ザ・チャンピオン 〜愚者と歌姫

■ショートシナリオ


担当:マレーア

対応レベル:7〜13lv

難易度:難しい

成功報酬:4 G 55 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:06月28日〜07月03日

リプレイ公開日:2005年07月04日

●オープニング

 パリ下町にある酒場のひとつ、『憩いの川辺』亭。
 その店先である騒ぎが起こった。
「いかに貴方様が今をときめくヴォグリオール家の御子息だとしても! そう何もかも思い通りになるわけではございませんぞ!」
「‥‥別に、そんなつもりはないんだけど。そこまで言うなら仕方ない、か」
 少年が呆れたようにため息をつく。そして。
 怒りに高潮した青年の頬に向けて、白い手袋が飛んだ。

「――で。決闘、でございますか」
「うん」
 窓枠に直接腰を降ろす、という、いささか行儀の悪い格好で。にぱっ、と笑ってそう言った幼い主に、忠実な老侍従メシエは肩を落とし、深々と嘆息した。少年・オスカーは、そんな老侍従に申し訳なさそうな瞳を向ける。
「いや、まあねえ。ボクが決闘、ったって所詮、まだ騎士叙勲も受けてない半人前だし。自動的に代理人決闘になっちゃうからどうかとも思ったんだけど、他に手がなくて‥‥。ごめんね、メシエ」
「いいえ。わかっていただけてるなら、それで十分でございます。では代理人の手配は‥‥また冒険者ギルドの方で?」
「うん。よろしく」
 物分りの良い老侍従に、オスカーがにこ、と笑って頷く。

 事の起こりは、事件のあった下町の酒場『憩いの川辺』亭の歌姫。
 店の主人夫婦の愛娘テレーズは、近隣では知らぬもののいない美声の持ち主として知られている。それは聴く者の心を震わせ癒す天使の声、とまで言われ。昼は教会に、そして夜は両親の営む酒場に、彼女の歌声を求めて住民達が引きも切らずに訪れるほどだ。
 そんな彼女の美声に、目をつけた男がいる。
 多くの少女達を養女に迎えて教育を施し、自身の政治活動の有用な手段としている有力貴族、ノアール・ノエル卿である。
 ノアール卿は早速直属の部下を遣いとして両親のもとに赴かせ、是非テレーズを養女にしたい、と願い出た。自身に可能な限りの最高の教育を彼女に施し、ゆくゆくはトップレディの一人として、そして貴族の妻としてパリ社交界へデビューさせる、というのである。
 たかが一庶民の娘が貴族に。この申し出に、少女の両親は大喜び。一も二もなく賛成し、了承の返事を返そうとしたのだが、少女の方に問題があった。年頃の少女らしく、テレーズには互いに憎からず想い合う相手がいたのだ。今はまだ、恋と呼ぶには早い。だけど、時が経てばそうなるかも知れない、淡くて優しい想い。
 その相手の少年は、たまたまオスカーが下町に築き上げたコネクションに所属していた。その関係で少年から相談を受けたオスカーが、一度彼女の両親やテレーズ本人と話してみよう、と『憩いの川辺』亭を訪れたところでノアール卿の使者と鉢合わせし‥‥そして事態は、冒頭の展開へ繋がる。
 早く話を進めようという使者と両親、それを何とか留めようと試みるオスカー。やり取りは結局物別れに終わりそうになり、結論を急ぐノアール卿の使者に対して、オスカーはついに手袋を投げつけたというわけだ。
――即ち、彼女をなんとしても養女にしたいなら、まずは自分を倒してからにしろ、と。

「庶民の生まれの娘が貴族に。親としては確かに嬉しい話だよね。その気持ちは分かるよ」
 ギルドに手続きを取りに出掛けるメシエを見送りつつ、オスカーがぽつり、と呟く。
「でも、少し落ち着いて考えて欲しいんだよな‥‥。『貴族』ってのは、傍で見てるほど優雅でも、そしていいモノでもないんだから、ねえ」

 迷い込んだ幸福に 眼が眩んではいませんか
 その足元にあるのは希望への道 はたまた絶望への奈落
 人生は ただの一度きり
 輝ける断崖の上 着飾った愚者が笑う――

 開かれた窓から、こんな歌が聴こえた。
 鈴のように澄んだ、少女の歌声で。

●今回の参加者

 ea1565 アレクシアス・フェザント(39歳・♂・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea1603 ヒール・アンドン(26歳・♂・神聖騎士・エルフ・ノルマン王国)
 ea1625 イルニアス・エルトファーム(27歳・♂・ナイト・エルフ・ノルマン王国)
 ea1681 マリウス・ドゥースウィント(31歳・♂・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea1861 フォルテシモ・テスタロッサ(33歳・♀・神聖騎士・人間・神聖ローマ帝国)
 ea4284 フェリシア・ティール(33歳・♀・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea4481 氷雨 絃也(33歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea4668 フレイハルト・ウィンダム(30歳・♀・バード・人間・ノルマン王国)

●リプレイ本文

●選ばれた少女達
「まずはやはり、今回の『養女』の一件が具体的にどういうものであるのか、先方にも理解してもらう必要があるわね」
 フェリシア・ティール(ea4284)の言葉に、フォルテシモ・テスタロッサ(ea1861)も頷く。今回の依頼内容を単純にとらえれば、彼らに求められているのは『決闘の勝利』である。だがそれだけでは、後に残るのは禍根だけだ。下手をすれば、非があるのは話をこじらせたこちら側――ということになりかねない。
 最良の結末は、先方もこちらも納得した上での結論を出してもらうことだ。彼らの依頼人オスカーも、本心として向こうの『養女の一件』を破談にすることが目的ではない、と、きっぱりと言った。
「ノアール卿の人となりはともかく。こういった件は、不都合なことは伏せられている場合もある。まずはそこを調べてみることだな」
「ノワール卿が養女にした少女達が、どんな道筋を辿っているのか。それが第一の焦点じゃな。『養女』になった少女達が全員必ずしも社交界にデビューを飾り、貴族の妻となったとは限るまい。その辺りのことは、テレーズとその両親が知っておくべき情報でもあろう」
 氷雨絃也(ea4481)、そしてフォルテシモが言う。絃也にしてみれば、『決闘』などいう勝者にも敗者にも何らかの禍根を残しかねない手段をとるより、『死合い』にしてしまえば後腐れもなく終わるような気がしないでもないが。そういうわけにもいかないのが『浮世』というもので。
「にしても、馬鹿馬鹿しいことだな」
 まずは、これまでに『養女』となった者達の動向を調べることだ。
 そして、問題の『決闘代理人』は、ほぼ全員一致の意見でアレクシアス・フェザント(ea1565)が務めることになった。
「何かボクの代理人って言うと大抵君だよね。いっそのこと、ボクが騎士叙勲受けるまで御付の騎士になるっての、どぉかな? 褒章はずむよー?」
 にまっ、と笑いながら言うオスカーに、アレクシアスは曖昧に笑う。そして彼がちらり、と視線を流した箱入息子の背後には。『やめておいた方が賢明かと存じますよ』と顔に記し、無言で立つ老侍従がいた。

 ノアール・ノエル卿の『養女』達。
 彼が貴族社会を生き抜き、今の立場を築き、そしてそれを維持するために重要な役割を果たしてきた少女達。フェルテシモは、『養女』として迎えられた少女達のうち、どれだけの者が最終的に卿の望む地位につけたのかを、フェリシアは、養育時代の彼女達がどのような境遇、環境におかれていたのかを。そして絃也は、『養女』の申し出を受けたものの、それを断った少女達の経緯について調査を行なった。
 その結果によると。『養女』の申し出の受諾に関しては、問題の少女とその家族に完全に意思決定を委ねているらしく、嫌がっているのを無理矢理、というケースはまったくない。そして『養女』となった少女達は、卿縁の修道院や、懇意にしている上級貴族たちの下に預けられ、そこで淑女の英才教育や礼儀作法を教授されると共に各人の持つ素質や能力に応じて様々な養育がなされ、時期が来たら社交界にデビュー、しかるに『政略結婚』という流れを辿っていた。勿論、フォルテシモの予想通り、全員が全員そこまでに至ったわけではなく、中途で挫折し実家に戻った、あるいは戻された少女達もそれなりにいる。しかし、それら少女達に対してノアール卿がどうこう、ということはない。少女の側から自発的に『もうやめたい』という申し出があれば、決して無理強いはしない。また卿の方で諦めたとしても、少女にしてみれば一流の教育を受けるという恩恵を与えられたわけで。感謝しこそすれ、恨みに思ってい者はほとんどいなかった。養育の環境も申し分なく、教育を担当するものの中には、少女達の相談役や話し相手が必ず付けられている、という按配だ。はっきり言って、『非の打ち所のない』環境と言える。
「ただし。養育時代はそれなりに自由が認められているけど、唯一制限が厳しかったのが外出と、生家への連絡よ。養育期間中に、許可なく何であれ一度でも生家や地元に戻ったら、その時点で『養女』の件はなかったことになるぐらい。里心がついて、教育が身につかないことを思ってのことでしょうね」
「まあ当然じゃな。貴族としての教養と処世術を身に付ける事は生半では叶わぬ物じゃ」
 フェリシアの報告に、フォルテシモが頷く。更にノアール卿の『養女』として社交界に出、貴族の妻となった女性にもフェリシアは話を聞いてみた。一連の話を聞いたその女性は、微かに眉をひそめて言ったものだ。
――その女の子に伝えてもらえるかしら。迷いがあるなら、受けるのはおやめなさい、って。養育中は勿論、本当に厳しいのは社交界に出てからよ。生半可な気持ちじゃやっていけないから‥‥。
 心震わす天使の歌声。彼女の歌声を聴いたものたちは一様にそう言う。
「だけど迷った心のまま見た目だけ豪奢な籠に入れられた天使は‥‥歌い続けられるのかしら‥‥」
 たとえ才能を伸ばせる最高の環境を与えられても。その心が砕ければ、『天使の歌声』は消えてしまうかもしれない――

●幸福の光と影
 『ノアール卿の養女として貴族に』という思わぬ幸運を示された少女・テレーズだが。周囲の歓喜を余所に、彼女自身はどこか覇気がない、ともっぱらの評判であった。
 依頼を受けて以後、彼女の両親が営む酒場にはイルニアス・エルトファーム(ea1625)が、『当事者の関係者』であるということを隠して、毎日訪れていた。テレーズはいつも『憩いの川辺』亭に姿を見せ、その美声を訪れる客達に披露している。しかし歌声の美しさは変わらないものの、その内側に宿る『何か』が、確かに欠けている気がした。
 彼女が貴族の養女になる、という件に関しては、彼女の両親は諸手を挙げて賛成しているし、周囲の客達も『喜ばしいこと』として受け止めている。当然この良縁を壊す形で、いきなり割り込んできた『箱入息子』に、テレーズの両親は困惑と怒りを隠せないようだ。さりげなく水を向けると、憤慨した口調でオスカーについて批判の言葉を述べてくる。確かにこれがなければ既にまとまっていたかもしれない話なだけに、腹立ちもひとしお、というところなのだろう。しかし‥‥。
――確かに、悪い話じゃない。御両親にしても、娘の幸せを考えてこそ賛成しているのだろうし。ただ問題は、テレーズ自身にとってそれが『本当に幸せなのか』ということだろうな。
「‥‥いい声だ。けど養女になっちまったら、もう歌は聴けないんだなあ」
 客の一人が言った何気ないこの言葉に。テレーズの表情に一瞬浮かんだ影を、イルニアスは見逃さなかった。

 パリ下町の、とある教会。
 近隣の住民達の心の拠り所。そしてこの教会で奉仕を行なっている少女・テレーズの今後を巡り、この教会の広場で問題の『決闘』は行なわれる。
 ヒール・アンドン(ea1603)がそこを訪れたとき、礼拝堂からは澄んだ歌声が流れてきていた。聖母を讃える歌が、誰もいない聖堂に響いている。
 祈りのようなその歌が終わるまで、ヒールは黙って入り口脇に立っていた。やがて歌い終えた少女・テレーズが振り返り、彼に気付いて慌てる。
「ご、ごめんなさい。気がつかなくて‥‥」
「気にしないでください。声をかけなかったこちらにも非はありますから」
 恐縮するテレーズに、ヒールが微笑みながら言う。
「えぇと。オスカーさんの方から既に、お話はあったと思いますけど」
「はい」
 テレーズが頷く。
 彼女を巡っての決闘は、2日ばかり後にこの教会前の広場を借りて行なわれることになっている。そのことを伝えると共に、オスカーの口から『社交界の実情』についても、彼女に説明がなされているはずだった。
 胸の内で、オスカーにこのことを訴えてきたという、彼女と親しくしているという下町の少年、ジャンのことを思い起こす。
 アレクシアスによると彼が今回の件でオスカーを頼ったのは、周囲の人々が喜びに沸く中、当のテレーズがどうにも元気がないことに気付いたからだった。しかし、彼女の周囲には『話を受けるべきだ』という善意の第三者しかおらず、また自分も『貴族』たるものの本質などよくわからない『子供』に過ぎない。自分では周囲を止められない。なら同じ『貴族』のオスカーになら何とかできるのでは、と、思ったからだと言う。彼の安易な他力本願ぶりにアレクシアスは少々呆れていたようだったが、彼の気持ちもわからないでもない。
「本当の実情を知って‥‥よく考えた上でこれからのことを決めて欲しいので。‥‥特にテレーズさんはまだ若い‥‥。だからこそ、今すぐに自分の進む道を決定する必要はないと思います。一度落ち着いて、周りを良く見て決めて欲しいのです。自分で考えて選んだ道だと言うのなら私は何も言いません。むしろ応援させてもらいますけどね‥‥。オスカーさんが今回、貴女の件に絡んできたのも、そう考えてのことだと思いますよ」
 そして、ジャン君も。
 憂い顔でうつむく歌姫を前に。ヒールはそっと、彼女を心から心配している少年だろうのことを付け加えた。

 パリ貴族街。
 マリウス・ドゥースウィント(ea1681)とフレイハルト・ウィンダム(ea4668)の2人は、その一角にあるノアール・ノエル卿の邸を訪れ、実施される決闘の儀についての連絡を行なった。
 今回の件について、ノアール卿自身は何故ここにあの『箱入息子』が出てくるのか腑に落ちていない、という様子だった。が、その件について誤解せぬようマリウスがフォローを入れようと口を開くより前に、
「いやしかし。かの『傭兵貴族』が『奇将』と誉めそやして憚らぬ少年だ。何か考えあってのことだろうとは思うがね」
 そう言われたときには、正直少なからず驚いた。オスカーを熱烈に支持する『傭兵貴族』ことバルディエとこのノアール卿は政敵関係にあり、犬猿の仲と噂されている。当然、オスカーの心証もあまり良くないのでは、と思っていたのだが。
 卿の反応に、同行したフレイハルトが愉快そうに微笑む。
「さすがはノアール卿。なかなかの慧眼でいらっしゃる。そう‥‥わが主は歌姫の自主性『とやら』を重んじたいとお考えだ。決闘の行方を問わずね」
「――その通りです。決して卿に何らかの悪意あってのことではないということは、どうぞ御理解いただきたく。そのうえで、決闘の場にはどうぞ御出でくださいますよう。オスカー殿のお考えは、そこで理解できる筈と思いますので」
 マリウスの言葉に、ノアールは鷹揚に頷く。
「勿論だ。かの『奇将』の真意、その場でとくと確かめさせていただこう」

●誰がために天使は歌う
 決闘当日。
 会場となる教会の広場には、当事者であるオスカー達一行と、ノアール卿の一行。そして問題の歌姫テレーズとその両親以外に、多くの見物人が訪れていた。うち半分は興味本位だろうが、残る半分は教会や『憩いの川辺』亭に彼女の歌を聴きにきていた人々であることに、イルニアスは気がついた。
 やがて刻限が訪れ、立会人の指示のもと、オスカー側の代理人であるアレクシアスと、ノアール卿側の代理人である騎士が前に進み出る。
「では、開始の前に当決闘の主旨を。この決闘は、歌姫テレーズ嬢の進退を巡ってものの。しかしオスカー卿の意図は、今回の一件を『破談』にすることが目的ではないと伺っている。今回の件においてオスカー卿が勝利を得た場合、話は白紙に戻るのではなく。もう一度この案件についてしかるべき情報を開示・検証し、再検討を行なうこものとする。異論はございませんな?」
 控えるオスカーとノアールがそれぞれ厳かに頷き、了承の意を伝える。てっきり『破談』になると思っていたらしいテレーズの両親だけが、呆気に取られた表情になった。愛刀を携え、前に進み出たアレクシアスがそっと、群衆の中のジャンを探す。視線がぶつかり、力強く頷いた少年に内心でそっと微笑み返し、相手の騎士と対峙する。
「――はじめ!」
 立会人の掛け声と共に、決闘の火蓋が切って落とされた。

 鋭い掛け声と剣戟、そして火花が飛び散る。
 最初は一進一退だった攻防は、やがてゆっくりと優劣がわかるものに変化していった。相手の騎士も決して力量がないわけではない。が、それに勝る『勢い』がアレクシアスの方にあるのだ。
「あれ、例のシオンの刀だよね。名刀が名立たる剣士を生み、剣士は名刀を創る‥‥か。よく言ったもんだ」
 楽しげにフレイハルトが呟く。その直後、華々しい音と共に相手の騎士の手から剣が跳んだ。
「勝負あり! 勝者、アレクシアス・フェザント!」
 立会人が宣言し、場が歓声と拍手に包まれる。それは、単純に勝利の喜びなのか、それとも‥‥。
 半ば呆然と立ち尽くすテレーズ当人に、マリウスがそっと近寄る。
「さ、次は貴女の出番ですよ。どうぞ、こちらに」
「え‥‥」
「集まってきた人たちを見てわかるでしょう? ここにいる人達のほとんどは、貴女の歌声を愛して、そして貴女を心配して来てくれたんですよ」
「それに今日はこの決闘騒ぎで、『一回』教会で歌う予定を飛ばしてしまったからね。それを残念がってる人もたくさんいると思うよ。そうだねえ、例えば『彼』とか」
 フレイハルトにさりげなく指差され、その先でジャンが真っ赤になる。促され、広場の中央にやってきたテレーズに、観衆から再び惜しみない拍手が送られた。テレーズが一瞬うつむき、顔を上げる。極上の微笑と共に。
 そして流れ始めた歌声は、まさしく『天使の声』と呼ぶに相応しいもので。
「わかるでしょう? テレーズ殿を歌姫たらしめているのはその才能はもちろん、彼女を取り巻く今の環境。教会や酒場、親しき者達に囲まれて好きな歌を‥‥歌もまた歌い手の心を映し出すもの‥‥なんですよ」
 イルニアスの言葉に、両親が神妙に頷く。そしてまた一方では、フレイハルトがさりげなくノアール卿に近付き、言った。
「残念ながら、これは貴方がたには決して手に入らない類の宝だ」
 しかしノアール卿も、彼女のその言葉に対しニヤリ、と笑う。
「それは心外な。わたしを単なる権力の亡者だと思わないで頂きたいね」

 そして下町の歌姫は養女の件を断り、自分の歌を愛してくれる人達のもとで歌い続ける道を選んだ。
 後日、そんな彼女のもとに、再びノアール卿の使者が訪れる。
『本気で歌の技術を磨きたいならここを訪ねるが良い』
 そんなメッセージと、一流の歌唱の師範への紹介状を添えて。