乙女の特権〜月夜に誘われて
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■ショートシナリオ
担当:マレーア4
対応レベル:8〜14lv
難易度:やや易
成功報酬:2 G 49 C
参加人数:6人
サポート参加人数:1人
冒険期間:09月24日〜09月27日
リプレイ公開日:2006年09月29日
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●オープニング
上品なデザインのカップが、白魚のような少女の手から離れテーブルの上に戻される。
少女の明るい茶色の瞳は束ねられた羊皮紙の上を熱心に追っていた。
時折、形の良い薔薇色の唇からため息のような呟きがこぼれる。
「‥‥が慈愛に満ちた眼差しで手の中の白い花を見つめ‥‥が触れると花からは透明な蜜が‥‥」
物語を読んでいるようだ。
やがて最後の一枚を読み終えると、少女は余韻にひたるように目を閉じ羊皮紙の束を抱きしめた。
しばらくそうしていた後、カップの中の紅茶を飲み干すとベッド脇の小机の引き出しから羊皮紙と羽ペン、インク瓶を取り出して何か書き付けはじめた。
「切羽詰ったような字だったから、大変なことでも起こったのかと思ったわ」
早便で届けられた手紙をヒラヒラさせながら呆れたように言ったのは、翌日に馬車を飛ばしてきたハイデマリー。
対するシェスティンはムッとしたように唇をとがらせる。
「呑気に言わないで。もう凄いんだから。一大事よ。まずはこれを読んで」
一気にしゃべるとシェスティンはハイデマリーに早く座れと手招きし、昨日読んでいた羊皮紙の束を押し付けた。
いったい何なの、と迷惑そうにしながらもハイデマリーは渡されたそれに目を通していく。
始めは興味なさそうにしていたが、しだいに文面に引き込まれすぐに周りが見えなくなっていた。昨日のシェスティンと同じ顔になっている。
読み終えたハイデマリーは興奮気味に友人を見上げた。
「ちょっとコレどうしたの? 誰が書いたの? いったい‥‥」
「まぁまぁ落ち着いて。作者についてはわからないのよ。お母様が入手してくださったの。でもそんなことより、ちょっとこの設定は斬新だと思わない?」
「思う」
「それでね、ほら、月もきれいなことだし‥‥パーティで耳にしたんだけど、ジャパンという国ではお月見という風習があるっていうのよ。月を眺めてのパーティらしいんだけど。それで、この物語のように人間と精霊で‥‥」
「月の精霊かぁ‥‥きっとあの光を映したように美しい人なんだろうねぇ」
ウフフオホホと二人はどこか遠くを見る眼差しで不気味に虚空を見つめながら笑い声をもらす。
当たり前だが月精霊の姿など誰も見たことはない。あくまでも二人の脳内にあふれる妄想である。別の人が妄想すればあるいは妖艶な女性だったりするかもしれない。
「それじゃ、人間と月精霊の切ない恋物語ってことで‥‥」
うっとりとハイデマリーが呟けば、シェスティンも瞳をうるませて頷く。
「依頼は私が出しておくわね」
二人はしばらくぼんやりとそれぞれの妄想に浸っていた。
●リプレイ本文
●落とされた精霊
今回の朗読劇は午後六時開演だった。
劇の内容が月をテーマにしたものだったというのが主な理由だ。
劇の雰囲気を出すためか、大きな窓のカーテンはかけられず、舞台の照明ランプの周りは紗で覆われている。おぼろ月のようだ。
やがて開演十分前を告げる合図が鳴ると、令嬢達はそれぞれ席に着いた。
そして、セラフィマ・レオーノフ(eb2554)のナレーションで今日も乙女のための朗読劇が始まった。
月の上位精霊アナイン・シーの高潔な声が月の宮殿に響き渡る。その声は、人間の耳には竪琴の旋律のように聞こえたかもしれない。
「愚かなグリューネ。今からお前に罰を与える。地上でしばらく生活して反省するといい。精霊の力は封印しておく。よいな」
反論を許されず、グリューネと呼ばれた少年のような月精霊は、あっという間に地上に落とされてしまった。
月の精霊界から落とされたグリューネは、ふっと目を覚ました。
グリューネがいるところはこじんまりとした寝室だった。家具は簡素だがどれも上品な造りだ。窓の外には森が広がっている。木こりの家にしてはどこか貴族的な空気も匂わせる不思議な部屋だった。
グリューネはベッドから這い出すと、そっとドアを開けた。
ドアの向こうはすぐに居間になっていた。どうやら二部屋だけの小屋のようだ。
そしてそこにはソファにゆったりと腰掛けて手紙を読んでいる青年が一人いた。
「あの‥‥」
グリューネが声をかけると青年が顔を上げる。そしてグリューネの姿を見ると穏やかな笑みを浮かべた。
「目が覚めたか? どこか痛いところは?」
「ないです。あの」
「ここは王都からだいぶ離れた森の中だよ」
不安げに揺れるグリューネの緑の瞳を気遣い、ゆっくりと話すリヒター。
彼はグリューネにソファに座るように言うと、自分は立ち上がってキッチンへ向かった。お茶の用意をしながらリヒターは話を続ける。
「キミはどうしてこんなところに? 迷子にしては迷いすぎだね」
冗談めかして言うと、グリューネの頬がかすかに染まる。見たところ十一歳くらいの綺麗な顔立ちの少年だった。
グリューネは自分が月の精霊であることを隠すことにした。その代わり、自分の名前以外何も覚えていないことにした。少し、心が咎めるけれど。
グリューネが記憶喪失で行く当てもないとわかると、リヒターは記憶が戻るまでここにいればいい、と優しく言った。
こうして二人の生活は始まり、半年ほど経つ頃には王都はグリューネの噂でもちきりになっていた。
●無自覚の魅了
リヒターは、以前は王都でそれなりに地位のある役職につき、名もそこそこ知られた人物であった。しかしある理由がきっかけで王都を離れ、辺境の森に引きこもってしまった。森から出るのは、近くの村へ買い物に出る時くらいだ。
つまり、誰にも会いたくない。
なのに今、彼の小屋を訪ねる人が後を絶たない。
それはグリューネの存在による。辺境の森の世捨て人の元に、世にも美しい少年が共に暮らしているという噂を聞きつけた王都の貴族達が、ひとめ見ようとやって来るのだ。
複雑なリヒターの心境をよそに、一週間のうちほぼ半分は来客があった。そしてグリューネを見た人達は必ず少年に心を奪われていったのだ。
「ぜひ養子にほしい」
そんな言葉が絶えなかった。
養子という言葉の中にはいろいろな意味がこめられている。もちろん中には本気で跡継ぎのために欲している人物もいたが、おそらくほとんどが夜伽のために求めているのだろう。
困ったことになったと思案するリヒターの前で何を思ったのか、ある日グリューネは『養子に行くための条件』を出した。
その条件は常人ならとうてい叶えられそうもないものばかりだった。
人魚の涙を持って来い、フェニックスの尾羽を持って来い、陽精霊の輝きを最も近くで浴びた花を持って来い‥‥。
どう考えても無茶なそれらの条件に、グリューネを訪ねる人もしだいに減っていった。
「無茶なことばかり言っていると、キミに悪評がたつよ?」
リヒターがそう言えば、グリューネは平気だと言うように微笑みを返す。
ところがある日、一度はグリューネの出した条件を叶えられずに去った、ある貴族の男が大きな袋を従者に持たせてやって来た。
「以前はあなたの願いを叶えてあげられずに、失礼したね。私は確かにあの時あなたを諦めようと思った。でも、駄目だったよ。どうしてもあなたの美しさを忘れられない」
どうにも演技過剰な男であった。仕草や話し方がいちいち気障だ。
男は笑顔を絶やさずに従者に合図をして大袋をグリューネの前に置かせた。
中にはぎっしりと金貨が詰まっている。
「残念ながらあなたが出した望みは叶えられないが、私には財力がある。現実的なもので私に手に入れられないものはないだろう。この金貨はあなたに差し上げよう。あの条件の代わりにはとうていなれないだろうけど、お詫びの気持ちとして受け取って欲しい」
よどみなく男は話し、グリューネは静かな表情でそれを聞いている。
「私のところに来てくれればあなたには一生不自由はさせないと約束しよう」
男の熱い視線に気圧されることもなく、やがてグリューネは口を開いた。
「お気持ちは嬉しいのですが、これは俺の欲しいものではありません。お引取り下さい」
「‥‥それなら、この森ごと買い取ってしまえば私のものになってくれるのかな」
「そんなことをなされば、俺は二度とあなたの前に現れることはないでしょう」
グリューネの雰囲気は穏やかなままだが、意志は曲げられそうにもない。
男の眼差しが冷えた。
「やれやれ、美しい外見のわりに中身はずいぶん頑固なようだ。世間知らずのあなたに言っておくけれど、あなたが出した条件を叶えられる者などいやしないよ。大人しく私の元に来れば一生最高の暮らしができるというのに。それとも何かい? ただ単にあなたを望む者達の気持ちを弄んでいたとでも‥‥? 不愉快だ。もう帰る」
男はいまいましそうに小さく舌打ちすると、従者に大袋を持たせて足音も荒く小屋を出て行った。
嵐が去ったような室内で、リヒターとグリューネは肩をすくめて苦笑した。
そんな日々の中、また彼もやって来た。
名はアレクサンダー・ブラウンシュヴァイク。
高名な鎧騎士で家柄も良く、文武両道に長けている。そしてその浮名も知らぬ者はいない。ある意味要注意人物。
これが三人の大きな転換期となる。
●月の道が開く日
アレクサンダーがリヒターの小屋へ通うようになった。正確にはリヒターの小屋に住むグリューネを、だ。
そのことにリヒターは胸の奥に落ち着かないものを感じるようになっていたが、心が落ち着かないのは他にも原因があった。
最近、グリューネはよく月を見上げている。何を思っているのか、とても切ない眼差しで。今にも消えてしまいそうで、リヒターの心はますます乱されていく。
ある日、留守番をしていたグリューネの元をアレクサンダーが訪ねてきた。お土産に王室御用達の菓子屋の焼き菓子をグリューネに差し出す。
甘いもの好きなグリューネは花がほころぶような笑顔になった。
焼き菓子に合うハーブティを淹れに行ったグリューネの後ろ姿を目を細めて眺めながら、アレクサンダーは今の自分を不思議に思いながらも満足しつつあった。
グリューネの存在はアレクサンダーの中でかなり大きくなっている。今まで男女問わず一瞬でも興味を持った者には声をかけ、関係を持ってきた。けれど、どれも長続きはしなかった。
ところがグリューネに対しては、まさかのような確信があったのだ。実際、グリューネもアレクサンダーを想っているという手応えも感じていた。
香りの良いハーブティを運んできたグリューネへ、アレクサンダーは自身の隣を叩いてそこに座るように促す。
一瞬はにかんだ笑顔を見せ、アレクサンダーの隣にそっと腰を下ろすグリューネ。緊張しているのか、ハーブティを差し出す手が心なしか震えているように見えた。
ふとアレクサンダーの手が優しく触れる。
大きな手にすっぽりと包まれ、思わず顔を上げたグリューネは、アレクサンダーの目がいつもの気軽な感じではないことに気づいた。
心の中まで見透かされそうな目で見つめられたグリューネは、急に胸が苦しくなりリヒターにもまだ話していないことをぽつりと告げた。何故胸が苦しくなったのか、グリューネはよくわかっていない。
「俺は、記憶喪失なんかじゃない‥‥。帰り道を‥‥月への帰り道を探していたんだ」
笑われても仕方のないような突拍子もない話だったが、アレクサンダーは笑わなかった。美の結晶のような目の前の少年なら、それもありえると思ったのか。だから彼は尋ねた。
「帰り道は見つかったか?」
「‥‥使いが、来たよ。次の満月の夜に、月が天頂にかかった時‥‥ぁ」
突然だった。
アレクサンダーの顔が急に接近したと思ったら、唇をふさがれていた。抵抗する間もない。けれど何故かその感触に頭の奥がしびれて、まぶたが自然と閉ざされてしまう。とっさに押し返そうとした腕も、気がつけばすがるように彼のシャツを握り締めていた。
その後のことをグリューネはよく覚えていない。まるで熱に浮かされていたかのように過ぎ去っていた。どこか遠くで衣擦れの音がして、自分のものとは思えないような甘えた声が途切れ途切れに漏れていた。
「精霊と人が結ばれるのは禁忌? でも、満月よ‥‥永遠に天頂にいかないで‥‥」
こんなことを口にしたのをぼんやりと覚えていた。
リヒターが戻ってきたのは、グリューネとアレクサンダーの体の熱がおさまり、情事の後のけだるさの中ですっかり冷めてしまったハーブティを飲んでいる時だった。
「おや、いらっしゃい」
並んで座る二人の前に腰を下ろし、話し出そうとするリヒターより先にグリューネが口を開いた。内容は、先程アレクサンダーに話したのと同じものだ。次の満月の夜に月へ帰る、と。今言わないと黙って帰ってしまいそうで、グリューネは唐突なのは承知の上で告げたのだった。
グリューネの真実を聞き終えたリヒターは、ぽかんと開けていた口を閉めると何度か視線をさまよわせた。表情はいつも通り穏やかだが、リヒターの内面は嵐だった。
次の満月と言えば明後日のはずだ。いきなりお別れ宣言をされたと言っていい。それも永遠の別れだろう。相手は地上の人間ではないのだから。
そして、よりによってこんな時になってリヒターは自分の気持ちに気付いてしまった。
「行くな、と言ったらここに残ってくれるか? キミが何であろうと、俺の大切なグリューネであることに変わりはない。この世界で、きっと幸せにしてみせる」
気づいたら、想いを素直に口にしていたリヒター。
叶えられないとわかっていても願ってしまう。見ればグリューネも戸惑っている。もしかしたら、グリューネが貴族達に無理難題を押し付けていたのは、こうなることを恐れていたからかもしれないとリヒターは思った。身を切るような思いを味わうくらいなら、初めから求めなければよいと。
アレクサンダーは二人の様子を眺めながら、リヒターに対しもどかしさと羨ましさを覚えていた。彼の性格から、欲しいと思ったものには遠慮せずその意志を示す。そしてどんな手を使ってでも手に入れようとするだろう。だがリヒターは違う。少々鈍いところもあるが、自分の意志を示しながらも相手を気遣う。
アレクサンダーはそこに自分が失くしてしまった綺麗なものを見たような気がしていた。
つい先程のグリューネとの行為に後悔はまったくないし、グリューネの気持ちが自分を向いていることもわかっているが、何故かリヒターを見るのが辛かった。
彼は優しく隣の少年の頭を撫でると、帰ることを告げた。
帰り際、泣きそうなグリューネの髪にそっと唇を落とし、アレクサンダーは呟いた。
「決めるのはお前だ」
グリューネの目の前に、導くように月光の道が下りてきている。
満月はちょうど天頂に、時が止まったかのようにそこにあった。
先程から痛いほど背中に突き刺さる視線に耐え切れず振り向けば、とても静かな表情のリヒターがじっと見つめていた。
「リヒター、忘れないから。リヒターが忘れても俺は忘れないから」
ふと、グリューネの視線がさまよう。来ると思っていたアレクサンダーの姿がない。
「言伝があれば伝えておくよ」
気遣うリヒターに、グリューネは小さく首を振った。
その時、天上から神々しい声が下りた。月の上位精霊アナイン・シーの声だ。
長くグリューネといたせいか、竪琴の音色の中にその意味が聞き取れた。
「お前のために月道をあけた。さあ、精霊界に帰るぞ」
言葉にならない想いをすべて瞳にこめて、グリューネは瞬間だけリヒターを強く抱きしめると、地上を振り切るように月道を駆け上っていった。
グリューネの小さな背中を追うように月道の光が離れていく。
決して振り返らない少年の背を、リヒターはいつまでも見上げていた。
●恒例裏話
朗読劇終演後のいつものお茶会で、シェスティンが興味津々にグリューネ役のルーフォン・エンフィールド(eb4249)に尋ねた。
「今日のあの声はどうやって出していたの?」
「用意してもらったあの重いテーブルを持ち上げていたんだ。や〜重かったー」
シェスティンはじめ令嬢達が感嘆の声を上げる。
毎回手を変えて紡がれる艶っぽい声は、何故か同じ方法が使われたことはない。
続いての疑問をぶつけたのはハイデマリーだ。
「グリューネを求めて沢山の貴族がやって来たけど‥‥皆さんは六人よね?」
「その点はちょっと苦労しましたが、大変思い出深いものになりました」
答えたのはアナイン・シーと大金持ち貴族や他の貴族を演じたヴォーディック・ガナンズ(eb0873)である。
「実は出番の多いゼタルさんも他の貴族をやっていたのですよ」
セラフィマの言葉にシェスティン達の視線がリヒターを演じていたゼタル・マグスレード(ea1798)へ移動した。彼は黙々とチョコレートスコーンを食べている。
「あと、今回のお話も小説形式に書き下ろしましたので、ご希望でしたら差し上げます」
これは毎回ほとんどの令嬢達が求める。観に来る令嬢はだいたい二十人前後だが、分厚い羊皮紙では一話分を束にするとけっこうな厚さとなる。故に重い。そのため今回はアル・アジフの手も借りて希望者に配った。
「今回の話の元になったのは、地球の『かぐや姫』という話なんですよ」
と、毛利鷹嗣(eb4844)が言えば、シェスティン達はやはり感心の声をもらす。冒険者達のもたらすものは、彼女達にとっては全てが珍しい。
涼やかな虫の声を背景に、時間はゆっくりと過ぎていった。