●リプレイ本文
●励む人々
「こーらー! 無闇なものに噛み付いちゃだめーっ!」
しがみ付いたシフールをものともせず、森の中を猛然と駆け抜ける若き猟犬達。育成を請け負った地元の猟師が、まいったなと頬を掻きながら笑っている。まだまだ幼さの残る犬達だが、どんどん成長する逞しい体とその果敢な性質は、やはり受け継いだ狼の血故なのだろう。
「あれは、役に立っておるのじゃろうか」
少々心配げなヴェガ・キュアノス(ea7463)に、そうだねぇ、とドニが笑う。
「時々やらかしてくれる事もあるが、奴らのお陰で現場に獣が闖入して来る事はほとんど無くなった。全て予定通り。工事もまもなく完了だな」
ドニの表情には、どうやらやり遂げられそうだという安堵が見て取れる。ここを終の棲家と定め、仕事に打ち込んだ彼ら。それが自信となったなら、幸いである。
「‥‥先日の賊の事件。その事後調査を依頼されたの。まだ猪を狂わす毒が残っている可能性もある。休息日には決して森に近づかないよう、皆に説明して徹底させて下さい」
クーリア・デルファ(eb2244)の言葉に、首を捻ったドニ。しかし詳細は知らずともその意図は飲み込んだと見え、わかった、と頷いて見せた。
「あなた達に言えば安心して任せられるから助かるわ。色々と忙しいけどよろしくお願いしますね」
工事は5区に入り、総仕上げの段階となっている。
夕暮れの隠れ里。狩りに採集、工事の手伝いから戻った仲間達にかけられる労いの声。今日の収穫を皆で分け合い、冬の蓄えを加えて夕餉の支度が始められる。質素だが温かで、飢えない程度には十分な食事。大金持ちでも、いつも冷たい保存食ばかりかじっている冒険者は、彼らからしてみれば可哀想に思えるらしい。
「なんだお前らまた保存食かよ。よし、みんなに言って何か温かいものを‥‥」
おーいと声をかけようとするのを慌てて止める。貴重な蓄えを無闇に浪費させる訳にはいかない。
「それよりも、また力を貸して欲しい」
クーリアの頼みに、ポロは当然だと一言。
「しかしあのケルピーどもが仲良くダンスとはねぇ」
彼は可笑しくて仕方ないといった様子だ。
「あたいよりも君達の方が役に立つと思う。危険が伴うからあまり無理をしない程度でお願いしますね」
任せとけと請合った彼。間もなく同行するシフール達も集まって来た。
「連日働き詰めの人夫達も、休息日には村で体を休める。万が一にも森に立ち入らない様に、ドニからも徹底してもらった。こんな事、そういつまでも無理強い出来ないわ。この日一日で片付けてしまわないとね」
クーリアの言葉に皆頷く。となれば、一頭たりと逃がす事は許されない。買い込んだロープを投げ縄に加工しながら、ローシュ・フラーム(ea3446)はケルピーが現れるという泉の様子を、現場を直接見ているシフリンに確認する。
「ほんの小さな泉だよ。でも、実はけっこう深いんだよね。周りは大きな木が途切れていて、草むらになってたかな」
「ふむ。罠を仕掛けるに難はありそうか?」
大丈夫だと思うよ、との返答に、ローシュは一先ず安心。
「まあ、俺にかかればそんな奴らは一捻り。‥‥っと、今回は倒すんじゃなくて捕獲なんだよな」
確認した劉蒼龍(ea6647)に、しかし、と言葉を挟んだのは本多風露(ea8650)。
「残された工期も私達に与えられた時間も僅か。ケルピーとの長々とした論争で時間を取っている暇はありません」
話し合いで済めば良いとの思いは同じ風露だが、交渉も決裂し、手綱をつける事にもしくじる様なら、斬って捨てますと彼女は言った。いつをその時とするか、その判断は彼女に委ねられる事になった。
「この中でケルピーと関わった事があるのは?」
ジェイラン・マルフィー(ea3000)が話を振る。手を挙げたのは、テュール・ヘインツ(ea1683)とティファル・ゲフェーリッヒ(ea6109)だ。
「ケルピー様、じゃないやケルピーは水の精なんだよ。だから水の上を走るのも潜るのも自由自在。水を操る事も出来るんだ。けど、水脈をどうにかしちゃう程の力があるって話は聞いた事無いかな。言霊が届くのは、えーっと‥‥」
テュールは実際に歩いて見せ、体感的な距離を皆に示す。
「このくらいだったかな。ちょっと変わってたけど楽しかったなぁ、次の日すごい頭が痛かったけど」
言霊の影響か、難儀だなと眉を顰めるローシュだが、実のところそれはケルピーの仕業ではなく酒の仕業。世の中広しといえど、ケルピーと酒盛りをした冒険者はそう居まい。なるほどね、気をつけないと、と感心しながら聞き入るジェイラン。
「今回は馬を扱い慣れた人も多い様やし、ケルピー傷つけんと上手くやれそうな気がするわ。3匹のケルピーが一緒におるとこ見られるなんて、楽しみやわ」
ティファルは、心底楽しそう。そして、楽しそうなのがもう一人。バルバロッサ・シュタインベルグ(ea4857)はその顔を笑みに綻ばせながら、黙々と体を解している。
「ケルピーにかける手綱は提供してもらえたよ」
グレイ・ドレイク(eb0884)はモリスを介してアレクス卿の許可をもらい、馬具庫から拝借して来た道具を並べる。手綱と銜(はみ)、それらを頭部に固定する為の止め具。それらは暴れ馬を調教する為に特に工夫されたものらしく、かなりしっかりとした作りになっている。
「うむ、これならば」
満足げなバルバロッサに、俺が選んだんだから当然だな、とグレイ。彼の胸にふと、自分達に頭を下げて事を託した街道開発組冒険者の言葉が過ぎった。
『モリス隊長や人夫さん達が頑張って作った道を水没させないように、原因を突き止めてくださいませ。皆様よろしくお願いします』
必死に積み上げて来たものが訳も分からぬままついえてしまうのは、きっと堪らない事だろう。
「簡単では無いだろうけど、何としても成し遂げないとな」
その言葉に皆が頷く。
決行日を調節する為、今回冒険者はすぐには里を出ず、じっくりと準備に時間をかけた。
(「あれは、どういう意味だったんだろう‥‥」)
利賀桐まくる(ea5297)は、仲間に占ってもらった内容を思い返していた。白いケルピーに対する占いの結果は、征服者に破滅が訪れる、というもの。倒してはいけないという事だろうか? 一応皆には伝えたが、正直よく分からない。
「助言は胸に留めておけば良いのじゃ。それに囚われ過ぎて迷いを生じては何にもならぬぞ?」
ヴェガに言われ、はい、と頷くまくるである。
「ケルピーさん達の事は聞けたんですか?」
「長老殿が仰るには、古くからこの森に暮らす者達の様じゃ。ただ、滅多に姿を現す事は無く、この村の者が見たというのもほんの数度の事らしい。シフール達にとっては良き水のありかを示す吉兆と取られておる様じゃが、長老殿は『好奇心に負けた若者を吸い込んでしまう悪魔の穴』の寓話は、彼らケルピー達のイメージも付加されているのかも知れない、とも言っておったな」
それら様々な話を、ほっほっほ、と笑いながら話す長老と、通訳に四苦八苦するポロの姿を思い返し、可笑しそうにヴェガが笑う。
この日の里には、様々な色の糸が吊るされて、ゆらゆら風に揺れていた。淡い、優しい色合いの糸、糸、糸。
「こっちのは村に昔から伝わる色。こっちのは私が色が出そうなものを試したんだよ。でも、工房で見たみたいな鮮やかな色にならないんだよね〜」
ころころとした体を揺らしながら、参ったね、と笑うマリー。灰を使って染めているのですね、と覗き込んだエスト・エストリア(ea6855)に、灰ならかまどからいくらでも出るからね、と彼女。
「私、いいものを持ってきてるんです。お仕事が終わったら、それを使って一緒に染めてみましょう。きっと素敵な色になりますよ」
微笑んだ彼女に、マリーが本当!? きっとだよ!? と飛び跳ねる。
「そのかわり、薬草と交換です。いいですか?」
「あげるあげる、薬草なんていくらでもあげるよ!」
一方で鍛冶屋のトトは、ローシュの卓越した鍛冶の技をクーリアの解説付きで見せてもらっていた。彼にとっては、夢の様な時間だったろう。
そろそろ行こか、と皆に声をかけるティファル。おう、と腰を上げたバルバロッサから、ぽろぽろとシフール達が転がり落ちる。
「もうちょっと待てって。ここんとこに朱を入れたら‥‥そら、完成っと」
とりゃ、と顔に塗りつけて、ポロが満足げに汗を拭う。
「変じゃないか?」
「いや、凄く強そうだ、いい感じだよ!」
全身にシフール達の戦化粧を施したバルバロッサ。その姿に、里の者達が大いに盛り上がる。冒険者と応援のシフール戦士達は彼らの声に送られながら、森の奥へと踏み込んだのだった。
●3匹のケルピー
「むむっ、感じる、魔法の気配っ!」
テュールの髪の毛がぴーんと立つ。彼は道すがら、水辺に魔法の力が働いていないか確認していた。そして遂に見つけ出したのだ。
「深いところに水の魔法が掛かってるのが見えるよ。他のところでは見つからなかったけど、もしかしたら深すぎて見えなかっただけなのかも」
やっぱりケルピー達が何かしているのかな、と考え込む彼。と。
「あ」
水辺に膝をついて辺りを調べていた彼の目の前に、白毛のケルピーが飛び出した。テュールも驚いたが向こうはもっと驚いたと見え、そのまま物凄い勢いで逃げ出した。テュールが上げた声に、ジェイランとまくるが反応する。彼らを乗せたフライングブルームが颯爽と登場。上空からその姿を追い‥‥越した。
「じぇいらんくん、もう少しゆっくり」
「こ、これ速度調整難しいじゃん!」
急に速度を落としたせいで、へろへろと失速する。彼らが四苦八苦している内に、白毛は別の沼池に駆け込み、その中に姿を消してしまった。なんとか持ち直して降りて来る2人を見て、一同一先ず安心。
「どうする? 一応、あの3頭の普段の棲家も知ってるけど」
ポロが問う。今の行動から、相手も冒険者が自分達を追っている事を悟ってしまっただろう。警戒されている可能性が高い。
「泉に行くのがいいと思うじゃん。あそこに集まるのは、やっぱり何かあるんだと思うから」
失敗の直後で言い難そうにしながらも、ジェイランは自分の考えを口にした。そうじゃな、とヴェガも賛同して、皆、改めて泉に向かう事となった。
一行が泉にたどり着いた時、白毛のケルピーは他の2頭と共に、何事も無かったかの様に寛いでいた。
「みんな、気をつけてね」
テュールは慎重に泉へと近付いて行く皆を見送り、周囲の警戒に入った。傍らで主の仕事を手伝う犬のフェン。
「いいかい? ケルピー達から見たら賊も僕らも同じ人間。手を出されて拗れちゃったら困るもん。見つけてもすぐに吠えたりして騒いじゃだめ。でも、無理に押し入ろうとする様なら、全力で止めるんだ。わかった?」
じゃあ始め、と辺りを警戒するテュール。フェンは腹ばいになって寛ぎながら、草が冬風に揺れるのに合わせて、パタパタ尻尾を振っている。
緊張の面持ちで姿を現したジェイランに、ケルピー達が視線を向ける。
「逃げないで。話がしたいですじゃん」
彼の後に続くヴェガとグレイ。がんばりや、と声をかけるティファル。バルバロッサとクーリアは、後ろで事態を見守る姿勢だ。とりあえず、ケルピー達は逃げ出さない。ジェイランはほっとしながら、話を続ける。
「沼が随分と増水しているみたいですじゃん。もしもケルピーさん達の仕業なら、止めて欲しいですじゃん」
『知らんな』
青毛が即答するが、その言葉には嘲りが含まれている気がした。
『しかし、理由は分かる。傲慢にも森に踏み込み好き勝手に作り変えるお前達に、森が怒っているのだ。無駄な事は止めて、さっさとこの森から去るがいい』
「‥‥そなたらを軽んじるつもりは無いが、それは出来ぬ相談じゃ」
きっぱりと拒否したヴェガを、青毛が大きな黒い目で睨みつける。
「まあまあ、皆さんそう怖い顔をせずに」
ラッキープローを担いで笑いながら頭を掻くグレイは、どう見ても勇敢な冒険者とは思えない。
「やー、泉に優雅な踊り手がいると聞いて、いてもたてもいられず来てしまいました。これは皆さんにお渡ししたくて持って来た品でして」
にこにこと笑いながら、銀のバックル、水晶のペンダント、銀の髪留めを差し出した。それでケルピー達が喜んだかどうかは分からないが、警戒が弛んだのは間違いが無い。どちらかといえば、軽く見られたという感じではあったが。
「貢物で歓心を買おうとするのは歓心せんのう」
ヴェガの苦言に、まあ固いこと言わないで、と笑う彼。
(「よし、気付かれてないな」)
蒼龍はこの間に隠身の勾玉で気配を消して回り込み、木の上に位置を取った。風露は気配を悟られぬ様、慎重に木々の陰を行く。
「あまり状況は良くない様だ」
風露の報告に、うむ、と頷くローシュ。森の中では、逃走させぬ為の罠が大急ぎで仕掛けられていた。
「地勢的に見ても、この方向が逃げ易い。この辺りに集中的に罠を仕掛け、わしら自身がそちらに追い込む」
ローシュの作戦に従い、皆が動く。まくるとエストはシフール達と共に、本命の罠の設置を急いだ。ローシュは簡単な罠を随所に仕掛けて回りながら、流れを伝って逃げぬ様に網も用意する。
一生懸命に説得を続けるジェイラン。しかし、3頭のケルピー達が説得に応じる気配は残念ながら無かった。やがて頃合を見計らい、罠設置を終えた面々が姿を現す。その中にシフール達が混ざっているのを見て、青毛は軽蔑の視線を向けた。
『お前達も所詮は薄汚い人間という事だな。これまでおのれらを育んで来た森が傷つけられているというのに、それに嬉々として手を貸すとは』
おろおろしだした仲間にごちんと拳骨をくれて、ポロが言う。
「森に手を加えるのは俺達だって昔からやってた事だ。森は恵みをくれる場所でもあるけど、奪うか奪われるかの戦いの場でもあるだろ。今更思い通りにならないからって温い事言うなよ」
ふん、と息を吐きながら、青毛はローシュを見やる。
『どうなっても知らぬぞ』
「後悔なら後でする」
そして、再びジェイランに向き直った。
『もう一度言う。傲慢な人間の行いに、森が怒っているのだ。お前達に心というものがあり恐れを知っているのなら、許しを請え。悔い改めて行いを恥じよ。そして森を去り、二度と近付かぬがいい。己の足で出てゆけぬというなら、私が運んでやろうか』
ゆっくりと近付いて来る青毛のケルピーが、ジェイランを見下ろしている。その堂々とした振る舞い、吸い込まれてしまいそうな艶やかで滑らかな漆黒の毛並み。獣に姿を変えて人に近付いたという古代の神様の話を、ふと思い浮かべ‥‥はっとなってジェイランは首を振った。
「おいら達の仕事は増水の原因を調べて取り除く事ですじゃん。あんた達が関係無いなら紛らわしい事してないで引っ込んでて欲しいですじゃん!」
「疑いが晴れない以上、僕達は依頼を受けた冒険者として‥‥あなた達を捕らえます」
まくるがジェイランの傍らに立ち、そして青毛に宣言した。怒りに嘶き、襲い掛かる青毛。が。その鼻っ面に蒼龍が降って来た。駆け寄り様、後ろ脚を強かに打つ風露。視界を塞がれ腰が砕けたところにグレイが組み付き、その口に銜を押し込む。虚を突かれ、暴れに暴れて振り払おうとする青毛。
「くっ、止め具が止められない‥‥誰でも言いから手綱を取れっ!」
グレイが叫ぶ。振り解けぬと悟るや、今度は泉に引き摺り込もうと足掻き始める。だが、グレイの足が水面を捉えて踏ん張っている。予め、ジェイランに頼んでウォーターウォークの魔法をかけてもらっていたのだ。
『貴様! こんな事をしてどんな呪いがあるか知れぬぞ! その手を放せばお前だけは助けてやる、今すぐ放せ!』
グレイならば、その言葉に迷うかも知れないと思ったのだろう。さて、どうしたもんかねぇ、と笑う彼。
「てことはやっぱり全てを仕組んでるのはあんたらって事だよな? 語るに落ちてんだよ!」
と、突然白毛が嘶いた。その体が青白い光に包まれるや、辺りに濃密な霧がたちこめ出した。
「しまった、ミストフィールドか。逃がすでないぞ!」
ヴェガが叫ぶ。霧を纏いながら駆け出す白毛に、ローシュは隠し持っていた投げ縄を放ち絡め取る。すかさず肉薄しトリッピングを試みるが、伊達に4つも脚はついていない。よろめきながらもすぐに立ち直り、霧の中へと身を躍らせた。だが、そこには冒険者達が仕掛けた罠が張り巡らされていた。網に絡まりもがく白毛に、シフール達が更に網を被せて行く。
「さあ、観念して下さい」
進み出たエストがかねて考案の特殊なストーンの使い方を試してみるが、これは残念ながら上手く行かない。
「‥‥良い考えだと思ったのに、残念です」
効果範囲を変形させる事は出来ないと分かったエストは、がっかりしながらも複数回に分けて絡まった網を石化した。ゆっくりと固まって行く石の拘束衣。自由を奪われた白毛が、悲しげな鳴き声を上げた。
「雪白の君よ、本当の事を話してくれるなら、この様な真似をせずとも済んだのじゃ」
『私達が間違っておりました。どうか、どうかお慈悲をもってお許し下さい。どんな事にでも従います、どうか、どうか‥‥』
「少し‥‥可哀想‥‥」
美しい白馬が雁字搦めに拘束されている姿は、まくるやヴェガでなくとも胸が痛んだろう。思いのほか従順な白毛の態度に、2人も思わず気をゆるめかけた。が。なんとは無しに抱いていた狡猾な女のイメージがその姿に重なって見え、ヴェガははっとなった。まくるが言っていた占いの結果も蘇る。
『どうかどうか、お助け下さい‥‥その時は、きっと貴方を乗せて千里万里を駆けましょう』
その誘惑は強烈だった。ヴェガですら、心がぐらぐらと揺れた程に。
「そうじゃな、その背に乗せてもらうのも気持ち良かろう。これをつけてな」
身動きのならない白毛は、ヴェガが馬具を取り付けるのをただ受け入れるしか無かった。
『ごちゃごちゃと言葉を弄んでいるから足下をすくわれるのだ。こんな連中、蹴散らして泉の底に沈めてしまえばいい』
周囲の騒動など気にも止めぬと言いたげに歩みを進める葦毛。その前にバルバロッサが立ちはだかっても、やはり恐れも動じもしない。
「お前の相手は俺だ!」
腕を広げ、掛かって来いと挑発する。その戦化粧に触発されたか、葦毛は彼に向き直った。
『面白い、では行くぞ』
葦毛の猛烈な突進を、己の身ひとつで受け止めるバルバロッサ。がっ、と一瞬組み合い、しかし突進力に押し切られ弾き飛ばされる。
『口程にもない。敗北を認めねば、蹴散らし続けるぞ。それとも烏合の衆らしく仲間の手を借りるか?』
濃霧の中でようやくその姿を見出し、魔法で彼をサポートしようと動くティファルとクーリア。しかし、バルバロッサがそれを制した。
「何処までやれるか試してみたい。いや、大丈夫だ。こいつの力は大体分かった。おいお前、暴れるなら全力でな。俺も全力で行かせてもらうぜ。お互い後悔無しにな!」
肩や首を回して痛めていないか確認しながら、さ、もう一丁来い、と笑う彼。
「仕方の無い男だ‥‥」
諦めた様に息を吐き、腕組みをして見守るクーリア。
「バルバロッサさんは大きな男の子なんやね」
肩をすくめるティファル。その全てが、葦毛の怒りに火を注いだ。最初以上の猛烈な突進を受け止めたバルバロッサは、さっとその力を横にいなした。もんどりうって倒れる葦毛の首に組み付き、手を伸ばす。クーリアが投げてよこした手綱を受け取り、バルバロッサは素早くそれを取り付けた。
『不覚!』
悔しがる葦毛に、バルバロッサが笑う。
「ジャパンに行って、こう生きたいと思った単語があるんだ。豪胆という。その名をお前にやろう」
ぶるぶると口元を震わしたのは、喜んでいるのか不満なのか。バルバロッサが再び笑った。
ところで。彼らが取っ組み合いをしている最中、ティファルはブレスセンサーに反応を感じ、そっとその場を離れた。
「あそこにさっきから身を隠して様子を窺ってるんだけど、ちょっとね」
フェンを宥めながら、指差して見せるテュール。
「‥‥あかん、丸見えやわ」
あちゃー、と天を仰ぐティファル。酷すぎて見てらんないというやつだ。
「そうなんだよね。どう見ても素人でしょ、どうしようかと思って」
迷ったが、2人して男に近付いてみる。目の前まで近寄られてようやく気付いた男は、大慌てて逃げようとする。
「逃げたらライトニングサンダーボルトやからねっ」
「逃げたらサンレーザーだよ」
がちっと止まり、両手を上げて、ゆっくりと向き直る。
「い、いのちばかりはお助けを‥‥」
顔を見合わせるテュールとティファル。よくもこれで、無事ここまでたどり着けたものである。
『離れろ、離れろ、離れろ!』
青毛の声が、頭の中に木霊する。今すぐ手を放してこの場を逃げ出したい衝動に駆られながら、彼らは何とか踏ん張った。
「だ、て、に、煉豪に乗ってるわけじゃね〜んだぜっ!!」
おりゃー! と気合一閃、宙を踊る手綱に飛びついた蒼龍。そのまま滅茶苦茶に振り回されながらも、たてがみにしがみ付いて賢明に堪える。さすがに疲れたか青毛の動きが鈍くなって来たところで、このっ、と思い切り手綱を引いて、ようやく青毛はおとなしくなった。余程ショックだったのか、力なく水辺に蹲る。
『こんな奴らに手綱を取られるとは‥‥だが、覚えておくがいい。私が言った事は決して‥‥』
青毛の前に、風露が立った。
「それ以上、何も言わないで。私は言葉を飾り他人を偽ったり翻弄したりする者を好みません。許容範囲は広いつもりでしたけど‥‥貴方は少々、はみ出してしまいそうです」
愚痴愚痴言いながら目を背けた青毛は、この後一度も風露の目を見る事が無かった。
●調査
「どうやら、この下は岩盤の上下に別の水脈が走ってて‥‥はくしょ! 多分だけど、こいつらそれを打ち抜こうとしてたんじゃないかと思うじゃん」
雫が岩をも穿つという奴だ。が、それは恐ろしく気の長い話だろう。ここ最近の突然の増水の理由にはなりそうもない。そら、ちゃんと説明しろ、と蒼龍に命じられて、渋々青毛が解説する。
『増水は自然のものだ。この季節から春先まで増水し、夏には減る』
それをもっともらしく見せて、人々を脅そうとした訳だ。分かってみれば、何とも馬鹿馬鹿しい話ではある。彼らは賊達から森に入り込んだ人間達の目的を聞き、この行動に出た様だ。
ウォーターダイブとアースダイブを駆使して長時間地下水脈を行ったり来たりしていたジェイランの唇は真っ青。焚き火にあたりながら、まだがくがく震えが止まらない。彼を心配して、まくるが薪を足したり防寒具を羽織らせたり、何くれと無く世話をやく。
「うー、ソルフの実の食べすぎで胸焼けがするじゃん‥‥」
暴飲暴食も程々に。何はともあれ、心配する必要が無いと分かって一安心だ。
「気持ちは理解せんでもないが、なんという性質の悪い手を使うのか。性悪のケルピーどもめ」
ローシュは些か不機嫌である。その話を聞いていた素人密偵、何故かあからさまにがっかりした顔をしている。彼はちょいと締め上げるとあっさりと、自分が街道筋のとある商家から送り込まれた者だと白状した。ケルピー達の様子を見て来いと、それだけ言われて来たのだとか。どうやら本当にそれ以上の事は聞かされていなさそうなので、彼はその場で釈放した。無事に戻れると良いのだが。
「どうだ、俺と共に来ないか」
バルバロッサの誘いを、しかし葦毛は受けなかった。
『残念だが、我々はこの森から離れる事は出来ない』
そう聞かされ、落胆一方ならぬ様子のバルバロッサ。
「な〜な〜、あんたらって、手綱つけられたらずっとその人の言う事聞くん?」
そうだ、との答えに、へーっと感心する彼女。思いの外律儀な奴らだ。
『しかし、覚えておくがいい。きっといつかお前達の思いもかけぬ形で復讐を果たしてくれよう。その時になって後悔しても遅いのだ』
愚痴愚痴と言い募る青毛に、風露の眉がぴくりと上がり、利き腕が柄にかかる。
「愚痴禁止。水脈いじるの禁止。人襲うの禁止。言霊禁止」
蒼龍が言い始めたところ、皆面白がって思いつく限りの禁止事項を口にする。青毛、悶絶。
去り際に、まくるは3頭に言った。
「あなた方とは‥‥なるべく仲良くしていきたい‥‥願いはそれだけです‥‥」
●何事も無く
翌日からまた、工事はいつもと同じ様に始まった。
「なんだこの有様は。すぐに修理されるとはいえ、工具といえばあんたらの命も同じではないのか!」
ローシュの怒号と槌の音。無償での修理を買って出た彼は、同時に口も出した。面目なさげに項垂れる人夫達だが、その働きぶりは真剣なもので、ローシュは内心大いに満足。存分に腕を振るったのだった。もう水の事は心配せずとも良い、と口にしかけた彼だが、もとより彼らは知らぬ事。黙っておく事にした。
隠れ里では、戦化粧のお礼にと、街で気になったファッションでもあれば試して良いぞとうっかり口にしたバルバロッサが大変な事になっていた。大喜びで、寄ってたかって弄繰り回すシフール達。
「確かこの辺剃ってたよね。おーいだれかー!」
危うく虎刈りにされそうになり、慌てて止めるバルバロッサだ。
「まくるちゃん、色々失敗に巻き込んでごめんじゃん。せっかくの大技も試せなかったし‥‥」
しょんぼりと項垂れるジェイラン。霧で中止した大技は、多分試さなくて正解だったのだがそれはさておいても、少年の心は傷つき易いのだ。彼の手を取って、まくるが微笑む。
「お姉ちゃんが作っておいてくれたの‥‥一緒に‥‥食べようよ」
大鍋に作り置かれたスープは、伝言通りシフール達がコトコト煮込んで、とろける様な味わいに出来上がっていた。まくるが温め直し、椀に盛って運んで来る。心尽くしの、ほかほかの食事。皆にも少し、お裾分けして。マリーとエストは、汚れた服を気にもせず、楽しげに話しながらスープを啜る。
「エストさん、あのミョウバンってすごいね! とっても綺麗な色に染まったよ!」
大喜びのマリーに、微笑むエスト。お礼にと差し出された腹痛の薬から眠気覚まし、夜泣きの薬に傷薬‥‥とありとあらゆる薬草で大荷物が出来ていた。彼女が寄付した研究費用100Gは長老様預かりとなったが、さてどんな風に里の織物を育てて行く事か。
「あ、始まったね‥‥」
まくるが耳を傾ける。聞こえて来るのは、シフール達の歌う声。ヴェガが彼らに教えたのは、ジーザス教の教えを子供達にも分かり易く伝える為の歌だった。まくるはジェイランに寄り添って、暫しその歌声に聞き入った。
♪神さまは皆を愛し 天国を創られました
そして全ての人達に おいでと手招きされました
けれども私たちは 炭より黒い罪のために
神さまの国へ 行くことが出来ません
神さまは皆を愛し 一人子を遣わせました
そして全ての人達の 罰を代わってくれました
こうして神の御子の 十字架の紅い血によって
忌まわしい罪の 牢獄が壊された
救い主ジーザスは 三日目に甦られて
そして全ての人達に おいでと手招きされました
だからね私たちは 降り積む白い雪のように
生まれ変わって 天国に入れます
救い主ジーザスは 神様の右に座って
そして全ての人達の ために祈ってくれてます
今でも神の御子の 恵みは黄金(こがね)色に映え
天国の道を 明々と照らします♪