●リプレイ本文
●事前調査
実際に問題の森へ入る前に冒険者達は必要な情報を集めておき、森の管理人の小屋でその確認を行っていた。エカテリーナ・アレクセイ(ea5115)が仲間が集めてきた情報をまとめ、羊皮紙にまとめたものをテーブルの上に広げた。
「えー、まずは町で噂になっている人食い熊からいきます。これは、もともとはものの例えだったようです。行方不明者が出るより以前に森へ入った人が、何か見られているような気配を感じたことから、人食い熊でもいて見張られているんじゃないか、という話になり、それが人食い熊が出るというふうに大きくなってしまったようですね」
「管理人さんは熊を見たことは‥‥?」
部屋の隅で冒険者達の様子を不安そうに見ていた壮年の男に、シルビア・アークライト(eb3559)が顔を向けた。
管理人は否定するように首を振る。
「熊がいるんじゃないか、という話を聞いて見回ったことがありますが、足跡すら見たことがないです。この仕事をもらってまだ三年足らずですが、ここの森では小動物しか見たことがありませんよ」
誠実そうな男の話ぶりは、嘘をついているとは思われない。
「見慣れない人が入って来たりとかは?」
「ないですねぇ。いつも町の人達ばかりです」
「それについての報告もあります」
エカテリーナが引き継ぐ。
「結論から言えば、この森の所有者である貴族の方は特に敵対している誰かがいるわけではないそうです」
「恨みの線ではないということですね」
シルビアの確認に頷くエカテリーナ。
森の所有者であるラヴァンシー家は、一年前に先代が病で亡くなり息子が後を継いでいる。先代も今の当主も温厚な性格であるのと、この家の領地がさほど土地が肥沃であるわけでもなく、特別な動植物や鉱物が取れるわけでもないことから、周囲からも狙われることはなかった。身も蓋もない言い方をすれば、この土地を奪ったところでこれといった利益もなさそうなのである。
「熊でないとしたら、他のモンスターとかはどうです?」
次に尋ねたのはリュック・デュナン(eb3317)だった。
「私が見回った限りではこれといって‥‥時折狼が出るくらいでしょうか。でも最近は人が増えたのでほとんど近づいてきませんよ」
申し訳なさそうに答える管理人。
「あ、いえ責めてるわけではないのです。ただ、僕の田舎でも森で行方不明者が出ることがあったのですよ。なんでも、僕達に恵みを与えて下さる森の神様は突然その優しげな顔を豹変させて、襲いかかってくることがあるそうでして。長老様が言っていた話なので難しくてよくわかりませんが、自然を甘く見てはいけない、のだそうです」
「森の神様が怒ってらっしゃるのでしょうか‥‥」
神と言ってもセーラでもタロンでもない。古い土着信仰の名残であろうか? 信仰と言うよりは森に対する畏れが故に、管理人の表情はますます不安の色に染まった。
「リュックさん、出発前に不安のどん底に突き落とさなくても‥‥」
エカテリーナの指摘に、リュックはハッとなるが後の祭りである。森の案内役として管理人が同行するからだ。
ちなみに、行方不明の原因がモンスターだった時は、その駆除の許可もおりていた。依頼の内容は行方不明者の捜索と森の調査だが、ラヴァンシーとしては原因がわかりしだい排除もしてもらえると助かるわけだから、冒険者からのこの申し出はありがたいものであった。
「あ、あとこれが森の地図です」
だいぶ茶色く変色した地図を出す管理人。
「十年近く前のものですが、ほとんど変わっていないはずです。キノコが採れそうなところは‥‥」
と、管理人が地図の数箇所を指で示していく。
「娘さんと自警団二人の名前はわかりますか?」
月下樹(eb0807)の問いに管理人は棚にある羊皮紙の束を取り出した。そこには来訪者の名前と利用料支払いのサインが記されてある。
この三人です、と管理人は上から三名の名前を指した。上の二人は自警団でマルセルとレジス、その下がエメとあった。エメがパン屋の娘である。名簿の名前を見つめていたアルテマ・ノース(eb3242)は、重い口調で言った。
「たとえば三人全員が怪我や体調不良‥‥考えられませんね。見られているような気配があったそうですから、人を襲うものがいるのでしょうね。今の調査では何もそれらしい報告はないようですが‥‥」
油断はならない、ということである。
麻津名ゆかり(eb3770)も頷く。
「盗賊とかなら厄介ですね‥‥正直、獣より人間のほうがよっぽど怖いです」
森には特に高い囲いがあるわけではない。小屋の反対側から忍び込むことはいくらでもできる。モンスターや熊の形跡がないなら、盗賊の類である可能性が高くなるだろう。
ゆかりはここに来る前にパン屋の娘の母であるアンリエットに言ったことを思い出していた。すがるようなアンリエットを抱きしめ、
「必ず見つけます。きっとキノコ採りに夢中になりすぎちゃったとかですよ」
と、励ましてきたのだ。その手には、まだアンリエットの小さな震えが残っている。
リュックはそのアンリエットから店のパンを数個預かってきていた。エメを見つけたら安心させるために食べさせようと思ってのことだ。
「その地図、貸してもらえますか?」
シルビアが森の地図を指して言うと、管理人は快く差し出した。最後にもう一度持ち物のチェックを済ませると、いよいよ捜索開始である。
「皆さんに神のご加護がありますように」
管理人が首に下げていた十字架を掲げ、そう祈った。
●捜索
一番近いキノコ採取場は小屋を出て北へ向かう小道を歩いて15分くらいのところにある。小道は人ひとり分の幅しかなく、冒険者達は一列になって進んむ。歩き出す前にゆかりは自身の鷹と樹の鷹に行方不明者の特徴をテレパシーで伝え、上空からの捜索の手助けを頼んだ。ついでに警戒もしてもらう。盗賊などに対してである。
「命(みこと)、飛天丸さん、よろしくね」
ゆかりの声に二羽の鷹は一声鳴くと空高く舞い上がっていった。
「三人とも、最初にこちらへ向かったのですか?」
エカテリーナの問いに管理人は頷いて答える。彼は一行の真ん中あたりにいた。
「エメさんがすぐのところにある採取場へ向かいましたから。見送ったのでよく覚えてますよ」
森は入ってすぐは樹木が生い茂って薄暗かった。小道があるとはいえ、積もった枯葉や小枝で足元は絨毯の上を歩くようにやわらかく、決して足場が良いとは言えない。
「キノコ以外のものを採りに行くような話はありましたか?」
先頭を行くアルテマが今度は質問をする。今の季節なら、栗やどんぐりも採れるだろう。
管理人は首を傾げた。
「一応の目的はキノコ採りでしたけど‥‥。木の実類はだいたい西から南のほうに集まっているのですが、すぐの採取場からそこに向かうには、小屋の前を通るのが一番近道なんですよね。それなら私が気づくはずですし、わざわざぐるっと回って行くとは思えないですねぇ‥‥」
シルビアが広げる地図を指し示しながら管理人は説明した。森の東端に位置する小屋から、小道はおおざっぱに円を描くように拓かれていた。途中、採取ポイントで枝分かれしている。枯葉などがあるとはいえ、小道は見てわかりやすく森の中を走っているから、迷子になることはあまり考えられない。ましてエメや自警団二人は初心者ではないのだから。
アルテマは時折立ち止まっては、近くの藪へ分け入り行方不明者の手がかりはないかと目を凝らした。
「エメさーん、マルセルさーん、レジスさーん!」
リュックは三人の名前を叫ぶ。もし気を失っていたとしても、名前を呼ばれれば気がつくかもしれない。そして何かしら反応を示してくれれば、自分は無理でも五感の優れた仲間の誰かが見つけるかもしれない。野営用の枯れ枝を拾いつつ、エカテリーナも不審な足跡や三人の落し物などがないか、慎重に進んだ。
最後尾を行く樹とゆかりは、時々枝の隙間から上空の鷹達の動きを確認しつつ、念の為背後に気を配りながら見落としがないか注意していた。さらに樹は行方不明者を見つけた時のため、愛馬である陸丸を連れていた。陸丸には夜営用具の他にヒーリングポーションも積んである。
管理人が言った通り、15分ほどで最初のキノコ採取場へ到着。森に少し手を加え、採取しやすくなっている。森には違いないが、背の低い柵で囲まれているので、ちょっとした広場のようにも感じられる。
「採りに来た人が迷わないように、柵を巡らせてあるんです」
と、管理人は説明した。
エカテリーナは所々に傘を広げているキノコを見て回りながら尋ねた。
「毒キノコもあるのですか?」
「ありますよ。人工的に育てているわけではありませんので。でもエメさんは何度も来ているので、間違うとは思えませんけれど‥‥」
セリフの後半が尻すぼみになったのは、慣れからくるミスを考えたせいだった。まさかいきなり食べることはしないだろうが、もしかしたら触れただけで体がどうにかなるような、とんでもない毒キノコがあったのかもしれない。しかし、その後の自警団員二人も同じ目にあったとは考えにくい。
「争った跡などはない‥‥ですね」
一通り見て回ってきたアルテマが、かすかに眉間にしわを寄せて戻ってきた。メンバーの中でもっとも目の良い彼女が何も見つけられなかったのだ。ここでは何事も起こらなかったのかもしれない。
基本的に小道は一本である。彼らは次の採取場へ進むことにした。途中、森が途切れ開けた場所があったので、ゆかりは命と飛天丸をいったん呼び戻す。
テレパシーとリシーブメモリーを駆使して彼女は鷹達が見てきた情景を受け取っていく。その表情が、しだいに表情は険しくなっていった。
「何かあったのですか?」
飛天丸に褒美のエサを与えながら樹がゆかりを見る。ゆかりは静かに深く深呼吸。
「盗賊の類は、今のところ見つからなかったようです。隠れていたりしたらわかりませんけれど。でもそれよりも、この森は何やら妙な気配があります」
「妙‥‥とは?」
「緊張、しているような」
どういうことだろうか、と疑問に思いつつも樹はあたりに気を配ったが、特に危険な感じはなかった。人間の感覚ではわからない何かを鷹達は感じ取ったのだろう。
「あと、エメさん達ですが、木々が邪魔してうまく探せなかったようです」
「それにしても、緊張って何でしょうか。呪いの類だったらかなり厄介なことになりますね」
「呪い!?」
ここでも捜索のため少し離れたところにいた冒険者達が思わず振り向くほどの声を上げたのは、管理人だった。シルビアの何気ない呟きに、顔を真っ青にして怯えている。
呪い、という言葉がそうとうに強烈だったようだ。
「の、呪いだなんて、そんな‥‥!」
「あ、ち、違うんです。もしそうだったら、の話です。ただの思いつきですので、まったく根拠はありませんから、気にしないでください」
「でで、でも本当に呪いだったら!」
「いえ、そんなことは決して!」
管理人につられてか、シルビアもだんだんパニックが移ってきていた。二人してオロオロしていると、見かねたリュックがなだめに入ってきた。
「まあまあ二人とも。もし呪いだったらあの鷹達がもっと危険を知らせているはずじゃないですか?」
その言葉にシルビアと管理人の混乱はいっきに静まった。落ち着きを取り戻した二人に笑顔を向けると、
「さて、そろそろ先に進みましょうか」
と、リュックは次の採取場がある方向に目を向けた。
二番目のキノコ採取場は少し離れていて、今いる広場からさらに小一時間ほどのところにあった。そこまでの道中も、これまでと同じように行方不明者達の名前を呼び、手がかりを見逃さないように細心の注意を払って進んだ。
しかしこれといった収穫もなく、一行がここでの捜索を終える頃には、森はさらに暗さが増していた。日が傾きはじめているのだろう。
「うーん‥‥」
腕組みしたアルテマが難しそうにうなった時、視界の端にかすかに何かが反射したような気がした。ハッとしてその方向を凝視し、近づいてみる。採取場を囲う柵のあたりでかすかな木漏れ日に反射していたのは、金属製の十字架だった。
あたりを見回せば、ここに採れそうなキノコ類はない。ということは、キノコ採取の途中で落としたわけではないことになる。
「どうしました?」
樹に声をかけられ、振り向いたアルテマは拾ったばかりの十字架を見せる。冒険者達はそこを中心に柵の外側の茂みに分け入って行った。
「誰かいませんかー! エメさん、マルセルさん、レジスさーん!」
声の限りにリュックが名前を呼び続けていると、聞き逃しても不思議はないほどのかすかなうめき声。
「誰かいるんですか? 僕達は冒険者です。助けにきました」
耳をすますと、今度は確かに人の声があった。リュックは声のしたほうに見当をつけ、茂みの中を進む。すると、もっとも葉の密集した中に埋もれるように人が丸くなって倒れているのを見つけた。
「みなさん、いました! こっちです!」
そう遠くはないところを探している仲間達に呼びかけると、リュックは倒れている人の側に膝を着き、顔をのぞきこむ。あちこち破けているが、紺のジャケットに緑の腕章があることから、自警団員の一人だとわかった。
「しっかりしてください。もう大丈夫ですよ」
「リュックさん、これを」
樹がヒーリングポーションを差し出す。エカテリーナはショートソードで邪魔な枝を切断し、深刻な傷など負っていないか確かめにかかる。
「よかった。骨折や大きな切り傷はないみたい」
ホッと息をつく。外傷は打ち身や擦り傷、捻挫と思われた。ただ、ひどく衰弱していた。
「やはり盗賊が?」
リュックがなんとか飲ませたヒーリングポーションのおかげで、傷は回復に向かいつつある。
「許せない。誰がこんなことを‥‥っ」
怒りでリュックはきつく奥歯を噛み締める。それはこの場にいる全員の気持ちだった。
周りにいるのが敵ではないとわかると、男は自分はレジスだと名乗った。気丈にもまだ意識を保ったままのレジスに、アルテマは尋ねる。
「レジスさん、移動しますがいいですか?」
レジスはかすかに頷いた。リュックと樹でレジスを支え、ゆっくりと元来た道を広場まで戻った。
●神
森の夜は早い。外界ではまだ夕暮れ時でも、ここではもう火を灯さないとあたりが見えないほどの暗さだ。レジスの容態もだいぶ落ち着いていた。彼は明日の朝すぐに町へ連れて帰る予定だ。ここでは満足に治療ができない。護送には陸丸を連れてきている樹があたることになった。
夜営の準備を手早く済ませた冒険者達は、それぞれ保存食で夕食も終わらせる。テントに落ち着くとすぐにレジスは眠ってしまった。やっと緊張が解けたのだろう。簡単に食事を済ませた冒険者達は、夜の見張りの計画を立て明日の行動について話し合った。
「命達が感じた緊張というのは、レジスさんの怪我と関係があるのでしょうか」
冒険者達の真ん中で燃えている火を見つめながらゆかりが呟く。
「ある‥‥と思っていいでしょうね。それに、何となくですがレジスさんは人に襲われたような気がするのです。獣なら、すぐ森から出てもよさそうですし」
「何かに追われて出るに出られなかった‥‥?」
目だけを向けたゆかりに、アルテマは頷きを返す。それから拾った十字架をポケットから取り出し、眺める。鎖の部分を持ち、炎の光に反射する十字架は、新しいものではない。
「これの持ち主のこととか、レジスさんが目覚めてからでないとわからないことが多いですね」
と、その時、眠っていたはずのレジスのテントで何かが動く気配がした。見ると、当のレジスが片足を引きずりながら出てきたところだ。近くに座っていたゆかりとシルビアがさっと立ち上がり、両脇から彼を支える。
「寝ていてもいいのですよ」
と言うゆかりに、レジスは小さく頭を振る。何か伝えたいことがありそうだ。二人はレジスをゆっくりと火の側に座らせる。そしてゆかりは日本酒を持ち出し、
「体が冷えるといけませんから」
と、カップに少量を注いでレジスに差し出す。
彼は唇を湿らせる程度にそれを含むと、アルテマが眺めている十字架に目を向けた。
「エメさんのものだよ。教会でたまに会うと、その十字架を握り締めていたんだ」
冒険者達の視線がレジスに集まる。レジスはゆっくりと目を伏せると悔しさと怯えを含んだ声で、
「マルセルは、殺された」
と告げた。
「獣でもモンスターでもない。いきなり、後ろから襲われたんだ」
「顔は見ましたか?」
顔を覆い、うずくまるレジスを労わるように背を撫でるシルビア。わからない、という返事が手のひらの隙間からこぼれた。
「突然のことだったし、覆面をしていたから‥‥」
「相手は一人ですか?」
レジスは震えるように頷く。
一瞬、足音がしたかと思った時には、マルセルの首は短剣でかき切られていたのだ。覆面の男は驚きですくむレジスにも凶刃を向けた。とっさにレジスも応戦したが、相手のほうが巧みで、数合も切りあわないうちにレジスの短剣は絡め取られるように弾かれてしまった。
それから彼はとにかく逃げることだけを考えて森の中を駆け回った。いつの間にか覆面の男は追ってこなくなったが、いつまたどこからか現れるのではと思うと、夜も気が休まることはなかったと言う。
早く仲間に知らせなくてはならないのに、小道へ出ようとすると覆面の男の姿を見たりして出て行くことができなかったのだ。
「あの男は‥‥何か言っていたな。えぇと、神のお告げがどうとか」
「神のお告げ‥‥」
小首を傾げて考え込むシルビア。
その後、分かれて行動していた二人の自警団員は無事に町に戻っていることを教えられると、レジスは安堵のため息をつき、もう一度カップに口をつけた。今度はしっかりと飲む。
「少しでも食べられそうなら」
と、シルビアは予備の保存食を差し出すと。レジスは受け取り、ゆっくりと噛んで飲み込んだ。
「エメさんは、まだ見つかっていないのかい?」
レジスの問いに冒険者達が沈鬱な表情で頷き返すと、彼は虚脱したように力のない目で炎を見つめ、二口目を口に入れた。
夜の見張りは、二番目のエカテリーナとゆかりの番になっていた。ゆかりは猫の環にも警戒を頼み、自身はタロットカードを地面に並べていた。空にはちょうど満月と半月の中間くらいの月がかかっている。占うことは、エメの行方である。マルセルが殺され、レジスが狙われていると思われる今、彼らより先に森へ入っているエメの身が案じられた。
誰も口にはしないが、最悪の事態も覚悟しなければならないかもしれない。話の途中からすっかり無口になっていた管理人も怯えきってしまい、早々に貸し出したテントに引きこもってしまった。冒険者達のように生きているわけではないのだから、仕方がない。
カードを一枚めくり、開く前に月を見上げるゆかり。
「早く、朝が来ればいいのに」
朝になって事件が解決するわけではないが、少なくとも暗闇の中にいる心細さはなくなる。カードに目を落としたゆかりはふっと息を飲み込んだ。
「なんて出た?」
尋ねるエカテリーナの声に、ゆかりはごまかすように笑って並べたカードをごちゃごちゃにかき混ぜた。
「失敗してしまいました」
つられてエカテリーナも口元をほころばせた時、環がゆかりの周りをウロウロしはじめた。しばらくそうしていたかと思うと、環は一点を見つめてかすかに毛を逆立てる。遠くで狼か野犬だかの遠吠えが響いてきた。二人の背筋に走ったのは、紛れもない異様な緊張感。昼間、鷹達が感じたのはこれだったのだろう。
猫の視線は管理人がいるテントへ注がれている。すぐさまエカテリーナがテントへ向かう。
「管理人さん‥‥あっ」
もしや管理人が襲われているのでは、と勢い良く幕を開けたエカテリーナの頬を鋭い切っ先がかすめる。後ろへ飛びのき、ショートソードを抜き放つエカテリーナ。異常に気づいたゆかりも素早くスクロールのストーンを広げ、いつでも使えるようにした。
ゆらりと出てきたのは、管理人その人だった。護身用に持っていた短剣をエカテリーナに向けるその目は狂気に光っている。
その目がレジスの眠るテントを捕らえた。人とは思われない素早さで管理人が地を蹴る。
エカテリーナが追う。しかし、間に合わないと思った彼女はとっさにショートソードを投げ、それが管理人の腿をかすめ、地面に突き刺さる。管理人は跳ねるように地面を転がった。
諦めるかと思われたが管理人は短剣を支えにして立ち上がろうとする。と、レジスのいるテントの前に突如大ガマが煙と共に現れた。
「あなたが犯人だったのですか」
どこか悲しそうに樹が寝袋から半身を出していた。彼はレジスのテントに隠れるようにして休んでいたのだ。大ガマは彼が呼び出したものである。
「神のお告げを受けた俺に逆らうのか」
目標を変え、管理人は樹に襲いかかる。ゆかりがスクロールのストーンを発動させるのと、アルテマがお邪魔していたシルビアのテントから飛び出し、ライトニングサンダーボルトを放ったのはほぼ同時だった。
ぎゃっ、と短く叫び管理人は気を失った。同じく飛び起きたリュックとシルビアは、レジスのテントを守るように構えていたが、管理人が完全に気絶したことがわかると緊張を解いた。
念の為、リュックは管理人の両手をロープで縛っておく。足は麻痺しているためその必要はないだろう。
一見気の弱そうな管理人を見下ろし、空恐ろしそうに呟くゆかり。
「神のお告げって言ってましたね」
何かにとり憑かれたようだった管理人のあの目は、しばらく記憶から消えそうになかった。
●帰還
翌日、冒険者に囲まれた管理人は抵抗もしないし、レジスを見ても何の反応も示さなかった。レジスは、マルセルを殺し自分の命を脅かしていた人物が管理人だと知り、ショックで言葉もなく呆然としている。
「お告げ‥‥とは何ですか?」
アルテマの質問に管理人は
「あぁ」
と声をもらして空を見上げた。しばらくそうした後、ため息のように呟く。
「昨日のあの時に、神は消えてしまいました。もう、何の声も聞こえない。見捨てられてしまった‥‥」
質問に答えたというよりは、今の自分の気持ちを口にした様子だ。
アルテマは質問を変える。
「エメさんがどうしているか、知ってますか」
「神が彼女を望んだので、従いました」
淡々と答える管理人。
「‥‥マルセルさんも、神が望んだのですか?」
「そうです。神が望んだのです。あなたのことも」
と、レジスに目をやる。思わずレジスが怒鳴り返す前に、リュックが爆発した。
「あなたがしたことは、殺人です! まだ生きている人を、神が殺せと言ったというのですか!」
「殺しではありません。望んだのです」
まるで埒が明かない。何がどうして管理人がこのようになってしまったのか、これから自警団などで詳しく取り調べられていくのだろう。
「最後に聞きます。神が望んだ二人の亡骸は、どこにありますか?」
わざと管理人の表現に合わせてアルテマが問うと、彼は静かに微笑んでその場所を教えた。
そこへ行き、土を掘り起こすと確かに二人の遺体は見つかった。昨日はあんなに気丈だったレジスも、とうとう泣き崩れ慟哭する。エメの母親のことを思うと冒険者達の胸も重くしめつけられるようになった。
二人の遺体は、いったん小屋に戻ってから台車で運び出すこととなり、その後の処理はラヴァンシー家の執事が引き受け、冒険者達は町へ戻る。
斯くして依頼は果たされた。
後に冒険者達はエメの母親アンリエットの礼状を受け取った。シフールによる口頭のメッセージだ。休業していた店も再開し、少しずつ元気も取り戻しつつあるという。エメの十字架は鎖を修理してもらい、首にさげている。
伝言は管理人のことも触れられていた。レジスが教えてくれたらしい。管理人のことを詳しく調べていくうちに、彼は異常なほどジーザス教に傾倒していたことがわかった。生活のすべてがジーザス教に染まっていたといっていい。これといった趣味もなく、時間があれば祈りを捧げている。
面接をしたラヴァンシー家の執事も、信仰心の篤いとは思っていたが、そこまでは知らなかった。
管理人の言う『お告げ』は、祈りの日々の中、突然に降りてきたものらしい。
「どんなに願っても、何かあれば真っ先に命を奪われていく弱く善良な人達。彼らの居場所は、もう地上にはない。神の元へ帰るだけ」
何とも短絡的だった。だが、彼が家族を戦争ですべて失っていたことを考えると、一方的に責めることもできない。きっと、狂信的なその信仰を悪魔が悪知恵を以て利用したのだろう。管理人はその傷に押し潰されてしまったのだ。
どうにもやりきれない事件であった。