」
「だーっ! 今、原紙切ってるんだからゴチャゴチャいわないっ!」
 鉄筆抱えてご立腹のケミカに、雨霧が肩を竦めた。
「‥‥寝る」
 フテ寝である。慌ててマリエが宥めている内に、ケミカがやった! と拳を掲げた。
「遂に完成、チャリオットレース新聞準備号! ね、ね、まりえ、すぐに刷ってみようよ!」
「インクの準備は出来てますよ」
 銀麗が差し出したインクに、まりえが緊張の面持ちで新品のローラーを浸し、馴染ませる。雨霧もいつの間にか起きて来て、ケミカの作った原紙を皺にならないよう延ばしながら謄写版にセットした。切り揃えた印刷紙も用意して、準備は万端。
「では、いきます」
 深呼吸してから、まりえが原紙にローラーを走らせた。粘性の高いインクが、ぞりぞりと音を立てる。まんべんなく塗れたことを確認し、下に紙を置いて、原紙を下ろし、丁寧に圧迫。
「うわ〜、できてる〜っ!」
 慣れない鉄筆に少々イラつきながらも書き上げた文章、そして挿絵。全て、そこに再生されていた。そうする間にも、1枚、また1枚と刷り上がる。
「うん、いいみたいね。所々滲んじゃってるのは、蝋紙の精度がまだ低いからかな? でも、最初にしては上出来!」
「上出来っ!」
 ケミカと一緒に、まりえもくるりと回った。

●電池に挑戦
 小学校の頃、授業でやった記憶がある。10円・1円・濾紙・10円・1円・濾紙‥‥。10円玉と1円玉を濾紙を間に挟んで交互に積み上げる。モーターを回しプロペラが回った驚きは今でも覚えている。学研の科学の教材にもあったような‥‥。
「貸そう、かな、まあ当てにすな、ひどすぎる借金」
 カリウム、カルシウム、ナトリウム、マグネシウム、アルミニウム、鉄、ニッケル、スズ、鉛、(水素)、銅、水銀、銀、白金、金。
 木下秀之(eb4316)は新たな挑戦を始める。まりえから化学の参考書を借りイオン化傾向を確認。アトランティスでも入手可能な材料を調べるためだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
◆酸化力のない酸との反応
 主な物は塩酸や希硫酸で、殆どの酸がこれに当たります。イオン化傾向のHの直前までの金属が反応して、必ず水素を発生します。それ以下の銅Cu以降は何をしても反応しません。
 例外は鉛Pb。無機化学の【沈殿とイオンの性質】で、PbがCl−ともSO4・2−とも難溶性の物質を生成します。これが鉛の反応を邪魔する形になり、反応が進行しません。つまり塩酸と希硫酸では鉛はほとんど反応しないのです。

◆酸化力のある酸との反応
 希硝酸、濃硝酸、そして熱濃硫酸を指します。硝酸や硫酸は、薄いか濃いかでかなり性質が変わってくるので区別します。熱濃硫酸とは加熱した濃硫酸のことで、濃硫酸はそのままでは酸化力を持たず、加熱することではじめて酸化力を発揮します。
 酸化力がプラスされただけあって、反応領域が広がり、白金と金以外はすべて反応します。ここで大事なのは、発生する気体です。酸化力のない酸ではいつも水素でしたが、使用した酸によって発生する気体が異なります。希硝酸ではNOが、濃硝酸ではNO2が、そして熱濃硫酸ではSO2が発生します。
 無機化学の【気体の製法と性質】のところで、これらの金属の製法ですべて銅との反応であることを確認して下さい。

◆不動態
 酸化力のある酸の場合にも例外が存在します。通常、反応する範囲に入っているAl、Fe、Niは、濃硝酸と熱濃硫酸に限っては反応しません。これは「不動態」となるからです。「不動態」とは、金属が表面に酸化被膜を形成するために内部が保護される状態のことです。なおそれ以外、例えば希硝酸のときには不動態を形成せずに反応します。
 ちなみにCrも不動態を形成する金属であることに注意しましょう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「溶液は希硝酸、鉄と銅あたりがいい感じだな」
 秀之は参考書を何度も確認し、結論に至る。問題は希硝酸だが、
「はい。ストックがあるわよ」
 こともなげにまりえが出した。鉱石屑からアマルガム法で取り出した金銀の純度を上げるために使用しているのだと言う。
「この気候で天然物は無いよな? 排泄物を利用する方法かな?」
「正解。乾燥したヨモギの葉におしっこを吸わせて、密封した状態で発酵途中の堆肥の中に容器を埋めるの。それで1週間くらいヨモギに付いた硝化バクテリアを培養するわけ。その後木灰を加えて熱湯で加熱を続けると木灰のカリ分と結びついて硝石が出来るわ。それを使って硝酸を作るの。多少不純物もあるし、あんまり濃いものは出来なかったけどね」
 ともあれ、意外と簡単に電池が完成。但しボルタ電堆の特性として、水素の発生は抑えられない。アトランティスでは爆発的科学反応は無いけれども、金属に付着した水素が起電力を弱めることは免れなかった。
「あ、濃硫酸に水をいれちゃ駄目!」
 実験途中でまりえが注意した。希釈熱での爆発は物理的爆発なのでアトランティスでも起こるそうだ。熱した鉄に水を掛けるとじゅっと言って弾けるのはここでも同じとか。
 ともあれ、秀之の行った電気メッキ実験は成功した。

●ひとまずは休憩を
 チャリオット新聞100枚、お得情報お料理チラシ100枚。刷り終えた一同は、それを市に集まった人々に配布した。珍しさから大変な人だかりとなり、あっという間に用意した印刷物は無くなってしまった。どのくらいの宣伝効果があったのかは、ちょっと分からない。
「お疲れ様‥‥大変だったみたいね」
 出迎えたセーラが、必死に笑いを堪えている。そのくらい、揉みくちゃになった印刷組の有様は凄かった。
「でも、宣伝っていう意味ではちょっと失敗だったかも。珍しがられて終わりになっちゃいそう」
 その場の空気を思い出し、喜びも半分のケミカである。
「メニューとチラシの相談に乗ってほしかったけど、疲れてるなら後にする?」
 セーラが作った原紙に見る見る見せて! とケミカ復活。可愛いイラストを入れよう! 字体ももっと可愛くできないかな? とまあ、実に賑やか。
「おーい、表の木材は何だ?」
「冬に備えて、巣箱を守る小屋でも建てておこうかとな。とりあえず、材料は集まったよ」
 アッシュの説明に、なるほど、と手を打った九龍。いつでも手伝うぞ、と、案外と気のいいところを見せてみたり。
「樹園の方も少々手のかかる事になりそうだからな。何処もかしこも、皆で力を合わせなければどうにもならない事だらけさ」
 そう言って、九龍は肩を竦めた。
「皆さん、お茶をどうぞ〜」
 日向とトックが、お茶とお菓子を運んで来る。まだまだ課題は山積だけれども、どんな時でも息抜きは必要だ。
「本当はホットケーキを作りたかったんですけど、重曹が手に入らなくて‥‥」
 今日のおやつは、日向お手製のパンケーキ。お好みで蜂蜜とバターをかけてどうぞ。
「ん、美味い。けど、まよねーず食いて〜。今晩は是非まよねず料理で」
「あんなのは邪道です。酢に油や卵を混ぜるなんて信じられません。そのままで十分に美味しいものなのに」
 やれやれと首を降るフレッドに、分かってないな! とマヨネーズの素晴らしさを滔々と語り始める秀之。火花を散らす二人に、皆が呆れ笑う。
「まりえさん、蜜蝋は蝋紙を作るのに使うらしいが、少し蝋燭にしてみる気は? こんなものを作ってみたんだけど」
 雨霧が差し出したのは、小さな蝋燭。ただし、彼が工夫を凝らしたのは芯の方だ。金属粉や骨粉を混ぜた芯は、燃やすと様々な色の炎を生み出すのだ。
「あ、いいなそれ‥‥」
 セーラが身を乗り出して揺れる炎を見詰める。しかし、蜜蝋を使った蝋燭は高い。お店で使うなら、ちょっと勇気が必要だ。
 最後にやって来た麗娟は、
「とりあえず、有名どころを揃えてみました」
 と、テーブルの上に似顔絵を並べた置いた。エーガン王にカーロン王子エーロン王子、マリーネ姫にジーザム卿。どれもこれも特徴を捉えすぎていて、危うくお茶会が大惨事になるところだった。
「こ、このエーロン王子は‥‥いけません、き、危険すぎます‥‥うぷぷ」
 トックが呼吸困難で死に掛けている。そうでしょうか? と澄まし顔で、麗娟は香り良いお茶を啜った。